三千大千世界を駆ける   作:アマエ

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タイトル=今度はきっと離さない

番外編。幼子の邂逅、あるいは滅びを呼ぶ恋。

※本作完結後の琴葉が原作童磨の幼少期にデイトリップする単発番外編。




#??? Embrace Me, Beautiful Dreamer

師走も後半に差し掛かり、嘴平家には相談納めとばかりに連日高級車が乗り付けていた。一人大臣を送り出し、待ち構えていた隣県の知事を迎え入れる。にこにこと壮年の紳士を案内した琴葉は、夫の労いを受けてからそっと襖を閉じて踵を返した。

 

(立派な鮭をいただいたわ。明日はお鍋にしようかしら)

 

受け取ったばかりのお歳暮を思って琴葉の頬がふわりと緩む。そうすると柔和な美貌が極まって、見るものがないことが惜しいほどだ。それほどに、椿柄の着物に白橡の帯を締め、濃茶の羽織をまとった彼女は美しかった。

 

(お茶請けは童磨さんが好きな干菓子ね)

 

客人に茶を出すために厨に向かう。冷えた床板にひたひたと音を立てて歩いた先には、彼女に良く似た息子がいた。

 

「あら、伊之助」

 

「母ちゃん、これ棚に入らねえから、切って近所におすそわけでいいか?」

 

「明日はお鍋にするから、半分ぐらいね」

 

「わかった。あと、そこの鰤を子分どもに貰った。春に卒業する奴らから、世話になった礼だとよ」

 

腕ほどもある大きさの鮭を軽々片手で持った伊之助が、もう片手で脇に置かれた同じぐらいの大きさの鰤を指差す。琴葉は、まあとはしゃいだ風に息子に並んだ。

 

「こっちも凄いお魚! 今夜はお刺身にしましょう」

 

「切り分けはまかせとけ」

 

「うん、お願いね」

 

伊之助が手早くたすきをかけて包丁を手に取る。いつも真剣を握っている手が危なげなく肉厚の魚を解体していくのを横目に、琴葉も高級茶葉と煎茶碗を用意する。

 

ガラス窓の向こうは真白の冬景色だ。二人分の茶と色とりどりの菓子を盆にのせて奥の間に向かう途中、何気に見つめた庭先で戯れるセキレイの番に足が止まる。仲良しねえ、と微笑んだ琴葉は一歩を踏み出し、そして。

 

死角になっていた足元の湿り気により、盛大にひっくり返ったのだった。

 

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

 

懐かしい香りがする。

 

息が重たいほどの乳香の香りは、寺院にいた頃に童磨が纏っていたものだ。教祖の間に昼夜焚かれていたそれは美しい彼によく似合っていたけれど、同時に触れがたいような、人間離れした風にも見せていた。しかし、琴葉と伊之助と長く暮らすようになり、肌が敏感な伊之助が香の煙を嫌がるようになると、その香りは徐々に薄れていった。

 

仰向けに横たわっていた格好から体を横に向けて小さく呻く。琴葉がころりと動いた途端、側で誰かが小さく息を呑んだ。

 

それに応えるように細目を開けた彼女は、目の前に屈んでいた相手を見るなり一気に覚醒した。

 

「えっ、ええと、童磨さん?」

 

とろりとした声でそう呼ばれた相手ーー白橡の短いくせっ毛に虹の瞳の子供は、驚く様子もなく完璧な笑顔を浮かべた。

 

「そうだよ、俺の名前は童磨。こんなところに倒れているなんて、どこか体が悪いのかい? ああ、無理をしないでおくれ」

 

「あ、ありがとう。大丈夫よ。あの……童磨さん、どうしてそんなに小さいの?」

 

しゃがんだ子供と体を起こした琴葉の視線が交差する。童磨は小さな頭に布冠をかぶり、飾帯がついた法衣を身に着けていた。琴葉がよく見慣れた、万世極楽教の教祖としての正装だ。しかし、十歳にも満たない幼い姿は初めて目にするものだった。

 

琴葉が思わずこぼした言葉に、小さな童磨はぴくりと眉をあげた。

 

「ははっ、これでも日々成長しているのだけど、大人から見たら小さいよね」

 

笑いながら立ち上がった子供の後ろには、これまた見慣れた高座がある。ここは万世極楽教の寺院の中、思い出深い教祖の間だ。

 

きょろきょろしている女をどう思ったのか、童磨は高座にゆったりと座し、穏やかな様子で首をかしげた。

 

「よければ名前を教えておくれ。君は俺を知っているようだけど、うちの信者じゃあないでしょう」

 

人々の相談を聞くときと同じ、耳に心地よい口調で問われ、素直にうなずく。

 

「私は琴葉。嘴平琴葉です。童磨さんの奥さんで、あっ、童磨さんは子供だから、まだ奥さんじゃないのね。ええっと、難しいわ」

 

