戦場に天使が舞う。
水色のワンピースと白いエプロン、風にたなびく金色の長い髪。そして美しい十二の翼。
天使は剣を片手に、そしてもう片手に大きな鞄を持って、その天使は高らかに笑いながら青い空を飛ぶ。
「アハッハッハッハ!!ヴァルハラに行きたくなければ降伏でもしやがれカスども!!」
真っ赤な瞳で見下ろすのは大砲を打ち鳴らす戦車たち。小さな集落に押し寄せる軍隊崩れの山賊もどきたちの首を跳ねるため、彼女、彼は空を飛んでいた。
「オラ!!!天使様のお通りだぞ!!!死ね!!」
水を得た魚のように、手にした剣を振り下ろし、一陣の風で全てを斬り落とす。目に見える斬撃は、多くの戦車を真っ二つにぶった切り、幾度も大きな爆発音を轟かせた。
熱と荒々しい風が吹き荒れる。
何回も、何回も、空に轟く爆発音が彼女の体を揺さぶった。
興奮で体が疼く。
彼は戦闘と索敵を目的として作られた生命体。
本能にこのアドレナリンが刻まれている。血と硝煙の匂いが脳に刻み込まれている。
「あ?……誰に喧嘩売ってんのかその身で思い知れ!!」
飛び込んできたヘリコプターの騒音に負けない声で叫び、一気にスピードをあげて国宝の剣を突き刺す。
先端が平らな非殺傷の儀礼用の剣だというのに、切れ味は恐ろしいほど良かった。
ヘリコプターが墜落し、少女の背で爆風が巻き起こる。熱風がスカートと髪を大きくたなびかせ、頬を撫でる。
最高の気分だった。
「随分と派手にやっているな」
興奮気味に溶けた雪に降りると、誰かに声をかけられる。どこから聞こえたのか辺りを見渡すと、見覚えのある顔と目が合った。
筋骨隆々の大男。ゴルフウェアのような白地に青のラインが入ったポロシャツを着たその人は、少し前まで雇っていた傭兵、アックアと名乗る男だった。
いつの間にロシアへ来たのか、それより何のようなのか。色々な考えや憶測が巡る。
敵ならば昨日の味方だろうと切り落とす。
ぐっと剣を握りしめ、片手で掴む鞄を隠すように構えた。
「あ?テメェは何でここに?」
「
しかしその疑いは見当違いのようで、彼は炎のような形をした大剣を構えて眉を寄せる。
泣き叫ぶ民衆、隠れる人々、轟く爆発。
この場において誰に付くべきかは、一目瞭然だった。
あの夏の影から逃げる。小さな体を抱き締めて、白い息を吐き出して、懸命に走る。
ゆったりとした足取りの悪夢から覚めるために。
彼の進化のために作られた二万もの少女形をした模造品。
人と変わらない血の色と、体温。殺してきた一万の少女の影。
名付けるなら、
ミサカネットワーク全体から集中的に悪感情だけを取り出すように作られた兵器。
一方通行の心を折るためだけに作られた生物。
一方通行を殺すためだけに作られた生物。
「うがぁぅうぅ!!!!」
電気を帯びた釘が銃弾のように一方通行の腕を貫く。あまりの痛みに叫び声をあげ、柔らかい雪の中に腕の中の温もりを手放してしまった。
雪の上に落とされた打ち止めは、小さなうめき声をあげて、包まれた毛布の中で荒く息をする。その姿に安堵しながらも、同じように一方通行は地面に伏せる。
どくどくと流れる血を能力でせき止めながら、歩くその人を見つめて、ただ唇を噛んだ。
反射は使えない。もう二度と彼女たちを傷つけたくない。
仮面をかぶるその少女の姿に、恐れと痛みが波のように押し寄せる。
後悔、懺悔。言葉にできないその想いが、一方通行の痛みをさらにひどく感じさせる。
「もしかして、ミサカのことを守ってあげているとか考えてるつもり?誰も頼んでないっつーの」
ゆっくりと歩く茶髪の少女が冷たく吐き捨てる。
一方通行の思考を読み取ったかのような、彼女は怒気を含んだ声だった。
遅い足取りと、遠退く痛みに一方通行の思考も澄んでいく。
白いボディスーツとハンググライダーを固定していた太いハーネス。知っているクローンとは明らかに成長が進んだその少女。
