とある科学の肉体支配   作:てふてふちょーちょ

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そういう回だ。


act7:心はそれを認めない

九月に入り、暑さが少し落ち着きつつある今日、教室にエアコンの稼働音が伝わる。緩やかな曲線を描く髪が冷たい風に揺れて、少女の鼻歌が重なった。

髪も化粧も終わり、あとは渡された衣装に着替えるだけ。

まだ今日は始まったばかり。

だというのに彼女は誰よりも楽しそうに鏡を覗き込んでいた。

 

「最近は機嫌いいですね」

 

「まぁねー!」

 

木原相似の声に弾んだ声で少女は笑う。

あの日から、あの夏の夜から彼女の熱は収まらない。

 

ハグをされた。

頬を触れた。

いつもの姿がいいと言われた。

 

垣根にそんな言葉を向けられて、抱きしめられたのは初めてで、浮かれてしまうのは当然だった。

歓喜と興奮。

 

睡眠だけでなく、この体はまだ役に立てることがひどく感情を揺さぶる。

捨てられない。

隣に置いてくれる

それが分かれば、不安はもうない。

天羽彗糸の頭の中にはずっと彼の言葉と体温が反響して止まらなかった。

 

「今日の衣装見てもそう言えるといいが」

 

「メイド服でしょー?仕事だし、ちゃんと着るよ」

 

「でも萌えの鉄板ですし、今度こそリアクションがもらえるかもしれませんよ?」

 

「んー……最近、いろんな角度から攻めても不発だったからねぇ……」

 

しかしそれでも垣根は一度も彼女を使()()したことがない。

テレスティーナの言葉で衣装ラックにかけられた黒と白のコスプレを見つめると、鏡越しにそれを相似が呆れ気味に鼻で笑う。

 

今日の仕事はしばらく前のプールのロケと同じで少し特殊。

学生服ではない趣味の悪いコスプレに嫌気が差す。誰が喜ぶのかと今一度上に問いたいが、仕事とあらば仕方がない。

 

「だから、言ってんだろ?今からでも遅くねぇから路線変更するべきだ。可愛い路線で第三位たちに並ぶロリータとかな!」

 

「それはテレスティーナさんの趣味でしょ?色気ある方が性欲に繋がるんじゃ……」

 

「でも貴方男性ファン少ないじゃないですか」

 

今日の衣装はミニスカートのメイド服。

 

フリルたっぷりのワンピースとカチューシャ。

丸いトゥの低いパンプス。

リボンか胸元を飾り、くるぶしを隠す清楚な靴下が足元を可憐に見せる。

 

少女趣味な衣装は、高身長で胸の大きい女に着せるようなものでは無い。

少なくとも、天羽の考えでは。

 

だが彼女のマネージャーたちはそうは思っていないようで、不機嫌そうな目つきで論理を展開していく。

目を逸らしたい事実を突きつけて、彼女の考えを否定してくる彼らはどこか必死だった。

 

「そうだぞ、お前のガワを好きになるのは基本女だ」

 

「ゔ……」

 

「それに比べて第三位や第五位の可愛い系はほとんど男性ファン。この違いは路線の違い故の結果ですね」

 

「この溝をどうにかしねぇとこれ以上売れねぇぞ。結局女に貢ぐのは男だからな」

 

「今回のドラマで男の新規が来てくれるとありがたいのですが……」

 

彼らがここまで強く言うのは売上のため。

 

天羽彗糸は六番目。それは能力も、売上も同じ。

女ウケのファッションと、万人ウケしない曲。

サブカル特化の超ニッチな女性シンガー、それが現時点でのアイドルとしての天羽彗糸。

 

ディスコで流れていそうなエレクトロ・ポップと、誰にも真似出来ない能力ありきの幅広い音域。

歌詞は厨二チックなものか、エロティック、もしくは暴力的な英語しかない。

マイクは握らず、ハードなダンスを繰り広げて声を荒らげる。

いわゆるJPOPには当たらないプロモーション。

それは今の流行りとは乖離していた。

 

どんなに見た目が良くても、どんなに性格が良くても、多数派が好むような方針を取らなければ売れることはない。

売上がなければ経営は傾き、できることは限られる。

 

金がなければ収入が低減する。収入が少なくなれば活動ができない。

彼らはどうにかしてでも客を取る必要がある。

そのためには天羽を言いくるめなくてはならなかった。

 

