とある科学の肉体支配   作:てふてふちょーちょ

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SAN値が削れる。


32話:痛みを知る人と痛みを知らない人

ファミレスでの一悶着が主に垣根のおかげで収まった後、上条と二人でファミレスの近くで突っ立っていた。

そんな上条は闇雲に走るなと垣根に怒られ、仕方がないからひたすらインデックスに電話をかけては苛立ちを露わにする。

 

「くそ!電話出ねぇ!」

 

「なにやってんのお前?」

 

「どこに行ったか聞ければって、お前も天羽に連絡しろよ!」

 

近くの電柱にもたれ掛かりながら携帯を弄っていたが、あまりの五月蝿さに少しため息を漏らしてしまう。

無駄な体力使ってんじゃねぇと呆れたように話しかけると、彼は必死の形相でこちらを見る。

 

「いや、あいつの場所なら分かってるし」

 

「え?」

 

「あのクソ女にGPS付けてるからな」

 

カチカチと操作していた携帯を上条に見せつける。マップと位置情報が表示された画面に一瞬理解してなさそうな顔を見せるが、簡潔に意味を教えると今度はその顔を青ざめさせた。

 

「それって犯罪……」

 

「双方合意の上だ。それに他の監視網も使ってるからな」

 

「それもどうかと思うんだが?!」

 

慌てる上条を無視してゆっくりと地図が指し示す方角へ足を向ける。

垣根の気味悪い関係性を彼に知られる訳にはいかない。どうせ理解されないのだから。

携帯をしまおうと、折り畳む。だが、畳んだ丁度その時、メールが入った。

舌打ちをして再び携帯を開き、メールボックスを確認するとそこには四つの漢字が表示されている。

 

「あ?……馬鹿からメールだ」

 

「馬鹿って天羽のことかよ。あいつ結構余裕だな。それでなんだって?」

 

差出人は世界一嫌いな女のもの。

誘拐されているというのに、脳天気なやつだ。ぽちぽちとメールを確認するとそこには「気にしなくていいから、垣根くんは帰ってて大丈夫だよ」なんてくだらない内容が書かれていた。

ふざけた内容のメールは垣根の苛立ちを増幅させる。

 

「……気にすんな、だとさ」

 

俺をなんだと思ってる?

弱いと本気で思っているのか?

 

泣き叫んで助けを乞えよ。

弱いことを認めろよ。

 

気持ちが悪い。気味が悪い。

垣根を弱いものだと決めつけるあの女が憎くて憎くてたまらない。

大好きだとか、赦すだとか、幸せにしたいだとか言っておいて、肝心な垣根の第二位としての誇りを無残にも踏み荒らすあの女の矛盾する行動が気味が悪くて仕方がない。

 

感情を抑えて呟いた自分の声はやけに冷たく聞こえた。

 

「ま、天羽ならそう言うだろうな」

 

だが、彼の禍々しい感情とは違い、上条はまるでそれが当たり前のように肯定した。

 

「あ?」

 

「アイツ、結構辛辣だろ?」

 

アレを解っているかのように眉を八の字にさせて笑う。

まるで親しい人のように、まるで全てをわかっているかのように。

やめろ。

あれを理解するのは垣根だけだ。あの気持ち悪い女の深淵を理解出来るのは上条ではなくじゃなくて垣根だ。

 

「……そうか?好き好き言ってるイメージしかないが」

 

お前は言われたことがないだろう、大好きだと、幸せにすると、天国に連れていくと、赦してあげると。

アレが求めるのはいつだって垣根で、犬のように「垣根くん」ときゃんきゃん鳴きながら付けられたリードで首を絞めながら垣根を振り回すのだ。

 

それを知らないお前に、彼女という化け物を理解出来るはずがない。

 

「うーん、アイツ自身は俺らを好きだとは思うんだけど、俺らがあいつを好きになるとは思ってないみたいなんだよな。平等に見てるってか……だから自分のことあんま話さないし。俺らあいつのことあんま知らないんだよな」

 

「それはねぇな。あいつ病院の患者から感謝されて色々貰ってるし、喜んでるぞ?他人が自分を好きになるって事実はわかってんだろ」

 

上条から出されたアイツの思考パターンは随分と的外れなものだった。

 

アレが好意を理解してないと?

