110話:空の下で
少年は嘆いた。
「……不幸だ」
長い足を圧迫する狭いエコノミーシートで彼は眉間に皺を寄せ、ため息を吐く。窮屈な席と耳障りな声が頭を痛ませる。
こんなことなら無理をしてでも超音速旅客機に乗ればよかった。上が手配したチケットを馬鹿正直に使わなければよかったと後悔しても遅い。
「なぁトランプとか持ってきてねぇの?それかしりとりするか」
「それよりご飯なんだよ!!ビーフ・オア・フィッシュ!」
一際目立つ綺麗な顔をした美少年の右隣、銀髪の少女と黒髪の少年がソワソワと座っていた。
賑やかな隣に垣根帝督は再びため息を吐く。この不運に感情が追いついていなかった。
「いつにも増して疲れた顔してんな。天羽が居ないのがそんなにつらいかよ色男」
「うるせぇ落とすぞ」
「飛行機から落ちたらさすがの上条さんでも死にますわよ!!」
上条当麻とインデックス。
彼らが垣根と同じくイギリスへ向かっているのは知っていた。というよりも、これから迎えに行く彗糸がそれを知った上でイギリスにいる為、どこかで鉢合わせるとは思っていた。
しかしだからと言ってその偶然が、こんな最初に、同じ機内で、同じ席とは思いもしなかった。
何便もあるイギリス行きの便の中、彼と同じ便に乗ることになったのは、どこをどう考えても不幸としか思えない。
「ていうかまだイギリスつかないの?お腹すいたんだよ」
「今はフランスで貨物入れてんだ、ワガママ言うな」
「そうだぞ、あの光速音速爆音飛行機には乗りたくないだろ?」
まだフランスにて離陸しない飛行機、スカイバス365。うるさい隣人を乗せて飛ぶのを待つ垣根の心中は決して穏やかではなかった。
それもそのはず。
この飛行機は落ちる。その未来を知る彼が穏やかになれるはずもなく。
フランスとイギリスがどうとか、政府がどうとか。
知らねぇ奴等がクソみてぇな信条掲げてくだらねぇ理由で民間人諸共死のうと画策する。
それが
気持ちが分からないわけではなかった。
垣根も括りとしては同じ『テロリスト』、もしくは『革命家』、彼らの考えや気持ちを真っ向から否定することはない。
けれど彼らは悪人としてはクソの部類に入る。
垣根のポリシーに反する小悪党どもに感情移入することもない。
さらに言えばこの飛行機は愚かにも逃げてしまった飼い犬を連れ戻すために乗っているもの。
早く取っ捕まえたい気持ちと狭いエコノミーの圧迫感が苛立ちを増長させている現状、自分の旅路を邪魔する輩などただの汚物である。
殺そう。不審な動きをしたテロリストは全員殺す。あのアホの迎えを邪魔する奴は全員殺す。
狭っ苦しいエコノミーシートの中で固く誓った。
鉄の塊が飛び立ってから一時間経ったころか、時差で眠くなる頃合にふと不審な男が立ち上がる。
金髪で、何やら焦っている様子でトイレへ向かうその男の姿に見覚えがあった。物語に出てくるテロリストの一人。
このままのさばらせて到着時間に支障が出るのは非常に困る。
ならば面倒を起こす前に、最善を尽くすしかない。
「垣根、どこ行くんだよ」
「飛行機で立つ理由はひとつしかねぇだろ」
「あー、早く戻ってこいよ」
「へいへい」
未来をよく知る垣根はこめかみに手を当て、意を決したように席を立つ。
あまりにも突然で窓際に座る上条が驚いたような顔をしていたが、垣根に何かしらの疑いを持っているようではなかった。
「……はぁ、未来が分かるってのは結構大変だな」
座席のあるスペースと添乗員などのスタッフの休憩スペースを隔てるカーテンを通り、薄暗い廊下を進む。
誰かの呻き声が微かに聞こえる手洗い場の前で、彼の足は止まった。
「少しよろしいですか?」
美人な添乗員をトイレの個室に押し込もうとする男を前にして、垣根は姿に見合わない温和な笑みを見せる。
事が起きるその一瞬、ニュースキャスターのように流暢で正確な英語で話しかける美少年の笑みにナイフを添乗員の首筋に当てるその男の動きが止まった。
「誰だ」
「そのクソみてぇなことやめねぇと、痛い目見るのはテメェになるぜ?」
柔和な笑みと裏腹に、彼は怒りを煮詰めた酷く恐ろしい声で男を黒い瞳で見つめる。
何か得体の知れない恐怖が、その少年から感じられた。
ただの子供、けれど彼は学園都市が誇る人の姿をした怪物。
垣根帝督という人間を知らぬ男は、ただその恐怖に震え、言葉が凍えた。
