とある科学の肉体支配   作:てふてふちょーちょ

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引き続き天羽さんが可哀想です。


act10:濁った別れ

『集まったようだね』

 

「さっさと本題に入ってくれ」

 

日が傾いてきた学園都市の高いビルのひとつ、高層階でパソコンを前に垣根は足を組む。

眉間に寄せた皺がくっきりと今の機嫌を表し、部下三人は遠巻きにそれを見つめていた。

 

「随分とピリピリしてるわね、今日」

 

「なんででしょうね?」

 

「八つ当たりされないといいですけど……」

 

「うるせえぞ」

 

ドレスの少女、黒髪の野暮ったい少年と小柄な少女のぼやきを低い声で牽制すると、ソファに背中を預けて再びパソコンに向き直る。

心理定規、誉望万化と弓箭猟虎、優秀な部下ではあるが今はただ苛立ちを助長させる存在でしか無かった。

 

『今回はとある研究所の制圧だ。どうやら良くない事を計画してるようでな、手っ取り早く君たちに阻止してきてもらいたい』

 

「内容は?」

 

『とある能力者を使用しての研究、らしいね。そのためにそのお嬢さんを拉致、監禁しているのを確認している』

 

淡々と進むパソコン越しの報告に眉を顰める。

仲介役が持ってきた仕事は、少し珍しい事案だった。

 

誰かを救出するのは彼らの役目ではない。

統括理事会直轄の暗部組織、名前も知らない『お嬢さん』を助けるような組織では決してないはず。

 

「お嬢さん?」

 

『彼女は上層部のお気に入りでね。統括理事長自らが学園都市に勧誘したのはこっちでは有名なほど。だから下手に利用されるのは困るんだよ』

 

疑問を軽く投げかけると、ため息交じりに男の声が答えた。

それはおよそ答えとは呼べないが、垣根たちに仕事が回ってきた理由としては理解出来た。

しかしヒーローに頼めばいいお使い未満の依頼、わざわざ垣根たちに頼むのは未だ納得がいかない。

 

「ふーん……どこかのご令嬢なのかしら?スポンサーの娘とか?」

 

「そんな方が……お、お友達になれるでしょうか!?」

 

「拉致されてるんだぞ?」

 

部下三人の話を他所に、垣根はふと疑問に思う。

そんな学園都市に大切にされている女は一体誰なのか。

垣根の記憶にそんな存在は居ない。不思議に思うのはごく普通のことだった。

 

「誰なんだ、そいつ」

 

『キミの四つ下さ』

 

「あ?」

 

ただ口からぽろっと、無意識に聞いた。純粋な興味。

少し打算もあるけれど、それよりもそんな存在が気になっていた。

 

『名前くらい知っているだろう?第六位の名を』

 

画面越し、潜めた笑い声に乗せて男は言った。

勿体ぶるように呟いたその言葉は短かったけれど、垣根の思考で答えまで導くには十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤い夕焼けの下、研究所の正門が見える路地裏で三人の部下を見下ろして手にした携帯からデータを送る。

 

「さて、お姫様の救出とのことだが、地図は行ったな?」

 

作戦会議とは名ばかりだ。

ネット上で入手出来る簡素な地図を送信し、黙ったままの部下に続けて次の行動について淡々と話していく。

簡単な仕事は酷くやりがいがない。

 

「テメェらは裏門とその他出口を探しておけ。俺は一人で正面から行く」

 

「いいんです?分散して」

 

「話によると計画者は一人、しかも大して金もねぇ。護衛はごろつき程度なのは明白だ。だったらどこにいるのかも分からないお姫様を探す方を優先すべきだろ」

 

「そうですね、今回は楽チンなお仕事ですし、わたくしは一人で大丈夫です!」

 

「お前なぁ……」

 

携帯をしまい、面倒だと口にする部下たちの言葉を低い声で遮った。

意識が垣根に向いて、緩い空気が途端に鋭く、冷たく変わる。

 

