とある科学の肉体支配   作:てふてふちょーちょ

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過去編です。
このシリーズの天羽さんは転生者ではなく現地人なので過去や出会い方が違います。
ちなみにボツ設定の流用です。天羽さんが結構可哀想です。


act9:きらめく始まり

昔、神様を見たことがある。

 

それは幼い頃のこと。

まだ研究所を点々としていた、昔のこと。

 

垣根帝督が背の低い、力もない、子供だった頃の話。

 

 

 

 

 

 

無機質な白い廊下を女の研究員とともに歩む。

靴音が響く廊下で少し項垂れながら研究員の後ろをついていくと、冷えた空調に寒気がした。

 

「お、っと」

 

黙ったまま研究員の後ろをついてくと、不意にその背中にぶつかる。突然のことに驚き、足が止まった研究員の視線の先を追うと、チカチカする金色が視界に入った。

 

お姫様のように長く、ウェーブのかかった金髪と、熊の耳に似たお団子頭。

研究員二人に挟まれて少女は高級そうな上品な服で歩く。垣根よりも幼く、小さいその少女は不思議と大人びた雰囲気を纏い、スカートを揺らしていた。

なぜか白い布で目を隠し、黒い拘束具をつけているその少女は、どこか化け物のよう。

 

「誰だ、あいつ?」

 

「あぁ、あれは神様だよ」

 

「神だぁ?」

 

「といっても、彼女を崇拝していた教会でそう呼ばれていただけだけどね」

 

広い廊下で金色の幼い少女が横切る。爽やかなシャンプーの香りが舞い、金色の糸が真っ白な世界に広がった。

 

大きな力に目覚めたのは幼い頃で、その頃からずっと研究所で育っているようなもの。なので大抵の実験体は顔を覚えているのに、その少女に見覚えはない。

金髪を見るのは初めてで。その輝きに小さく息を飲む。

 

「あ、」

 

瞬間、彼女が横を通るその僅かな時間、彼女と目が合った気がした。布越しで本当かどうかは分からない。けれど、こちらに向けた顔は間違いなく垣根に向かって微笑んでいた。

 

鮮やかな少女が視界から外せない。

拘束された腕に、封じられた視界、自由のない研究所で、嫌になるほど眩しい笑顔をする少女に心掴まれた。

 

「……気持ち悪」

 

吐き気がする。

人が死んで、軽んじられる環境を知らない無垢な笑顔が垣根の心を乱す。この気持ちの悪い環境で、笑顔を作れるその幼い子供が怖かった。

 

「大丈夫?」

 

思わず吐きだした侮蔑の言葉に少女は振り返る。

小さく呟いたはずなのに、少女の幼い声が返事をした。喋れるとは思っておらず、唐突な声に少し肩が跳ねる。

耳障りな声で呟く彼女の声は少し馬鹿にされているようで、居心地が悪い。

 

「っ、喋れんのか、テメェ」

 

「気持ちが悪いのなら、安静にしておいた方がいいよ」

 

「違ぇよ。テメェの姿が気持ち悪いんだよ」

 

「あぁ、なるほど。アナタは綺麗だから、汚れたものが気に食わないんだ」

 

罵倒したというのに、彼女は傷一つついていないと言わんばかりに朗らかに笑い、そして真っ直ぐ見えない瞳で垣根を見つめる。

 

そして小さな口がぱちぱち弾けるキャンディのような甘い言葉を囁いた。

人を堕落させる、悪魔の囁き。

その声に心臓がざわついた。

 

「……見えてんの?」

 

「いいえ。でも分かるよ」

 

「は?」

 

「香りがとても綺麗だから」

 

立ち止まった少女は優しく垣根に笑いかける。その笑顔はもう会えない()()()と良く似ていて、意識せずに彼女から視線を外す。

とても嬉しそうに、あどけなく笑う彼女は恐ろしく、おぞましい。

 

けれど何故か、心の奥底では綺麗だと感じてしまった。

 

「きらきらした香りがする。弾けるような星みたいで、とても綺麗」

 

「そういうテメェは太陽みたいに真っ白だな。今にも燃え尽きるんじゃねぇの?」

 

「これ、白い服なの?可愛いのかな」

 

