とある科学の肉体支配   作:てふてふちょーちょ

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30話:デジャヴ

太陽よりも眩しい白。宙よりも深い世界。懐かしい匂い。

瞼にチラつく光を感じると、少女は目を覚ます。煌めく光が淡く体を照らしていた。

 

揺蕩う身体と、風もないのに靡く髪。

空虚の地上は少女には見覚えのないもの、そこが現実ではないと理解するのにはそう時間がかからない。

見覚えのない世界、けれど体はどこか懐かしむような感覚を覚える。

 

これは俗に言う天国というやつか。

 

不思議な現象を前に、不思議と脳は理性を保っていた。知らない光景になぜかデジャヴと既視感を感じると、少女はひとつため息をつく。

しかし徐々にその理性は目の前に浮かび上がる存在によってそのため息は掻き消され、穢される。

 

 

男か女か、人か動物か、宝石か汚物か、無機か有機かどうかも分からない存在が私の眼前に現れたのだ。

 

 

本能に刻まれた憎悪が少しづつ少女の心を蝕んでいく。心臓は尋常じゃないほど脈打ち、握りしめた拳に爪がめり込んだ。

それがこの世界の創設者であり、管理人であり、全てであり、所謂神という存在であると、少女は知っている。

なぜかはわからない。けれどあの日の記憶がこれを神だと肯定する。

死んだあの日の追憶。空に堕ちる感覚、掴んだ救いの糸。

心臓に記憶された何かが神の存在を覚えていた。

 

 

その物体が少女に向けて声を発する。

口があるわけでも、脳に響くようなものでもない。

身体が、心が、その言葉を不思議と理解した。

 

─愉しいか?

 

短い言葉だった。

たったそれだけの言葉を言うために、わざわざ下界に降りたというのか?

馬鹿馬鹿しい。

 

愉しくなんかないに決まってる。

 

貴方があたしから全てを奪ったのだろう。

 

最愛の妹を奪われ、愛する世界を奪われ、今度は見知らぬ土地に産み堕とされた。

 

神が憎かった。

 

幸せも愉しさも愛しさも、全て奪われ蹂躙される。神という傲慢で力ある存在に少女はいつも被虐を受けるのだ。

 

それが堪らなく嫌だった。

神の理不尽に背くのが少女の願い。

少女は神を仇なす為に幸せを与え、神の正義を成す。

まるで神の使いだ。

神の心臓をダガーで突き刺すために、少女は天使のように人を導く。

人を愛し、幸せに導けば、理不尽な神に一矢報いることが出来ると信じていた。

矛盾する心理。

 

矛盾を孕む少女は酷く不安定で酷く脆い。

 

ぐっと唇を噛み締めると、この世の理不尽を詰め込んだ存在は少女を見下ろす。

 

─幸せか?

 

傲慢な存在は再び少女に問う。

 

愚問だ。

少女が幸せではないのは明らか。

 

神の理不尽を()くときに少女は幸せを感じることが出来るのだから。

 

何も出来ていない少女は現状に満足も幸福も抱いていない。

 

水槽の夢、バーチャルリアリティ、並行世界、異なる世界。

それのどれだろうが興味はない。

貴方がどのような形の神であろうと関係ない。

どんな世界だろうがやるべき事は変わらないのだから。

 

少女は見張る者。

 

人に幸福と赦しを与え、理不尽で暴虐なる神に反逆する。

幸せが保たれるように。

 

神が少女のたどり着いた答えにため息を着くと、世界が崩れていった。

闇は光に照らされ、輝きを増す。

夢が壊れていくのが肌で感じとれた。

 

飴細工のようにどろどろと溶けていく神に対し、少女は初めてこの虚無の世界で口を開く。

 

「あたしに何をさせたいの?」

 

何がしたいのか分からなかった。

 

どうしてこの世界に閉じ込めたのか。

どうして力を与えたのか。

どうして理不尽を与えるのか。

どうしてチャンスを与えたのか。

 

理解が出来なかった。

 

この世界に「神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの(レベル6)」は現れない。

 

神を知り、神に力を与えられた者であり、神如き強者である少女が其れを理解できないのだ。

神を知らない人間が、その御身に届くとは到底思えなかった。

 

神の身に手を届かせたい。

この世に生まれ堕ちた理由を知りたい。

少女の使命を今一度問いたい。

 

それを理解するには神の器が必要だ。

手繰り寄せるように手を伸ばす。

 

天使になれば、その心は理解出来るだろうか?

