料理人は希わない   作:苗根杏

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悲しみよこんにちは

 フンボルトペンギン。ペンギン目、ペンギン科、ケープペンギン属に属する鳥類、要はペンギンの一種である。フンボルト海流沿岸部に分布していることから、その名前がついた。

 

 彼らは協調性が高く、仲間同士はおろか敵と激しく争うことも少ない。泳ぎの速さは、時速およそ4キロから11キロ。潜水時間は観測されている中で最長165秒。エサはサンマやイワシ、一部の地域ではスルメイカを食べていたともされている。

 

 と、目の前の水槽に貼られたプレートに書いてある。

 

 私がこんな専門的な知識など、知るわけがないだろう。魚のさばき方ぐらいなら知っているが。

 

 今日もどこかで同種が絶滅危惧になりかけているのに、野生を忘れた水族館の呑気なペンギンたちは、飼育員に撒かれた魚を丸呑みする。向こうの水槽では、青い都会の街並みを飛ぶペンギンというコンセプトの展示があり、客の前や上を、自由気ままに泳ぐペンギンが見られる。

 

 ペンギンという生き物は、実に計算された見た目をしている。泳ぎやすいフォルムだとか、そういう意味ではなくて、かわいらしい見た目だという意味だ。シンプルなカラーリング、豊富なバリエーション、ペタペタと歩いたり嘴で体を掻く仕草。どこか愛らしく、それでいて天敵のいる海に飛び込む勇気も兼ね備えた生き物と言える。

 

 さぞ商品化はしやすいだろう。

 

「綺麗ね」

「ああ」

 

 彼女が水槽から目を移して、こちらを向いて微笑んだ。考え事をしていたもので、碇ゲンドウみたいな受け答えになってしまった。

 

 昼飯を食べ終わってから、彼女に連れられて来たのは、ショッピングモールやレストラン、ホテルに展望台、軽いテーマパークまで付いた複合施設の水族館だ。こころが以前に『ハロー、ハッピーワールド!』のメンバーと来たことがあるらしく、流行りのバーチャル・リアリティーのデバイスで遊べるところまであるらしい。

 

 プランは完全に彼女に任せているので、まさかこんなオシャレでナウいところに連れてこられるとは思っていなかった。

 

「その時、花音がペンギンさんをね……」

 

 こころはまた、ペンギンたちが泳ぐ姿をじっと見て、楽しそうに仲間との思い出を話し始める。そして、ご機嫌にツインテールを揺らしてこちらに寄ってきて、パーカーに通した細い腕を、それとなく私の腕に絡ませる。二の腕あたりに柔らかい感触が、鼻には柑橘系の匂いがそれとなく伝わる。

 

 こちらを見ていないとはいえ、息遣いがほんのちょっと荒くなっている。無理をしているとまではいかないが、いつもとは様子も変であることは、確かだ。単に興奮しているだけだと思うが。

 

 ポケットの中に突っ込んでいる手へ、彼女の手が絡まる。普通に手を握るのではなく、指と指を組み合わせるつなぎ方。強固に絡み合って、ちょっとやそっとじゃあ離れないように見えるが、お互いが離れればいともたやすく解けてしまう。儚くも、ひと時の仲を取り持つ、俗にいう『恋人繋ぎ』だ。

 

「お土産、買うか?」

「ええ! 美味しいお菓子が欲しいわっ! ペンギンさんのぬいぐるみもあるかしら?」

「ああ、それも買おう」

「庵廿郎」

「なんだ」

「楽しいわね」

「…………ああ」

 

 二階の土産屋の中には、この水族館にいる海洋生物のほとんどが可愛らしくデフォルメされたぬいぐるみから、リアルな魚の模型、サメの歯のストラップまで、幅広い品がラインナップされていた。客層のほとんどは、家族連れである。

 

「何か、欲しいものはあるかしら?」

「……そうだなあ」

「あたし、このぬいぐるみがいいわっ!」

 

 手に抱えているのは、結構大き目なケープペンギン。目の真上に薄いピンクのラインがあり、身体の白い部分にはゴマをまき散らしたような模様があるのが特徴だ。

 

「そうか。私が出そう」

「買ってくれるの?」

「少しは払わせてくれ。さっきだって結局、5杯も奢ってもらってしまったし。思い出作りというのも、お前となら悪くない」

「……じゃあ、庵廿郎! このキーホルダーを買ってちょうだいっ」

 

 こころが、ストラップのコーナーから持ってきたのは、小さなマリンアクセサリーだった。

 

 どちらも手に巻き付けるタイプのミサンガ・ブレスレット。ひとつは、船の舵と錨のアンティーク・アクセサリーがついた、シアン色のもの。もうひとつは、同じアクセサリーのついているイエローのものだ。