よく考えれば少しおかしい。
ミサカネットワークに接続されている個体は
打ち止めと一緒の一方通行にそんな意味のないものを殺し屋として派遣する理由もなければ意味もない。
この少女は一体誰なのか、今更な疑問が浮かぶ。仮面で顔を隠すその少女に疑惑が生まれる。
フェイク。デタラメな嘘か。
全て嘘っぱちの口からでまかせ。そんな一つの可能性が一方通行の脳内を過ぎる。
確認しなくては。
倒れた地面から顔を上げて、手を冷やす雪を投げつける。
能力で補正された雪玉は、正確なスピードと方向に飛んで硬い仮面にぶつかった。金具が壊れ、のっぺらとした白い仮面が雪の上に落ちる。
しかし思惑は外れた。
仮面のない少女の顔に息が止まる。
同じだった。
仮面の下の素顔は、あの第三位と瓜二つだった。
少し荒れた表情が別人のような雰囲気に見せていたが、一万も同じ顔を殺して来た一方通行には分かる。
彼女は、紛れもなくあの実験から生まれた生き物だと。
「ミサカの体内には、
声にならない悲鳴に喉が痛む。
直視したくない現実に脳が理解を拒んだ。
いやだ。嫌だ、見たくない。
「まぁ、できないよね!それやっちゃたら今までの努力が全部水の泡になっちゃうんだもん!じゃあ、黙ってボコボコにされちゃう!?」
下卑た笑い声が曇り空に響き渡る。耳にこびりつく笑い声が吐き気を誘う。
冷えていく体温が指先の熱を奪う。
「怖いよ、助けて……」
「ッ!」
「人格が粉々になるまで遊んであげるから!存分に楽しんでよ!」
呟いた少女らしい声に目を見開くも、続けざまに叫んだ喉を痛める声が幻想を打ち砕く。
あとはもう遊ばれるだけだった。
「もっと逃げ回ってよ!貴方はミサカたちを一万人以上、一万回以上殺してきたんでしょ!!最低でも一万倍は人権を踏みにじらないと帳尻が合わない!利子を含めれば、3倍返しじゃ済まないからね!」
手にした小さな釘が、オリジナルの超電磁砲のように青白い電流を纏って、立ち上がった一方通行に向けて放たれる。
何回も、何回も。
よろよろと立ち上がって、余裕なくそれを避ける姿に自然と彼女は歯を見せ大きく笑う。
「ほら!もう一発!」
そう叫ぶと、一瞬のうちに彼女は空に跳んだ。
莫大な高圧電流を使い空気を爆発させ、その勢いで空へと跳んだ。頭上からの攻撃が一方通行を狙う。
クラクラする。避けることができない。
放たれた釘は足に被弾し、呻き声をあげて一方通行は再び地面へと倒れ込んだ。
その隙に再び跳躍すると、彼女の足裏が凄まじい勢いで一方通行の後頭部を蹴り倒す。
「どうして今まで
顔面を雪に押し付けられ、後頭部を何度もその足で踏み躙られる。がんっ、がんっ、と白い髪が汚い靴底に踏まれ、汚され、貶されていく。
「自らの意思で恨まなかったんじゃない!ただ、それを理解し、表現するだけの人間らしい感情の処理方法が不可能だったから表に出なかっただけ!」
仕方のないことだった。
当たり前のことだった。
彼女たちを殺した罪は消えない。どんなに善行を積んでも、どんなに守って見せても、どんなに愛しても、殺した事実に変わりはない。永遠に償えない罪だと分かっているのに。
その行為で罪の意識が薄れていくのは一方通行だけ。
起こった事実は癒えず、当事者は永遠に記憶と恐怖を背負って生きていく。
「ミサカ達は少しずつ人間らしくなっている!じきに多くのミサカ達が憎悪に気づく!正当な復讐の権利について考えることになる!」
だからその痛みを受け入れた。泣くことも、喚くことも、反撃することも、抵抗することもなく、ただ受け入れた。
「……あぁ、まずはあっちの不良品から片付けるか。その方が効果的っぽいしね」
だがその光景は彼女にとって面白くない。反応のない一方通行に足を止め、つまらなそうに彼女は視線を移す。
