神裂さんのことは大好きです。自分でも書いてて苦痛だったので許してください。
月明かりと人工的な光が照らす街中、天羽と垣根は二人のんびりと世間話をしながら帰り道を歩いていた。
今日は色々と濃い一日だった。
学生の帰宅には遅い時間。もう日は落ち、街灯とビルの明かりだけが道を照らしていた。
「おっふろ!おっふろ!おっふっろー!」
そんな暗い中歩いていると、彼女ら耳に可愛らしい女の子の声が耳に入る。
浮かれた子供の声は少しずつ近づいてくると、道の角から見慣れた顔が現れた。
目を向けた道の先には真白い少女、そしてその保護者。
インデックスと、上条当麻。風呂桶を持っている姿を見るに、先頭に向かっている最中のよう。
「お二人さーん!」
「けいととていとくだ!」
ご機嫌な少女たちの元に行ってみると二人がこちらに顔を向ける。
可愛らしい声で名前を呼んでくれるインデックスは何やらご機嫌のようだった。
「天羽、垣根も一緒……って、何で服ボロボロなんだ?」
そんな中、上条は彼女の服装を見てギョッとする。
まるでテロにでもあったかのような服装の乱れ具合。実際にテロに遭遇、干渉していたため爆風でセーラー服の端々が焦げ、布は毛羽立っている。
傷は一つもないが、流石に服を治す能力は持っていないのだ。ボロボロなのは当たり前。
自分を完璧に守れる垣根とは違い、服までに気を回せない。
だから替えのある制服と安物の古着ばかり着てしまう。
「ちょーっと爆風に巻き込まれちゃって」
「ば、爆風!?大丈夫かよ!?」
「大丈夫!平気よん」
驚いたままの上条に笑顔を向けると、納得してなさそうではあったがそれ以上の追求はしてこなかった。
代わりにインデックスが彼女たちを心配そうな目で見つめてくる。深夜にボロボロの二人、シスターとしては気になるのだろう。
「けいととていとくは夜遊び中?喧嘩したの?」
「ううん、してないよー。仲良く帰宅中!ホントはバイクで帰りたかったんだけど、どっかの誰かさんに鍵を没収されたから歩くしかなかったんよ」
夜遊びと勘違いされるのは少々不本意だが、こんな時間に出歩く派手な見た目の二人、確かにそれっぽいとは本人も感じていた。
ヘソ出しに改造し、アクセサリーをたくさんつけた金髪頭など、不良少女以外に考えられない。
実際はそんな遊び人ではないが、彼女の服装は制服といえ誤解を受けやすかった。
本来だったらバイクですぐ帰ってしまうから、誤解も何もなかったのに。なんて悪態をつきながら天羽は横目で垣根を見つめる。
彼女たちが歩いている理由、それはあの戦闘中に言われたことを垣根が本当に実行してしまったから。
バイク没収だなんて冗談かと思っていたが、風紀委員の支部から病院にバイクを取りに行こうとしたところで彼に鍵をひったくられてしまい、バイクのエンジンを入れることすらできなくなってしまった。
「テメェがあの時ふざけたこと抜かしたからだろ。反省しやがれ」
「あたしはお姉ちゃんだから弟君に何言ったっていいんだよーん」
「んで?テメェらは呑気に銭湯かよ」
ベタベタとやかましい天羽をうまくいなすことに垣根は流石に慣れてきたようだった。
「俺の部屋は……な?」
「あぁ……」
垣根の言葉に上条は一気に顔色が悪くなる。魔術師によって爆破された部屋はまだ復旧していない。
現在は小萌先生の家で寝泊まりしているのだろう。風呂場のないあの家では、彼らは銭湯に立ち寄る他ないようだった。
彼の瞳に光が宿っていないのも頷ける。
「ねーねー!とうま!けいと!ていとく!聞きたいことがあるんだよ!」
「あ?」
「こもえが言ってたコーヒー牛乳って何?カプチーノみたいなもの?」
「んなエレガントなもん銭湯にはねぇよ。銭湯何だと思ってんだ」
初めていく銭湯に期待が止まらないインデックスは、目を輝かせてぎゅっとお風呂セットを抱きしめる。
彼女の頭にはきっとローマのラグジュアリーな風呂場がイメージされているんだろう。
とても楽しそうな彼女だったが、日本人たちはハードルの上がった銭湯に少し心苦しくなっていた。
「けどインデックスにはでかい風呂は衝撃的かもな?イギリスって迫っ苦しいユニットバスがメジャーなんだろ?」
「うーんその辺は良く分かんないかも」
「イギリスとかアメリカってシャワーで済ませる人が多いよ。あたしも銭湯とか行ったことないし」
「そういえば帰国子女だったな、お前」
しかし天羽は純粋な日本人ともいえず、男たちがイメージするものを同じように思い描けない。
どちらかというとインデックスと同じ。
死ぬ前も死んだ後もアメリカに居た身、国外に関しては多分この中で一番詳しい。逆にいえば日本についてはあまり、常識の範囲でしか知らない。
死ぬ前は妹が生まれた六才までアメリカ、日本に戻っても高校卒業と同時に渡米して大学院を卒業するまで日本に長期で帰ってない。この世界では目が覚めた三才の時から学園都市にきた十才の時までずっとアメリカ。日本にいた時期よりアメリカに居た方が長い。
彼女は精神的には死んだ年齢の二十四歳+この世界で過ごした十二年で合計三十六歳。アメリカには合計で二十二年いた。
人生の半分以上アメリカにいたのだ。多少の知識不足は仕方がない。