 

 それらを手に持ったまま、こころは私の背中に手を回す。抱きしめたのだ、俺を。胸の下あたりに頭をうずめて、ひとしきり深呼吸してから彼女は上を向く。彼女の頭を覗き込むようにして下を向いていた私と目を合わせた。

 

「このアクセサリーを、庵廿郎との思い出にしたいの」

「そうか」

 

 私はキャスケットを目深におろし、自分の顔が熱くなっているのを確かに認めた。同時に、自分の中の感情と、置かれている状況を理解し、把握した。とっくに理解なんてしていたのかもしれないし、その感情を抱えて過ごしてきたのは確かなことであった。

 

 しょうがない。恥ずかしながら、この年にして経験が全くないので、経験則とやらには則ることができないのだが、恐らくこの感情はそう簡単には消せない。消そうとして、すぐにできるようなことではない。

 

 認める。私は、弦巻こころに惚れこんでいる。彼女の髪に、瞳に、体躯に、言葉に、仕草に。言ってしまえば、全てが好きだ。

 

 この気持ちをどうやって表していいのか、これが恋と呼べるのか。迷ってしまって、その思いを勘違いして、曲解した思いで彼女を傷つけるのが嫌だった。分かったところで、親も恋人もいなかった私は、どうやって彼女に接していいのかが分からなかったのだ。

 

 私はただ、彼女に、弦巻こころという一人の女性に、幸せになってほしかった。たとえ私の腕で、彼女が眠るようなことは二度とないとしても。

 

 ただ、気持ちに気付いてからも、苦悩や葛藤はあった。もし、私が彼女の笑顔を奪ってしまうようなことがあったら。社会的にまずいことを前提にして付き合ったりした場合、責任を背負うことは当たり前なのだが、彼女自身に被害が及んでしまう。この先、家にも勘当され、学校での居場所もなくすかもしれない。彼女に一切爪痕を残さない方法を、私は知らない。私は、愛し方さえ分からない。愛のカタチさえ、未だにつかめないままである。

 

 しかし、気づいたのはそれだけでは決してない。私は、愛し方を身に着けていたのかもしれない。彼女の身を案ずる気持ち、お節介を焼いてしまうようなもどかしさ、相手が幸せになれるのなら自分も幸せという理想。

 

 一時の気の迷いで構わない。そんなくだらないものに身を任せられるのは、恋の感情に酔いしれている時ぐらいだ。

 

 複雑で、端的で、それでいて中々認識することができない。

 

 これが、初恋なのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふっ」

「楽しそうだな」

「もちろんっ! あたし、こうやって貴方と遊ぶのが、ずーっと楽しみだったんだもの!」

「そうか。私も楽しい」

 

 典型的な『夜景の見える高級レストラン』だ。少女漫画で見たまんまの、いつかの恋愛映画で見たような、そんな場所。夢にでも出てきそうな景色の中、実感が湧かないまま、私はこれまた高級そうなワイングラスに口づける。

 

 少し、窓の外を見てみると、数えきれないほどの明かりが灯る摩天楼が見下ろせる。それよりも高い、高層ビルの最上階のレストランからは、もっと多くの光が瞬く星空にも手が届きそうである。

 

 ぼうっと夜景を見つめていると、雪のように真っ白なクロスの敷かれたテーブルに、また白く、大きな皿に、こぢんまりとした冷製パスタが運ばれてきた。

 

 口にその半分を含んでみると、味も少ししか分からなほどに冷たく、そしてやはり、あまりにも小さかった。こうしていると、何年も前のことを思い出す。ハッキリ言って、あまりいい思い出ではないが。

 

施設にいた友人と、カフェーの開業記念日に、こんな店に来たことがある。正直、全く味を感じない割には量も少なく、そのくせ見た目だけはアート然としたイタリアンに腹が立った。そのあと、至って普通の牛丼チェーン店に行って、大盛の牛丼を食べて『小人用の店に用はない』と笑いあっていたものだ。

 

 今回も料理の質や盛り付けのセンス自体は認めざるを得ない。まずいわけではない。むしろ美味しい。依然として、腹に対しては物足りないが、とっくに料理を平らげて、私の食事を微笑んで見つめているこころは満足げだ。

 

「家族さんと、来たことがあるのかい」

「よく私の誕生日に来てるの! ……特別な場所よ」

 

 好きな人が、幸せになってくれる。彼女も、ひょっとして同じことを考えていてくれたのだろうか。思い出を共有したいと、少しでも思ってくれたのか。

 