 

 

 

神は問いに答えることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆっくりと眼瞼を開くと、カーテンの隙間から零れる朝日が優しく部屋を照らす。

部屋に散らばる研究資料に、乱れた机。他人に見られたくない少し自堕落な部屋。

久々に帰ってきた自室の、いつもの光景。

 

「……最悪」

 

理論上は睡眠など必要ないのに、机で病院関係の書類整理をしていたら寝落ちしていたようだ。

頭を抱え、髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。ふわりと舞う匂いはどことなく垣根を思い出させた。

昨夜面倒でシャワー浴びなかったのが原因か、彼の匂い、もとい未元物質(ダークマター)の匂いが髪に着いてしまったようだ。

 

そこでふと先程まで見ていた夢と思しき光景が脳に蘇る。

世界で一番嫌いな存在が出てくるだなんて凶夢じゃないか。嫌な汗がシャツと肌の隙間を伝う。汗ばんだ肌に張り付いたシャツはとても気持ちが悪い。

 

「あれ、もう昼?寝すぎじゃん、笑える」

 

スマホに手を伸ばそうと机の隣の充電スペースに目を向けると、壁掛け時計が目に入る。

時計は十二時過ぎを示していた。

 

「うっわ垣根くんから鬼メール……そうか、今日遊ぶ約束してたっけ、殺されるな、確実に」

 

昨日、彼に奢ってもらうとか話をしていた。何故か機嫌がいい彼はほんとに奢ってくれるそうで、今日待ち合わせをしていたのだ。

十二時に。

そして今は十二時半。

 

とりあえず「死」とスタンプだけ送信して、スマホから手を離す。

今日は何を着よう。

持っているのはtシャツとカラーのワイドパンツばかり。可愛らしいレースやフリルもない、安物のメンズライクなストリートファッション。

青を徹底的に排除したファッションにも最近底が着いてきて、古着屋のあても少なくなっていた。

 

「なんだ……?めっちゃ調子いいやん今日。久しぶりに寝たから?」

 

椅子に座ったまま伸びをしてから立ち上がると、体調が異様にいいのに気づく。なんだか今日は体が軽い。

肩こりには生前から今日まで悩まされていたが、なんだか今日はスッキリしてる。

寝てる時に自分で回復したのだろうか。

 

「神にあったからか?サービス精神旺盛だな。クソ」

 

少し嫌な気分になるが、とりあえず顔を洗おうと自室の扉を開いて、廊下へでる。

 

2LDKの高くて広いファミリー用のマンションの一部屋は、冥土帰しが与えてくれたもの。

独り身には広すぎるが、安心安全の物凄いセキュリティがついてるらしく、進めてきたのは先生。最終的にこの部屋を選んだのは天羽だが、それでもなんだか申し訳ない。

だが、どんなに高セキュリティでも2LDKはないだろう。何か別の思惑でもあるとしか考えられない。

 

そのまま廊下を玄関とは真逆の方向へ進み、トイレを通り過ぎてキッチンへ。

とはいえ目的地はキッチンの廊下を挟んだ隣、洗面所だ。

研究資料やら栄養剤の瓶やら読んでない本やら切った髪の毛やらが汚く散らばるリビングからそっと目を逸らして洗面所へ入る。片付けるのは来週にしよう。

 

目を瞑って欠伸をしながら鏡面に立ち、そのまま顔を洗う。

顔を伏せたままタオルをとって、水を拭うと顔を上げて今日初めて鏡を見る。

 

いつもと変わらない姿。金と桃色の髪、赤と緑の瞳、不思議な顔立ちが鏡に現れる。

 

 

 

はずだった。

 

「え?」

 

人とは思えない白さを持つ無機質な肌、瞳も口もなく、窪んだ穴が目と口の役割を果たす。

自分のものよりも小さく膨らんだ胸部。

 

それは紛れもなく、前世の記憶にある(アニメにでてきた)天使の姿だった。

 

「はぁぁぁぁぁあ!???」

 

