タイトル=ぐれんをさかせ、いのちをめでる
蝶屋敷にて、あるいは悪鬼のかくれんぼ。
蜘蛛だらけの山で蝶のような美人の手当てを受け、ぐるぐる巻きにされた善逸が運び込まれたのは、蝶屋敷と呼ばれる立派な屋敷だった。蟲柱の住まいであり元・花柱が仕切る病院でもあるこの屋敷は、善逸にとってこの世の極楽であった。
「胡蝶カナエです。よろしくね」
「よっ、よろしくお願いしますうううう!」
寝台を覗きこんでにっこり笑顔を浮かべる女性は、元・花柱だという。杖をついて診察室に入ってきた彼女が、鬼との戦いで膝から下を失い引退することになったのだと善逸が知るのは、数日後のことだ。この時は、艶やかな黒髪に蝶の飾りをつけた美女に舞い上がるばかりだった。
ぐるぐる巻きから解放された善逸の四肢は、腫れあがって短く変貌していた。呼吸で毒のめぐりを遅らせていなければ、とっくに蜘蛛になっていたとは、診察が終わってのカナエの言葉だ。彼女の指示で可愛らしい幼い看護婦たちが寝台脇に点滴を用意し、太い針が肘の血管に刺しこまれた。
「今日は点滴だけにしましょう。善逸君、お薬を出すから明日から一日五回しっかり飲んでね」
「はいっ。カナエさん、毎日診察してくれるんですか? しょ、触診とかします?」
「毎日じゃないけど、三日おきに経過の確認にくるわ。それじゃあ、お大事に」
食い気味に声をかける患者をするりとかわし、カナエは両脚義足だと思わせない危なげなさで立ち上がって退室していった。白衣の後ろ姿をうっとり見送った善逸は、足音が遠ざかると、ふうと大きく息を吐き出して天井を見つめた。那田蜘蛛山で善逸は一体の鬼と遭遇し、どうやらそれを討伐したらしい。まるで信じられないが、人の顔がついた蜘蛛に追い回された後から記憶がなく、気がついたら毒で意識が朦朧としていたので、救護班の会話から拾った情報しかわからないのだ。
(炭治郎と禰豆子ちゃんと伊之助は無事かなあ)
点滴薬のせいか、どんどん眠たくなってくる。目を閉じてゆるく息を繰り返していると、いよいよ瞼を開けたくなくなり、人並外れた聴覚だけが廊下を行きかう気配を捉えていた。
(あ、優しい音だ。炭治郎……じゃない、女の人だ。ふわあ、柔らかくてあったかい、綺麗な音だなぁ)
善逸がこれまで聴いた中で、最も優しい音の持ち主は炭治郎だ。彼からは泣きたくなるような優しい音がする。伊之助も優しいが、彼の音は美しくも恐ろしい山の自然のようなもので、歴とした獰猛さがあった。対して、今廊下を歩いて近づいてくる人物の音は、春の陽やそよ風に泳ぐ花弁のような、誰も傷つけない柔らかさに満ちていた。優しいのもあるが、何より美しい、心が綺麗な人の音だった。
(いいなあ、こんな音をさせる人は、きっと綺麗な人だろうなあ)
カラカラと戸が開く音とともに、美しい音がする人が入ってくる。善逸が横たわった寝台までやってきたその人は、眠っていると思ったのか、彼の金色の頭を子供にするように撫で、あたたかく湿った布で薄汚れた顔を拭いてくれた。滑らかな指先に世話を焼かれているうちに善逸は本当に寝入ってしまい、ほぼ全身を念入りに拭われたことなど知ることはなかった。
* * *
琴葉の胸元に横向きで膝を抱えて納まった鬼は、柔らかい肌をとおして聞こえてくる鼓動に自らのそれを合わせ、ゆるゆるとかよわい人間の脈と呼吸を模していた。伊之助につけた分身と伊之助自身が母にあてた便りから、彼の同期の少年らの特異体質は把握している。今、琴葉が衣服を脱がせて身体中拭いてやっている金髪の少年は、木箱に入った竈門禰豆子と対面する前から、彼女が鬼だと気づいていたらしい。鬼と人間は、生体の違いからまったく異なる音がするはずだ。であれば、琴葉にくっついて彼女の音に自らの音を重ねてしまえば気取られないと踏んだのだ。
(ここまで近づいても飛び起きないなら、大丈夫かな。問題は、もう一人の方だ)
竈門炭治郎の嗅覚は、おそらく犬並みだ。琴葉の甘い体臭はごく薄く、人喰い鬼にしみついた血の臭いを覆い隠せるものではない。何せ童磨は百年以上、人間の血肉だけを食べてきたのだ。いくら体を洗ったところで、どうにかなるものでもなかった。
