タイトル=さらそうじゅのちりぎわ
花柱の引退、あるいは不穏な空気。
花柱・胡蝶カナエの負傷と引退の知らせは、瞬く間に鬼殺隊の末端まで伝えられた。詳細は柱以上にのみ共有されたが、その内容は両ひざ下を失ったうら若い女性への気遣いより困惑と一部からの侮蔑をもたらすものだった。
「柱が下弦でさえない鬼に不覚を取っただと?」
「まさか鬼に情けでもかけやがったか」
「胡蝶の実力は確かだ」
臨時の柱合会議に集まった柱三名が本部の庭先で言葉を交わす。胡蝶カナエと同期の柱である宇髄天元とつい数か月前に風柱となった不死川実弥は厳しい表情だ。対して、冨岡義勇は何を考えているのか伺えない顔で淡々と言葉を返した。
彼らから少し離れた場所に佇む小柄な少女は、その物言いを耳にしてブルブルと震えている。けして怯えや緊張からではない、怒りの武者震いだ。三人の柱は当然気付いていたが、あえて彼女の存在を無視していた。
「お館様のお成りです」
屋敷の中から幼い声が告げるなり、庭先の四人は膝をついて頭を下げる。するすると襖が開く音に柔らかい足音が続き、縁側近くまでやってきた男が足を止めた。
「お早う皆。今日は急な招集にかかわらず駆けつけてくれて嬉しいよ」
「お館様におかれましてもご健勝をお慶び申し上げます。益々のご多幸を心よりお祈り申し上げます」
天元の挨拶に、産屋敷一族の長・産屋敷耀哉は病に侵食された美貌を緩めて頷いた。
「ありがとう、天元。さて、皆を呼んだのはほかでもないカナエと彼女が遭遇した鬼について話しておくためだ。しのぶ、昨日の今日のことで辛いと思うけれど、彼らに詳しく話してくれるかな」
「はい、お館様」
深く頭を下げていた少女、胡蝶しのぶがゆっくりと顔をあげる。姉によく似た可憐な顔立ちの娘だが、薄紫の瞳は爛々と輝いており、白皙に紅挿す激情はこの場にあって物怖じしていなかった。
「私は胡蝶しのぶ、花柱・胡蝶カナエの継子です。階級は丁。昨晩の花柱の任務に同行しておりました」
鈴のような声が務めて淡々と語る。しのぶの視線は耀哉に注がれているようでいて、その実、悠然と遠ざかっていった白橡の長髪と広い背中を幻視していた。
「夜な夜な若い女性を攫って喰っていた鬼を探すため二手に分かれ、午前4時過ぎに姉、カナエの鎹鴉が鬼を退治したと伝えてきました。任務完了したと思い合流場所に向かったのですが、姉は現れず、5分も経たないうちに少し離れた路地から悲鳴が聞こえ……」
しのぶの平坦な声が一度だけ割れて揺らいだが、そこで止まることはなかった。
「私がたどり着いた時には、一面の地面が凍りついており、姉は膝から下を凍らされ砕かれておりました。あれは鬼の血鬼術に間違いありません。鬼の姿は、路地の暗がりに消える後ろ姿しか見えませんでしたが、背格好は覚えております。身の丈六尺かそれ以上、肩幅が広く手足が長い男でした。白みがかった薄茶の髪が腰まで伸びていて、特徴的な跳ね方をするくせ毛。今朝、姉の意識が戻った際に聞いたところ、その鬼は若い男の姿をしており、物腰は親し気。髪の頭頂部のみ血を被ったような赤色で、柔らかく端正な顔立ちに虹色の瞳をしていたとのことです。瞳に文字はなく、十二鬼月ではないだろうと申しておりました。その実力は……柱である姉を容易くあしらい、殺気もない内に術中に貶めるほど。血鬼術、速度、膂力のいずれも下弦の域を超えていたと」
一気に語ったしのぶが黙ると、しんと沈黙が落ちる。それぞれ思案する気配の中、耀哉は穏やかな笑みを称えたまま少女を労った。
「詳しく話してくれて助かるよ、しのぶ。カナエの容体はどうかな?」
「両膝から下を欠損したため、もう戦うことはできませんが、命に別状はありません。傷口まで凍結して出血死の危険性がなかったことが不幸中の幸いでした。今は痛み止めや化膿止めの副作用で眠ってばかりですが、じきに回復に向かうでしょう」
「それは、本当に不幸中の幸いだね。カナエには、何も心配せず養生するよう伝えておくれ」
「……っ、ご恩情に心より感謝申し上げます」
平伏するしのぶの背中は小さい。大柄な柱たちの横に並んでいるため、余計にそう見えていた。耀哉はそんな少女の姿に慈しみをこめた目を細め、優しく告げた。
「もう下がっていいよ。看病中に呼び出してしまってごめんね」