琴葉は頭の回転が早いほうではない。優しく気が長い童磨はいつだって彼女の要領を得ない説明を待ってくれるし、似たような思考回路をもつ伊之助はつながらない話の欠片をつなげて察してくれる。しかし初対面の相手と長話をすると、どうしても論理的に会話を続けることができないのだ。

 

「お客様に出すお茶を運んでいたら転んでしまって、庭先に可愛い鳥がいたから、それで、どうしましょう……どうしてここにいるのかも、童磨さんが小さいのかも、わからないわ。頭をぶつけたからかしら」

 

頬に手をあてて眉を下げる彼女に、法衣姿の子供はにこりと笑って言った。

 

「焦らなくてもいいよ。君は俺の奥さんだと思っているんだね。興味深い。そうだ、初対面のときのことを話しておくれ。いつ、どんな風に出会ったのかな」

 

琴葉、と高い子供の声が名前を呼ぶ。その抑揚が夫のものとまったく同じであることに、反射的に肩から力が抜けていった。こんな可愛らしい姿であっても、童磨は童磨だ。初めて出会った頃の、薄氷を隔てたような距離感を寂しく感じたとしても、琴葉にとっての真実は揺るがないのだ。

 

弱った風に座り込んでいた体をしゃんとさせ、幼い童磨と目を合わせる。微笑みをたたえたまま待っている姿は、やはり優しい夫と同じものだった。

 

「私がはじめて童磨さんに会ったのは、雪が降っていた夜。前の夫が伊之助に酷いことをしたから、あの子を抱いて逃げたの。あのままじゃあ、伊之助まで叩かれると思って怖かった。それで山の中を走っていたら童磨さんの寺院にたどり着いたのよ」

 

「それは大変だったね、可哀想に。伊之助というのは琴葉の子供?」

 

「そう、伊之助は私たちの宝物なの。強くて優しくて自慢の息子です」

 

「良い子なんだねえ。うんうん、続けて」

 

「ええと、童磨さんも信者のみなさんもとても優しくて、私と伊之助を助けてくれたわ。童磨さんは一番優しくて、私達をおそばに置いてくれたの。毎晩たくさんお話して、お庭を散歩したり、伊之助と遊んだり。菖蒲のお風呂に入った後に貴方が伊之助のお父さんになってくれて、私達は家族になったんです」

 

とりとめなく話しているうちに思い出が募って表情に現れる。琴葉の花のかんばせが輝かんばかりの幸せを浮かべるのに、相手の虹の瞳が眇められた。

 

「ふうん。君も俺に救われたの?」

 

よく整った子供の笑顔は揺るがない。二人の声以外はしんと静まった室内で、燭台の炎がゆらぐ音が鮮明だった。

 

「はいっ。童磨さんにはたくさん助けてもらったわ。私と伊之助の恩人で大好きな人。だからね、貴方も救われたって、私が貴方の心を助けたって言ってくれたのが、とても嬉しかった」

 

琴葉の白い両手が胸元で重なり、感極まった唇を震わせながら「本当に嬉しかったの」と繰り返す。夫が迦陵頻伽のようだと褒め称えた美声が、柔らかく空気を震わせた。

 

幼い童磨はその様子をじっと見つめていた。上がっていた口角から力が抜け、無表情になっても目の前の女から視線を動かさなかった。しかし濡れた眦を拭った琴葉が気づく前に、再び笑みをかたどっていた。

 

「それはよかった。ねえ、俺は何歳のときに君に出会ったのかな」

 

「確か、120歳ぐらいって言っていたわ」

 

無邪気そうな問いかけに、琴葉もにこにこと応じる。その後の凍りついた沈黙は、子供がさらに話を聞きたがり、彼女を高座へと招いたことで過ぎていった。

 

 

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

 

 

遠くから呼ぶ声が聞こえる。

 

小さな白橡の頭を膝にのせて撫でているうちに、うとうとしてしまったようだ。童磨は子供の姿でも話し上手で聞き上手だった。琴葉がひとつ話せば十を察し、思考のつじつまがわからなくなって言葉に詰まるたびに助け舟まで出してくれる聡明さ。虹の瞳がきらきらと楽しげに光るのが嬉しくて、琴葉も時間を忘れて思い出話に浸っていたのだ。

 

「んん……」

 

「琴葉、目が覚めてよかった。気分はどうだい?」

 

覚醒するにつれ後頭部が痛んで、思わず呻く。布団の上で琴葉が眉を寄せていると、すぐ側から穏やかな声がかけられた。長年聞き慣れた夫の声だ。

 

「童磨さん?」

 

「ああ、起き上がらないで。頭を打っているから安静にしていておくれ」

 

「はい……」

 

乱れた黒髪を顔から払ってくれる大きな手にすり寄れば、布団際に座った童磨は愛おしげに目を細めて琴葉の頬を撫でた。

 

「廊下から騒音がしたから、どうしたかと思ったら、伊之助の大声が聞こえてびっくりしたぜ」

 

「私、転んじゃったのね」

 

「茶碗の破片で怪我をしなくてよかった。大きなたんこぶはできたけど」

 

