タイトル=じごくのさたをまつものよ
鬼舞辻無惨、あるいは迷惑を被っている鬼達。
第一部 無限列車後のパワハラ会議
第二部 無惨様のたうち回る
第三部 21話の続き
無限城。あらゆる空間の法則から解き放された、琵琶鬼・鳴女の血鬼術による鬼たちの城。列車の脱線事故が世間を騒がしている時分、そこには鬼の祖・鬼舞辻無惨と七体の配下が集っていた。
「童磨が生きていた」
艶やかな黒髪を品よく後ろに撫でつけた子供が見た目相応の高い声で吐き捨てる。ハイカラな洋装を身にまとった愛らしい姿だが、血色が悪い人形のような顔に浮かぶのは青筋と憤怒の形相だ。彼こそが鬼舞辻無惨。千年以上を生きる鬼の祖である。
「黒死牟、お前は言ったな。アレは朝日の下に飛び出し、消滅したと」
「…………」
六つ目の剣鬼―黒死牟は跪いて黙っている。彼は確かに童磨を日がさす草原へと追いやったが、その消滅までは目にしていない。無惨への報告の際にも、消滅したとは一言も口にしなかったのだが、上弦の壱は賢明だった。
無惨は頭を垂れる部下たちをじろりと見下ろしていたが、ややあって梅色の頭をした若い男の鬼で目を留めた。
「猗窩座」
「はっ」
「お前の前に現れたのは童磨の血鬼術による氷像だったな」
「はい」
「本体でなければ戦ったところで意味がない。そんなことにも気づかず挑発に乗り、柱どころかあの場の鬼狩りを一人も殺せずおめおめ逃げ帰ってきたのか」
「……申し訳ございません」
黒死牟と違い、猗窩座には明確な落ち度の自覚があった。鬼同士の戦いは不毛であり、それが分身との戦闘であればなおさらだ。童磨への個人的な嫌悪に突き動かされ、確実に殺せたはずの炎柱を見逃してしまった。頭を下げたままの猗窩座の視界の端に小さな革靴が入り込む。途端、大きく震えた彼の体内をめぐる血が熱湯のように沸き立った。
「物事の優先度もわからぬ狗めが。上弦の弐が空席となっても数字を繰り上げなかったのは正解であったな。お前には失望したぞ、猗窩座、猗窩座、猗窩座!!」
平伏したまま動かず声もあげない猗窩座の全身にヒビが入り、ミシミシと音を立てる。まるで握りつぶされる寸前の張り子のようだ。長い睫毛に縁取られた双眸から涙のように血液がこぼれ、口からさらに大量の血を吐き出しても、上弦の参は静かに折檻を受け入れていた。
「お前達も同罪だ。青い彼岸花を見つけることもできず、産屋敷の所在もわからず、鬼狩り共を根絶やしにすることもできず、あまつさえこの八年間、童磨が生き延びていたことに気づけなかった役立たず共め」
無惨の赤い瞳が上弦の鬼たちを順に睨み、血の呪いを介して畏れを植え付けていく。黒死牟はただ六つ目を閉じて耐え、猗窩座はすでに与えられた痛みを黙って噛み締めていたが、他の四名は視線を受けるだけでガタガタと震えた。
「ヒイイッ、お許しくださいませ、どうかどうか」
ひときわ震えが酷い老人の鬼―上弦の肆・半天狗の声を皮切りに、上弦の伍・玉壺と上弦の陸・妓夫太郎と堕姫が口々に謝罪する。
「うるさい、黙れ。私はお前たちに期待しすぎていた。上弦だからという理由で甘やかしすぎた。特に、八年経っても上弦の弐に相応しい実力を備えられない弱者ども! 今後はもっと必死になったほうがいい。いつまでも私が目こぼしすると思うな。青い彼岸花の捜索、産屋敷の居場所の特定、そして童磨の始末。何も難しいことではないはずだ。これ以上、私を失望させるな」
無惨はそれだけ言っておもむろに「鳴女」と背後の琵琶鬼を呼び、現れた障子から城の外へと出ていった。人間社会での隠れ蓑である裕福な家に戻っていったのだ。仮初の子供の姿が見えなくなり、恐ろしい気配が完全に消え去って、上弦の鬼たちはそれぞれ平服していた格好から体勢を正した。
