この話には謎に仲が良い兄妹な垣根と天羽、下ネタ、前世の記憶アリで情緒不安定な天羽さん、シスコンな垣根くんが存在します。
苦手な方はご注意ください。
人が増えてきた午後過ぎ。オートロックの扉を開け、玄関から室内へ入る。
かすかに聞こえる賑やかな音と、男の声。またかとため息交じりにリビングへ行くと、茶髪の少女がソファの上でじっと座っていた。
「学校終わったんだな」
「っ、おかえり!早いね」
「お前もな」
「うちんとこ今日午前だけだったから」
自分と同じ茶色の髪と黒い瞳で彼女は振り向く。女にしては高い背と、去年まで中学生だったとは思えないプロポーション。
天羽彗糸と呼ばれていた彼女は、垣根帝督名義のワンルームでぽつんと座る。シャンプーの香りを振りまいて、テレビから目を離した彼女の姿はこの無骨な部屋に馴染んでいた。
「どんだけ画面の中のお兄ちゃんが好きなんだ、宿題終わってんのか?」
「あたしのこと小学生かなにかかと思ってる?」
「似たようなもんだろ」
薄手のTシャツとホットパンツでゆったりと眺めるテレビには、つい最近発売したライブ映像が映る。
初回限定盤の箱とパンフレットがローテーブルに散乱し、随分前に物販で買ったのかファーストライブのペンライトが淡く光っていた。
画面に映るのは自分、学園都市に七人しかいない超能力者の一人、第二位垣根帝督。
王子様スマイルと、俺様な口調、どんな芸能人も霞む美貌とスタイル。アイドル、垣根帝督。
一体誰がが考えたのか上層部にカチコミに行きたくなるこの計画は、
超能力者である垣根も例に漏れずこの計画に参加し、アイドルとして認知されている。
「この間のライブか?」
「そう、垣根様のこと見たくなったから」
「妹ならいつだって生の俺が見れるだろ」
「ヤダ」
そして彼女、天羽彗糸と呼ばれていた彼女は現在、アイドルである垣根帝督の妹として過ごしていた。
同じ茶色の髪、同じ黒い瞳、高い背と人間の中でも上位な顔。どこからどう見ても兄妹な彼らは、この狭いワンルームで二人暮らしていた。
姉を豪語する彼女が大人しく妹に居座っているのが不思議だが、彼らはそれで満足のようで、ここ二ヶ月は問題なく過ごしている。
張り合いがないのは少し寂しいが、静かなのは良いことだ。
「アイドルの垣根様とおにーたまな垣根くんは違うんですぅー」
「何が違うんだよ。つか名前」
「は?」
「同じ『垣根』なんだぞ、苗字呼びは変だろ」
しかし彼女の方はまだ認めたくないようで、無意味なプライドから反抗を繰り返す。
そもそも妹になったのはアイドルである垣根のせい。いつも通り世話を焼き、優しい彼女だが、その現実を突きつけられるのは不快だった。
「……気が向いたらね」
「そう言い続けて何日だ?」
「妹になってからずっとだね。妹っていうより、お世話係だけど」
「相変わらず頑固だな、お前は」
「垣根くんが幸せならそれでいいの。名前の呼び方なんてどうでもいい」
不貞腐れる彼女の隣に無造作に座り、散乱したグッズを手にとる。
彼のことが大好きな妹に半ば呆れつつ、感情とは裏腹に笑みが溢れてしまう。本当に自分のことが好きだと、隣で頬を膨らます血の繋がらない妹が自分だけをみていると思うと苛立ちも消え失せる。
とても平和な日々。
殺しもない、痛みもない、平凡だけど刺激的で、楽しい日々。
一生続いて欲しいと心の底で願う。
「……ねぇ」
「っ、なんだよ」
「香水つけてる?」
暗い室内でぼーっと自分が映るテレビを見ていると、不意に声をかけられる。彼女の声に視線を移すと視界いっぱいに彼女の姿が広がって少し恥ずかしい。
家族といっても血は繋がっていない。まだ同棲にも慣れず、女の形をしたそれに驚きたじろぐのも無理はなかった。
「香水?そんなもの……あ」
「心当たりあるんだ?女物の甘い香水なのに」
「あー、今日
