三千大千世界を駆ける   作:アマエ

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タイトル=何と引き換えても守り抜くもの

番外編。伊之助の決意、あるいは強くある理由。




#??? Knight of the Secret Garden

 

ドスンと鈍い音をたてて逞しい体が庭に転がるのは信じられない光景だった。

 

今しがた養父を投げ飛ばした両手を呆然と見つめた伊之助は、はっとして仰向けに倒れた童磨の傍に膝をついた。庭の地面は砂利がまじった硬い土だ。庭石だってそこらじゅうにあり、ひとつ間違えれば頭をぶつけていたかもしれない。青くなって優しげな顔を覗き込めば、生理的な涙を浮かべた虹の瞳と目があった。

 

「あいたたた……、まさかこんなに動けないとは思わなかったぜ」

 

「父ちゃん、頭打ってないか? どこも骨折れてねぇか?」

 

転がったままの童磨が参ったなあと前髪を掻きあげる。つい半月前まで理不尽なほど強い鬼であった彼は、人間に戻ってもそれなりに動けるつもりで、軽い気持ちで息子の朝の鍛錬に付き合った。しかし結果はこれだ。伊之助が子供の頃から何度も行ってきた組み手で三秒と持たなかったのは、お互いに相当な衝撃を与えた。

 

「ごめん、これまでと同じ調子でやっちまった」

 

「いいさいいさ、俺も思考にまるで体がついてこないのがわかって丁度良かった」

 

「起き上がれるか?」

 

「うーん、左肩が凄く痛い。受け身が取れなかったからなあ」

 

童磨の答えに伊之助は柳眉をよせ、考え込んだ。見たところ関節が外れているわけではなさそうだが、打ち身ぐらいは負っているだろう。

 

「医者呼んでくる。先に母ちゃんのとこに連れてくから、抱えるぞ」

 

「えっ、うわ、痛い痛いもっとそうっと頼むよ!」

 

長身の童磨は一抱えの荷物だが、伊之助にとっては大したことがない重量だ。横抱きにした途端、真に迫った悲鳴があがったため、不格好だが片腕に乗せるようにして上半身には触れずに運ぶことにする。縁側からあがって廊下を早足で進めば、朝の身支度を終えたらしい琴葉と鉢合わせた。

 

「伊之助、童磨さん、どうしたの!?」

 

息子が夫を子供抱っこしているという異様な光景に、翡翠の双眸が零れそうになっている。

 

「鍛錬してたら父ちゃんに怪我させちまった。ごめん、母ちゃん」

 

「伊之助は悪くないよ、琴葉。俺がまだ人間の体に慣れてないから、あいっ、たっ!」

 

「肩痛めてるから、この後医者呼んでくる」

 

「わかったわ、お願いね、伊之助。童磨さん、お布団を敷くから少しだけ辛抱してね」

 

ぱたぱたと家族三人で夫婦の寝室へと向かう。琴葉が片付けたばかりの布団をまた出すのを待つ間、伊之助は少女めいた美貌を強張らせて黙っていたが、ふいに頭に触れられて視線を上げた。童磨は痛めていない右腕だけ動かして息子の頭を撫でていた。

 

「気にしなくていいよ。鬼になる前はただの教祖で、全然鍛えてなかったから仕方ない」

 

「……もう怪我がすぐに治らねえだろ。父ちゃんが痛いのは嫌だ」

 

「ははっ、伊之助は優しいねえ」

 

話しているうちに琴葉が床の用意を終えたので、彼女の手も借りてなるべく静かに童磨を下ろす。無事な右側を下にして横になった男は、美しい妻が土まみれの髪を整えてくれるのを猫のように目を細めて甘受していた。

 

「行ってくる」

 

「「いってらっしゃい」」

 

一人部屋を後にするなり、小走りに玄関で靴をつっかけて小路へと出る。近所は朝食の用意のいい匂いが漂い、川のせせらぎに様々な生活の音が混ざりはじめていた。

 

ほど近い場所にある診療所に急ぐ間、伊之助は一度だけ目元を拭った。彼が物心ついた時から、童磨は圧倒的強者であり絶対の庇護者であった。元・上弦の弐は伊達ではなく、伊之助が知る限り、童磨より強い生物は片手に数えるよりも少なかったのだ。けれど先程抱き上げた父の体は、全集中の呼吸も行っていないただの逞しい一般人のものだった。嘴平童磨が、琴葉と同じ非戦闘員だと思い知らされたのだ。

 

(父ちゃんも母ちゃんも俺が守る。もっと鍛錬して、誰よりも強くなってやる!)