(彼の妹は鬼だけど、あくまで人を食べないから許容してる節があるし、うーん、どうしたものか)
炭治郎がいるときだけ琴葉と伊之助から離れるのは簡単だが、長く続くのなら論外だ。そんな不便を強いられるぐらいなら、竈門兄妹には早々に失踪してもらうことになる。もちろん、行先は童磨の腹の中だ。
(産屋敷殿のところに引っ立てられたみたいだから、隊律違反で処刑されるかもしれないけど)
望み薄だな、と虹色の目を伏せて考える。産屋敷家は鬼舞辻無惨を憎悪し、人喰い鬼に生きる価値なしとして鬼殺を指揮しているが、同時に童磨には理解できない信念を持っている。その非合理的な方針のもと、鬼狩りらは自らの身を犠牲にして有象無象の人々を守り、柱でさえ人質や足手纏いを即座に見捨てることはしないのだ。これまで童磨が殺して食らった柱の中にも、巻き込まれた町民を庇って死んだものがいた。
(鬼狩りは人間が生きていることに重きを置くから、炭治郎君を殺しはしないだろうな。禰豆子ちゃんはどうだろう。俺としては彼女の方こそ生きていて欲しいけれど。まったく、連中は馬鹿だよ。命は皆須らく平等。『生きてる』ことの価値なんて、ひとりひとりの主観でしかないのにね)
童磨は命の尊さを知っている。命とは世の理(ことわり)である食物連鎖の歯車であり、つまりこの世で最も大事なものなのだ。童磨の長い生を支えているのだって彼が糧としてきた、あるいは救ってきた数多の人間たちだ。彼らは童磨の一部となり、死の恐怖や辛い現世から解放されただけでなく、今も燃料として役に立ち続けている。教祖でなくなり救いを与える機会が減った今も、糧として得ている命の尊さに変わりはなかった。
そして、個々の主観による『生きている』ことの価値は、嘴平母子が何年もかけて童磨に教えてくれたもう一つの世の真理だ。これを知ることがなければ、童磨の世界はいつまでもくだらないことの繰り返しだっただろう。
(はあ、仕方ない。今日は隠れて、明日は臭い抜きの液剤にでも一晩浸って、竹炭を抱いてみよう)
琴葉は次の仕事のため別の部屋に向かっている。ゆっくりした歩みにあわせて背を預けた乳房が揺れ、童磨も頬を緩ませた。そして、ふと感じた気配に端正な顔に笑みがはっきりと浮かぶ。
(伊之助だ。顔を見せにきてくれたのかな)
琴葉が戸を開ける音の後、案の定、可愛い息子の声がきこえてくる。しかし着物越しに届いた濃い血の臭いに、童磨は胸の間から這い上がって袷のぎりぎりの縁で聞き耳を立てた。
「母ちゃん、ただいま」
「伊之助、おかえりなさい! あっ、ああ……怪我をしたの、羽織りがこんな、真っ赤だわ」
久しぶりに会った伊之助は診察室でカナエの向かいに座り、裸の上半身の肌がほとんど見えないほど包帯と湿布に覆われていた。手当てしてなお血臭がする左肩の傷は大分深そうだ。母親に瓜二つの美しい顔は小さな擦り傷程度で済んでいたが、明らかに貧血で顔色が悪い。膝のうえに丸めてある薄緑の羽織は赤黒く変色していた。
「大丈夫よ、琴葉さん。大きな傷は左肩だけで、しのぶが先に診て縫合済みよ。念のため私も診察したけれど、神経も傷ついてないし、伊之助君なら治りは早いでしょう。栄養価が高いものをたくさん食べさせてゆっくり休ませてください」
「は、はい。ありがとうございます、カナエ様」
にこやかなカナエに深々と頭をさげる琴葉。丸椅子から立ち上がった伊之助は、小さく震える母親の横に立ち、その背を撫でた。
「心配すんな、母ちゃん。かすり傷だ」
「うん……しばらくお休みなんでしょう? ね、伊之助」
「伊之助君は入院しなくてもいいわよ。おうちが近いから、三日に一度経過を見せに来てね。くれぐれも私が許可するまで鍛錬しないように。琴葉さん、もう少しで患者が一人来るから、寝台の用意をお願いします」
「おう」
「わかりました」
連れ立って廊下に出た嘴平親子に近づく者はなく、山からの生還者の対応にあたる看護婦らは全員病室の方で大忙しだ。琴葉もそちらに向かうところだったが、童磨が胸元から頭を出したため、ガラス窓に背を向けて足を止めた。
「父ちゃん、ただいま」