そして現在、四十路手前の精神でも周りの環境と体の若さに引っ張られる。まだ子供の精神を宿す彼女は経験が豊富でも至らぬところが多くあった。
「私、気がついたら日本にいたからね、向こうのことはちょっと分からないんだよ」
「ん?あぁ、道理で日本語ペラペラのはずだぜ」
「ううん、そういう意味じゃないんだよ。私、生まれはロンドンで、聖ジョージ大聖堂の中で育ったらしいんだよ。どうもこっちに来たのは一年くらい前かららしいんだね」
銭湯に向かいながらインデックスは小さく呟く。
少しだけ寂しさを感じる背中は、とても小さかった。
「らしい?」
「うん、記憶がなくなっちゃってるからね」
インデックスの言葉に皆一斉に口を閉じる。
記憶がないと言われてしまったら、なんと答えていいかわからない。
それに天羽は知っている。その記憶喪失の原因を。
だから尚更口を閉ざす。
嫌な言葉ばかり出てきてしまいそうだったから。
「お前完全記憶能力持ってんじゃねーの?あのデケェ神父の嘘だったのか?」
「ソレは本当だよ。でも最初に目を覚ました時は自分のことも分からなかった」
しかし垣根に関してはそんなことはない。大事なのは現状把握。暗部で培った危機管理能力とでもいうべきか、遠慮よりも確認が先に来る。
「昨日の晩御飯も思い出せないのに魔術師とか、インデックスとか、ネセサリウスとか、そんな知識ばかりぐるぐる回って、本当に怖かった」
「じゃあ、どうして記憶をなくしちまったかもわかんねぇってことか?」
「うん」
やはり天羽が知っている世界と同じように、インデックスは記憶喪失を引き起こされていた。
人為的な記憶の操作。
そしてそれに気がつかない垣根ではない。
「お前はどう思う?」
「垣根くんの方こそ」
怖い顔で垣根は足を止める。同じように止まる天羽に視線すら向けず、ただ事実確認を行う彼は、やはり危機管理を徹底している。
認識のすり合わせ。仕事をする上では重要だ。
「そうだな、完全記憶能力、瞬間記憶能力、カメラアイ……いろんな呼び方があるがあまり研究が進んでねぇ。自分に関する事柄以外は箇条書き程度にしか覚えてないこともあれば、全て覚えていることもある。結構曖昧でよく解ってないのが現状だ。だがそれらが記憶喪失になったことは聞いたことがねぇ」
「そうだね。研究はあんま進んでないし、どんな仕組みが超記憶を生み出すのかも解ってない。それでも一年だけの記憶がぽっかり空くという事実は今の研究では一応有り得ない事になってる。だけどそんな有り得ないことがインデックスちゃんの中で起こっている」
前を進む上条とインデックス。その背中を見つめ、彼らは同じ答えに辿りつく。
あとは答え合わせをするだけ。
「精神的、または物理的なショックか……あるいは」
「魔術、か。信じられねーが」
お互い顔を見つめたまま頷く。
新しい面倒ごとに巻き込まれる予感ばかりが両者の中で渦巻いていた。
「イッテェ!」
「とうまのばか!知らない!」
突然前を歩く上条が悲痛な声をあげる。早速面倒ごとかと思い駆け寄るが、
そこにはたくさんの噛み跡を付けた上条のみ。インデックスは彼の風呂桶を奪い、遠くの方まで走り去っていった。
「あ?シスター行っちまったぞ」
「噛むだけ噛んだら先に行っちまいやがって……」
「俺らが目を離した隙に何があったんだよ」
そのまま三人で音と人に溢れた道を歩きを進める。
青に変わった信号。
交差点を渡ろうと足を踏み出した。
その瞬間、取り巻く全てがガラリと変わる。
そこにあるのは静寂。
足音も、話し声も、エンジンの音も、何もない。
人がいない。
「あ、れ、人が?」
「……?どう言うことだ?」
交差点の真ん中、三人は立っていた。
静かな街の中、コツコツと足音が響く。
「ルーン」
凛とした声が背後からかけられた。
「人払いのルーンを刻んでるだけですよ」
「てめぇは……」
長い髪を高く後ろで括ったその女性は不思議な格好をしていた。
真っ白い半袖のTシャツは胸のあたりで結ばれており、腹部を晒している。
ダメージ加工が施されているジーンズは片足を覆い、もう片方を露出させていた。靴はなぜかウエスタンブーツ。
そして最も目を引いたのは彼女のもつ黒いもの。
その手には二メートルにも及ぶ巨大な刀が握られていた。
彼女の名前を知っている。
「神裂火織と申します」
モデル顔負けのスタイルと美貌。
その姿からは絶対的な自信がにじみ出ていた。
「出来ればもうひとつの名は語りたくないのですが」
「魔法名か。こないだの神父、ステイルって奴が言ってたな。てことは魔術師か」
そしてそれに受けて立つように垣根が前に出る。
彼もまた自信と余裕に溢れていて、少しばかり腹立たしい。
「率直に言います。魔法名を名乗る前に彼女を保護したいのですが」
「嫌だと言ったら?」
そしてヒーローも同じ。
上条も垣根の隣で低い声を出す。覚悟の決まった男の声。
その姿を後ろでただ見ているだけなのが、天羽にとっては何よりも苦しい。
「仕方ありません、名乗ってから保護するまで」
彼らの言葉に少し警戒心を強めると、神裂は刀に手をかける。
たったそれだけの動き。
刹那、風が吹いた。
勢いよく放たれたその風は少年少女を通り抜け、一つの風車からそのプロペラを切断する。
学園都市では良くある、風力発電の風車。簡単に壊れないはずの、学園都市の電力源。
