タイトル=君ありて幸福
番外編。人生を共に歩むこと、あるいは元鬼の求婚。
大藩の城下町に到着して二日。現金だけ所持してやってきたこの街で、童磨はさる旧家が所有していた川沿いの別邸を手に入れた。正しくは、教祖から八年ぶりの連絡を受け舞い上がった元信者から献上されたものなのだが、琴葉と伊之助がそれを知る由もない。
今日は新しい家具や様々な荷物が届く日だ。童磨はがらんどう状態の屋敷に伊之助を残し、琴葉と二人ではじめての街の散策に出ていた。
「伊之助一人で大丈夫かしら」
「目録を渡してあるから心配いらないよ。それに、あの子が気を利かせて出かけてこいって言ってくれたんだぜ?」
「まあ、そうだったの。それじゃあ、何か美味しいものを買っていってあげたいわ」
「いいね、帰り道に見ていこう」
薄い雲ごしの日差しの下、琴葉にぴったり寄り添って歩く。腕がこすれるほどの距離で、何度か指先が触れあえば彼女から手をつないでくれた。童磨は細い手指の温度に感じ入りながら目尻を下げた。
道行く人々の視線がついてまわるが、まったく気にならない。落ち着いた和装は周りに溶け込んでしかるべきなのだが、目立つ色合いの長身の美男と柔和な美貌の女が連れ立っていれば、すれ違うほぼ全員の目を引くというものだ。
琴葉が見えない片側を歩き、さりげなく人の流れから守って歩く。横目に見た彼女は空にある春の陽そのものだ。緑の瞳できょろきょろと町並みを追う様子は少女のようで、童磨にはなおさら愛らしく見えた。
「この街が気に入ったかい?」
「ええ、とっても! 美味しいお菓子や高いお着物に似ていて綺麗だわ。周りから聞こえる話し声も柔らかくて、みんな優しそう。あとは、おうちの近くの川のせせらぎが好きよ。後で川べりをお散歩しましょう」
にこにこと話す琴葉は、きっとこの街に馴染むだろう。明るく素直で善性が人のかたちを取ったような女なのだ。かつて彼女と伊之助に手をあげた男とその母親のような根っから悪質な人間か、あるいは人以外のよくないモノでもなければ、良い関係を築けるに違いない。それを見越して、童磨はいくつかの候補の中からこの地を選んだのだ。
「八つ時頃に雨がふるそうだから、その前に行こうか」
「良いお天気なのに、雨がふるの?」
「お向かいのご隠居が今朝教えてくれたんだよ。降り出す前に帰って届いた荷物を整えて、夜は新品の布団で寝ようね、琴葉」
「……一緒に寝ても良い?」
「俺はもとよりそのつもりさ」
虹の目に茶目っ気をのせれば、琴葉も頬をうすらと染めて笑う。童磨が逃れ者の鬼であった頃、日中は彼女の胸元に潜み、夜はその身を抱きしめて寝たふりをしていた。そんな生活を八年も送った後の数ヶ月の別離は寂しさに耐える日々でもあった。この街への道中でいくつかの宿に泊った際、家族連れということで部屋には三つ布団が敷かれたが、二人はごく自然に同じ布団に潜り込み、伊之助も平然とその隣で寝ていた。
とりとめのないことを話しながら大通りを抜けて城の近くまでやってくれば、人混みもはけて静かな桜並木が伸びていた。この先は旧藩主の庭園だが流石にそこまで足を伸ばすことは難しい。そろそろ戻ろうかと言いかけた童磨は、しかし傍の店先で足を止めた。
「これ、いいね」
童磨が手にしたのは柄に睡蓮が彫り込まれたつげの櫛。琴葉の豊かな黒髪にそれを合わせて虹の目を細めた男は、ひらりと羽織を揺らめかせて店に入っていく。手を引かれたままの琴葉はきょとりとして後に続いた。
「店主、これをおくれ。ああ、包まなくていいよ」
「ありがとうございます。お綺麗な奥様でございますね。この櫛がよくお似合いになるでしょう」
「うんうん、綺麗だろう。自慢の家内なんだ」