患者からはプレゼントを貰って、上条からは心配されて。それを受け取ってるじゃないか。

誰よりも人を愛する彼女が他人の好意に気が付かないわけが無い。

それを受け入れるかどうかは別として。

 

「あー、あのアクセだろ?それなんだけどさぁ……垣根、お前さ、世話になったナースに感謝の気持ちだけで高級な指輪だったりピアスだったり送るか?」

 

「は?送るわけねぇだろ、本命じゃあるまいし」

 

「だよな?でも天羽はアレをただの感謝の印としか思ってないんだぜ?」

 

突然振られた質問に少し戸惑いながらも冷静に答える。当たり前のことを聞く彼の意図がイマイチ分からない。

理解できない質問に首を傾げていると、上条は乾いた笑いを見せた。

 

「本命にあげるようなプレゼントをただの感謝の印だと思ってつけてるってさ、誰かが自分にそういう気持ちを抱くって思ってないって証明になるんじゃないか?」

 

彼の言葉がすっと、腑に落ちる。

そうか、彼女の気持ち悪さのひとつはそれか。

少しづつ理解する。あの女の気持ち悪さを。

 

垣根を好きだと言っておきながら、彼女をぞんざいに扱うことに不満は言わない。彼女を嫌いと言っても傷一つ着かない。

だってそれが彼女の当たり前だから。

 

誰も自分を愛さないという凶悪で強烈な思い込み。パラノイア思考、愛着障害。

 

彼女はいつだって傲慢で強欲、誰もを愛し、自分を過信するナルシズムに侵された精神をもつ。しかし誰もを受け付けない心の聖域と自分が愛されるわけがないと卑下する精神が同じように存在する。

アンビバレント、二律背反。相反する精神が彼女を作り上げる。

 

「……お前がそれを言うのも、アホらしいけどな」

 

そんな単純なことを気づかせた上条に精一杯の皮肉をぶつけると、彼はきょとんと目を丸くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「めんどくさい事になったにゃあ」

 

どこかのビルの屋上、心地よい風が頬を撫でる。

縄に縛られアンテナのような建造物の下でインデックスと二人で正座させられている現在、天羽は大きなため息と共にやるせない言葉を漏らした。

 

「ごめんねけいと、私のせいで」

 

「んー?インデックスちゃんのせいじゃないよ。あたしが好きで着いてきたんだから」

 

そのため息に罪悪感を覚えたのか、インデックスは悲しそうに目を伏せる。

だが、その感情はお門違いだ。ここに来たのは天羽の意思、間違っても彼女のせいではない。

しかし、流石シスターというべきか、彼女が励ましても顔は晴れぬまま。なにかふざけたことを言うべきか、それともシリアスに励ました方がいいのか。

 

「ほ、ほら、縄で縛られるなんてあんま無い経験だし、攫われた方がよりお得っていうか、ね?だから落ち込まないの!」

 

前者を選択し、とりあえず笑わせようと適当なことを抜かしてみるが、逆効果。

憎悪、嫌悪、憧れなどを全部混ぜたような視線をある一点に向けた。縄に縛られたことにより嫌という程存在感が増したそこを凝視する彼女はあまりにもこの状況に似つかわしくない。

 

「……大丈夫、インデックスちゃんも育つから」

 

「べ、別に胸なんて見てないんですけどっ」

 

呆れながらも彼女に優しく言葉をかけると、逆に怒られてしまう。

 

インデックスとは恐らく一、二歳差。それなのに身長でも体格でも天羽の方が色々と大きい。彼女もイギリスの血が入っているはずだから天羽と似たような感じのはずだというのに。

人それぞれ成長は違うのでなんとも言えないが。

 

そもそも、彼女は守られるヒロインとして描かれている。胸が小さいのも、背が低いのもきっと保護欲をそそるため。

誰だって一七三センチのお姫様は嫌だろう。

アメリカの十六歳男子の平均身長ドンピシャな女を守ろうと考える読者(オタク)は多分居ない。

 

