エレベーターを降り、地下へ。
薄くピンクがかった白いナース服に身を包み、自分の研究室へ歩みを進める。
もはやテレスティーナの自室と化した研究室のドアを軽くノックをして、ドアノブを回すと、甘いココアの匂いが鼻腔をくすぐった。
「テレスティーナさん、今大丈夫?」
室内にいるであろう女性の名を呼ぶと、暗い研究室の中で長髪の女性が顔を上げる。
パソコンの光を反射して怪しく光るメガネの奥には深い青の瞳が天羽を面倒くさそうに見ていた。
「んだよ、今忙しいんだが?」
ココアを飲みながら、我が物顔で研究室の高価なコンピューター用の椅子に腰掛ける彼女だったが、それよりも強烈に視界に入ってきたのは最近会っていなかった少年の存在。
机にもたれ掛かり、紙の束を眺める少年は天羽に気がつくとふっと笑みを零した。
「あれ?垣根くんきてたの?」
天羽が一番大切にしてるであろう少年、垣根帝督に近づくと、彼は不気味なくらい端正な笑みを彼女に向ける。
何が企んでいる、その笑みから簡単に読み取れた。
「よーっす」
「最近来てなかったのに……珍しいね?」
「まーな、用事があってな」
ぐしゃぐしゃと天羽の髪を犬を撫でますようにこねくり回す。元々癖っ毛だったのが垣根の骨ばった男の手によってさらに乱されると、慌てて手を退かすが彼の笑みは消えない。
気味が悪いほど上機嫌な彼に不信感が募る。まるで子供をあやすような行動は彼女を苛立たせるだけ。
鋭く睨みつけるも、手を止めることはない。
頭を撫でるという行為には複数の意味が隠れている。
愛情表現にスキンシップ、天羽が頭を撫でる時に伴う感情はそこらへんだが、彼は絶対に違う。
彼が天羽にすこしでもポジティブな感情を抱くわけがない。矢印が天羽に向かうことは許されない。
この世界の人間が、この世界の人間ではない天羽に特定の感情を抱くことなどないのだから。
そうなると、考えられるのは励まし、ご機嫌取り。または褒めているのか。
(……使われた?何かは知らないけど)
何にかはわからない。けれども不気味なほどに機嫌がいい彼と、褒めているような動作がそう感じさせる。
知らないうちに手綱を握られていると、彼の言動が告げていた。
彼は
天羽の知らないうちに何かをしていたのか。
だから天羽を褒めているのか。
知らずの内に彼の手伝いをしてしまったのか。
「……ご機嫌だね、なにかいい事でも?」
「自分の心に聞くんだな、
絶対なにかした。だが何をしたのか。
盗聴程度でご機嫌になるほどの情報を与えた覚えはない。原作と大きく差異がある訳では無い。
藍花悦として動いたのが致命傷となったのか。でもあのスマホは持っていってない。
となると
なにか情報を落としたか。
「そういや、首、大丈夫か?」
ぐるぐると考えが脳を満たしていると、彼の影が頭にかかる。
一瞬何を言っているのかとぽかんとしてしまうが、いきなり首を掴まれ彼が何を言わんとしているのかがはっきりと分かった。わかってしまった。
どくんと心臓が脈打つ。
冷たい汗が体を伝う。手先が震え、声が出ない。脳の信号が渋滞を起こしパニックへ繋がる。
首が空を舞ったあの瞬間を、天羽の言葉を、きっと聞いていた。
「……垣根くんには関係ないでしょ」
「いいか、テメェの飼い主は俺なんだよ。くだらねぇ小細工してんじゃねぇぞ」
やっとの思いで絞り出した声は蚊のように弱く、小さかった。
その声に垣根は親指で跡ひとつない天羽の首を撫で、ガリッと爪が食い込む。痛みの感じない鈍い体はその痛みに反応することはない。
目を狐のように細めた彼の口から短い笑い声が漏れた。彼の黒檀のように黒い瞳に写る自分の姿はあまりにも滑稽で、つい目を逸らしてしまう。
あたしは出来る子なのに、できるお姉ちゃんなのに。あたしは大人で、その目を向けられるべきはアンタなのに。
天羽のつまらないコンプレックスは、確実に彼女の精神を蝕んでいた。