少女の言葉に皮肉を吐き捨てるも、目が見えていない少女にそれは通用しない。

少し罪悪感が垣根を襲う。

目の見えない少女に外見についてとやかく言うのは幼い垣根でも酷い事だと分かっていたはずだというのに。

 

「……まあそれなりに可愛いんじゃねえの?見えねえだろうけど」

 

「馬鹿正直ね。からかっただけなのに。服は自分で着たから分かってるよ」

 

「んなっ!!?」

 

軽率な言葉に落ち込む少女の顔に戸惑い、自分でも珍しく動揺してなれない言葉を呟いた。

その声に少女の顔はパッと鮮やかな笑顔を取り戻す。明るい笑顔は学園都市の子供らしくなくて、なんだか心地が悪い。

その明るさを直視できるほど、まだ垣根は大人じゃなかった。

 

「テ、テメェ……」

 

「ふふ、素直な子。アナタは星のように純粋で可愛らしいのね」

 

可愛らしい白いワンピースが少女の動きに合わせて揺れる。控えめのフリルと緑のリボンが金色の髪に負けず、淡く少女を彩っていた。

童話の中から現れた少女は、とても、とても嬉しそうに笑う。

懐かしくて、こそばゆくて、切ない感情を呼び起こす、そんないたいけな笑顔が心を奪った。

 

「あたし、キミのこと好きだよ」

 

死んだあの子と同じ笑顔。

褒めてくれたあの子とよく似た優しい声。

そして初めてもらった甘い言葉。

 

心臓にぽっかり空いた穴に、ストンと少女が収まる。

 

「……あいつ名前は?」

 

「ん?君が興味を持つとは珍しい。けど知っても意味ないよ」

 

けれどその少女と二度と会うことはなかった。

 

「だってあの子、数時間後に死ぬんだもの」

 

それは昔の甘く、きらきらした記憶。

そして惨めな記憶。

一度目はあの子をなくし、二度目は触れる前に消え失せた。

 

失うことがこの世の何よりも怖い。

 

求めることが馬鹿げている世界がひどく忌々しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その朧げな記憶が執着を生む。

 

(あ、金髪)

 

歩くたび、揺れる金髪に目が向くようになったのはその記憶のせいだった。

 

学校に繋がる通学路。コンビニで買ったコーヒーを飲んで、眠気からゆっくりと覚醒しながら学校へ向かう。

染めた金髪の学生に、黒髪の大人、一時間目が始まって数分の道にはそこまで人はいない。

 

(─────!!)

 

そんな緩やかな朝、悠々とした足取りで進む道で、何かが聞こえた。

広い道から分岐した狭い通路から、男の声が小さく響く。

 

(あ?スキルアウトか?)

 

物騒な物言いの声と、金属が擦れる音が垣根の目の前の通路で反響する。

太陽の届かない薄暗い路地裏へ続く、狭い通路のその奥。

 

(──……)

 

とても小さく、しかし確かに聞こえた女の声。

 

「……刺激的な朝になりそうだな」

 

とっくに朝のホームルームは終わり、授業が始まっている時間。女を助けた事実があれば反省文は書かずに済むだろう。

とても打算的で、計算で出来た善意でその闇に足を踏み入れる。

 

奥へ、奥へ。さらに深まる影を踏み、騒がしい最奥へと辿り着く。

 

「おい、早くしろって言ってるだろ」

 

「高値で売れるんだろ?使っていいのかよ」

 

「その前に“試し”たってバチは当たらねえよ。さっさとひん剥いとけ」

 

「……っ!」

 

無能力者の愚か者が、女の服を裂いた。

 

「すげぇ胸でけーな、こいつ」

 

「こんなもんぶら下げておいて、襲われないとでも思ったか?」

 

「っあ……!」

 

露出した肌と、いい女の香り。

舌なめずりするような不快な男の声に少女が重なる。

いつもの学園都市の光景。

何も変わらない事案。

 

「朝から随分と面白いことしてんな」

 

「おう…………あ“?誰だ、テメェ……ェ……」

 

二人の柄の悪い男、うち小さい方の肩に腕を伸ばしと垣根は低く、冷たい声で囁いた。

 

「なぁ、俺も交ぜてくれよ。遅刻寸前でムカついてたんだ」

 

