タイトル=ぎおんしょうじゃにひそむ
禰豆子危機一髪、あるいは災難の先送り。
炭治郎が蝶屋敷に収容されたのは、鬼殺隊本部での殺伐とした裁判を経た遅い昼下がりの事だった。隠の背におぶさり、痛む顎や背中をひたすら我慢してたどり着いたのは、どことなく女性らしい雰囲気の立派な屋敷。門をくぐってすぐの庭先で出会った栗花落カナヲの沈黙に戸惑っていたところ、きびきびした神崎アオイがやってきて受け入れてくれた。
病室で善逸と再会し、お互い満身創痍ながら命があったことに喜ぶこと数分。伊之助がいないことに不安になった炭治郎が誰かに聞こうと痛む体を起こしたところで、病室の戸が開き、大変美しいよく見知った顔が現れた。
豊かな黒髪も華奢な肩幅も、炭治郎らが知る者とはまったく違うが、目鼻口が完璧に配置された白い顔だけは瓜二つ。寝台から凝視している少年らと目が合うなり、その人物はふんわりと花のような笑顔を浮かべた。
「こんにちは。私は嘴平琴葉、ここで看護のお手伝いをしています。善逸君のお薬と炭治郎君のお着替えを持ってきましたよ」
年齢を感じさせない容姿と少女のような純真な笑顔から、最初は伊之助の姉かと思ったが、そう聞けば琴葉はふるふると首を振った。
「伊之助のお母さんです。あの子と仲良くしてくれてありがとうね」
慈愛に満ちた眼差しに、炭治郎は泣きたいような気持ちになった。隣の寝台で善逸が感激に騒ぎ立てるのをよそに言葉に詰まり、あれよあれよと体を拭われて着替えまで手伝われてしまった。掛け布を肩まで被せてくれた際、琴葉からうっすらと血臭が漂ったが、蝶屋敷で怪我人に接していれば当たり前だと納得したのだった。
それからというもの、琴葉はアオイと幼い看護婦らと入れ代わり立ち代わりで炭治郎と善逸の世話をしてくれている。入院を免れた伊之助もほぼ毎日顔を出し、母親の手伝いをしている様子がよく見られた。
炭治郎が一足先に機能回復訓練にはいる前の晩、夕食を運んできた琴葉が薬を嫌がる善逸をなだめていると、部屋の隅に置いた箱が開き、幼児の大きさの禰豆子がころりと姿を現した。すでに彼女の存在はカナエとしのぶから屋敷の関係者に通達されているため、それ自体は問題ない。しかし、禰豆子が本来の大きさに戻りながら走り、勢いよく琴葉の背に抱き着いたのは、誰も想定していなかった。
「きゃっ!?」
「「禰豆子(ちゃん)!?」」
幸い琴葉は水差しも膳も手にしておらず、前のめりになったところを善逸が抱き留めた。炭治郎が慌てて寝台をおりて妹を引き離そうと手を伸ばしたが、先に白く筋肉質な腕が禰豆子の両脇を掴んで抱き上げる。
「気ぃつけろ、ねず公。母ちゃんは俺らよりずっと弱ぇんだぞ」
子猫にするように禰豆子を捕まえたのは伊之助だ。薄緑の綺麗な羽織り姿の彼は、もう包帯も取れ、昨日から任務に復帰していた。
「むー」
「伊之助、助かったよ。琴葉さん、妹が申し訳ありません。禰豆子、いきなり飛びついたら駄目だぞ」
捕まったまま両手を琴葉に伸ばしている禰豆子には、きっと彼女が母親に見えている。その証拠に、琴葉が優しい笑顔で近づくと轡の後ろで甘える声を発していた。
「この子が禰豆子ちゃん? 可愛いのねえ。こんにちは、嘴平琴葉です」
「むうむう!」
「伊之助、下ろしてあげて。禰豆子ちゃん、おいでおいで」
自由になるなり再び突撃した禰豆子を、今度は琴葉が正面から受けとめ、たたらを踏みつつも抱きしめる。妙に慣れた様子なのは、伊之助も似たような子供だったのかもしれない。炭治郎がちらりと視線をやると、伊之助は注意深く母と少女の戯れを見つめていた。禰豆子が鬼だから、といった警戒心によるものではないが、それは確かに禰豆子の動向を観察するものだった。
「あら、駄目よ、禰豆子ちゃん。あんまりお胸に触ったら童磨さんが怒るわ」
