タイトル=のうけにまなぶこ
番外編。童磨の子守、あるいは未来への布石。
逃亡後、藤の家紋の家での住み込み時代の一幕。
藤の家で住み込みで働く琴葉は忙しい。朝早くから厨に入り食事を作り、配膳から少ししたら片付け、その後は昼食を出せるよう用意しつつ、諸々の手伝いをこなす。この家の本業である酒造の仕事には全く関わっていないものの、下手な女中よりも忙しいことは確かだ。
通常の女手であれば、ここまで大変ではなかったかもしれないが、春の妖精のごとき美しさと一つ二つ言葉を交わすだけで伝わる心根の良さを持ち、コブ付きとはいえ独身とくれば、若い男が大半を占める鬼殺隊士がこの藤の家を贔屓にするのも当然のことであった。結果、連日隊士の世話に追われている。
「琴葉さん、羽織りの修復ありがとうございました!」
「どういたしまして。ちょっとお袖を縫っただけですよ?」
「いや、凄く上手に仕上がってます。あのっ、今度是非お礼をっ」
「おい、抜け駆けすんな! もういくぞ! 琴葉さん、ありがとうございました」
「まてまて引っ張るなっ! 琴葉さーん、また来ます!!」
「二人とも気をつけて、ご武運をお祈りしてます」
鼻の下をのばした青年らを手を振って見送り、次の剣士たちの対応をする琴葉。己の容姿の美しさを全く理解していない彼女でなければ、とんだ天狗になっているであろう人気ぶりである。
母親が鬼狩りの剣士らにかかりっきりであるため、息子の伊之助は学校から帰ってくると裏の山に出かける毎日だ。夕飯時まで野山を駆け回って一人で遊んでいる子供に、藤の家の主人らは心配して早く帰って来させるよう言ったが、琴葉はにこにこ笑うだけで、伊之助の好きにさせていた。
「母ちゃん、山に行ってくる!」
「はい、気をつけるのよ。お夕飯までに帰ってきなさいね」
「おうっ」
教本が入った布鞄を部屋に放り入れ、汚れてもいい甚平に着替えるなり、伊之助は今日もてぶらで駆け出していく。細っこい子供が母親とすれ違う瞬間、琴葉の胸元から飛びだした小さな影が伊之助の肩へと飛び移り、襟元から服の中へともぐり込んだ。ちゃんと保護者がついているから、琴葉も安心しているのだ。
「琴葉さん、また伊之助ちゃん一人で山に行かせたのかい?」
家主の翁が眉をさげて声をかけるが、琴葉は「大丈夫です」と明るく返した。白い指先で自らの胸元に触れ、ふわりと笑う姿は息をのむほど美しい。
「童磨さんが見守ってるから、心配いらないわ。気にしてくれてありがとうございます、大旦那様」
「……旦那さんも遠くから見守ってるだろうけど、子供はそばで面倒を見てやらないといけないよ」
「伊之助は私たちの宝物だから、何があっても童磨さんが守るわ。あのひとはとっても強いんです」
うふふと幸せそうな琴葉に、翁はそれ以上は何も言わなかった。町一番の美人がいまだ亡き夫が生きているように振るまうのは誰もが知るところだ。これさえなければ裕福な家の後添えに引く手あまただろうに、と的外れなため息をつくのだった。
* * *
「伊之助、今日は何をするんだい?」
「父ちゃんと稽古!」
「いいけど、毎日飽きないなあ」
陽が燦燦とそそぐ小道を、大層美しい子供が襟口に隠れた鬼と言葉をかわしながら進んでいく。肩でざんばらに切った艶やかな黒髪にぱっちりした翡翠の瞳の伊之助は、町で評判の美少年だ。同時に、山を駆けまわっている腕白坊主としても有名であった。
実際のところ、伊之助が山に行くのは人目がつかない場所で養父と過ごしたいからだが、町の大人たちは母親が忙しくて構ってもらえない子供が寂しくて一人遊びしていると思っている。勘が良い彼はその哀れみの視線に居心地が悪くなって、余計に山へと足が向いてしまうのだ。それに、学校では片親という境遇と整いすぎた容姿から遠巻きにされているため、子供同士で遊ぶこともなかった。
「それじゃあ、太陽があたらない場所を探しておくれ。今日は鬼狩りたちが使う呼吸について教えてあげよう」
「父ちゃん、鬼なのに鬼狩りのこと教えられるのか?」
「敵を倒すには相手の手の内を知るのが一番なんだよ、伊之助。まあ、流石に呼吸の実践はしたことがないから俺も見様見真似だけど、呼吸を使えば俺との相撲もいい勝負ができるかもしれないぜ?」
「本当か?! 呼吸すげーな、俺もできるようになったら、父ちゃんを寄り切ってやる!」
「ははっ、威勢がいいなあ」
勝負事では大人げない養父ー童磨に何度も泣かされているというのに、伊之助はうきうきと意気込んでいる。ここ数週間は二人で相撲やかけっこをして体力作りをしているのだ。ぎりぎり伊之助が敵わない力加減で負かしてくる童磨に涙目になりつつ、それでも果敢に挑んでは疲れ果てて母のもとに帰っていく。それを毎日繰り返しているのだから、伊之助の負けん気の強さは鬼の折り紙付きだ。
