追記
なぜかタイトルがなかった……間違えです……
101話:嫌がらせの関係
キーボードを打つ音が響く研究室の扉が開く。青と紫が排除され、青々しく伸びた草や、様々な花が生い茂るボタニカルな研究室の中で明るい茶髪と淡い色素のポニーテールを見つけると、ドアを開けた少女はお盆片手に足を踏み入れた。
静かな部屋が入ってきた茶髪の彼女に気がつくと、室内で黙っていた垣根帝督とテレスティーナ=木原=ライフラインは顔を上げて動かしていた手を一旦止める。
「彗糸さんは、如何なされました?と、ミサカはお聞きします」
コーヒーとココアをいれてやってきたミサカ9982号はそれぞれの前にカップを置くと、複雑な表情で研究室奥にある閉められた扉を見た。
何の変哲も無い普通の扉。
音沙汰のないその扉の奥は、今は子供になってしまった天羽彗糸、もとい垣根彗糸がここ数日泊まっている仮眠室だった。
「あー……黙ったままだ。ずっと喋んねぇし、なんか知らんが機嫌悪いんだよ」
「子供にされたら誰だって不機嫌になるかと思いますが、とミサカは当たり前の返答をします」
「しょうがねぇだろ、元の体が色々デカくてかさばるんだよ」
画面に文字を打ち込むのをやめてコーヒーを手に取り、垣根はため息を着く。
いつも騒がしい女はあの日以来冷たく、口数が少なくなった。プライドも何もかも全て奪われた現実と向き合うことが出来ず、塞ぎ込むことしか出来ない。
踏みにじって、蹂躙して。初めての侮辱に耐えられず、からに籠っていた。
「デカいって言ったって、女なんだから言うほどデカくないだろ」
「車椅子の問題だ。俺の部屋は残念ながらバリアフリーじゃなくてな、170cm女の大人用車椅子より、十歳130cm幼女の子供用車椅子の方が置き場にまだゆとりがあるんだよ」
テレスティーナの野次に眉をひそめ、舌打ちを鳴らす。
垣根にも色々と考えがあっての侮辱だった。表面上では嫌がらせの救済と言っているが、実際には現在の状況を考えている。
「なら足治せ」
「そしたらまた逃げるじゃねーか」
「なら身長だけ低くすればいいのでは?とミサカは意見を述べます」
「DNA配列組み直すのクッソむずいんだよ。アイツは楽々とやってたけどな。んな面倒なことするなら成長途中で止めた方が早いだろ、時間ねぇし」
飛び交う代替案にため息を吐く。カブトムシ05で使っていた彼女のDNAを使って体は作れたものの、生死の峠が近づいていた数日前の彼女は時間が圧倒的に足りず、体格を変えようとしても迫るタイムリミットに間に合うとは思えない。
だからDNAをいじることはせず、ラストオーダーと同じ、成長途中で造型を止めた。
出来ることの中で見つけた妥協点が今の現実、天羽彗糸の幼女化だった。
しかしそれを知らないミサカはいたずらっ子の笑みを浮かべて近くの椅子に座る。面倒な子供にため息をついて再びパソコンと向き合いキーボードに手をおいた。
「つまりていとくんは彗糸さんの足元にも及ばないと……と、ミサカは初めて知った垣根さんの出来ないことを嬉々としてからかいます」
「喧嘩なら買うぞ?」
「……ところで、お二人は何をなさってるんです?と、ミサカは露骨に話題を変えてみます」
データを送って、文字を打ってを繰り返す作業を続ける垣根と、小さな部品をハンダゴテでくっつけるテレスティーナ。
その姿は別に特別でも珍しいものでもなかったが、ふざけた口調で釘をさす垣根にこれ以上突っかかるのを怖がりあえてそれを口にした。
「はぁ……見てわかんだろ」
「見て分からないから聞いているのですが?とミサカは頬を膨らませます」
「補助機作り」
「というと?」
見慣れぬ白い輪を作るテレスティーナと、プログラムを組む垣根に首を傾げる。
現状をふんわりとしか理解していないミサカには彼らの言葉が何を意図しているのかよく分からない。
「あー……彗糸の本体の状況は分かってるよな?」
「はい。両脚と右腕の欠損、ブレインフォグなど軽度の演算能力の損傷だと聞いています」
制作が終わったのか、Enterキーを押して垣根はUSBをパソコンから取り外す。
研究室の壁際にある業務用冷蔵庫程の生命維持装置を指さして、