「ひ、あ……て、テメェ……」

 

少女の服を掴むクソ野郎に腕を回し、空々しい笑顔で感情のない言葉を吐き捨てる。

皮肉多めの台詞は、雑魚にとっては死の宣告ほど恐ろしい言葉。その言葉に恐怖し、恐れ、みるみるうちに顔が青みを帯びていく。

 

彼らは知っていた。

 

「テメェは、まさか……第二位の……!!」

 

有名な学校の制服を着た少年が、学園都市で七人しかいない超能力者のひとり、第二位、垣根帝督だと。

 

「女の前で、無粋な話はやめろよ」

 

「なっ、ぅがァァァ!!!?」

 

青い顔を吹き飛ばすと、醜い男が5mほど先の地面に顔を擦り付ける。

暴力的な風が男の骨を砕き、断末魔もなくそれは気絶して白目を剥いた。なんとも呆気ない、間抜けな姿が馬鹿らしくてついため息を吐くと、もう一人は後退りをして顔を酷く歪める。

 

「くそがぁっ……!」

 

「逃げんなら今のうちだぜ」

 

「能力に依存してる、ザコがよぉぉぉぉぉ!!!」

 

何を思ったのか、人相の悪い男が折り畳みナイフ片手にその細身で垣根に向かう。

重心の定まっていない足取りで叫び、握りしめたナイフを前へ、前へと伸ばし、突きつけた。

 

「大人しく床で転がってろコラ」

 

「ァがっァァァァァァ!!!!」

 

しかし垣根の長い足が男の鼻を潰し、靴底で顔面を蹴り飛ばす。

地面に突き飛ばされ、蠢くだけのその男の腕の骨を足の力だけで断ち、骨が折れる嫌な音が狭い路地に響いた。

 

力量の差がありすぎる。関係ないスキルアウトだと言うのに、少し加減が利かなかった。

 

「あ……」

 

「逃げなかったのか、テメェは」

 

地面で伸びた男ふたりの無様な姿から視線を逸らすと、暗い路地裏、少女と目が合った。

女らしい体つきを覆う長袖のセーラー服は力任せに破られ、タイツも同じく繊維がちぎれて丸い穴が空いている。

 

「つっても、その格好じゃ無理か。これやるから、とっとと行け」

 

その姿から目を離すと、大きめのブレザーを脱いでその女に投げ捨てた。

目に悪い。

肌の谷間が主張して、視線に困った。

 

「でも、アナタこれから学校じゃないの?」

 

「あ?」

 

視線を逸らし、歩き出す。しかしその歩みは少女の手で引き止められた。

弱い力で掴まれたセーターの裾が踏み出した足を止め、意識を向ける。突拍子もない少女の言葉に戸惑い、力に惹かれその少女と視線を交えた。

 

「これは大丈夫、いらないよ」

 

振り向いた先、赤と緑の瞳が垣根を見つめた。

近い。

視界を埋めつくす少女の顔と、香りにおののいて、思わず息を飲む。

 

座っていたから気が付かなかった長身が、少女と垣根を近づける。

女にしては高い背が心臓の鼓動を早めた。予想と反したベビーフェイスと、女らしい体が近づいて、声が喉に引っかかる。

 

(ち、近っ……)

 

暗い影の中、差し込む小さな光の隙間に少女が照らされる。

煌めく金髪と、揺れた先の桃色が強烈に目に焼き付いた。

 

「ブレザーないと、お兄さん怒られちゃうでしょ?校則は、面倒でも守っておかなくちゃ」

 

「……そういうテメェもサボりだろ?」

 

「あたしが怒られる分にはいいんだよ。それよりもアナタが心配だし」

 

眩しさに目を細めるも、優しく微笑む彼女の瞳から視線が逸らせない。

赤と緑の、神秘の瞳が恐ろしいほど美しくて、目が離せなかった。

 

「怪我は?ダメだよ、力があっても厄介事に首を突っ込んでは。心配するでしょ?」

 

襲った男が倒れ、それを倒した男がいて、だというのに少女は真っ先に垣根の目を見て困ったかのように瞳を歪ませる。

感謝も、恐怖も、叫びも、ありきたりな反応ひとつせず、彼女はただ真剣に垣根を心配していた。

 

