とある科学の肉体支配   作:てふてふちょーちょ

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132話:二人だけの幸福論

赤、青、黄色、緑、紫、白、黒。荘厳で煌びやかなステンドグラスから色とりどりの光が射す。

鮮やかな色に照らされキラキラと地面まで届く長い金髪と、黄金の装飾が輝く。頭上で回る三角の光輪が風車のように廻って、白く眩しい瞳が形を変え揺らぐ。

コンパスのように尖った両脚は磨りガラスのようで、薄く光を反射していた。

 

美しく輝く教会の中、神様が一人、講壇の前で深く息を吐く。

真っ直ぐステンドグラスを見つめる瞳は、少し水を含んでいた。

 

 

 

初めはなんてことない想いから。

 

妹を笑顔にしたいと、そう思って人生を捧げた。そのせいで理不尽な神に目を付けられ、死に至る痛みと引き換えにフィクションの世界へと連れていかれた。

 

そして何もかもが嘘っぱちの世界で新しい依存先を見つけた。

綺麗な人、かっこいい人、優しい人、でも少し怖い人。生意気で、かと思えば優しく、ずる賢く、何かを隠し、後悔するようなそぶりに、愛する妹を見出した。

 

代替品を使ったお人形遊び。

自身も神の人形と分からぬまま、遊びに興じる。

それでもよかった。ずっとそれが続いても、なんら問題はなかった。

 

旧約の初めから最後まで。科学の最初と中盤まで。そして彼が主人公の一冊をなぞって、救世主(メシア)になりきる遊びを続けていれば、きっと妹の代わりに色んな人を救える。

大人になっても出来なかったことを、能力と権力のあるこの世界でなら成せると信じて、一直線にみんなを救おうと足りない脳で奔走した。

 

そして最後、きっとこの世界で一番不幸で、一番好きな人の代わりに再び命を落として、幕を閉じる。

 

死なないで。幸せになって。そんな簡単な感情で全てを捨てる覚悟ができた。

愛の為ならなんだってできる。

そして純情を投げ捨てて、物語の幕を閉じるため身を投げた。

 

その予定だったのに。

 

彼女は他人の感情を計算できなかった。肉体ばかりに目がいって、生死ばかりに気をとられて、物語の結末ばかり気にして、感情を持つ彼を蔑ろにした。

 

死はなかったことにされ、お姫様のように扱われて、弱者に突き落とされる。

尊厳が踏みにじられ、むず痒い感情で思考が纏まらず、価値観を全て否定された。命より大切な男に、これ以上ない屈辱を与えられた。

 

彼のために死にたかった。彼の正当性をこの世界に刻みたかった。

自分が叶えられなかったことを、彼で叶えたかった。自分が叶えたことを、彼に見せつけたかった。

なのに。

なのに、彼はそれをさせなかった。

 

その理由は神様には分からない。同じ生き物じゃないから、なんでそんな思考になるのか考えもつかなかった。

 

だから解釈を変えた。

彼の望みはそこじゃなかった。そう彼女は解釈した。

 

死ではなくて、死に至った原因を覆す。

彼の幸福ではなく、望みを叶えれば、きっと幸せに、ヒーローとしてこの世界で生きていられる。

 

結果、極寒の地で結末を創約まで早めた。彼を無理やりヒーローの立場へと押し込んで、幸せを呼び込んで、それで終わり。

血に濡れたコッペリアは舞台の端で壊れて、主人公たちは幸福な祭りを楽しむ。悪役(コッペリウス)も改心して、誰も不幸になることなく物語が終わる。

 

今日、物語は大団円をもって終わった。

 

幕は閉じた。

世界は続かない。

この物語は最終回を迎え、もう誰もページを読み込まない。

 

終わり。

終幕。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だのに、主人公(ヒーロー)はそれを望んでいなかった。

 

「探した、探した、探したよん」

 