「でも一応男性のお客さんいるし……」

 

「それはドMのクソ野郎か、お前の曲に知ったかの洋楽オタクが群がってるだけだ」

 

「オタクくんだって一応ファンでしょ?ドMも……」

 

「でもお前のことは好きじゃない、曲が好きなんだよ。ドMに関しては、垣根がドMとは思えねぇから一切役に立たねぇ」

 

「でもさぁ、好きになる女とヤりたい女って違うじゃん!あたしは垣根くんのためになれればなんでもいいの!」

 

テレスティーナたちが望むのはフリルとロマンチックが散りばめられた乙女のアイドル。

似合わないリボンに、ツインテール、ピンクとハート。

ありふれて特別な、可愛らしく夢で溢れた世界観を求めている。

 

幼い頃ならそれもいいのだろう。少女アリスのようなフリルのエプロンも、リボンがたくさんのドレスも、年齢が一桁だった頃よく着せられていた。

けれどそれは今の天羽には適切ではない。

 

肌面積を大きくとって、欲情を煽る格好こそが彼女にとっての勝負服。

それが一番似合うから、それが一番求められるから。

大人の姿になってからは特にそう言われて育ってきた。

 

似合わない服など誰が喜ぶのか。事実、喜ばれたことも、着て欲しいと言われたことも無い。

凝り固まった常識は溶けることがなかった。

 

「でもよ、あいつはお前が好きなんだろ?ならふつーに手繋いでデートしてた方がよっぽどいいと思うんだが」

 

「男が好きになるのは処女で背の低いロリっ娘って相場が決まってんのよ。保護欲を煽る、小柄な子と恋愛して、あたしみたいな巨乳は愛人なのが基本でしょ」

 

「思想が偏ってますねぇ。そうでもないと思いますけど」

 

「全くだ。男の守備範囲は恐ろしいほど広いぞ」

 

天羽の常識は世間と全く違っていた。彼女の出自を考えれば妥当な考え方だったが、それでも他人から見たら頭がおかしい部類。

 

彼女の言葉一言一句に誰かのため息が聞こえる。

誰もこの考えを理解しないことくらいずっと昔に分かっていたが、それでもどこか寂しかった。

 

「えー?そうかなぁ。でも、あたしみたいなのは愛人でいいと思うけど……隣歩いてても、好き同士で付き合ってるようには見えないでしょ?」

 

「では世論に聞いてみましょう。貴方と帝督さんがお似合いなのか」

 

「へ?」

 

マネージャーたちの溜息に負けじと反論するも、相似の言葉に言葉は引っ込んだ。

突拍子もない発案に頭が混乱する。しかし鏡から目を背いて見つめた相似の顔はいつも通りで、混乱していること自体がおかしいとさえ錯覚してしまう。

 

世論とはなにか。何を聞くのか。

よく分からない。

 

「貴方のファンにも、あちらのファンにも一定数ですがカップリングを作って楽しむ方々がいます」

 

「カップ?」

 

「男女、または同性同士の二人組の間に恋愛感情があると妄想することですよ」

 

「……ん?」

 

「で、そういう方の中にはナマモノジャンルに手を出して、あろうことかエロ本を作る輩がいます」

 

「ん、んんんん?」

 

「その作品の傾向から、貴方と帝督さんが恋人のように見えるか、どんな関係性が望ましいか考えてみましょう」

 

彼らが言っているのはいわゆるエゴサーチ。それも特定の界隈にポイントを定めたもの。

その界隈とは、いわゆる二次創作を行う界隈のこと。

 

妄想を絵にし、文にし、それをあろうことかネットにあげる人々は世界に一定数存在する。

それは大半が架空の人物、アニメのキャラクター、漫画の登場人物、ゲームのアバター、などを信仰する人に多く見られるが、もちろん現実の人間で創作を行う人もいる。

それこそ、今をときめくアイドルも。

 

「でもナマモノは垢に鍵かけてるだろ、検索に引っかからないように。妄想ばっかで大したこと呟いてねーし、わざわざハッキングして見る必要あるか?」

 

「こういう輩が金落とすんですから、広報担当としては見ますよ。それにドラマの告知がされてからかなり賑わってますからね、PRのネタとしても色々知見が得られます」

 

「ナマ……?」

 

