タイトル=あらやしきからいずる
それぞれの恋と情と愛について、あるいは原作開始間際。
*童磨が逃れ者になったことで原作キャラの生死に影響が出ています。
花柱・胡蝶カナエが自らに与えられた屋敷で負傷した隊士らの治療を行うようになって、そろそろ三年になる。最初は妹のしのぶと二人で切り盛りしていたが、すぐに手が足りなくなり、神崎アオイや義妹のカナヲ、鬼の被害をうけて孤児となった子供たちに手伝ってもらうようになった。さらに、同じく鬼の被害者である嘴平琴葉を通いの手伝いとして雇ったのは、一年前のことだった。
「カナエ様、おはようございます」
「おはようございます、琴葉さん。今日は伊之助君は一緒じゃないの?」
「伊之助はお山です」
「あらまあ、この間、猪を倒したばかりなのに」
「今日は熊を倒して、山の王になるって言ってました」
ころころと笑う琴葉はカナエよりも大分年上の一児の母だ。息子の伊之助はもう13歳だが、とてもそんな大きな子がいるようには見えない。何せ、彼女は大変美しいのだ。
豊かな長い黒髪に三十路をすぎても皺ひとつない麗しの顔立ちは、蝶屋敷に出入りする大勢の憧れの的だ。零れそうな大きな翡翠の瞳に形良い鼻、薄紅の薄い唇が完璧に配置された白い面(おもて)は、同性のカナエでもうっとり見惚れてしまうほど。まさしく春の妖精のような柔和な美貌の極みであった。
「ふふっ、強いのねえ、伊之助君」
「はいっ。童磨さんに似て凄く強いんです!」
白皙に花のような笑顔を浮かべる彼女は、数年前に夫を鬼に喰われ、自らも大怪我を負った。カナエが入隊する前の出来事だが、勇敢な父母の悲劇と被害者母子の見目麗しさは隊士の間の語り草になっており、彼女もその話は聞いていた。時折話に出てくる童磨とは、死んだ夫の名だ。生き残った母子は鬼殺隊の支援を受けて暮らしており、今は琴葉が蝶屋敷で働き、伊之助が山で獣を狩ってその毛皮や肉を売って生計を立てている。
母親そっくりで大層美しい伊之助は、しかし気性はまったく真逆で、言葉も態度も乱暴なところがある。しかし根は優しく、時折母親と一緒に蝶屋敷にやってきては力仕事を手伝ってくれるのだ。生意気な口を利いてはしのぶに懲らしめられている可愛い男の子、というのがカナエがもつ印象だった。
いくつか言葉を交わしてから厨に昼食を作りにいく琴葉を見送る。たおやかな背中が見えなくなると、カナエは可憐な眉をよせて俯いた。琴葉のように心が美しい人と話すのは楽しい。けれど、彼女が童磨のことを語る際に浮かべるあどけない表情は、事情を知る者に棘さす針であった。
(琴葉さんは、いつも童磨さんが生きているように話すわ。恋する顔をして、幸せそうに)
琴葉も伊之助も、今を懸命に生きてはいるが、どちらも夫と父親の亡霊に取りつかれている。あんなにも純真に人を愛せる女性が、いつまでも死人の花嫁であることが、カナエはただ悲しかった。
* * *
木々の合間に獣の咆哮があがり、気圧された鳥たちが一斉に飛び立つ。
緑が深い山頂近くで対峙しているのは、かたや強大な熊、かたや白い上半身を晒した人間の少年だ。後ろ足で立ちあがり牙を剥きだす熊の全長は七尺以上。黒々した毛並みは硬く、その下の巨躯は分厚い脂と筋肉の塊である。対する少年ー嘴平伊之助は、黒いズボンと丈夫な草鞋のみ身に着けた無防備さだ。しなやかな筋肉がついた両腕に構えた二振りの小太刀だけが、異様な存在感を見せていた。
「やめとけ。今、降参すりゃあ子分にしてやる」
可憐な少女の顔立ちに似合わぬ荒い声で、伊之助が語りかける。お互いに殺気を纏ったうえでの、最後通牒だった。
「グルアアアアアア!!」
巨大な雄熊は、何年もこの山に君臨してきた猛獣だ。人の味こそ覚えていないが、どんな相手も斃して喰らってきた食物連鎖の頂点である。だからこそ、己より小さな生き物に怯むことなく、敵ではないとばかりに前脚を振り下ろした。
鋭い爪が頭上に迫る。肌を舐める殺気をするりと避ければ、大ぶりな攻撃は伊之助をかすめることなく宙を切った。
「この世は弱肉強食だ。恨むんじゃねぇぞ!」
半歩横にずれて踏み込み、対の刀を熊の太い頸に突きいれる。
ザンッーー
交差した腕を振り切れば、断末魔とともに熊の頭がごろりと転がった。続いて体も崩れおち、小さな地響きと共にあたりに血臭をばらまいた。
伊之助は凪いだ瞳で納刀し、解体用の小刀を片手に巨体へと歩みよる。そして、鳥や獣が山の王の世代交代に恐々とする気配も意に介さず、黙々と毛皮と肉と高価な部位を切り分けていった。
(父ちゃんは熊肉嫌いだし、ほとんど売るかおすそ分けだな。毛皮は隊服作ってる奴らに売る。しのぶが欲しがってたのは胆嚢だったか?)