その折れた翼は空を舞って、遠くに消えてしまった。
「もう一度問います、魔法名を名乗る前に彼女を保護したいのですが」
「な、何言ってやがる」
威勢良く言い放つものの、上条の足は震えていた。
無理もない。
彼には物理的な攻撃の防衛手段はほとんどない。ステゴロの喧嘩しかしない少年。
そんな少年の前には刀を持った敵。異能ならば打ち消せる。けれど物理的な攻撃なら負けるのは上条。
下手したら首が文字通り飛ぶ。
「てめぇを相手に降参する理由なんざ」
「何度でも問います」
再び刀に触れると風が波となって押し寄せる。強烈な風は足をとり、地面に体を押し付けた。
まともに立っているのは垣根だけ。
体幹には自信がある天羽でも、流石のプレッシャーに足を強く踏み込んで姿勢を低くしてしまう。
「私の七天七刀が織り成す七閃の斬撃速度は一瞬と呼ばれる時間に七度殺すレベルです。必殺と言っても間違いではありませんが」
分が悪い。
そう感じさせる強い圧。
彼女の鋭い眼光に、誰も口を開けない
「ステイルからの報告は受けています。貴方の右手は何故か魔術を無効化する。ですがそれは貴方が右手で触れない限り不可能ではありませんか?」
魔術サイドに関わる気は到底ないというのに、天羽はいつも
今日だって、あの銭湯の近くを通ったのも偶然。上条たちと同じ時間に外にいたのも偶然。
これは不運なのか幸運なのか、わかるのは神だけか。
動かない体を
「そこの背の高い少年はお強いそうですが、それでも音速で行動できなければ私の七閃は避けれません」
「……それはどうか、なぁ!」
何か覚悟を決めたのか、一直線に上条が走り出す。
右手を伸ばし、魔術を打ち消そうとする。風如きが、ヒーローの覚悟をへし折ることはない。
しかし、彼の右手はその風には無力だった。突き出した右手は細やかな傷をつけ、筋肉質な体を吹き飛ばす。
魔術ではない、純粋な風圧。
上条は異能の力以外にはてんで弱い。
「七閃」
劈くような音と共に何かが放たれる。上条の体を襲う風と切り傷。
タネも仕掛けもないはずのそれ。
しかし天羽には見えた。
はっきりと、力で底上げした動体視力で。人の限界まで向上した五感で。
「幾度でも問います」
これは魔術じゃない。それを思い出せれば十分だった。
「じゃあ、あたしが相手になるよ」
垣根を軽く押しのけて二人の前に出る。これ以上子供に血を流させるわけにはいかない。
それに、もう
少し驚いたような顔をして、神裂は一瞬力を抜く。しかし流石は武人、再び警戒して刀に手を置いた。
武器も、力もない女子高校生。ステイルからは非戦闘要員としか報告が来なかったのであろう。
天羽が前に出ることを計算していなかった。
そんな顔。
「貴方は……」
「天羽彗糸、よろしくね、神裂ちゃん」
それを見透かして、天羽はいつも通りの笑顔を浮かべて一歩を踏み出す。
だが神裂の方が早い。
「七閃」
再び大きく風が吹いた。
視覚情報の向上、ピントを合わせて光を探す。光の糸。
ゆっくり動く世界の中で見つけたその糸は、微かに赤く、水が滴る。
こんなものに腕を取られたらどうなるんだろう。
知的好奇心。そしてわずかな破滅願望。
その糸を前に、天羽は触れられずにいられなかった。
「ひっ」
触れた糸は天羽の左腕を絡めとる。そして
白く細い腕は彼女の肩から外れ、切り傷をたくさんつけたまま地面に落ちた。
上条の足元に、緑のネイルをした肉が降る。
思わずあげた悲鳴は女のよう。
「これって、ワイヤー?魔術師じゃなかったの?」
「……言ったはずです。そこの少年のことはステイルから話を聞いていたと」
失った片腕と、体に巻き付くのは細いワイヤー。彼女の血が滴るそのワイヤーは、確かにこの夜では見えにくい。
「カモフラージュってやつ?すごいね、すっごく切れ味が良い」
ワイヤーを残った右手で引っ張ると、落ちた腕を引き寄せる。もう一度腕をつなぎ合わせて、くっつけて。
その場で微笑んで見せると、神裂はその綺麗な顔を顰める。
傷つかない、壊れない、死なない。それは天羽にとって最大のステータスである。
彼女の肉体は最高の武器。どんな用途にも使える、再利用可能の便利なアイテムにすぎない。
だから雑に使う。適当に扱う。
自分の肉体など、どうでもいいから。
そんな短絡的な少女は、風をいなして神裂の懐に走り出す。
なんとかしてワイヤー攻撃をやめさせなくてはいけない。彼女の攻撃手段は上条と同じく素手。あるいはその能力。
近接戦に持ち込めば、遠距離攻撃はやむ。
そんな考えの元、足に力を入れ、力強く地を蹴る。
瞬時に縮まる二人の女の距離。そのまま彼女に回し蹴りを試みるが、巨大な刀に遮られた。
ゴキッと嫌な音が足から聞こえる。
骨が折れた。具体的に言えば脛骨。
「硬いなぁ。モース硬度八以上?」
「この七天七刀は飾りではありませんよ、貴方の体くらい吹き飛ばせます」
痛みは感じないが、力が入らなくなった足を軸に後ろに跳ぶ。体操選手のようにしなやかで、柔らかい体は重力なんて感じさせないように翻った。
とはいえ内心はそんなに優雅にもしていられない。
(ウッソでしょ……こちとら骨を歯と同じ硬度にしてんのに!モース硬度なら七、ロックウェル硬度なら八十はあるっての!刀なんてそれ以下でしょ!?)