衝撃だった。あまりのことに驚いてしまい、早足に後退ると、足を滑らせて背中から派手な音を立てて転んでしまう。

自分じゃない誰かが映ったことに酷く動揺した。

 

「どういう、え?なに、どうして?」

 

そのまま床にぺたんと座り込む。

尋常じゃないほどの汗と上がる心拍数。正常な数値から外れた体の動きは天羽がパニック状態に陥ったと語る。パニックに陥ったと脳で理解してても収まらない。

息が上がる。細かい息を吐いて、吐いて。

一種の呼吸困難だ。

落ち着けと脳は叫ぶが、体が言うことを聞かない。

ぐちゃぐちゃに乱れた神経がヒートを起こす。

 

天羽の能力は万能ではあるが、万能ゆえにデメリットがある。

特に、自分に発動した場合。

 

例えば戦闘。

能力を上げるために脳内麻薬や体内エネルギーを消費しまくり、体に負荷をかけると演算にも支障が出る。

やりすぎた結果、迎えるのが高熱や感情の大きな揺れ、末端冷え症、消化不良などの弊害。そして演算力の低下。

 

例えば自己防衛。

精神を追い詰めないよう体は防御本能から涙を出す。息ができないなら酸素を取り入れるためさらに細かく息を吸う。

そして勝手に身を守ってくれる能力は、それを我慢させない。なぜならそれは体が持つ防衛反応だから。

 

そんなわけで、天羽はパニック状態に陥ると勝手に自滅してしまうリスクがあった。

しかし、パニックに陥った人間はそれを止める演算なんか出来やしない。それも複雑で繊細な天羽の能力なら尚更。

間違った演算にパニックに陥った体。

その結果は更なる精神への混乱になる。

 

一度パニックになると衝撃がない限り、一日はこのまま。

能力の代償とも言えるこれは天羽には抑えられない。

 

「っおぇ、っげほ」

 

込み上げた吐き気に思わず嘔吐くも、口からは唾液と胃液しか出てこない。何も食べてない胃から何かが出るわけがなかった。

 

自分が他人になってしまったという恐怖、自分が自分でなくなる恐怖。

()()()()()()()()()()()()()()

あの時の焦燥感、恐怖。フラッシュバックのように感情がとめどなく流れてくる。

 

「どう、いう」

 

手を見ても、足を見ても、いつもの天羽。緑のネイルに、白くてブカブカのシャツ。

しかし鏡には床に座り、表情のない顔で天羽を眺める天使。

 

体を包む匂いが違う。

そうだ、これは垣根の未元物質(ダークマター)が髪に付着したんじゃない。これはこの体の匂いなのだ。

天界の力、天界の体。匂いが似ていてもおかしくは無い。

 

「っは、はぁ、はぁ」

 

懐かしい匂いと懐かしい感覚。包み込む鏡越しの肉体は天羽とシンクロして離れない。

不思議と違和感はない。それどころか、いつもの体よりしっくりくる。

 

「どう、して?どう、え?」

 

天羽はこれを知っている。

深い深い記憶の底に落ちているのを知っている。

()()()()()()()()()()()

 

心臓に貯蔵された記憶が似ても似つかないこの体を似ていると感じさせる。

 

何と?

 

分からない。

 

 

 

あたしって、なに?

 

 

 

「あたし、あたしっ、ぅ、おぇ」

 

嫌な考えに体が拒絶する。

それを知ってはいけないと、脳が警鐘を鳴らす。

息が上がり、呼吸ができない。生理的な涙と涎と汗がとまらない。

心臓は破裂しそうなほど早く血液を循環させる。

 

誰か、助けて欲しい。

 

 

 

 

「テメェ、俺を待たせるとはいい度胸してんじゃねーか」

 

女性らしくも、少年らしくもある優しい声が不思議なことに洗面所の扉、天羽の頭上から聞こえてくる。

泥棒でも入られたかとパニックがとまらない脳の片隅で考えるが、それよりも早く瞳はその女性の方を向いた。

 

金と桃色の髪、赤と緑の瞳、不思議な顔立ち。

 

「あ、たし?」

 

「は?」

 

それは天羽彗糸、自分自身だった。

男物のシャツにズボン。普段からそんな服装だから特別違和感は感じなかった。

 

困惑したような表情であたしを見下ろす()()()

 

それを理解した瞬間、体が動いていた。

 

「かえして!」

 

「っちょっ!テメェ何して!」

 

それはあたしの体だ!