場違いなほど明るく、機嫌の良い少年の声が教会に響く。

主人公(ヒーロー)はまだ舞台を降りる気は無い。一人寂しく泣いている神様(ヒロイン)を救うまで、この幕は下りない。

 

「出口はここじゃないよ」

 

「脱出方法じゃなくて、ここには女を探しに来たんだよ」

 

壊れた豪華な扉を乗り越えて、長いバージンロードを少年が歩く。きらきらした茶髪をかきあげて、面倒と言わんばかりにぶっきらぼうな口調で少女の元へ進む彼は実に主人公らしい姿だった。

 

「……どんな女か知らないけど、とっとと帰ってよ。このままだと、そうね、冷たい海に落ちるはずだから、今の内に」

 

「お前がいなきゃ帰れねぇっての」

 

「手伝いはいらないでしょ?第二位なんだから」

 

「ちげぇよ。お前を迎えにきたんだ、お前と帰らなきゃ本末転倒だろうが」

 

クレーターのように穴が開き、生乾きの血が飛び散る道を進む。

冷たい口調で拒む少女の言葉など気にも止めずに、ただ汚い床を歩いて、真っ白なお姫様の元へと行く。深海のような黒い瞳には揺るぎない感情が居座っていた。

 

「あたしは行かないよ。もう、この世界で生きていくつもりはないから」

 

「あ……?」

 

「彗星は燃え尽きた。藍色の空に金色の糸を引いて、光り輝いた後、全てを失ったように、残り少ない命を燃やして消えてしまう。だから、客星はここで消えなくてはならない」

 

「何ふざけたことを……テメェは俺と帰るんだよ、それ以外の選択肢はねぇ」

 

バージンロードの中腹で、少女のか細い声が広い教会に響く。高い天井に声が反響し、鏡のような地面の大理石が鈍く光る。

煌びやかで、豪華で、海外の歴史的建造物らしく広い教会の中、自分で肩を抱く少女は、とても小さく、か弱い乙女に見えた。

少なくとも垣根帝督の目には。

 

「どうして?キミはあたしのこと嫌いなのに?」

 

「またそれか、テメェは」

 

「学園都市は奪えた。キミの願いは叶えられ、キミの嫌いな男は完璧に殺した。けど、キミは幸せじゃない。そうでしょ?」

 

七色の光を反射する黄金を揺らし、天羽彗糸と呼ばれた神様が振り向いた。

普段と違う、けれど同じ姿に心臓が跳ねる。蝋燭のようにぐにゃぐにゃと形を変える虹彩は、太陽のような白で彩られていた。

 

「キミはまだ幸せじゃない、本当に復讐すべき人はまだ死んでいないんですから」

 

白い肌を血で濡らし、寂しそうに神様は笑う。他人の血で汚れた神様が見せる笑みは、酷く引き攣っていて、見ていて痛々しい。

そんな顔、彼女には似合わない。

 

「……アレイスターはお前がやったんだろ?」

 

「キミが復讐すべきはアレイスター=クロウリーでも、一方通行(アクセラレータ)でもない。このあたしだよ」

 

彼女の言葉に垣根の足が止まる。何が言いたいのか分からず、少し困惑気味に言葉を返すが、神様は気にすることなく話を続けた。

 

「だってキミの好きな子も、キミが覚えている犠牲となった子供達も、この戦争で死んだ人たちも、あたしの半端な願いのせいで、本物の痛みを知ることになった。この世界において、誰かが痛みを負うのはあたしのせいなんだよ、垣根くん」

 

「なんでそんな結論に至った。テメェの脳みそは相変わらず意味不明だな」

 

「あたしはこの世界の人じゃないって、知ってるでしょ?」

 

講壇の前で、神様は呪文のように真実を唱える。彼を想うから、ずっとずっと、幸せを願っているから、呪いのように、突き放すための言葉を吐露していた。

 

「アリス=リデル、またはベアトリーチェ。言わば三次元から投影されたデウス・エクス・マキナ。第四の壁を壊す、おぞましき生き物」

 