童磨は伊之助が差し出した右手に飛び移り、労わりの表情で白皙を見上げた。
「伊之助、おかえり。下弦の子は強かったかい?」
「俺が戦ったのは子分の方だ。ガキの十二鬼月の方は、気配だけでもやばかったぜ」
そう言いながら伊之助が顰めたのは、手下にさえ手こずった悔しさからだ。実戦を経験する前だったなら、実力差も考えず粋がったであろう息子の成長に、鬼は小さく笑った。
「それがわかったなら、伊之助もちゃんと強くなってるよ」
「あのちっこいの、父ちゃんの血鬼術だろ。助かった、ありがとな」
「どういたしまして。伊之助はもう家に戻るかい? それなら俺も連れてっておくれ」
「それがいいわ。童磨さん、伊之助をお願いします。伊之助、今日のお夕飯は天ぷらを作るからね。家でゆっくり寝て待ってるのよ」
心配がありありと顔に浮かぶ琴葉だが、彼女はまだ一仕事残っている。童磨と息子を交互に見つめ、精いっぱい笑顔で言うのは彼女なりの強がりだ。伊之助も母にだけは乱暴な物言いはしない。今も、大人しく頷いて童磨をズボンのポケットに入れるだけだった。
「それじゃあ、お仕事に戻るわね。伊之助、無理はだめだからね」
「わかってらあ」
「ちゃんと俺が見てるよぉ」
かよわな指先で頬を突かれた伊之助がぶっきらぼうに返し、その腰あたりから童磨のくぐもった声が続く。それらを聞いた琴葉はうんと頷き、白い羽織をひるがえして病棟へと向かっていった。
春の陽のような気配が遠ざかり、伊之助も玄関の方へと踵を返す。血みどろの羽織りを持つ右手が硬く硬く握られていることを、ポケットの中で揺られる童磨だけが知っていた。
【登場人物紹介】
童磨
元十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛を知って世界が広がった人間性初心者。家族連れの逃れ者ライフは8年目。伊之助が五体満足で対十二鬼月戦から帰ってきてホッとしている。善逸対策は完璧。炭治郎相手にどうしたらいいかを思案中。とりあえず明日は消臭薬漬の後、竹炭を抱いてお胸に挟まる予定である。人を喰わない鬼・禰豆子にロックオン中。
嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。伊之助の怪我に震えてしまったが、すぐに持ち直して大量の天ぷらを作る算段で頭を埋め尽くした。童磨の暗躍のことは9割9分知らない。蝶屋敷で働いて長いので、男性隊士の体を拭うのもお手の物。時には尿瓶やおむつにも対応するお世話のプロフェショナル。
嘴平伊之助
お母さん似な獰猛系美少年。15歳の新米隊士。弱肉強食を世の真理としているスーパードライなうり坊。しかし両親にはウェット。入院しない程度の傷なので本当はすぐに鍛錬したいが、カナエに釘を刺され両親にも見張られ、一週間ほど安静にすることになる。童磨の暗躍のことは9割9分知らないが、何かしてるだろうなとは思っている。
竈門炭治郎(+禰豆子)
原作主人公。背中の箱に鬼になった妹・禰豆子を入れている。ラストあたりで隠に背負われて蝶屋敷に移動中。琴葉を一目見て伊之助の母親だと察するが、童磨のことは流石に気づかない。元上弦の弐を悩ませる、ある意味大変なつわもの。妹がロックオンされているとは露知らない。
我妻善逸
雷の呼吸を使う剣士。原作通りの人物。ボロボロになって蝶屋敷に担ぎ込まれた。毒で朦朧としていたが、重傷者として最初にカナエに診察してもらい、彼女を見るなり気だけ超元気になった。可愛い看護婦トリオに美少女なアオイ、顔で食っていける胡蝶姉妹に加え、超美しい音がする琴葉までいて、この世の天国を味わっている。
胡蝶カナエと蝶屋敷の少女たち
カナエは義足をつけて生活しており、ほぼ杖がいらない程しっかり歩き、短時間走ることすら可能。流石に戦闘はこなせない。自分の日輪刀を刷り上げた短刀を胸元に入れている。柱を引退してから蝶屋敷の専属医師(外科手術は流石に本職を呼ぶ)をしている。なお、童磨の侵入についてはしのぶにも話していない。看護婦トリオは琴葉のことをお母さんみたいだと思って懐いている。アオイとカナヲは原作どおり。