とある科学の肉体支配   作:てふてふちょーちょ

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107話:天の御使い、その仕事

天井を埋めるスクリーンに映った鮮やかな夜空が木々が生い茂る公園を照らす。

そこに居たのは一人の男だった

よく鍛えられた筋肉と、高い背がとても目を引く男が耳元で音声を垂れ流す電話にため息を着く。

 

『殺すのをやめて右腕を奪うに留まるとはな、神の右席は己の方針を変えないものと聞いていたが』

 

「あの少年の特異性は右腕に集中している。それを奪えば脅威は排除されるであろう」

 

『件の少年はまだ神を知らぬと聞いた。それをただ殺してしまうというのは正直反発がある……ヴェントには笑われたがな』

 

上司にあたるローマ正教の教皇の言葉に彼、アックアは答えると電話越しから柔らかい声が聞こえた。

神を信じる真摯な信徒だからか、電話相手は彼の返答に少し安堵したようだ。

 

「私に何を期待しているかは知らぬが、私は貴方ほど善人でも博愛主義者でもない。殺すべき時が来たら殺す。それだけの話である」

 

「随分と甘く見てるのね」

 

電撃が走るような気配にアックアは通信を切る。

突如として現れた知らない少女の声。そして凄まじい気配。

 

聖人に引けを取らない強烈な存在だった。

 

「……日本にいる聖人は、背の高い女だと聞いていたが」

 

「アナタにはあたしが聖人に見えるんだ?」

 

白で作られたシノワズリの少女。紫陽花柄のワンピースと長い髪、そして鮮やかな碧眼が印象的なその子供は、体と同じように白い車椅子に乗っていた。

 

聖人のような何か巨大な力を抱えた少女だと、アックアは直感する。

彼女自身か、それとも繋がる別の何かか。厳かな少女から感じる気配はまるで深淵に潜む神のようだった。

 

「否、似たような何かと形容すべきか。何者である」

 

「天使様だよ、見て分からないかな?」

 

けらけらと、冗談を言ったかのように明るく、そして嫌味ったらしく歯を見せ笑う。

その言葉に先程ぶつかりあった少年の姿を思い出すのは必然。六つの翼を持つ熾天使の特徴をもった少年の力強い攻撃が頭を過ぎる。

学園都市が作った天使、それも形を模しただけの粗悪品(パチモン)。本物と近いアックアにしてみれば、あの少年も、目の前の天使を語る能力者と思しき少女も、ただの戯言を繰り返す愚かな科学の子にしか見えない。

 

「何匹の科学の天使(レプリカ)が来ようと、私が臆することはない。少女、今すぐ帰路につけば見逃すのである」

 

「見逃す?それはアナタが言うべき言葉じゃない?」

 

十歳ほどの幼い子供。それも車椅子に乗った小さい少女は、本来ならば大人が守らなくてはいけない存在。

敵である前に、大人。形ばかりにでも恩情を与えなくてはならない。

 

しかしその恩情を馬鹿にするかのように、少女は甘い香りを漂わせて小さな刃物を袖の中から取り出した。

林檎の香りがする小さな果物ナイフ。可憐な少女が持つには相応しくない無骨で鋭いナイフが大きな満月の光を反射する。

目に見える殺意がそこにあった。

 

「猶予は与えた。愚かな少女、その選択に後悔しても遅い」

 

「後悔するのはそっちだよ」

 

少女の高いソプラノ声が月夜に響く。姿を晦まし、アックアの目の前にはカラになった車椅子が静かに車輪を回った。

冷たい空気が肌を刺す。音のない林の中、自然と目は上を向いた。

 

「言っただろ、本物だって」

 

月を背にし、翼を生やした恐ろしい生き物が緑眼を光らせ空を飛ぶ。その頭上で回る丸い輪が淡く光り、少女を照らした。

 

背中から生えた五対の翼。

そして腰を支える小さな双翼と、スカートから伸びる動かない足を人形のように操る一対の翼。

 

合計七対十四の翼。

異様な姿だった。その数に該当する天使は彼の中で一つしか思い当たる節はなく、口の中で舌打ちを鳴らす。

 

「……アザゼルか」

 

天使であり悪魔である存在がいる。

ノアの箱舟のその前。塵の子(人間)を見張るため、神に遣わされた天使の軍団がいた。

その名は『見張る者(グリゴリ)

