番外編。鬼舞辻無惨の勝利、あるいは小鳥を飼う鬼。
※伊之助が四歳の時点で分岐したifルート。無惨様がペットの飼育を許可したせいで、鬼殺隊が大変なことになっています。
上弦の弐・童磨が二ヶ月に満たない期間に柱三人を殺害した成果は、鬼舞辻無惨の機嫌をこれまでになく上向かせた。そうというのも、柱の一人が飛ばした鴉を氷の童子に追わせ、藤の家紋の家や隠部隊、さらには分身を増やして芋づる式に柱の人数や隊士の階級制度、はてには入隊試験や剣士を育てる育手といった細部の情報まで仕入れただけでなく、入隊試験時に藤襲山に現れた産屋敷家の者を追うことで、あの目障りな一族の在所まで突き止めたからだ。
今、無惨の足元には顔が爛れた男とどこか無惨に似た顔立ちの少年少女らの頭部が並べられている。いずれも無念の表情をしているのがおかしかった。後の憂いを残さぬようにと産屋敷の館の周りは童磨の分身に包囲され、襲撃を予知したかのように逃された者たちさえ余さず始末することができたのだ。
つまり無惨は、この千年で最も機嫌がいいといえた。完璧に整った顔を綻ばせ、目の前でひざまずく部下へと声をかける。
「よくやった、童磨。此度の働きに相応しい褒美を取らせる。この血を望むもよし、稀血の女がよければいくらでも与えてやろう」
「ありがたき幸せにございます。無惨様、ひとつお願いがあるのです」
従順な鬼が顔を上げる。文字が刻まれた虹の瞳は相変わらずの気味の悪さだが、今の無惨はそれさえ気にならず、彼にしては穏やかに「言ってみろ」と促した。
この日を境に鬼殺隊は急激に衰退し、剣士らは姿を消していくことになる。対して鬼は計画的に数を減らし、飛び抜けた異能や才能を持つ少数が世界を股にかけて社会に溶け込んでいく。今はまだ誰も知らない、明けない夜が人の世に帳を下ろそうとしていた。
※ ※ ※
ベベン、と琵琶の音が鳴り、所狭しと棚が並んだ部屋の天井近くに襖が現れる。そこから危なげなく降り立ったのは、淡い色の髪の頭頂部だけが血の色に染まった、優しげな若い男だ。外へと続く扉に向かう間に、毒々しい色の頭はつややかな白橡一色に変わり、夢のような色の瞳から上弦・弐の文字が消える。
数多の棚には美しい壺と活けられた頭蓋が並ぶが、男―童磨は見向きもせずに部屋を後にした。しっかり施錠して鍵を体内に取り込んだ後は、美しい影のように暗い廊下を歩いていく。
まだ夜明けは遠く、寺院は静まり返っている。信者たちは全員寝入っているようだ。
僅かな燭台に照らされた廊下を音もなく歩く童磨は、まるで夢幻の住人だ。誰も見ていなくともうっすらと口元が笑みに歪むのは、彼なりに機嫌が良い証拠であった。
やがて教祖の間にたどりつき、室内へと足を踏み入れば、花の香りとともに愛らしい人の母子の体臭が鼻腔をくすぐった。少し耳をすませれば規則正しい寝息と、柔らかい肉体の奥で脈打つ心音まで聞こえてくる。眠る二人の健やかな様子に、童磨の笑顔がやや不格好なものになった。
絹布の山に横になり舶来の毛布をかぶった二人の人間。豊かな黒髪に埋もれるように眠る美女とその腕に抱かれる幼児こそが、童磨が愛でてやまない嘴平琴葉と伊之助だ。今宵、晴れて無惨から傍におく許可を貰った『お墨付きの小鳥』である。
毛布の端から潜り込み、童磨は伊之助を挟んで琴葉の背を抱いた。可愛い彼らは眠りが深く、鬼がやや冷えた体を擦り寄せても身じろぎさえしない。
「ただいま、琴葉、伊之助」
