タイトル=じふのかげをおう
伊之助と炎柱、あるいは時の流れの自覚。
杏寿郎が二ヶ月間の入院生活と機能回復期間を終え退院することとなった日、蝶屋敷の玄関では幼い看護婦らと未だ入院中の炭治郎が見送りに出ていた。一足先に退院した善逸は任務に出ており、今日は琴葉の休息日であるため伊之助も顔を出していない。全員で見送りたかったと眉を下げる炭治郎に、杏寿郎は生きていればまた会えるさと笑って言った。
義眼を嵌めた左眼孔を眼帯で覆った顔は、二十歳という若さも相まって痛々しい。しかし快活な表情は以前と変わらず、隊服に炎柄の羽織を纏った長身は依然として頼もしかった。
「煉獄さん、ご武運を!」
「「「炎柱様、お達者で!」」」
手を降る少年少女らにひらりと手を振りかえし、杏寿郎は彼らしいきびきびとした歩みで蝶屋敷を後にした。猗窩座にやられた傷は深かったが、抉られた眼球以外は完治したため、柱として戦い続けることができる。今から本宅に戻り、家族に退院報告をしてから担当地域へと向かうのだ。
午前の爽やかな青空の下、しばらく街道を進んでいくと、見知った薄緑の羽織姿が差路に佇んでいるのが目に入った。
「嘴平少年! もしや俺を待っていたのか?」
「おう、今日退院って母ちゃんから聞いたからな」
伊之助の白皙に蝶屋敷で世話になった美しい女性が重なる。親によく似た顔というのは杏寿郎も人のことをいえないが、嘴平親子は本当に瓜二つだ。しかし仁王立ちして行く手を阻んでいる雄々しい様子は、彼の母親とは似ても似つかなかった。
あと数歩の距離で足を止めた杏寿郎をじっと見つめ、美貌の少年はいきなり深く頭を下げた。
「ギョロ目……じゃねぇ、煉獄杏寿郎! 俺をあんたの弟子にしてくれ! 俺は強くなりてえ!!」
腰から直角に折り曲がった姿勢に、腹からの大声。作法も何もない礼に杏寿郎は隻眼をきょとりと見開いたが、相手が返答待っているのを察して、まず一言顔を上げるよう告げた。
大きな翡翠の瞳が鏡のように己を映すのに、思わず小さな笑みを浮かべる。
「それは俺の継子になりたいということか」
「柱を目指してるわけじゃねぇ。けど、もう何もできないのは嫌だ。どんな鬼にも真っ直ぐ立ち向かう、あんたみたいな強くて眩しい剣士になりてぇんだ!」
「ふむ……」
杏寿郎がゆるく腕を組んで黙り込めば、伊之助も柳眉を寄せて口を閉ざした。猛禽めいた隻眼と零れそうな緑眼でお互い無遠慮に見つめ合い、しばしの沈黙の後、先にそれを破ったのは杏寿郎の方だった。
「いいだろう、嘴平少年! 君を継子として迎える!」
「本当か! ありがとな、し、師範? 師範でいいのか?」
「うむ! 俺のことは師範と呼びなさい。丁度いい、今から家に寄るからついてきなさい。継子は柱と行動を共にするもの、つまり煉獄家に住み込みだ。今日は家族への紹介だけだが、明日からうちに来れるか?」
「おう!」
「よろしい、しっかり面倒を見てやろう。君はきっと強くなるぞ!」
「よろしく頼むぜ、師範!」
ワハハ、ガハハと大きな笑い声をあげる二人に道行く人々がギョッとした目を向けるが、彼らは気にすることなく揚々と連れ立って歩いていく。
煉獄家の軒先で「師範の父親? 寝言は寝て言いやがれ、この弱味噌爺!! テメーみたいなのを父親とは言わねぇ!!」と美少年が前炎柱を蹴り倒し、現炎柱に礼節について指導される一幕まで、あと四半刻のことだった。
* * *
一人息子が何の相談もなく明日から家を出て暮らすと言い出したときの正しい親の反応は、どういうものなのか。さらりと言うことだけ言ってご飯を掻きこむ伊之助を見つめ、童磨はうーんと小さく唸った。
「杏寿郎さんのお弟子になるの?」
「そうだぜ。鴉のせいで父ちゃんに稽古つけてもらえなくなっちまったから、柱に鍛えてもらうことにした。師範は父ちゃんより弱ぇけど、すげえ眩しいんだ」