真っ直ぐ、見つめ合いながら彼女は伝える。アレイスターに見せた猛獣のような醜さはどこかへ消え失せ、神々しい光を背に神様らしく、慎ましい声を吐き出した。

 

「アリス=リデルがいたから『不思議の国のアリス』が書かれた。ベアトリーチェがいたから『新生』や『神曲』が書かれた。あたしがいたからキミたちは苦痛を負った」

 

真実とは、蓋を開けてみると随分と当たり前の事だった。

 

フィクションに人間が入り込む話なんて昔の文学ではありふれている。

アリス=リデルは永遠の少女アリスとなり、夢の物語で様々な人の目に触れ、心に入り込み、老若男女が知る文学作品になった。

ベアトリーチェ=ポルティナーリは一方的に好かれていた男を天へ誘う天使へと偶像化され、有識者にありもしない哲学で解釈され、永遠の淑女として未来の創作物にまで名を馳せる。

 

作者(神様)の筆ひとつでフィクションに囚われて、世界を貰う。

そのプロセスと現状は酷似している。

神事に背く罪深き少女は神を惑わせた。貰った創作物の世界で永遠に醒めない夢を見て、現実と創作の間で漂う。

 

彼女は言わばひとつの偶像だった。

 

「デウス・エクス・マキナが現れる舞台が例外なく観客に嫌われたように、ご都合主義の塊であるあたしもまた、キミたちに嫌われるんだ」

 

三角の光輪がゆっくりと頭上で回り、地面に映る光が揺れる。逆光の中で輝く神様は、海の中で漂うクラゲのように柔らかな線をしていた。

 

「だからさ、ここで()()()にして。そうすればキミの願いも、幸せも、全て叶うから」

 

神様は言う。忘れろと。

今までのことを、梅雨での出会いを、夏の出来事を、秋のすれ違いを、雪が積もる冬のロシアを、共に歩みたい春の未来を、全て忘れろと。

そして彼女の渡した()()を手に、願いを叶えろと。

彼女はそう言った。

 

自分自身の幸福など考えもしない愚か者の戯言。

愛ゆえに己を殺す、究極の自己犠牲。そして最悪な形の逃亡。

 

自分だけ幸福になったつもりで逃げるのか。

いらない幸福を押し付けて、綺麗だと思ったまま死ぬのか。

本当の幸福なんて考えることもせず、自分だけ楽をするのか。

 

いい加減にして欲しい。

 

「……くっだらねぇ」

 

「ぁ?」

 

「アリス=リデルとか、ベアトリーチェだとか。んなことクッッソどうでもいいんだよ!」

 

そんな御託、主人公には関係がない。

 

理不尽も、重圧も、運命も、苦しみも全て跳ね除けて、ヒロインを救う。それが出来るから、主人公はヒーローと呼ばれるのだ。

彼女がどんな思いだろうと、どんな困難があろうと、彼なら救ってみせる。

 

悪に落ちたと評されようと、主人公になれなかったとレッテルを貼られても、このページにおいて、垣根帝督は完璧で、完全で、誰もが憧れるヒーローだった。

 

「いい加減にしろよクソ女。苦痛とか嫌いとか殺せとか!いつもいつも自分本位で、俺のことを好きだと抜かすくせに俺のことを考えねー自己中女が!」

 

目一杯の罵倒を叫ぶ。ずっと秘めていた感情を滝のようにぶち撒けて、少女の逃げ道を塞いでいく。

神様だろうが、垣根より頭二つ分も背が高かろうが、足が()()()()だろうが、彼女は彼女だった。

どこまでも優しくて、どこまでも他人第一で、どこまでも垣根のことを想っている。

それだけ分かれば他の要素なんて、どうでも良い。

 

彼女が彼女たりえれば、それだけで救う理由になった。

 