それをよく知っているマネージャーたちは天羽そっちのけで話を続ける。

だが話の中心人物は何を言っているのかは全く分かっていない。

エゴサーチなんてしたこともない天羽には日本語には聞こえず、理系の悪い部分を凝縮した会話に辟易しながらも、彼らの会話をぼんやりと聞くことしか出来なかった。

 

「あー、置いてきぼりだな」

 

「直接確かめた方がいいですね。見せてあげますよ」

 

その姿を不憫に思ったのか、相似は手にしたタブレットを少し弄ると天羽に手渡す。

怪訝そうな顔をしてそれを受け取ると、画面に表示されたページを目で追って、口で読み上げた。

 

キラキラとした絵柄の電子書籍に描かれているのは天羽本人と垣根にそっくりなキャラクター。

そしてタイトル。

 

「……?えっと、二位かける、六位?R、じゅうは、ち。R18!?」

 

「えぇ、成人向け作品です」

 

「はぁ!!?」

 

何も考えずにタイトルを呟いた、その愚かさを悔いる。

手にしていたのはR18、十八禁、成人向けのエロ漫画。天羽を模した全く関係のないキャラクターと、垣根を模した全く関係のないキャラクターのベッドシーン。

自分と知り合いによく似たキャラクターが性行為に及ぶ趣味の悪い内容に目眩がする。

 

「基本は貴方単独のエロ漫画が多いんですが、貴方はなんだかんだ男性陣と絡みが多いので男女カプも女同士も結構あります。まあ他が少ないってのもありますが……」

 

「他の奴らが絶望的だからな……男女の場合は基本お前しか相手がいないんだよ、誰に対しても明るく振る舞えるし、ほとんどが前からの知り合いだし」

 

「同性なら結構幅あるんですけどね。強いのは常盤台のコンビ、男なら第一位と……いえ、やめておきましょう」

 

マネージャーたちの会話そっちのけでページをめくる。

白黒のキャラクターと、インパクトのあるコマ割り、そして流れるようにスムーズな導入。

普通の漫画と言われてもおかしくは無いクオリティ。だと言うのに五ページ目で下着のホックが外されている。

どこに出しても怒られる不健全な漫画だった。

 

それを除けば普通の恋愛もの。

王子様系の垣根と、それに振り回さる鈍感な天羽。

皆に秘密の恋愛を続けて、楽屋の中で官能の世界へ没入していく。

大雑把に言えばそんな内容。

 

「こ、れは一体……」

 

「結構普通の選びましたけど、地雷でした?」

 

「ふつう」

 

「えぇ、普通の恋愛ものですけど……?」

 

見たことも無い世界に困惑しか感じられない。これを普通と言う相似にも。

 

(普通!?普通の人は電気マッサージ機をこんなことに使うの!?)

 

一枚一枚、電子の上のページをめくる。

 

(ここは感覚ないのになんで感じてるの?!つか何とは言わんがデカくね!!?馬!??)

 

めくるにつれて、彼女の顔は青ざめていく。

 

(ていうか内臓の位置違くない?!ここに液体は入んねーよ!!解剖学が狂ってる!!)

 

フィクションの世界のファンタジックな体の神秘、及び人々の妄想に何か吐き気に近い嫌悪感が腹の底から湧き上がる。

下世話な誰かの妄想はただの毒でしかなく、見たくもない。

しかし、目を塞ぎたくなるイラストはこの世の普通を表している。

 

誰かに愛されたい。

誰かを愛したい。

そういった普通で、一般的な恋を描写し、描く人の常識を写している。

 

だから、このおびただしい量のコマは、彼女にとって恐ろしかった。

 

(ちょっとこれは……ないわ)

 

触り合う二人は吐息とともに愛を吐く。

好きだ。

可愛い。

愛してる。

大好き。

気持ちいい。

愛してる。

物語の彼らは砂糖のように甘い言葉を囁き合って、愛し合って、触れ合う。

 

(……普通はこんなに恥ずかしいこと言われるの?)