「行動開始だ、早く終わらせるぞ」

 

 

 

 

 

 

正門は簡単に突破し、研究所の寒い廊下を進む。

人の気配は全くなく、異様に静かだった。

 

「……特になんもねぇな。もぬけの殻……夜逃げでもしたのか?」

 

革靴の足音を響かせていると、足首に何かが引っかかる。廊下を横切るようにピンと張られた糸が垣根の足を取り、床から凄まじい爆発と爆風が湧き上がった。

爆音が轟く。

人が死ぬ温度と風が廊下を包み、鼓膜を破る音が垣根の体を駆け抜けた。

 

「なんだあ?こんなガラクタで俺を止めれると思ってんのか?」

 

しかしこの程度、なんたことはない。

真っ白い翼を六つ背にして、垣根は少し首を傾げる。足にかかったままの焦げたワイヤーを振り落として、ただ呆然と廊下を見つめていた。

 

「……まるで大昔のからくり屋敷だな。なんなんだ、ここは」

 

学園都市で侵入者を迎え撃つならもっと大掛かりなもの作るはずだ。

翼をしまい、ただ床を見つめる。溶けて跡形も無くなったワイヤーが不思議でたまらなかった。

 

考えられるのは二つ。

予算不足。

それか罠をはった奴が底抜けのバカか。

 

答えに辿り着くのは案外早い。

地面を凝視していた垣根のそばで銃声が響いた。

 

「まさか俺に実弾で挑む馬鹿がいるとは」

 

答えは後者。

 

乾いた音が廊下に反響して、金色の弾が少し髪を掠る。

定まらない銃口で立ちふさがる見てくれの悪い男が廊下の奥で、肩を大きく上下させ悲鳴に近い声を吐き出していた。

 

「ひぃっ……!!?」

 

「あ……?なぁんであのゴミ野郎がここに?」

 

その男に見覚えがあった。

 

あの金髪の少女と初めて会ったときに見た。あの少女に跨っていた二人組のうち一人、ナイフを向けてきた方。

そして、腕の骨を足で折った方。

 

「う、うぁ、うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「逃げても無駄だぞ」

 

「うぎぃぎゃああああああ!!!???」

 

顔を見合わせた瞬間に背を向けて逃げ出す男に翼を広げ、剣のように尖った羽を一枚飛ばし太ももに突き刺す。

噴水のように吹き出た血液が廊下を汚し、血溜まりの中に男は倒れる。

一気に鉄の匂いと汚い汗の香りが充満して、吐き気がした。

 

「おい。俺の質問に簡潔に答えろ。なんでここにいる?」

 

「やっやと、雇われでぇ、がぎゃ、っああ!!」

 

倒れた男のそばで見下ろすと、広がる血溜まりを見つめて冷静に男の頭を踏む。

 

十日ほど前につけた大怪我が自然治癒されるわけが無い。警備員(アンチスキル)に捕らえられていたら尚更。

誰か協力者がいる。

それを知るためにも、確保は優先。

けれど、あの少女を傷つけた男相手に、容赦する必要はなかった。

 

「あの時、半年は治らない怪我を負わせたはずだ。なんでこんなに馬鹿みてぇに騒げる体力がある?それは雇い主の技術か?」

 

「あのっ、ぎん、金髪、女がっっ、助けで、ぐれっだっっっ!!!」

 

強く頭を踏みしめると、悲鳴に近い声で男は叫ぶ。その言葉に心がざわつく。

金髪の少女の笑顔が脳裏にこびりついて離れない。

 

この汚らしい男は、あの少女によって助けられた。

男はそう言った。

 

「なるほど……あぁ、なるほど、そういう事か、クッククック、ハハハッ、あー、なんだ……そうか……」

 

「だっだずげっっ、ガぎゃあっっっ!!!!?」

 

その真意が理解できないほど、彼は愚かではない。

 

