タイトル=ぼさつのむねにまどろむ
伊之助の入隊、あるいは悪鬼の目に涙。
最終選別も七日目の夕方を迎え、伊之助が不本意な同行者の汚い高音に慣れきった頃、最終夜も生き残るべく辺りの確認をしていた二人は一際多い鬼の気配に作業の手を止めた。耳が良い善逸がヒッと固まり、伊之助も目を閉じて気配を探る。この場からやや離れているものの全力疾走なら数分の距離に、いくつもの疎ましい影がうごめいていた。
「こっ、こっ、これ全部鬼!? まだこんなに鬼がいるの!? 嘘おおおおおッ、無理無理無理ぃ、殺されるうううううッ!! ふぐっ、むぐぐっ」
「うるせえ、弱味噌! 気づかれるだろうが、騒ぐな」
即座にわめきだした善逸の口を容赦なく塞ぎ、ぎろりと睨む。伊之助より一つ年上だというこの少年は、とにかく喧しいのだ。何かつけ良くも悪くもぎゃあぎゃあと反応する。それでいて本人は人並外れた聴覚のせいで少しの音でも拾うのだから、まったくおかしなものだ。伊之助自身もあまり声を抑える方ではないため、二人の言い合いで鬼が寄ってきた回数は二桁を超えていた。
「俺たちで対処できないほどじゃねぇ。もしこっちにきやがったら、俺が前に出るから、てめぇも遊撃して頸を落とせ」
「むがむがむがっ!!」
手のひらの下で抗議する相手を鼻で笑い、軽く蹴り飛ばしてやれば、善逸は涙目で蹲った。
「無理だよお、俺が弱いの知ってるだろ!?」
「本当に弱けりゃ、とっくに死んでる。俺は一度もてめぇを助けてねぇんだからな」
そう言った伊之助に、善逸はにへらと表情を緩ませ、すぐ横によって脇をつついた。当然、すぐさま報復で殴り飛ばされるも、気にせず締まらない顔で笑っていた。
「またまたぁ、伊之助が何度も助けてくれたの知ってるよ。なんだかんだ優しい奴だよ、うへへっ」
「……おめでたい野郎だぜ」
「なんだよお。本当に感謝してるんだからね!」
仔狸が懐いたような様子に、伊之助も毒気を抜かれて肩を落とす。そして、木々の先の暗がりに目をやり、ほつけて汚れてしまった薄緑の羽織を翻して抜刀した。隣でヒイッと悲鳴が上がったが、構わず走り出す。
「ちょっと待って、待って、伊之助えええええッ!!」
「取りこぼしはてめぇで倒せよ、紋逸! 俺は助けねぇからなっ」
「善逸ですぅ、ぜ・ん・い・つ!! うわああああ、置いてかないでえええええええ!!」
どんどん汚くなる高音を置き去りに先頭の鬼の頸を落とす。藤襲山に閉じ込められた鬼など伊之助の敵ではない。通り過ぎる間に四体を葬り振り返れば、刃の範囲外にいた二匹が善逸に襲いかかるところだった。
「ピッ!?」
四つん這いで一撃目をよけた金髪頭が奇怪な声とともにパタリと倒れる。その様に伊之助の美少女めいた口元が吊り上がった。初めて見た時は、そのまま見捨てていこうかと思ったが、我妻善逸という剣士は世にも奇天烈な強さを持っているのだ。
パリパリと空気が揺れる音に続いて、ドオンとすさまじい踏み込みが轟く。美しい型で鞘に刀をおさめる善逸の後ろで、鬼の頭が二つ、ぽとりと落ちた。もう辺りに鬼はおらず、あとは油断なく夜明けを待つだけだ。
「起きろ、紋逸」
「あいだっ!」
軽い平手で目を覚ました善逸がまた喚きだす。腰に縋りつく重石を適当に叩いて除けながら、伊之助は下山の時を待ち続けていた。
* * *
小さな家で二度目の二人きりの夜、童磨は台所から続く居間に座り、炊事をする琴葉の背を見つめていた。鬼になってから肉以外の食材の味わいがよくわからなくなってしまったが、琴葉が料理している時の出汁や調味料の香りは、なんとなく良い感じがする。彼女が作り出している香りだと思えば、ずっと嗅いでいたいぐらいだ。