だから彼女は自ら行動を起こさねばならない。

彼女は塔で守られるお姫様ではないのだから。

 

「二十歳くらいまでは成長し続けるから、大丈夫だよ」

 

「だから違うっ!」

 

人間、二十歳くらいまでは胸も背も成長するものだ。とはいえベースは中学二年生くらいで止まるが。

そしてそれを天羽は前世でよく知っている。

 

今の天羽は高校一年生、成長期の真っ只中。前世と同じように成長するのなら高校卒業までに身長は三センチ伸びるし、胸だってこれ以上大きくなる。

自分の経験によって裏付けされた事実をインデックスに伝えると、彼女は狼狽えながら否定した。そしてそれ以上墓穴を掘らないようにか、別の話題を口にする。

 

「そ、それよりどうするの?頑張れば逃げれるかもよ?」

 

「平気平気、上条くん来るし、このままで平気でしょ」

 

モゾモゾと結び目を解くと、自信満々のインデックスは天羽に逃亡を立案した。とても素敵な提案だが、天羽はそれに首を横に振る。

逃亡なんてメリットのないことをする気にはなれなかった。それに、この話は誰も傷つかない、誰も不幸にならない。

幸せな物語。

 

ならばそのままの流れに乗ってもらえばいい。

正しい結末に進めばいい。

 

それは上条当麻が助けに入ること。

垣根は厄介事に首を突っ込むタイプじゃない。だから天羽は彼が来ないかのような言い回しをした。

後ろ手で持ったスマホで送られたメールはきっと彼に届いているはず。

 

「ていとくは?その言い方だと来ないって感じするけど……」

 

「来ないでしょ、あの子あたしのこと嫌いだから」

 

「嫌い?そうは見えないけど」

 

メールを考慮しても、彼が来ないことはわかっている。

たとえ彼が「優しい子」だとしても、彼はなんだかんだ現実主義者で面倒事に関わるタイプではない。今まで彼がイベントごとに関与していたのは天羽が振り回していたからで、一方通行(アクセラレータ)の時のように、彼女が呼び掛けないと現れやしない。

 

それに、彼を除いてもこの世界の誰かが天羽を助けに来ることはないと彼女は知っている。

上条当麻は可愛らしい同居人の為に尽力するのであって、決して彼女の為ではないのだから。

 

「嫌いだよ。てか、あたしの事を好ましく思う人はこの世に居ないから」

 

「そんなことないよ?けいとはとうまと違ってご飯くれるし、私は好きだよ?」

 

「インデックスちゃん、それはただの感謝、好きとは無縁の感情だよ。あたしは誰にも好かれない、それがこの世界のルールなの」

 

この世界の全てが天羽彗糸に大きな感情を抱くことは無い。

だって彼女は物語の登場人物ではないのだから。

彼女はこの世界の人間じゃない。彼女の体は元いた世界で作られて、彼女の魂は元いた世界で育てられた。

 

「体に巣くう腫瘍を愛する人は居ないでしょ?」

 

天羽は唯一のプレイヤーキャラクター。NPCとは違うシステムで構築されている。

この世界が本物(異世界)でも偽物(仮想世界)でも、それがルールであり、真理。

システムが、コードが、プログラムが違う。この世界の外から来た人外。

 

たとえ彼女が人間であっても、彼女はこの世界の人間じゃない。

 

それはNPCだけで構築された箱庭では異端であり、腫瘍。

システムが違う汚物。

 

「それってどういう……」

 

「あ、ほらほら、なんか、完成したみたいだよ?」

 

それ以上聞いて欲しくない。その一心で話題を自分から空へと変える。

頭上を見上げると、何本もの縄が自分たちのいる中央の電波塔らしき建造物から放射状に垂れ下がっていた。それには御札のようなものがついており、それがなんだかスピリチュアルな印象を与える。

 

「これは……神楽舞台?」

 

「神楽……って神社で巫女さんが踊ってるやつか」

 

「そんな大それた代物ではない。さしずめ盆踊りの会場といったところだな」

 