にこにこしている琴葉は全く反対していないようだ。煉獄杏寿郎の人となりに関しては無限列車の一件の後に結晶ノ御子から情報を得ているが、それとこれとは話が別。しばらく考えた末、鬼は太い眉を下げて寂しい表情を浮かべた。
「……伊之助出てっちゃうのかい?」
雨の日の捨て犬を意識して目を合わせる童磨。対する伊之助は味噌汁をすすり、焼き魚を適当にほぐす手を止めずに頷いた。
「継子の間は師範ちで住み込みだかんな」
「俺と琴葉を置いてくの」
ぽつりとこぼれた言葉は喉元に用意していたものではなく、童磨は誤作動した口を片手で覆った。鬼には無縁のはずの不整脈のような動悸で顔が赤らんでいく。頬と顎に長い指を食い込ませて黙っていると、琴葉が食事の手を止めてすぐ隣ににじり寄ってきた。
「童磨さん、伊之助はそんなことしないわ。少しの間、修行に行くだけよ。ね、そうでしょう?」
「おう。柱になるまで師範んとこで世話になって、柱になったらまた父ちゃん母ちゃんと一緒に住む。柱はでっかい屋敷をもらえるんだぜ!」
「まあ、凄いのねえ。蝶屋敷みたいに名前をつけるのかしら」
「胡蝶だから蝶屋敷だよな。じゃあ俺らの屋敷は嘴屋敷になんのか?」
「くちばしやしき、言いにくいけど可愛いねえ、うふふ」
美しい母子がほのぼのと話す声が耳を撫で、童磨の胸の中のうるさい鼓動をなだめていく。強張っていた肩と背中の筋肉が緩み、知らず止めていた息を長く緩く吐き出せば、ぱちりと伊之助と目が合った。
「父ちゃん、列車の任務の時、助けてくれてありがとな」
「どういたしまして。今回は猗窩座殿だったから引き受けたけど、いつだって伊之助の命が最優先だってことは忘れないでおくれよ」
「おう」
童磨の言葉に伊之助は素直にうなずき、母親に空になった茶碗を差し出した。三杯目のおかわりをもきゅもきゅと咀嚼する姿は、まだ寺院で暮らしていた頃と変わらないようでいて、時の流れを鮮烈に実感させるものだった。子供の成長は早い。この十五年、琴葉と共に子育てしてきて骨身に染みているはずの事実が、すとんと心に落ちてくる。
(ああ、この子は俺を置いていく。琴葉も伊之助も、このままだと俺を置いて時の流れに連れて行かれてしまう)
隣にある温かな気配を横目で愛でれば、琴葉も美しいままに年齢を重ねているのが見て取れて、恐ろしい未来がいよいよ現実味をおびた。可愛い母子が寿命を迎えるまでそばに置いて愛でていたいと思っていた筈なのに、今はその日が来るのが怖くて仕方がない。伊之助が童磨を人間に戻すと言い出して二年。漠然としていた目標が、急激に色味を帯びてきていた。
(これが怖いって感情かあ。黒死牟殿に追いかけられた時の不快感も、今思えば二人を失うのが怖かったんだ。この感情は嫌だな、俺たちの楽しい生活には似合わない。これはいらないや)
「伊之助」
「ん、何だよ」
童磨はぴしりと背を伸ばし、精一杯格好良い父親の顔で笑いかける。養父の中でなにかが変わったことに勘づいたのか、伊之助も箸を下ろして居住まいを正した。琴葉まで綺麗な正座になったのはおかしかったが、童磨は真面目な表情のまま口を開いた。
「俺は絶対に人間に戻る。伊之助が鬼殺隊として鬼舞辻を追うのとは別に、俺も自分なりに方法を探るよ。だからひとつだけ約束だ。琴葉も、小指を出して」
大きな両手をそれぞれ琴葉と伊之助へと差し出し、小指が絡まるのを待つ。しっかりと繋がった指に虹の瞳が愛おしげに細まった。
この夜の約束は三人だけの一生の秘密だ。待ち受ける波乱に立ち向かう覚悟は、とうに楔となって彼らの胸に突き立っていた。
* * *
無限列車での一件の後、炭治郎は一度だけ伊之助に面と向かって尋ねたことがある。あの血鬼術の氷の童子のことを知っているのか、あれが人喰い鬼の術だとわかっているのか、もしそうなら何故そんな相手と繋がりがあるのか。善逸が単独任務で不在の際、蝶屋敷の裏庭で鴉さえいない時を見計らって問いただした。詰問にならなかったのは、炭治郎だからこその優しさだ。けれど、伊之助は麗しい眉を寄せて無言を貫いた。
