タイトル=みょうがのごときてをつかんだ
鼓屋敷編、あるいは人を喰わない鬼。
チクチクと細い針が傷口を閉じていく。時折、意図するより深く鋒が入りこんで痛みが増すが、不死川実弥にとってその程度の苦痛はないも同然だ。だから反応せず丸い腰掛けに座っていたというのに、針を手にした女の方がビクリと細い肩を揺らして手を止めた。
「ごめんなさい、痛かったわね」
「いや、痛くないです」
「ううん、上手にできなくてごめんなさい」
実弥の脇に座っているのは、まるで春の花の化身のような美しい女性だ。豊かな長い黒髪をゆるく結び、淡い色合いの着物のうえに清潔な白い羽織りを身につけている。化粧っけがほとんどなく、慎ましやかな出立ちであるのに、目を奪われる優しい美貌の持ち主だ。この蝶屋敷には元・花柱のカナエと現・蟲柱のしのぶという美人姉妹がいるが、今、実弥の前で項垂れている嘴平琴葉はどちらとも異なる魅力があった。
「もう少しで終わるから、辛抱してね」
かよわい手が実弥の腕を撫で、上腕の長い切り傷の縫合を再開する。その後も何度か危なっかしい針捌きがあったが、無事に縫い終わって糸を切る横顔はホッとしていた。
「ありがとうございます、琴葉さん」
「どういたしまして。右腕はしばらく激しく動かさないでね。実弥さんの怪我を縫うの、これで五回目。怪我が多くて心配だわ」
「ほとんど故意に受けた傷なんで、心配無用です」
「えっ……」
琴葉の翡翠の瞳がこぼれ落ちそうに見開かれ、実弥は失言だったと内心舌打ちした。カナエやしのぶには毎回苦言されながら縫われているため、ついその調子で返してしまったのだ。何年も蝶屋敷で働いているとはいえ、琴葉は一般の女性だ。鬼殺隊に保護された、身よりも行くあてもない子連れの未亡人なのだ。実弥は、カナエらが手の施しようがない隊士の世話を彼女にはさせないようにしていることを知っていた。
「いや、すみません、忘れてください」
「実弥さん」
強引に話を打ち切ろうとして、耳に心地よい声に咎められた。傷口をガーゼで覆い、丁寧に包帯を巻いた女が、筋肉がついた腕をやわく撫でながら見つめてくる。大きな傷痕がある実弥の顔面は並みの女子供なら怖がるものだが、彼女は仕方がない子供を愛でる眼差しで微笑んでいた。
「貴方はとても勇敢で強くて、たくさんの人たちを助けられる人よ。そんな立派な人を粗末にしたらバチがあたるわ。ちゃんと自分を労って、大事にしてあげてね」
にこにこと言う琴葉に反論することは憚られた。何の打算もない、その時思ったことを正直に言う人だと知っているからこそ、優しい手も美しい笑顔も素直に受け取るしかないのだ。実弥は吊り上がった三白眼をうろうろと彷徨わせたが、観念して「はい」とだけ返した。
琴葉はよくできましたとばかりに頷き、縫合の道具を片付けはじめた。白く端正な横顔は、とても大きな息子がいるようには見えないが、今のようなやりとりの後は彼女が母親なのだと実感する。ふと噂で聞いたことが気にかかり、実弥は口を開いた。
「そういや、伊之助が最終選別を通ったと聞きました。入隊させて良かったんですか?」
「ええ、あの子がしたいことは応援するって、童磨さんと決めてるのよ。この間、初めてのお仕事をちゃんとできたって手紙がきたわ」
「……そうですか」
よく蝶屋敷に出入りしていた伊之助のことは実弥も知っている。琴葉の手伝いをしている姿かしのぶにしごかれている姿しか見たことがないが、母親そっくりの見た目と驚く程男らしい声をもつ少年だ。我流だろうがよく鍛えている体と、蟲柱のしごきに果敢に立ち向かう様子に、なかなか骨がありそうだと思ったのが記憶に新しい。しかし、夫を鬼に喰われた琴葉が愛息子の入隊を許したのは意外であった。