「面白い冗談だこと。SMプレイでもしたいわけ?」
「お前と?願い下げだコラ」
天使の翼を持つ少年は悪魔のような笑みで天羽を見下ろす。
視線に耐えかね、腕から身を捩るとすんなりと垣根は手を離してくれた。
嫌な空気が場を重くする。それでも天羽は微妙な空気の中朗らかに笑顔を向けて、テレスティーナに顔を向ける。
小さく聞こえた舌打ちは痛みを感じないはずの首にジクジクと熱さを残した。
「あ、そうだ、本題。テレスティーナさん、実はお手伝いさんが急遽入ることになりまして……」
「お手伝いだぁ?」
「ちょーっと、雇用増加と言いますか、タダ働きと言いますか……」
笑顔を浮かべて本来の目的を軽く説明すると、テレスティーナは怪訝そうな顔を見せる。無理もない、あまりにも突然すぎて、脈絡のない話だもの。
先程とは打って変わって明るい空気を纏うものの、誤魔化しきれなさそう。それでもテレスティーナは何も言うことはなかった。
ため息をついてまるで兄妹、姉弟喧嘩でも見ているかのように生暖かい目を天羽たちに向ける。
詮索する気はなさそうだった。
「ほら、クローン拾ったって言ったじゃん?一部がここで働くんだって」
「あぁ、あのクローンか」
貼り付けた笑顔で話すのはついこの間のこと。
原作通り、
一万人もの同じ顔を持つ少女達は晴れて自由の身……とは行かないのが学園都市。
一〇〇三二号、一〇〇三九号、一三五七七号、一九〇九〇号、九九八二号の合計五人。
それを伝えるとテレスティーナはにんまりと口角をあげた。
まるで新しい玩具を見つけたような笑みは前と変わっていない。人は変われないものなのか。運命は覆せないものなのか。
実に不愉快だ。変えようと足掻く天羽を嘲笑う神が憎くい。
「そう、そのクローン。垣根くんもどうせ知ってるでしょ?」
「そりゃーな」
「なんだ、知ってたのか、わざわざ隠してた意味がねぇな」
苛立ちを隠し、垣根に明るく話しかける。ちらりと覗き込んだ瞳は真っ黒い。
机に腰掛けているからか、少しだけ彼との背が近かった。屈んでいるというのに彼を見下ろせない自分の身長に腹がたつ。
上にいたい、姉でいたい。醜い嫉妬の渦が天羽を飲み込む。
「まー、垣根くんはなんでも知ってるからね。さすが才色兼備」
「褒めてもなんも出ねぇぞ」
そんなことを思っていても、彼は気づいていないようだった。ぶっきらぼうに言い放つ垣根に少し安堵する。
彼の機嫌はすっかりいつもの調子に戻っていた。少年らしい、子供っぽくて、生意気。
この少年らしい彼が好きなのだ。間違っても年上のお兄ちゃんらしさが垣間見える彼ではない。
この天羽を下に見る彼は嫌い。好きでいるためにその不幸な結末に嘆く少年でいてほしいと願ってしまう。
「いいんだよ?お姉ちゃんに奢ってくれたって」
「……明日でいいなら」
「マ?愛じゃん。どした?変なもの食べた?」
「本題に入ってくれます?」
ふざけ合いながら話しているとテレスティーナから低い声が聞こえてくる。
流石にふざけすぎたか、そう思って咳払いをして本題に入った。
「こほん、とりあえず、軽作業は彼女達に任せることにしたから」
「ふーん……でもいいのか?あの実験に使われてたクローンに研究の手伝いさせて」
「本人たちが手伝いたいって言うんだもん。それにナースの方もお手伝いしてくれるらしいし?いいんじゃね?」
肩を竦めでみせると、テレスティーナはため息をつく。
クローンの少女達が手伝いを買ってでたのは天羽の責任もあるのだ。あまり責めないで欲しい。
というのも、クローンの延命治療で色々手伝ったのだ。
一万人全員の調整は骨が折れ、時間も掛かったが、自身の能力を最大限発揮して彼女達の生命維持に一役買った。そのため天羽の近くで仕事させていればいいんじゃね?という安易な考えの元、五人のクローンは手伝いを申し出たのだ。