跳ね上がった心音をごまかすために袖の匂いを嗅ぎ、怪訝そうな顔で見つめる彼女から目線を外す。蛇に睨まれたカエルのように、不自然な緊張感が漂う。
怒りに似た得体の知れない感情で顔を顰める妹にかける言葉が見つからない。
「あの子と付き合ってんの?」
「……っは!!?」
「そっか、ついにこの日がきたか……」
「おい、なんか誤解してねぇか?俺は別に──」
「よし、あたし妹やめる」
困った顔で彼女は立ち上がり、温度のない声を放つ。そのままそこらにおいていたパーカーを羽織って、チャックを閉じた。
少しブカブカなシルエットのパーカーは確か垣根が買って着ずにいたもの。白いTシャツとドルフィンパンツしか履いていない姿より露出度が下がるというのに、その姿はどこか蠱惑的だった。
「は?」
「他に女がいるのなら、身を引くのが礼儀でしょう?この日がくるとは思ってたけど、まさかこんなに早く来るとは」
「いや……妹やめるって、俺らが結んだのは養子縁組でも特別養子縁組でもなければ、マジモンの戸籍改ざんだぞ?血が繋がってるってことになってんだぞ?んなこと出来るわけ、つか身を引くって、他に女なんて────」
「入籍」
彼女が集めた
何か恐怖を煽る声色に、焦りと不安が垣根の心を掻き乱し、言葉を詰まらせる。
妹という存在は、時に兄を凌ぐ。
今この場を支配するのは彼よりも背が低く、彼よりも柔らかく、彼よりも愚かで、彼よりもか弱い少女だった。
「……は?」
「女は結婚すると配偶者の戸籍に移る。妹という事実は消せなくても、別世帯としてカウントされ、同じ家族としてみなされなくなる」
「そう、だな。え、それがなんだよ?」
くすんだ茶髪を揺らし、彼女は振り向いた。冷たい擦りガラスのような黒い瞳が彼を射抜く。
その手にあるのは一枚の紙切れ。お役所のような堅い印象の紙切れには、小さくこう書いてあった。
「今の日本では女は16になれば結婚できるのよ」
「それはっ……!?ま、まさか、お前!」
婚姻届、と。
「あたし、結婚する」
「は、はぁぁぁぁ!!?」
思い切りのいい愚かな妹の宣言に兄は堪らず声をあげる。
走って玄関を飛び出す姿を呆然と見送って、彼はその場で地面に膝をついた。
どこぞの友人ではないが、この日ばかりは叫びたい。
あぁ、不幸だ。
とても不幸だ。
少女が歩くと茶髪が跳ねる。手に持った紙切れを眺めながらため息をつくと、まぶしい太陽の下足を止めた。
「啖呵を切ったものの、結婚って誰とすればいいんだろう?」
手元の婚姻届を見つめ、眉を八の字に下げる。
適当な人を洗脳して記入してもらうことはできるが、そんな強引で相手の人権を無視したことはしたくない。
かといって思い浮かぶ男はあまりいない。
いっそのこと役所を燃やして戸籍を消滅させるか。しかしそんなことできるわけもなく。
この体に、この顔に興味を持つ誰かがいるのを願うしかない。
「あれ?こんなとこで何してんだ?」
力なく道の隅で立ち尽くしていると、花に集まる虫のように誰かが声をかけてくる。足元に見える影と声は記憶にあった。
「お、不幸少年と腹ペコシスター」
「む、なんだかその呼び方はイヤなんだよ」
「垣根いねぇのか?」
声に顔を上げると、そこには見覚えのあるツンツンした黒髪と小さな白いシスターが視界に入る。
上条当麻とインデックス。この世界では主人公格ではない彼らは、いつも通りの何気ない日常で生きていた。
ちょうど良いタイミングで現れたクラスメイトに思わず笑顔が浮かぶ。
手に持った紙切れを渡す相手を見つけ、少し浮かれ気味だった。
「そんなことよりさ、上条くん今暇?」
「え?まぁ、暇といえば暇だが」
「ここにサイン書いてくれない?」
胡散臭い笑顔で可愛らしい紙を手渡すと、不思議そうに上条は文字を目で追う。最初こそ不思議な顔をしていたものの、その文字を認識し、言わんとしていることを理解すると、その顔は青へ塗り替えられた。