ぼそりと囁く口元には確かに牙があり、香を焚き染めた衣服の下には血臭がこびりついた肉体がある。食欲旺盛で美食家な童磨は、十二鬼月随一の大食漢であり、特に鬼殺隊と積極的に戦うようになってからは隊士らを含め週に何人も喰らっているのだ。けれどもこの瞬間、琴葉の頬にかかる髪をはらい、爪をひっこめた親指でその眦を撫でる仕草は只人のようであった。
「んー、とーちゃ……」
伊之助が寝ぼけてむにゃむにゃと涎だらけの唇を震わせる。童磨はそれにくすりと喉を鳴らし、母親そっくりなつむじに顎をつけて懐いた。密着した胸元を子供の手が握ってくるのが可愛くて仕方がない。父と呼ばれるようになったのはつい最近だが、すでに違和感は失せていた。
(琴葉も伊之助も俺が看取ろう。体にいい食事を与えて、健康的に過ごさせて、伸びやかに楽しく長生きさせよう)
これから何十年だって、二人を愛でよう。片目が見えない琴葉の手を伊之助と二人でひいて夜桜を見るのだ。夏になったら祭りに出かけ、秋には月見をしてみたい。この地は冬が厳しいけれど、しっかり厚着をさせて三人で雪遊びをするのもいい。こっそり氷で花でも作って見せれば、琴葉は喜ぶだろうか。
未来を想像するだけで胸の中の温度が上がるようで、童磨は心地よい気分で目を閉じる。明日は琴葉の歌が聞きたい。そんなとりとめのないことを考えながら、今宵も寝たふりをするのだった。
※ ※ ※
童磨は不思議な人だ。
酷くやせた半裸の男と鱗に覆われた手足と顔立ちがかなり人間離れした人物と談笑する男を見つめ、琴葉はもう何度目になるかわからない思いを抱く。
童磨が仕える尊い方と大切な仲間たちとの顔合わせのため、見たこともないような上等な睡蓮柄の着物に袖をとおすよう促され、伊之助も色違いの生地の甚兵衛でお洒落をしたうえで、まるで神隠しのように一瞬で夜桜が舞い散る小高い丘までやってきた。琵琶の音が聞こえた気がしたが、気がついたら場所を移動していたので親子そろって目を回してしまった。やっと落ち着いて辺りを見れば、大変美しい黒衣の貴人と彼が引き連れる異形の方々がそこにいたのだ。
「無惨様」
恭しくこうべを垂れる童磨に習い、琴葉も子供を抱いたまま深く頭を下げた。伊之助は美しい男を警戒しているのか、翡翠の瞳を零れそうなほど大きくしていた。
「よい、楽にせよ」
無惨と呼ばれた男の声は、これまで琴葉が耳にしたどの声よりも恐ろしかった。低くまろい素晴らしい美声であるのだが、得体が知れない深い闇のような声であった。
「童磨、そこな人間二人の姿をすべてのものに共有した。私の許しなく害そうとするものは呪いが発動する。この褒美で満足か」
「はい。深く感謝申し上げます。今後も確かな働きを以て、貴方様のお役に立つことを誓います」
「ふん、次は青い彼岸花だ。貴様が提案した外つ国への進出だが、目処が立ったぞ」
「それはようございました」
二人がかわす言葉の意味はわからない。琴葉は聞き耳を立てるでもなく、伊之助のきょろきょろした目線を追っていた。無惨は童磨と同じで人間と変わらない容姿をしているが、何人かは明らかに妖怪だ。百年も教祖として信徒らを導いてきた童磨とて人間ではないが、彼の仲間たちのように見るからにといった風ではない。
「ねえ、あんた」
いきなり声をかけられてピクリと驚いてしまうが、琴葉は繕うでもない柔らかい笑みで相手を迎えた。
「はじめまして、嘴平琴葉と申します。この子は伊之助です」
「……私は堕姫。ふうん、綺麗な顔と声をしているね。息子も瓜二つで悪くないわね」