「幸せとは前に進むこと、生きること、未来があること。それをお前が教えたんだ、他でもないお前が!ならなんでお前はそうやって生きない?悲劇のヒロイン気取って、俺を惑わせて、そのくせ勝手にどっかに行きやがって!もうテメェの我儘にはうんざりなんだよ!」

 

「なら早く殺──」

 

「だから今度は俺がエゴを貫く。お前が今まで俺にしてきたことを、そっくりそのまま返してやる」

 

彼の背で神々しく光る六枚の翼が広がる。少し憂いだ少女の後ろ、豪華な装飾が施された講壇を狙って翼で叩き割って、静かな教会に土埃を舞い上げた。

長ったるいバージンロードを飛び越えて、攻撃を受けないことに驚く少女の狭い肩を掴む。高い位置と濡れた血で手が()()滑ると、そのまま勢いと能力を存分に使って講壇の残骸の上に叩き落とした。

 

「テメェがどんなに拒もうと、どんなに嫌がろうと、俺は勝手にお前を幸せにする。お前がどんなに不幸せだと感じても、俺にとっての幸せをお前に押し付ける」

 

金色の装飾の破片が、硬い木屑が、少女の体に突き刺さる。散々振り回したペナルティにしては軽すぎる。けれど、今はそれしかできない。

ヒーローの愛ある説教から逃がさないように、拘束するにはこれしかない。罪悪感に痛みを与えて、飢えた愛情に言葉で火をつけて、痕をつけるように押し付けて、神の子を突き刺したどこかの槍のように深く、情の分だけ地面に押し倒して、動かないように上から体重をかける。

彼女を人間にしたいから、少し乱暴に手荒く扱った。

 

「うがぁっッッッ!!?いだっ!?」

 

「テメェが俺を救ったんだ、テメェが俺をヒーローにしたんだ!だったら責任とって、ヒロインらしく俺に救われてろバーカ!」

 

「何を、ぼくはヒロインじゃ、そもそもあたしはこの次元の住人じゃないから──」

 

「前の世界のお前がアリス=リデルだというのなら、今のお前はフィクションの中の少女アリス。藍花悦でもあるテメェは立派なフィクションの住人だ!いい加減、()()()()!」

 

「なんでそんなにっ、なんであたしに勘違いさせるようなことを続けて、なんの得がっ」

 

乱暴さが功を奏したのか、彼女は()()()()()()()顔を見せる。いつものアホ面を見せて、途切れ途切れの反論を切羽詰まって並べ始める。

人間らしい表情が戻ってきた。チカチカと輝く瞳が()()()()()、緑と赤を取り戻す。

 

拒み続ける彼女の表情が、声色が、なんだかとても懐かしく感じる。

そして初めて見る乙女の顔にずっと昔の後悔と、乗り越えた今の価値がずっしりと胸にのしかかる。

 

「勘違いじゃねぇ!得とか、利益とか、そんな問題じゃねぇんだよ!」

 

初めはなんてことない後悔から。

 

大事な少女をなくした醜い後悔が感情をめちゃくちゃに壊して、ずっと治らなかった。

最後に見た血溜まりが、幼い子供の在り来りな悲劇が怖くて。

そんな悲劇が常識な世界が恐ろしくて、憎くて、増幅した苦しみをどうにかしたくて。

そんなことをずっと考えていたら、いつの間にかその常識に両足が浸っていた。

大嫌いな世界のため、裏切り者を殺す悪人に成り下がり、少女が綺麗と褒めてくれた翼は光を失った。

 

ただ復讐と革命を願い続け、闇の中壊れてしまった。

表でも猫を被り、何も考えれらなくて、この世の全てを疑って、精神は磨り減り、心の痛みを耐えていた。

 

色がない暗い世界。

誰にも踏み込まれない領域に一人、憎しみを抱えて世界を俯瞰していた。

 

ずっとそうやって生きていた。

生きて。

生きて。

生きて。

そして紫陽花が咲く梅雨の六月、出会ってしまった。

星のように瞬く少女を。

 