「サイン?どれどれ……って、婚姻届ェェ!!!?」
「えぇ!?けいと!!どういうつもり!?とうまのことが好きなの!!?」
その紙を押し付けるように返却し、上条一行は赤やら青やら愉快な顔を見せる。恐怖と羞恥と困惑と、いろいろな感情が体を巡り、裏返った声で彼らは元凶に詰め寄った。
どういう意図なのかさっぱり分からないのも当然で、何をしたいのか彼らは探っていた。
「好きじゃないけど……だめ?」
「ダメダメダメ!!だ、ダメでしょう!そういうのは好きな人とですねぇ……!」
「そうだよ!自分の感情に逆らって、自分を売るようなことしちゃダメだよ!」
「ていうか垣根はどうしたんだよ!アイツのこと好きなんだろ!?」
好きでもない男に突然婚姻届を渡すのは流石に不審に思われ、清らかな説教と心配が彼女を襲う。
その引き合いに出された愛おしいアイドルの名前にわずかに眉が動く。
好きの解釈を俗物的な恋愛に当てはめられるのは癪だった。
「好きって、アイドルへの感情だからね?あの子一体何人のファン抱えてると思ってんの?」
「その割には妹になるとかでずっとべったりじゃねーか」
「妹ということにしておけば女が家に出入りしてもおかしくないでしょ?あたしがそうしたのは垣根くんのお世話をしたいからだよ」
「メイドかよ!垣根のこと好きじゃん!」
「好きだよ、けど上条くんが思うようなものじゃない」
彼女は垣根が好きだ。
アイドルで、笑顔を振りまく垣根が好きだ。
それは綺麗な愛情だ。
暗い過去と、闇に落ちた現在とは比べ物にならない明るい未来を持った美しい少年が見たこともない幸せそうな笑顔をしていて、楽しげに微笑んで。
年相応な表情を見せる我儘で子供っぽい彼を愛している。大好きだ。
その笑顔が永遠に続くのが彼女の願いで、彼女の目的だ。
この綺麗な愛情を、恋だの何だの言われるのは腹がたつ。
「今人気だよね、ていとく。この間もアニメの前のCMに映ってた!」
「そうなんだよー!最近も売り上げいいし、次回の箱もでかいし!軌道に乗ってるっていうか!」
「ていとくのこと、大好きなんだね」
「うん!じゃなきゃ、
「じゃあ俺じゃなくて垣根と相談しろよな?お前ら家族なんだから」
しかしこの高尚な愛を理解できないラブコメカップルに一から話すこともなく、適当にファンらしく振舞ってこの場を終わらせる。
この人たちに、主人公たちに何言ったって通じない。
脇役の運命なんか知らない人たちに何を言ったって無駄なのは随分前から分かっていた。
「……だから、結婚したいんだけどなー」
「へ?」
「推しが他の女とセックスする光景なんて、見たくないじゃん?」
「セッッ、ヴァッッッ!!?」
「それだけが理由じゃないけどね」
優しい少年の言葉に濁った黒い瞳を伏せる。
どうせ彼女の気持ちなど分からない。信じない。
こんな人と婚姻関係になるのは馬鹿らしいと、頭の隅で見下す。
無駄な時間を過ごしてしまった。
そう思ったら早かった。
「別の人探す!よく考えたら上条くん結婚適齢期じゃないし!」
「今気づいたのかよ!」
適当な軽口を叩いて素早くその場から離れる。思いついた次のターゲットのもとへ走り、風の音に体を乗せた。
そしてその様子を見ていた兄は静かに唸る。
「上条ッッッッ!!」
「ちょっ!!?落ち着いてくださいっス、サインしてませんし、大丈夫ですって!」
「くそっ!離せ、あの馬鹿が上条の毒牙に!」
自分の家族になってくれた愚かな妹が目の前で危ない橋を渡ろうとしていたら止めたくなるのが兄の性。
無防備な服装と無邪気な言葉で男を意図せず惑わす妹に並ならぬ心配を抱え、垣根はその後を物陰から見守る。
何とも微笑ましい兄妹だが、それに毎回巻き込まれる人は堪ったものじゃない。
部下であり、しもべであり、ストッパーでもある誉望万化は怒れる主君にため息をこぼす。