気味が悪い。

自分のことを認識せず、見ず知らずの他人を優先するその姿勢が。

 

 ラズベリーと薔薇の甘い香りと自分の香水が混じって、むせ返りそうな空間で、にっこりと笑う少女が異質に見えて、少し怖い。

 

「とにかく、それはやる。早く警備員(アンチスキル)のとこでも行け」

 

「でも、」

 

「うるせえ!黙って持ってけ、見苦しいんだよ!」

 

銀河の煌めく瞳からようやく抜け出し、背を向けて再び歩き出す。

先程よりも、少し、いや、かなり早歩きで少女から遠ざかるために足を動かした。

 

理解のできない鼓動の早さに戸惑って、ブレザーを脱いだはずの体の熱に困惑する。

 

 

その日の授業はいつもより酷くつまらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不思議な女を助けてから一週間、まだ春の陽気が暖かい五月の終わり、未だ彼女を忘れられなかった。

優しい声が。

甘い香りが。

明るい顔が。

あの眩しい金髪が忘れられない。

 

「かっきねー、くん!なぁにニヤニヤしてんだよ!」

 

「してねえ」

 

「してたろ!なんだ?恋か?恋なのか!?」

 

靴箱の前でローファーに履き替えていると、肩を強く叩かれる。

満面の笑みでスニーカーを取り出すと、友人は楽しげに垣根のことを見下ろした。

 

なにか期待した目に嫌悪感がじわじわと湧き出す。

恋という馬鹿げた言葉が気持ち悪い。誰に対してその言葉を言っているのか分かっているのだろうか、あまりにも下品な世間話が癪に障る。

 

けれど何故か、あの少女の顔がちらついてしまう。

感情が渋滞する心は複雑に苛立っていた。

 

「うざ。友達無くすぞ」

 

「なんだよー、つれねぇな。彼女出来たんなら早く言えよな」

 

「なんでテメェに報告しなきゃなんねえんだよ」

 

「やだ!うちの帝督反抗期だわ!」

 

「きも……死んどけバーカ」

 

乱暴に靴箱を閉めて校舎から外へ出る。セキュリティで有名な進学校だが、帰りの賑わいは普通の学校と同じように騒々しい。

 

「おい!垣根!」

 

「あ?今度はなんだよ……」

 

「さっき担任が言ってたんだが、校門前にお前の客がいるってさ。早く行ってやれよ!彼女だろ?」

 

傘立てを通り過ぎ、セキュリティ万全のエントランスを通り抜けると、後ろから声がかかる。

先程の友人が慌てたように声を荒らげ、知らない情報を叫んだ。

あまり覚えのない話だった。

その声に適当に相槌を打つと、再び前を向いて校門へと向かう。

 

客。

女の客がいると言われたが、どうしてかピンと来ない。知り合いの女は二人ほど、それも仕事の部下で、会いに来る理由はないはず。

 

「誰?あの子」

 

問題の場所に近づくと、誰かの小さい声が聞こえた。

それは一人だけじゃない。入口に居る一人の少女へ向けて、帰宅途中の生徒たちは口々に小さな声で呟いていた。

 

「あそこの、ほら、偏差値低い学校の制服じゃない?あれ」

 

「デッカイな。モデル?」

 

悪意と嘲笑が交じった妬みの言葉、軽蔑の言葉。

 

「でも見た目が良くても……ねぇ?馬鹿じゃ意味無いでしょ」

 

その言葉の先には、背の高い、綺麗な金髪の女が居た。

飛び抜けて高い背、淡い太陽を反射する金髪とウェーブのかかったピンク色の毛先、見慣れない深緑の制服と黒いタイツは藍色の制服ばかりの生徒の中で一際目立つ。

 

「随分と目立つな、テメェ。便利ではあるが」

 

両手が紙袋で塞がった少女の前に立つと、甘い香りが広がった。

花のような少女は軽く上を見上げて、悪意の言葉なんて気にしていないように垣根に向かって微笑み返す。

 

「アナタも、背が高いから分かりやすいね。目立つタイプだ」

 

屈託の無い笑顔が、少し眩しかった。

 