男の頭を蹴り上げると、痛ましい絶叫が広い廊下に響き渡った。ひっくり返った男は床に頭をぶつけると、泡を吹いて息をしなくなる。

もう動くことはない死体を見下して、ただ無為な時間に肩を落とすしか今の垣根にはできない。

 

「俺を誘い込むための罠ってことか」

 

男の最後の言葉に可能性が一つ現れた。

 

マッチポンプ。

あの日、あの時、少女は危険でなかったのかもしれない。

仲間だった可能性の方が大きい。でなければ、わざわざこの男を治す必要はない。

 

きっと目的は垣根自身。

わざわざブレザーを綺麗にして、高いお礼を買って、垣根に取り入れようとしているのは明白だった。

 

あの少女こそが、囚われた第六位の化け物。

この依頼も、垣根を呼び込むための罠。

 

あの鮮やかな笑顔は嘘で、あの甘い言葉も偽物だった。

その事実が、酷く苛立ちを増幅させる。脱力感と虚無感が垣根を襲う。

この感情をなんて呼ぶのか、いまだ分からなかった。

 

『はい、何かありましたか?』

 

「女は見つけた。テメェらは先帰っとけ」

 

数回のコール音で電話に出た部下の声にぶっきらぼうな言葉で返すと、有無を言わさず通話を切る。自分が狙われているのなら、無理に部下を巻き込む必要はない。

 

再び重い足を動かし、長い廊下を進み出す。

この長い道が恐ろしく冷たく感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長い廊下の先、髪を灰色に染めた男が柄の悪い男とドアを見つめて、くぐもった笑い声を響かせる。

 

「じゃ、手早く済ませてくださいね」

 

「ハッ、いいのか?大事な実験体なんだろお?」

 

「構いませんよ」

 

柄の悪い男は薄気味悪い笑みを見せるとドアを開けて薄暗い部屋へと向かった。ドアから漏れる青い光と、だれかの吐息が静かな研究所でやけにうるさく響いた。

 

「クハハッ、なら遠慮なく」

 

それを上回る大きな音でドアが閉じると、残された男は白衣の襟を正して背を向ける。耳にたくさんつけたピアスが鈍く光り、遠ざかる足音に男の呟きが混じった。

やけに嫌そうな声が、なんだか腹立たしい。

 

「ま、本当はこういう用途じゃないんですけどね」

 

「じゃあどういう用途ってんだ?」

 

背の低い男の後ろで、コツンと床を蹴る。振り向いた男はまるで蛇のような笑みで仰々しく垣根を見つめ返すだけ。

やけに自信満々な研究者の意地汚い笑みが何か不穏な印象を受ける。

 

酷く苛立つ。この男があの少女の仲間だと思うと、言葉にできない虚無感が垣根の肩をぎゅっと重くした。

 

「来ましたか、スクール……いえ、垣根帝督さん」

 

「馴れ馴れしい男だな。テメェが第六位の拉致監禁を?」

 

「まぁ、そういったところです」

 

殺意のこもった言葉が口からポロっと溢れる。意識せず、男への苛立ちや憎悪が湧き出すのが嫌という程感じられた。

目の前の男への殺意が、どうしてか止まなかった。

 

その殺気に反応したのか、白衣の男を守るように、ドアの中から大勢の大柄な大人たちが現れ立ち塞がる。

警備員(アンチスキル)と同じ制服を着た男たちは、虚ろな目でただ垣根を見つめていた。

 

「……DAか」

 

「ご明察。雑魚も捜索には役に立ったのですが、貴方相手だとそれなりの装備が必要でしょう?」

 

警備員(アンチスキル)の中でもハブられている戦闘集団は数人しかおらず、男を守ると言っても少し心もとない。

時間と予算が足りなかったのか、盾というには薄っぺらい人間の体に思わず嘲笑が浮かぶ。定まらない瞳孔で立つ彼らは脅威とは言えなかった。

 

この程度で垣根を止められると思うなど、ただの馬鹿だ。

 