「んで、あの馬鹿の能力は体を弄くり回す能力だ。でも言った通り演算能力が足りない。そのせいで無くなった手足を戻すことが出来ず、欠損した体を必死に生かすことしか出来ないわけだ」
「だから代替の体を与えた。と、ミサカは事実確認をします」
「あれはお前らもよく知ってる脳波リンクで別の体を動かしてる訳だが、演算能力のない脳を体に繋げても意識が戻ることも動くことも出来ないのは分かるな?」
一つずつ丁寧に現状を整理していく。
科学的な前提をよく知っている妹達には、垣根の言うややこしい状態について何事も無く完璧に理解出来ていた。
「はい。でも普通に動いてますよね?と、ミサカは昨日研究室で彗糸さんと話をしていた垣根さんの姿を思い出します」
「それはとりあえずカブトムシ05の演算を一部拝借して意識を保ち、欠損のない部分はぎりぎり動けるようにしてるだけだ。一時的な措置で、ずっと続けるつもりは無い」
「だから一方通行と同じような代理演算補助装置を作るんだよ。つっても使うのはこのバカガキの虫けらどもだけどよ」
ハンダゴテで作業を続けながらテレスティーナはメガネを人差し指で少しあげる。
面倒だと言わんばかりに低く息を吐く彼女の顔には疲れが見えていた。
「虫と言っても多分お前ら1万人と同等くらいの演算能力だし、アイツのデタラメ能力を補助するくらいなんてことねぇ。それに、」
「それに?」
「なんでもねぇ。とにかく、その装置があれば今まで通り能力が使えるようになるわけだ」
言いかけた言葉を戻し、垣根は口を噤む。神様の力は神に通じるものにしか使えない、ならば天界から引き摺り降ろされた未元物質なら接続できる。
そうして基盤が整えば、演算が阻害されている本体も治るスピードが早くなる。
だが目の前の彼女らはそんなこと知らなければ、神のこともこの世界の事実も知らない。
言う必要も、教える必要もないと、垣根は目を伏せた。
「なら先程の車椅子問題は解決するのでは?と、ミサカは質問します」
「バッテリーの問題でずっと使えるわけじゃない。基本は足以外なら動く省エネモードにさせる。じゃなきゃ充電が丸一日もたねぇ」
「だから車椅子は必須なんだよ」
「難儀な体してますね、あの人。と、ミサカは少々心配になります」
「ほんと、死なないようにするだけでクソほど準備あるし、面倒なことこの上ない」
パソコンの電源を落として深く椅子に座る。USBをテレスティーナに投げて、受け止めたのを確認すると足を組んで頭を抱えた。
か弱い虫によく似たあの白い少女の顔を思い出すだけで複雑な感情が沸き上がり脱力してしまう。
「そう言いながら服も用意して、車椅子も用意してって、ツンデレですね。と、ミサカは微笑ましく思います」
「そりゃあペットを大切にするのは飼い主の義務だろ」
からかうように笑うミサカに垣根は呆れながら足を組み直す。
さっきと打って変わった朗らかな空気は、明らかにミサカの配慮のおかげだった。
「ペットですか。なら飽きた頃には捨ててしまうんですね……ってミサカは垣根さんを挑発してみます」
「そんなことするわけねぇだろ。人をDV彼氏みてぇに言うんじゃねぇ」
「え……DV……?」
二人してくだらない罵倒の応酬をしていると、突然閉めたはずの廊下に繋がる扉が勢いよく開く。
長い黒髪と耳の垂れた犬のような二つ結びが印象的な枝垂学園の女生徒が驚いたような、強張った顔で垣根を見つめる。
その少女を知らない女性二人は突然のことに少し驚き、からかいの言葉や考えは勢いよく引っ込んだ。
「ぁ?弓箭?なんでお前が……?」
「悦さんが、ここにって、お電話で……」
「電話?」
「そういえば、先ほどこの携帯に『親友』を自称する着信があったのでお伝えしましたが……と、ミサカは新事実を伝えます」
「垣根さん、最低ですね……二股の挙句DVですか……私の親友に……!!」
お高いケーキ屋の箱と片手に花束を持って弓箭猟虎は混乱したような表情を浮かべる。
かろうじて聞こえた単語を真に受けひどい勘違いをしている彼女には諌めようとする上司たちの声は届かない。
「これは冗談であって、あなたが思うようなことは、とミサカはなだめてみます」
