タイトル=じょうじゅうのゆめにさちありき
番外編。成長、あるいは愛する息子へ。
※嘴平伊之助誕2020
※設定:藤の家紋の家時代→琴葉が蝶屋敷で働き始めてすぐ
ここ数週間、伊之助の喉の調子が悪い。心配して医者に診せようと言った童磨を止めたのは、意外にも息子をこよなく愛する琴葉であった。
「男の子の声変わりよ。童磨さんにもあったでしょう?」
酒造を営む藤の家紋の家の広い庭で洗濯物を干しながら、琴葉は胸元に潜む鬼にそう話した。着物の袷の中で聞いていた童磨はというと、大仰な安堵で柔らかい膨らみに顔を埋めていた。
そんなやり取りから一週間もすると伊之助の声が割れることも少なくなり、これまでの子供らしい高さが随分と失われた。今後も低くなっていくであろう声質は雄々しいほどに荒く、迦陵頻伽のごとき母親の美声には似ていない。朝の食卓でやや乱暴に話す伊之助の声を聞いた時、童磨はふと感じた不快感から眉を寄せた。
(んー、何か聞き覚えがあるぞぉ……この声、どこで聞いたんだっけ)
彼の優秀すぎる頭脳はあらゆる物事を記録しているが、些細かつ不快なことは記憶の奥底に沈めて触れないようにしている。記憶の表層にあるのはもっぱら琴葉と伊之助との楽しい思い出ばかり。役に立ちそうな情報はそのすぐ下に、その他の事柄は脳の奥底だ。
琴葉が仕事をしている間、童磨は特にすることもないので記憶を探ってみることにした。
(ええと、確かこの辺り)
右こめかみに人差し指をあて、一気に根本までそれをねじ込む。琴葉の胸元を汚さないよう瞬時に傷口を回復させ、指を埋め込みつつ出血を最小限に留めた。長い爪で脳をほじくり返せば、壊れては修復される細胞からつまらない過去の出来事がばらばらと溢れてくる。その中に目当ての声の主を見つけるのに数秒もかからなかった。
ほんの11、2年前に数分だけ対面した醜い男。姿の美醜だけでいえば平凡などこにでもいそうな若い男であったが、品性の欠片もない怒鳴り声と歪んだ表情に不快感を抱いたのを覚えていた。男の隣には、よく似た初老の女がいて、彼女も同じように金切り声を上げていた。
(……ああ、彼らか。俺としたことがとんだ勘違いだ。全くもって似ていない)
妻を返せ、子を返せ、嫁を返せ、孫を返せ。馬鹿の一つ覚えで大声をあげる男と年寄り。寺院まで押しかけてきた彼らから話を聞こうとしたけれど、うるさすぎてすぐに殺してしまった。
伊之助は琴葉の息子。春の陽のような彼女に瓜二つの可愛い子だ。そしてあの子供が父と呼ぶのはただ一人なのだから、誰の種であるかなど瑣末事だ。そう結論づけて頭から指を抜き去り、童磨は白い乳房に身をよせて外の様子に耳をすませた。
(そろそろ伊之助が山から戻ってくる。いい天気だし、午後は鍛錬かなあ)
今日は珍しいほどの晴天だ。真っ直ぐな日差しが時折、着物の袷から一条だけ差し込んで身を焼くけれど、このような天気の良い日は琴葉がご機嫌で鼻歌を歌ってくれる。今日はゆびきりげんまんの音色にのって亀とうさぎが踊る歌だ。それがあまりに可愛らしくて、童磨も穏やかな気持ちで聞き入っていた。
「母ちゃん、ただいま!」
ぱたぱたと元気な足音が近づき、少し荒い声とともに琴葉に寄り添う気配がある。母親に懐くふりでその胸元に顔を寄せた伊之助が袷の中の小鬼にも声をかけた。
「父ちゃん、ただいま」
「「おかえり、伊之助」」
童磨の返しは琴葉のそれに紛れる程度の小声であったが、伊之助はにかりと笑って自慢気に続ける。朝から勤しんでいた狩りの成果報告だ。
「うさぎと山鳩と雉を獲ったぜ。それと、鹿の群れ見つけた! 明日は一頭獲ってくるからな!」
「まあ、凄いのねえ。お肉は全部売っちゃった?」
「うさぎは残してある。母ちゃん、俺、肉だんご汁が食いてえ」
「わかったわ。じゃあ、お夕飯にね」
「ふはっ、やったぜ!」
類まれな美声の琴葉とやんちゃな男声の伊之助がきゃらきゃらと言葉をかわす。二人のやり取りに耳を傾け、童磨はひだまりの猫のように虹の目を細めた。そうして、この心地よい時間が永遠に続けばいいのにと夢のようなことを考えながら、微睡みの真似事に沈んでいった。