「それしか集められなかったくせに装備だとか抜かすなよ。雑魚が」

 

「あの子も戦力のひとつです。お忘れなきよう」

 

「だからどうした?第六位とは圧倒的な差があるのは分かってんだろ?」

 

しかしそれでも男は揺らがない。

やはり垣根の推測通り第六位が戦力として換算されている。彼らはグルだ。

その事実が、ひどく苛立って仕方がない。

 

「分かっていないのはそちらです。彼女は奇跡そのもの、その価値は謎だらけの貴方より高い」

 

「あ?」

 

「人を、動物を、植物を、生命全てを操るの如き応用性、めちゃくちゃな演算と、実機では実現不可能な理論上可能の事象を全て作り出す異端。全く新しい能力の形は、貴方を上回るでしょう」

 

第六位、少女の能力は超能力者(レベル5)の中でも有名だった。

それは能力がすごいだの、異質だの、そういった理由ではない。

誰も本当の能力を知らないからこそ、有名だった。

 

ある人は『植物を操る能力』だと聞く。

 

ある人は『怪我を治す能力』だと聞く。

 

ある人は『血液を操る能力』だと聞く。

 

ある人は『動物を操る能力』だと聞く。

 

ある人は『病気を治す能力』だと聞く。

 

ある人は『死に至る能力』だと聞く。

 

第六位は誰にも本当の能力を知られていない。超能力者(レベル5)の中でもトップクラスの情報統制で何が真実か、本当に存在するかも分からない存在だった。

知っているのは名前と性別だけ。

やけにきらきらした可愛い名前と、垣根と違う性別という事しか知らない。

 

しかし男の言葉を全て信じるのなら、彼女にまつわる全ては本当なのかもしれなかった。

 

「……そんな化け物と、つるんで何がしたい?」

 

「神の代替品を作るのです」

 

「はぁ?」

 

「彼女はそもそも貴方と一方通行の代替品として連れてこられた第三候補(サブプラン)、ならば神の代替品にだって、神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの(SYSTEM)の到達だって可能でしょう?」

 

その怪物を取り込んで何をするかと思えば、いつも通りの学園都市らしい回答が返ってくる。

 

しかし、その回答が少し引っ掛かった。

 

垣根の予想だと、少女とこのいけ好かない男は仲間のはずだ。

でなければ少女が襲っていた暴漢を回復する意味はない。

助けた垣根に好意を持ってもらうために近づいて、今回の依頼で罠にはめる。

てっきりそう思っていた。

 

「……テメェの目的は文字通りあの女なのか?」

 

「そうですよ?そのためにそこらへんの人に捜索と拉致を頼んだのですが、貴方が蹴散らしたんじゃないですが」

 

「じゃあ、あの女はあの時本当に襲われていたと……?」

 

「そうですけど。まさか、貴方を狙った罠とか思いました?自意識過剰ですねぇ!」

 

だが男の回答はその予想と反する。

 

「あの女は……ただの善意で、自分を襲った野郎を治癒して、ただの善意で、自分を拉致した科学者の手助けをすると、本気で言ってんのか?」

 

「ええ。馬鹿げてますけど、彼女はそういう人なんですよ」

 

まるで、本当に少女を拉致して、少女が善意で襲ってきた相手を救って、少女が自分の意思で男に味方するかのような言い方だった。

 

あの眩しい善意は、何も垣根にだけではない。

彼女は本当に、本当に、心の底から甘い少女だった。

 

「今だってほら、男の肉欲の手助けをしていますよ?」

 

理解と同時に扉を破壊する。大きな翼で全てをなぎ払い、DAも、男も、壁も、全てを吹き飛ばす。

沸き上がった血は、頭に上って制御できない。

 

「っ、短気ですねぇ……」

 

「あ?取り込み中って、ひぃっっ!!?垣根帝督っっっ!!!?」

 