十字教の一派には天使として認められていない異質な存在。なおかつ彼らは他の天使と違い巨大で睡眠を必要とせず、肉体があり、そして罪を犯していた。

 

彼らが犯したのは死より重い罪、神への裏切りである。

 

彼らは恋をしたのだった。リリスに唆された始祖の子供達、監視すべき塵の子らを孕ませ、娶った。

そして恋に盲目となった見張りたちは全てを教え、巨大な子供達が生まれ、世界が腐臭漂う混沌となる。

 

そのグリゴリたちを指揮する天使こそアザゼルであった。

 

神に力を与えられた者

 

神が創った者

 

神如き強者

 

様々な異名がある彼は、七つの蛇の頭、十四の顔、文献によって異なるが六対十二、または七対十四の翼を持つと言われる巨大で恐ろしい天使。

彼は男に愛するものを守る武器と防具を、女に愛するものを振り向かせる化粧と宝飾を。

そして魔術を教えた。

 

それが神の逆鱗に触れてしまう。

溢れ出た洪水が世界を飲み干し、選ばれた者(ノアの子孫)と生き物だけを残して全てを始まりに戻した。

 

人の祖、魔術の祖。

多くの謎がある天使の一人と同じ記号を持つ少女に悪寒が走るのも無理はなかった。

 

「神を嫌い人を愛する天使なんて、とてもいい響きじゃん?」

 

「魔術師でもないのに魔術の始祖を名乗るとは、極めて不愉快である」

 

とんっと軽やかに少女は木の枝に留まる。体重も重力も感じさせない姿は人間とは思えなかった。

本当に、聖書の中から飛び出した異形の存在のようだった。

 

「天国の肉体と、天を落ちた魂と、神と繋がった大脳。そこらの聖人だとか魔神だとかと同じものだと思わない方がいいよ、ミスター」

 

「それはこちらの台詞だ!」

 

月の光で伸びたアックアの影から巨大なメイスが出現する。

掴んだ柄を大きく振りかぶり、少女目掛けて凄まじいスピードで棍棒が迫った。小さな体など吹き飛ぶ力が少女を殺さんとスピードを上げる。

 

しかし生身の人ならば死ぬことが確実な攻撃は、アックアの思惑と反しピタリと宙で止まった。

火花を散らし、メイスが勢いを無くす。

力を受け止めた少女の手には、何の変哲もないただの果物ナイフが刃こぼれもせずに握られていた。

 

「ッなに……!!!」

 

「素晴らしい材料で作った武器が力を持つわけじゃない。行動を起こした人が英雄(ヒーロー)と語り継がれるように、武器を手にした人の価値が力を持つ。本物の神が手にしたものならば、それは木の棒であっても力もつ武器になる」

 

魔術的な要素も感じない一般的な果物ナイフ。それも買ったばかりで、使い込んだ様子もない安物。

 

予想だにしない光景に後退し、アックアは手に力を込める。

聖人の雰囲気を醸し出すとはいえ、所詮ただの子供。同じ聖人でも大人であるアックアの力を受け止めるほどの力を、子供の細い腕が受け止められるとは思えない。

何かトリックがあるとしか考えられなかった。

 

「たかが小娘と侮るなよ、お前の眼前に立つのは()()()()()()であることを忘れるな!!」

 

「天使の次は神の子か。随分な虚勢であるな。その生意気な言葉、いつまで続くか」

 

アックアの地面を揺らす音が地の底からくぐもったように響く。

地下のパイプを伝い、地面を裂いて現れたのはクジラのように巨大な水の塊。木の上で羽を休める小さな天使を飲み干すために、吹き出した上水が勢いよく降り注ぐ。

 

「やだ、あたし濡れるの嫌いなの」

 

だが少女の言葉に水は重みを増し、軌道がズレて地面に落ちた。

雨と土の匂いが強く香る。水と混じって湿った砂利の上、地面に降りた少女は豪華な翼を広げてじっと彼を見つめていた。

 

「土……?いや、砂であるか?」

 

「正解。アザゼルのルーツ、ご存知でしょ?」

 