「垣根帝督……!?知り合い!?」

 

「なんでまた、あんな頭悪そうな子に……」

 

騒音が煩わしい。

 

「生憎目立つのは嫌いでな。話なら別のところでしてくんねえか?」

 

気味の悪い視線と、悪意の言葉から抜け出したい。

 

 

 

 

少女の腕を取って逃げ出したのは、近くの寂れた公園。

遊具は砂場とブランコ、滑り台のみという貧相な子供向けの公園には人はほとんどおらず、猫が昼寝しているほど。

いわゆる穴場スポットだ。

 

「ごめんなさい、お礼が遅くなって。ブレザーをクリーニング出したり、長点に連絡してたりしたらちょっと遅くなっちゃった」

 

「別に。ありがとな」

 

ベンチに座り、少女は卵色の紙袋を手渡す。中にある藍色のジャケットは少女の言葉通りクリーニングされたようで、透明な袋と黒いハンガーにかけられていた。

 

しかしあまり喜ばしくない。

一度誰かに渡ったものを自分の所に置いておくのは垣根の性格上、そして身分上気持ちが悪かった。

 

けれどなぜか、少女の体温でほんのりと温かいその袋を手放すのは惜しかった。

 

「それはあたしの台詞だよ。この間はありがとうございました。危うく売り飛ばされるとこだったよ」

 

「それよりも犯されそうだったが」

 

穏やかな時間が流れる。物騒な話をしているというのに、何故か彼女も、垣根も、珍しく機嫌が良かった。

 

「それもそうかも。ありがとう、心配してくれて」

 

「してねぇよ」

 

「でもジャケットを貸してくれたのは事実じゃん?ありがとうね、お兄さん」

 

「……してねぇっての」

 

にこにこにこにこ。

絶えず笑顔を作る少女がどこか怖くて視線を逸らす。

名状できない感情が、その目を見つめる度に心の奥から湧き出て、思考がまとまらない。

不思議な感覚だった。

 

「それで、これお礼。コレ渡しにきたの」

 

「別にいらねえよそんなの。助けたわけでもねえし」

 

もう一つの紙袋を手にすると、更ににこにこと垣根に笑顔を見せる。

金持ち向けの高級デパートの紙袋。少し苦い香りがするその袋を垣根の膝において、彼女はとても楽しそうに、それこそ揺れる犬のしっぽが見えるくらい嬉しそうに垣根を見つめて笑った。

 

「助けて貰った日、アナタからコーヒーの香りがしたから好きなのかと思って」

 

袋の中にあるのは有名な専門店のコーヒーギフト。

もっとも高級なコーヒーと検索すればすぐに検索欄に出てくる店で、少女のように底辺の学校に通う生徒だと買うのを躊躇うような品々しか売っていない。

 

なぜだかその事実に心臓がキュッと縮む。

言葉に出せない感情が、垣根をいつもより無口にさせていた。

 

「よく覚えてんな」

 

「お兄さん、いい香りだったから、尚更ね」

 

「……あ、そ」

 

少女は止めどなく、甘くキラキラした言葉を呟く。

絶えず笑みを浮かべ、照れくさい言葉を使い、垣根を真っ直ぐ見る少女は、人生で三度目だ。

 

「嫌だった?」

 

「あ?」

 

しかし少女の顔に影が落ちる。

上を見上げて、彼女は垣根から目を逸らした。十センチ程度の身長差、近い距離と程よい角度に少し目が滑る。

 

「……やっぱり体で支払ったほうがよかった?」

 

「おう、体……体!?」

 

「交ざりたいって、言ってたもんね」

 

困ったように笑う少女は、冷たい言葉を吐き捨てて白いスカーフに手をかけた。

 

一瞬、体が固まる。スカーフを解いて、セーラー服のジッパーに触れた少女があまりにも非現実的で、思考が止まった。

 

「ぬ、脱ぐな!テメェの裸なんぞ見たくねえ!」

 

「だってアナタ頭良いでしょうし、お金ありそうだし、コーヒー以上って肉体くらいしかないよ……?」

 

「コーヒーで十分つってるだろ!」

 