 

その体はあの子()と繋がる唯一の証拠。

襟を掴み、廊下へ押し出すと勢い余ってゴンッと鈍い音を立ててキッチンにぶつかった。それでもドッペルゲンガーは動きを止めず、天羽を押しのけてリビングの方に背を向けてを見ていた。

 

「返してよ!それはあたしの!」

 

「テメェ寝惚けてんのか?!」

 

腕を伸ばし、その体を掴み取ろうとするが、かわされてしまう。勢い良く飛び出したせいでバランスの取れない体は、重力に従って地面に一直線。

 

(やばい)

 

能力が暴走気味な今、痛みを与えられたら防衛本能からショックで気絶しかねない。

ぎゅっと目を瞑る。

 

しかし痛みは体に到達しなかった。

 

ドッペルゲンガーが小脇に天羽を抱え、地面との接触を防いでいたのだ。

まさか()()()()にに助けられるとは思ってもいなかった。

 

そして、同時にこれがドッペルゲンガーなのかと疑問に思う。

ドッペルゲンガーは入れ替わりをする。オリジナル(天羽)を助けるような存在じゃない。流石にそれぐらいは知っている。

 

ならばこれは誰?

 

軽々と天羽を持ち上げる腕。まるで兄のように天羽を優しく見下す目。

その人物に心当たりがあるじゃないか。

 

彼女を抱えて空をも飛べる少年。

彼女なんかを心配しちゃう少年。

 

「……か、きね、くん?」

 

「それ以外誰がいるんだよ」

 

自分の顔で呆れたように笑う姿が垣根だと告げていた。

ゆっくりと彼女を床に立たせ面白そうに笑う天羽の顔。しかし不穏で上から目線のその笑いはどう考えても垣根のもの。

 

 

垣根くんだ。

 

 

垣根くん。

 

今彼に何をした?

 

彼の服を掴んだ。壁にぶつけた。

痛みを、教えてしまった。

 

「……ぁ、あぁぁぁ!?」

 

「うぉっ、うるせ」

 

やってしまった!

よりにもよって垣根くんに!

 

あどけない少年に痛みを!苦痛を!与えてしまった!

 

「ご、ごご、ごめん!大丈夫!?土下座!?土下座しとく!?」

 

「しなくていい!」

 

再び脳が機能を停止し、混乱状態になる。

タブーを侵したその事実に動揺と罪悪感が肥大化した。

 

「け、けが、怪我ない!?」

 

「大丈夫だから、落ち着け、情緒不安定女」

 

「ごご、ごめん、ほんとに、ごめん」

 

少し涙ぐみながら彼に怪我がないか確認すると、苦笑いが返ってくる。

謝っても到底許されないことだ。

天羽は、守るべき人を傷つけた。罰は重くあるべきだ。

 

「何があったんだよ、部屋ぐちゃぐちゃだし」

 

どんな罰でも受けると覚悟をして体を強張らせた天羽だったが、意と反して垣根は少しため息を着いてぽんぽんと彼女の背中を叩いた。

あまりにおかしな行動に目が点になるも、なぜかその年上じみた彼の行動に安堵する自分がいるのに気づく。

実に腹立たしいことだったが、天羽の口はその事実に流されやすく、簡潔に彼に現状を伝えようとしていた。

 

「な、なんかね、垣根くんが、あたしの姿に、見えるって、ゆーか、なんてゆーか」

 

落ち着きのない声で天羽は事実を伝える。

包み隠さず言ったとしても、この光景を信じてもらえるとは思っていない。

ただ、不思議と今の彼なら言ってもいいと思ってしまった。甘えてしまおうと、彼ならきっと解決できるんじゃないかと。

肩を掴まれ、リビングにぽつんと置かれているソファに移動させられる。

彼の顔を見ながら真実を包み隠さず言ってみたが、想像通り、彼は信じてないようだった。

 

「とりあえず落ち着け、話はそれからだ」

 

「あ、えっと、と、とりあえず、お詫びに首吊った方がいい?」

 

「落ち着け!」

 