毛布に包まれ熱を帯びた幼い支配者。倒れた一方通行へ懸命に小さな手を伸ばす子供。
一方通行のかけがえのない人。
「
ニンマリと口角を上げて腕を構える。小さな指令塔を撃ち抜かんと、電力を込めて。
しかし弾丸は撃たれなかった。
大きな衝撃が彼女の腹を強く押し上げ、宙に浮かんで吹き飛ばされる。電気を込めた釘は力を失い、雪に落ちた。
少女の口から吐き出した赤い血が、白い景色の中で目を惹いた。
「つまりそういうことか。誰も死なせずに場を収める方法なんて、ねェンだな」
小さく一方通行は呟いた。赤い目に渦巻くのは絶望、怒り、諦め、憎悪、嫌悪、後悔。
名前のつけられない負の感情。
もう止まることはできなかった。
どちらも、互いの主張を止めることができなかった。
痛みを抑え、少女は怪物を殺すために立ち上がる。胃を掴むような腹の痛みと、衝撃で未だぐらつく視界で体が悲鳴をあげていても、彼女はもう一度釘を手にした。
電気を込めて、ありったけの力で磁力を放つ。
しかし、彼女の前にいるのは怪物の頂点。全ての力を束ねる生き物。
無理やり捻じ曲がった力が向きを変える。釘が貫いたのは少女の柔肌。
少女が飛ばした釘は白い怪物を傷付けることなく跳ね返り、彼女の胸を貫いた。
真っ赤な液体がじんわりと広がって、痛みが脳へ駆け上る。だが溢れ出る血に怖じけず、彼女はまた腕を伸ばす。
一種のプライドなのか、吹き出す憎悪のせいなのか、死の間際でも彼女は無謀にも仇を討つため照準を合わせた。
「っうあぁぁがぁぁぁぁぁ!!」
しかし伸ばした腕は、一瞬で間合いを詰めた一方通行の手によって腕をへし折られる。
嫌な音。
あまりの痛みに少女は倒れ伏す。ひんやりと体を冷やす雪に茶色い髪が散らばって、その髪がちらちらと一方通行の視界に映った。
酷い光景に一方通行の心は渇く。
胸を撃たれたのは目の前の少女。だというのに一方通行の心臓は痛みを訴えていた。
もうだめだ。何もかもが。傷つけてしまった。
傷をまた重ねてしまった。
拳が痛い。
でもこれで終わりじゃない。
また新しい
耐えられない。
この地獄から救われたかった。
金色が脳裏にこびりついて離れない。
あの夏の夜、救うといった悪魔のような女の笑みが脳に浮かんでは嘲笑う。
血の匂いが酷い。
死ぬはずのクローンを救ったあの金髪の少女のように。
殺すはずのクローンを守ったあの黒髪の少年のように。
殺したかった女を助け出したあの茶髪の少年のように。
誰かを救いたい。
誰かに救われたい。
「た、す……け……て」
「──ッ!!!」
小さな呻き声にはっと気がつく。
少女に馬乗りになった自分の姿と、血と腫れの赤で染まった両手の拳に。無意識が自己を守るために行動を起こしていた。
少女の顔は晴れ上がり、赤い液体がかき氷のシロップのように雪を汚す。
「助け、て、誰、か」
「ぅぁぁぁツ!!!」
思わず仰け反り、おぼつかない足で後退る。胃の奥から吐き気が迫り上がった。
震える瞳孔が現実を直視する。
暴行された少女の姿に記憶が溢れ出るように蘇って、すぐそこまで酸っぱい液体が上り詰める。
「貴方、の、せいだ」
ピピッと音が鳴って、頭から血が溢れ出る。何かが破裂したような音だった。
流れる血に、とうとう口が開いて胃液を吐き出す。
その音は彼女に取り付けられた自殺装置の起動音。彼女は最後の復讐に、自分の命を使った。
事実が、光景が、現実が一方通行の脳を蝕む。
悲鳴に嗚咽が交じり、そしてやがて笑いになる。痛ましい笑い声が、ロシアの曇り空を貫く。
喉が痛い。
心も。
どうしようもない思いを吐き出すと、自然と乾いた笑い声が出てしまう。このふざけた状況がくだらなくて、馬鹿馬鹿しくて、反吐が出る。
