申し訳ないです。
グリゴリとは天使の軍である。
神に定められ、悍ましきリリスに唆された忌々しい塵の子を見守ることを義務付けられた見張りの天使たち。
その長はアザゼルという天使だった。七対十四の翼を持ち、天にも届く高い背を持っていた。
誇り高き天使、そんな彼らは人間たちの美しさに恋をしてしまう。
神に背き人を口説き女を抱いた。子を成し、その子らは巨人となった。
彼らは人に全てを教えた。
戦、商売、道具、学問、魔術。
天上の秘密を教えてしまった。
人を守る武器の作り方。
愛する人に振り向いてもらう化粧の仕方。
アザゼルはそれらの知恵を恋した人間に与えた。
だが神はそれを許さない。
戦と淫売で穢れた地上を神の水で一掃し、ひとつの箱舟だけを残し世界を終わらせた。
グリゴリは全て
そしてアザゼルはその中でただ一人、地獄にも行けず、天国にも戻れず、地上の洞穴の中、たった独り、岩に押しつぶされ永遠の痛みの中悶え苦しむことを罰とされた。
自らをアザゼルと呼んだ女の最後は、想像に容易い。
△
理解する前に痛みが
重い衝撃が
「あらぁ〜!!???もう終わりかなぁ〜!!??第一位もあんまり大したことないねぇ〜!?」
「ッ、ゴリラ女……」
十四の翼を広げ、金髪の少女は嘲笑う。ゆったりと頭上で回る丸い天使の輪に照らされた彼女は、
「女に力勝負で負けるとは情けねぇなぁ、もやし男」
「それはテメェもじゃねェか?」
「あ……?ッ」
能力で後ろに距離を取る
ピンセットをつけた右腕で拭い、顰めっ面を見せる彼女を笑い飛ばす。強がりな女の戯言など、
「ハッ、脳処理を超えるスピードで殴るってことはテメェの脳も負荷を負う。第六位如きのちっせェ脳味噌じゃ、その演算すらままならなかったようだな、馬鹿女」
「いいんだよ、これで。これはファンサービスだ。テメェが何をしたってあたしに勝てないと伝えるためのプレゼンテーション、お前が解ればそこで終いだ」
もう一度、胸元にしまったケースを取り出して赤い結晶を飲み込んで彼女は吐き捨てる。
飲み込んだ結晶のせいか、光が強まった頭上の輪と瞳が妖しく
「全ての手段を用いてテメェを地獄の
「ガはァッッ!!ッッウァ!」
「これで終わりだなんて思うなよ!」
苛立ちが増すと、感情をかき消すように三つ目の結晶を噛み砕いて叫ぶ。血潮の通った翼を大きく開き、
鋭いナイフのような破壊力を持った重い羽が雨のように彼女から飛び出し、人を襲った。
「……白衣の天使様が一般人巻き込ンで成す
「あたしの能力知ってて言ってんの?」
「能力の話じゃねェよ。美学が足りねェっつってンだ」
軌道を反転された白い羽は地面に突き刺さる。そのまま天使にぶつけるのはリスクが高い。
けれど、彼の体を貫くことのなかった無差別の広範囲攻撃は、彼女の操る一般人も貫いて血溜まりを広げる。
結局
まさに地獄絵図。
その光景に怒りが募るのは
「っぶは!美学?美学っつった??なぁ、美学って美しさを哲学として探求するれっきとした学問なんだけど、分かってて使ってんの?美大志望かよ」
「あ?ナニ?例えも真面目に受け取るクソ真面目な優等生キャラだったかよ、テメェ」
「だぁかぁらぁ!!テメェは、悪なんてものに美しさを見出してそれを探究してるのかって言ってんだよ愚か者」
血溜まりは異常なほど早く干からび、怪我をした人たちは彼女の笑い声を聞いて立ち上がる。みるみるうちに全ての傷が塞がっていく人々は何事もなかったかのように、ただ一人の天使のために彼らは意識もなく群れを成す。
不死身の軍隊と呼ぶにふさわしかった。
「いいか?思想に美しさなんてない。
「……ッチ、頭が固い奴はこれだから嫌いなンだよ」
「そもそも、お前の言う美学は都合のいい言い訳だ。そこに美しさなどあるまい。他人を巻き込まなければ、部外者を傷つけなければ、そこまでしなければ自分はまだ綺麗だと、あの子に許されると、そんな言い訳をするための都合のいい線引き。お前の箱庭が美しければ、外の汚物などどうでもいいんだろ?」
凛として立つ天使は手に溢れるほど多くの結晶を取り出し、カラになったケースを投げ捨て小さな背の主人公を見下す。ヒールであげた22cmの身長差が恐怖を煽る。
残った全ての結晶を強引に飲み込んで舌舐めずりした彼女は何か恐ろしい怪物としか映らなかった。