下ろしていくジッパーの音で正気に戻ると、慌てて少女の手を取って馬鹿な行為を止めさせる。

しかし、八の字の眉で垣根を見上げる少女は恐る恐るといった表情でその手を振りほどいた。

 

自信のない笑顔は先程までの笑顔と違う。寂しそうな、悲しそうな、そんな顔。

落ち込む犬のような姿が罪悪感を煽る。

 

「でも……お兄さんなんか怖い顔してるし、足りないのかと……」

 

「それは生まれつきだ。そういうのは大事にしろよ」

 

「そうかな?お兄さん、笑うともっとかっこいいと思うよ」

 

この少女を前にすると、形にできない感情が体を満たし、思考にバグが現れて、まともな考えができない。

 

早まる鼓動が鳴り響く。

息が上がって、心臓が押し潰されそうで、逃げ出したかった。

 

「……帰る」

 

「えっ?」

 

「コーヒーありがとな」

 

芽生えた知らない感情に戸惑いながら、勢いよく立ち上がる。

 

彼女は毒だ。

気恥しくて、照れくさい、甘くて欲しい言葉ばかり吐き出す、とびきりの毒。

 

暗部の人間にとって、一番厄介な人間だ。

 

後戻り出来なくなる前に離れなくてはいけない。

公園の後にしようと、ベンチから離れて階段へ向かう。

急な斜面に取り付けられた階段を下りて、少女をおいて帰路に就いた。

 

「えっ、あ、ちょっ……っぶみ”!」

 

それを追いかけ、少女が走る。乾いた階段を急いでおりて、少女は垣根の袖に手を伸ばした。

 

だが彼女自身の大きな胸が足元を疎かにさせる。見えていない足は簡単に足を踏み外し、体が宙に浮いた。

 

階段下へ真っ逆さま。二メートルはある高さから少女は墜落した。

酷い音が響く。骨が割れ、肉が裂ける音。

思わずその衝撃に目を細めてしまった。

 

「おい、大丈夫か?死んだら俺のせいになるから死ぬなよ」

 

「な、なんて自己中……」

 

駆け足で階段を下りると、少女の顔を確認する。ぶっきらぼうに悪態を吐くも、内心は焦りを見せており落ち着かない。

 

垣根にしては珍しかった。部下が怪我をしても、これほどまで不安を感じることは無い。

しかしなぜそう感じるのかは分からなかった。

 

慌てて少女のそばに駆け寄ると、彼女は弱々しい声で答える。

無事生きているようで、ほっと胸をなでおろした。

 

「にしても随分と派手に吹っ飛んだな」

 

「ちょっと階段下りるの下手なだけだし……」

 

言い訳を並べながら立ち上がる彼女は、とても綺麗な顔をしていた。

 

それは造形の話ではない。

彼女は、その可愛い顔に傷一つつけていなかった。

 

「……なにか?」

 

能力だろうか。

自分の肉体を再生する能力があることは知っている。しかし彼女のスピードは驚異的だった。

垣根(レベル5)に匹敵する出力、それは底辺高校にいるべき人材ではない。

 

「馬鹿なやつだな、お前」

 

「ど、どういう感想……?」

 

興味が沸いた。

不思議を詰め込んだ少女に。

甘くて苦い少女に。

 

もうすでに後戻りは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブレザーはそろそろお役御免の季節、衣替えが後数日に控える今日、大きな校舎の前で垣根は青い空を見上げていた。

 

あの日から数日が経つ。

悩みに悩んで、ずっと考えて、ようやくここにいた。

眩しい太陽に目が眩んで、目の前の校舎と正門がちかちかと輝いているよう。

 

「お、長点の制服やん」

 

「あ?」

 

鐘は少し前に鳴り、下校する生徒がちらほらと見えてきた。

その中でかなり目を引く三人組は、垣根の姿を見つけるとニタニタと笑いながら近づいてくる。

垣根と背丈が変わらない金髪と青髪の生徒、そして少し小さめの黒髪の生徒。

 

「なんや?彼女待ちか?コノヤロー!」

 

「けどうちの学校にこんなどえらいイケメンの彼氏持ちなんかいたか?噂になるだろ」

 

「……人を待ってるだけだ」

 

「そうか?呼びたい奴いるなら呼んできてやるぞ?」

 