「ふざけンじゃねェェぞ!!!俺のためだけにこいつは作られ、殺されたっていうのか!?これが全部学園都市のクソどもの計画だったンだろ!どうあがいても、このガキはくたばって、俺の精神がズタズタになって!暖かい部屋で酒でも飲みながら、どこかのだれかが笑ってる!そういうの全部ひっくるめたのが!連中の手の内ってことなンだろ!!」
もうキャパシティを超えていた。
両手で顔を覆い隠しても隙間から見える現実に心臓が押し潰されそうで、体は崩れてしまいそう。
「ッは、だったら、俺がその全部をめちゃくちゃにしてやる!このガキが死ななきゃ計画が成功しねェっていうなら!俺の手でこいつを救うことで失敗させてやる!クソッたれども、今に見てろ……!オマエ達の余裕の表情、今からここで粉々にしてやる!」
おぼつかない足が汚く溶けた雪に沈む。叫び、呻き、吐き出した憎悪が気持ち悪かった。
あの科学の街が憎い。
この世界が憎い。
何もかもが憎い。
おぞましい憎悪が溢れ出て、止まらない。
「クッソタレのクソッタレのクソッタレども!俺に殺す力しかないと思って、見下しやがる性根の腐ったクソ野郎ども!今からオマエ達に見せてやる!俺にだって、何かを守れる力があるってことをよォ!!!」
怪物の雄叫びが白い景色にこだまする。背の高い少女を抱えて、演算を始めて、少女を救うにしては物騒な言葉を並べて憎い概念へ叫ぶ。
行き場のない醜い憎しみだけが彼の赤い目に映っていた。
鉄の塊と炎が散乱する雪景色は、もうすでに騒音はなく静けさが戻る。
「二人掛かりだと早いな」
「あぁ、思ったよりも時間はかからなかった。避難も終わったであろう」
基地すら制圧し、大男とモデルのような少女の不思議な二人組は剣を持ちながら辺りを見渡す。もう既に敵は殲滅した、民間人の姿もない。
仕事は終わった。
しかし、地獄耳を遥かに超えた聴覚を持った彗糸の耳に歪な音が入る。
神経を乗っ取っている彼女の五感は全て50に伝わる、音も、匂いも、視界も。そのせいで瞳が50と同じ赤になってしまったが、しかたあるまい。
「別のが来てる。学園都市っぽいが」
雪を踏みつける重い足音、
学園都市の軍のようで、ロシアとの装備の差ですぐに分かった。
「この場を占拠しに来たようであるな。どうする?」
「ここを守ってくれんならそれでいいんじゃねぇか?一応弁えるように
アックアにもそれが見えているようで、遠くの軍勢に顔を顰める。
だがこれは好都合だった。力のない集落が、ロシアと戦えるはずがない。ならば敵に寝返ればいい。
学園都市に場所を提供し守らせる。脳みそに細工を施せば、それはもうロシアの侵攻など蹴散らす強力な盾になる。
「あ、そうだ。マスターから言付けがあったんだ」
「……マスター?」
そういえばとふと思い出し、マスターからもらったメモを確認してから50は冷たい雪に膝をつける。
持っていた鞄を地べたに置いて金具を外し、乱雑に入れられた紙の中から一枚のA4用紙を取り出して男の前に差し出した。
マスターは用意周到と呼ぶには完璧すぎるほど、50に多くを残した。
この鞄に入っているのは多くの書類。
国を制圧した結果が書かれた大事な書類。そして彼女が書いたメモ。予言が書かれた紙の切れ端は、彼にとって何よりも大事だった。
「これは?」
「この近くできな臭い動きがあるそうだ。行ってみれば?」
渡した紙に書かれた細菌兵器だとか物騒な文字列に顔を顰めるアックアをよそに、鞄を持って立ち上がる。
やるべきことは終わった。あとは本来の目的をこなすだけ。
「……お前はどうするのだ?」
「エリザリーナ独立国同盟に。少し用があってな」
剣を足の中にしまい直し、大きな鞄を握りしめて背を向ける。
国境は目と鼻の先。
アックアの言葉に振り返ることはせず、冷たく返して足を進める。
取り繕うのが難しくなって来た体が、早く行けと急かす。口から吐き出しそうな血の塊を飲み込んで、平静を取り繕うので精一杯だった。