刀の破壊は難しいとは思っていたが、まさか硬さで骨が負けるとは。
外見には全く変化はないが、天羽の肉体はかなり調整されている。脳内麻薬、リミッターの解除だけでなく、根本的な肉体から。
筋肉も増強、増量して、骨の硬度そのものをある程度向上させているというのに。恐ろしいことだ。
「天羽!テメェは引っ込んでろ!」
「垣根くんは今日いっぱい頑張ったでしょ?だから今回はあたしの番。それに、女同士の方がいいでしょ?」
怒りのこもった声にカラッとした笑顔を向けるが、どうやら天羽の軽い感情は今の空気とは相容れず。
振り返った先にいた垣根はなぜだかひどく苦しそうな顔をしていた。
「そういうわけで、相手はあたし。いい?名乗りを上げなくて」
「……名乗らせないでください。私はもう二度とあれを名乗りたくない」
「んー、別に喧嘩しに来たわけじゃないし、ワイヤー使わないなら穏便に話してもいいんだよ?平和が一番じゃん?」
笑顔で言って見せるとまたもやワイヤーが飛んでくる。
仕方ないと、もう一度足に力をいれる。
できないなら何度でも。何十回、何百回、何千回繰り返して、永久まで続く消耗線に切り替えればいい。
彼女はそれができる。怠惰の勝利。
「だからね、あたしと戦っても無駄なんだよ。だってあたしが勝つもん。平和になるまで待てるから。死なないから。流石のあんたも永遠を生きられないっしょ?」
「それはどうでしょうか」
「
跳躍し、頭上から蹴りを落とすが、先ほどと同じように刀で防がれてしまう。
リーチの長い武器は、こういう時強い。武器がある時点で天羽は圧倒的に不利だ。
「神だって七日目に休んだ。なら休まなくても永久に動けるあたしは神にだって打ち勝てる!そうは思わなくて?」
「……冒涜的な考えですね。人が神に到達するのは夢物語です」
それでも天羽は不適な笑みを浮かべ続ける。
時間をかければ、途方もない時間をかければ、彼女に勝てないものはない。
だから負けなど微塵も思い付かなかった。
少年たちを巻き込みたくないのなら、自分が犠牲になればいい。
可哀想な犠牲が必要なら、自分が代わりに背負えばいい。
彼女はそういう人。他人の感情なんて無視して、自分のエゴと、自分が考える最善だけで体を突き動かす。
「なぁ、神裂とやら」
しかし彼女の考えを否定するように、茶髪の少年は間に割って入る。天羽を押さえ付けるように片方の腕を添えると、ひどくつまらなさそうにため息をついた。
長い前髪がかかる彼の顔からはその表情は読めない。
しかしその声色から察するに、機嫌は良くなさそうだ。
「え?か、垣根くん?」
天羽の隣に立って、真っ直ぐ神裂を見据える彼はその美しさも相まって何だかとっても頼もしい。
(
彼は守るべき人で、救うべき人。
間違えても、彼を頼もしいと感じてはいけない。
けれどもこれは弱者の本能。子供の淡い期待。
傷口が開いて膿がグジュグジュと嫌な音を立てるように、彼女の感情もかき乱される。
劣等感。
彼が植え付けるやけに大きい劣等感が、彼女のプライドを刺していく。
「テメェ、天羽を殺す気ねぇだろ」
はぁ、と息を吐いて気だるげに零すと、やけに苛立ったように天羽の前に出る。
七センチそこらしか変わらない身長。だというのに、性差が目立つ。
茶髪が視界を塞いでひどく腹立たしい。
「言ったでしょう?私達の目的はあくまでも彼女の保護だと。貴方達を殺すことではありません」
「何言ってんだ?あのシスターの背中斬ったのテメェだろ?保護対象を殺そうとする奴が、何故邪魔をするこいつを殺そうとしない?」
彼の言葉は鋭いナイフのように彼女に届く。
「善人ぶってんじゃねぇぞ小悪党。何をそんなに戸惑ってやがんだよ」
致命傷だ。心臓に、心の奥深い深淵に、彼の言葉は届いてしまった。
「私だって、好きでこんなことをしている訳ではありません!」
「は?」
垣根のセリフに彼女は大きく吠える。
まるで何かを訴えるように。
その感情は天羽にとってなんとも苦々しいものか。
苛立ちと羨望。
それらを顔に出さないように調整する。
γ-アミノ酪酸を分泌。β-エンドルフィンも、セロトニンも。
血液の流れを遅くして、血圧も抑えて、熱を下げて。
全てを使って感情のコントロールをする。
感情が肉体に付随する限り、感情が肉体の変化が引き起こす化学反応である限り、彼女はそれを支配できた。
「私の所属している組織の名前は
「それって、インデックスと同じイギリス清教の」
「彼女は、私の同僚にして、大切な親友なんですよ」
酷く悲しそうな顔をして訴える彼女に上条は狼狽えた。垣根も態度には出さないが驚いてはいるようだ。
それもそう。
まさか同じ職場の、同じ思いを持つ人が敵とは考えも及ばなかった。
「私だって彼女の背中を斬るつもりはなかった!あれは、歩く教会が破壊されたと知らなくて……!」