綺麗な人、可愛い人、優しい人、でも少し怖い人。生意気な年下の少女は、誰彼構わず優しさを振り撒いて、表情豊かに毎日笑顔を見せて、彼に愛を囁いた。

初めてではなかったけれど、汚い自分を好きだという彼女に興味が湧いてしまった。

 

最初は疑いからだった。

少女の隠し事を暴くという言い訳を作り上げて、二人色んな事をした。彼女の冒険についていった。

怒った顔を見て、泣いた顔を見て、笑顔を見て、苦しげな表情を見て。

たった数ヶ月のこと。数ヶ月もの時間。

疑っていたことに罪悪感が湧くほど、彼女は一直線に好きだと言って、いつしかほだされていた。

 

彼女といればなんでも願いが叶う。神様のような少女。

一緒に遊んでくれた。

手料理を作ってくれた。

一緒に眠った。

愛情をくれた。

守りたいと思った少女を助けてくれた。

情が湧くには十分な時間、彼らは過ごした。

 

それが代替品を使ったお人形遊びだったとしても、彼女は自分をずっと好きでいてくれて、隣にいてくれればそれでいい。

自身も彼女を昔の少女と重ねて、遊びに興じる。

それでよかった。ずっとそれが続いても、なんら問題はなかった。

 

だが問題が起きた。

多くを望み、知らずのうちに物語をなぞってしまった。少女が幸せな世界を夢見て、願いを叶えようと動き出した。

常識を覆すため反逆を企て、革命を望み、死へと近づく。

 

だから彼女は『好き』を力に変えて、幸福の道を肉体と引き換えに示すことにした。

間違った幸福に取り憑かれ、ボタンのかけ違いのように思いがすれ違う。

死なないで。幸せになって。

そう言って彼女は未来を変えた。

 

旧約の初めから最後まで。科学の最初と中盤まで。そして彼が主人公の一冊をなぞって、彼女は救世主(メシア)になりきった。

結果、彼は救われた。少女の形をしたヒーローに、暗い物語を書き換えられ、誰も描かなかった明るい未来を示された。

少女の幸福が満たされ、誰もが思う大団円で幕が閉じる。はずだった。

 

そんな結果、受け入れられるはずがない。

 

身勝手な想いで少女の願いを拒んだ。死を幸福と謳う少女が怖くて、可哀想で、苦しかった。

この世界で一番不幸でくだらない悪党の代わりになんて、死んで欲しくなかったから。

 

昔の後悔が押し寄せて、その日初めて自分だけの力で少女を救った。

肉体を修復して、生死の境から引っ張り上げて、物語の結末なんかもうどうでも良くなって、感情の赴くままに少女を救った。

 

生きて欲しいから、死はなかったことに。

可愛そうな彼女をなくしたくなくて、お姫様のように扱った。

ずっと隣にいて欲しかったから、か弱い子供に体を変えた。

価値観を変えるためと世話を焼き、むず痒い感情を抑えながら、少女となんてことない日常を過ごすことにした。

 

だがそんな優しさは意味がなかった。

貴方のために死にたかった。貴方のために命を消費したかった。彼女はそう叫んで遠くへ去った。

その理由は彼には分からない。同じ生き物じゃないから、なんでそんな思考になるのか考えもつかなかった。

 

分かるのは彼女が自分を好きなこと。そして、自分の一言をすぐ間に受ける短絡思考の馬鹿だということだけ。

 

彼女は当初の復讐を成すことにした。世界を飛び回り土台を作って、死に至った原因を覆す。

望みを叶えれば、きっと幸せに、ヒーローとしてこの世界で生きていられると、そう信じて。

 

結果、極寒の地で結末を創約まで早めた。ヒーローの立場を無理やり奪い去り、再び命を捨てようとしている。

 

そんな結末認めたくない。

 

幕を閉じるには早すぎる。

二人で世界を続けたい。

最終回なんて迎えないで、ページが無くても、誰に見られなくても、続けたい。

 