「あつっ」
「琴葉、大丈夫かい?」
囀りのような愛らしい声が痛みを訴えるのを聞くなり、童磨は琴葉の隣に立ち、彼女の手元を覗き込んだ。どうやら鍋の縁に触れてしまったらしく、右手の白い指先が赤くなっている。その手を取って優しくてのひらに包めば、美しい女の面(かんばせ)もうすらと赤らんだ。
「火傷しちゃったのか。気をつけないといけないぜ」
「ごめんなさい。ぼんやりしていたわ」
最大限に加減した冷気で肌を冷やしてやると、琴葉は翡翠の瞳を細めて気持ちいいと囁いた。
「鍋を火から外せばいいのかな」
「そうなの。一人分だけだから重くはないのだけど、あっ、素手じゃ駄目です!」
慌てる琴葉をよそに熱された鍋を掴んで火から下ろせば、彼女は逞しい手首を両手で捕まえ、ぶんぶんと首を振った。鍋を持ったままで危ないというのに、咄嗟だと後先考えない彼女らしい行動だ。童磨が手にした鍋は、どれだけ琴葉が動いたところで揺らぎはしない。両手の表面が焼けたところで、数秒で治る傷なのだ。
「こらこら、しっかり見ないといけないぜ。琴葉、俺だからいいけど、これが伊之助だったら大変だ。先に鍋を置かせておくれよ」
「あ……ごめんなさいっ」
ぱっと手を放して眉を下げる彼女に、気にしていないと笑って鍋を流しの横に置く。一人前の茶碗と匙が用意されていたので、童磨はそのまま鍋の中身の味噌おじやを茶碗へと掬い、食事の膳を手に居間へと琴葉を促した。
「さあさ、出来立ての方が美味しいだろう。食べながらお喋りしよう」
「はい。あの、童磨さん、手は大丈夫?」
「このとおり、鬼だから平気さ。ごめんよ、琴葉、びっくりさせてしまったね」
火傷どころかささくれひとつない長い指先をひらりと見せれば、琴葉は体から力を抜いて微笑んだ。年を重ねてもまるで変わらない暖かい美しさに、正面に座した童磨もうっとりと目元を緩ませる。そうして、いただきますと手を合わせた彼女が、小さな口へと匙を運ぶ様子を見守っていた。
琴葉が食事をするのを見るのは好きだ。形良い唇から甘い口内へと消えた糧を、綺麗に並んだ歯列が咀嚼する音が良い。己が人間を喰うときとはあまりに異なる愛らしい音に、本当に同じ食事の行為なのかと疑わしくなるほどだ。童磨の虹の双眸に映る琴葉は、まるで小鳥のように少しずつ生きるための力を取り込んでいた。
「……ねぇ、童磨さん」
「うん、なんだい?」
ややあって空の茶碗を置いた琴葉が顔をあげる。応じる童磨と視線を合わせた彼女は、春の陽のような顔をしていた。
「ありがとう」
「うん? さっきの鍋のことかい?」
「いいえ、もっとたくさんのことよ。童磨さんのおかげで私も伊之助も幸せなの。身寄りのない私が、赤ん坊の伊之助を連れて逃げこんだのが貴方のところでよかった。私たちを助けてくれて、大事にしてくれてありがとう」
「琴葉……」
行燈に照らされた柔らかい美貌に吸い込まれるかと錯覚して、童磨は浮きかけた腰をとどめた。衝動のまま近づいたら膳をなぎ倒してしまうのだ。にこりと笑った琴葉が膳を脇に動かしたことで、今度こそ膝で目前までにじり寄った。
かよわい両手を包み込んで握れば、じわりと温もりがざわめく胸まで満たしていく。
「伊之助が貴方を人間に戻すって言いだしてから、ずっと考えていたの。私はあまり頭が良くないから、きちんと想像できてるかもわからないけど、私たちがおじいちゃんとおばあちゃんになって、しわしわの笑顔で笑い合っているの。傍には伊之助と伊之助の家族がいて、みんな笑顔で、とても幸せなのよ」