「防御があるからって普通斬るかよ。で?その親友さんは何でんなことやっちまったわけ?」
「そうやって保護しないと、彼女は生きていけないんです」
嘲笑う垣根はズカズカと言いにくいことまで踏み込んでいく。彼の言葉は鋭いまま。
言葉の痛みに耐えかねて、神裂は悲痛な顔でポツリポツリと言葉を紡犠打した。
「それは何故だ?」
「完全記憶能力。それが全ての元凶です」
上条も合流し、三人で彼女の言葉の続きをまつ。
「完全記憶能力って、十万三千冊のことか……?」
「全部シスターさんの頭の中に入ってるんだろ?それがなんなんだよ」
十万三千冊の魔道書。
全ての元凶。
物語の中心。
その存在に、少し風向きが変わってくる。
「人間の脳の容量は意外に小さい。ですが、いらない記憶を忘れることで知らないうちに脳を整理している。だから人間は生きていける。ところが彼女にはそれが出来ない。街路樹の葉っぱの数からラッシュアワーに溢れる一人一人の顔、雨粒の一滴一滴の形まで。彼女の頭の中はそんなどうでもいい記憶であっという間に埋め尽くされてしまう」
「は?」
落ち着いたはずだった。頭で理解してはいるはずだった。
でも現実で、この耳でその理論を聞くと頭に血が登っていくのを感じる。
別に彼女は脳医学者じゃない。生物物理学者だ。脳に関しては基本しか知らない。
それでも、彼女の言ってることが間違っていることは分かった。
神経を、脳組織を、体の仕組みを学んできた彼女だからこそ分かってしまう。
妹に人生を捧げた愚か者だから苛立ってしまう。
思わず声が出そうになった。正気を失って、怒鳴り散らしてしまいそうになった。
けれど誰かがそれを止める。垣根が強く腕を掴んできた感触で、その思考が中断された。
口パクで「おすわり」と言われ、力がうまく入らない。
犬のような扱いに腹が立つ。
でも、正気は戻っていた。
「あんた達は同じ組織に所属していながら、なんでインデックスに悪い魔術師だなんて言われてんだよ。それとも何か?インデックスが俺を騙したって言いたいのか?」
「彼女は嘘を着いてはいませんよ。私たちが同じ
それでも続けられる言葉の数々に我慢はできそうにない。
科学に対する侮辱のようで。
腕に触れる垣根の手のひらの体温。それだけが今の彼女を押し留めていた。
「……ツッコミどころは色々あるが、話を全部聞いてからにするぞ天羽。それで?なんであいつは一年前の記憶を失っちまってるんだ?」
「失ったのではありません。正確には私たちが消しました」
「やっぱりな」
答え合わせに垣根は納得したように笑う。頭の回転が速い彼には、もう全貌が見えている。
しかし上条にはまだピースが足りない。
「あんたは!インデックスの仲間だったんだろ!?あんたにしたってインデックスは大切な仲間なんじゃないのか!だったらどうして!」
「そうしなければならなかったからです。そうしなければ彼女が死んでしまうからですよ」
「彼女の脳の八十五パーセントは十万三千冊の記憶ために使われています。そのため彼女は常人の十五%しか脳を使えません。その十五%に記憶をし続ければ彼女の脳は……」
天羽は黙ったまま俯く。垣根の体温ですら覆せない苛立ち。
別の名を、八つ当たり。
(あぁ、嫌だ。
そんな分かりやすい嘘に騙されて、インデックスを悲しませて。なぜそんな悲しい顔ができる。
もはやただの言いがかり。
救世主ごっこを続ける天羽の心は波打ったまま落ち着かない。
「八十五%って、マジかよ……」
「そんなっ……記憶を消す以外に方法は?」
「ありません」
垣根も上条も驚いたように声を出す。もっとも、その意味は真逆のものだが。
しかしその女はそれに気づかず話を進める。
「いつまでだ?」
「記憶の消去はきっかり一年周期で行われます。ちょうどその時でなければ記憶を消すことは出来ないのです。あと三日」
「三日?」
軽く頷くと彼女は話を続けた。
「私たちに彼女を傷つける意思はありません。むしろ私たちでなければ彼女を救うことは出来ない。引き渡してくれませんか?私が魔法名を名乗る前に。それに、記憶を消してしまえば彼女はあなたの事を覚えていませんし」
冷めた声。
氷のような声が場を支配する。
「そんな彼女を助けたところであなたにとって何の益にもなりませんよ」
だがヒーローはその程度の氷で燃え尽きることは無かった。
「ふざけんな!あいつが覚えているか覚えてないかなんか関係あるか!俺はインデックスの仲間なんだ!あいつの味方であり続けるって決めたんだ!聖書に書かれてなくたって、絶対にそうなんだよ!」
炎のように燃えるその言葉の数々は氷の女に火傷を負わせる。
「なんか変だと思ったぜ、単にあいつが忘れてるだけなら、全部説明して誤解をとけばいいだけの話だろ!なんで誤解したままにしてんだよ!なんで敵として追い回してんだよ!テメェら、何勝手に見限ってんだよ!あいつの気持ちをなんだと!」