縄が張り巡らせた空を眺めていると、大男が話に入る。

名前も覚えていない一話限りのキャラクター。けれど彼が自分の正義に基づいて愛する人を助けようとしているのは知っている。

だから天羽は彼の行為に口出ししていない。

 

「そんなものを用意して、私に何かを憑かせる気?」

 

「なに、結界を張ったのはこいつの威力を少々増強しようという魂胆だ」

 

シリアスな空気の中、がちゃんと音を立てて男が腕にはめたボーガンのような武器を見せる。現代チックで機械じみた風貌、けれどどこかの和風なその弓には矢が無かった。

 

「梓弓?日本神道で使う霊装だね」

 

「なにそれ?」

 

「日本神道の神事で鳴らす弓のこと。口寄せをするときとか、魔除のために鳴らすんだよ」

 

魔除のために鳴らす、その言葉がなにか得体の知れない興奮を天羽に与えた。

 

(それが本当なら、あたしはこの場で役に立つのではないか?)

 

冷たい汗が頬を伝う。

自分が出来る子だと、証明出来るのではないか。

一方通行(アクセラレータ)のとき、この間の御使堕し(エンゼルフォール)のとき、彼女は失態ばかり見せている。最近の彼女は何も出来ていない。

 

(今日、あたしは再び神とやらにあたしが出来る子だと見せつけれるのでは?)

 

興奮と歓喜。

見返せるかもしれないという事実が彼女の心臓を飲み込んだ。

 

「素晴らしい、こちらの文化圏もカバーしているのか、その魔導書図書館は」

 

そんな興奮をよそに、男は話を続ける。

 

「俺の元々の威力はせいぜい心に衝撃を加え、歪みを正す程度の力しかない。しかし、条件さえ揃えば、相手の心を詳細に読むことが出来る」

 

弓を見つめ、男はその巨体でインデックスを見下ろす。

閉じられた目には覚悟を決めた意思が嫌という程感じられた。

 

「そう、胸の内に必死に隠している10万3000冊を暴くことなども」

 

「だめ!私以外の人間が魔導書に触れればどうなるか、あなただって分かってるでしょ!?」

 

「無論、百も承知」

 

覚悟を決めた男に何を言っても無駄だ。例えインデックスが事実を提示しても、その先の不幸を教えても、その意思が覆ることは無い。

腕を伸ばし、弓が今まさに引かれる。

 

刹那の時間、瞬きの一瞬、天羽は身を乗り出して「待って」と言葉をかけた。

 

「死なない方法、一つだけあるよ」

 

弓を引くその一瞬、何かが起こる前に彼女は力強い声を彼の耳に届く。

 

「……何を言っている?」

 

「言ってたじゃん、梓弓は本来魔除に鳴らすものだって」

 

間一髪のところで動きを止めた男に笑みを見せて天羽は彼に語り掛けた。とても馬鹿げた空論、本当に出来るかわからない空想。けれど、話さずにはいられなかった。

 

「あたしに全部押し付けていいよ。アンタの痛み、邪気を」

 

今の彼女にできること、彼女がこの場にいる理由。それはきっと誰かの痛みを受け入れるため。

誰かのための正義を貫く人に祝福を捧げるため。

目を閉じる大男は静かに彼女の言葉に息を呑んだ。

 

「きっと、そのためにあたしがいるんだから」

 

男が弓を引く。弦が震え、まるで調律されていない弦楽器のような嫌な音が鼓膜を揺さぶった。

音と共に縄が紫に光ると、何かが体から湧き上がる。

鉄の匂いが内側から這い上がり、口腔へ上り詰めた。思わず吐き出した鮮烈な赤。

 

「っ、かは」

 

「けいと!」

 

それは血液だった。

酷い痛みと血腥さが頭を埋め尽くす。口から零れた血液の塊はボタボタと真っ白いワンピースを汚す。

醜い痛みが体を支配した。焼けるような、凍えるような感覚。久しぶりの感覚に脳はブレる。逆流する胃液に、血液。鼻からも血が流れ、瞳がチカチカと瞬く。

弾けるような痛みと、紙に垂らしたインクのようにじわじわと広がる痛みが交互に体を侵食する。

 

「痛く、無い?本当に……?」

 