伊之助が何も言わないのは嘘をつきたくないからだと、炭治郎にはわかっていた。つまり、嘘をつかざるを得ない何かがある。そう察しても、あの夜、結果的に全員の命を助けられた事実は重く、ほかの誰にも言うことが出来ないでいた。
長い夜から早四ヶ月が過ぎ、その間に『ひ』の呼吸について聞くため炭治郎が煉獄家を訪問したり、伊之助が炎柱の継子になったり、単独任務をこなすうちに同期それぞれの階級が上がったりと忙しい日々が流れた。善逸と共に蝶屋敷を拠点としている炭治郎が煉獄家に住み込みの伊之助と二人きりになる機会はそう訪れず、結局、二度目の話はできないままぎくしゃくと挨拶を交わすだけのすれ違いが続いていた。
「あ、伊之助」
「おう、権八郎。任務帰りか?」
「炭治郎だ。うん、そうだよ。そっちは琴葉さんに会いにいくのか?」
「いや、師範に人探しを頼まれた」
蝶屋敷にほど近い通りでばったり顔を合わせた少年二人は、ごく自然に連れ立って歩く。木箱を背負った赫灼の少年と、睡蓮の刺繍が施された羽織の美少年。彼らの間に一瞬だけピリッとした空気が流れたのは街ゆく人々にはわからなかっただろう。彼ら自身、すぐに緊張を解いて当たり障りがない会話を始めていた。
少し歩いたところで、前方の屋敷のあたりから若い女性の悲鳴が聞こえ、二人は一気に駆け出した。
「放してくださいっ、私っ、この子は」
「ヒイイ、助けてえ!」
「アオイさんとなほちゃんを放して! 天元さん、行かせませんよ!」
「邪魔すんな、琴葉さんよ。これは鬼殺隊の柱の任務だ、部外者は引っ込んでな」
「引っ込みません! 二人は嫌がってるわ、無理やり連れていくなんて許さない!」
先に正門から飛び込んだ炭治郎が見たのは、暴れるアオイとなほを担いでいる大男と、その背や腰にしがみつくカナヲときよとすみ、そして門を背に両手を広げて仁王立ちする琴葉だった。しのぶとカナエの気配はない。何が起きているのか全く状況がわからなかったが、アオイの酷い顔色と怯えきったなほの様子から、すべきことは決まっていた。
「女の子に何してるんだ! 手を放せ!」
頭突きを仕掛けた炭治郎だったが、攻撃は空振り、大男は門の上へと移動する。その背後にもう一つ影が飛びかかり、鞘に入ったままの小太刀を振り下ろすも、片手で受け止められることとなった。舌打ちする襲撃者に、男は「伊之助かよ」と面倒そうな顔をした。
「何してんだ、派手野郎。母ちゃんに手ぇ出したんなら容赦しねぇぞ」
「どこに目がついてんだ、クソガキ! お前の母ちゃんはあそこでピンピンしてるだろうが」
ビシと眼下を指差す男に、琴葉も年若い女性陣もきゃんきゃんと「変態」「二人を放して」と声をあげる。炭治郎も眦を釣り上げて睨んでおり、まさに一触即発だ。変態と繰り返された男が怒って音柱・宇髄天元だと名乗れば、炭治郎は間髪入れずに認めないと返す。そんなやり取りを他所に、伊之助は小太刀を下ろし、ここにきた目的を口にした。
「師範があんたを探してる。一緒に任務に行くんじゃねぇのか」
「おお、そうだ。俺と煉獄だけじゃちょいと足りなくてな、女の隊士が要るから、こいつらを連れて行くんだよ」
「なほは隊士じゃねぇ」
小脇に抱えられて泣いている看護婦を指差して言うと、天元はあっさりと小さな体を宙に放り出す。それでまた炭治郎らが怒り、琴葉も「奥さんたちに言いつけますよ!」と声を上げた。天元はどこ吹く風といった様子だったが、炭治郎が代わりに行くと立候補し、横からガクガク震える善逸がやってきて少年らに囲まれる形になると、別人のように温度のない目で彼らを見やった。
伊之助からすれば他人に向けられる養父の眼差しの方がよほど無温だが、柱からの圧に善逸は竦みあがり、炭治郎もごくりと唾を飲む。
「あっそお、じゃあ来てもらおうか。伊之助はもともと煉獄に同行だしな」
「どっ、どこに行くんだよ」
状況が飲み込めていない善逸の問いに、音柱はにいと口の端を上げて答えた。