「うっせぇんだよド素人が!」
その熱にとうとう女が悲鳴をあげた。
怒気を含んだその叫び声は、三人の心を激しく揺さぶる。
「知ったような口を聞くな!私たちが今まで、どんな気持ちであの子の記憶を奪って来たと思ってる!」
揺さぶりすぎた。
「あなたはステイルを敵視しているようですが、あれが、一体どんな気持ちであの子とあなたを見ていたと思ってるんですか!?どれほどの決意の元に敵を名乗って居るのか、大切な仲間のために、泥をかぶり続けるステイルの気持ちが、貴方なんかに分かるんですか!?」
もう、臨界点は突破した。揺らいでいた感情は形を固定する。
脳と直結させた口から出てきた言葉の羅列は、とてもではないが綺麗なものとは言えなかった。
「はぁぁぁ!?ド素人はアンタでしょうが!」
喉を痛める程大きく叫ぶ。
γ-アミノ酪酸も、β-エンドルフィンも、セロトニンも、どんな脳内麻薬も今の彼女には無意味だった。
「この科学の街で、陰謀論も真っ青のトンデモ科学ぶちかましてんじゃねーぞ!」
この街は嫌いだ。子供を脅かし、未来は暗く、最低なものばかり。
それでも確かなものがあった。
それは科学。根底が揺らがない、科学。
実験で裏付けられた結果、研究で発見される事実。
彼女はそれが好きだ。
まやかしではない、事実を探求する学問が。
だからそれに縋った。
家族愛を貫くために。
「八十五パーセント?残りの十五パーセントは一年しか容量がない!?1年周期で消す?単純計算で六年分しか容量ねぇじゃん!アンタにはインデックスちゃんが!六歳児に見えてるわけ!?」
傷をつけるのは自分だけでいい。
それはつまり、守るものに傷をつけるくらいなら自分が負うという覚悟。
愛ゆえに命を差し出す。愛ゆえに人生を差し出す。
不器用な生き方。
それしか知らない彼女には、目の前の魔術師は相入れない存在だった。
「脳は一ペタバイトは記憶すんだぞ!?どれだけ膨大な量かわかるか!?ネットで調べてみろよ!脳科学者に電話してみろよ!有り得ねぇって言われるよ!気持ち!?少しも脳を働かせなかったアンタたちの気持ちなんか知るかよ!知りたくもないよ!」
そこまでいうと再び垣根に腕を掴まれる。彼に軽く睨まれ、いたたまれなくなり目を伏せる。
呼吸も忘れスラスラと言葉が出てきた自分が恐ろしい。
姉だというのに、なんたる失態か。
彼女もまた、誰かの大切な人だというのに。
「少し言い過ぎだ。あぁ、でもお前的には無知が罪なんだったか」
「えっ?ど、どう言うことなんだ?」
また叫びそうになる天羽の口を片手で覆い、垣根はあくまでも冷静に話し始めた。
口をガッチリと覆う手のひらは思ったより強く、両手で剥がそうとしてもびくともしない。
「人間の脳は一ペタバイト、これは大体二の五十乗、約千百二十五兆バイトの容量がある。もっと言えばデータ量とか細胞数とか使って色々計算すると最低でも百四十年分以上は覚えられるんだ」
「え……?じゃあ、脳が、パンクって」
「んなことある訳ねぇだろ。ていうか八十五とか十五ってどっからどう計算して出てきた数字だよ。それにこのバカが言った通り、その十五パーが一年っつーことになったら、単純に六年分の記憶しか持てないって話になるぞ」
大きいため息を一つついて話を続ける。まるで先生のように、丁寧に紐解いていくのは彼の優しさだろうか。
「記憶には種類がある。感覚、短期、長期記憶の三つ。んでこの長期記憶は陳述記憶と潜在記憶二つに分けれられて、またそっからエピソード記憶、意味記憶、手続き記憶、プライミングと条件ごとにカテゴライズされる。知識は意味記憶に分類され、日常記憶はエピソード記憶に振り分けられる仕組みだ」
「えーっと、本の記憶と日常の記憶は違うってことだな?」
「その通り。記憶を消されても知ってる単語や日常の動作を覚えてるのは、司る場所が違うから。つーわけで、日常の記憶を消す意味はない」
「ってことはつまりこいつらは……?」
「誰にだかしらねぇが、騙されてたってわけだ。こんな病院行ったりちょっとネットで検索すればすぐわかることで騙されるとか、御愁傷様だな。ま、計算できないのは困りもんだが」
静かな夜に、冷たい声が響く。
神なんか傲慢な存在じゃなくて、人間という理性ある存在に縋ってほしい。
あんなロクデナシ、頼って何になる。あんなもの、祈って何になる。
理不尽で、残虐で、いつだって人間を困らせるのは神だというのに。
胸がざわつく。天羽の心の奥にある地雷原が踏み荒らされて、何かが破裂しそうだった。
「で、でも!現に彼女は一年経つと苦しんで!」
「それこそ魔術じゃねえの?」
「ど、どういう」
ヒントなら沢山与えただろうに!