毎度巻き込まれる兄妹喧嘩とも呼べない馴れ合いにそろそろ飽きていた。
「落ち着いてくださいって!垣根さんの知り合いなんっスよね!?だったら垣根さんに歯向かうとは思えません!怖いし!」
「くそが!ちょっとでも妙な真似したらすぐに行く、わかったな?」
「過保護っスね。天羽彗糸が結婚って騒いだって絶対垣根さんのとこ戻ってきますよ……こんな喧嘩毎回してますし」
こんな騒ぎは初めてじゃない。この兄妹は何度も喧嘩し、何度も仲直りし、その度に誉望が駆り出された。
いい迷惑だ。
しかしそんな言葉を言えるわけもなく、いつも同じように使われる。
あの妹ができてから随分精神状態も安定し、優しくなっているとはいえ、相手は垣根帝督。どんな暴力が待っているか分からない。
「天羽じゃない、妹の『垣根』彗糸だ」
「んなことどうでもいいっス。それより、なんで今回は結婚なんて言い出したんスか?心当たりは?」
とりあえず事態収拾のため軽く事情を聞いておく。何が引き金となりこんな現状になったのか分かれば、どうにか改善できるかもしれない。
「女がいると勘違いされた」
「え、垣根さんスキャンダル対策徹底してるのに」
「馬鹿の誕生日近いから心理定規に香水選んでもらったんだよ。あー、柄でもねぇことすんじゃなかった」
嫌そうに出した答えは何ともありきたりな嫉妬の原因。互いに恋愛感情はないと彼らにこっぴどく言われたというのに、結局行き着くのはそこかとなぜか落胆してしまう。
女が常日頃ぽっと湧いてくる顔面エリート様。形容し難い恨みを抱きながら聞く義妹の話は、全てにおいて腹立たしかった。
「そのまま素直にいえばいいじゃないっスか。何が問題なんスか?サプライズよりも妹の機嫌とった方がいいっスよ」
「女へのプレゼントを別の女と選ぶなんて地雷だろ。何言ってんだテメェ」
「分かってるならやらなきゃいいのに……」
「女物の化粧品なんてわかるわけねぇし。あぁ言うのはプロに任せたほうがいい」
「気が利くんだか利かないんだかよく分かんない人っスね……」
モテ男ならではの思考回路なのか、ただただ無頓着なだけなのかは分からないが、垣根帝督という人に常識が通用するはずもなく、言っている事は意味不明だ。
そんな性格だから喧嘩するのではないかとも思うが、そんな性格でも彼の妹はずっと彼のことを好きでいるのだから恐ろしい。
そう、あの妹はずっと垣根帝督を好きでいる自信がある。
つまり、この騒動も最終的には彼女の機嫌が直って仲直りして元通り。
「おい、馬鹿が移動したぞ」
(早く帰りたい……)
早くこんな茶番終わらせて新作のゲームでもしたい。
真剣な眼差しで血の繋がらない妹の恋愛事情を心配するリーダーの見たことない表情をぼんやりと見つめ、その整った横顔に溜息を吐く。
そして喧騒の中、面倒になって色々考えるのをやめた。
上条から走り去り、日々働く病院へと辿り着く。関係者専用のエレベーターに乗り込み、地下へと向かうと、しっかりとした足取りで自身の受け持つ研究室へと急いだ。
「18以上の男で、私の知り合いって言ったら……一人しか思い浮かばないよねぇ」
条件を満たす男はここにいる。悪役だけどどこか憎めないあの男がここにいることを願って、研究室の扉を開く。
カラーの入った頭髪と、蛇のように鋭い目つき、ニタニタと笑う口元、自分と同じくらいの身長。
唯一知る年上で大人な青年の名前を呼んで、勢いよくスライド式の扉を開け放った。
「相似くん!」
「おや、騒がしいのが来ましたね」
木原相似。悪名高い木原の一人でロボティクスを専門とする技術者。
たくさんのピアスといい彼女とウマが合いそうな男だが、元気良く名前を呼ぶ彼女に露骨に嫌な顔をして顔を顰める。
善性の塊である彼女は木原一族の彼には毒に感じるのか、あまり好まれていない。
「
「ううん、結婚しようと思って」
「……はい?」
「相似くん、結婚しようぜ!」