きらびやかな着物を身に着けた目がくらむほど美しい女がじろじろと琴葉の顔を覗き込む。近くで見ると、女の勝気そうな双眸は上弦・陸の文字が浮かび、爬虫類のそれのように縦に線が入っていた。赤い唇からは牙が覗いており、蛇神様かしらと琴葉はうっとりと見つめ返す。堕姫はしばらく視線を合わせていたが、やがて毒気を抜かれたようで眉を下げて細腕を組んだ。偉そうな仕草だが、彼女には嫌味なく似合っていた。
「あんた怖くないの? あのお方やあたしやお兄ちゃんはそうでもないけど、あいつとか明らかに人間じゃないでしょう」
堕姫がそう言って指差したのは、少し離れた場所で無惨に侍るように佇む若い男だ。輪郭は人間と変わらないが、月明かりに浮かび上がる青白い肌にはくっきりと線が走っており、凛々しい顔は特にしましました印象だ。梅色の髪が月と桜に映えて美しい。ネコ科の猛獣のような男は無表情で琴葉たちをちらりと見つめた。大きな双眸はまるでひび割れた硝子のようだった。
「とてもお強そうね。お寺で見た仁王様に似ているわ」
「母ちゃん、あいつ強いのか?」
母親が和やかに話しはじめてやっと警戒を解いた伊之助が口を開く。しましまの男はもう関心がないらしく、無惨の方を向いて微動だにしない。琴葉がどうだろうと首を傾げていると、目が見えている側から近づく人影があった。
「あの者は……我らの序列で参……童磨に次ぐ強さだ……」
琴葉の近くまでよってきた男は侍のような出で立ちをしており、何より目が六つもついていた。顔面のほとんどを目が締めているのだが、顔立ちそのものは整っている。中段の双眸には上弦・壱と刻まれており、なんとなく彼が一番で堕姫が六番なのだと理解できた。
「私は……黒死牟という」
「はじめまして、嘴平琴葉と伊之助です」
「……恐ろしく……ないのか……?」
「童磨さんが尊ぶ方と大切な仲間だって聞いているから、怖くありません。妖怪って本当にいたのね、堕姫さんは白蛇さんかしら? 黒死牟さんは百目? 百々目鬼? ほかにも目がたくさんある妖怪がいたかしら」
「妖怪では……ないぞ……」
黒死牟のゆっくりした語りを聞いているうちに堕姫は離れていってしまい、童磨に何やら話しかけて盛り上がっている。彼女が言っていたお兄ちゃんというのは隣に立つ長身の痩せた青年だろう。黒死牟いわく、彼らは全員が無惨に従う鬼という人外なのだそう。つい先日、童磨と桃太郎ごっこをして鬼ヶ島を侵略者から守った伊之助は本物の鬼に目をきらきらさせていた。
「あれは……お前達のため……よく働くようになった。捉え所のない男だったが……所帯をもって……責任感が湧いた……といったところか……」
六つ目の鬼の言葉がしみじみと聞こえて、琴葉は少しこそばゆくなった。童磨とは夫婦ではない。人とは違う高みにある男はとても優しく、寄る方のない彼女らを大切にしてくれるが、そこに男女の情愛はない。それでも家族に見えるのなら、それはとても嬉しいことだった。
「琴葉、黒死牟殿と仲良くなったのかい」
「童磨さん。ええ、皆さんが鬼だって教えてもらったの」
寄ってきた童磨に聞かれて素直に答えると、彼は笑顔のまま黒死牟を見やった。
「酷いじゃないか、黒死牟殿。琴葉と伊之助に怖がられたら、どうすればいいのさ」
「お前なら……上手くやるだろう……小鳥は手中で愛でるもの……空を教えなければ……飛び立つこともあるまい」
「それはそうだ! ねえ、琴葉、俺から逃げたりしないでおくれよ? 俺は人ではないけれど、君と伊之助が一等大事なんだ。約束したとおり、ずっと傍にいておくれ」
虹の瞳が睫毛が触りそうな近さで覗き込んでくる。その美しさに吸い込まれそうになって、琴葉は思わず息子を抱く腕に力を込めた。もう一度名前を呼ばれ、肩を抱かれた時、どこかでカチリと硬質な音がした気がした。
(ああ、閉じてしまったわ)