「あのさぁ、ちょっとは考えなよ!インデックスちゃんはたくさん危ない本を持ってる危ない組織に属する女の子なんでしょ!?10万冊も頭に危険な本を詰め込んだ女の子をなんの細工もしないで普通野に放つ!?アンタは個人情報沢山のスマホにパスワードかけないわけ!?それと一緒でしょ!?」
彼の表情は見えないが、そんなことはどうでも良かった。
いや違う、わざと見なかった。
これは見栄だ。プライドだ。
天羽が唯一持っている成功体験をまるで馬鹿にしているかのようで。
無性に腹が立つ。
「それは、」
「救う救う言っておいて!脳死状態で与えられた情報だけ鵜呑みにしてっ!救えるのにぃっ!なんでぇ、なんで、なんで考えないのぉ、」
脳内ホルモン、脳内麻薬がとめどなく溢れ出す。もう自力じゃ止められない。
彼女の悪い癖。
彼女は能力の性能に対してスペックが足りていない。本来なら第二位や第一位並の頭脳を持って演算しないといけないのに、その力を持つのは普通の女子高校生。
もちろん、前の世界では、今の世界でも頭はいい方。難しい大学に一発でいけて、計算高く、謎解きや戦略を練るのも苦手ではない。
しかしそれでは足りない。
張り合う相手はスーパーコンピューター並みの頭脳。彼女はそこには届かない。
最新式のアプリを五世代前の機種で動かしているようなもの。
動くことには動く。アプリも使える。しかしトラブルが多発する。
熱暴走、遅延やエラー、バグ。
彼女の場合はストッパーの故障という形で現れる。
スイッチを押した後、スイッチを切れなくなる。
そういう時、アプリは大抵
「天羽?」
がくん
足の力が抜ける。処理落ちした能力は彼女の感情を増幅したまま動かない。
地べたに座りこみ、頭を抱えるとぼたぼたと塩辛い水が瞳から溢れ出た。
感情とは肉体の電気信号によって生まれる。
記憶とは脳が保管する情報を呼び起こして生まれる。
いうことを聞かない力は、勝手に防衛本能を働かせる。それは涙と記憶として現れた。
違う世界に置いてきた愛しい妹の泣き顔が頭に浮かんで離れない。
愛しい妹。あたしのシュガー、あたしのハニー、あたしの全て。
この世界にはもういない。
「あんたたちのこと、なんもしらない、あたしがっ、分かるってのに!なんで考えない!考えを止めたらそれは死と同じ!」
呂律が回らない。
脳がぐわんぐわんと回る。
どんなに、どんなに、どんなに努力をしても、救えなかった。
治せなかった。
最期なんて、泣かせてしまった。
(アナタを救いたかったのに!歩かせたかったのに!神の理不尽には結局抗えなかった!もっと生きていれば助ける道はあったかもしれないのに!死ななければ可能性はあったのに!)
嫌な記憶ばかりが蘇る。
「すくえるのに、どうして、どうして、なんでかんがえないの、すくえるんだから、すくってよぉ、」
「なぜ貴方が泣くのです……?」
羨ましい。本音はそれだけだった。
「ちからがあるくせに、みちはあるくせにっ、みえてない、の、ばかじゃないの、うらやましい、なんで、なんで、」
脳が止められない。生成され続ける脳内麻薬が意識を朦朧とさせる。
息が上がって、視界が霞む。胃液がせり上がってくるのを必死に我慢して、酸素を多く取り込むため肩で息をする。
不安と緊張が体の中を埋め尽くして、誰も救えなかった過去を突きつける。
思い出すのは妹の泣き顔。
動かない足をぶら下げて腕を懸命に動かし、彼女の名前呼ぶ彼女の涙。
彼女を殺すのはいつだって彼女自身。
「しんでからじゃっ、おそい、んだよ、」
これはいわゆる心的外傷後ストレス障害。海馬が彼女の心に影響を与える。
必要なのは抗うつ剤か、あの子の笑顔。
「神裂」
「ステイル……」
「今回だけだ、一旦、彼女の話を聞かないか」
涙で前が霞む中、何処からか現れた男が女を引き止める。
「……私もそう考えていたところです」
悲しげに伝えると彼女たちはじっと天羽を見る。
視線が怖い。愚か者だと言われているようで。
見ないで。
醜いあたしを見ないで。
それでも、あの恐ろしい過去の中、彼女は命だけは救えたんだ。
役目は果たせなかったけれど、この命と引き換えに最後に救えた事実。
それだけが唯一の誇り。
それまで否定されているようで。
必死に取り繕って、立っていた足場が崩れていくような感覚が彼女を襲う。
「悪いがこいつはテメェらのおかげで傷心中だ、話なら明日来い。どうせインデックスがどこで寝泊まりしてるか知ってんだろ?」
その目線を遮るように少年が立ち塞がる。
月の光で浮き上がる綺麗な横顔の輪郭に目を奪われてしまう。