 

目眩がする。

吐き気が込み上がる。

こんな現実、認めたくなかった。

 

好き合う同士として、肌に触れて、愛を囁き、求め合うことが普通。

褒め合って、認め合うことが普通。

その普通が分からない。してもらったことも、して欲しいと言われたこともないから。

 

彼女にとっての性行為とは彼女を有効的に使う手段のひとつでしかない。

誰にもできない感覚や脳の操作で快感を与え、理想の姿で男や女の欲を満たす。だから言葉の押収も、愛を囁いたことも囁かれたこともない。

彼女は都合のいいモルモット。誰かのために体を使うことでしか存在が保たれないと、ずっと言われ続けてきた。

 

「……これは恋愛が絡んでるけど、それ以外はないの?なんかほら、共感性羞恥心が煽られないやつ」

 

「基本ないですね。あるとしても片想いだとか、最初は感情がなくても結局両想いになるとか、あとは寝取られとかですかね?なんだかんだ恋愛感情が絡む結果になりがちです」

 

「普通そういうことは恋人同士でしかやらないからな。あったとしても男性向けとかか?けどそれに意外と男性向けでも恋愛もの人気だったりするから一概には……」

 

だから、この作品が恐ろしかった。

普通を突きつける誰かの妄想が、酷く心臓に突き刺さった。

 

「普通の、恋人……」

 

「そうですよ。だから貴方が心配するような────彗糸さん?」

 

普通は、恋愛感情がなければ性行為を行わない。

そう感じないのは『普通じゃない』自分だけ。

 

ハグをした時。

頬に触れた時。

いつもの姿がいいと言った時。

彼は笑っていなかった。

 

この絵の世界とは違う。

彼が愛を囁くことも、優しくキスをすることも、強く抱き締めることはない。

好きじゃない女を抱かない彼を、この体で幸せにすることは出来ない。

 

虚しい。

 

絵の中で笑う、自分そっくりな女が酷く羨ましかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アイロンがかかった黒い燕尾服。グレーのベストと、金のボタン。ウィングカラーのシャツと、革の靴。

施した映像向きの薄いメイクと、いつもの髪型、そして整った顔。

 

垣根帝督は今日もかっこいい。

 

「垣根、かっこいい!」

 

そんな当たり前の事実に嬉々として黒髪の少女が声を弾ませて笑う。

 

「そうだろ?なんでも着こなしちまうからな。つっても、こんな格好をすることになるとは想像できなかったが」

 

「楽しんでるのはいいけど、あまりうろちょろしないのよ?今日は特にね」

 

「文化祭モチーフだったか。美術スタッフが苦労したんだろうな」

 

胸のあたりまでしかない背の低い子供はとても楽しげに、瞳を輝かせてくるくると垣根の周りを回る。

楽しそうな彼女──杠林檎の姿に少し笑みを浮かべると、釘を刺すマネージャーの言葉に顔をパッとあげる。

 

今日は通常の撮影とは違う。少し前のプールと同じように実際の建物での撮影だが、今回はその建物のほとんどに装飾が施されている。

文化祭を行う回の撮影を数日間に渡って行うため、借りている廃校舎を全てそれらしく飾っていた。美術班が残業し作った装飾、軽率に触って壊してしまったら元に戻せない。

それを考えると小さいマネージャー、心理定規の言葉も正しい。

 

「ぶんかさい?」

 

一端覧祭(いちはならんさい)の小規模なもの……って分からないか」

 

「学生がお店を開くイベントのこと。設定では主人公たちは喫茶店を行うのよね」

 

「女がメイドで、男が執事でな。なんつーか、ありきたりな設定っての?こすられまくってる三流漫画みたいなもんだ」

 

文化祭が舞台の話。こういったイベントに馴染みのない林檎に簡単に説明すると、戸惑いながらも彼女は頷いた。

垣根が着込む服装がいつもと違うためか、理解していないながら何か特別なことだと感じ取ったのだろう。

 

垣根が着ているのは燕尾服。今回は執事の格好だった。

文化祭ではよく見かけるメイドと執事の喫茶店を行う話、主人公の彼がこのような非日常的な服装をしているのも頷ける。

とても王道で、ありきたりな学園もののらしい、よくあるコスプレ姿。

 

「そういうベタな展開を楽しむドラマだから、仕方ないじゃない」

 

「ベタすぎんのもどうかと思うがな」

 

「でも、女も男もそんなベタが好きなんでしょう?」

 

「あ?」

 

「少女漫画らしく、メイドさんをエスコートしてきたら?」

 