「いいえ、一秒でも速くあの鬼を討伐できるなら何も惜しみません。微力ながら、私にできることがあれば、何なりとお申しつけください」
「ありがとう、しのぶ」
最後まで瞳をぎらぎらさせていた少女剣士が一礼して去っていく。まだ未熟ではあるが、その気迫は柱たちが口を挟むことをためらうほどのものだった。非力そうな少女が、いずれは自分たちと肩を並べるかもしれない。そんな期待を抱かせるほどに。
「皆、しのぶの話を聞いてどう思ったかな。まずは憶測でもいいので、知恵を寄せ合おうか」
ゆったりした口調で耀哉がそう言えば、庭先から冷静な分析がいくつも飛び交い、氷使いの鬼に関する仮説と疑問が象られていく。柱が手も足も出ないほどの鬼が何故十二鬼月ではないのか。胡蝶カナエを殺さなかったのは何故か。その鬼は花柱の担当地域内に縄張りがあるのか、それとも放浪しているのか。
新たな強敵への殺意がみなぎる中、産屋敷の当主だけが穏やかな笑みの下で欠けた月へと思いを馳せていたのだった。
* * *
琴葉の手伝いでもしようと昼下がりの蝶屋敷にやってきた伊之助は、屋敷を包む刺々しい空気に柳眉を寄せた。怪我人が日々運び込まれる場所であるため、緊張感や悲壮感が漂うことはままある。しかし、今日のように悲しみに殺気や怒気が入り混じるのは初めてだ。
誰も玄関近くにはいなかったので、勝手知ったる屋敷へと踏み込む。伊之助はまだ鬼殺隊士ではないが、母子ともに隊との付き合いは長い。途中で幼い看護婦たちが泣いているのを見つけて近づけば、彼女らは伊之助を認めるなりさらに涙をこぼした。
「てめぇら、どうして泣いてやがる。カナエかしのぶが怪我でもしたのか?」
「ぐすっ、いのすけさぁん……カナエ様が、カナエ様がぁ」
「さ、昨晩の任務で大怪我をされて、ヒック、うぇっ」
「もう戦えないって、ううっ」
口々に言う子供たちの説明をつなぎあわせれば、なんとなく理解できた。屋敷を取り巻く殺気と怒気はしのぶのものだ。露出した上半身をぴりぴりと刺す害意はカナエを傷つけた鬼に向けられているのだろう。
「しのぶはどこだ? 母ちゃんは?」
「しのぶ様はカナエ様のところ、この奥の集中治療用のお部屋です。琴葉さんは通常の看護にあたられてます」
「わかった。俺は母ちゃんを手伝ってくっから、てめぇらは少し休んでろ」
「あのっ」
小さな手が伊之助のズボンの布を掴む。翡翠の目を向ければ、小動物のような子供の一人が涙で濡れた顔で見上げてきていた。
「しのぶ様のところには行かれないんですか?」
「今日は行かねぇ。気が立ってて触られたくねぇ気配がしてるからな」
胡蝶しのぶは蝶のように可憐な少女だが、その中身は優しくも雀蜂のような猛々しさをもつ戦士だ。その彼女が全身から威嚇の気を発しているなら、近づかないのがお互いのため。山の獣に対するように冷静に判断して、伊之助は隊士らが寝かされている病室の方へと足を向けた。
(カナエは柱で、しのぶより強ぇ。それが大怪我で再起不能だと? 十二鬼月とかいう鬼が出たのか)
伊之助の麗しのかんばせがどんどん険しくなり、病室の戸に手をかけたところでピタリと動きが止まる。この先には琴葉と彼女の胸元に隠れた童磨がいる。そう考えた途端、ろくでもない想像と共に、半日ほど前の出来事を思い出したのだ。
* * *
童磨が嘴平親子が就寝する頃に出かけて明け方前に戻ってくるのは、いつものこと。彼は空腹を誤魔化す程度の食事しかしないが、鬼とて生物なので、本来は数日おきの食事が必要だ。どう頑張っても二週間で空腹が臨界点に達するとは本人の言。腹が減ると琴葉が美味しそうに見えて困ると笑って告げられても、伊之助は養父の割れた腹目掛けて突っ込みをいれることしかできなかった。
かくして昨晩、十日ぶりの食事に出かけた鬼は明け方より少し前に帰宅した。琴葉は熟睡していて身じろぎもしなかったが、伊之助は小さくなった童磨が壁の穴から入ってくる前から、その気配を肌で感じていた。母と並んで敷いた布団に転がったまま顔だけ向ければ、みるみる元の大きさに戻る姿が目に入る。童磨は体内に収納してあった着替えを器用に着込み、心ここにあらずといった様子で琴葉の布団までやってきて、かけ布団の中にもぐりこんだ。
「父ちゃん」
声を潜めて呼びかけても、琴葉を抱き込んで収まりが良い体勢になることに夢中なのか、もぞもぞと動く白橡の頭から返答はない。やっと満足いく格好になったのか、細い首筋に鼻先を埋めて、何度も深呼吸する姿に違和感を感じる。