名前を知らない彼らは、瞳を輝かせ、興味津々とゴシップに群がるバカのように垣根に詰め寄る。

他の学生の視線がこちらに注がれるのがよく分かるほど、うるさい彼らは目立っていた。

 

「おバカ三人組!お兄さんにつっかからないの」

 

しかしそのおかげか、聞き覚えのある声で誰かが声をかけた。

 

金色と桃色の髪と、高い背。

一際目を引く少女が、ムッとした表情で少年たちを睨む。

 

「ようやくお前にも彼氏が……お兄ちゃん感激!」

 

「上条くん、小萌先生に補習頼んどこうか?」

 

「いやぁぁぁ!スケスケミルミルはもう宜しくってよォ!!」

 

「あ、カミやん!待ってぇな!」

 

「じゃ、また明日にゃー」

 

どうやら彼らは友人のようで、少女のからかいに乗っかって逃げていく。

その様子はどこか楽しそうで、何だか心が冷たく、痛い。少し不思議な感覚だった。

 

「まったく……で、お兄さんなんの用?」

 

三人組が走り去ると、少女はくるりと垣根の方を向く。

キラキラとした金髪が太陽を感謝して、目がチカチカする。

 

少女を前に、体温が上がっていく。彼女に何か、感じたこともない感情があるのは確かだった。

 

「……近くを通ったから」

 

「そんな理由で?」

 

キラキラした少女は、不思議そうに垣根を見つめて首をかしげる。教えた覚えのない学校前で、怖い顔をして待っていたら誰だって不思議に思う。

ストーカーと勘違いして警備員を呼ばないのは彼女が善意の塊のような人だからか。

 

「ダメかよ」

 

「ダメではないけど……今日バイトあるからあまり話せないからね?」

 

少女はただ「もうっ」となんだか可愛鳴き声をあげて、短いスカートと小ぶりのピアスを揺らしながら歩き出す。暑そうなタイツで歩く少女は垣根の隣で少し不服そうにしていた。

その姿に何かが引っかかる。

 

口にしたバイトという単語。

 

底辺校の頭の悪い女。金はあまりないはず。

だというのに高いコーヒーや、キラキラしたアクセサリーを持っている少女は明らかに何かお金を稼ぐ手段を持ってる。

 

答えに辿り着くのに、そう時間はいらなかった。

 

「売春はやめといた方が身のためだぞ」

 

「違うよ!しないよ!」

 

初対面の垣根に体を使うと言うあたり、それが金儲けの道具なのだろう。

だがお節介な忠告に少女は食い気味に否定した。近づけた顔でまっすぐ、否定する言葉だけを呟く。

 

「金のためとは言え、そう言うのはどうかと思うぞ」

 

「だから!違うって!ば!お金ちゃんとあるからっ!!なんならあれだから、スーパーのお菓子買い占めれるぐらいあるから!!よゆーだから!!」

 

しかしすぐに否定するさまが余計に疑惑に真実味を与える。子供みたいな発音と思考回路吐き出す言葉と、垣根を見つめる姿が大人びた姿とちぐはぐに噛み合って、何か面白い。

子供のような少女に、垣根にしては珍しく口角が上がる。

彼女の前では、垣根もただの少年だった。

 

「……ぷッ、クククッ、ハハハハッ!お菓子って、お前、っハハハ、随分食い意地張ってんな、そうか、お菓子が買えるか」

 

見た目と反して意外と少女趣味なのか、言葉のチョイスに笑いが溢れる。

どうしてかは分からないが、彼女の言葉はここ最近で一番面白い言葉だった。

 

ようやく笑いが収まると、少女が静かなことに気がつく。じっと丸い目で垣根を見つめて、表情を変えない。

流石にからかいすぎたかと気まずい雰囲気の中、彼女の顔に視線を向けるも、彼女は予想と反してとても嬉しそうに笑っていた。

 

「んだよ、そんなに恥ずかしいのかよ」

 

「お兄さん、笑うと可愛いなって」

 

まただ。

また彼女は甘い言葉を囁く。

その言葉が体全身に甘い痺れとなって駆け巡る。

彼女の言葉は全て、初めて貰う甘いもの。刺激がひどく、反動で言葉がつっかえる。

 