研究員としてここに在籍している以上、そこら辺の手伝いをさせなくてはいけない。心配ではあるが、仕事の負担が減るのは有難いことだ。明日は久しぶりに休みを取りたい。
「研究ねぇ……そいつはこれの事か?」
ここ最近は沢山働いたな、なんで思っていると垣根が一束の分厚い資料を右手でチラつかせてくる。
重要機密と書かれたその紙束は、天羽が作ったものだった。
「……なんで垣根くんがその紙持ってるの?」
それは彼女がこの病院の研究室で作り上げたもの。
そしてそれを彼に渡した記憶は無かった。
「借りた。んで、今日はこれを返しにきた」
「どういうこと!?テレスティーナさん!?」
これらを管理しているのはテレスティーナだ。どう考えても彼女の仕業。
キッとテレスティーナを睨むも、悪びれもせず彼女は笑うだけだった。
「仕方ねぇだろ、金くれるって言うんだから」
「ま、まぁいいけどさぁ……」
悪意ある彼女に腹立たしさを覚えながらも、怒鳴ってしまいたい衝動をぐっと抑え込む。怒ったって無駄だ。
そんな気持ちを察したのか否か、垣根は言葉を続ける。
「能力者の脳の構造、脳の信号パターン、それらを全て分析して特定のレベル、特定の能力を生み出す研究、ねぇ……?随分と面白いことしてんだな」
「……惰性でやってるだけだよ。研究員として呼ばれてる以上、やってる素振りを見せないと怒られんの」
「ふーん?」
天羽は学園都市に研究職として呼ばれている。正確には藍花悦が、だが。
大昔持て囃された神童として。
前世の記憶を武器に飛び級を繰り返し、貪欲に知識をかき集めた結果、藍花は天才少女として脚光を浴びた。
おかげで冥土帰しというコネクションを得て、この学園都市に権威ある味方をつけたが、問題点が一つある。
それは何かしら研究成果を上げなくてはいけないこと。
研究者として呼ばれている以上、それは回避できない。
そんな中天羽が選んだのは「学園個人」に通ずる研究。
簡単にいえば能力を生み出す研究だ。
「学園個人」
暗部組織のひとつ、アイテムに在籍する少女がどうやらこの先その名前で呼ばれるそう。理由としては、学園都市そのものとタメを張れるほどの能力になるから、らしい。
彼女が成長すれば他人に好きな能力を与えることができるようになる。それはまさにこの学園都市の側面の一つを一人で担うのと同義。
そんな巨大な力。
ならばそれをくすねてしまえばいい。
学園都市に匹敵する能力があるのなら、学園都市から誰かを守れるかもしれない。
おあつらえ向きに天羽には人体を支配する力がある。その力を使えば脳の細胞だろうがなんだろうが物理的に変更が出来る。理論的には可能なはずなのだ。
誰かを守るため、彼女は生前と同じくメスを握り研究を始めたのだ。
とはいえこれには問題がある。
「でも結果はあんま出てねぇみたいだな」
それは結果が出せていないこと。
天羽が怒っていても怒鳴らない理由がこれだ。
今も昔も何も成し遂げられないのが腹立たしい。彼女はそういう星の下生まれてきてしまった。
どんなに足掻いて、行動を起こし、必死になっても何一つ上手くいかない。上手くいったことを数える方が難しい。
そしてもう一つが
ただ、アイテムの少女と違うのは、どんな能力でも与えられるわけではないのだ。
望む能力を与え、使えるようにすることは出来る。しかし、情報がある既存のものだけ。
AIM拡散力場に手を加えて能力を花開かせるのではない。能力による肉体変化によって変更した脳によって植え付けられる力。
元となる能力者の脳の構造やらDNAなどのデータが必要になるので、自由自在に与えることができないのだ。
「それを知って何がしたいの?百歩譲って、あたしがあなたの飼い犬だとしましょう。それで?飼い犬が何で遊んでたって飼い主には関係ないでしょ?」
だが、失敗云々は今は関係ない。一番の問題は何故垣根が知っているかだ。
