三千大千世界を駆ける   作:アマエ

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タイトル=ふげんへのきろにたつ

寺院暮らしの日々、あるいは家族になる前日話。




#2.5 不還への岐路に立つ

 

 

昨晩救った女は、髪質が琴葉に似ていた。切れ長の目の狐顔は真逆の部類の美しさだが、豊かな長い黒髪だけは、お気に入りの可愛い娘にそっくりだった。

 

「うんうん、綺麗な良い髪だ」

 

童磨は新しい生首を牡丹柄の壺に活け、床に広がる黒絹に目を細める。しかし数秒もすれば端正な顔は表情を失い、ぞんざいに髪を集めて纏めるなり、その壺を棚の適当な場所に置いた。すでにこの女は現世から解き放たれたのだ。辛い人生は童磨の糧として終わり、その命は燃料として永遠に彼の内にあり続ける。であれば、残った頭部は救済の記録と棚を飾るための装飾でしかなかった。

 

(この部屋も手狭になってきたなあ。もっと棚を入れるには増築しないとだめか)

 

施錠された回廊の先にあるこの部屋は童磨しか立ち入らない。流石に鬼であることも救済を兼ねて人を喰うことも信者らには伏せているため、ここに関しては自力でどうにかするしかないのだ。

 

綺麗に並んだ棚を彩る上弦の伍作の壺と活けられた頭蓋の数々をぐるりと見まわし、童磨は特大のため息を吐き出した。お気に入りの娘こと嘴平琴葉がここにいたなら「幸せが逃げちゃいます」と唇にてのひらを押し当てたことだろう。

 

(手狭といえば、これもそろそろ新しい入れ物が必要か)

 

琴葉の顔が浮かんだことで、懐に入れたものの存在に気を留め、指でつまんで目の前にかざす。つやつやとしたどんぐりを灯りにあて、光を弾く様子に目を眇める。先ほど活けた女の首よりよほど長い間、童磨はちいさな贈り物を指の間で転がして観察していた。

 

「うん、実に端正などんぐりだ。伊之助のお見立ても日々上達してるなあ。感心、感心」

 

優しげな微笑。穏やかな声。柔らかな気配。いずれも童磨が常に纏っているものだが、特定の条件付きで人の目がない時でも労なくできるようになったのは最近のことだった。

 

「これを、こうやって、よーし」

 

丁寧に乾いた冷気を纏わせれば、どんぐりは見目をそのままに凍結し、保存に適した状態となる。この一粒の行先は、童磨が特に気に入った首を置いている棚の真ん中を陣取っている舶来のガラス瓶だ。

 

ころりと新たな木の実を瓶にいれて栓をする。もうじきいっぱいになる容器を見つめる横顔は、宝物を愛でる子供のそれに似ていた。

 

 

 

* * *

 

 

 

「琴葉、こんなところでどうしたの?」

 

「きゃっ……」

 

夕暮れも過ぎた薄暗がりの寺院の庭で華奢な背中を見つけた童磨は、彼女ー嘴平琴葉の耳元に声をかけた。片目を失明している相手の死角から近づいたのは意識したわけでない。しかし、いきなり背後に立たれた琴葉は小さく悲鳴をあげ、心臓の上に両手をあててうずくまった。

 

「わあ、驚きすぎだぜ!」

 

「童磨さん、しっ、心臓が口からまろびでるかとっ」

 

「それは大変だ。琴葉の心臓にはまだ何十年も働いてもらわないと困る」

 

「そういう話じゃないの、もうっ」

 

全く凄みがない抗議にニコニコと笑顔を浮かべ、改めて問いかける。

 

「それで、何してるんだい?」

 

「伊之助を探しているの。もうお夕飯なのに部屋に戻ってこないから」

 

「ああ、伊之助ならあそこだよ。ほら、蛇が蛙を喰ってる様子に夢中だ」

 

元より琴葉だけでなく伊之助の位置も把握していた童磨が指させば、琴葉はホッとした顔で目を凝らす。彼女の視力ではしゃがんだ子供の輪郭しかわからない距離だ。けれど童磨の目には、伊之助が熱心に見つめる先でアオダイショウが大きな蛙を半分ほど飲みこみ、まだ生きている蛙の足がビクビクと震える様まで見えていた。

 

琴葉が我が子の方へと歩き出すのに童磨も続き、彼女とともに子供の横に屈む。

 

「伊之助、もうお夕飯の時間よ。お部屋にいきましょう」

 

「熱心に見てるなあ。蛇の食事を見るのは初めてかい?」

 

「母ちゃん、どーまさま。こいつらおもしろいんだぜ。さっきまでけんかしてたのに、もうすぐひとつだ。なかなおりしたのか?」

 

大きな翡翠の瞳も整った面(かんばせ)も母親そっくりな幼児が笑う。その様子に、童磨はなるほどなあと同じ笑顔で返してやった。

 