山の中腹あたりの木々が濃い場所に行きつき、伊之助が足を止める。童磨は周りに不自然な気配がないことを確かめてから、徳利襟姿の長躯へと体を戻した。
「よーし、それじゃあ呼吸について、まずは勉強だ。藤の家に来る鬼狩り連中が、よく水の呼吸とか風の呼吸とか言ってるだろう」
「うん」
「呼吸っていうのは、簡単に言うと人間が最大限の力を発揮できる小技だ。水とか風とか雷っていうのは、呼吸の種類のことだよ」
すらすらと敵の戦闘方法について説明する童磨に、興味津々で聞き入る伊之助。あまり座学が得意ではない息子のために子供向けの説法よろしくかみ砕いて説明するのは、最近身に着けた童磨なりの優しさだった。
「……という風に、強く深く呼吸をすることで肺を大きくして酸素を体中に巡らせて、筋肉とか神経とかを最大限に働かせるんだ。あんまりやると体温と心拍数が上がりすぎて体に良くないから、ほどほどにね」
「よくわかんねぇよ、父ちゃん」
「うーん、これ以上はかみ砕けないなあ。実践でやってみようか。仕組みはわかってるから、お手本を見せてあげる」
首をかしげる伊之助の頭を撫でてやり、後ろに下がるよう促す。童磨は片手に鉄扇を構え、開けた場所に3メートル大の氷の小山を作り出した。いきなり現れたそれに子供が目を輝かせるのを他所に、鉄扇を片づけて無手で構え、最も多く遭遇した水の呼吸の剣士たちを真似て深い息を刻んでいく。鬼の肺活量は人間の比ではなく、体に無理をさせる呼吸法の適応は思うより難しい。それでも子供の手前一度で成功させるべく、精密な呼吸を繰り返した。
ヒュウウウウーー
鬼らしからぬ体温の上昇に額に汗がにじむ。不快な感覚に眉を寄せつつ、童磨は元同僚の見よう見まねの正拳突きを小山めがけて突き出した。
轟音を立てて右拳が氷に突き刺さるなり、空気を揺らすほどの衝撃が生まれ、爆風に白橡の髪が舞う。伊之助の驚きの声と尻餅をつく音はまんざらでもなく、童磨は少ししびれる腕をひらりと振って、目の前の成果に目を眇めた。巨大な氷の塊は、跡形もなく割れて地面に散らばっていた。
「呼吸を使って攻撃すると、こんな感じだ。普通に殴るより、ざっと三倍ぐらい力が出てる。人間でも刀で大岩を斬るぐらいはできるようになるぜ」
細かな氷の欠片が踊る中、伊之助を見やれば、愛らしい子供は地面に座り込んだままぷるぷると震えていた。少女めいた頬を薄紅に染め、くすぐったくなる眼差しで童磨を見ていた。
「す、すげぇ……父ちゃん、格好いい!! 俺もそれやりたい!!」
「うんうん、拳で砕くのは多分無理だけど、刀で斬れるように教えてあげよう。さあ、立ち上がってこっちにおいで」
「ふはっ、俺もどかーんってやる!」
はしゃいで飛びついてきた伊之助を抱きとめ、童磨はくすりと嗤った。呼吸を扱う剣士を百年以上殺し続けた身で、可愛がっている子供にその術を教える。鬼狩りたちが知ったら憤死しそうな状況だが、童磨としては息子が喜ぶなら何でもいいのだ。
童磨の誤算は、伊之助が呼吸において天性の才能を持っていたこと。彼がそれを思い知るのは、この二年後、十一歳になった息子が母親そっくりの笑顔で『獣の呼吸』なる初見の呼吸を披露してみせた時だった。
【登場人物紹介】
童磨
元十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛を知って世界が広がった人間性初心者。家族連れの逃れ者ライフは2年目。鬼サイドきっての頭脳派かつ技巧派であり、これまで戦ったすべての鬼殺隊士の戦法や技を記憶している。身体制御にも長けているため、伊之助に見せたように呼吸を使って攻撃することも可能。ただし血鬼術を使った方がよほど楽で強いため、呼吸を戦いに取り入れることはない。なお、猗窩座殿の正拳突きは何十回もやられるうちに完璧に覚えた。
嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。鬼殺隊に保護された後、傷が治るまでは藤の家で療養し、その後は人手を必要としていた別の藤の家で住み込みの仕事を紹介された。手伝いをしているうちに、鬼殺隊の男性隊士らのマドンナとなった。また、未亡人だという噂も一気に広まった。
嘴平伊之助
お母さん似なわんぱく系美少年。9歳。童磨同伴の山遊びばかりしており、ちゃくちゃくと弱肉強食系スーパードライな感性を育んでいるうり坊。強さに憧れる子供に呼吸について教えたのは童磨だが、獣の呼吸として確立させたのは伊之助自身の才覚と努力の賜物である。