「嫌いだよ、お前が。神を彷彿とさせるその考え方が大っ嫌いだ」
「ッ!」
「アナタを殺す。たとえそれが間違いだったとしても」
瓦礫を踏み潰し、
軍隊を指揮する右手に人々は黙って整列をなし、主人公と悪役は直線上で対峙する。
「滝壺理后を無力化して、後はテメェだけなんだ。テメェさえ死ねば障害はもうないんだ!だからほら、死んでくれよ!愛しい彼に
「テメェに酔ってンじゃねェぞ、イカレ女!」
「それはテメェだろ!」
叫び声に白い光が空を切り裂く。
しかし
熱量を反射しても不死の女を殺すことはできない。
もしかしたらこの中の一般人を盾にされるかもしれない。
様々な考えが巡り、いまだに決定打を打ち込むことができなかった。
「安寧を貪れると思うなよ第一位!あたしがいればテメェなんぞ簡単に量産できるんだ!それがぼくの価値なんだ!テメェの
鼻からも、口からも血を吐き出し、無我夢中で乙女は叫ぶ。熱と光を撒き散らし、支離滅裂な言葉を吐き出して彼女は崩れた足場に強く立っていた。
彼女の目にはたった一つの愛しか見えていない。
結晶の力で沸き上がる血潮に、まともな判断は出来なかった。
「それがあたしの能力!支配者は人権も、人格も、人生も、何もかも無視して体の全てを支配する!テメェが死んだってあたしがいればほかのモブを主人公に仕立て直せる!だから、その役目を寄越せ!テメェがいなくても代替品で
「なァにワケ分かンねェこと言ってンだドブス。キマリすぎでとうとう頭イカれたか?」
「イカレてんのはお前だろ?ありもしない美学に取り憑かれ、たった一週間と二日しか見てない暗部の人間をさも分かりきったかのように上から目線で御大層な言葉を並べるなんて、ヒーローのくせに悲劇のヒロイン気取りかよ!」
息を荒らげ、フィクションと現実も入り混じって光線を放つ。
圧倒的な熱量が場を熱する。想いの熱が全てを溶かし尽くし、アスファルトはめくり上がり地面が抉れた。
「いい加減、死にてェよォだな!」
「ただの悪役だったくせに、ちょっと人気が出たからって正義のヒーローにシフトチェンジしたお気に入りが!ありもしなかった心を捏造されて、過去も未来も設定もない薄っぺらいキャラクターが!この人間様に勝てると思うなよ!」
「吠えてンじゃねェよ、クソ豚!!!」
咆哮がぶつかり、衝撃が辺りを包む。空高く反射された白い光に惑わされ、天使の目線は地面から天へと向かう。
その一瞬の隙だった。
僅かな揺れに、地面が波のように押し寄せる。コンクリートが裂け、変形していく地面に高いヒールがもつれ、体が無防備に晒される。
あっという間に、地面に飲み込まれた。
飲み込んだ大量の化学物質のせいでまともに演算ができなくなっていく彼女には、
「近距離の格闘戦やら兵士を集めることに関してはテメェの方が上手だ、そこは認めてやる。けどそれはテメェが弱点から気をそらせるためのただの悪知恵だ。侮辱で思考を乗っ取って、実際の有効手段を忘れさせる姑息な手」
無様にも美しい金髪を汚し、天羽彗糸はビルとアスファルトの波の間に挟まれる。
ベクトルが捻じ曲げられ圧力のかかったアスファルトがトーストに挟まれたバターのように灰色の壁に柔らかい体を押し潰し、力を削ぐ。
「不死身には放置プレイがお似合いってなァ!お説教がなければテメェの言うくだらないプライドのためにこのまま拳で殴りあってただろうよ。自分で自分の首絞めて、なァ、今どんな気分よ?」
「ぁあ"ぎッ」
「まァ、テメェみてぇなクソ女の考えなンて知りたくもねぇがな」
「……ふ、ははは!あっひゃ、ははは!!!」
プレス機のように押し潰すアスファルトのざりざりとした凹凸が体の肉を強く抉り、嫌な音を立てて腕の骨が割れる。
そして目の前で右腕が引き千切れた。
笑い声と共に強まっていく圧に右腕が引き千切られ、ぼたぼたと垂れる赤黒い液体が地面に模様をつけていく。
おぞましい光景だった。
「ア?とうとうネジが外れたか?」
「なぁ、なんで最初にテメェの脳天に釘をぶち込まなかったと思う?能天気に同僚と話し込むお前の大脳に釘を移動させたってよかったんだ。本質を見抜けなかった時点でテメェの負けなんだよ」
片腕のなくなった彼女は、自分の羽毛に顔をうずめながらくつくつと笑う。馬鹿にするかのように、再生しない腕の断面を見せびらかして大きな瞳を歪めた。