「伊之助、あのね、この蛇は蛙をつかまえて食べているのよ」

 

「こんなうごいてるのをたべてるのか?」

 

「そうなの。蛇はこうやってご飯を丸のみにするのよ。食べられた蛙は死んでしまうけど、蛇が生きていくための力になる。伊之助もご飯を食べると元気いっぱいになるでしょう? それはご飯になったお魚やお野菜の命が伊之助の力になっているからなのよ」

 

「うん、てんぷらたべるとげんきになる。てんぷらのいのちすげえな!」

 

「天麩羅じゃなくて、その材料の茸や山菜の命さ、伊之助」

 

琴葉の精いっぱいの説明を、伊之助は半分も理解できていないだろう。生存のための争いも、蛙は負けたから死ぬことも、そも死という概念さえ、四つの子どもはまだ知らないのだ。俺はわかってたけどなあ、と童磨は只人への哀れみをもって小さな頭を撫でた。

 

「こうやって強い者が弱い者を食べることを弱肉強食っていうんだぜ。虫が葉っぱを食べたり、鳥が虫を食べたり、獣が鳥を食べたり、全ての生き物は食うか食われるかの関係があって、人もけして例外じゃあない。弱いと喰われちゃうからな、伊之助は強い男に育っておくれよ?」

 

「じゃくにく、きょうしょく……かっこいい。おれもいっぱいくったらどーまさまみたいにつよくなる?」

 

「そうだなあ」

 

すでに蛙は足先まで呑まれ、アオダイショウはその食事を終えようとしている。童磨はきらきらした瞳の子供を片腕に抱きあげ、もう片手を琴葉のそれと繋いで寺院のほうへと促した。

 

「みんなの尊い命を現世の苦境から解き放ち、永遠の幸せに導くのが、教祖である俺の使命。伊之助が俺みたいになるのは無理だけど、お前なりに強くなりなさい」

 

「伊之助は、きっと強くて優しい大人になるわ。童磨さんとは違う方法でも、たくさんの人を幸せにできる素敵な大人に」

 

柔和な目元を緩めた琴葉がそう言えば、伊之助も大きな声で「ぜってえなる!」と答える。そのやりとりがおかしくて、顔が勝手に笑みの形になるのを止められない。すっかり暗くなった庭を目が悪い琴葉の足取りにあわせて進みながら、童磨は食べもしない夕飯の献立について相槌をうっていた。

 

 

 

* * *

 

 

 

「本当に、いいの?」

 

気遣わしげな琴葉にそう訊ねられたのは、先日5歳になった伊之助のために端午の節句を祝った、その夜のことだった。教祖のお気に入りの子供のために山のようなご馳走が用意され、立派なこいのぼりが寺院の庭を彩ったその日、伊之助は大変ご機嫌で、琴葉の手を引いて童磨について回っていた。天麩羅をたらふく平らげた後、童磨にねだって菖蒲の葉が浮かんだ風呂に一緒に入り、ゆびきりげんまんとこいのぼりの歌を混ぜて歌った挙句、彼のことを父と呼びたがった。特に拒否する理由がなかったため止めないでいたら、風呂からあがる頃にはすっかり定着していたのだ。

 

「うん? 呼び方のことかな」

 

自分の腿を枕にして丸まった子供の頭を撫でながら、童磨は首を傾げた。

 

「童磨さんは、伊之助をとても大事にしてくれるけど、この子のお父さんじゃないわ。私たち、貴方から貰ってばかりで何も返せていないのに、これ以上何かをねだったらバチが当たります」

 

琴葉が気にするのも無理はない。童磨は外見上まだ若くて未婚、そのうえ万世極楽教を率いる教祖だ。数百名の信者に神の子と崇められ、琴葉の目から見て大変立派にその務めを果たしている、完全無欠の若者だ。神秘的な色合いの美貌はともすれば近寄り難く、それでいてよく笑い、気さくに信者たちに接する素晴らしい人物。そんな彼が、嫁ぎ先で暴力を受けて逃げてきた女の連れ子、つまり赤の他人に「父ちゃん」と呼ばれることは、あまりにもそぐわないのだ。

 

「俺が二人に此処にいてくれって言ったんじゃないか。琴葉の傍は心地が良い。伊之助は見てるだけで楽しい。本当だぜ?」

 

「それと、お父さんになるのは違う話だわ」

 

「同じことさ。俺の息子になれば、伊之助は何も気兼ねなく此処にいられる。琴葉だって、肩身が狭いのなら俺のお嫁さんに」

 

「童磨さん!」

 

迦陵頻伽のごとく綺麗な声は、初めて聞く厳しい響きをもっていた。呆れるほど善良な女が怒っている。童磨はぱちくりと二度瞬き、母親の大声にも起きない伊之助を片手で撫で続けていた。

 

「わあ、吃驚した。いきなり怒らないでおくれよ」

 