「父ちゃん?」
「ああ、ただいま、伊之助」
「おかえり」
窓から少し月明りが入るだけの室内で、虹色の双眸がいやに浮かび上がって見えた。童磨の瞳には、鬼の特徴である爬虫類めいた瞳孔やこめかみの血管の浮き上がりが伺えない。これは伊之助が物心ついたころから変わらず、髪の色や爪の形のように人間に擬態しているわけでもない。彼は、この養父の目が母と己から外れるなり綺麗な石ころと化すことを知っている。それが、今は確かな温度をもって向けられていた。
「ちゃんと寝ないと駄目だぜ。人間は十分寝ないと長生きできないからなあ」
「……何かあったのかよ」
伊之助の問いかけに、童磨はうーんと小さく唸って布団の下でもぞもぞと腕を動かしはじめた。良いにつけ悪しきにつけ、何かしら気持ちが揺さぶられると琴葉に触れるのが童磨の癖だ。絶対的強者であるはずの彼は、感情というものが得意ではない。子供の頃からあった違和感は、寺院から出て外の世界の人々と関わるようになって明確に見えてきていた。
女性らしい柔らかな腹を撫でているのか、鬼の優しげな顔がさらにとろりと緩む。それで落ち着いたのか、小声で答えがあった。
「鬼殺隊の女の子に嫌なことを言われた」
「おう」
「可愛くて優しい子だったけど、あの、なんだろう、哀れみかな? それがとても不快だったから返り討ちにしたんだ」
「喰ったってことか」
「まさか! あんな子を食べるなんて冗談じゃないぜ」
ふんすと鼻息荒く言っているのは全て見せかけだ。童磨の中にある不快感は、おそらく表面に見せているような子供らしいものではない。眠る母親を放さない様子に、伊之助は自らの白い腕も童磨の方に伸ばした。
「父ちゃん、手握っていいぞ。腹とか胸とかぐるぐるして気持ち悪ぃだろ」
「はて、どうしてわかったんだい?」
「俺、もう少し寝る。おやすみ」
伸ばした手にぎゅっと長い指が絡められるのと同時に目を閉じる。おーいと腕を引っ張る童磨がしばらくうるさかったが、それも琴葉が身じろぐとなくなり、それぞれの息遣いと虫の鳴き声だけが残った。
(どこのどいつか知らねぇが、父ちゃんを怒らせて生きてるなら運がいいぜ)
まどろむ直前、この時は確かにそう思ったのだ。伊之助が数奇でろくでもない巡りあわせを知るのは、この半日後のこと。蝶屋敷をつつむ憤怒と慟哭に肌を刺された後のことだった。
【登場人物紹介】
童磨
元十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛を知って世界が広がった人間性初心者。家族連れの逃れ者ライフは6年目。胡蝶カナエに心から哀れまれ、本人も気づかずに怒髪天をついた。嘴平親子と楽しく(幸せに)暮らしているのを可哀想だと下に見られたのが許せなかった模様。こういった衝動に戸惑う度、琴葉をぎゅっぎゅっしたくてたまらなくなる困った120歳児。
嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。出勤したら蝶屋敷がとんでもない空気に包まれていたので、事情を聞いて、ひとまずこの日の通常業務を引き受けた。包帯を巻くのは上手。ただし難しいことはできないため、ロリっ子看護トリオが復活するまで、痛がる患者に子守唄を歌って誤魔化していた。下手な痛み止めより利いたというのは、隊士Aの証言。なお、眠っている描写がやたらと多いのは、感情や人間味が原作童磨にとって夢幻だったことに繋げてます(ひそひそ)
嘴平伊之助
お母さん似な獰猛系美少年。13歳。弱肉強食を世の真理としているスーパードライなうり坊。しかし両親にはウェット。とんでもないことに勘付いてしまった。なお、琴葉よりも正しく童磨のことを理解しているが、童磨により必要なのは彼女だとも知っている。怒れるしのぶに近づかなかったのは、八つ当たりを相手のために受け入れる性分ではないため。神回避。
胡蝶しのぶ
花柱の妹にして継子の中級隊士。おこりんぼな16歳。最愛の姉が鬼に再起不能にされたため、鬼殺ゲージがMAX点滅してしまった。柱合会議ではどうにか冷静に話せたが、カナエの寝台脇に戻ってくるなり屋敷全体をつつむほどの怒気を発したアヴェンジャー。もし伊之助が顔を見せて下手な慰めを言ったものなら、八つ当たりで爆発したこと間違いない。