「日本一色と欲にまみれたド派手な場所。鬼が棲まう遊郭だよ」
【登場人物紹介】
童磨
元十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛を知って世界が広がった人間性初心者。家族連れの逃れ者ライフは8年目。子供の成長を実感はしたが、まったく子離れできる気配はない。伊之助がやりたいことは応援する教育方針なので、炎柱の継子になることは反対しておらず、住み込みなのが嫌なだけの困ったお父さん。この夜の約束は色々と波乱を見据えたものだが、内容については数話後にて。音柱の蝶屋敷襲来では、琴葉の胸元から様子見していた。
嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。伊之助が煉獄邸で住み込みすることになっても心配はしていない。煉獄さんのお世話をばっちりしたばかりなので、彼の人となりを信用している。家族との約束では、彼女なりに覚悟を示した。音柱の蝶屋敷襲撃時に仁王立ちで立ちはだかったが、相手の目には美猫がふしゃーと毛を逆立てているぐらいにしか見えなかった。
嘴平伊之助
お母さん似な獰猛系美少年。15歳。弱肉強食を世の真理としているスーパードライなうり坊。しかし両親にはウェット。炭治郎とぎくしゃくするのは嫌だが、言わないと決めていることは殺されても言わない。炎柱の眩しさに漢惚れして弟子入りを願い出たが、別に継子(柱候補)になりたかったわけではない。只々強くなりたい。天元は前科があるため、琴葉が関わると冷たい目で見てしまう。
竈門炭治郎(+禰豆子)
原作主人公。背中の箱に鬼になった妹・禰豆子を入れている。伊之助が言えないことが何なのか、嫌な予感がするが最悪の想像はできない性分。彼が煉獄さんの継子になったと知り、少しホッとしている。煉獄さんの側にいれば大丈夫だろうという謎の信頼が生まれている模様。音柱の蝶屋敷襲撃では、原作どおりに「認めない、むん!」と胸を張った。
我妻善逸
雷の呼吸を使う剣士。原作通りの人物。無限列車の一件から炭治郎も伊之助も急成長しており、自分も置いていかれないように単独任務も嫌がらず受けるようになった。蝶屋敷を拠点としている炭治郎とたまに顔を出す伊之助と鍛錬するのが、きついけど楽しい。禰豆子ちゃんがいるから、なお楽しい。音柱にビビりまくるが、この後嫁三人について知り、ムキャーと噛みつく。
煉獄家の皆さん
煉獄さんの大怪我と長期入院に揺れたが、柱を継続できるほどに回復したのでひとまず安心。煉獄さんは有望な若手を継子にできてホクホク。しっかり面倒を見てやろう! 槙寿郎さんは息子が連れてきた新しい継子に蹴り飛ばされ罵倒され、別の少年隊士(日の呼吸の使い手)には頭突きされ、色々と散々だった。住み込みになった伊之助から連日、立派な父ちゃんと比べられ、グサグサと心を抉られているうちに、少しずつ反省して息子たちに向き合うようになる。千寿郎君は荒々しい態度の伊之助に気圧されていたが、慣れてしまうと普通に仲良くなった。
宇髄天元
嫁たちと連絡が取れなくなって冷静さを欠いてしまった音柱。蝶屋敷襲来については後日、前花柱と蟲柱からの相応のお返しが待っている。琴葉が蝶屋敷で働き始めてすぐ、あまりに美人なのでからかうつもりで粉をかけたが、瓜二つの息子に警戒されまくって早々に身を引いた。別に本気で四人目の嫁とか思っていたわけではない。なお、死亡フラグを回避したと知ることはない。
蝶屋敷の少女たち
胡蝶姉妹が不在の時に音柱が襲来し、カナヲが勇気を振り絞ったり、アオイが自分の代わりに炭治郎と善逸が危険な任務に行ってしまったと責任を感じたり(伊之助は継子として同行が決まっていたため含まない)、琴葉が珍しく怒ったりと大騒ぎだった。音柱はしばらく出禁。でも入院したなら、きちんとお世話してあげるプロフェッショナルな女性陣である。