「……悪いが、今の俺はすこぶる機嫌が悪いんだ。言いたいこと分かるよな?」
垣根の冷たい言葉に男は添乗員を離し、青ざめた顔でナイフを落とした。
殺される。
本能が悲鳴をあげていた。そして本能のまま、男は戦意を失った。
寒い貨物室の中、一人の男が静かに座っていた。冷たい床と冷たい空気、そして緊張が男を強張らせる。
今宵、何かが変わる。
彼らの行動で、飛行機がひとつ落ち、トンネルで繋がる二つの国に亀裂が生まれるかもしれない。
ただそれだけのために男は仲間と共謀し、大罪を起こそうとしていた。
そのためにはまず機内に潜伏していた仲間と合流しなくてはならない。
いつになったら迎えが来るのかと、寒い貨物室で白い息を零した。
しかし一向に彼は来ない。
まさか失敗したのか、そんな胸騒ぎがする中、ようやく唯一のドアが静かに開いた。
「おいクソ野郎、一人で楽しそうだな?」
扉から現れたのは茶髪の美男子だった。
流暢な英語で喋る知らないアジア人に少し驚き男は僅かに目を見開く。男を見下ろす冷たい黒い目と視線が交わると、わずかに甘い香りが漂った。
「俺の手を煩わせんじゃねぇよ、クソが」
はっきりとした日本語が聞こえたその瞬間、白い塊が男の鳩尾にめり込んだ。
音のしない、攻撃だったのかすら認識できない痛みのない腹部への攻撃に男は首をかしげる。
何かされたように感じる、けれど何も起こって居ない。
見掛け倒しの強さかと、どこか安堵する。こんな線の細いモデルのような美男子に、覚悟を決めた恰幅の良い男が負けるわけがないと。
「精々ゴミはゴミらしくしてろ」
「……ッ?!!」
しかし、異変はすぐに訪れた。
冷えた指先の感覚が消えていく。着込んだ布も、持って居たグレネードも、短く切られた髪も、その重さを失い地面に砂が広がった。
体が砂へと変わる。呪いをかけられたように少しずつ、体が砂となり崩れていく。
ありえない現実に悲鳴すら出ない。
その光景が受け入れられなかった。自分の体が砂に変わる摩訶不思議な光景がどこか他人事のようにすら見える。
「そのゴミ集めて捨てろ。まだ生きてたいならな」
最後に見えたのは灰となっていく肉体を恐ろしげに見つめ、震える仲間の姿。冷えた空気の中、自然と閉じていく視界はただその悪魔を映していた。
カーテンをくぐり、手洗いへと向かう。帰ってこない友人を迎えに行く足取りは軽い。
「あ、いたいた、遅すぎるぞ。どんだけ踏ん張ってたんだよ」
「ちげーよ、先客がいんだよ」
見慣れた美男子が壁に背を預けてぼんやりと宙を眺めているのを見つけると、上条は呆れたように話しかける。
大事な友人、垣根帝督。いつもセットの少女が行方不明だからかいつもより儚げな姿に心配が募り、思わず様子を見に来てしまった。
男相手にそんなことする必要性はないと思うが、自分がその立場になった時を考えればそうも言ってられない。
それに上条にとって彼は大切で、大事な友。困り事があれば助けてやりたいし、辛いことがあるなら話を聞いてやりたい。
男同士の友情と呼ぶには少し過ぎたヒーローの考え。
けれどそれを彼は友情と信じていた。
「なんだ、てっきり天羽に隠れてナンパかと」
「ぶっ殺すぞ」
垣根が言葉を言い切った後、それは聞こえた。
がたん。
ふざけた二人の態度を遮るように音が響く。
茶化しながら垣根を元気づけようとするも、大きく揺れた手洗い場のドアに会話が途切れた。
大きなものが倒れたような音、一体何なのかと二人の視線は自然とそのドアへと注がれた。
「ぁ、殺さ、殺さな──」
「あ?どうしたんだ、おっさん」
勢いよく扉が開くと、見知らぬ男が酷く青ざめた顔で現れた。
具合が悪いのか、歯切れの悪い言葉で震える男はすこし普通じゃない。
「だ、大丈夫か?すげぇ具合悪そうだぞ」
「ッあ、あ、あぁ!!」
尋常じゃない震えと顔の青さに上条は急いで駆け寄るも、男は怯えた顔をして走り去ってしまう。
いけない薬でもやっているのだろうか、そう疑問に思っても真相は分からない。逃げ出した男を追うほどの正義感は持っていない上条は、男の消えていったカーテンの向こうを見つめ、首を傾げることしかできなかった。
「添乗員さん呼んどいた方がいいかね」
「大丈夫だろ、行くぞ」
「あれ?トイレ……あ、まてよ!置いてくなよ!」
何事も無かったかのように、垣根は上条を置いて席へと戻る。
