料理人は希わない   作:苗根杏

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初恋

 店がある下町から離れて、同じ都内の豊島区。周りには、既に見慣れてしまったビル群が偉そうに立っている。待ち合わせ場所にあったアイアン・ガーデン・チェアに座り、そこら辺のカフェで適当に買ったフラペチーノを啜る。

 

 初めて入った店だが、案外ハズレではなく、いい感じの甘さのフラペチーノだ。しつこくない。ちと気合を入れすぎたスーツが鬱陶しいが、とりあえず今は甘い飲み物を飲んで落ち着くしかない。

 

 公園では小学生ぐらいの子供たちが走り回り、その横では私と同じか、少し下の年のママさんたちが楽しそうに、オーバーリアクション気味に話している。私も若いうちに結婚していれば、あのぐらいの年齢の子供が出来ていたのだろうか。

 

 結婚や出産、家族を持つなんて話は、ほとんど考えたことがなかった。なんだか、これからも独り身で『シェリー』のマスターを続け、独身貴族という肩書を背負って、料理を作り続けてくたびれていくような気がしていたのだ。

 

 だが今となっては、ああやって家庭を築くのも悪くはないんじゃあないかと思えてきた。恥ずかしいことに、今更になって、少し羨ましく思えてきたのだ。手の届かないものを欲しがっているだけなのかもしれないし、思っている以上に面倒くさく、大変だろうとは思う。けど、親子二世代で店をやるのには少しだけ憧れている。息子が出来たとき、どうやって接していいのかは分からないが。

 

 うまく人と接したり、話したりができないわけではない。だが、家族への接し方、褒め方や叱り方、愛し方なんて分からない。どこに行っても教えてもらえるでもなし、なんだか幸せな家庭とやらを保障してやれる自信がない。私にできるのは、所詮、美味しい料理を作るぐらいのことだ。

 

 最近、だんだん分かってきた。私は親がいないあまりに、本物の親子で暮らすという経験をしてこなかった。施設の人たちは、決して悪い人というわけではなかったが、どこか放任主義気味だったし、本気で私を叱る人は、私の人生の中で一人もいなかった。間違うこともあったけれど、全て吸収して、なるべく怒られないように育ってきたのもあるかもしれない。

 

 愛というものが、どういう形をしているのかは、映画の中で知ったつもりでいた。触ったこともないくせに。

 

 メッセージアプリの着信が来た。香澄からのものであった。『デート、楽しんできてね!(サムズアップの絵文字)』とのことだが、私は彼女に今回のことを話した覚えもないし、デートと実感したこともない。

 

「おまたせ」

「……こころ」

「さ、行きましょうっ!」

 

 待っていた人物が、ようやくやってきた。恐らくコイツが、香澄に『デート』などと話したのだろう。

 

 弦巻こころは、先日『モーニング・セット』を食べに来た際に、自分の電話番号を千円札の下に置いて、帰っていったのだ。それに気づいたのは終業時間後のことだった。私はすぐにその番号を街の電話帳で調べ、本人のものであることを確認して電話をかけると、やはりこころ本人が出た。

 

『もしもし?』

『ああ、こころか。こちら庵廿郎だ』

『庵廿郎! かけてきてくれたのね、嬉しいわ!』

『何のつもりだ?』

『電話番号を交換したかったのよっ!』

『マンガに書いてあった方法で、か?』

『よく分かったわね! あ、そうそう、庵廿郎に話があったのよ』

『料理のリクエストか?』

『違うわよ! ……次の土曜日、空いてるかしら?』

『定休日だから、店はやっていないぞ』

『ならいいわ! その日、南池袋公園の駐車場前に来てくれる?』

『はぁ。行くのはいいが、何かあるのか? ハロハピのライブか?』

『……あたしと、デートしてちょうだいっ』

 

 という感じで、デートと称した何かに付き合わされることとなった。マンガに影響されたのだろうか、彼女なりのジョークなのか。休日にショッピングモールを回ったり、水族館に行ったり、一緒に食事をするらしい。どちらにしろ、スキーにも行かないようじゃあ、デートとはとうてい呼べないな。

 

 こころの服装は、見たことの無い私服だった。ピンクのフリフリがついたノースリーブで、上に黄色いパーカーをゆるく重ね着している。髪型はいつもの何も施していない状態から一変して、位置高めのツインテール。下はアイボリーホワイトのハイウエスト・ショートパンツに、靴は赤いスニーカー・ブーツといった私服だ。前回のサロペットと違って、なんだか年相応のオシャレな恰好をしている。

 

 私はというと、色とりどりの羽が舞い散る絵柄が刺繍されたポールスミスのジャケットに、中にはペイズリー柄のポロシャツ。ボトムスにワンタックのジーンズ、靴はア・ベイシング・エイプのエナメルのスニーカーだ。帽子はジェームズロックのキャスケット。ちょいとばかし動きづらいが、オシャレは我慢。『Checkmate』のモデルみたいに、うまく着こなして見せる。