地面から数センチ浮かぶ天使は飄々とした笑顔を見せる。

水に濡れることも無く、砂利で靴が汚れることも無く彼女はそこに佇んでいた。余裕の笑みが腹立たしい。

 

確かに彼女の言葉は正しかった。

アザゼルは天使であるにも関わらず他宗教から組み込まれた多神教の神。

シリアからきた砂漠の神。すなわち神格である。

 

「……相性は最悪か」

 

「理解が早くて助かるよ」

 

水は砂の重みで愚鈍になる。そして土に伝わり分散する。

分が悪い。

 

「……聖母の慈悲は厳罰を和らげる(THMIMSSP)時に、神の理へ直訴するこの力。(TCTCDBPTTROG)慈悲に包まれ天へと昇れ(BWIMAATH)

 

──これは本気を出さねばなるまい。

呪文を唱えて空に跳ぶ。

神の子の力と天使の力、そして慈悲深き聖母の力。全てを束ねる呪文。

体に集まる力をメイスに委ねて、渾身の一撃を少女に向かって放つ。

 

彼女に逃げ場はない。

命乞いをしても、もう止められない速さの攻撃が空気を切り裂く。

頬を掠める冷たい風の先、少女が目を細めたのが少し気がかりだった。

 

私は主の端た女です。(ECCE ACILLA)御言葉通りこの身に成りますように(DNI VBV TVVM)

 

彼女が口にしたのは命乞いでもない、呪文のような何かだった。

それは絵画の台詞。物語の台詞。

 

フラ・アンジェリコ作『受胎告知』

ルカの福音書01章38節に記されたラテン語の頭文字。

 

ガブリエルによって告げられた受胎を聖母が受け入れる場面での聖母の言葉。

 

魔力の籠っていない、魔法の呪文。

その言葉に、アックアから力が抜ける。彼の唱えた慈悲の呪文がなかったことにされた、そのような感覚だった。

 

「っ!?力が……!?」

 

「あたしはね、言われたの。愛してるって!お前をずっとみているって!お前らが請い願う神に!」

 

天使が顕現する間はその術式が使えない。

ならば、()()()()()()()()()()()()()()()ば、聖母を使った呪文はどうなるだろうか。

 

恐ろしい予測がアックアの脳内を巡る。

目の前の小さな少女が持つ可能性が恐ろしかった。

 

「マタイによる福音書、03章17節「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」、その言葉はあたしを神の子として定義する。ならば、神の子とへその緒で繋がれ、紛うことなき遺伝子で結ばれた母と同じだっておかしくは無い。()()()()()()()なら尚更」

 

少女の愉快そうな笑い声が響く。してやったと馬鹿にする悪役顔に苛立ち、躱されたメイスを握る手に力が籠った。

 

少女は本物であった。

 

外側(メタ)から現れた異次元の存在。それを定義するのは難しく、何万通りに『設定』を書き換えられる。

偶像(レプリカ)ではない、無限に再定義可能な唯一無二(オーダーメイド)

 

誰にもその輝きを穢すことはできない。

 

「造られた天の器と、天へ昇った魂、そして神と繋がるこの想い。純潔で、女で、おまけに藍色を冠するこの名前。さて、どちらがより本物らしい?」

 

「そんなこじつけの理論で神に至れると、本気で思ってるのか」

 

「それがこの世界だろうが!!偶然配置した土産が術式になって!偶然生まれた子が神の子と同じ何かを持ってて!偶然つけた傷や日用品が儀式になる!紀元前の創作物を本物として扱って、それを解釈してこじつけて、思い込んで!それが巨大な力になる!それがこの世界のルールだろうが!」

 

果物ナイフが鋭く光る。喉が軋むほどの叫びを響かせ、小さな体がアックアの懐へと潜り込んだ。

 

「変幻自在のこの魂に恐れ慄けクソガキ!この神如き強者がテメェを極寒の地へと叩き落としてやるッ!!!」

 

次に感じたのは衝撃。

メイスで受け止めた重みは、可憐な少女が出せるようなものではなかった。踏んだ地面から浮き、アックアの巨体は引き摺られ、メイスからは火花が上がる。

辛うじて押しとどまるも、地面に引き摺られた跡が残っていた。

 

「ッ!!!出鱈目ではないようであるなッ!!」

 