「こっ、怖かった……怖かったよう、お兄ちゃん!」
「そうだなあ、俺もおっかなかった」
「ヒイイ、あれほどお怒りになったのは百十三年ぶり、恐ろしい、恐ろしい!」
「お怒りのお顔もまた良い……」
下位のものたちがざわめくのをよそに猗窩座が立ち上がり無表情にあるき出す。同じく立ち上がった黒死牟の隣で一瞬だけ足を止め、ひび割れた瞳で横目で睨んだ。
「アレは俺が必ず殺す。手出し無用だ」
「そうか……励むことだ……」
そのやり取りを最後に、猗窩座は一気に飛び出し、前方に現れた襖の向こうへと消えた。黒死牟も幻のように消え、一人また一人と上弦の鬼たちが去っていく。ついに無限城には琵琶の鬼のみが残り、うら悲しい音色が薄暗がりに響いていた。
* * *
堕姫からの念話が届いた時分、無惨は養母が主催するティーパーティーに参加していた。皮膚の病気を患い外で遊べない子供のため、年かさの夫人は何かと娯楽を提供しようとする。勉強熱心を装ってどんな本でも手に入れられるのは良いが、つまらない女たちの世間話につきあわされるのは不快であった。そろそろ体調不良を理由に部屋に戻ろうかというところで、脳内に高い女の声が響いたのだ。
(堕姫のもとに童磨が? 今は昼間だぞ、一体何をしにきた)
具合が悪いふりで目を閉じた瞼の裏で擬態を解き、堕姫の視界を共有する。そうした途端、間近に童磨の顔があったことに身じろぎしそうになったが、それよりも早く視界が不自然に天井に向き、くるくると360度回った。
(頸を切られただと!?)
童磨と堕姫の実力差なら一方的に頸を撥ねられてもおかしくはない。しかし次の瞬間、床に転がった頭にとてつもない光が浴びせられ、無惨はたまらず座っていた椅子から転がり落ちた。養母たちが大慌てで駆け寄ってきたが、それどころではなく、自らの体を掻き抱いてもんどり打つ。もう少しで変化さえやめてしまうところで、理性の糸が「焼けているのは自分ではない」と気づかせ事なきを得た。
(太陽だと!? 童磨がやったのか、おのれッ、視覚共有が切れた)
恐慌状態になっている間に妓夫太郎と堕姫とのつながりは消えてしまい、日に焼かれて死んだのだと理解した。全ては堕姫からの連絡から一分も経たないうちに終わっていた。
「俊國、どうしたの?! 発作かしら、急いでお医者様を」
「いえ……必要ありません。お母様、少し寝れば治ります。お部屋に戻ってもよろしいでしょうか」
「そんな、今の苦しみ様は普通じゃないわ。お医者様に診てもらいましょう!」
「いらないと言っている! ……申し訳ありません、気が動転してしまって。あれは発作じゃないのです。昔、太陽にあたってとても熱かったことを思い出しただけです」
「まあ……可哀相に、とても怖かったのね。それならゆっくり休むといいわ。お母様がついていてあげましょう」
「いいえ、お気遣いありがとうございます。お母様はこのまま皆様と楽しんでください。皆様、お騒がせいたしました」
これ以上この場に留まったら、人間たちを皆殺しにして折角の都合がいい隠れ蓑を失ってしまう。無惨は持ち合わせていない忍耐をありったけ発揮して健気な子供を装い、ティールームを後にした。
私室に戻り、養母がよこした召使いを適当に門前払いしてから、小さな革張りの椅子に乱暴に腰掛ける。冷たい怒りを燃やしながら考えるのは、今ほどの元上弦の弐と上弦の陸の戦いだ。鬼同士で、ああも一瞬で決着がつくことはない。たとえ共食いしたとしても、喰われた方が絶命するまでに暫くかかるものなのだ。