「今は同期のお友達と任務にあたってるみたい。近くに来たら家に寄ってねってお返事を書いたから、お友達と一緒に帰ってくるのが楽しみなの」
「……怖くねェのか?」
思わず素が出てしまいすぐさま謝ったが、琴葉はふんわりと首を傾げ、しのぶさんと同じねと言った。
「しのぶさんも私たちをとても心配してくれたのよ。選別の前に止めようとしてくれた。実弥さん、とても優しいのね。心配してくれてありがとう」
「俺は、そんな優しくないです。隊士になったなら、何があっても覚悟してただろうとしか言えねェ。ただ、貴方みたいな人が家族を危険に近づけさせたのが、俺には理解できない」
「実弥さんはご家族は?」
「……一人を残して鬼に殺されました」
「ごめんなさい、辛いことを聞いてしまったわ」
「鬼殺隊じゃあよくある話です」
「そんなの関係ないわ。家族を失うのはとても辛いって、私でもわかる」
実弥と向かいあって座る琴葉に憂いの色はない。彼女は夫を亡くした時から現実が見えなくなっているのだと、いつかカナエが言っていたのを思い出した。琴葉も息子の伊之助も、とうにいない夫と父親の影に囚われている。だから失うことを恐れないのだろうかと、そう思えば胸が軋む気がした。
「実弥さんはそのご家族を守るために戦っているの?」
「あいつが脅かされないよう、一匹でも多く鬼を狩る。そう決めてます」
「ふふ、優しい貴方らしい。伊之助も同じよ。家族で幸せに暮らすために鬼の親玉を倒すって言っていたわ」
家族のために決めたことは、誰にも止められないでしょう。そう言って、春の陽のような女は胸元に白い手を重ね、咲くように笑った。
* * *
炭治郎が最終選別でみた綺麗な少年と再会したのは、鼓を使う鬼の屋敷の中でのことだった。道すがら合流し一緒に任務にあたった我妻善逸と共に、屋敷の外で怯えていた子供たちをなだめ、彼らの兄を探すべく、炭治郎は単身で屋敷の中へと入った。そして、鼓の音とともに配置がかわる不可思議な屋敷の中で、薄緑の羽織り姿を見つけたのだ。
相変わらず大変整った顔立ちの少年は嘴平伊之助と名乗った。姫武者のような見た目に反した雄々しい声と口調が印象的で、二振りの小太刀でやすやすと屋敷内の鬼を切り裂いていた。
開口一番、最終選別前にじろじろ見てしまったことを謝罪した炭治郎に、伊之助はすっかり忘れていたとまたも鼻で笑った。その後、鼓の音により分断されてしまったが、炭治郎が怪我を負いながらも屋敷の主である鬼を倒したことで術が解け、全員が屋敷の外で合流することができた。
「ああ、よかった」
木陰にぽつんと置かれた背負い箱。大人しく待っていてくれた禰豆子の無事を確認し、炭治郎は眉をさげて二人の同期に並んだ。箱を前にした伊之助の臭いが変わったことに気づいたからだ。善逸は街道で会った時から、この中身に気づいているようだった。
鬼の犠牲者たちを埋葬する間、炭治郎は二人から嫌悪の臭いがしないことに戸惑いと少しの希望を抱いていた。
「おい、でこっぱち。てめぇ、何を連れてやがる」
家路に発つ子供たちを見送り、三人と烏一匹だけになるなり、鋭い翡翠の視線が向けられる。柳眉をやや寄せて箱を睨む伊之助だが、臨戦状態というほど警戒はしていない。伊之助の優美な羽織を掴んでガタガタ震えている善逸も、刀に手を伸ばしてはいなかった。
「俺の妹なんだ。事情があって、こうして箱に入れてる。あと、俺は竈門炭治郎だ」
「そっ、それ鬼だよね? 炭治郎の妹は、お、おおおお、鬼なの?」
「紋逸、うるせえ。あと羽織を引っ張るんじゃねぇ」
「あでっ、酷いよぉ伊之助!」
「伊之助、すぐ殴るのはよくないぞ。それに、彼は善逸だ」