白い腕を血まみれにして一通り解体を終えると、もう日暮れだ。伊之助は残った骨や臓物の小山を前に難しい顔をしていたが、肌に感じた気配にぱっと振り返った。
「おお、気づかれた。伊之助は勘がいいなあ」
ほぼ暗がりの木陰を歩いてきた男が、にこにこと笑顔で言う。白橡の髪は頭頂だけ血色に染まり、優し気な太い眉の下で得も言われぬ虹色の瞳が煌めく。黒い徳利襟に裾が広がった袴姿の彼は、ぎりぎり夕日が当たらない場所で足を止めた。
「父ちゃん、まだ陽が出てるのに何してんだ」
「山の王のお迎えにあがっただけさ。琴葉が心配してるし」
「母ちゃんは?」
「山道の入り口で待ってるよ。ところで、その残骸はどうするの?」
長い指先が熊の余りを指し、白皙がことりと傾げられる。伊之助の養父にして鬼である男―童磨は、子供が処理に困っていることを見越して、わざと聞いているのだ。これまでに何度も同じことがあったため、伊之助もややむくれながら素直に答える。
「野ざらしにはしたくねぇ。父ちゃん、穴掘るの手伝ってくれ」
「お安い御用さ。そーれっ」
頭上の冷気にまさかと見上げれば、見たこともない太さの氷柱が落下しており、一気に地面に突き刺さった。童磨がぱちんと指を鳴らせば、氷はぱらぱらと粉になって消えていく。そして、瞬時にできた大穴だけが残された。
「ふふん、どんなものかな?」
「……ありがと」
「どういたしまして! さあさ、日が暮れたし琴葉も待ってる。早くすませておくれ」
「おう」
伊之助は地面にあいた大穴に熊の残骸を落とし、手早く土をかけていく。そして、埋め終わったところで、取り分けておいた部位を持参した袋に詰め、養父の隣に並んだ。随分暗くなった獣道を危なげなく先導する背中に、ふと問いかける。
「父ちゃん、今日は飯はいいのか?」
「昨日カナエちゃんの任務のどさくさに紛れて三人喰ったからなあ。しばらくは平気だ」
「そっか」
生きていくために他者を食い物にすることは、あらゆる生命の原則だと伊之助は思っている。美しくもか弱い母と無力な赤子だった自分は、たまたま童磨という強者の翼下で守られたから生きてこられた。その童磨も、鬼狩りから隠れ、鬼舞辻無惨から逃げ、知恵を働かせて生きている。それほどに、家族を守り、己も守るのは難しいのだ。所詮この世は弱肉強食。ならば誰よりも強くなり家族を守ることこそが、伊之助が唯一信仰する真理だった。
「父ちゃん」
「なんだい? 伊之助」
夜の帳の下で顔だけ振りかえった養父は、伊之助が小さかった頃からまるで変わらない。伊之助が母の背を抜き、琴葉が三十路になっても、童磨だけいつまでも青年のままなのだ。
『鬼は悲しい生き物よ』
両親が並んで笑い合う時、伊之助は胡蝶カナエがふと漏らした言葉を思い出す。圧倒的強者である童磨を悲しませるもの。一つしかない答えに突き動かされ、自分を見つめる童磨に告げた。
「俺、鬼殺隊に入る。無惨とかいうクソに父ちゃんが人間に戻れる方法を吐かせてから、手下の鬼ども諸共ぶち殺す」
ぽかんとして立ち尽くす養父の脇を通り越し、置いてくぞと声をかければ、後ろが一気にうるさくなる。珍しく本当に顔を青ざめさせた童磨がおかしくて、伊之助は追いすがる制止の言葉に被せてやった。
「母ちゃんと一緒に年喰って、二人が爺婆になったら俺が看取ってやるからな! 期待して待ってろ!」
* * *
夜の山から出る前に体を縮めて衣服を着替えたのは条件反射で、琴葉の足元にたどりついて白魚の両手に抱きあげられるまで気絶していたのかもしれない。柔らかい指先で頭を撫でられ、ようやく我に返った童磨は、バクバクと弾けそうな胸に手をあてて息をついた。
「どうしたの? 伊之助はご機嫌で走って行っちゃうし、童磨さんもぼんやりして」