「それは、良いね。俺もうまく想像できないけど、おばあちゃんな琴葉は可愛いだろうなあ」
「おじいちゃんな童磨さんもとっても素敵よ」
豊かな黒髪を揺らして頷いた琴葉が、二人の間にあった距離を埋めて端正な頬に触れる。童磨の目じりを撫でた親指は慈しみに満ちていた。
「憶えてる? 伊之助が貴方をお父さんって初めて呼んだ日に、私、泣いてしまったでしょう」
「よく憶えてるぜ、君が言ったことも一言一句」
「ふふっ、すごいのね。私、あの時は、どうしたら童磨さんが喜んでくれるのかわからなかった。与えてもらうばかりで、何もお返しできないのが申し訳なかったわ」
童磨の腕が華奢な背と腰にまわり抱き寄せれば、琴葉もぎゅうと広い背に腕をまわして首元に頭を寄せた。そのまま耳元にささやく声は、歌うように美しかった。
「今は、少しだけわかるの。童磨さんが言ったとおりね。家族になって一緒に暮らせば、何を喜ぶのかわかるようになるって」
「琴葉は、どうすれば俺が喜ぶと思う?」
ただ傍にいてくれればいいと口にしたかった。あの頃は童磨自身も喜びの在りかなど知らなかったけれど、今ならおぼろげな輪郭ぐらいは見えるのだ。夢幻だと思っていたすべてが、さざなみ程度であったとしても、確かにそこにあると感じられる。けれど、先に言ってしまっては琴葉が拗ねる気がして、ただ彼女の背に流れる髪を撫でながら答えを待っていた。
「ずっと一緒にいるわ。私も伊之助も、何があっても童磨さんと一緒にいる。童磨さんが私たちを大事にしてくれるように、私たちも貴方を大事にするの。貴方が鬼でも、人に戻っても、私たちは家族でずっと一緒よ」
約束よ、と琴葉の吐息が耳に触れる。見下ろした先の愛しい顔がゆらゆらと濡れて歪んでいくのに、ああ、泣いているのかと人ごとのように思った。意図せず泣くなんて、生まれたての赤ん坊の時以来のことで、ぼろぼろと顎を伝っていく涙がこそばゆかった。
「綺麗……」
泣き顔を見上げる琴葉がそう言えば、ますます涙腺が壊れたように止まらず、彼女の頬にも雫が落ちた。
「琴葉、ゆびきりっ、指切りの約束をしておくれ。俺を喜ばせた今の言葉、絶対に違えないで」
「ええ」
抱きあっていた腕を片方だけ胸元で合わせ、小指を絡める。長い指先と白い指先がしかりと結ばれ、ゆびきりげんまんと歌う甘やかな女の声がしゃくりあげる鬼の声に重なった。
* * *
最終選別を終えた伊之助が我が家に戻ったのは、出立から八日目の昼のことだった。藤襲山までの距離を考えれば早めの帰宅だ。戸の前に立った途端それがガラリと開いたのは、別に驚くことでもない。内と外でお互いに気配を感じていたからだ。彼を驚かせたのは、まるで別のことだった。
「うおっ、父ちゃんどうしたんだよ!? 焼けてるぞ、おいっ、下がれって!!」
真昼間に戸口にたった養父が見る間に焼け焦げていくのに、伊之助は目を剥いて長身を奥へと押しやり、即座に戸を閉めた。そしてまったく同じ顔で悲鳴をあげた母親と共に、燃える腕や背中を必死ではたき、鎮火した体が再生するのを待った。
「おかえり、伊之助。無事に帰ってきてよかった」
半分炭になった衣服を着替えた童磨が、仕切り直しといわんばかりに口を開く。それをじっとりと見上げた伊之助だったが、他に聞きたいことがあったため、素直に応じた。
「おう、ただいま。母ちゃん、ただいま」
「おかえりなさい、伊之助。怪我はしてない? どこも辛くない?」