そんな相反する彼に婚姻届を押し付け彼女は神々しい笑みを浮かべる。ニコニコと愛らしく茶髪を揺らして笑う彼女の言葉はあまりにも突然で、木原といえど話に追いつけない。
眉間に指を置いて面倒そうな顔を浮かべる相似は、何とも言えない表情で彼女と視線を合わす。とても嫌そうな口ぶりだった。
「随分と唐突な……あの、一から十まで説明していただけます?貴女の低知能に追いついていけないんですよ」
「垣根くんが彼女作ったから出てってあげたいの。妹である以上近しくなっちゃうから、他人の戸籍入ればいいかなって」
「もう結婚まで考えてるんですか貴方は……あの帝督さんが彼女なんて、早とちりな気がしますけど」
「でもいい案だと思わない?あたしと結婚すれば上に文句言われずに実験に使えるよ?」
嫌そうな顔を続ける彼に少し苛立ちを感じながらも話を進める。
大人で、科学者である相似にしてみれば彼女は金の卵のようなもの。永遠に死なない都合のいい実験体を自分だけで管理できるのだ、そこに食いつくだろうと安易に思っていた。
「それだけのメリットで貴方と人生歩みたくないです」
「えー?人妻らしくご飯作るし掃除するしセックスもできるよ?何なら、好みの女になれるし。例えばほら、この髪とか、目とか、全部垣根くんの
「心底いらないですね。貴方に触れたいと思ったことありませんし」
しかし現実はうまくいかず、オプションをつけても彼の顔が晴れることはない。
覆ることのない拒絶。良い女にせがまれたら結婚するものではないのかと首を捻りつつ、頭の中で彼の答えを飲み込む。
マズローの唱えた五段階の欲求の中でも人間の生理的欲求、社会的欲求、承認欲求を満たせるスキル、能力があるというのになぜ欲しいと思わないのか。
答えはきっと単純、且つ呆気ないもの。
「もしかして、あたし魅力ない?」
「ないですね」
「ふーむ、やはりロリコンか」
「違います」
それに気がつくと、何だか途端に馬鹿らしくなる。今までの話は一体なんだったのかと、世界に問いたくなってしまう。
女性的魅力の欠如。胸も大きく、顔もそこそこだと思っていたものの、この世界のハードルは越えられないらしい。
前提がひっくり返る言葉に意気消沈し、生きてる意味すら見失ってくる。
馬鹿げたことをしていると、今更ながら反省してしまう。自分は一体何をしているのだろうか、思考が絡まって解けない。
「まぁ、もう少し大人になったら考えてあげますよ。実験体には使いたいので」
「今がいいんだけど?」
「嫌ですよ、高校生って犯罪ですし。ロリコンじゃないですのでね」
「ロリじゃないが!?」
さらに追い討ちをかけるように相似はチクチクと痛みのある言葉を吐き出す。心底嫌がるそぶりで大きなため息を吐いて、続けざまに罵倒を並べていく。
「とりあえず帰ってくれます?ここは遊び場じゃないんですから」
「所長あたし!」
「でもほとんどいないじゃないですか」
「う……」
「それに馬鹿ですし」
「にゅ……」
「というか、結婚してくれる人なんて見つかるんですかねぇ。貴方嫌われ者じゃないですか」
心臓を抉る罵倒が次々と突き刺さる。棘のついた言葉が積み重なって、徐々に重りをつけていく。
全て本当のこと、でも言われるのは腹立たしくて悲しくて、少し辛い。
「帝督さんが可哀想ですねぇ。貴方みたいな人間に纏わり付かれて」
「……それは」
「邪魔だと思ってるって感じたから結婚なんて言いだしたんでしょう?どうせなら死んだらいいじゃないですか。貴女がいると、彼が不幸になると思うので」
精神の幼い彼女に、垣根帝督のことを揶揄するのは悪手だった。
大好きな彼を不幸にしているなんて、彼女にとってはどんな罵倒よりも傷つく鋭利な刃。隣にいることが彼にとって不幸だと、何よりも恐れていることを突きつける言葉。
分かっている。彼にも嫌われていること。
それがどうした?それがなんだ?