(太陽を利用するなど、鬼殺隊以上のキチガイめ。いや、アレは元々頭がいかれていたか)
童磨という鬼は、出会ったその時から気味が悪い相手であった。不思議な色彩をした『神の子』の噂を聞いて鬼にしてみたが、最初の飢餓状態から立ち戻るなり、人であった頃と変わらない様子で教祖としての生活を続けた変わり者だ。思いのほか早く下弦の月に名を連ねた男の頭の中はまるで更地で、それは上弦の弐となってからも変わらなかった。何を考えているのかまるでわからない、無機物のような思考回路。逃れ者でも、珠世のように脆弱なうえに目的がはっきりしていれば脅威にはなりえないが、童磨は別だ。
(アレは危険だ)
生来の臆病さが警鐘を鳴らす中、無惨は上弦の鬼たちに言葉を飛ばした。
(妓夫太郎が童磨に殺された。いつまで奴を野放しにしているのだ、即刻始末しろ! 私の元に奴の頸を持ってきた者を新たな上弦の弐に据える。黒死牟、お前にはさらに血を与えてやろう)
それだけ言い放ち、苛立たしさに奥歯を噛みしめる。歯が砕けてもすぐさま生え変わり、口の中に残った欠片を適当に吐き捨てることもできず飲みこんだ。喉元の不快感が虹の瞳の鬼を連想させ、無惨の機嫌をますます降下させたのだった。
* * *
産屋敷家の当主となった輝利哉は、父の葬儀を滞りなく済ませ、すぐさまその責務を引き継いだ。何百人もの剣士らを率いる重圧は志半ばに倒れた耀哉の無念を思えばさしたるものではなく、輝利哉の幼くとも明晰な頭にあるのは、一日も速い鬼舞辻無惨の討伐ただ一つだった。
「意識が戻ったばかりのところすまないね、しのぶ」
「いいえ、このような姿でお迎えしてしまい申し訳ございません。先代様のこと、心よりお悔やみ申し上げます」
「ありがとう。もう葬儀も済んで落ち着いたからね、こちらのことは心配無用だよ。しのぶはしっかり養生して回復に専念しておくれ」
母親似の輝利哉の顔に浮かぶ微笑みに先代ほどの柔らかさはない。それは顔立ちのせいでもあり、八歳の当主がその体を埋め尽くす激情を飼い馴らせていない現れでもあった。本来なら、後ろに控えているあまねにまだ守られているべき年齢の子供だ。けれど、輝利哉とあまねは当主と一家人という関係をすでに確立させ、周りに知らしめていた。
寝台で上半身だけ起こした格好の胡蝶しのぶは、そんな相手の様子を見取って優しい表情を浮かべていた。上弦の鬼との戦闘で深手を負った彼女の目が覚めたのは、四日たった昨晩のことだ。カナエとカナヲにひとしきり抱きしめられ、アオイに琴葉、そして幼い看護婦らからも盛大に喜ばれた後、産屋敷耀哉の訃報に始まり伊之助の容態や任務のその後について聞かされ、衝撃のあまりあっという間に朝になってしまった。朝食とともに諸々を消化していたところに輝利哉が見舞いに現れたのだ。
お陰で琴葉と伊之助のことを考える時間がないのは、果たして良いことなのか。そんな思考を頭の片すみに追いやり、しのぶは目の前の新しい上司の言葉を待っていた。
「今日は、しのぶに提案があって来たんだ。重要なことだから早く耳に入れておきたかった」
「どのようなご提案でしょうか」
輝利哉はその零れそうな黒い瞳でしのぶを見つめ、薄く口角をあげたまま告げた。
「上弦の鬼には藤の毒があまり効かなかったと聞いた。より強い毒を開発するため、共同研究をしてはどうかな」
「……お相手はどなたですか?」
しのぶの問への答えは鬼殺隊の数百年のあり方を揺るがすものであり、竈門禰豆子という始まりの楔が打ち込まれたことで生じた亀裂をさらに大きくする鉄槌でもあった。可憐な顔を強張らせた少女に、輝利哉は答えは後日でいいと述べたが、彼女はふるりと首を振り承諾を口にしたのだった。
