幸せな一家、あるいは果たされた約束。
夕方まで林の奥の泉のほとりで過ごし、日が暮れるなり童磨が琴葉を背負い、伊之助とともに山を三つ超えた。行き先は懐かしの寺院だ。朝日を追い越してたどり着いたそこは、八年の年月で荒れ果てていた。
「信者の皆さんはどこにいってしまったのかしら」
「うーん、百年以上続いた宗教も信仰対象がいないと持たなかったかあ」
蜘蛛の巣が張った門をくぐり、荒れ果てた庭をぐるりと見回す。灯りのひとつもないため真っ暗だが、童磨も伊之助も夜目が効くため、二人で琴葉の手を引いて本殿へと足を進めた。内部は埃がつもっているものの略奪等の痕はなかった。
信者たちは寺院を片付け整えてから去っていったのだろう。それなりに値が張る壺や掛け軸がそのままになっており、童磨が誰も近づかないよう申し付けてあった奥の間の錠も閉じたままであった。
「おお、ちゃんと修繕してある。掃除するから少し待っておくれ」
八年前の逃亡時に壁に大穴をあけた上に分厚い氷で埋め尽くした教祖の間は、綺麗に元通りになっていた。積もった埃だけ結晶ノ御子らに払わせて蝋燭を燭台に灯せば、まるで昔に戻ったようだ。生憎、懐かしい寝床はカビが生えてとても使用できる状態ではなかったけれど、三人は床に腰を下ろしてくつろいだ。
「父ちゃん、どうするんだ? ここに住むのか?」
「いいや、俺が人間に戻るのに数日かかるから、その間だけ滞在するつもりだ。伊之助、日が登ったら麓の村で買い出しを頼むよ。琴葉はここにいておくれ」
「私の方がお買い物は上手よ?」
「人間に戻る薬を飲むと発熱して昏睡するから、その間の面倒を見てほしいんだよ」
「大変なお薬なのね。わかりました、童磨さんのお世話は任せて」
「うん。それにね、琴葉」
童磨は隣に座る彼女の肩を抱き、引き寄せるより自らの身を寄せた。琴葉の膝のうえで空いた手の指を絡ませた鬼は、虹の瞳を夢見るように細めて言った。
「しばらく片時も離れたくない。ずっと君に触れてたい。この数ヶ月とっても寂しかったんだぜ?」
すり、と形良い顎を琴葉の肩にのせて項に唇が触れるほど近くで囁く。目の前の白皙が赤らむのに童磨は低く笑い、もう感じることもないであろう肌越しの甘い風味を味わっていた。
「私だって、寂しかったわ。ここに誰もいないのは慣れなくて、夜も一人で寝つけなくて」
「うん、人間に戻ったらそこに隠れられないのが残念だ」
「童磨さんったら!」
きゃっきゃっうふふと花を背負ったような二人を前に、伊之助はぞんざいに頭を掻いて目をそらした。母親と養父が共にあるのを見るのは好きだ。しかし、この瞬間は背中がむずむずして、まるで獣の交尾に出くわしたような居心地の悪さだった。童磨が無邪気に琴葉の胸の袷に手を突っ込んでいるのも良くない。鬼殺隊で琴葉以外の女性と関わっていなければ、この光景をおかしいと思うことはなかっただろう。
「そういや、このまま逃げちまって大丈夫なのか?」
鬼殺隊といえば、と伊之助は気がかりなことを口にする。童磨はちらりと虹の瞳だけ向け、琴葉の肩に顎を乗せたまま答えた。
「鬼狩り達のことかな」
「おう。師範は家に戻ってこいって言ってたし、しのぶも治療しに来いって言ってたからな。誰か探しにきたら面倒だぞ」
「それは心配いらない」
童磨の声はいつもどおりの穏やかさで、どうでもいいことを話す時の笑顔が何より雄弁だった。
「鬼殺隊は被害甚大で、柱でもない隊士一人に回す余力はないよ。産屋敷殿も暫くは後処理に追われるだろうし、隊の解体作業も大変だろう」
「……そっか」
「うん、伊之助は何も心配しなくていいよ。そろそろ村に行っておいで。金子はそこの棚の一番下の段に入っていると思うよ」
童麿が指差した棚は八年前からこの部屋にあるものだ。まさか現金が残っているとは思えなかったが、一番下の段を引き出した伊之助は思わず「うおっ」と声をあげてしまった。