ぴしゃっと雷が落ちたような大きな声。

あんまり聞かない彼の大声にビックリすると、勢いよくソファに座らせられる。

こんな汚い部屋に上げたくなかったな、とどこか冷静な頭が思っていた。

 

「ご、ごめん……」

 

「なんなんだよ……」

 

謝りながらも疑問が湧く。なんで彼はここにいるのだろうか。

合鍵を何故か持っているのは知っている。でもだからといって彼がここにいる理由にはならない。

 

「……なんでここいんの?」

 

「テメェが遅刻するわ、変なメッセ送ってくるわで心配したんだよバカ」

 

「心配……あぁ、垣根くんって見た目にそぐわず律儀にも待ち合わせ時間の三十分前に来るタイプだからね……」

 

そうだ。この子はなんだかんだ言ってとってもいい子なのだ。

 

あんまり原作での情報がないからだろうか。彼は結構律儀で、少年らしい。

杠林檎の件や、そもそも学園都市に反逆したのは彼の優しさからのようなものだ。

元から可愛くて良い子、しかも自ら行動を起こす。とっても素敵な少年。

 

「見た目は大きなお世話だ。お前もいっつも時間通り来るじゃねぇか、その見た目で」

 

「遅れたら悲しいでしょ?」

 

「なら二度と遅刻すんな」

 

ぽふっと頭に優しめなチョップを決められてしまう。本当に兄みたいだ。

天羽より、人を丸め込むのが上手。

おかげで徐々にいつものペースに戻ってきた。もう精神は落ち着いているようだ。

 

精神的に天羽は幼い。体に引っ張られるように若々しい考えと精神を保っている。

前世で大人だったからと言って、今の天羽は高校一年生。ほんのちょっとだけ年上の先輩にはやっぱり敵わないようだ。

 

だが、それとこれとは話が別。彼が兄ぶろうとするのは非常に気に食わない。

 

「じゃなくて!なんで垣根くんがあたしの姿してんの!?」

 

「って言われてもな。俺は俺に見えてるし、お前はお前に見えてんぞ?」

 

「え?」

 

そう言ってソファの上、天羽の隣に座る天羽の姿をした垣根に詰め寄る。

しかし、返ってきたのは予想だにしない答えだった。

 

別に垣根には普通に見えている。男の自分と、女の天羽。いつも通りの光景。

いつもと違う点を挙げるとしたら、天羽の化粧が落とされていることと、パジャマ代わりの下着姿くらいか

 

鏡の中の彼女と現実の彼女は違うと、そう結論づける。

確かに自分の手のひらはいつもの通り、人の手だ。

 

「俺がお前の姿に見えてるか……幻覚、精神干渉か?でもここら辺でお前以外の能力を感知してねぇんだけどな……」

 

「感知?」

 

「気にすんな、こっちの話だ」

 

うーんと、結構真面目に考えてくれる彼だが、何を言っているのかはよく分からなかった。

よく分からないと彼を見上げるも、なんでもないと言われてしまう。

 

「能力でもないとなると……魔術か」

 

「あ」

 

頭を捻りながら考えてると、天羽、もとい垣根がぼそっと呟く。

 

魔術の影響。

そういえば、第一期になにやら面白い現象が起きていたじゃないか。

 

「はぁぁ……そうだよ、()()()()()()!」

 

大きなため息とともにクラスメイトの名を呟くと垣根は顔をしかめた。

 

天羽はこの事象を知っている。

それは御使堕し(エンゼルフォール)

天使を人間の領域に引き摺り降ろすとかいうあの大規模な魔術。

 

(今日だったのか!)

 

いや、それよりもだ、それは感知されないのではなかったのか?

なぜ天羽は見えている?