 

形良い唇をぎゅっと結んでの誓いは、この先何十年も楔となって伊之助を突き動かすものだった。

 

 

* * *

 

 

事の発端は、久しぶりに穿いてみた隊服のズボンが短く感じたことだった。元は足首をしっかり包む長さだったのだが、今やくるぶし丈になって全体的に窮屈に感じる。一年しか身に着けていなかったとはいえ、これまでの人生で最も色濃い日々の思い出の品だ。タンスの肥やしにしておこうと決めたところで、二人分の足音が廊下から聞こえてきた。

 

「伊之助、ちょっといいかしら」

 

「おう」

 

声に答えれば、するすると障子が開かれ白橡の髪の美男と豊かな黒髪の美女が現れる。二人は余所行きの洒落た着物姿で、今から出かけることが見て取れた。

 

「童磨さんと出かけるのだけれど、伊之助も来る?」

 

「呉服屋に厚手の反物を買いに行くんだ。琴葉が家族おそろいの半纏を繕ってくれるからね」

 

にこにこと尋ねる琴葉は紅藤色の羽織に灰黄緑の着物が大変よく似合っている。よく見ると着物の柄は藤の蔓で、それを買い与えたのが童磨だと思うとよく皮肉が効いていた。全体的に落ち着いた色合いに深い藍浅葱の帯と紅玉の帯飾りがなんとも粋だ。結髪であらわになっている白い首筋は酷く華奢で、清楚な美貌であるのに、とても独り歩きさせられない色っぽさがあった。

 

美しい妻の隣でまったくさりげなくなく彼女の手を握っている童磨はというと、青藤色の羽織に鶸茶の着物といった渋い色合いで三十路を装っている。黒い帯で印象をきりりと纏めており、琴葉と並び立つことを前提とした色選びが伺えた。長い白橡の髪にはいつもどおりの黒い細リボン。やや不格好な結び目は琴葉が結んだに違いなかった。

 

「あれ、それは隊服かい?」

 

童磨が目ざとくそう言えば、琴葉もあらまあと短くなったズボンを見つめた。

 

「伊之助大きくなったわねえ。童磨さんに似たのかしら」

 

「そうだったら嬉しいね」

 

そもそも童磨と伊之助に血縁関係はないのだが、嬉しそうな琴葉に水を差すようでは嘴平家の男ではない。虹の目を細めて愛しげに妻に返した元鬼は、丁度いいとばかりに息子を招いた。

 

「いくつか新しい着物を買おうか。確か近くに洋服の店もあったぜ」

 

「そうね、そうしましょう」

 

「……わかった、一緒にいく」

 

ほとんど口を挟めないまま同行が決まった。伊之助は少し遠い目をしながら適当な着物に着替え、睡蓮の刺繍がはいった黒い羽織を纏った。

 

佩刀せずに出かけることにも随分慣れた。鬼殺隊にいた頃は素肌に羽織で下半身だけ隊服のズボンだったが、その格好もご無沙汰だ。町で人に見られながら歩くことだって不本意ながら当たり前になっていた。

 

(どいつもこいつも視線がうぜえ)

 

はじめてこの街に来た時から人々の視線がうるさいと感じていた。寺院にいた頃は教祖のお気に入りの親子として美醜に関係なく扱われていたし、藤の家で世話になっていた時は伊之助がまだ幼かったせいか、ここまで見つめられていなかった。

 

「見て、嘴平さんだわ」

 

「いつも綺麗ねえ。先生と奥様はお似合いで、ご子息の」

 

「伊之助君でしょ。お母様そっくりなお顔に、あの男らしさ。素敵だわ!」

 

「ねえ知ってる? 毎朝……河原で運動……」

 

「逞しくて……凄いの……」

 

ぼそぼそと少女たちの高い声が聞こえてくるが、麗しの彼は目もくれずに足を早めて童磨の隣に並んだ。穏やかな虹色の横目に少し唇を突きだせば、養父はにこりと笑って青みがかった髪を撫でた。

 

「どうしたんだい、伊之助」

 

童磨の逆隣から琴葉も優しく見つめてくる。二人の前で小さな子どもに戻ったような気になって、伊之助は三人だけの世界を幻視した。そうすると周りに誰もいなくなり、肌にひりつく不快感が薄れていく。

 

「なんでもねえ」

 

誰がどんな目で見ていようとも、気に留める必要はない。妻子しか眼中にない童磨ほどではないにせよ、伊之助だって両親を第一に生きてきたのだ。とりあえず、今日は二人が望むまま付き合うことにして、よくわからない反物選びに臨むことにした。

 

 

* * *

 

 

陸軍大臣の前で真剣を振るうことになったのは、明治維新を目の当たりにしたという老人の強い希望によるものだった。昨年の暮れあたりから嘴平邸に顔を見せるようになった彼は、童磨の新しい『友人』であり、伊之助に初めての職を紹介してくれるという。男の口利きがあれば履歴書も面接も不要であったが、一度その目で剣の腕を見たいと請われ、童磨と二人で陸軍学校まで足を運ぶこととなったのだ

 

「すまんな、嘴平君。ご子息の腕を疑うわけではないのだ」

 

「気にしていないさ。お国のために戦う若者を鍛えるのは責任重大。じっくり見て、納得しておくれよ」

 

白髪の紳士に並びたつ童磨はにこにこした顔の下半分を藍色の扇子で隠している。あまり機嫌が良くないことが見て取れて、伊之助は内心ため息をついた。童磨は負の感情をまったく表に出さないが、それを美しい妻に盛大に甘えることで発散させるのだ。

 

(爺がぐうの音も出ねえようにすりゃ、少しは気が晴れるか?)