着物の胸元に頬を寄せてぐりぐりと懐く少女に、琴葉がやんわりと肩に手を当てて離す。聞いたことがない名前に誰かが口を開くより早く、伊之助が「母ちゃん」と割って入った。
「そろそろ帰ろうぜ。腹減った」
「あら、ごめんね、伊之助」
「てめぇらも早く食わねぇと冷めちまうぞ」
「そうだった! 配膳ありがとうございます、琴葉さん」
「ありがとうございます。いただきまーす!」
蝶屋敷の療養食は薄味だが美味しい。幼い看護婦らが毎食頑張って作っているのを知っているため、炭治郎も善逸もありがたくいただこうと手を合わせた。禰豆子はぼんやりと兄の寝台脇から琴葉を見つめている。名残惜しそうな雰囲気に、随分懐いたなあと思いながら、炭治郎は汁物に口をつけた。
「それじゃあ、ゆっくり食べてね。お膳はなほちゃんたちが取りに来るわ」
「「はい」」
「またな、権八郎、紋逸」
「炭治郎だ」
「善逸だよ! いい加減覚えろよな!」
嘴平親子が去ってしまうと、室内には患者二人と禰豆子だけだ。男性隊士のために大盛りに盛られたご飯をいただき、その日は何事もなく終えた。
翌日の機能回復訓練初日に、ふと思い出して童磨とは誰かとアオイに尋ねた時、炭治郎は綺麗な母子の過去を少しだけ垣間見ることになったのだった。
* * *
入院からしばらくすると善逸も機能回復訓練がはじまり、日中の病室が空になる日が続いた。室内は静まり返り、少年剣士らが部屋に戻る食事の時間以外は、琴葉が清掃のために立ち寄るぐらいだ。琴葉は毎回、禰豆子に向けて声をかけるが、禰豆子は箱をかりかりと掻いて答えるだけに留まっていた。
午後の訓練が始まったばかりの時分、無人の病室の戸が少しだけ開き、音もなく閉じる。ねずみ程の大きさの影が窓からこぼれる日光を避けて禰豆子の箱へと近づき、目の前に到達するなり、それはみるみる大きくなった。その場に現れたのは、毛先が跳ねた白橡の長い髪と虹色の瞳をした美しい男だった。
よく陽がはいる室内は、本来なら鬼が絶対に現れない環境だ。しかし、直射を避けた位置取りをすれば、明るさに炙られはしても燃えはしない。この見極めは生死を左右するうえ、日常的に昼間に行動する鬼でなければ知りえないものであった。
箱の正面に膝をついて自らの背中で僅かな木漏れ日も遮り、男―童磨は箱の扉に手を掛けた。中からカリカリと抗議の音が聞こえてくるのに、形良い唇が笑みのような形に吊りあがる。禰豆子の気配が剣呑になっていくのもそしらぬふりだ。
キィ。
「うううう!」
「わあ、お転婆さんだ。いきなり蹴るし、人を突き飛ばすし、まったく山猿みたいな娘だなあ」
扉が開くなり禰豆子の右足が端正な顔面を狙う。その足首を掴んで止めた童磨はくすくす笑いながら指先に力を込めた。万力以上の握力に一瞬で骨にひびが入り、少女が苦痛に息をのむ。箱のすぐ正面に童磨がいるため、禰豆子は外に出ることもできないのだ。体を十歳程度まで大きくした中途半端な状態で、足を捕えられずり下がった格好から人喰い鬼を睨むことしかできなかった。
「こんにちは、竈門禰豆子ちゃん。青空が綺麗な良い日だねえ」
「むうむうっ!」
「あははー何が言いたいの? 君、頭の中身が幼くなってるみたいだけど、お喋りはできるかい?」
禰豆子はもう片足で果敢に蹴りつけるが、爪先が徳利襟の喉元に当たっても、男はしゃがんだ恰好から揺るぎもしない。優し気な顔の中で、虹の瞳が無機質に彼女を見つめていた。
「君は人を食べないんだよね?」
「……ん」
禰豆子は痛みと悔しさで眉を寄せ、仕方なく頷いた。目の前の鬼は、山で兄とともに対峙した少年鬼より遥かに格上だ。殺気も怒気もないというのに、ただ足に触れられているだけで怖気が体中を駆け巡っている。人喰い鬼の気配がするから攻撃したけれど、そも戦いにさえなっていない。ここで自分が暴れて兄や善逸、琴葉や幼い看護婦らが来てしまったらどうなるか。ぼんやりとした思考でも危機感を抱くには十分だった。