 

疑問がたくさんある。

ぐるぐると回る思考はある一つの仮説を提示した。

 

それは別の世界の人間だからこそ此のようなことになっているのではないかというもの。

天使と入れ替わったのも、別の世界の人間だ(共通点がある)から。

 

仮に、天羽が元いた世界がパラレルワールド、又は異世界なるものだとしよう。

 

魔術は別世界の法則を利用した力。

天界の力やらを現実世界に引っ張ってきているのが魔術。

 

なら別世界って異世界のこととも捉えられるのではないだろうか。図式にするなら、前世の世界≒異世界といったところ。

異世界の法則がこの世界の毒になるなら、異世界から来た魂と体を持つ天羽はこの世界にとって毒ではない。そう仮定することもできる。

 

それに、前世の世界でなくても、そもそも彼女は屍人、死人。それは彼女が輪廻の輪に乗り、天国へ行き、地獄に落とされた事実をがあるはずだ。

魂は必ずあの世に行く。

天国、煉獄、辺獄、地獄。どこに割り振られるかは知らないが、一度死んでいる天羽はそこにいてもおかしくない。

先ほどの明晰夢もどきで見た場所が死んだ後の魂が行った場所だとしたら、それに懐かしさを覚えるのも納得だ。

 

だが、それにしたって妙だ。

 

どこから落ちてこようが、天羽が別の世界、異次元的な場所から来たことに代わりはない。

魔術を行うには対価や代償が必要だ。異世界からきた、ならそれ相応の対価を支払っているはずなのだ。

なのに、彼女は平然と生きてるし、世界観に大きな影響もない。

それがないってことは何を意味するのか。

 

そもそも世界そのものがおかしいじゃないか。

 

ここは原作ではなくアニメを基準とした世界。建物、キャラクター、時系列。視覚情報がアニメの描写だと教えてくれている。

それはなぜ。

どうしてアニメが基準なのか。

アニメをベースとした利点は、メリットは何か。

 

この世界の住人がアニメと原作の違いなんて知らない。知るはずもない。

だから必然的にそれらの違いを知っている天羽に関わる利点となる。

アニメベースのこの世界はアニメしか見てない天羽にとってはわかりやすいし、ありがたい。だが理由はわからない。

 

(……()()()()()?)

 

自分の言葉に引っかかる。

この世界はありがたいと、思わせたいのだろうか。

 

それはどういうことか。

 

この世界は天羽の為に作られたと言わんばかりじゃないか。

天羽のために神が作りあげた世界(プログラム)みたいで。

天羽の低俗な願いを叶えるためだけの世界のようで。

 

ひとつの単語が頭に浮び上がる。

 

世界五分前仮説。

なんでも世界は五分前に作られたとかいう思考実験。

この世界は、彼女の為に作られたのだろうか。

使命(正義)を果たす為に。

しかし何故。

 

「なーに難しい顔してんだよ。見えるだけで害はねぇんだろ?なら良いじゃねぇか」

 

「……まぁ、ね」

 

だがそこで思考は止まる。

眉間に親指を当てられ、否応無く顔を垣根に向けられと自分の顔と目が合った。

化粧をしていない自分の顔。

嫌な顔。

妹のようなあざとさも可愛さもない顔。

無機質で、正気のない人形のような顔。昔から怖いと言われた忌々しい顔。

伏せ気味な垂れ目に小さな口、厚めの唇。人形のよう。

 

世界で一番可愛い妹とは対照的な顔。

 

この御使堕し(エンゼルフォール)は上条の父親が上条を思うあまりに偶然発動してしまったもの。

妹の顔とともに、ふとその事実を思い出す。彼の気持ちがよくわかるから。

 

不幸な息子のために幸運のお守りやら厄除けとかを置いていたら作動してしまった魔術。

同じような境遇である天羽も彼の痛いほど気持ちはよく分かる。

だが生前、天羽はそういう類のものには手を出さなかった。

魔術なんてものはフィクションで、信じられるのは科学だけ。()()で生きてきた天羽にはそれらを信じることはできない。

 

「てか聖職者が魔術って、よくよく考えれば冒涜的で地獄に行くようなものだよね……なんで使うんだろ」

 

ぽつりと、何となく思ったことを呟く。

 

天羽は神が嫌い。信じていても、信頼も愛情もない。あるのは憎悪のみ。

だからこそ魔術を習得して愛する者を救いたいと願う。

 

でもこの世界の人々は違う。神を信じ、神を愛し、神に祈る。

好きな人のために、好きな人に仇なす行為をする彼らが、少しだけ可哀想で哀れに見えてくる。

そういう思いを抱くのは、自分だけで十分なのに。

 

「そうなのか?」

 

「えーっと、たしか……第八圏、悪意者の地獄に行くんでしょ?」

 