「足りそうかい?」
「村一つ買えるぞ、これ」
「そんなにあったかなあ。信者がお布施を残していったのかもしれない。ありがたく貰っておこうぜ」
にこにこする鬼は棚にぎっしり詰まった一円札より琴葉にすり寄ることにご執心だ。伊之助は何千枚もある紙幣のうち十枚だけ財布に移し、いちゃつく両親を残して部屋を後にした。
懐かしい寺院が小さく感じるのは、自分が大きくなったからだ。玄関までやってくると、日の下に変わり果てた庭が広がっていた。幼い伊之助が隅から隅まで冒険した庭は雑草と伸びっぱなしの枝葉に侵食され、小さな池はすっかり埋もれてしまっている。門の方に足を進める途中でつやめくどんぐりを一つ拾い上げ、それを太陽にかざした。
「ただいま」
凛々しい目元を緩ませた少年の姿は、朝露がにじむ世界でただ美しくあった。
* * *
両親とともに訪れた街は元大藩の城下町らしく入り組んだつくりで、洒落た路地に足をとめた少女は気がつけば一人になっていた。暫く近くの店先や他の路地を覗いて親を探したが、思いつく範囲に見知った顔がないと悟るなり、通りの端にしゃがみこんで静かに泣き出した。道行く人々はその小さな姿がなかなか目に入らず、誰かが少女の前で足を止めるまで少し時間を要した。
「どうした、お前迷子か?」
男性の荒い声が降ってきたことで少女の体がビクリと震える。怖くて顔を上げることができない少女に、足を止めた相手は膝を折って同じようにしゃがみこみ、もう一度声をかけた。
「おい、顔上げろ。泣いててもわかんねぇぞ」
声は怖いが口調は優しい。どうやら若い男のようで、落とした視界に入ってきた萌葱色の布地は子供の目にも高級な光沢を放っていた。少女はおずおずと顔を上げ、少し高い位置にある相手と目を合わせた。そして、氷のように固まった。
「お前どこかで……まさかな」
少女の顔面を見るなり独り言を零した男は、幼い彼女がこれまで会った誰よりもきらきらした薄緑の瞳と青みがかった黒髪の持ち主であった。あまりに美しい容貌が子供心を震わせ、まろい目元からぽろりと涙があふれる。男は何を思ったのか、少女の頭をぐりぐりと撫で、おもむろにその体を片腕に掬いあげて肩に座らせた。
「きゃあっ」
「おら、しっかり頭に捕まれ。そこからならよく見えるだろ。父ちゃんか母ちゃんがいたら教えろよ」
「う、うん。ありがとう、お兄ちゃん」
「気にすんな」
女性のような顔立ちに反して大変逞しい男は、伊之助と名乗った。少女が名乗り返すと、長い睫毛をぱちりとさせて黙り込み、ややあって困ったように柳眉を寄せた。
「お前よっつか?」
「そうだよ」
「そっか。父ちゃんと母ちゃんは元気か?」
「うん! とっても元気!」
「それならいい」
大変目立つ美青年とその肩に座る子供は人の目を惹き、大通りを半分もいかないうちに前方から女性の声が少女の名を呼んだ。
「お母さんだ! お兄ちゃん、お母さんがいたよ!」
「おう、よかったな。俺はここまでだ、母ちゃんのとこには一人でいけ」
「どうして?」
「用事があんだよ、悪ぃな」
伊之助はそう言って、先程よりも力強く少女の頭を撫でた。痛くはないが髪の毛がくしゃくしゃになってしまい、紅葉のような手で頭を抑えているうちに綺麗な彼は背を向けて離れてしまっていた。濡羽色の羽織に白い睡蓮の刺繍が咲き乱れ、まるで夢の出来事のようだった。
駆け寄ってきた母親の見た目よりずっと強い腕に抱きしめられ、人混みから泣きそうな母へと視線を移す。その後ろから杖をついてやってくる父親も見つけ、少女は思い出したように大声で泣いた。
* * *
大通りから少し離れた川沿いの小路にあるこじんまりとした屋敷に帰るなり、伊之助は羽織をひらめかせて足早に廊下を進んだ。途中で横切った台所に立つ琴葉の後ろ姿に「ただいま」と声をかけ、のんびりした「おかえり」を受け取ってから廊下の奥へと向かう。家長の私室は今日も障子が開け放たれており、伊之助は特に声掛けもせず足を踏み入れた。