「テメェ……」
「お願い、こんな
焦点の定まっていない目に彼女の生命が終わりかけていることに気がつく。
いわゆるオーバードーズだった。
過剰摂取した結晶は演算能力を奪い、神への道を妨げる。致死量まで飲み込んだ科学技術の結晶は人の体を蝕み、そして神経を引っ掻き回す。
息を荒く吐き出して泣き叫ぶことしかできない。
内臓が圧迫されていく苦痛に、奪われた演算能力は痛み止めを作り出す事はなかった。
「殺してくれよ
「……言われなくても殺してやるよ」
最後に見せた顔はあの夏の日に見た優しい決意に満ちた恐ろしい笑顔だった。
引き金に手をかけ、訴えるような悲惨な緑と赤の瞳に銃口を合わせる。昔見せた優しい面影の記憶に躊躇することはなかった。
「待つじゃんよ
しかしこの場にいる誰とも違う女の声に手が強張る。優しい女の声、その人を
黄泉川愛穂。
彼の保護者の一人だった。
「天羽、お前もなんでこんなことを……!」
「……あーぁ、興醒め。最ッ低」
そして哀れな天使様も女を知っていた。ただの
「
「……俺は悪党だ」
「なら私が止める」
「無理だよ、せんせ」
警備員のトラックから現れた黄泉川に軽く舌打ちをして圧力のなくなった隙間から這い出ると、力なく壁に体を預ける。
「アホみてぇな語尾で本質を見ようとしない教職課程も通ってなさそうな薄っぺらい
「ッ、動いたら傷が──!」
「これは革命だ。闇を見る子供たちを救うための革命。二度と常識なんかで人が死なないため、悲劇を繰り返さないための美しき反逆だ。何時いかなる時も革命とは忌み嫌われる、けれどそれは未来で大きな価値となるとなぜ分からない?」
ボロボロの体と思考がままならない体を引き摺って、黄泉川のもとへ汚い言葉を漏らしながら向かう。
堕ちた天使の姿に息を飲む。
しかしその息は止まり、空気を飲むことはできなくなってしまう。
緑のジャージ姿の教師に最後の力を振り絞り、リモコンをふたたび手にとってボタンを押す。
息を奪うことなら、かろうじて可能だった。
そのまま崩れた女の腹をピンヒールでえぐり、半狂乱に天羽は叫ぶ。全てを投げ打つ思いが、言葉が、彼女の情動を増幅させ、後戻りはできなかった。
「のうのうと生きる犬が。目の前の一人を救えた程度で後ろにいる何万もの学生を見殺しにするのか!」
「ッッが、ぎァッッ」
「やめッ」
「テメェも同じだよ、
「─────!」
天羽の歪んだ言葉に、
右脳と左脳を引き裂くような痛みの中から吹き出た力が膨れ上がり、大きな痛みを鼓動に乗って突き刺していく。
吹き出た力は黒い竜巻に似た翼となり、天まで伸びる。吹き荒れる風の中心で自我を失った
胃液を吐き出す黄泉川を守るように立ち塞がった彼の目は痛々しいほど充血し、喉から出るのは耳障りの悪い人ならざる言葉の羅列。
黒い翼の一つが黄泉川から離れさせるように天羽の腹にぶつかり、そばのビルに大きな体を投げ飛ばす。
口の中の鉄の味に気持ち悪さを覚えながらも、彼女は悲鳴一つもあげない。
歩道橋が崩れ、車を持ち上げる強い力が今まさに天羽彗糸を殺そうと牙を剥く。
「──yjrp悪qw」
「……やればできるじゃん、主人公様」
影が差す。体を覆う大きな何かが、太陽を隠して頭上に浮かぶ。
それは
しかしおぞましい光景と裏腹に、彼女は目尻を下げた。降りかかる大きな鉄の塊に、役者は微笑む。
彼女は最後まで人形であり続けた。
アザゼルと同じ。全ての罪を背負い、ただ一人暗い穴の底で永久の眠りにつく。
それが彼女の幸せだった。
「ッあ゜」
呆気なくあの日と同じように体はトラックの下敷きとなり、白い爆発が巻き起こる。
トラックが落ちたゆえの爆発か自爆か分からないほど強烈で、突然な爆発だった。
繭のように巻き上がる風が視界を奪い、この場にいる誰もが何が起こっていたのか分からない。
ただ一つ言えるのは、天羽彗糸という少女は神に愛された不運な少女であることだった。
「おい」
風が止む。そして少年の声が響く。
「何ムカついてんだ、チンピラ」
美しい少年が煙の奥、血に濡れた天使を抱きかかえていた。爆発のせいか、両脚も右腕もなくした小さな天使の胴体を優しく抱えて彼は鋭く
彼の首元で金色のペンダントが淡い光で輝いていた。