「擦り傷ぐらいで、あんまり疲れてもねぇよ。後でしのぶにも顔見せてくる。ところで、父ちゃん」
伊之助が指さすと、童磨は小さく首を傾げた。薄汚れてしまった羽織姿の息子を微笑まし気に見つめる鬼は、戸口で焼け焦げる直前からずっとぼろぼろ涙を流しているのだ。鬼ゆえに目元が腫れることはないが、朗らかに「おかえり」と言ったときも滝のように泣いていたのは異様だった。
「なんで泣いてんだ?」
直球で訊ねた息子に、童磨と琴葉は顔を合わせ、二人して子供のように破顔した。
「嬉し泣きですって。母さん、やっと童磨さんを喜ばせることができたのよ」
「いやあ、初めてだから止め方がわからなくて困ってるのさ」
仲睦まじく寄り添う両親にほわほわしないでもないが、それにしても童磨の泣き顔が気になってしまう。結局、伊之助が落ち着いて彼らと話すことができたのは、一度蝶屋敷に刀を返しに行ってからのこと。小柄な年上の友人に、無許可で選別に参加していた少女ごと容赦なく抱きしめられてからのことだった。
【登場人物紹介】
童磨
元十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖、逃れ者生活8年目。愛を知って世界が広がった人間性初心者。この度嬉し泣きするに至ったが、完全制御していた涙腺の扱い方がわからなくなってしまい、五日間泣き続けてしまった。人間だったら干からびて死んでいた。しかもテンションが上がりすぎて日中なのに戸口に立つという暴挙に出た。伊之助が無事に戻るとわかっていたため、感動の再会ではない。なお、鎹鴉のことは知っており、戸を開ける際も気配がないことは確認済。
嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。息子が心配すぎて火傷したが、その後の童磨との約束で感無量になり、かなり気分が上向きになった。それでもやっぱり心配だったので、伊之助が怪我なく帰ってきて物凄く嬉しい。童磨が泣きっぱなしでも嬉し泣きだとわかっていたので微笑ましく見守っていた。
嘴平伊之助
お母さん似な獰猛系美少年。新米鬼殺隊士な15歳。弱肉強食を世の真理としているスーパードライなうり坊。しかし両親にはウェット。最終選別ではずっと善逸に付きまとわれていたが、最後の方はあまり嫌でもなかった。強い奴が好きなのは、どこぞの上弦の参に通じるところがある。帰宅したら父親が焼身自殺(違います)を図り、しかも滝の涙を流していたのに仰天したが、両親が仲良しなら結果オーライだった。
胡蝶しのぶ
毒殺上等な蟲柱。おこりんぼな18歳。勝手に選別に行ってしまった妹と友人がそろって最終選別を突破したのが嬉しくて、二人をぎゅむぎゅむ抱擁の刑に処してしまった。カナヲはこの後姉二人による説教が待っている。また、貸し出した刀が二振りとも良い状態で帰ってきたのが誇らしい。
我妻善逸
雷の呼吸を使う金髪少年。原作通りの人物。藤襲山では伊之助を追い回し、三日目あたりから一緒に行動していた押しかけ相棒。最初に気絶した時は見捨てられる危機だったが、覚せい状態を見られたことで強い奴として許容されることとなった。なお、すべての鬼は伊之助が倒してくれたと信じている。音による嘘フィルターが誤作動してるのは、伊之助が本心から照れ隠しで助けてないと言っていると思っているため。
竈門炭治郎
原作主人公。今回出番なし。最終日は玄弥とのいざこざがあり、さっさと帰ってしまった伊之助に謝る機会がなかった。次の機会は鼓屋敷だ!