番外編。触れたがりの悪鬼、あるいは狭まる距離。
一部 寺院にて、眠れる美女
二部 寺院にて、つんのこ
三部 逃走後、隠れ鬼
琴葉の髪は美しい。嫁いだ先で散々な扱いを受け、ろくな手入れをしていなかったろうに、腰より長い黒髪は艶やかでたっぷりあり、毛先までしっとりしている。赤ん坊を胸元に包んで丸くなって眠る彼女の横であぐらをかいた童磨は、白い布に散らばった髪を掴み、さらさらと指の間に滑らせて遊んでいた。
暗がりでもよく見える目で、摘みあげた毛先を確かめる。ほとんどない枝毛を見つけては指先ですぱりと切り落とし、黙々と作業しているうちに室外から早起きの信者たちの足音が聞こえ始めた。まさか何時間も経っていたとは思わず、手にした髪の束をもう一度見つめてしまった。
一晩中髪をいじくられていた女はというと、くうくうと愛らしい寝息を立てて転がったままだ。そっくりな顔をした赤ん坊も同じような音を立てており、本当に似た者母子である。
「不思議だなあ」
平坦な声が陽が入らない部屋にひそりと溶ける。虹の瞳で眠る人間たちの白い肌をなぞり、琴葉の細い肩が呼吸に上下する様を舐めてから、伊之助の口から垂れる涎が糸を引くのを追う。どちらかというとだらしない二人の寝姿を、鬼はじっと観察していた。
長い腕をそろりと伸ばし、粉雪でできた花を愛でるように優しく琴葉の体を仰向ける。母親の温もりが遠ざかって短い四肢をうろつかせた伊之助は、抱きあげて胡坐のうえで布にうずめてやれば再び涎を垂らして熟睡した。そうして童磨の視界に残ったのは、薄い腹まで寝巻きが肌蹴た女の寝姿だった。
「本当に不思議だ。どれだけ見てても飽きない」
童磨の美醜の基準は一般的なものだ。五感に働きかける形や色、香りや触感の良し悪しを判断するだけの知識はもっており、むしろ芸術品等の批評でそれらしいことを言うのに苦労したことはない。そんな彼の目から見て、嘴平琴葉は大変な美人だ。骨格、肌質、髪質、声質。どれを取っても生まれ持った遺伝子に恵まれた、完全無欠の美である。さらには日々暴力を振るわれ粗末に扱われたというのに、伊之助のような健康すぎる赤ん坊を産むほど母体としても優秀。世が世ならば、貴人への贈り物として捧げられてもおかしくない女であった。
一晩中この体に触れていて飽きないのは、美しいからだろうか。顎に手をあてて考えてみるが、合理的な理由に行きつかず、眉を寄せて思案顔をしてもわからない。琴葉ほど見目が良い女はそうそういないが、童磨が知る鬼の中には同程度かそれ以上の美貌の持ち主らがいるのだ。彼らのことをずっと見ていたいかというと、想像もできなかった。
「確かに綺麗だけど、うーん」
人に擬態した指先で華奢な鎖骨から体の真ん中をなぞってみる。薄い腹まで行きつくとてのひら全体で滑らかな肌をたどり、臍下で湯巻の紐を解いて下腹まで触れたが、骨盤の形の良さや肌を通して感じた健やかな臓物の蠢きに感慨は湧かず、結局わからないまま寝姿を正してやることになった。
童磨が琴葉の体を確かめるのは今夜が初めてではない。毎回、新たな美しい部分を発見するが、そろそろ彼女の心地よさが容姿以外から生まれるものだと結論付けつつあった。
「体じゃないなら、心か? 君は何も疑わない綺麗な心を持ってる。それが心地良いのかなあ」
手持ち無沙汰になって、膝のうえに寝かせていた伊之助を腕に抱いてゆらゆら上半身ごと揺らしているうちに、いよいよ寺院の中が活気づき、部屋に近づく足音が三人きりの時間の終わりを告げた。
「琴葉、朝だよ、おはよう」
優しい呼びかけに琴葉の長い睫毛が揺れ、大粒の翡翠の瞳が現れる。半覚醒でも童磨と彼が抱いた伊之助を見るなりふにゃりと笑う様に、童磨も鏡のように頬を緩めた。
「おはようございます、童磨さん。おはよう、伊之助」
迦陵頻伽にも劣らぬ甘やかな声。子供のように大きな伸びをするしなやかな体。あまり絡まらず流麗にこぼれる黒髪。それらに彼女が眠っていた時にはなかった輝きを見て手を伸ばしかけたが、伊之助を手渡す仕草と勘違いされたことで確かめる機会を失ったのだった。
* * *
「うふふ、伊之助、つんのこ!」
「母ちゃんもつんのこ!」
しきりに頬をつつきあう母子を前に、童磨は高座の上に座ったまま、このよくわからない生き物たちは何なんだろうと、彼にしては間の抜けたことを考えていた。