壊れた壁向こう側、少女は狭いオフィスチェアで肌を晒す。肉に縄が食い込んで、縛り付けられた椅子の上でスカートが捲れた。

覆いかぶさる顔の汚い男と比例して、淡いパソコンの光に照らされた少女は場違いなほど綺麗だった。

 

「楽に死ねると思うなよ」

 

「ごぎゃっ、あがァァァァァッッ!!!!??」

 

翼を広げ、男の背中に突き刺した。少女に被さるように倒れた男を横から殴り飛ばし、壁に激突した男に歩み寄る。

接触すら許さない。

声を出すことも許さない。

怒りは限界に達した。

 

「やめっやめでっ、ぐだざい""っっっっっ」

 

地面に倒れた男の腰に足を置き、腕の力だけで足をもぐ。そのまま足で踏み潰し、腰の骨を折った。

 

「なら二度と生きるな」

 

断末魔は聞かせない。翼を刺した箇所から肉が灰へと変わっていく。人間として、男はもう生きることができなかった。

その姿を見届けて、少女の方へ視線を移す。

乱れた服は目に毒で、本当はあまり見たくない。

 

「おい、生きてるか?」

 

猿轡と目隠しをとって、紐を全て解く。少女は少し悲しそうに垣根を見つめ返すと、バツが悪そうに目を伏せた。

 

「また助けられちゃったね」

 

「そういうことはしてねえって言ってたのは誰だったか」

 

「ごめんね、嘘になっちゃった」

 

「……哀れな奴だな」

 

弱々しい声に衝動が湧きあがる。

抱き締めたい。

可愛そうな少女の笑顔がずっと頭から離れなくて、酷く心が焦燥する。甘くて、柔らかい、善を煮詰めた少女が曇るのは、なぜだかとても気持ち悪かった。

 

肌についた痣が垣根の心を燻る。少女の腰を掴み、弱々しい足取りの少女の髪に触れると、その感情はさらに広がっていく。

もう少しで答えがでる。

だが向けられた銃口がその答えを遠ざけた。

 

「別に貴方にはそこまでする義理はないでしょうに。暗部ならこんな景色、何度だって見てきたでしょう?」

 

立ち上がった少女に向けて、白衣の男が頭から血を垂らしながら銃口を向ける。

立っているのがやっと。

男は最後の力で少女を睨んで吐き捨てる男は酷く濁った目をしていた。

 

「この人は優しいんだよ」

 

「はい?」

 

「だからあたしのこと助けてくれた」

 

その瞳に負けることなく、少女は男を見つめる。

 

「アナタも少し、見習ったほうがいいと思うの」

 

もう痣はない。立ち上がって男に向かって歩む少女はやけに華やかな笑顔を作っていた。

 

「起きたらうちの病院においで。ちょうど、テレスティーナさんに助手が欲しいってせがまれてたから」

 

男は大きな音を立てて倒れる。音のない部屋に聞こえる寝息と、消えた怪我。

まだ男は生きていた。

 

触れずとも人を殺し、人を癒す少女の力。

少女はそれで人を殺す選択をしなかった。

 

「は……?お前、殺さないのか……?お前を利用した加害者だぞ……?」

 

「あたしを使うのは当たり前の事だもの。あたしは、誰かに使われるために生まれてきたんだから」

 

男のそばに名刺をおくと、とても優しい声で少女は笑う。

振り向く彼女の笑みはきっと一生忘れられない。

 

「ね、帰ろっか」

 

その笑みはこの世全てに勝るほどおぞましかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗い道を行く。

街灯が照らす道を進み、涼しい夜風に体が晒される。

 

「涼しいね、垣根……くん?」

 

「……それでいい」

 

破れたセーラー服が揺れる。穴の空いた黒タイツから見える素肌は少し寒そうで、歩く速さが少し遅い。

 

「垣根って、珍しい苗字だね。あたしも人の子と言えないけど」

 

「……テメェは」

 

「んー?」

 