「おかえり、伊之助」
「ただいま、父ちゃん」
机に向かって何やら書き物をしていた和装の男がゆっくりと体ごと振り返る。背中までの白橡色の髪を細く黒いリボンで結んだ男は、どかりと畳に腰をおろした息子に虹の瞳を細めた。
「どうしたんだい、そんな強張った顔をして」
「柱が街に来てる。旅行みてぇだが、外出る時は気をつけてくれ」
「へえ、会ったのかい?」
「遠目だけどな。あっちは気づいてねぇはずだ。見た限りじゃ武装してなかった」
「そりゃそうさ。鬼殺隊は解体されて、柱だってもう何年も実戦から遠ざかってる。きっと伊之助の方が強いよ」
にこりと太い眉をさげて笑う養父―童磨は相変わらずだ。鬼として百年以上生きた後で人間に戻った彼は、お布施という名の資産と元信者の政府高官の協力を得て家族三人の戸籍を捏造し、この地方都市に居を構えた。表向きは作家だが、伊之助は童磨が原稿用紙を前にしているのを見たことがない。かわりに週に一度は身なりが良い来客が人生相談に訪れ、一時間ほど話をしてすっきりした顔で帰っていくのだ。童磨は彼らを『友人』と呼んでいるが、先日嘴平邸にやってきた老人は伊之助でも知っている大臣だ。たった五年でどういう交友関係を築いているのか、琴葉も伊之助も知る由もなかった。
「もしばったり会ったら普通に挨拶すればいい。何かされたら警察を呼ぶ。しつこいようなら友人達に相談すれば解決さ」
笑う童磨の口元に牙はなく、さっきまで万年筆を握っていた手の爪は擬態せずとも短く健康的な色合いだ。海松茶の羽織に藍白の着物といった落ち着いた出で立ちでわざと年重に見せている男は、それがなくとも確かに人として歳を重ねていた。
「大丈夫だよ、伊之助。いつもどおりに過ごせばいいんだ」
「……わかった」
そうして言葉をかわしているうちにトテトテと無防備な足音が近づき、柔和な美貌が部屋を覗き込んだ。
「童磨さん、伊之助、おやつにしましょう。高橋様からいただいた干菓子、とっても美味しいのよ」
「ありがとう、琴葉。今いくよ」
愛しの妻の顔を見るなり童磨は腰を浮かせ、数秒前までの色のない笑顔が嘘のようにぽやぽやと不格好な表情になった。呆れた目を向ける息子を置き去りにさっさと琴葉に寄り添い、居間の方へと行ってしまう。伊之助も二人に続き、そういえばと養父の背に問いかけた。
「高橋ってこの間の爺さんか?」
「うん、大蔵大臣の高橋殿さ」
「上原の爺が文句言ってたぞ。予算がなんたらって」
「伊之助のところは最近お金が嵩むから、あちらを立てればこちらが立たずなんだよねえ」
伊之助は今年になって童磨の『友人』の紹介で剣術指導の職を得た。勤め先は陸軍の地方学校だ。学歴も血筋も怪しい青年の初めての職としては破格のものだが、不思議と伊之助には性に合っていた。軍属ではなく、あくまで外部からの講師として屈強な男たちを叩きのめす毎日だ。本人は無頓着だが、美しすぎるうえに強すぎる講師として着々と一部で有名になりつつあった。
「あ、琴葉、俺はほうじ茶で頼むよ」
「俺も同じやつ」
「はい、そういうと思って用意しておいたわ」
一足先に居間に入った琴葉が慣れた手付きでお茶を用意し、家族三人でちゃぶ台を囲む。色とりどりの花の形をした干菓子をつまんで口に運ぶ童磨は、こうして見るとただの優しい夫であり、穏やかな父親だ。何歳になっても愛らしい少女のような琴葉と並べば誰が見ても似合いの夫婦だ。伊之助はそんな二人を見つめ、遠慮なく音をたてて茶をすすった。
「これは美味だなあ。可愛らしくて、甘い風味が少し琴葉に似てる」
「ふふっ、私、こんなに美味しいお菓子に似ているの?」
「琴葉はもっと美味しいよ」