怯える善逸の頭を伊之助が殴り、それを炭治郎が注意する。そうして話題がずれたまま、鎹鴉についてくるよう促され、彼らは藤の花の家紋の家へとたどり着いた。時折、伊之助と善逸の視線が背負い箱へと向けられたが、道中で問いただされることはなかった。
「二人とも、夜になったら全部説明するから、おばあさんの前では何も言わないでくれ」
頼む、と通された部屋で頭を下げれば、二人は隅に置かれた箱をじっと見つめてから頷いた。
食事や風呂の世話をしてもらい、さらには老婆が呼んでくれた医者に、炭治郎は肋の骨折、善逸は頭部の怪我、伊之助はいくつかのかすり傷を診てもらった後、ようやっと三人きりで話せる時間がやってくる。炭治郎は、ついに覚悟を決めて箱の扉を開いた。幼児の姿で這い出てきた妹を隣に座らせ、本来の大きさに戻るのを待って紹介する。
「妹の禰豆子だ。二年前に俺の家族が鬼に襲われた時、禰豆子だけ鬼の血を入れられて鬼になってしまったんだ。言っておくけど、禰豆子は一度も人を食べていないぞ。ちゃんと俺のこともわかっているし、人を守って鬼と戦ったこともあるんだ」
ぱち、と善逸の丸っこい瞳が瞬く。禰豆子の愛らしい顔かたちを凝視すること数秒、彼はでろりと破顔し、膝でにじり寄ってきた。そして禰豆子の前でよくわからない動きで体をくねらせ、ずいと赤い顔を寄せた。
「なんだよお、こんな可愛い妹がいるなんて羨ましい奴め! 禰豆子ちゃーん、俺は我妻善逸、お兄さんの親友だよお! 仲良くしようねっ」
善逸からは嬉しそうな大仰な臭いしかしていない。本当に禰豆子を可愛いと思って言い寄っているだけなのだ、と炭治郎は面白くないような安心したような気持ちを抱き、もう一人へと赫灼の瞳を向けた。
「そいつ、人を喰わねぇで平気なのか?」
「ああ。鬼になった瞬間だけ暴れたけど、俺が声をかけて励ましたら泣き出して、それから一度も誰かを襲うようなそぶりは見せてないよ」
寝巻き姿であぐらをかいた伊之助はずっと禰豆子から目を離さない。未知の生物を観察するような視線に気づいた彼女が炭治郎の方へ身を引くと、ようやく美しい目元が炭治郎へと移る。伊之助からは、悩むような困ったような淡い臭いがしていた。
「無理させてるわけじゃねえんだな?」
「それは……禰豆子の口から聞いたわけじゃないから、正直わからない。俺が育手のもとで鍛えてもらっている間、禰豆子は二年間も眠っていたんだ。鬼に詳しい人に診てもらった時、その人は禰豆子は体質が変化したんだと言っていた」
「眠るのか。鬼なのに」
「うん。疲れると寝てしまう」
そう答えると、伊之助は畳を見下ろして考えこみ、小さな声で何やら呟いた。炭治郎には聞こえなかったが、善逸が首を傾げたので、彼には聞こえていたのだろう。
「わかった。人を襲わねえなら、俺はどうともしねえ。鴉から本部に報告がいってるだろうしな、お偉方から何も言われてねぇなら、黙認されてるってことだろうよ」
「えっ!?」
「俺はもう寝る。お前らも怪我してんだから、早く休めよ」
「待ってくれ! 伊之助、報告ってどういうことだ? 待って、寝ないでくれ」
もう興味がないとばかりに布団の方へ行ってしまう伊之助を、炭治郎が四つん這いで追いかける。善逸は禰豆子の横に座り込んで一方的に話しており、四人だけの室内は混沌としたまま深夜を迎えたのだった。
* * *
ある夜、いつものように琴葉を胸元に抱いて寝たふりをしていた童磨は、己の分身のひとつが戻ってくるのを感じてうすらと瞼をあけた。壁の小さな穴から入ってきた四寸ほどの結晶の御子が布団脇までやってくる。それは白橡と赤が混じった頭部に触れ、ずぶずぶと体の中へ入ってきた。血鬼術で作ったこの分身は、伊之助を見守るための応用の術だが、情報収集や伝達にも役立っているのだ。