少女は恐ろしく純粋な笑みを浮かべて垣根の隣を歩く。

その笑みが怖い。

 

「なんで、テメェはそんなんなんだよ」

 

「というと?」

 

「テメェは、第六位だ。一国の軍隊を一人で相手にできる力を持ってんだぞ。そんなやつ、あんな相手に勝てねぇわけねぇだろうが」

 

「うん、そうだね」

 

恐ろしい。力ある少女の理解できない思考が。

その未知が酷く恐怖を煽る。

 

「なら、なんで」

 

「誰だって痛いのは嫌いでしょ?」

 

静かな道で響いたその声は、とても恐ろしかった。

 

「あたしはみんなのためにあるの。決して人を傷つけるためじゃない」

 

「だから、犯されても文句言わないのかよ。どんなリスクがあるかなんて、女のテメェの方が分かってるだろ?」

 

「リスク?そんなものないよ」

 

街灯がスポットライトのように少女を照らす。

歩みを止め、少女は人のいない公園の前で微笑んだ。その笑みはどこか神々しい。

 

「あたしはね、妊娠もしない、病気にもならないの。痛覚も、触覚も弄れるから相手は楽しいだけ、自分も何も感じないから何も思わない。なんならずっと、永遠に処女のままでいられる。とても都合がいいでしょ?この能力」

 

「そこまでして、なんで他人に体を許すんだよ」

 

「だってみんなが幸せになれるように、あたしは生きているんだもの。他人のためと言われたら、やるしかないでしょ?」

 

祈る少女ように手を合わせ、柔らかく微笑む少女に酷く心臓がかき乱される。

 

彼女がこの世界の神様だったらどんなにいいか。

 

酷く慈悲深く、吐き気がするほど甘くて、底抜けにお人好しで、好きになってしまうほど優しい彼女が神だったら、どれほど良かったか。

彼女が神様だったなら、この世界はこんなにも不幸でなかった。

 

けれどその幸福はきっといつだって彼女の犠牲で成り立っている。

それは何よりも嫌だった。

 

「……だからさ、そんな悲しい顔しないで?」

 

その感情は恋に似ていた。

 

「ねえ、どうしたら笑ってくれる?幸せになるにはどうすればいい?あたし、垣根くんのためになりたいの。アナタのこと幸せにしたいの」

 

「お前が幸せなら、なんだっていいんだよ」

 

この感情は恋だった。

 

「俺はっ、俺は……俺は、お前が笑ってくれれば幸せだ」

 

衝動。初めての感情に、自分なりの好きの言葉を吐き出す。

無我夢中だった。垣根帝督というアイデンティティを放棄しても、少女にこの恋を伝えたかった。

 

彼は生粋の負けず嫌い。そして誰よりも諦めの悪い男。

二度失った彼は、三度目を望まない。

この少女を失いたくなかった。

 

「なぁ、俺の……俺のそばに居てくれねえか」

 

「今いるじゃん?」

 

「ずっと。お前が俺を嫌うまで。女……恋人として」

 

少女のスポットライトに踏み込んだ。

同じ光の下で、二人、輝く瞳に閉じ込め合う。

 

精一杯の愛の言葉は、垣根が思うよりもずっと恥ずかしくて、照れくさかったけれど、失うことと比べれば、恥ずかしい言葉なんて些細な障害でしかなかった。

 

「あたしとセックスしたいの?」

 

でも、少女には恋も愛もなかった。

 

少女の名は天羽彗糸。

垣根の初めてを奪った女。

 

そして酷く可哀想な少女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──別れようよ

 

彼女の言葉が耳に残って離れない。

何がいけなかったのか。

何が悪かったのか。

昔の思い出とともに疑問が湧いては虚しい感情が心臓を襲う。

 

彼女が離れていく。

心にできた空洞は、何をしても満たされない。

 

車が飛び交う横断歩道、街の騒音が鼓動と混じって酷くうるさかった。

 

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