 

そんな事を考えながら、腰にある小太刀に手をかける。激闘の日々からもう四年が経つが、真剣は毎日庭で振るっている。全集中の呼吸の常中は当然のこと、家の近くの河原での鍛錬も欠かしておらず、むしろ体が成長した分だけ強くなっているだろう。目の前の巻藁の林などでは物足りないぐらいだ。

 

「伊之助君、ここにあるものを斬って見せておくれ。刀が刃こぼれしない程度でいい」

 

「……何でもいいのかよ」

 

「巻藁が難しいなら竹の的も用意できるがね」

 

陸軍卿のそれは馬鹿にした言葉ではなかった。この国で真剣が活躍したのは、五十年近く前のことなのだ。今や剣の達人と呼ばれる者たちだって人を斬ったことがある者はほとんどいない。それを踏まえての彼なりの気遣いだったが、白シャツに黒ズボン姿の相手のこめかみに盛大な血管が浮きあがり、美女めいた顔が獰猛な笑みに歪んだことで失言だと気づくこととなる。

 

「舐めんじゃねえぞ、クソジジイ! 眼ん玉ひん剥いてよく見やがれ!」

 

「なっ……」

 

吠えた伊之助が対の小太刀を抜き放つなり、その姿がぶれて消える。激しい踏み込みであがった土埃に驚いた老人がきょろきょろと見回す中、十メートルほど離れた場所にある巨大な石碑から不自然な音がした。ずるずると擦れて崩れるようなそれに、まさかと衰えた目を凝らす。隣の愉快げな笑い声さえ遠かった。

 

石碑の上半分が斜めにずれ、地面へと倒れていく。凄まじい轟音に近くの建物にいた者たちが何事かと駆け出てくるが、陸軍卿は凍りついたように残骸の前にある淡麗な後ろ姿を凝視していた。

 

「どうかな、俺の息子の腕前は」

 

童磨の穏やかな問いかけに返されたのは絶句の無言であった。納刀した伊之助が目の前まで戻ってきて、翡翠の瞳でじっと老人を見下げながら腕を組む。

 

「は、嘴平君、私は夢を見ているのか?」

 

「あっはっは、陸軍卿ともあろう方が何を言ってるんだい。最初に教えてあげたでしょう。とっても強くて自慢の息子だって」

 

虹の目を細める童磨は変わらず穏やかな物腰だが、その瞳は温度がなく、薄い口元は嗤っていた。まるで化け物を前にした気になって、逃れるために伊之助の方へと声をかける。

 

「……些か信じられんほどの腕前だ。君のような若者が、どうしてそんなに強くなれたのかね」

 

老紳士の苦し紛れの質問に、二十歳にも届かない青年は迷いなく答えた。

 

「家族を守るためだ」

 

この日からひと月後、陸軍学校の選りすぐりの学生らの前にとびっきりの美貌の青年が剣術講師として立つことになる。艶やかな黒髪に輝く翡翠の瞳の青年を見た目で判断しかけた彼らがどうなったのか。それは彼ら自身と、制服のベルトの大量発注と訓練場の床の清掃に対応した職員、そして件の美しすぎる講師だけが知っていた。

 

 





【登場人物紹介】

童磨
元十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛を知って世界が広がった人間性初心者。家族連れの逃れ者ライフの終りを迎え、晴れて人間として家族と過ごしている。人間に戻ったことで鬼の膂力や優れた五感が失われ、二十歳の教祖だった頃に立ち戻った。当時も健康のため体をよく動かしていたので逞しさは変わらないが、あくまで一般人レベル。伊之助に一瞬で投げ飛ばされてパチクリしてしまった。なお、左肩は酷い打ち身だけで済んだ。陸軍大臣は元信者繋がりで人生相談に訪れた『友人』の一人。

嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。息子ほど鬼だった頃の童磨の強さを意識していなかったため、彼が人間に戻った後も戸惑うことはなかった。人間に戻った彼と一緒に寝ていて気づいた面白い寝言や朝に元気になるなんちゃら等、これまでと違う諸々がとても愛おしい。伊之助の講師就任のお祝いに、高級食材の天ぷらを山と作った。

嘴平伊之助
お母さん似な獰猛系美青年。このお話では16歳~19歳。弱肉強食を世の真理としているスーパードライな猪。しかし両親にはウェット。ある意味、三人だけの小さな世界で育ったため、両親よりもテリトリー意識が強く、じろじろ見られるのも干渉されるのも嫌い。童磨が人間に戻った後、組み手しようとして怪我させてしまったのが無自覚なトラウマとなり、引き続き両親を守るべく剣の鍛錬に打ち込んでいる。毎朝、河原で上半身裸で木刀を振るっており、早起きなお嬢さんたちの目の保養となっている。

陸軍卿
オリキャラにして当時の陸軍大臣。童磨のところに人生相談に行ったら気持ちがすっきりして病みつきになったおじいちゃん。明治維新の頃は少年だった。伊之助に剣術講師の職を紹介したが、興味本位で腕を見せてもらおうとしたら腰を抜かしそうになった。石碑の修復費用はポケットマネーから出した。なお、史実の人物ではありません。

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