 

「まずはご飯にしましょう! あたし、もうお腹がペコペコなの」

「近くにフレンチがあるぞ」

「いいえ、そこのレストランにしましょう!」

 

 そう言ってこころが指をさしたのは、日本中のどこにでもあるような、よく見るファミリーレストランだった。

 

「いいのか?」

「庵廿郎が一緒ならいいのよ! それに、あのハンバーグ! すっごく美味しそうよっ!」

「なら、いいんだけど」

 

 美味しくないってわけでもない。実際、私もたまに行くが、あそこのから揚げやポテトはビールと本当に合う。風になびいて揺れる、それなりに年季の入ったノボリに写っているハンバーグだって、悪くない。というか、普通に食べる分には美味しい。料理人が言うんだ、間違いない。

 

 店内はそれほど混んでおらず、こころと雑談しながら15分ほど待っていると、スンナリと入れた。席は全面禁煙。安心する響きだ。来年度に開催されるオリンピックに向け、路上喫煙の取り締まりや、分煙の取り組みが強化しているそうだ。偉いおじちゃんたちも、全員が全員吸ってないわけじゃあないと思うんだけどな。だとしたら、自分から退路を塞ぐことになる。

 

 ああかわいそうに、お国のためにヤニカスは消えろというのか。実際に、タバコはそれなりに経済を回しているというのに。まあ、私はすぐにむせてしまうから嫌いだけど。

 

 こころはエビフライの乗ったハンバーグとコーンポタージュ、私はマルゲリータピザとから揚げを注文した。

 

 流石に酒は飲まん。今日は電車で来たし、私自身はザルなので、ベロベロの酩酊状態になることはよっぽどないとしても、こころがいる前で飲むのはなあ。この後もどこかに行くみたいだし、アルコールの匂いが隣でしているのも、少し申し訳ない。どうしても角ハイボールに惹かれてしまうが、ツマミだけ食べて気を紛らわそう。それよりも。

 

「それで足りるか?」

「このくらいが、ちょうどいいのよ!」

「私がおごろうと思ったのに」

「そんなの、なおさら悪いわ? あたしが全部出すわよっ!」

「それこそダメだ。大人としてのメンツってもんがあるんだ、オッサンに出させてくれ」

「庵廿郎はオッサンというより……何でもないわ」

「何を言いかけた!?」

 

 そうこうしているうちに、テーブルの上に料理が揃った。

 

 弦巻家で食べ慣れているであろうハンバーグとは、作る人も、調理にかかる時間も、食材さえグレードが下のものを、こころは嬉しそうに食べている。いい笑顔だ。ときどきこちらを見たかと思えば、ニヤニヤしながらまた食事に戻る。私の料理は、できるだけ国産のものを使っているぐらいしかこだわっているところがない。腕前がどうとかの問題もあるだろうけど。私、実は料理得意だし。カフェーのマスターみたいなことやってるし。

 

 私もそろそろ食べてみようと、頼んだマルゲリータを一口食べてみる。一瞬目を見開き、そのまま二口三口と食べる。食べ口からチーズが結構伸びたので、驚いた。もちろん味もそこそこ、いや、うまい。私の窯焼きのピザには及ばないが、なにしろこの味でこの値段。コスパがいいな。

 

「そんなに美味しいか?」

「ええ!」

「そうか」

 

 私の料理以外で、ここまで笑顔になっているのは、なんだかちょっと悔しい気もする。いつもは垂れてきた髪を耳にかける仕草がよく見られるのだが、今回はツインテなので、安定してバンバン食べて、ドンドン飲んでいる。本当によく食べてよく飲んで、よく育っていると思う。待っている途中にも3回ぐらいドリンクバーに行っていた。

 

「から揚げ、食べるかィ」

「いいの?」

「酒が恋しくなるだけだ」

 

 彼女は私の皿から、から揚げをつまんでは食べ、また自分のハンバーグも食べ、合うのかどうか分からないメロンソーダを飲む。本人は至って幸せそうなので、私がとやかく言うことではないと思うが。

 

 にしても、酒が欲しい。確かメニューに、レモンサワーもあったよな。ジョッキの生もあるし、ぜひフライドポテトと一緒に飲みたい。ここのポテトは、食感がよく、かつ中身も詰まっている。食べていて楽しい。祭り・縁日の屋台にあるような、もちもちのラスポテトとはまた違った美味しさがある。一口にフライドポテトといっても、種類はけっこうあるもので。その気になれば形も変えて、自分だけのポテトも作れるかも。

 