「俺は」

 

僅かに躊躇い、口を閉じる。今まで言ったことの無いセリフを、歯が浮く言葉を、だれかに伝えたことの無い感情を、声として出力するのが怖かった。

恥ずかしさやいたたまれなさ、色々な感情が喉の中で掻き混ぜ、そして、ようやく口にする。

 

垣根帝督らしくて、垣根帝督らしく無い、可哀想な彼女のためだけに送る、考えのない感情の言葉を。

 

「                     」

 

大きな衝撃と共に星が落ちた。

唇の温かさと、衝撃が脳の中でぱちぱちと弾けて煌めく。

体をかき乱す衝撃に少し体が浮いて、感情を上書きした。

 

巨大な彗星が広大な海に沈む。

星が輝く海の中は、随分と心地良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空飛ぶ大地はどこかへ行ってしまい、黄金になっていたらしい空は至って普通の青空へと変わった。

きっとヒーローが全て解決して、この件を終わらせたのだろう。様々な人の歓声や、祝福の声が聞こえるエリザリーナ独立国同盟の隅っこ、ヒーローを見送った一方通行(アクセラレータ)はしばらく空を眺めて、寒い雪の中でため息を吐いた。

 

「何そわそわしてんの?」

 

「ッ!?オマエ」

 

ため息を吐いて上を見上げる仕草を繰り返していると、突然頭上から声がかかる。

見送った少年と同じ声色、同じ顔。色が違うだけのドッペルゲンガーが、チェシャ猫のように建物の屋根から寝そべりながらニタニタと笑っていた。

 

「あ、言っとくが本人じゃねぇぞ。マスターはまだ例の場所に行ったっきりだ」

 

「……ってことは、あのカブトムシと同型か?」

 

「察しがいいな。その通りだ」

 

真っ白い体と赤い瞳。垣根帝督と同じ姿をした白目と口腔が真っ黒な生き物を前に、ふと先日の学園都市で出会った白い少女の姿を思い出す。

カブトムシの姿から変化した悪魔の顔は、あの女と瓜二つながら体も服も真っ白で、瞳は緑色だった。

 

「あのカブトムシも、第二位と繋がってたわけか。手のひらで転がされた気分だ」

 

「でもおかげで全部解決しただろ?」

 

「……どォだかな」

 

赤黒い瞳から視線を外し、空に再び目線を向ける。もう何も無くなった快晴を見つめて、何度目かのため息を吐く。

少女を迎えに行った彼は、あの飛行する星から逃げられたのだろうか。もう危険は去ったのだろうか。危機が見えない状況が少し不安だった。

 

「気になんのか?」

 

「別に第二位の事なンて興味ねェよ」

 

「誰もマスターとは言ってねぇんだが?」

 

白い生き物のなんて事ない質問に、思わず動揺を見せて瞳が揺らぐ。

厄介なファンの面倒な感情を見透かしたように、クスクスとあの女と似た笑みでドッペルゲンガーは無言を貫く一方通行を見下ろした。

 

「連絡先くらいなら教えてやってもいいけど、どうする?」

 

悪戯っ子の悪魔な微笑みと、悪巧みをする軽い声色。上から目線の怪物は、一方通行の憧れをくすぐるのがどうも上手なようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冷たい海水が太陽の光でキラキラと輝く。黄金の空は水色へ変わり、点々と浮かぶ氷の塊を照らしていた。

とても寒い北極海で、少女は一人、オフィーリアのように水の中で横たわる。優しい海流に乗って、風に身を任し、目を閉じた。

 

「大丈夫か?」

 

閉じた矢先、頬に柔らかい何かが当たる。花びらのように柔らかく頬に触れた大きな手のひらが、海水の温度をさらに冷たく感じさせて、頬に熱が篭っていく。

頬を触る手に自分の右手を重ねてゆっくりと瞳を開くと、海の底のような黒い瞳と目があった。

 