下から見上げたその顔は、長い前髪と逆光で見えない。
「そう言われずともそうさせてもらうよ。だからそんな怖い顔しないでくれ」
正しくは、見たくなかった。
◼︎
その後、上条はインデックスを探しに一旦別行動、魔術師二人も立ち去った。
残されたのはみっともなく泣きじゃくる子供と、それをおぶる少年。
暖かい彼の背中。その暖かさに我儘で自己中心的な子供は無性に口を滑らせたくなる。
「垣根くん」
静かな道を歩む中、掠れた声で彼の名を呼ぶ。
いつもの明るい声色は落ち着いていて、自分でも驚くほど。
「あ?泣き止んだかよお子様」
「昔話、聞いてくれる?」
無言は肯定。そう受け取って小さく話を始めた。
「あたしね、妹がいたの、生意気で、抜けてて、オタクで、でも頭は良くて、すごく可愛くて、だいすきな、妹」
「妹?……あぁ、そういうことか」
一瞬だけ訝しむが、次の瞬間には納得したかのような声を出す。
何を考えているのか最初は分からなかったが少し考えたらなんとなく彼の思考回路を理解した。
彼は天羽が想像するよりも多く彼女のことを知っている。本来なら知り得ないはずの家族構成も、健康診断の結果も。
一般人には使えない
だから彼は知っている。一人っ子の彼女に妹なんかいないこと。
そして暗部だからこそ、彼はそれを悲劇の痕跡だと思い込む。
その空白にありきたりな不幸があったと、勘違いしてしまう。
「生まれた時から足が動かない、あたしの、妹」
「足が?」
「うん、神経の問題でね、先天的に神経筋接合部分に欠損があるの、足だけ、動かない、不治の病」
「不治の病、か」
治したかった不治の病。
でも妹はもうそばに居ない。探す意味が、生きる意味がない。
「不治の病って言っても治療法が見つかってないだけ。治るかもしれない。だから小さい頃からマッサージとか、電気治療とか出来ることは全てやったんだ」
思い出すのは子供の頃の記憶。
学校から帰ってきたら真っ先にすることが彼女の足のマッサージ。
幼い頭で論文を読み解き、自分で改良を重ねたマッサージ法は彼女には好評で高校卒業まで欠かさずやった。
でもなんの成果も得られなかった。
「いっぱい勉強頑張って研究とかもしたんだよ?たくさん、たくさん、勉強した。実験もした、有識者に話も伺った。人生かけて、全部捨てて、あの子を、助けようとした」
だから今度は自分で研究することにした。
沢山の機材と沢山のモルモット。人体以外ならなんでも使った。
「でもね、無理だった。結局、
先ほど枯らしたはずだというのに止め処なく涙が頬を伝い流れ落ちる。
「神って、ホントにっ、理不尽、だよ」
垣根くの首に回した腕に力が入ってしまう。自分の血に濡れた手で自分の手首を掴む。
「だからね、あの人たちがっ、うらやま、しぃ。できる、のに、ちょっと、考えれ、ば、調べ、ればっ、わかる、のに、すくえるのにっ、あたしに、できなかったことがっ、できる、くせにっ、あの人たちが、うらやましい、の」
「……」
「お姉ちゃんって、また、よんで、ほし、のに」
あの子の無邪気な声が聞きたい。
もう会えないというのに。何処までも彼女は欲深い。
強欲で、傲慢で、嫉妬深く、憤怒に振り回されている無能。自分でも分かってる。
「かきね、聞いて、ない、でしょ」
「聞いてる」
ぶっきらぼうだがその言葉に嘘は感じられなかった。
「ふ、ふふ、ありがと」
「……それがお姉ちゃんの原点か、そりゃあ気も狂っちまうな」
感謝を伝えるとボソリと何かを彼が呟く。
しかし疲れと眠気に襲われている彼女には聞き取れず。
「なんか、言った?」
「何も言ってねーよ。寝てろ」
彼の声と匂いに酷く安心し、睡魔が体を襲う。
この人は優しい人だ。優しいから理不尽に抗うのだろう。
眠りに落ちていく意識の中、彼女はただ思う。
妹の幸福を叶えられなかった今、彼女は何をするのか。
救われなかった人たちを救う。それだけ。同じこと。
この人生はこの人のために捧げたい。
こんなにも優しい少年が傷つくのなら、全てを背負ってあげたい。
それが罪滅ぼしになるから。
それが存在証明となるから。
自らの肯定となるから。
「おやすみ」
この夜、彼女は決めた。
彼を妹の代替品にすると。
最低な女は、微睡の中覚悟を決めてしまった。
けいとちゃんの過去を考えると書かなきゃいけないかなと思って書いてます。
神裂さん、本当にごめんなさい。
ところで評価で模造って言われたのですがどなたかとお話被ってましたかね?もしそうなら教えていただけると幸いです。