腕を組み、見上げるように垣根に咎めるような眼差しを向ける。知られることで困ることはないが、それでも姉として他人の研究室を物色する『悪い子』を叱らねばならない。
「俺は愛犬家でな、ペットがコソコソ何やってるかまで知らなきゃ気がすまねーんだよ」
「随分とストーカー染みてるね?彼女出来ないよ?」
嘲笑気味に鼻で笑うと、見下すような笑みから嫌そうな目付きへと変わる。
こちらを探られるのは困るのだ。
「余計なお世話だ、雌犬」
「女と密会して、情報仕入れるヤリチン野郎にだけは言われたくないね。今度は何を企んでるのかしら、ご主人様?」
「企んでなんかねぇよ、俺はいつだって世界平和しか考えてねーよ?」
再び顔に宿る少年らしい余裕な笑みはイタズラを考えついた子供のようだった。
憎たらしくも愛らしいその笑みに自然と笑いが零れる。全く、実に十七歳らしい顔だ。
妹とは一つ下の少年はあの子より子供らしかった。
「よく言うよ、テレスティーナさんと木山さんばっかりと喋ってるらしいじゃん?お姉ちゃんのこと放ったらかし?」
「ここぞとばかりに姉貴面すんじゃねぇ」
怒った方に頬を抓られるが、痛みはない。痛覚がないとはいえ、加減しているとすぐに分かる。
柔らかい手つきと、暖かい体温。まるで天羽が妹にするような手つき。腹がたつ、腹がたつ!
手加減なんかしなくていいのに、感情を全てぶつけったっていいというのに。
愛する人間の為ならば喜んでサンドバックになるというのに、彼は随分と優しいようだった。
「実際、お前資料の催促やら質問やらしてきて何がしてぇの?」
「……そうだな、このバカのために工作に励んでるとしか言えねーな」
テレスティーナの言葉に垣根はじっと天羽をみて答える。
優しくて、気味が悪い感情が漆黒の瞳の奥に隠れていた。気持ちが悪い感情、思い。
彼女を子供みたいに見つめるその目が大嫌いで、腹立たしくて、反吐が出る。
ぞわりと背中を蛇が伝うように寒気が天羽を襲う。
頬を抓る手を振り払い、むすっとしたような表情をみせると、痛かったか?なんて的はずれなセリフを天羽に投げかけた。
その目は天羽に向けていいものじゃない。その感情は彼女が妹に向けるものと同じだ。
保護欲、姉妹愛。
優しくなんてしないで。守ろうとなんか考えないで。
固唾を呑んで、心の平静を取り戻すと、取り繕うように明るくふざけたように言葉を零す。
「えー?あたしの為の工作?隠蔽工作?あたし何か垣根に隠蔽させるようなことしてたっけ?」
「そっちじゃねぇ、図工だよバカ。開発、アート、創造、製作のほうだよ」
「え、垣根くん、芸術に目覚めちゃったの……?それはそれでなんかウケるんですけど。ゎら」
「テメェいつか泣かすぞ」
その場しのぎに口にした言葉は彼を欺くにはちょうど良かったようで、彼は気づかずにあたしのデコを人差し指で弾いた。
短気で生意気、我儘で自分本位。それが『下の子』であり、天羽が求めるもの。
主導権なんか握らせるものか。
「で?実際は何、爆弾でも作ってんの?」
「ま、お前にとってはいいものじゃねぇよ」
「なぞなぞかよ」
腰に手を当て、呆れ気味に彼に問う。
すると、彼は悪戯好きの悪ガキのようにニヤついた。その顔からは明確な悪意そのものを感じることはない。
テレスティーナの言う通り、まるでなぞなぞ。
少し頭を傾げて色々と考えて見るが、思いつくことは何一つない。爆弾でも作って天羽を木っ端微塵にしようとでも考えているのだろうか。
嫌な光景が目に浮かぶが、頭を振って有耶無耶にする。
恐ろしい考えに頭を悩ませていると、またもや頭をまるで犬を撫でるようにぐしゃぐしゃにされた。
「お前に直接の害はねぇ、と思う」
今日の垣根は「お兄ちゃん」みがある。
それがなんとも腹立たしく、天羽にとって吐き気を催すものなのか彼は分からない。
彼女は姉なのだ。
誰かに下に見られてはいけない。それが守るべき者なら尚更だ。
「思うって……やばいなぁ、遺言書書いといた方がいい?」