そしてヒロインも同じ。その少女のことを暗に示す心理定規の言葉に微かだが肩が跳ねる。

男が執事で、女はメイド。

今頃ヒロインは黒と白のフリルを纏って、カメラが回るのを待っているのだろう。

 

彼女を迎えに行きたい。その心情を見抜かれている。

人の感情を見透かすような子供の視線が気に食わなかった。

 

「エスコートって、んな時間ねーだろ」

 

「美術スタッフの作業が遅れてるそうよ。一時間は色々できるんじゃない?嫌なら構わないけど」

 

「そりゃあまた随分と都合のいい話だな」

 

だがその苛立ちを覆す言葉に面食らい、呆れながら鼻で笑う。一時間という長くも短い空きができると知って、その時間に何ができるのか。

そんな短い時間じゃ話をするだけで精一杯。

 

けれどもその足は言葉とは裏腹に出入り口へと向かっていた。

 

「何処か行くの?」

 

「知り合いのとこだ」

 

少女たちを通り過ぎ、扉に手をかけるとスーツの袖に引き止められる。さらさらの黒髪から輝かしい瞳で覗き込む子供の姿に、自然と足が止まった。

 

林檎のキラキラとした好奇心に気後れしてしまう。断る理由は沢山あったが、断れない理由もままあった。

 

「一緒行く!」

 

「なら私も行くわ」

 

「それはいいが、邪魔すんなよ?」

 

「わかってるわよ」

 

冒険心、好奇心に満たされた少女の明るい顔に断ることもできず、後ろから付いてくる彼女たちとともに別の教室へと映る。

楽屋代わりの教室がそれぞれ割り振られており、撮影で使用しない奥まった棟が関係者用に使われていた。

 

そのうちの一つ、天羽彗糸、と名前が印刷された表札代わりのA4用紙が貼り付けられた扉を軽くノックをしてから中に呼びかける。

 

「天羽、いるのか?」

 

「どうぞぉ」

 

「邪魔するぞ──ァ!?」

 

中から聞こえた女の声に意気揚々と扉をガラッと開く。ほんのりと暑い廊下に流れ込む涼しいエアコンの空気が頬を撫でて、その奥にいる少女が視線を奪う。

 

そこに居たのは半裸の少女。

青い下着と白い肌、それを隠すはずのワンピースは背中の部分が丸見えで、背中のチャックが全て降りており、きちんと着れていない。

 

人目見てわかる。

着替え中。人を入れていい状態ではなかった。

 

「お前、着替えてんなら人入れんな!」

 

「チャック上げるだけだしいいでしょ、別に。神経質なんだから」

 

慌てて扉を閉めると、能天気な少女の言葉が小さく扉の裏側から聞こえる。

脳の機能が足りていないのか、無防備な状態で人を部屋に入れる彼女の無神経さが不思議でたまらない。

 

「裸見て浮かれてるの?」

 

「んなわけねーだろ」

 

扉に手をかけたまま固まっていると、後ろで控えていた心理定規がくすくすと馬鹿にするように笑う。

その言葉に扉の内側で着替える天羽の姿が脳裏に浮かんで、腹立たしい。

 

肌が見えたからなんだ。

下着が見えたからなんだ。

そんなものに一喜一憂するほど垣根は女に飢えていない。

だと言うのに何度も腹立たしい疑惑を向けられて、いい加減うんざりだった。

 

「本当、奥手でツンデレねぇ。今のままだと嫌われるわよ?」

 

「あいつが俺を嫌うわけ、」

 

「どうかしら?女は貴方みたいな不器用でぶっきらぼうの恥ずかしがり屋、大嫌いよ」

 

しかし、そのまま続く心理定規の言葉が動揺を誘う。腹立たしさは宇宙の彼方に飛び出して、残るのは不安と心配、そして動揺。

 

嫌われることなど、一度も考えなかった。

 

初めて感じる不安に動揺してしまう。思わずドアから離した手は、かすかに冷えていた。

 

「もういいよ、入って」

 

「……おう」

 

ゆっくりと開いた扉と、天羽の声にはたと思考が戻る。

不安を隠し、視線を移すと金髪に気を取られてその動揺もどこかへ行ってしまった。

 

フリルがたくさんの白いエプロン、華やかな襟元と緑のリボン。珍しいミニスカート姿から見える足はほとんどが露出し、くるぶしを隠す短い靴下しかない。

 