「なんだそれ」

 

天羽の一言に何故か垣根は首を傾げた。

知らないのだろうか。

床に研究資料や切った髪の毛と一緒に散らばる書物から神学関連の本を引っ張り出す。この部屋にある本はこの世界に生まれた時に入手したもので、その大半はまだ読めていない。とはいえ、前世で読んだことがある本が大半だが。

 

「これこれ、ダンテの神曲」

 

「知らねーな」

 

引っ張り出した本を彼に手渡すと、彼は首を傾げる。こんな有名な本、名前すら聞いたことないのだろうか。

ダンテ・アリギエーリの代表作、神曲。当時の地獄観を表す、神学的にも文学的にも評価高い何世紀も前のファンタジー作品だ。

天羽もそんなに詳しくないので断言できないが。

 

「天国、煉獄、辺獄、地獄に関するフィクションでね、外の世界では割りかし有名だよ」

 

「天国と地獄ねぇ」

 

昔々、前世の話。天羽は金持ち御用達ミッション系の高校に通っていた。

頭の悪い両親を言いくるめて、成金なりの見栄もあったのだろう、進学に力を入れていた私立の学校にボンボンの父の金と奨学金にものを言わせて通わせてもらっていた。

だから宗教については普通の人よりも知っている。

 

しかし授業はほとんど寝てたし、アメリカでも日曜にルームメイトに連れられてミサに連れて行かれたぐらい。

旧約聖書が何から始まり、何で終わるか。

新約聖書が何から始まり、何で終わるか。

神曲とは何か、グノーシス主義とはなにか、天使の階級、聖人の名前、四大天使の名前。

その程度の知識だ。

学園都市の人より多くは知っているが、互換性は多少あれど、頭にある知識は前世(キリスト教)のものでこの世界(十字教)の知識ではないし、本物の宗教家、聖職者には劣る。

カトリックと職業柄一部の神話を少し知っているが、他を知らないので魔術の考察をするのには便利ではないし、ここでは無駄知識だ。

 

「で?それには物語があんのか?」

 

「うん。話としてはダンテって人が森に迷い込むとこから始まるんだけど」

 

垣根の問いに軽く頷く。

 

「暗い森からウェルギリウスという詩人の案内の下、地獄の門を潜り地獄の底へ、そして煉獄へ登る。最後頂上につくと永遠の淑女、ベアトリーチェの導きにより天国へ行くの」

 

空中に一本の線を描くように、下から上へ人差し指を動かして物語を口にした。

地獄へ落ち、そこから上へ上へ。煉獄を通って天国へ。

 

この本でダンテは下に落ち、そこから地球の裏側へ上に登るのだ。

地獄の門をくぐり、第一圏:辺獄へ。そこから第二圏、第三圏、第四圏、第五圏。彼は歩き続ける。

永劫の炎が燃え盛る堕天使たちの城塞、ディーテの市に入り、第六圏、第七圏、そして第八圏を過ぎると、彼は最下層、第九圏にたどり着く。そこは嘆きの川(コキュートス)

裏切者(ルシファー)が永遠に氷漬けにされている極寒の地。

 

地獄を抜けた先には煉獄、七つの大罪を洗い流すための山がそびえ立つ。

第一の台地から破門者として、または第二の台地から遅悔者としてその山を登り、大罪を「浄罪」するのだ。

第一冠、第二冠、第三冠、第四冠、第五冠、第六冠、第七冠と登り、ダンテはついに山頂へ到達する。

 

そこから先は天国だった。

月を伝って一から九の天を登る。そして最後、第十天:至高天、エンピレオへ着くと、ダンテは「天上の薔薇」の前で見神の域に達するのだ。

 

「で、第八圏、悪意者の地獄ってのは魔術師とか、悪い人が堕とされる地獄のこと。首を反対向きに捻じ曲げられて殺されるらしいよ」

 

「聞いたことねぇな」

 

「まぁ学園都市だしねぇ……まともに読んだのここに来る前、ってかだいぶ昔だからあってるかわかんないけど、そんな感じの物語ってこと」

 

垣根に渡した本の目次をなぞるように物語を語り終えると、とある疑問が脳裏に浮かぶ。

 