渋々と戦意を鎮めた禰豆子に、童磨は友好的に見える笑顔で細い足首を解放する。そして、紫色に変色した指痕に大仰な動作で口元に手をやった。
「うわあ、物凄く治りが遅い。人を喰わないから栄養が足りてないのかな。血液だけでも飲んだら再生力が上がるかもしれないぜ?」
「む……」
「えー、血も飲まないのかい? こんな調子じゃ、俺が腕を食べちゃったら暫く生えないなあ」
「むーっ!!」
少女が両腕を体の後ろに隠してぶんぶんと首を振る。対する童磨はからからと笑い、今は食べないと言った。恐ろしい腕が箱の内へと伸ばされ、冷えたてのひらが栗色の頭を撫でる。首元を人差し指が横切れば、桃色の着物をまとった体が大きく跳ねた。
「もっと強くなりな。人を喰わなくても強くあれるって、俺に証明しておくれ。君が上弦の鬼とも渡り合えるようになったら、その時また会いに来るよ」
笑っているけれど、笑っていない。不思議な色の髪と瞳をした綺麗な鬼は、禰豆子の鼻先に長い爪先をかざし、ふわりと白い霧を箱いっぱいに広がらせた。あまりの寒さに目を閉じても、鼻孔から入り込む冷気は追い出せない。肺が痛くなって咳き込んでいるうちに、悍ましい気配が遠ざかっていく。わずかな木漏れ日のかけらを遮っていた壁がなくなり、禰豆子のむき出しのひざ下を炙った。
「んぐうっ!! うー、むー……」
体中を襲う苦痛に呻きながら、幼児の体に縮んで箱の扉を閉める。暗がりに蹲った禰豆子は、痛みが引いても冷たい胸元をぎゅっと掴んで転がるように回復の眠りに落ちていった。
【登場人物紹介】
童磨
元十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛を知って世界が広がった人間性初心者。家族連れの逃れ者ライフは8年目。消臭しまくったうえに竹炭抱っこ状態で炭治郎に挑んだところ、どうにか誤魔化すことができた。とりあえず安心。この度、禰豆子を齧ろうと接触したが、彼女の体質を得たら己の性能が低下すると思い取りやめた。とりあえず粉凍り・改を吸わせ、上弦と戦えるぐらい強くなるのを待つことにした。少しの木漏れ日を遮っていた背中は真っ黒焦げ。
嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。朝、胸元に隠れた童磨が竹炭を抱っこしていたのにほっこりした。炭治郎対策とは夢にも思っていない。鬼への恐怖心はあまりなく、初対面の禰豆子に抱きつかれても平気だった。伊之助が腕白で力が強い幼児だったので、子供の猪突猛進には慣れている。
嘴平伊之助
お母さん似な獰猛系美少年。15歳の新米隊士。弱肉強食を世の真理としているスーパードライなうり坊。しかし両親にはウェット。全集中の常中をしているため傷の治りが早く、一足先に任務に戻った。任務がない日は山で鍛錬しているか蝶屋敷に顔を出し、機能回復訓練から逃げる善逸を追いかけ回している。
竈門炭治郎(+禰豆子)
原作主人公。背中の箱に鬼になった妹・禰豆子を入れている。善逸より先に機能回復訓練を始めた。原作どおりロリっこ看護婦たちに全集中の常中について教えてもらった。まさか訓練中に禰豆子に魔の手が迫るとは思わず、この夜はべったり甘えてくる妹から怯えの匂いがしてとても心配した。
我妻善逸
雷の呼吸を使う剣士。原作通りの人物。伊之助から母親似だとは聞いていたが、その母親が年齢よりずっと若々しく想像より数倍美しくて感激した。しかし友達の母親なので流石に自重する。薬は苦いし機能回復訓練は辛いしで毎日泣いて逃げているが、伊之助が蝶屋敷にいる時は追いかけ回されてさらに号泣する羽目になっている。