意味不明な言葉を言いながらお互いの頬をつつく遊びがツボにはまったらしい琴葉と伊之助は、さっきからずっとこの調子だ。正確には、少し経つと他の会話や遊びをするのだが、いつの間にか立ち戻ってじゃれあっているのだ。童磨は早々に理解することを放棄し、ただ美しい二人を見つめていた。
(可愛らしい遊びだけど、一体何をどうしたいんだろう)
もうじき四歳になる伊之助は、最近すっかり腕白になって、日中ずっと寺院の庭を走り回っている。琴葉が信者に混ざって掃除や洗濯をしていて構ってやれなくても、虫を捕まえたり土いじりをしたりと一人遊びに事欠かない。童磨が陽にあたることができないと教えてからは、庭の隅々まで冒険してきて何があったか教えてくれるような、小さな体にどれだけの燃料を詰め込んでいるのか知りたくなるほど元気な子供であった。
(……ほったらかしにされてる気がするぜ)
夕方を過ぎれば、琴葉の時間は童磨のものだ。伊之助を連れた彼女が教祖の間にやってきて、就寝までの数時間、楽しくお喋りして過ごす。時に夜の庭に出たりもするが、三人で平穏でいるのが常だ。明るい性格の母子はそれなりに騒がしいけれど、琴葉の声は囀りのような耳心地の良さがあり、子供が多少うるさくしたところで童磨が不愉快になることはなかった。ただ、今夜のようにひとり蚊帳の外で見つめるだけというのは、初めての経験だった。
琴葉は我が子を膝に抱いてしきりに頬をつついている。反撃する伊之助の手をにぎり、ちっちゃいねえと笑う表情に、童磨はあれが幸せの顔というやつかと目を細めた。無意識に自らの口元に手をやり、その後ろで彼女の笑みを模してみる。あんな力が抜けた表情を浮かべる機会はあまりないだろうが、琴葉に向けられたら返そうと思ったのだ。
(意外と難しい。鏡が欲しいなあ)
しばらく口元を上げたり下げたりしているうちに、伊之助が母から離れて駆け寄ってくる。座に乗り上がって胸元に飛び込んできた子供を受けとめるなり、丸く短い指先が童磨の右頬をついた。硬化していない肌に幼い人差し指が沈み、頬の肉が奥歯にあたる。どうしたのかと虹の瞳を瞬かせていると、隣に腰をおろした琴葉の指先が左頬に触れた。
「童磨さんも、つんのこ!」
「きょーそさま、つんのこ!」
「これは、俺もやり返せばいいのかい?」
さっぱりわからなくても、可愛い二人が楽しいなら付き合ってやればいい。下がり眉を笑みの形でさらに下げて聞けば、琴葉はにっこり頷いて子供の方へと視線を流した。この遊びは、とりあえず伊之助を楽しませればいいようだ。期待できらきらした顔の子供の頬は、少し引っ張るだけでもげそうなほど柔らかかった。
「つんのこだぞ、伊之助」
加減を間違えたら指が貫通するのではないかと、あくまでやんわりつついてやる。それがくすぐったいのか、伊之助はきゃらきゃらと笑い出し、童磨の膝に座ってぐらぐら体を揺らしていた。
「おっと危ない、転がってしまう……あれ、体が柔らかいんだなあ」
頭の重さで後ろに倒れる体を腰で捕まえてやると、伊之助はそのままぐにゃりと台座に頭が着くまで背中をそらせた。鍛えている女でもそうそういないような柔らかさだ。
「そうなの、伊之助はとっても体が柔らかいんです。足はぺたんってまっすぐ開くし、肘を背中で組めるのよ」
「へえ、ちょっとした才能だね。肉体が優秀なのは良いことだ」
凄いなあ、と溢れそうな緑眼を覗きこめば、子供は得意げに笑っていた。体を動かすことが好きな子だから、鍛えれば相応に伸びるかもしれない。そんなことを考える鬼は、自分の顔が先ほどの琴葉と変わらない表情を浮かべていることについぞ気づかなかった。
* * *
琴葉の肩の傷がだいぶ良くなり、介助がなくても着替えができるようになったある日、藤の家紋の家の者たちが寝静まった頃に童磨は彼女と膝を突きあわせて座っていた。伊之助はすでに布団で大の字になって眠っている。
「琴葉、この間話したとおり、俺は鬼だ。鬼舞辻無惨という一番偉い鬼を裏切って逃げたから、すべての鬼に狙われてる。それに、人を食べないと生きていけないから、鬼から人間を守る鬼殺隊からも敵視されてる。どちらにも見つかったら襲われるから、これからは隠れて生きるつもりだ。ここまではわかるかい?」
「はい」