学園都市はどこまで宗教や魔術というものを排除しているのだろうか。

クラシックの音楽には聖書やそれこそ神曲をモチーフにした楽曲はたくさんある。

バレエなどの演舞も、彫刻などの美術もそう。なんなら神話の一節が入った病名だってある。

占いだって一種の魔術だし、魔術を謳うマジシャンだっている。

 

元の世界とはまるで違う。常識が、価値観が、全て丸ごと違う。彼女だけひとり浮いている。

あの世界はあの子に不幸をもたらしたけど、この世界と比べれば何千倍も幸せな世界だった。

 

「ここに来る前って……お前何歳だったんだ」

 

「それは秘密」

 

しーっと口に指を当てる。

むすっと天羽の姿で顔を顰める彼に少しばかりの優越感を感じると、彼女は静かに声を漏らした。

 

「あたしはどこの地獄に落ちるのかな……やっぱ煉獄?遅悔者として煉獄を登るのかな」

 

ダンテの神曲で描かれる地獄と天国はあくまでもフィクション。聖書には載っていない嘘っぱち。

それでもなんとなく煉獄へ行くのかと考えを巡らせてしまう。というより死んだ天羽の魂はどこにいたのだろうか、の方が正しいかもしれないが。

前世への未練、後悔。どんなに考えても無駄だということはわかっている。

けれど、それを全て忘れてしまったら、天羽はきっともう二度とあの子を思い出せない。

この世界に染まりたくないと、前世の記憶が叫ぶのだ。

 

「お前が煉獄なら、俺は地獄か?」

 

「垣根くんは天国行きだよ。だって、あたしがいるんだもの」

 

「善人なお前に着いていれば天国に行けると?」

 

「ううん、違うよ」

 

垣根の見当はずれな言葉に、少し笑いが込み上がる。

『神曲』の地獄においての重罪は「裏切り」、こんな善良で己の正義を全うしようとする少年が地獄に堕ちるわけがない。

それに天羽がいるのだ。なんとしてでも、神に定められた彼の運命を覆さなければならない。

 

「あなたを幸せにして、天国行きの切符を貰えるように手助けするのが、あたしの使命だからさ。神曲だと……あたしはウェルギリウスかな、ベアトリーチェ(天国)の元へ送り届ける役目」

 

天羽彗糸はベアトリーチェではない。

けれどウェルギリウスではある。

彼に幸せへの道順を示し、見守る。それが彼女のやるべきこと。

彼が死の運命から覆されれば、その役目は終わり。

 

「天国までの道のりはあたしが、そこから先は君のベアトリーチェを見つけてね」

 

ぽんと彼の肩を叩く。

自分の姿をする彼を励ますのは少し嫌な気分だ。

足の踏み場もないほど散らかったリビングがこの空間を浮世離れにさせた。

二人の少女、少年と天使、存在しない二つは散らかった部屋の中で息をする。

 

「ちゃんと幸せになってね、垣根くん」

 

「……なんでテメェに決められなきゃいけねーんだよ」

 

苛立つ彼はまるで思い通りにならない子供のよう。

極めてプライドが高く、傲慢。

彼女と同じ。だけど彼女とは違う。

彼は幸せになるべき人。

 

「うーん、天使様だから?」

 

「は?」

 

「今だけね」

 

冗談抜きで天使様なんだけどね、今は。なんて笑いながら含みを持たせて言ってみるも、彼は首を傾げるだけだった。

彼に天羽の今の姿は見えていないのでただの冗談か頭がおかしい女としか見られていないだろう。

 

「意味わかんねー……」

 

そう愚痴を零す彼に苦笑いを向ける。

しかしすぐに嫌な考えが頭に浮かび、ため息をついた。

 

この魔術が明日か明後日に戻るのはわかっている。それでも違う体にいるという恐怖は消えない。

自分が自分で無くなる恐怖は誰よりも知っていた。

 

朝起きたら、また別人になっていないだろうか。この世界にまだ留まれるだろうか。

彼を死の運命から救うことができるのだろうか。

不安が心を満たす。

 

 

嗚呼、今夜も眠れなさそうだ。

 

 




けいとが出会った神様はとある世界の神様とは別人(別神?)です。
彼女が元いた世界の神様。全ての元凶はこいつ。
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