垣根帝督。少女がずっと好きな人。

 

そのまま手を引っ張って、分厚い氷の上へ引き上げられるとひんやりとした氷の感触が足の裏に広がる。

髪は解かれ、足は人に戻り、体は衣装をなくした。もう神の面影はなかった。

氷の上で有るまじき裸体を意味もなく彼に晒して、生きてしまった現実を直視するのは酷く屈辱的だった。

 

「ったく、お前は露出狂かなんかかよ。ほら、霜焼けしても知らねーぞ」

 

俯いてひたすら黙る少女の腕を取り、勝手に自分のシャツとジャケットを着せて、甲斐甲斐しくボタンを留める。

なるべく姿を見ないように視線を配慮するのが忌まわしい。そんな意味のない事をされても腹立たしいだけだった。

 

「歩けるか?」

 

胸元のボタンを無理やり閉めると顔を覗き込んで少し眉を顰める。

 

「寒くないか?」

 

一向に喋らない少女の少し前を歩くが、動かない少女の姿に足を止めた。見せたことも無い顔がなんだか酷く胸に突き刺さる。

彼女は、この男を知らない。

こんな男、知らない。

 

恐怖で足が竦む。

こんなの、垣根帝督じゃない。

 

「歩けねぇのか?」

 

眉を八の字に下げて、彼はもう一度顔を覗き込む。金色の髪の隙間から見える黒い瞳と目が合って、少し視線を逸らす。

黒い瞳の奥に、知りたくもない欲が、彼に似合わない慈悲が、気味の悪い清い想いがあるようで恐ろしい。

 

その行動の意味が一向に分からない。さっきの言葉の意味が分からない。

ただ意味のない音を喉が鳴らす。

未だ彼の言葉を処理できていなかった。

幼く、経験の乏しい、愛に飢えた彼女の脳ではスペックが足りず、言葉が出ない。

なんで優しいのか、なんでそんな見たこともない顔をするのか、酷く困惑して、酷く怖くて、何も言葉が出なかった。

 

「なんだよ、そんなに俺が嫌か?」

 

「……意味が分からない。()がそこまで、あたしを生かそうとするの?」

 

「あ?んなもん────電話?」

 

突然単調な機械音が鳴り響く。防水加工が施された学園都市製の折りたたみ式の携帯電話を取り出して、怪訝そうに耳元に当てた。

 

「誰……あ?なんでお前、あー生きてる……悪いが用なら後にしてくれ」

 

「……何?」

 

「一方通行からだ。どいつもこいつも面倒だな」

 

少し距離を空けて、酷く苛立った表情で返事をしていく彼の口から飛び出たのは自分でもよく知る第一位の能力名。

彼とは絶対接点のない、あったとしてもこんな呑気に電話ができるほどの相手じゃない。

 

混乱。困惑。

 

なんでそんなにも堂々と嫌いな人と喋れるのか。

なんでそんなにも簡単に名前を吐き捨てられるのか。

垣根帝督とは思えない。よく知る彼の行動とは乖離した姿に心が乱れる。彼女が知る姿はどこにもなくて、ただの、普通の少年がそこに居て。

自分の常識が崩れていくのがままならない思考の中はっきりと感じ取れた。

 

「なんで、一方通行と……」

 

「50が連絡先渡しやがった。あ、待て、上条からもメール来てんな。ロシア戻るのが懸命か?」

 

「どういう、何が、何がそこまで、キミを変えたの?」

 

「あ?」

 

「そんなの、らしくないじゃんか……!」

 

量の多い金髪を握って、緊張と困惑を抑えながらようやくまともな言葉を冷えた喉からかき出す。霜焼けのように冷えた喉は言葉を出すたびに痛みで軋み、吐き気を催す。

 

「……お前が変えたんだろ。他でもないお前が、俺の人生全部変えたんだ。お前の願いのせいで、俺はこうなったんだ」

 