【登場人物紹介】
童磨
元十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛を知って世界が広がった人間性初心者。家族連れの逃れ者ライフは8年目。今回は直接の出番なし。無惨様を見事床に転がした本シリーズ最凶の鬼。そろそろ薬ができたかなと珠世のもとに向かったところ、興味深い話を聞かされた。実は何度か伊之助の病室に忍び込んで様子を確認している。なかなか目を覚まさないのでとっても心配。琴葉の方は24時間鎹鴉が張りついていて接触を断念せざるを得なかった。
嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。今回は出番なし。童磨から全く音沙汰がないが、約束を信じて待っている。伊之助の看病を中心に、これまでどおりに蝶屋敷でお仕事に励んでいる。24時間体制で鴉に見られていることには気づいていない。童磨=虹鬼と知った鬼殺隊と関係者の面々は、彼女を気遣って童磨のことを引き続き虹鬼と呼んでいる。
嘴平伊之助
お母さん似な獰猛系美少年。15歳。弱肉強食を世の真理としているスーパードライなうり坊。しかし両親にはウェット。今回は出番なし。しのぶさんの2日後に意識が戻った。最初に会話したのは琴葉だが、カナエの診察が終わるなり煉獄さんが炭治郎と善逸を引き連れて見舞いにやってきて「来たか」と同期らにバレない程度に身構えた。
胡蝶しのぶ
おこりんぼな蟲柱。四日間意識がなかったが、ちゃんと回復に向かっている。寝ている間に産屋敷家当主が代替わりしていて衝撃を受けた。童磨と嘴平親子のこともそうだが、藤の毒が玉壺にほとんど効かなかったのも一大事。輝利哉からの提案は、上弦の伍と童磨に完敗していなかったら到底受け入れられるものではなかった。
鬼舞辻無惨
世間では頭無惨やらパワハラ上司やら呼ばれている鬼の祖。童磨の裏切りから八年間、死んだものと思っていたが、猗窩座と結晶ノ御子らの一件で生存が発覚して機嫌が急落した。上弦の弐は前任が強すぎたため、繰り上げずに空席にしていた。なお、童磨が上陸兄妹を始末してからは童磨討伐の報酬とした。堕姫と視界共有していて太陽に焼かれたのは、瞬間的とはいえ縁壱から逃亡した時と同じぐらい怖かった。
上弦の皆さん
よく調教された社畜の面々。退社した童磨を死んだものと思っていたが、奴はしぶとく生きていたうえに末席の陸を瞬殺、討伐にかかった伍を返り討ちにしてしまった。無惨からの念話を受け、早く討伐せねばと色めき立っている。なお、餌に釣られたのは肆と伍のみ。
産屋敷輝利哉
お館様。産屋敷家98代目当主。余命宣言を通り越してガンガン仕事をしていた父親が亡くなり、八歳にして数百人の子持ち()となった。基本の情報はすべて共有されており、お通夜の晩に母から二年前の童磨の来訪についても聞かされた。正直いっぱいいっぱいだが負けない気持ちで立っている健気な男の子。この度、しのぶさんに珠世様との共同研究を提案した。饒舌な鴉による珠世様への申し入れは、この後すぐ。
【こそこそ時系列説明】
ある夜 玉壺との戦い、童磨の身バレ、本部にしのぶさんの鴉からの報告が入る
同日明け方 風柱が琴葉をお迎え
同日朝~お昼 琴葉の聞き取り調査、直後に耀哉が死亡
同日午後 全隊士に耀哉の訃報と新当主着任の報せが届く
翌日 産屋敷家のお通夜
翌々日 産屋敷家のお葬式
四日後夜 しのぶさんが意識を取り戻す
五日後朝 輝利哉が蝶屋敷を来訪
五日後夜 珠世さん家に鴉がやってくる
七日後朝 伊之助の目が覚める