そんなことどうでもいい。
けれど、彼女が生きていることで彼が不幸になるのは彼女の望みではない。
自分は彼を幸せにできないと、そう言われるのが堪らなく嫌だった。
彼女を殺す魔法の言葉。
彼女の生き様を否定する。
「そんなん、分かってるし……わかってるよ……」
だから涙が一滴零れたのも普通のこと。
「テメェ、人の妹泣かせてんじゃねぇぞコラ」
涙が一滴床を濡らす。
瞬間、鼓膜を揺さぶる大きな衝撃が男の声と共に狭い研究室に轟いた。
スライド式のドアが真っ直ぐに吹き飛ばされ、地震のように部屋が揺れる。埃を巻き上げ、衝撃でチカチカと点滅する蛍光灯の下、彼女と同じ茶髪をなびかせ、黒い瞳の少年が獣のように睨む。
低い唸り声を絞り出し、翼を広げる姿は天使には見えなかった。
「か、垣根くん?!」
「安心しろ、すぐ殺す」
「ウワァァァァ垣根さんストップゥゥ!!!」
青筋を立てて相似の元へ突撃する垣根を何とかして止めようと誉望が叫び、突然の出来事に彼女の涙は引っ込んだ。
お兄ちゃんの堪忍袋の緒はどうやらとても脆いらしい。
大きな音を立てて蛍光灯が地面に落ちる。ガラスの割れる音が埃っぽい空気に響き、部屋に影を落とす。
明るかった部屋は見る影もなくなり、爆発が起きた後のように散らかっていた。
「で、どうして結婚とか言い出したんだよ」
「別に、意味は無いし」
研究室から廃墟へ変わってしまった室内で垣根は自分と良く似た少女を見下ろす。彼と視線を合わせずそっぽを向く彼女の頬を餅のように両側から引っ張り、無理やり目を合わせると、彼女の赤い目元がさらに赤みを増した。
涙目で薄っすらと目を開ける彼女の生意気な表情が少し腹立たしい。
「あ?答えろボケ」
「やら」
「言わねぇとこの研究室が半壊から全壊になるぞ」
「……らっひぇ」
「なんだよ」
口ごもる彼女の頬から手を話し、言葉を待つ。観念したようにむくれながら俯いて彼女は小さな声で本音を吐露していった。
「……だって、垣根くんが、彼女作ったら同棲とか、そういうことするだろうし、血が繋がらない小姑なんて、相手にとっては不安分子でしょ?垣根くんの幸せを考えたら、いない方がいいじゃん」
「なんで俺は結婚する前提、というか彼女がいる前提なんだよ」
「……マネージャーとヤってきたんでしょ。じゃなきゃあんなに濃く香水の匂いなんてつかないし」
「あれはお前の誕生日に香水贈ろうと思って買いに行ってたんだよバカ。心理定規はその付き添いだ」
「ほかの女とプレゼント選ぶとか付き合ってんじゃん」
うじうじと頬を膨らませて、彼女は小さく呟いた。
子供の嫉妬心を混ぜ込んで苦くなった本心がぽろぽろと溢れて、彼女が小さく見えていく。その姿が何だか可愛そうで、馬鹿らしくて、呆れてしまう。
「ちげーよ。大体、なんで俺に彼女がいたらお前が身を引くんだよ。妹なんだから堂々としてろよ。なんなら兄貴に変な虫がついた!って喚くぐらいすればいいだろ」
「そんなことできないよ」
「それは俺が幸せにならないからか?いつも言ってるもんな、俺を幸せにしたいとか何とか」
おぞましい妹という生き物は、垣根とは違う思考回路を持っている。
垣根の幸せのためだけに猪突猛進に行動を起こし、自分を蔑ろにする彼女は妹と呼ぶには少し破天荒すぎた。
「……垣根くんはさ、もしアイドルになってなくて、暗部にいたままで、あたしにも出会わず、大切な人が皆死んじゃって、自分も殺されるような世界だったらどうする?」
「あ?どうするって、そんな世界を変えるように行動する、とかか?」
