今回の本編は短いです。
窓の外で賑わう雀の鳴き声に薄く目を開く。
家とは違うベッドの硬さに苛立ちながら身体を起こすと、自然と溜息が零れた。
「クソ眠い……」
毛布を剥ぐと一気に体が冷える。鬱陶しい茶色の前髪をかき上げて寝惚け眼で空白のシーツを見つめると、垣根帝督は眉をひそめた。
人型の湯たんぽがない。いつもなら文句を言いながらも渋々一緒にいる面倒見のいい義妹の姿がなかった。
──あの女、まだ拗ねてんのか。
昨夜の口喧嘩を解決しないまま飛び出していった彼女、『元』天羽彗糸の現在の姿を思い出す。
自分の手で捕まえておけばよかったと後悔しても後の祭りというもの。自分しかいない病室に寂しさを感じてしまう。
「そうだ、病院……検査入院とかだる、バックレちまうか……」
良い睡眠導入薬が不在だったせいかまだ眠い。重い瞼を擦りながらベッドから降り、ふと外をみる。
心地よい秋空が広がる窓の外。澄んだ空に浮かぶ雲がゆっくりと流れ、静かに時間が進む。
「ったく……あー、ナンバー50、彗糸の様子を──」
意地になっていても仕方がない。
意を決して昨晩妹の足取りを追わせたダークマターで作られた一匹の兵隊に接続する。
「……繋がらない?」
しかし一向に意識は接続されない。
少女の
冷や汗がじんわりと頬を濡らす。最悪な予測が垣根の脳内で巡る。
感じたこともない恐怖が彼の体を突き動かした。
上条のネームプレートが書かれた病室の前、慌ただしく扉に手をかける。
珍しく焦りを見せる垣根の額には冷や汗が浮かんでいた。
「おい!!上条いるか!?」
「うおっ、なんだなんだ、どうした」
閉じた病室を勢いよく開くと、中にいた人物が驚いたような顔で目を見開いた。
音を出すなととやかく言う目障りな女がいないからか、慌てる垣根には他人の迷惑など脳の隅から消え失せていた。
「あ?取り込み中か?」
「いや、ちょうど今から取り込むとこだったからセーフだ」
「垣根帝督……貴方も巻き込まれていたんですか」
ズカズカと病室に入り込む垣根だったが、中にいた上条以外の人物と目が合うと少したじろいだ。
上条の周りを囲む自分と同じぐらい背の高い女性と、小柄な女性。見覚えのある女性二人の視線は上条から垣根に移る。
なんとも言えない微妙な空気が少し気まずかった。
「神裂がいるってことは、アックアの方はどうにかなったのか」
「それが……」
「なんだよ」
五和と神裂火織が顔を見合わせ口篭る。病衣の上に纏ったいつもの赤紫のジャケットに手を入れ彼女らの言葉を待つが、バツの悪そうな彼女たちの表情に何処と無く先の展開が読めてしまっていた。
「……アックアの気配がないんです」
「気配が?」
「はい。私たちも何が起こっているか全くわからないのですが、とにかく昨晩から彼の気配が忽然となくなったのです」
物語と同じ結末。しかし彼女の重々しい口調から同じように解決されていないと察する。
逃したか。
物語の結末を知っている垣根にとって、彼女らの報告は神経を逆撫でするような代物だった。
「……つまり、アックアは学園都市から自国へ戻ったってわけか」
「え、えぇおそらく」
「つーことはもう俺を追いかけてねぇのか?たまには上条さんにも運が向くってわけですね!」
自国へ戻ったと思われるアックアに一つ悪い想像が垣根の頭を過ぎる。
痕跡を消して何処かへ逃げた自分の義妹。この世の全てを知り、神に愛される奇跡そのもの。
正義感が強く、好きな人を置いていってでも野望を成し遂げようと努力する生まれながらの異常者。
その彼女を見張るはずだった接続も感知もできない自分の能力で作られた生物型の端末。
そして次の
接点があると、直感が伝える。
「そういえば貴方はなぜここに?急いでいるように見えましたが」
「……もう、解決した。戻る」
肉体と魂、その双方が彼の監視から離れ行方知れず。大切なものが二つ、知らぬ間に彼の手から離れていた。
感じるのは怒り。自分のものが勝手に行動した独占欲と執着心が生み出した怒り。
そして何も言わずに去って行った事実に喪失感が沸き起こる。
初めて感じるものだった。苛立ちと腹立たしさ、喪失感と虚無感。
遣る瀬無い感情に、戸惑いつつも口を強く結ぶことしか今はできない。
妹は次の舞台へ向かった。それも一匹の監視個体と魔術側の男に何か
もうここに用はなかった。女を侍らせる幸せ者の主人公も、そのヒロイン達も興味ない。
ただ一人、自分の義妹(ヒロイン)のことしか頭になかった。
話に追いつけていない女性陣を置いて垣根は静かに部屋を後にする。
混乱する感情を押し殺して、ただ冷静に、小さな人形への制裁に考えを巡らせていた。
雲の厚い空の下、一人の少女がいた。観光客で賑わう時計台の歩道橋の上、下を流れるテムズ川をガラス張りの足元から眺める可憐な少女は小さくため息を吐く。
「本当に暗い国だね、相変わらず」
人形のような少女。
白い肌、白い髪、鮮やかな碧眼。そして車椅子。
通行人の視線を奪う華やかな少女は、動かない両足に手を置いて遠くを見つめる。
ぼんやりと眺める雲はゆっくりと動き、微かに雨の気配がした。
雨の多いこの国で厚い雲を見ない日は多くない。ぽつりぽつりと窓にぶつかる柔らかな雨が、賑わう観光地をどこか厳かで静かな場所に感じさせた。
「テメェの鬱陶しい顔と同じだな、メンヘラ」
「……うるさいよ、
涼しい雨の音に被さるよう、若い男が少女に話しかける。
近寄り難い少女の頭を撫でる眉目秀麗な少年はとても愉しげに笑っていた。
「つれないなぁ、親しみを込めてホワイトくんって呼んでくれたってかまわねぇんだぜ?」
「それは違う
アジア人にしては背の高い茶髪の少年が車椅子の後ろに回り、少女の耳元でくすくすと笑う。
白と茶の髪、緑と黒の目、そしてイギリス人の目線では10歳にも満たない少女とハイスクールに入ったばかりのような若い少年。その傍らには人ひとり入る大きな黒いスーツケースがあった。
「早く行くよ、時間もないんだから」
「あー、待てっての、置いてくなよ」
外見と年齢差が無ければ仲睦まじいカップルに見えるほどの距離感で、彼らは橋を渡る。
どこか違和感のある二人組は橋を降りて目的がないようにフラフラとタワーブリッジを後にした。
誰にも見えないエレベーターの中、少年はため息をひとつ吐く。
「それで、小さなマスター。今後のご予定は?」
赤い瞳、黒い塗料を流し込んだような口の中と眼球。そして少女と同じように真っ白な服と肌と髪。
垣根帝督と瓜二つの姿をした彼は手持ち無沙汰と言わんばかりに小さなリモコンを意味もなく弄り、少女と手を繋いで目を細める。
「世界征服。あとサヴィルロウでショッピングでも」
酷く愉しそうににんまりと。彼らは繋いだ手を強く握って、雨が香るロンドンの地に降りた。
今年の更新は今日で終わりです。
また来年。皆様良いお年を