童磨はずっとつきっきりでいたのか、来客用の上等な羽織にかすれ十字の長着姿だ。客はどうしたのかと問えば、早々に返したとの答え。続く来客の予定もすべて断ったという夫に、琴葉は申し訳ないと囁いたが、君のことが最優先だと返された。

 

「伊之助は?」

 

「お医者を担いで連れてきてくれた後は、客に断りをいれるのに玄関近くに陣取ってくれてるよ」

 

「まあ、お医者様まで呼んでくれたの」

 

「勿論さ。頭の傷を甘く見ちゃあいけないぜ、琴葉」

 

にこにこと琴葉の髪を撫でつづける童磨に、夢の中の子供が重なる。笑顔が似合う端正な顔立ちは同じで、しかしそこにある熱量の差に彼の成長があった。どちらも愛おしい、琴葉の自慢の夫だ。

 

「あのね、童磨さん。素敵な夢を見たの」

 

「へえ、どんな夢か話してくれるかい?」

 

身を乗り出す童磨の肩口からリボンでまとめられた髪が溢れる。ぴんと跳ねたくせっ毛に手を伸ばして指先で遊ばせながら、琴葉は咲くように笑った。鈍い痛みさえ忘れて語った夢うつつの話が、穏やかな相槌とともに、冷えた空気に広がっていった。

 

 

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

 

 

ぱち、と音がしそうな動作で目を開いた子供は、自らの頭が柔らかな女の腿に乗っていないことを自覚するなり体を起こした。法衣の裾に手を滑らせながら室内を見回す。豊かな黒髪と大粒の翡翠の瞳の女はどこにもいなかった。

 

「あーあ、帰ってしまったかあ」

 

平坦な声が教祖の間に響く。童磨は高座に一人で座り、行儀悪く片膝を立ててそこに顎を休めた。

 

就寝前の瞑想の時間に、どさりと倒れる音とともに現れた女は嘴平琴葉と名乗った。昨年自殺した童磨の母と同じぐらいの年頃に見えた彼女は、しかし比べ物にならないほど容姿に優れ、比較することすらおこがましいほど美しい心の持ち主であった。ほんの一言二言交わしただけでわかるほど、童磨からすると不気味ともいえる善性をもつ女だった。

 

(頭がおかしい信者が押しかけてきたのかと思ったけど、すぐに追い出さなくてよかった)

 

童磨がいつも信者らにするように話を促せば、琴葉は自分が童磨の妻であると言い出した。自ら口にしておいて混乱する様は、いい年をした大人だというのに可愛らしくて、毒気を抜かれたものだ。

 

(可愛い人だったなあ)

 

頭が悪くて哀れな女を救ってやろうと話を聞いたはずが、逆に彼女の春の陽のような気配に惹かれて聞き入ってしまった。心が綺麗な人がそばにいると心地よいということを、彼女に教えられたのだ。

 

「二十歳で鬼になれば、夢じゃなかったと証明される。そうしたら、琴葉に会える」

 

琴葉は嘘をつける人間ではなく、あんな壮大な作り話ができるような頭も持ち合わせていなかった。その彼女が、童磨が人喰い鬼になって百年以上生きてから出会うというのなら、それが真実なのだろう。であるならば、不老不死の教祖として万世極楽教に君臨し続け、日常的に『食事』をするお膳立てが必要になる。童磨の頭脳は、すでにいくつかの算段を立てはじめていた。

 

すべては、強い鬼となって琴葉を彼女の子供ごと囲うため。琴葉が語った三人の穏やかな日々を、彼女の寿命が尽きるまで共に過ごすために必要なことであった。

 

「やることが山積みで困ってしまうよ」

 

張りつけた笑みで弧を描いた口元に牙はない。いずれ鬼となる子供は、垣間見た夢幻へとその手を伸ばし、声もなく嗤った。

 

 




【登場人物紹介】

童磨
元十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛を知って世界が広がった人間性初心者。家族連れの逃れ者ライフの終りを迎え、晴れて人間として家族と新天地で暮らしている。しかして、今回はそんなことは百年以上先のショタとして琴葉に出会った。両親の喪が開けたばかりの、いずれ上弦の鬼となる約束されしサイコパス教祖。心が美しい人に初恋を奪われ、彼女を万全に囲い込むべく鬼になる日を待っている。

嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。師走の知事・大臣級来客ラッシュでてんてこまいだが、美味しいいただきものにはしゃいでしまう可愛い奥さん。すべって転んだら目の前に子供な旦那様がいてびっくりした。未来のネタバレをしまくった無自覚犯にして、十年以上かけて強い鬼になる準備をした童磨が原作より凶悪化するルートを開いてしまった戦犯。

嘴平伊之助
お母さん似な獰猛系美青年。日々陸軍学校の生徒たちを竹刀でぶちのめしている美しすぎる剣術講師。生徒=子分たちからはとても慕われている。廊下で目を回している母親を発見し、大声で養父を召喚してから診療所へとダッシュした。年配の医師を俵担ぎして運んだのをご近所に目撃されている。

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