「庵廿郎、お酒を飲めるの?」

「これでも35だ。若く見えたか?」

「いえ、そうじゃなくて」

「あ、はい、そっすか」

「お酒が好きなの?」

「まあ、週5で飲んでるしな。そこまで酔っぱらうこともない」

「だったら飲みましょうよ! あたしは庵廿郎に、笑顔になってほしいわ!」

「……いいのか?」

「ええ! その代わり、あたしに笑顔を見せてっ!」

 

 とうぶん先になりそうだぞ、と私は髭をこすり、レモンサワーとフライドポテトを頼んだ。もちろん、自費のつもりだ。目の前にいる彼女の金を借りて飲むほどクズではないからな。焼酎をドリンクバーの飲み物で割るのもいいな。平日の昼は飲み放題もやっているようだ。

 

「お待たせしましたぁ~」

「き、来たッ」

「けっこうな量ね! ソーダみたいで美味しそうだわ!」

「飲ませんぞ」

「とらないわよ!」

「いや、そういう意味じゃなくて……まあ、いいか」

 

 このレモンサワーは、生のレモンを直接絞って、果汁を入れてはじめて完成するというものだ。ゴマをするときに、すりこぎごと用意してくれる店がたまーにあるが、それと似たようなものだろう。半分にカットされたレモンを、レモン絞り器にかけてやると、果汁がこれでもかというぐらいに零れてくる。

 

 手の果汁を舐めとって、いよいよサワーに手を付ける。缶を開ける音から楽しみ、自分で作ったツマミを食べ、お気に入りの怪獣映画を見ながら飲むのもいいが、たまには外でこうやって飲むのもいいかもな。こころに見守られ、最初の一撃を口に含む。

 

「……~ッ」

「どうかしら?」

「うっまい……」

「ほんとにっ!?」

「ああ……マジでうまい、うん」

 

 心の奥で、どこか味には期待していなかった自分もいた。こういう外で飲むっていう機会は、雰囲気を飲むようなものだ。多少味が悪くとも、居酒屋で飲んでるときなんてのは特にだが、大概許せてしまう。だが、このレモンサワーは『違う』。あまりにも美味い。私はあまり一気に何割も飲まないのだが、まあグイグイといける。一気しろと言われたら喜んでしまうぞ、こんなの。

 

 外で、しかも真っ昼間から飲んでいるというシチュエーションからして、もう美味いのに。こんなに美味しいものを出されたら、毎定休日来てしまう。

 

「くぅっ、ポテトが合う」

「……ふふふっ」

「ん? どうした」

「今の庵廿郎、幸せそうな顔してるわ」

「うっそだァ」

「本当よ! ……ほぉら、素敵な笑顔♪」

 

 家では美味さのあまりに少しニヤつくことはあるが、そんなに笑っていただろうか。なんだか納得はいっていないが、向かいの席から少し乗り出して、私の顔を両手で包み込み、こちらをじっと見るこころの顔だって、あまりにも幸せそうだ。目を細めて、眩しいものでも見るかのように微笑んでいる。暖かい手だ。小さいし指だって細いが、手のひらまで肌が綺麗だ。

 

 顔から少し下に目をやると、なんともすらっとした胸鎖乳突筋。首元で美しい曲線を描いている鎖骨が飛び出ており、更に奥には逆さの双丘が垂れている。

 

 睫毛の揺れるたび、瞬きをするたび、また彼女に釘付けになっている。私自身そろそろ自覚しはじめた、というか自覚しないことを諦めたのだが、こいつはどうやら中々可愛いらしい。

 

「あたし、いつも貴方に料理を作ってもらってばかりだったでしょう? だから、こうやって一緒に幸せになりたかったの」

「ロマノフひとくちで、十分だっちゅーの」

「でも、今の貴方は、あたしの見てきた庵廿郎の中で一番ハッピーな顔よ」

「へっ、そうかい」

 

 自分の口角が上がったのが、分かった。

 

「庵廿郎のほっぺ、すっごくあったかいわ!」

「こころの手はヒンヤリしてて、気持ちいい」

「よくしゃべってくれるようになったわね、庵廿郎」

「ちょっと気分がよくなってきたみたいだ」

「そうなのね!」

 

 私の顔から手を離すと、こころは自分のハンバーグの最後の一切れをフォークで刺し、こちらに差し出してきた。何も言わないが、口の真ん前まで運んできたあたり、前回と同じく、食べろということらしい。

 

 他の客に見られるのは恥ずかしいが、ギリ親子だと思ってもらえるだろう。ちょうど肉がツマミに欲しかったところだ。あまり周りに見えないように、手で隠し、一瞬で口にハンバーグを含む。

 

 ……クソっ、悪くない。デミグラス・ソースのうまみと酸味、ひき肉の舌触り、食感、そして満足そうにしている彼女。来てよかった、と思ってしまった。

 

 

 

 

 

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