その言葉に視線を逸らすと、大きくなる鼓動の音を落ち着かせようと小さく息を吐いた。

 

「……それで?お姫様はなんのバイトしてんだよ。キャバか?」

 

「だから!違うって!あたしはねぇ、看護師の見習いなの!第七学区の病院!知ってる?」

 

「看護師?国家資格じゃなかったか?」

 

「正確には違うんだけど、看護師みたいなもんなの!あたしの保護者が外科医だから、お手伝いしてるの」

 

今度は真面目に少女の話を聞くと、彼女は顔を上げて少し胸を張って笑う。優しそうな笑顔は出会った時、垣根の怪我を心配していた時とは少し違って、なんだか不思議だ。

赤と緑の、神秘の瞳が恐ろしいほど美しくて、また心臓がぎゅっと締め付けられる。

初めての感覚だった。

 

彼女と一緒の時しか感じない感覚に戸惑ってしまう。

しかし舌触りの悪い心臓の痛みは、不思議と不快感はなかった。

 

「ふーん、随分と徳が高いことで。その見た目でいい子ちゃんかよ」

 

「でも患者さんの世話とか大変なんだよ?お兄さんが思うほどキラキラした職業じゃないって」

 

自分は看護師だと豪語する少女と赤信号が光る横断歩道の前で足を止める。

隣に並んだ少女は非常に偉そうに、そして楽しそうに微笑んだ。

 

なるほど、確かに白衣の天使を職業としていそうな顔だろう。しかしその天使はよくない噂も度々聞く。

男との痴情の縺れ。白衣の天使は度々男の欲を受け止めると、下衆で下品な都市伝説が思春期の男子高校生の間で蔓延っていた。

 

「……じゃあ、患者とエロいことしないの?」

 

「だからしないって!ていうか、してるように見える?」

 

だがその噂は少女の苛立った顔で否定される。なぜかその返事に安堵しながらも、再び疑問が生まれる。

あの時、ブレザーを返しにきた妖艶な誘いはなんだったのか。

あの冷たい言葉はなんだったのか。

 

「あんなに熱く俺を求めてきたのは誰だよ」

 

「だって体の方がコーヒーよりは高値でしょ?ていうか求めてたのはそっちじゃないの?」

 

「そんなくだらない理由で体売れるのかお前」

 

「お礼はちゃんとした方がいいし……」

 

どうやら、少女は少し頭が弱いようだった。倫理観はどこかへ消え去り、話が噛み合わない。

哀れな少女だ。

派手な見た目通り、少女の倫理観はおかしかった。

 

「じゃあお前、これから先暴漢から助けられる度体差し出すのかよ」

 

「そんなわけないじゃん」

 

「じゃあなんで俺にはそうしたんだよ」

 

「お兄さんは……お兄さんはいいかなって」

 

しかしその倫理観でも、その奥に何か甘い何かがあった。

その言葉に心臓が跳ねる。

 

「……お前、俺のこと好きなのか?」

 

「うん、そうだよ」

 

砂糖の過剰摂取だ。心臓にこれ以上甘いキャンディは入らない。

口から言葉はでなかった。

 

「じゃあ、あたしこっちだから」

 

信号が青に変わる。横断歩道を渡りきり、少女は黙ったままの垣根に暗にさよならを告げた。

しかし指差した方向は少女のバイト先には繋がっておらず、方向音痴なのかと一瞬思考が止まった。

砂糖の甘さを忘れてただ疑問を口にする。

それは、まだ話すための口実だった。

 

「そっちはお前の言ってた病院と違くねぇか?」

 

「ん?あぁ、今日はね、派遣なの。別の施設に呼ばれてて」

 

「じゃあ俺も──っ」

 

ついていく。そう続けようとしたものの、けたたましい電話の着信音に邪魔をされた。

設定した電子音と、三コールは仕事先──暗部からのもの。

 

「でなくていいの?」

 

「……バイトの連絡だ」

 

「あら、じゃあ行かなきゃね」

 

この甘い空間を壊す音が酷く不快で、吐き気がする。

 

「じゃあ、頑張って!怒ってばかりじゃダメだよ?」

 

離れる少女と、冷たくなった感情がどうしようもなく腹立たしかった。

 

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