* * *
「あれぇ、伊之助もしかして琴葉より大きくなった?」
発端は、厨に立つ琴葉と手伝うために並んだ伊之助の背中を見つめていた童磨の何気ない一言であった。居間に胡座をかいて鉄扇の手入れをしていた鬼は、可愛い母子がからくり人形のようにぐりんと振り返ったのに「おお」と目を丸くした。
「父ちゃん、ほんとか!?」
「伊之助、そこの柱の前に立って。ちゃんと比べたいわ!」
包丁を手にしたままの琴葉が、その切っ先で危なげに柱の方を示す。童磨がさり気なく近づいて細い手首をおさえたことで、彼女も気がついて刃物をまな板のうえに置いた。
伊之助はというと、美少女めいた顔を輝かせて柱に背を当てている。昨年この家に引っ越してきてすぐ家族三人の身長を刻んだ柱だ。改めて見てみると、黒い頭のてっぺんは当初の切込みより随分上にあった。
「俺が図るよ。伊之助、背筋はまっすぐにね」
「おう!」
童磨が手にした扇で新しい目印を刻み、息子と入れ替わりで柱の前に立った琴葉にも同じことをする。そして三人して一歩下がって柱の傷を見つめれば、確かに伊之助の背丈の傷のほうが小指の幅の半分ほど高い位置に刻まれていた。
「まあ! 本当に抜かれちゃったわ。凄いねえ、伊之助」
少女のように頬を染めた琴葉が手を叩いてはしゃぐ。その隣でそっくりな顔を紅潮させた伊之助も両手を突きあげて「よっしゃ!」と声を上げている。当然の肉体の成長だというのに二人して飛び上がって喜んでいる。置いてけぼりの童磨は、どんな顔をしたらいいのかわからず一瞬真顔になってしまったが、琴葉に横から抱きつかれて眉を下げた。
「童磨さん、覚えてる? 伊之助、あんなにちっちゃいお手々だったのに、こんなに大きく育ったわ」
美しい彼女の幸せな顔に、自然と童磨の口元も笑みに緩んだ。
「うん、君が抱いていた赤ん坊がもうすぐ十三歳だ。前も言ったけど、人の子の成長は早いね」
「すぐに父ちゃんより大きくなるぜ! そしたら絶対ぇ俺のが強い!」
「それはちょっとわからないなぁ」
胸を張る息子にくすりと笑って返せば、可愛い眦がつり上がって子供らしく拗ねる。童磨はいよいよ声をあげて笑い、片腕で琴葉の肩を抱き、もう片手を伸ばして伊之助の頭をくしゃりと撫でた。翡翠の目を眇めて甘える様子を見て、ようやく琴葉が喜んでいる理由がわかった気がした。
【登場人物紹介】
童磨
元十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛を知って世界が広がった人間性初心者。伊之助の成長をまざまざと感じ、胸がぽかぽかしていっぱいになる感覚に首を傾げた。情緒は随時成長中。琴葉が藤の家紋の家から蝶屋敷での手伝いに転職したのをきっかけに、家族三人で蝶屋敷から歩いて少しの借家に引っ越しした。伊之助の十三歳のお祝いに対の小太刀を贈った。ちなみに入手経路はちょっぴり後ろ暗い。
嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。伊之助が十二歳になるまで藤の家紋の家(大店の酒造)で住み込みの手伝いをしていたが、そこのご隠居が亡くなった後に蝶屋敷の手伝いの声がかかり転職した。引越し先の小さな家では童磨と昼夜気兼ねなく暮らせてご機嫌。この度、息子に身長を越され、その成長ぶりに小躍りしてしまった無邪気なお母さん。
嘴平伊之助
お母さん似な獰猛系美少年。12歳。弱肉強食を世の真理としているスーパードライなうり坊。しかし両親にはウェット。日々山を駆け回って鳥や獣を狩っている。銃や弓を好まず、もっぱら素手と小刀と罠だけで猪や鹿に立ち向かう天性の狩人。童磨と体を動かす稽古をして育ったので身のこなしはすでに全集中の常中をしていない下級隊士並だったりする。この度、めでたく琴葉の背を超した。小太刀を貰って大はしゃぎして早速、童磨に稽古をねだったやんちゃ坊主。