てのひらに童磨をのせて首をかしげる琴葉。いくつになっても可愛らしい仕草に、轟いていた心臓が少しだけ蕩け、童磨はぐったりと彼女の手に身を委ねた。
「伊之助がね」
「あの子が?」
「俺を人間に戻すって。その方法を探すために鬼殺隊に入るって言ったんだ」
「まあ……」
零れそうな翡翠の瞳がさらに見開かれ、淡い唇が驚きの形で固まる。蝶屋敷に出入りしている彼女は、鬼殺隊士がどんな職業であるかよく知っている。愛する一人息子がそれを目指すなんて許さないだろう、と反応を待っていた童磨は、琴葉が浮かべた微笑みに裏切られた。
「伊之助は優しい子ね。童磨さんのことが大好きな、私たちの自慢の子」
「琴葉は嫌じゃないのかい? 鬼狩りなんて、雑魚鬼しか倒せない身の程知らずの集団だ。伊之助が」
死んじゃうかも、とは口に出せなかった。けれど琴葉には心の声が聞こえたようで、少しだけ柳眉が下がる。
「あの子はこうと決めたら曲げないわ。だからね、童磨さん、家に帰ったら三人でゆびきりげんまんしましょう」
琴葉はそう言って、童磨を着物の袷の中に隠した。甘い香りがする胸元にいれられた鬼は、収まりが良い体勢になって、ふわふわの乳房に背中を預ける。琴葉は片目の視力が弱いが、耳は良い。まだ人通りがある街道を歩きながらでも、童磨の小声は届いていた。
「何を約束するんだい?」
「私と童磨さんがおじいちゃんとおばあちゃんになって、いつかお迎えが来たら、伊之助に看取ってもらうの。素敵な約束でしょう?」
着物の中から琴葉の美しい顔は見えない。けれど、童磨の脳裏に浮かんだ柔和な顔立ちに伊之助の不敵な笑みが重なり、二人を抱きしめたくて仕方がなかった。やり場がない胸の熱をもてあまし、目の前の柔らかい肉に抱きつけば、琴葉の体が小さく揺れた。
「もう、悪戯は駄目ですっ」
布越しにぺしぺしと叩かれても、童磨は滑らかな肌に顔を埋めて笑っていた。胸の奥が熱くて、むずがゆくて、内にだけ留めておくことが甘苦しくて、だれかれ構わず優しくしてやりたい。きっと、これが愛おしいという気持ちなのだ。
「愛してるぜ、琴葉! もちろん、伊之助も!」
童磨の言葉に返事はなかった。ただ、胸元を叩いていた手がぴたりと止まり、かわりに両のてのひらがやわく押し当てられる。
ゆっくりした歩みに揺られての帰路は、童磨の長い時間の中で一等輝くものとなり、琴葉と伊之助と輪になって絡めた小指の暖かさを、彼は愛と呼んだ。
【登場人物紹介】
童磨
元十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛を知って世界が広がった人間性初心者。家族連れの逃れ者ライフは6年目。日中は9割方、ねんど○いど大に縮んで琴葉の胸元に隠れている。肉体操作と気配の誤魔化しは超一級。ただし、善逸の耳は誤魔化せるが、炭治郎の鼻は無理。呪いの刺激臭がなくとも人食いの血臭はバレる。この度、琴葉に愛を叫んだ。
嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。美しすぎる三十路。蝶屋敷の近くに家を借り、通いで看護の手伝いをしている。童磨のために人形サイズの着替えを作るのが趣味。胸元に隠れた童磨が悪戯(やましさ皆無)する度に着物越しにぺしぺし叩くが、周りは変った癖だと思っている。愛の告白をされて声もなく泣いてしまった。
嘴平伊之助
お母さん似な獰猛系美少年。13歳。母親と義父と幸せに暮らしている。食物連鎖と弱肉強食こそ世の理と考えているスーパードライ系ウリ坊。ただし両親にはウェット。初めて一人で仕留めた動物(猪)の頭を記念に被り物に加工した。童磨が戦闘指導をしており大変強い。小太刀二刀流。この度山の王になり、鬼殺隊入隊の意思を固めた。