目元を緩ませて微笑む童磨に、春の陽のような琴葉がころころと笑う。伊之助は小さな砂糖菓子をくしゃりと噛み砕き、母親に似ているというその味を茶で流し込んだ。昼間の望まぬ邂逅のことなど、すでにどうでもよくなっていた。
翡翠の瞳を閉じれば、川のせせらぎと幸せな両親の声に包まれる。死後に極楽も地獄もないというのは養父に散々聞かされてきたが、きっとこの瞬間こそが極楽浄土だ。人喰い鬼と鬼が愛した女に育てられた青年は、そんなとりとめもないことを考えながら菓子盆に手を伸ばすのだった。
完
【登場人物紹介】
童磨
元十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛を知って世界が広がった人間性初心者。家族連れの逃れ者ライフの終りを迎え、晴れて人間として家族と過ごしはじめた。戸籍上は琴葉と同い年。ちゃっかり嘴平童磨と妻の琴葉、長男の伊之助という形で捏造済。どこぞの地方の城下町に居を構え、お偉方の人生相談()をして心ばかりのお礼()を受け取っている。なお、表向きは小説家だが、原稿用紙に一文字も書き込んだことがない。ご近所では美しすぎる一家の愛妻家にして子煩悩なお父さんとして親しまれている。
嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。童磨と伊之助とともに初めての土地で暮らしはじめたが、その人当たりの良さとあふれる善性であっという間に馴染んだ。童磨が人間になって一緒に年を重ねられるようになって大変幸せ。戸籍上でも夫婦となったことで、自己紹介の際に毎回「妻の琴葉です」と強調しちゃう可愛い奥さん。自称小説家の夫のもとに立派な身なりの紳士が人生相談にくるのを、あらまあと微笑ましく思っている。
嘴平伊之助
お母さん似な獰猛系美少年。無惨討伐時は15歳、その後のエピソードでは20歳。弱肉強食を世の真理としているスーパードライなうり坊。しかし両親にはウェット。両親と一緒にやってきた新天地でしばらくは家の手伝いとちょっとした力仕事で小遣いを稼ぐ日々だったが、童磨の『友人』の紹介で陸軍学校の外部講師となり、美しすぎて強すぎる剣術教師として生徒らを叩きのめしている。なお普段着は和装で鍛錬時は半裸。職場では脱がない。
よんさいの幼女
鬼殺隊の誰かと誰かの娘。お父さんは無惨戦の後遺症で杖をついている模様。お母さんは力持ちらしい。両親とはぐれた際に声をかけて一緒に親を探してくれたお兄さんに初恋を盗まれた。なお、両親にお兄さんのことを話したら、知り合いのおじちゃんおばちゃんお兄ちゃんお姉ちゃんが入れ替わり立ち替わりで地方都市に旅行するようになったが、それはまた別のお話。
【あとがき】
ついに本編完結しました! ありえないifのルートを共に追ってくださった皆様に感謝申し上げます。童磨、琴葉、伊之助の家族の顛末を楽しんでいただけましたら幸いです。
原作で初めて童磨を見た時には、美人姉妹を殺しやがったとんでもねえサイコパス野郎(ただしイケメンで強くて技が格好いい)と思ったものですが、琴葉とのエピソードを知って妄想が広がりました。自分的萌えルートを一気に駆け抜けた形です。
童磨は家族限定で情緒が芽生え、琴葉は原作の一点のシミもないような心の美しさに一滴だけのどす黒い点が生じ、伊之助は誰オマ状態となりました。いびつな形の疑似家族が愛情を育み、三人だけの小さく恐らくは間違った幸せな世界を完成させた。これはそんなお話です。彼らの幸せは他人の不幸の上にあり、彼らはそれを知っていてもお互いを手放せない。悪鬼・童磨の完全勝利に原作の主要キャラたちは怒髪天になるでしょうが、一個人の妄想による二次創作ですのでご容赦願います。
なお、エピローグに出てきた幼女が誰の娘なのかは決めていません。公式でも非公式でも妄想いただけます。
童琴伊の疑似家族に幸あれ!! ありがとうございました!!