「そうだな、全財産俺に託すって書いとけ」
「あといちいち頭触んないでくれる?」
「しょうがねぇだろ、ちょうど目線に頭があるのが悪い」
撫でる手を掴み、手を下ろすと彼に視線を向ける。ふざけながらも彼の行為を咎めるように強い口調で言葉をこぼすが、イタズラ好きな少年は悪びれもせず目を細めた。
ムカつく。彼女の行動をただの子供として見るその目が嫌い。
あたしは姉で、年上で、大人なのだ。
アンタは弟で、年下で、子供なのだ。
あたしを子供として、妹として、
あたしは大人で姉で、
嫌な汗が首を伝う。
確立していた人格が不安定な揺れを観測する。不安と焦燥が心を埋め尽くす。
強い信念に強い力、垣根はとっても強い。それでも神の理不尽に抗えなかった弱い彼を救いたいのだ。
しかし、強い人といると自分が酷く弱く見えてしまう。彼といると自分が弱くなる。
早く抜け出してしまいたい。
姉だと言うのに、否定されている事実をひた隠しにしながら天羽は彼から目を逸らした。
なにか反論しなくては。そう思って口を開いた刹那、びりりりり、けたたましい電子音が鼓膜を揺らし、静寂を破る。
あまりの音に思考が宇宙の彼方まで吹っ飛んでいき、慌てて音の出処を探した。
「ぁ、ごめん、電話」
机の引き出しから引っ張り出したのはいつものスマートフォンとは違う小さなガラケー。真っ黒いそのケータイはゴツゴツしており、どちらかと言うと男性に人気があるモデル。
天羽らしくないその電子機器は垣根に疑いを持たせるには十分だったようで、彼は怒ったような顔を見せた。
「……その携帯始めて見るな」
「あぁ、これ?仕事用なの」
「仕事用、ねぇ?一体どんなお仕事で?」
睨むような目付きに心臓が飛び跳ねる。しかし精一杯の虚勢と笑顔を貼り付けて、口に指を当ててドアノブに手をかけた。
「……詮索禁止だよ。犬にだってプライベートはあるのさ」
閉まる扉の隙間から見えたのは垣根の酷く怒った表情。
アンタに教えるわけにはいかない。
彼を救うその日まで秘め事は続く。
◇
エレベーターを使って、最上階へ。誰もいないフロアの女子トイレへ駆け込むと、能力で
電話の相手は分かっている。
「やぁやぁ駒場くん、どうしたんです?」
『……頼まれ物を送った』
「あぁ、ありがとうございます。お代はいつもの所に振り込んでおきますね」
相手は駒場利徳。第七学区に居座るスキルアウトのリーダーその人だ。
まるで旧友のように軽い調子で話しかけるも、彼は相変わらず単調な声だった。
それに高い不思議な声で答えるも、口からこぼれるソプラノの声は自分に違和感を与える。
駒場利徳は藍花悦の友人だ。
原作と同じく、天羽は彼とコネクションを作っていた。
とはいえこれは
天羽は藍花悦がスキルアウトと関係を持っていることを知っている。そしてそのスキルアウトが横須賀という名字だということも。
物語が始まる前にそしてその男が藍花悦に接触してくるのも知っていた。
だから天羽はその日が来るまで待っていた。物語が正しく進むのを。
しかし、待てども待てども来なかった。わざわざ今年の二月ごろに
そしてあっさり理由がわかった。
原作で藍花悦は名前、在籍校、そして六位という事実しか知られていない。
その点
何もかも、バレていないのだ。
それに藍花悦として行動をほとんど起こしてきていない。
年齢も性別も何もかもを知らない相手を横須賀は多分探し出せなかった。
なので
いろいろ吟味した結果、白羽の矢が立ったのは駒場利徳だった。
浜面仕上やらビックスパイダーかなんかの人も考えたのだが、浜面はヒーローという性質上後々面倒なことになるのは目に見えており、後者もそこまで権力やらコネはなさそうである。
アニメに出ており、顔が分かるのが最優先事項。
その中で銃の仕入れができ、善人。詮索して来ず、
それが駒場利徳だったのだ。
『……弾丸のみとは、使う機会があったのか』