童磨の前に正座して膝で両手を握りしめている女は、彼女らしからぬ硬い表情だ。柳眉を少し寄せ、じっと童磨を見つめている。宝石のような翡翠の瞳に怯えや疑念はなく、人を喰うのだと伝えた時ように涙ぐむこともなかった。
「俺は琴葉と伊之助から離れたくないし、二人のことを絶対に守るよ。そのために、琴葉にお願いがあるんだ」
「童磨さんのお役に立てるの?」
「もちろん。琴葉にしかできないことさ」
「わかったわ。どうすればいい?」
白橡の髪を揺らして端正な鬼がにじりよる。膝小僧が触れるほど目前までやってきた童磨は、琴葉の手を握り、水を掬うようにてのひらを上向かせた。そして、彼女の視界から消え去った。ばさりと徳利襟と袴が畳に落ちるが、中身がない。まるで狐に化かされたようだ。
「え……」
「ここだよ。君のてのひらの上さ」
きょろきょろする琴葉が視線を落とすと、てのひらの上で四寸ほどの大きさの童磨が手を振っている。薄茶の亀甲柄の手ぬぐいに包まった姿はまるで人形のようだ。琴葉はおとぎ話に出てくるような小鬼を顔の前まで持ち上げた。
「まあ、一寸法師みたい!」
「藤の家に来てから、昼間はこの大きさで押し入れに隠れてたんだぜ。これからは琴葉の服の下に隠れさせておくれ。君の気配に紛れてしまえば、誰も俺のことはわからない」
胸を張る童磨とじっと見つめあい、琴葉はにっこりと頷いた。六つ目の鬼から逃げる最中、童磨の背にしがみついていることしかできなかったことを思い出す。恐ろしい速度で森の中を駆ける体は息さえ乱していなかったけれど、肩口から見た端正な横顔は表情をなくし、虹の瞳には焦燥が浮かんでいた。いつだって大らかに微笑んでいた童磨が、自分たち親子を抱えて必死に逃げる様に胸が苦しくて仕方がなかったのだ。
「嬉しいわ。お昼もずっと一緒にいられるのね」
「うん、いつだって琴葉と一緒だ。鬼は夜しか活動しないし、鬼狩りどもは琴葉と伊之助を傷つけない。俺が鬼だということだけ内緒にして、後は普通にしていておくれ。上手く対策して立ち回れば、ずっと三人で楽しく暮らせるさ」
女の細い指先が童磨の胸元に触れ、やわい指の腹で撫でれば、彼もその爪先を抱きしめ、猫のように頬を寄せた。そうして慈しむ触れ合いが何物にも替えがたかった。
「それで、隠れる場所だけどね」
「はい」
「胸元が一番見つかりにくいと思うんだ。乳房の間は収まりがいいし、袂や裾と違ってうっかり着物の中を見られることもないだろう?」
「……え?」
「位置的に体の正面だから守りやすく、鼓動や脈拍、呼吸をいち早く把握できる。有事にはすぐ飛びだせる。それに女の胸元をじっくり見るやつは少ないから気取られにくい。一番理に適ってるのさ」
子供にするような説明にやましい影はない。絶句した琴葉に何を思ったのか、童磨はぺらぺらと他の部位の利点と欠点を並べていく。それが体内の話になったところで、茹で上がった顔色の琴葉が手ぬぐいごと小鬼の体を握って着物の袷の内に押し込めたのは、彼女なりのささやかな反抗であった。
【登場人物紹介】
童磨
元十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛を知って世界が広がった人間性初心者。琴葉限定のナチュラルすけべ(違) 性欲が欠落しており、どこを触ってもやましい気持ちはない。伊之助にもよく触るが、琴葉は良い匂いがするうえに肌接触で甘い風味まで感じられるので就寝時を含め一日十時間ぐらい触れている。胸元に隠れるようになってからは二十時間超である。
嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。童磨に触られるのは大変嬉しい。出会ってしばらくはドキドキして赤くなっていたが、童磨に他意がないことに気づき、徐々に慣れてきて胸元に潜り込まれても平然とするようになった。寝てる間に裸に剥かれたり、気絶している間に合体()したり散々だが、本人は露知らず。羞恥心は人並み。
嘴平伊之助
お母さん似なわんぱく系美少年。赤ちゃんの時から童磨と母親のスキンシップを見て育ったため、今更二人が目の前で何をしても動じない。つんのこエピソードの後、飽きるまで何日も童磨をつつきまくった猛者。なお、小鬼バージョンの養父を面白がって虫取り網で追い回したのは、流石に琴葉に叱られた。面白がってノリノリで逃げていた童磨も叱られた。