「この意味の分からない計画がなかったら、そうなってたかもしれない。計画が終わったら、また人を殺して、不幸になって、笑わなくなるかもしれない。そう思うと、とても怖い。あたし、垣根くんがつらいとこ見たくない」
彼女との対話は何か、深淵を覗くようだった。何か別の世界を観測しているかのように、彼女は『もしも』を語る。
「妹になったのも、垣根くんが楽しくアイドル出来るようにしたかったから。ご飯も作ってあげられるし、洗濯もできる。妹という立場なら自然に一緒にいれるし、スキャンダルにならない。なんなら垣根くんは妹思いの優しい子って報道されるかもしれない、メリットがたくさんあるから」
甘い香りを漂わせて、妹は顔をあげる。何か恐ろしいものに焦るような、狂気に魅入られたようなその表情はどこか恐ろしく感じる。
きっと心配性の彼女にはこの幸せな世界が紛い物のように感じるのだろう。だから精神を病んだかのように異様に垣根を心配する。
「垣根くんが幸せじゃない世界になるのが怖いの。あたしのせいで恋が破れたら一生後悔する。だからちょっとでも可能性があれば幸せになれる方向にしたいの。彼女がいるんだったら邪魔しないように見守ってたい、距離を取っておきたい。そう思っちゃう」
この夢が崩れるのを恐れて、この世界が終わるのを恐れて、彼女はいつも垣根のそばにいた。
何とも健気で恐ろしい生き物なんだろうか。
しかしその健気さは垣根にとって邪魔なものでしかなかった。
「あー、ったく、お前は本当に馬鹿だ。バーカ!」
「な、ンあ!?」
思いっきり彼女の頬を両手でつねると、大声で罵倒とも呼べない言葉を叫ぶ。幼稚な言葉で彼女を責め立てても気は収まらず、彼女につられて本心を喚く。
彼女の言葉に正当性なんてない。
彼女の思いに思いやりなんてない。
甘え下手な彼女に思いっきり衝撃を与えたかった。
「俺の幸せを考えるのは俺だ。んで、お前の幸せも考えるのがお兄ちゃんだ。つまり、お前の考えていることやら行動は無意味だ」
考えすぎな妹に、兄としてできることは限られている。けれど彼らにはそれで十分だ。
紙切れ一枚で捕まえた妹を籠の中で生かすため、飼い主は優しく声をかける。
奇妙な腐れ縁をこんなところで切るつもりは毛頭ない。
「もうちょっと俺を信じて甘えろ年下。恥ずかしいなら妹らしくお兄ちゃんの陰に隠れてろ」
「なにひょれ、ふぁかにしてひゅ?」
「馬鹿を馬鹿扱いして何が悪い?」
少し顔色が良くなった妹から手を離し、見下すように兄は笑う。いつも通りの兄妹の軽口に彼らは怒りつつ、楽しげに目を細める。
「……今日晩御飯作らないから!」
「えっ、おい、それは許されないだろ!おい!」
「お兄ちゃんうるさい!」
茶番は永遠に続く。
彼らが辞めるまで。
その事実に彼らは安堵し、確認し合う。平穏が崩れぬように。
馬鹿らしい兄妹喧嘩は第二章へと向かう。
それが彼らの日常だった。
整頓された研究室は無残に破壊され、帰ってしまった兄妹の足跡が残る。
「……え?この惨状は誰か片付けるんスか?」
残された少年はひとり壊れかけの蛍光灯の下で呆然と立ち尽くす。
「貴方、確か
「ふ、不幸だァァ──────────!!!」
優しく肩に手を置かれ、胡散臭い笑みを見せる研究員に今日一番の大声をあげ、静かな部屋に汚い泣き声を響かせた。
この茶番は、巻き込む全てを不幸にする。
非常に厄介で、傍迷惑な兄妹の後始末に追われ、誉望万化はひとり咽び泣いた。
実際に兄妹なら記憶持ち天羽さんだったら暗部落ちも阻止するだろうし、いっぱい構うのでひねくれないだろうし、なんなら学園都市にいかせなさそう。
物語としては面白くないが、天羽さんが垣根のリアル妹として生まれていれば一番幸せな世界だったかもしれない。多分。