金色と桃色の髪が弾む。

高い位置で括られたハーフツインが子犬の耳のようで、どこか子供らしい。

 

昔出会った幼い少女と重なる。

かっこいいと言ってくれた少女と。

 

「わ、メイドさんだ」

 

「あれ、どなた?」

 

僅かな時間とはいえ呆然としていると、後ろからするりと林檎が飛び出した。フリルの多い可愛い服に興味津々のようで、キラキラと眩い瞳でメイド姿の天羽見つめて笑顔を絶えず浮かべていた。

 

しかしこの二人は面識がない。あるとしても、林檎が一方的に画面越しで知っているだけ。

全く知らない子供に困惑するのは至って一般的で、天羽も例に漏れず首を傾げて眉を

八の字に下げていた。

 

「杠林檎。お洋服、可愛い」

 

「よろしくね。あたしは天羽彗糸、杠ちゃんのお洋服も大人っぽくて可愛いよ」

 

林檎に目線を合わせてしゃがむと、金色と黒の二つのつむじがよく見える。生粋の子供好き、人間好きの天羽には林檎と関わるのは楽しいことらしく、優しい笑みで頭を撫でる。

 

垣根には滅多に見せない笑顔と、手つきに少し嫉妬心が煽られるも、喜び溢れる少女たちの姿に水を差すようなことはしなかった。

 

「で、保護者は?」

 

「こっちで保護してるのよ。見学したいらしいから連れてきたわ」

 

「保護……垣根くんと一緒に住んでるの?」

 

「あ?まぁ基本事務所に住んでるが、たまに来る時もあるな」

 

「へー……そうなんだ」

 

しかし一瞬、心理定規の話に耳を傾けていた天羽の顔が微かに曇る。

 

(あ?なんだ、今の)

 

初めて見る顔だった。

取り繕った笑みが剥がれ落ち、獣の本性が現れたかのような、なにか恐ろしく、背筋が凍る恐怖。

 

「垣根くんと仲良いんだ?」

 

「でも怒ると怖い」

 

「怒ったら怖いのはみんなそうだよ。でも、垣根くん優しいでしょ」

 

「んー、たまに」

 

だがその顔も直ぐに消え、いつもの朗らかな笑みが戻る。

満面の笑みで林檎の淡々とした反応に答えて、楽しそうに笑い合う。先程の恐ろしい女の面影はどこにもなかった。

 

「それで、ここにはどんなご用事で?撮影はまだ始まらないって聞いたけど……」

 

「暇だろ?見て回ろうぜ」

 

「確かに暇になってるけど……」

 

「私たちは二人でまわってるから、行って来なさい。演技の前に雰囲気を見ておくのも大切よ」

 

丸い頭を上げて、しゃがんだまま天羽は垣根たちを見つめる。フリルのついたカチューシャと小さいツインテールが幼くて、顔の作りと目線の高さも相まって、何だかすこし背徳的に感じてしまう。

 

獣のような恐ろしさはなく、ただの可愛らしい少女。

いつも通りの、彼女だった。

 

「それもそうだけど……」

 

「ほら、行こうぜ」

 

その姿に手を伸ばす。しゃがみ込んだ彼女をひきあげるため。

 

しかし彼女は不思議そうな顔をして、一向にその手を握らない。

差し出した手の意味が分からないのか、彼女も恥ずかしいのか、微動だにせず彼女は首を傾げて大きな瞳で垣根を見つめた。

 

なぜ手を握らない。

恥ずかしさから?

手汗が気になる?

理由はよく分からない。けれど、彼女は手を握らないのは事実だ。

 

仕方ない、と手を引っ込めてポケットをまさぐる。

直接触れるのが嫌なら、手を何かで覆えばいい。

 

「お手をどうぞ、お嬢様」

 

執事らしく、真っ白な手袋をはめて、片膝を床につける。

歯が浮くような甘い言葉を囁いて、可愛いメイドに手を差し伸べた。

 

白い手袋に緑のネイルで彩られた指先が触れる。

「なにそれ」、なんて少し恥ずかしがりながら、困ったようにその手を取った。

 

垣根にだって恥ずかしさはある。

好きな女に触れるのは、アイドルの仕事より何十倍も恥ずかしくて、こそばゆくて、嬉しくて、切なくて、心臓が激しく高鳴った。




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