 私のことが好きだなんて、自惚れるつもりはない。しかし、少しでも私といることを幸せにしてくれたら。

 

「こころ」

「なぁに? 庵廿郎」

「……私も、思い出の場所にしていいだろうか」

「!! もちろんよ!私と庵廿郎で、何回もここに来ましょう! それから、他にもたっくさん行きたい場所があるの! そこがぜーんぶ、貴方との思い出の場所になるの! それって、とっーてもわくわくするでしょう!?」

「ああ。どこへでも行こう」

 

 涙も零れんばかりの、たいそう幸せそうな笑顔だ。それを見ている私もまた幸せで、嬉しくて。好きな人の幸福は、まるで人生のツキが一気に回ってきたような、この世の幸せを全てこの場にかき集めたような僥倖だった。

 

 あの店で、あの時、こころに会えたこと。何回も、私の料理を食べに来てくれたこと。こうして、私をデートに誘ってくれたこと。愛を知らない私に、愛とは何かを教えてくれた人。

 

「そうだ、庵廿郎の家にも行きましょう!」

「家は、いつものカフェーだぞ」

「違うわ! 貴方のお父さん、お母さんに会いに行くの! 庵廿郎の『家族』に会いたいのよ!」

「……家族、か」

 

 私に、家族なんて呼べる存在は、一人としていやしない。でも、貴女となら、家族だって作れる。私がさせてもらえなかったことを、私の子孫と呼べる人にしてあげたい。少しでも、この愛のすばらしさを、共有できたなら、それはとてもスゴイことだと思った。押し付けてでも、この愛をあげたい。

 

 家族とは、とても素晴らしいものだと思っただけだ。

 

「なあ、こころ」

「ん? 何かしら?」

「好きだ」

「……えっ、えっと!」

 

 気持ちに正直になった結果がこれだ。告白の仕方など調べていないし、シチュエーションや言葉選びが正しいのかなんて分からない。でも、私が抱いた気持ちは、この一言だけで伝えられるようなものであった。

 

「あ、あたしも!!」

「?」

「……あたしだって、好き……よっ」

 

 胸のあたりが、頭の奥が、腹の底が、ドクンと鳴る。私とこころは、同時に席を立つ。

 

 こころの目からは、大粒の雫が零れ、滴る。白い頬をゆっくりと伝い、また出てきたもうひとつの雫と合わさり、下の皿に落ちる。私は、はじめて彼女の泣いている顔を見た。その姿は、ガラス細工よりも透き通って見えた。

 

 涙こそ出てはいるが、その顔は、とても好い目にあったことの後のように、かなり吹っ切れていた。そして、いつものように、いい笑顔をしていた。綺麗で、可憐で、世界一可愛い。

 

 彼女はこちらに顔を近づけ、目を閉じて、少し唇を尖らせる。

 

 気づけば周りの客も、立ってこちらに拍手を送ってくれている。『キス』、ベェゼなんてのは見たことはあるが、やはり自分がする側になると、どうやって唇をくっつけていいのかも分からないし、緊張も並々ならぬ大きさだ。心臓の鼓動が、早く、大きくなっているのが分かる。

 

 こころが、足をテーブルに乗せ、こちらに大胆に乗り出す。私も彼女の顔に手を携えて、ほんのちょっとだけ口の先を伸ばしてみる。心臓の音が、聞こえてしまわないだろうか。ああ、閉じた瞼も、突き出したピンクの唇も、全てが愛おしい。どうにでもしてくれ。今は、この瞬間は。

 

 

 

 刹那、窓ガラスの割れる音。脳裏へ一直線に走る衝撃。

 

 

 

LESSON1.あとから知ったことではあるが、実は弦巻家に個人的に恨みを持っている者が、こころの出先をつけていた。かつては親が溺愛しているこころの命を奪ってやろうと考えた。そのうち、こころに惹かれていった。

 

LESSON2.電車内で、同行者の私の靴にGPSを付けておく。私の向かった先に、ちょうどこころがいたので、自前のL96A1──スナイパー・ライフルでビルの屋上から狙撃しようとした。

 

LESSON3.そこにいた私が、こころとキスをしようとしていたので、自分の中の『好き』に気付けなかった狙撃者は、咄嗟に私のほうを撃ってしまう。

 

LESSON4.私の頭を弾丸がかすめた。こころは、私の体をゆすって、ひたすらに何かを叫ぶ。

 

LESSON5.今度は顔をゆがめて、泣き叫んでいる。表情が豊かなところも好きだ。ここで私の意識は、完全に途切れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仮に、このLESSONの果てに出来上がる何かに名前をつけるなら、『愛の行く先』だろう。

 

 

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