「最低な勘違いすんな、んなわけねぇだろ!」
「あぁそうだな、それは事実じゃない。正しくは三股だ。藍花、天羽、義妹」
「全員同一人物だろぉが!つか話をややこしくすんな!」
非常に面倒なことになったと、垣根とミサカが考える中テレスティーナだけは違った。こんな面白いことは滅多にないと、誤解される発言を呟いて混乱を招こうと画策する。
居心地のいい研究室といえど年下に命令され、道徳を無視した研究が出来ないことに鬱憤を感じていた彼女はここぞとばかりに垣根の評判を下げるような言葉を続けた。
「ロリコンでギャル好き……性癖ねじ曲がりすぎだろ、救えねぇな第二位」
「ロリコン!?垣根さん、まさか性犯罪に……?」
「ァァァ!こうやって誤解が拡がっていくっつってんだろ!やめろやめろ!」
音を立てて回転式の事務用椅子から立ち上がると垣根の悲痛な声が響く。
誤解を解こうと声を上げるも、彼の弁解は虚しく掻き消え意味が無い。
「ちょっと、うるさいんだけど」
混沌とした研究室内を沈静化させるかのように、突如としてゆっくり開いた仮眠室のドアから幼い子供が白い電動車椅子に乗って現れる。
陶器で作られた人型の飾りのような少女の落ち着いた声で、一瞬にして騒ぎが止まった。静まり返った部屋の中で彼女だけが注目を集めていた。
「……まて、今お前が出てくるとさらにややこしくなる!」
「垣根さん?美人とはいえこんな幼い子を……?」
「違う!」
腰まで伸びる柔らかな髪を邪魔そうに手で払いながら現れた彼女にこの状況を打破する希望を見出すも、彼女の格好にその考えを改める。
無機質な白い肌と髪、輝く緑眼と小柄な体、起きたばかりだというのに整った神に与えられた美貌を持った子供はあろうことか下着と履きかけの靴下しか身につけていない。
彼女が出てきたところで誤解が加速するのは目に見えていた。
「どうされたんです?と、ミサカは駆け寄ります」
「服、一人だと着にくいから……」
そんな彼らの騒動を気にもせず、用件を確認しに来たミサカに車椅子の背もたれに掛かった服を指差し困ったように眉を下げた。
淡い緑のセーラー襟と、ゆったりとしたシルエットをした紫陽花柄の布地が特徴的な中華風のワンピースを手に取り、「ごめんね」とだけ言って利き手ではない左手でミサカに手渡す。
右腕がだらんと力なく垂れる彼女には、たとえ一枚で完結するワンピースでも着替えにくいのは目に見えている。
「服を一人で着れないほどの子供とひとつ屋根の下……?軽蔑します垣根さん」
「これにはワケがっ、」
ボタンが付けられない子供のような会話をする彗糸たちに弓箭は勘違いを加速させる。仮眠室と書かれたプレートが垂れ下がる扉から出てきた艶やかな幼女と上司である垣根の関係性を勘違いする彼女には、もはや会話全てが彼らの関係性を暗喩しているようにしか聞こえなかった。
「にしても、ロリのくせに胸大きいですね」
「そう?Cって小さい方じゃない?」
しかし彗糸たちは呑気にも会話を続け、着替えも並行して行う。手伝ってもらいながらワンピースから頭を出すと、ミサカの悔しそうな無表情に困りながら袖に腕を通す。
女同士の細やかな会話はよく部屋に響いた。
「……これが強者の余裕ですかと、ミサカは絶望します……」
「何落ち込んでんの?泣かない泣かない」
大人の姿と比べて驚くほど平たい幼女の胸だと言うのに哀愁漂う無表情を続けるミサカに訳も分からずなだめながら頭を撫でる。
殺伐とした勘違い合戦を繰り広げる人達と違い、そこだけ暖かな空気が流れていた。
「しかもロリ巨乳ママ属性好きか、業が深いな」
「垣根さん、サイテーですね……こんな可愛らしい子供を……」
「だから!ちげーつっつてんだろ!」
穏やかな雰囲気を壊すうるさい三人の声が部屋中に反響する。
決着のつかない彼らの動向を見守りながら履きかけの白いニーソックスを上にあげると、騒がしい部屋の中で一人、呆れ返ってため息を一つ吐いた。
結局、ことが収まるのに数十分もかかった。
「つまり、藍花さんが天羽さんで、この間の計画で体が壊れて、手術をしたら小さくなったと」
「そういうことだ……」
ココアを手に椅子に座り、複雑な気持ちになりながら弓箭は彼らの言い分を復唱する。