「……ごめんなさい。でも、そういうことは言わないで。私、童磨さんのことが大好きよ。感謝してもしきれない、とっても尊い人だと思っているわ。貴方は高い所から世界を見ていて、私にはわからないことがたくさんあるけれど、貴方が私や伊之助、信者の皆さんを救おうとしてくれているのはわかるの」

 

「うん、ありがとう」

 

とりあえず褒められたので礼を口にした。胸の奥がざわめいて、滑りに沈んだような不快感があったが、それも琴葉の寂しそうな顔の前では後回しだ。童磨が触れたがりの手を伸ばせば、彼女は少し竦んで、けれど頬を撫でる指から逃げはしなかった。

 

「どうしたの、琴葉。なんでも話してごらん」

 

「貴方は遠いわ。大事にしてくれるのに、私は何もしてあげられない。童磨さんがどうしたら喜んでくれるのか、わからないの。貴方のお傍は幸せよ。とても幸せなのに、貴方は遠くてっ」

 

童磨の指を涙が濡らし、ぽろぽろと零れるほどに指から手首まで伝う。泣いてしまった琴葉を胸元に寄せても嗚咽は大きくなるばかりで、彼女から見えないところで表情を落とした童磨は、どうしたものかと宙を見つめた。どうしたら喜ぶかなんて、自分の方が知りたいのだ。抱きしめても遠いと言われては、もう喰らってひとつになるしか距離は縮まないように思えた。

 

(嫌だなあ。琴葉が泣いているのは嫌だ。とっても不快だ)

 

胸板に顔を埋めている琴葉をあやしつつ、眠りこける伊之助と震える背中を交互に見比べた鬼は、何度か表情筋を試し、少し困った慈しみの笑みを浮かべて言った。

 

「じゃあ、こうしよう。俺は今日から伊之助の『父ちゃん』だ。琴葉と伊之助は親子で、俺と伊之助も親子。三人で家族さ。ずっと家族で一緒に暮せば、誰が何を喜ぶかなんてすぐわかるようになるさ」

 

琴葉のべしょべしょに濡れた頬を包んで顔を合わせれば、彼女は目尻を真っ赤に腫らして下唇を噛んでいた。やめなさい、と親指の腹でなぞれば、そこは従順に綻んだけれど、泣き止む様子はなかった。

 

「琴葉、俺の家族になっておくれ」

 

囁くほどの優しい声でそういえば、美しい彼女は言葉もなく何度もうなずき、童磨の頸元にまた顔を埋めたのだった。

 

 

 

* * *

 

 

 

六つ目の鬼から主人の命を告げられた時、童磨は長い生ではじめての岐路に立った。それまで自覚することもなかった、何かを選択するという行為が可視化された道のように目の前に広がったのだ。鬼になった時でさえ成り行きであったのだから、混乱するのは当然の帰結であった。

 

琴葉を喰えという命令に牙を剥くこともできず。伊之助を殺せと言われても体は動かなかった。気づけば上弦の壱を部屋の半分ごと厚い氷壁に閉じ込め、母子の手を引いて逃げ出していた。両親が作ったつまらない宗教も、頭が悪い信者たちの救済も、形良い頭蓋を活けた数百の壺もどうでもよかった。

 

あの美しいどんぐりを詰めたガラス瓶さえ置き去りに、童磨は家族連れの逃れ鬼となったのだ。

 

 






【登場人物紹介】


童磨
十二鬼月・上弦の弐にして万世極楽教の教祖。愛(玩)を知って世界が広がった人間性幼稚園児。そろそろ自分に感情が芽生えそうなことも、それが嘴平親子の影響であることも自覚している。琴葉をお嫁さんにと言いかけたのは、その方が気兼ねなく傍におけるから。残念ながら他意はなかった。伊之助のお父さんになったのも同じ理由から。残念ながらry。しかし二人のことは大変大事に囲っている。

嘴平琴葉
ちょっぴり知能に難ありな超絶美人ママ。この時点で恋愛矢印は彼女からしか出ていない。童磨が遠く感じるのは、勘がいい彼女には彼が同じ感情を返していないことが肌でわかっているから。なお、善良な琴葉の目には、童磨は聖人ゆえに異性を意識せず、皆を導く立場ゆえに個人の欲をほとんど口にしないのだと映っている。大いなる解釈違いだと気づく日は近いようで遠い……

嘴平伊之助
お母さん似なわんぱく美ショタ。どんぐりマスター。童磨のことは5歳の端午の節句まで「どーまさま」呼びしていた。家族で入信している信者たちを見て、父親という存在に大変興味が湧いてしまい、童磨を「父ちゃん」呼びした猛者。訂正されなかったので、そのまま定着した。童磨のことは元から大好き。母親の次に大事な大人の保護者なので、ある意味父親で間違いなかった。弱肉強食は4歳から刷り込まれている。

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