恐怖。自分のアイデンティが崩される恐怖が迫り上がって、警報のような耳鳴りが止まない。

両手を取られ、逃げ場を失う。まっすぐ、前を見て、一直線に、聞きたくもない告白を受け止めなくてはいけない。

 

「お前の我儘で、お前の望んだハッピーエンドになった。だから黙って責任取って、今度は俺の我儘聞けよ。俺のやりたいようにやらせろよ」

 

願いを叶えた。けれど幸福になっていないと、自分がいないほうが幸福だと信じていたのに。だというのに、目の前の少年は、自分と一緒にいるほうが幸せだと言い切る。

 

全部(フィクション)にしたかった。

星の中で感じた体温も、触れた肉も、鼓膜を揺さぶる言葉も。自分に都合のいい言葉なんて全部嘘にしたかったのに。

彼はそれを許さなかった。

 

「それとも、お前はまた俺に()()()()()ことさせる気か?」

 

そっぽを向いて、恥ずかしげに言う彼に感情が糸のように絡まり、言語にできない名状し難き高揚感が全身を熱くする。

絡まった感情はもう解くことが出来ない。運命の糸は、心臓と結びついていた。

 

今まで過ごして来た百を超える日常の結果。押し付けた幸福が跳ね返り、自らの元へ戻って来た。思えばただそれだけのこと。

彼女は彼の幸福を願い、生き抜いた。だから今度は彼の番。

主人公は交代する。

救われた少年は主人公(ヒーロー)となり、英雄(ヒーロー)らしく、救ってくれた女の子に幸せを返すだけ。

 

星が降る直前、身の丈に合わない真っ白な言葉を聞いた。言葉にするととても恥ずかしくて、とてもむず痒くて、暖かいそれは、誰にも教えない、二人だけの言葉。

二人だけの秘密。

その言葉の意味をようやく飲み込んで、咀嚼して、命の糧にできた。

じんわりと胸の奥から熱が広がって、その熱は指先から頬まで、体の全てを飲み込んで、感情を水源のように留めなく溢れさせる。

潮風が唇に当たって、少ししょっぱくて、なんだか心が満たされていく。

 

幸せそうな顔だった。

嬉しそうな顔だった。

見たこと無い顔だった。

 

ずっと、望んでいた顔だった。

 

他でもない、自分のせいで彼は物語の道筋から外れた。

死はもう彼を襲わない。

不幸はもう彼を悲しませない。

 

彼は幸福だった。

そこに偽りはない。

鈍感で、気持ちの読めない愚か者にその感情がようやく伝わった

 

──そっか、そうか。あたし、ちゃんと幸せにできたんだ。あたし、()()()()()()()()

 

彼女は初めて幸福を感じた。心の中をじんわり温める快楽がむず痒い。

夢も叶って、望みも叶えて、未練も叶い、理想よりもはるかな現実で起きた幸福な結末(ハッピーエンド)を前にして、我儘で欲深い女の子は幸せになった。

 

真っ白い世界の中で、彼女の()はよく映える。静かに顔を伏せ、長い金髪が地面に跡をつけて、金と白だけの世界で華やかな赤が広がっていく。

 

「……なんかその言い方、えっちだね。帝督くん」

 

「そういう意図はねぇが、って、おい、今なんて呼んだ?」

 

「えー?なんのこと?」

 

願いは叶い、これから先も叶い続ける。

彼女がいれば少年は幸福で、少年が幸福なら彼女は幸福だから。メビウスの輪のように、幸福は幕を降ろさない。

 

「帰ろっか、学園都市に」

 

「……まずはロシアで馬鹿共を迎えに行かねぇとな」

 

少年が差し出した手を握って、少女は歩幅を合わせて進む。

彼は彼女といることを望んだ。彼の望みなら、天羽彗糸という女は何処へだってついていく。

地獄の果てまでも、天上の薔薇までも、その乙女は彼のそばを離れない。

 

彼らはこの世界で一番幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 




次回最終回(という名のエピローグ)です。
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