にこにこと言葉を返しながら値が張る櫛を受け取る童磨の隣で、家内と呼ばれた彼女は薄く頬を染めていた。童磨は店を出るなり一際咲き誇る桜のしたへと琴葉を導き、店主の前で見せていた外向きの表情を一気に崩した。太い眉がへにょりと下がり、己よりもずっと背が低い相手を上目遣いするように目尻も下がる。どうしたのだろうと琴葉が問いかけるより先に、耳障りがよい声が上ずり気味に降ってきた。
「琴葉」
「はい、童磨さん」
童磨の両手が琴葉の両手をとり、ぎゅっと櫛を握らせる。そのまま手を離さず見つめ合い、とても長い間そうしているように感じはじめた頃、童磨が沈黙を破った。
「俺のお嫁さんになってくれるかい?」
零れそうな琴葉の瞳を覗き込む男は、見たことがないような弱気な顔だ。まだ彼らが寺院にいた頃、琴葉が気兼ねなく暮らせるようにと結婚を提案した優しい鬼が今、息を呑んで彼女の答えを待っている。
薄く紅をひいただけの飾らない唇が綻び、花よりも美しく琴葉は笑った。そしてひとこと答えた彼女は逞しい腕に抱かれ、二人の体の間で胸元に押しつけられた櫛を握りしめながら口づけをねだったのだった。
* * *
慎ましやかだが三人で暮らすには些か大きい屋敷で荷物を運んでいた伊之助は、出かけていた両親が帰ってきた気配に手を止めた。力仕事とも呼べない程度の労働より配送業者の対応で疲れていたので、休憩も兼ねて玄関に出向けば、すでに大人二人は履物を脱いで上がっていた。
「おかえり、母ちゃん、父ちゃん」
「ただいま、伊之助」
「お留守番ありがとうね」
童磨は人に戻って血色が良くなり、瞬きやあくびなどの生理現象を行うようになった。しかし今のように頬を染めているのを見るのは初めてで、伊之助は思わず二度見した。何度見ても、養父の端正な顔は血が巡りすぎて赤らんでいる。
すぐ後ろに立つ琴葉も少女のようにふわふわした様子で、右手に伊之助が見たことがない櫛を持っている。童磨が買い与えたのだとすぐに思い至ったけれど、両親が夢心地な理由がわからず、一人首を傾げる。
「荷物全部届いたぞ。適当に部屋に置いといた」
「うん、ありがとう。後はそれぞれ部屋を整えるとして、伊之助」
「おう」
「琴葉と夫婦になったんだ。今日から嘴平童磨って名乗るから、よろしく頼むよ」
童磨はそう言って伊之助の頭をぽんぽんと撫で、ゆびきりげんまんの鼻歌まじりに廊下の先へと行ってしまう。ぽかんと広い背を見つめる息子の背を撫でた琴葉も「おやつに羊羹を買ったからね」とだけ残して後に続き、玄関に取り残された伊之助は白いかんばせに困惑を載せて呟いた。
「……これまで夫婦じゃなかったのか?」
【登場人物紹介】
童磨
元十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛を知って世界が広がった人間性初心者。家族連れ逃れ者ライフの終りを迎え、晴れて人間として家族と過ごしはじめた。新天地に到着して初めてのデートで琴葉にプロポーズした。前に一度フラれたのを思い出してへたれたのは内緒。江戸時代の男なので、指輪ならぬ櫛を渡して求婚した。この後、戸籍捏造の根回しをする。
嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。新天地でお昼のデートができて幸せを噛み締めていたところ、直球プロポーズを受け、即答OKした。明治生まれなので、櫛をもらう意味は知っている。飾り櫛をつけるためにお出かけ時は髪を結うようになる。目下の目標は童磨からキスしてもらうこと。頑張れ奥さん!
嘴平伊之助
お母さん似な獰猛系美少年。16歳。弱肉強食を世の真理としているスーパードライなうり坊。しかし両親にはウェット。お留守番を申し出て引越し業者()の対応を請け負ったよくできた息子。力仕事は大得意。童磨と琴葉は寺院時代からずっと夫婦だと思っていた。