「アザゼルには多くの逸話がある。不浄の悪魔になったと、人を唆すリリスそのものだと、おぞましい概念そのものだと、更正しザドキエルと名を変え天使に舞い戻ったと。謎深き異邦者(グリゴリ)の一人。巨大であり、人と子を成せる超次元の神格」

 

空に浮かんだ少女は目を細め距離をとったアックアを鼻で笑う。挑発的な言葉と全てを見透かしたような冷たい瞳が恐ろしい。

 

「……貴様こそが、天使の中に紛れた『神』と言いたいのか」

 

「あたしも同じと言いたいのさ。神の言葉と天の血肉を持つこの体だからこそ、あたしは何にでもなれる!!この身を偶像と再定義すれば、あたしは人類の母にも!堕ちた御使いにも!清らかな天使にもなれる!人に紛れた無貌の神にもな!!」

 

「ふざけたことをッ!!!!」

 

「おふざけ?ふざけてるのはそっちだろ、ウィリアム=オルウェル!」

 

再び両者の武器が交わる。土埃を巻き上げ、風が起こる。

 

「ッッ名前を……!?」

 

「医療の整っていない地域に薬草を伝える?飢えに苦しむ村にゴボウの調理法を広める?」

 

知るはずもない名前を高らかに叫び、小さなナイフで少女は受ける攻撃を受け流していった。

 

「違うだろ!!金使って病院建てろ!薬草とか漢方って、お前医大出てんのかよ!出てんならなんで人を殺す真逆の職業ついてんだテメェ!」

 

鮮やかな橙色の火花が散る。強い花の甘い香りが舞い、何もない静かな空気が華やかに色づくような錯覚が続く。

神の香り、天の匂い。ペースを乱し、この場を支配するのはただ一人、可憐な乙女であった。

 

「高校生のガキ一人に馬鹿げた力使ってさぁぁぁ!!!何が聖人だ!何が賢者だ!何が聖母だ!辞書でも引き直してこい!!」

 

「ぐッうっっっ!!」

 

「言い返せるもんなら言い返してみろウィリアム=オルウェル!神の御業(このあたし)を信じないというのなら出来るだろう!?」

 

細身の果物ナイフが5mを優に超える巨大なメイスをはたき落す。そして気を取られた瞬間、アックアの足が地面から浮き、数メートル先の木へと体が叩きつけられた。

 

苦い味が口腔に広がる。込み上がる吐き気と悪寒がアックアに初めて揺らぎを与えた。

少女のおぞましい瞳から目が離せない。厳かに輝く緑の目が恐ろしかった。

 

「ッ……貴様は何者である?」

 

「あら?発言権は勝者(あたし)にあるのだが?誰が質問で返せと言った?」

 

「……」

 

「あー、とにかく本題に入りましょうか、ミスターオルウェル」

 

開いた口は少女の強い言葉で閉ざされる。

それでも疑問は消えない。まるで本物の天使、神と繋がる怪物が現世にいることが信じられなかった。

 

魔法名を名乗らない科学側の人間。だというのに異様に聖書に詳しく、神の右席に詳しいような素振りを見せる不思議な少女。

おかしいと思うには十分すぎる違和感が確かに彼女にあった。

 

けれどそれを問おうとしても、口は思うように開かず声は出ない。

魔法にかかったようだった。彼女に逆らうことは許されない、そう思わせる魔法に。

 

「天使には神託を伝える務めがある。それはご存知?」

 

舞い降りた天使は優しい微笑みを携えて膝をついたアックアを見下ろす。

唐突に告げる言葉に脳がフリーズし、動かない。突飛な言葉、けれどそれに茶々を入れる気も起きず、彼女の言葉を待った。

 

「この先、国を揺るがすクーデターと、世界を揺るがす戦争が起きる。お前の愛する世界と、愛する国と、愛する王女が無くなるかもしれない大きな事件だ」

 

「なにを言って……?」

 

彼女の言葉は支離滅裂で、突拍子もなく、意味の理解できないものだった。

 

「全てを知る神の言葉を聴き、御使の願いを叶える気はあるか?」

 

男の眼前に降りたのは救済の糸。

おぞましき少女の差し出した小さな手。それを掴むか否か、眩しい光輪と広がる翼の前では考える余地などなかった。

 

 




次回は来週です。待たせて申し訳ないです
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