「そこら辺はノーコメントで」
しーっ蛇のように音を出して詮索するなと伝えると、彼は口を閉ざした。
『……
「もしものためですよ、能力は万能じゃないので。何かの拍子で使えなくなることだってありますしね。それに、ぼくはか弱い非力な一般人ですし?他の
少し間が開き、再び駒場利徳は口を開く。実に馬鹿げているその質問に慣れない敬語で言葉を返すと、彼はため息をついて話題を変えた。
『……はぁ、あと、名義の件だが』
「不都合でも?」
『……いや……問題はない』
それは天羽が知っている藍花悦の唯一の行動について。
名義貸しだ。
何人か見繕った学園都市を嫌う悲劇を知った少年少女達に駒場を通して藍花悦のIDを貸しているのだ。
原作と大幅に行動を変えるのは避けたい。そのため原作同様、同じように行動を起こしている。
もちろん、原作と差異のない状況を作り出すのが目的だが、アレイスターへのささやかな反逆でもある。
とはいえ、流石に誰に名前を渡すかまでは知らないので適当に選んでいるが、持ち前の運と当てにならない神の加護があればなんとかなるだろう。
それが結果天羽の首を絞めたって、彼女だけに降りかかる災いなら構わない。愛する人間に不幸が訪れなければ他のことはどうでもいい。
「ではなにか?」
『……なぜ名義貸しなんてしてるんだ?それこそお前の力なら彼らを助けることくらい出来るだろうに』
「あのですね、ぼくは聖徳太子でも分身の術が使える訳でもないんですよ?名前を貸すことによって救われる人がいるのなら、そうするだけです」
駒場の口から滑り落ちたのは不満の声。
一番の目的は少年少女達の救済、どんなに不満を言われても天羽に名義貸し以上でできることはない。
藍花悦として直接手を貸したっていいのだが、こういう個人的な憎しみは自分で解決しなくちゃ意味がない。
何かを変えたいのなら行動あるのみだ。
彼女は見守る者、見張る者。彼らの幸せのちょっとした手助けしかできないのだ。
『……理解できないな』
「理解なんて求めてませんよ。するだけ無駄ってやつですよ、駒場くん」
この感情が理解されなくたって構わない。理解できるはずもないのだから。
この世界の人間と別の世界で生まれた天羽には互換性がないのだ。
理解など到底無理だろう。
そろそろ戻らなきゃ垣根に何かを勘付かれる。
通話を切ろうと思いボタンに指をかけるが、大切なことを思い出すとその指を外す。
「あ、そうそう、駒場くん、ぼくのことを詮索する人が居たら話して欲しくはありません。ですが、優先するのは君の命です。もし殺されそうになったら遠慮なく言うといいですよ」
天羽だって鬼ではない。あまり話すなとは言ってあるが、駒場だって天羽の大切な人の一人だ。
愛する人間は何人たりとも不幸になって欲しくない。
「君が死んでしまうと悲しむものがいますので」
『……』
「あの少女によろしく伝えておいてくださいね」
そう言って、一方的に通話を切る。ツーツーと規則正しい電子音が鳴り響く個室は自分のなかの孤独感と孤立感を浮き立たせた。
トイレの壁にもたれかかり、ため息をつくと頭を壁につけて天井を見上げる。点滅する白いLEDの蛍光灯が目を刺激した。
あぁ、嫌だ。
「ったく、ふたつの顔があるってのも、めんどくさいな」
名前が二つ、姿が二つ、人生が二つ。
背筋を伸ばして携帯をしまうと、頬を掴んで無理やり筋肉をほぐして笑顔を作った。
管理が面倒くさいことこの上ないが、物語を守るため、愛する人を不幸から救い上げるため、この面倒くささも受け入れなければならない。
ニーチェ曰く、孤独な人はあまりに深く苦しんだために笑いを発明しなくてはならなかった。
あたしは苦しんだって、孤独でも構わない。あたしは
アレイスターさんの独白の時にゴソゴソしてたことがやっと出せました。
次回は珍しく水曜にあげられそうです。
短い休みに何回投稿できるか。