結局用を終えずに戻る垣根に少し困惑しながらも、元気そうな友人の背中を見ながらそのあとを追った。
広い道路に一台の車が走る。四人乗りの至って普通の車、特に目立つことも無いそれに若い少女達が乗っていた。
「あ、飛行雲」
窓を開けて冷たい空気を顔に浴びると、後部座席に座った少女のひとりが零す。
澄んだイギリスの暗い空に一本、飛行機雲が走っていた。
これから起きることを予兆しているような一本線。ぼんやりと眺めるその線は、次第に薄れ消えていく。
「レッサー、気を引き締めろ。これからイギリスってものをぶっ潰すんだから」
「分かってますよ。この『新たなる光』がイギリスを変える、そうでしょ?」
運転席に座る別の少女にレッサーと呼ばれた彼女は、消えていったその雲を眺めながら冷たい空に息を吐いた。
彼女達は『新たなる光』、このイギリスを変えるべくやってきた輝きに溢れる若き魔術集団。
四人の少女たちで構成されるその光は、逞しい野望で満ち溢れていた。
この車が進む道こそ、彼女らの野望を叶える道。
この車が運ぶのは、ただのか弱い少女ではない。
「ちょっと待って……人がいる」
突然、運転席から見える景色に車が止まった。
道路の真ん中、それもこの車が進む車線に小さな人影が強烈な違和感を発しながらそこにあった。
「子供……しかも車椅子。横断しようとしてタイヤでも突っかかったんじゃないの?」
「誰か何とかしてよ」
遠目でもわかる嵩張る白い車椅子と、白い少女の姿。
無力な子供が一人、道を塞ぐ。
このままでは進まない車。狼狽える車内で誰かが面倒と言わんばかりに大きく息を吐いた。
「ちょっとあんた大丈夫?」
「えぇ、大丈夫」
仕方なくレッサーが車を降りて少女の元に駆け寄る。アメリカ、それもニューヨーク訛りの英語で答えると、少女は屈託のない笑顔で目尻を下げた。
白い車椅子と、白い少女。美人な子供だった。イギリス人にも見えたが、アジアや大陸の血も感じる不思議な少女。すんなりと人種間の隔たりやら取っ付きにくさをなくす、そんな不思議な魅力を持つ少女だった。
柔らかい笑みに安心が芽生える。
車椅子の子供一人、問題があったら病院に連絡するなど面倒事が増えてしまう。助けてあげないと。
そう自然と思わせる何かを彼女は持っていた。
「目的は捕まえたからさ。ねぇ、レッサーちゃん」
「え?」
けれどそんな魔性の笑みは長く続かない。
かちりと、どこからが聞こえたボタンを押す音が聞こえた。
その音を最後に、喉も、体も、指先も、何もかもが動きを止める。金縛りにあったかのように、何一つ動けなかった。
蛇に睨まれた蛙。恐ろしく輝く少女の緑の瞳にレッサーの体は支配される。
たった一人の子供に肉体の支配権は奪われ、何もかもが無くなるような、そんな形容できないおぞましさが喉元まで迫り上がって、吐いてしまいそう。
「さて、どうして差しあげましょうか」
「……本当に彼女たちが?」
「さぁ?カーテナ=オリジナルを確認すれば理解出来るんじゃなくって?」
妖精の笑みを彷彿とさせる笑い声の後ろから巨体の男が現れる。
体格のいい背の高い男は、無愛想な顔を顰めて動かない体で黙るレッサーを見下ろした。
冷や汗が伝う。恐ろしい結末が頭に浮かんでは不安を煽る。
ただひたすらに恐怖が押し寄せ、体が動きを止めてしまう。
「なっん、でッッ……!」
「神様はなんだって御見通し、だってさお嬢さん」
ようやく出たか細い声に答えたのは少女の袖から現れた小さなカブトムシだった。
眩しい赤の目を持った白いカブトムシが少女の体を這い、男の声で呟く。
脳が止まる。
これは現実か。夢か。
信じ難い景色にレッサーの唇は震え、手先の熱は消えていく。
「だから、この結果に不満なんか覚えないでね?」
もう一度、少女はボタンを押す。長い少女の髪がゆれ、甘い匂いが強く香る。
荘厳な鐘が鳴るような鈍い衝撃が幾度となくレッサー達に波のように押し寄せ、そして最後、意識は飲み込まれていった。
ちなみに垣根くんが一般エコノミーに座っているのは
超音速旅客機乗せよう!→そう言えば重要人物(インデックス)も乗るな→せや、土御門(上条)と一緒に乗せたろ!おもろいから!→え、普通の飛行機乗るん!?→じゃあ垣根もそっち乗せたろ!ついでに隣の席にしてやろ!
という電話相手(上司)の粋なはからいのためです。