(うんうん、伊之助は同期の子たちといるのか。金髪の子は最終選別で一緒だった泣き虫君だな。もう一人は、わあ、鬼になった妹を連れてる。この子は人を食べない、ってそんな鬼が本当にいるの? あの方が知ったら絶対捕らえて研究するだろうなあ)
伊之助につけている結晶の御子は一体だけではない。可愛い息子は気配に聡いため、御子たちには気取られないよう距離を取らせ、四方から見守らせている。助けに入るのは命にかかわる時だけという条件をつけ、任務にあたる様子を定期報告させているのだ。
(竈門禰豆子ちゃんか。特異体質なら、食べれば分析できるかなあ)
もし眠るだけで体力を回復できたなら、心優しい琴葉はとても喜ぶだろう。禰豆子に会うことがあれば、腕の一本ぐらいもらおうと算段をつけ、御子が記録した鬼の少女の姿を記憶に焼きつける。
そうして、童磨は手に入れた情報から伊之助が任務にはげんでいる様子だけを脳裏に流し、夢を見ているかのように琴葉の背を抱き寄せたのだった。
【登場人物紹介】
童磨
元十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛を知って世界が広がった人間性初心者。家族連れの逃れ者ライフは8年目。伊之助が鬼殺隊に入隊したため、今は琴葉と二人で生活している。息子にはちゃんとセコムをつけている。時々暗躍しつつ、基本的に日中は胸に挟まれている。なお、琴葉が男性隊士と一対一の時、絶妙のタイミングで悪さをしてはぺしぺし叩かれている。どんどん芸達者になっていく血鬼術の天才。
嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。蝶屋敷のお手伝いは三年目。最近ようやく傷の縫合をさせてもらえるようになり、何度か風柱の傷を縫ってあげた。しかし片目が悪いため、時折針を駄目な深さまで押し込んでしまい、勘の良さから相手が我慢しても痛かったのがわかってしょんぼりする。伊之助から便りが届くたび、喜んで小躍りしてしまう可愛いお母さん。
嘴平伊之助
お母さん似な獰猛系美少年。15歳の新米隊士。弱肉強食を世の真理としているスーパードライなうり坊。しかし両親にはウェット。任務先の鼓屋敷で善逸、炭治郎と再会し、かまぼこ隊の一員となった。養父のことがあるので、禰豆子が無害すぎてびっくりした。なお、蝶屋敷繋がりでほとんどの柱と面識がある。
竈門炭治郎
原作主人公。背中の箱に鬼になった妹・禰豆子を入れている。鼓屋敷の任務で善逸と出会い、伊之助とも再会した。善逸からは優しく強い臭い、伊之助からは厳しく優しい山の臭いがする。箱の中身に気づいても何も聞かなかった善逸と、伊之助が禰豆子を平然と受けいれたことに大変感謝している。まさか本部に把握されているとは思っていなかった世間知らず。
我妻善逸
雷の呼吸を使う剣士。原作通りの人物。伊之助とは最終選別時からの友達だと思っている。あながち間違いではない。この度、泣きたいほど優しい音がする炭治郎に出会い、伊之助とも再会できてとても嬉しい。箱の中の鬼にびくびくしていたが、炭治郎を信じて説明を求めるだけに留まった。伊之助が平然と鬼を受けいれたのは意外。禰豆子ちゅわーん(はぁと)
不死川実弥
凶暴な見た目の風柱。色々と過激かつ容赦ないが、不屈で正しい心の持ち主。優しい母親という生き物が最大のトラウマかつ聖域であるため、琴葉がちょっぴり気になるが、分別をもって意識をそらしている。これにより死亡フラグを折ったとは露知らない。歳上の女性には丁寧に話せる真面目な21歳。