一体何が閉じたというのか。琴葉は自分の思考に首をかしげ、次の瞬間にはそれを忘れた。そして怖いような、安心するような童磨の体温を取り込みながら広い胸に頬を寄せた。
「ゆびきりげんまん、約束です」
「うん。ゆびきりげんまん、約束だ。伊之助も、小指を出して」
「父ちゃんの指ふっといな!」
「あはは、伊之助の手はちっちゃいねえ」
三人で小指で繋がった輪になれば、周りの鬼たちが遠く感じた。赤い瞳をはじめ色とりどりの強い視線が向けられているというのに、まるで氷壁に隔たれたようだ。
約束の歌がざあざあと花びらを散らす風に紛れる。鬼の腕に抱かれて無邪気に喜ぶ人の子たちを、月と夜の住人たちだけが見つめていた。
【登場人物紹介】
童磨
十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛玩を知って世界が広がった超局地型人間性初心者。とっても頑張って仕事をしたら鬼滅の刃が始まらなくなった。ご褒美に琴葉と伊之助を傍におく許可と、全鬼に対する二人の安全を得ることができた。これからも無惨様と琴葉と伊之助のために敵をなぎ倒し女の子を食い散らかす(文字通り)所存。琴葉たちが何よりも大事だが、彼らと本当の家族になる日は訪れない。
嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。何も知ることなく快適な鳥かごに閉じ込められた。今後も肝心なことを知らないまま、伊之助を育て、童磨の心地よい世界の要として大切にされる。鬼の実態を知ることがないため、無惨や上弦の鬼たちのことは日本昔話的な妖怪だと思っている。童磨に恋しているが、きっと報われることはない。
嘴平伊之助
お母さん似なわんぱくうり坊。4~5歳。弱肉強食を刷り込まれ中。もう少し大きくなったら健康を保つための武芸の鍛錬を勧められて才能を発揮しそう。お母さんよりも動物的な勘が鋭いが、赤ちゃんの時から童磨の気配が身近にあるため、鬼=悪という方程式がそも成り立たない。童磨との桃太郎ごっこがお気に入り。鬼をいじめる侵略者・桃太郎とお供(童磨と結晶のアニマルズ)を元気に撃退している。
鬼舞辻無惨と愉快な鬼たち
琴葉と伊之助に妖怪と勘違いされている人喰い悪鬼たち。千年で一番の成果をあげた童磨への褒美として、無惨様は特別にペットを飼う許可を出し、すべての鬼に嘴平親子をけして襲わないよう通達した。逆らったものはもれなく呪いが発動する。上弦の鬼たちは、あの童磨が人間を大事に飼っていると知って信じられないやら興味が湧くやらまったく関心がないやらと様々。上陸兄妹はわりと優しく母子に接する。童磨の大活躍により戦況は鬼に大きく傾き、鬼殺隊が完全に弱体化した後には海外まで手を伸ばすこととなる。昭和初期にこの世のものとは思えない美しい女が香港の社交界に君臨したとか、ナチスの非道な研究所に青白い肌の美男が出入りしたとかしないとか…… なお、無惨様が鬼の運用を見直したせいで雑魚鬼は9割間引きされ、原作に至るまでの各キャラの悲劇は大方回避された。ただし全人類的に見るとまったくめでたくない。
鬼殺隊の皆さん
柱が短期間で何人もいなくなり、さらにお館様とご家族の体だけが見つかったことでほとんどの隊士が悔しさと怒りで発狂した。末端の鬼たちとの戦いは激化するが、徐々に童麿をはじめとした十二鬼月によって剣士の数が減らされ、大正末期には二桁まで落ち込んだ。産屋敷家のバックアップがなくなったことで財政難となり、鬼殺隊は完全にボランティア活動に移行、辛い時代に突入する。