ようやく理解した彼女は申し訳なさそうに可愛いマグカップに口をつけた。
「時間かかったな。おかげでもう取り付けまで進んだぞ」
「なにこれ?」
呆れながら彗糸の首に白いチョーカーを付けてテレスティーナはため息を吐いた。
「演算補助器。腕動くか?」
「あ、動く……」
「説明は後でしてやるから、今は慣れとけ」
細身のチョーカーに困惑するも、腕が動くことを確認すると硬かった表情が少し和らぐ。ずっと使っていなかった表情筋は、衰えることなく花のような笑顔を咲かせる。
利き腕が動くことが嬉しいのか、ぐーぱーと手を握ったり開いたりと繰り返して笑っていた。
「腕だけでも動けて良かったですね、とミサカは安堵のため息をついて呟きます」
「ミサカ……?そう言えば貴女、第三位の……」
「弓箭、それはお前には関係ないことだろ?」
「あ、そうでしたね。すみません」
ふと弓箭は車椅子のそばにいる茶髪の少女に目を向ける。知っている名前、知っている顔、思い出そうと考えだすが、上司の言葉と遠くの方で聞こえたボタンを押す音に気を取られ、モヤがかかり消え失せてしまった。
気にもならないつまらないことだったと勝手に改竄されていく。それは自然的にありえないことだった。
「……?何したんですか?と、ミサカは耳打ちします」
「なんでもねぇよ、気にすんな」
小さく薄いリモコンをポケットの中で弄りながら垣根は視線を逸らす。勝手に脳を弄った罪悪感を微かに感じるも、面倒ごとを起こさないためだと理由づけて能力の本来の持ち主に目を向けた。
「でもちっちゃくなって、ますます可愛くなりましたね!えっと、悦さん?で、いいんですかね?」
「……天羽でいいよ、猟虎ちゃん」
「お前はもう天羽じゃねぇだろ」
「え?どういうことですか?」
「こいつがおれの義理の妹だ。だからもう天羽じゃない」
弓箭との心理的距離を離したいのか、わざわざ天羽の姓を語る彼女に苛立ちを感じ、垣根は車椅子に座る彼女を持ち上げ膝に置く。
現実を拒む可哀想な義妹にちょっとだけ意地悪がしたかった。
「だから義妹ってさっき言ってたんですね……」
「そういうこった。俺が性犯罪なんかするわけねぇだろ」
「でもしてそうな顔してますよね。後で裏で揉み消してそうです!」
「テメェの存在を揉み消してやろうか?あ?」
「そそそそんなことより、可愛いお洋服ですし、髪の毛も結ってあげます!可愛くしましょう!ね!!」
つい口を滑らせた弓箭は焦りながら大人しく座る彗糸の髪を触り、乙女の必需品と言わんばかりに髪ゴムと櫛を取り出していじり始める。
人形の髪とよく似た柔らかい髪は簡単に櫛を通した。
「可愛いってより少女趣味でしょ。どんな性癖してんの」
「デザインは主にテレスティーナだ」
「あっそう。てっきりアンタの変態趣向かと」
「ガキに発情するかよ、バーカ」
髪を弄られる中、小さな足に黄色いフラットシューズを履かせる垣根を鼻で笑うが生暖かい目で流されるだけ。大人ぶった余裕の笑みが腹立たしい。
子供扱いが加速しているのが嫌というほど伝わる。腹立たしい、姉の性分が強い彼女には侮辱でしかなかった。
「はい、出来ましたよ。どうですか?ちょっとだけお揃いなんですよ!」
「……ありがとう」
机の上で控えめに主張する花瓶から緑の紫陽花を手に取り、中華磁器のような淡い色の少女の髪に黄色いリボンと共に花を添えると弓箭は嬉しそうに手を離す。
綺麗に咲いた花と、お団子にアレンジされたツーサイドアップが揺れ、甘い香りがふんわりと舞った。
「可愛くなったな、おチビ」
「……思ってもないくせに」
整えられた髪を優しく撫でると、つまらなさそうな起伏のない声で彗糸は目を伏せる。
感情を悟られないように長いまつげで瞳を覆う彼女にちくりと胸が痛みながらも、彼は正確にその心情を理解できていた。
歪で複雑な愛情がゆっくりと紐解かれていることをよく知っていた。
知っている。天羽彗糸という人間は自分を一生嫌うことがないことを。
ずっと自分の犬でいてくれることを。手綱を掴み取れるのは自分だけだと。
それが彼らにとって揺るぎのない事実で、逃れられない運命だった。