男はほとんど血を流していなかった。少量の血液が彼の口から零れるが、彼の口ぶりからして痛みは無いようだった。

それに安堵し、少しだけ口角を上げる。ふらふらと立ち上がり、縄を解く。

血に濡れてドロドロに崩れた縄を解くのは至極簡単なことだった。再度痛みを体から無くし、ゆっくりと足りなくなった血液を量産しだす。

 

少しずつ体調を整えながら千鳥足で立ち上がり、男に近寄ると不思議なことが起こった。

徐々に思考が男とリンクしていくのだ。どうやら邪気と一緒に彼の脳内の邪気を孕む情報も押し付けられているらしい。

 

彼の精神が流れ込む。魔導書図書館で一人浮かぶ男の精神が。

 

思わぬ副産物、思わぬ贈り物。彼を手助けするだけでなく、喉から手が出るそれを手に入れることも出来るのか!

彼の開いた魔導書が頭に濁流のように押し寄せる。

 

「抱、朴子……なんだ、不老不死って、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

男、闇咲逢魔の毒々しい感情と共に一冊の書物が彼女の中に流れ込んだ。

彼が手にしたのは抱朴子という魔導書。

中国文化における不老不死、仙人になるための魔導書、あらゆる病を解く薬を作る錬丹術が載っているそれは、彼女に必要ない本だった。

 

彼女が欲しいのは誰かを守る手段であって、自分を守るそれじゃない。

だからといって自分が自由に魔導書を手にすることも出来ず。ただただ苦痛だけが押し寄せる。

神経回路を切っても体をのさばる痛み。心の痛み。

どんなに内臓の腐食を戻しても、どんだけ傷口を治しても、どんなにホルモンを調整しても、心臓につけられた精神の痛みは消えることはない。

 

痛みを消すことも出来ない彼女を神は嘲笑う。

 

ぬか喜び。馬鹿みたいな自分に嫌気がさす。

神が彼女の糧になるものを与えるわけがないだろう。単純な話だった。

 

神に見放されている。その事実が重くのしかかる。

名誉挽回のラストチャンスは、愛からくるものでは無い。きっと、彼女を苦しめて、痛めつけて、神を自称する忌々しい野郎が悦に浸るためのお人形遊び。

 

彼女は作られた舞台装置。

窓辺で眠る精巧な人形。

 

愛されているのならば、元々彼女は死んでいない。妹は不幸じゃなかった。

自己嫌悪が痛みとともに体を蝕む。

単純な話だった。

 

「術者の痛みをけいとに押し付けているの?そしてリンクした痛みに乗って魔導書の情報も……」

 

すっと、闇咲の前に立った。魔導書共に流れてくる彼の感情は二つ、愛する人を助けるための正義と、天羽への罪悪感。

その罪悪感を払拭するため、天羽は笑顔で立ち続ける。心の痛みなんてどうだっていい。

愛すべき隣人が傷ついているのならば、彼女はそれに応えなくてはならない。

 

「ありがと、あたしも見てみたかったの魔導書を。欲しかったやつじゃなかったけど」

 

「どうして!?けいと!言ったよね!毒だって!」

 

彼の罪悪感を消し去るため笑顔で感謝を伝えると、インデックスが声を張り上げた。

耳を切り裂くその声に彼女は身体を震わせる。

彼女に向き直り、男に背を向けると再び笑みを貼り付けた。随分と昔に言ったことをよく覚えていると、感心してしまう。

 

「諦めきれないよ。誰かを救うすべがあるのなら、あたしは意地でも手を伸ばす」

 

その笑顔のまま、闇咲に振り返る。振り返りざま髪と共に揺れる真っ白いワンピースは、醜い赤に侵食され見る影もない。

目を細め、同情するように、感情移入するように彼に笑いかける。

 

「あんたも同じでしょ?」

 

お姉ちゃんはなんでも出来なきゃいけない。

いつだって上に居なくてはいけない。挫折なんてしてはいけない。

 

だからこの痛みは挫折なんかじゃない。

 

生まれてから足が動かない愛しい妹。

覆せない運命を受け入れて可愛らしく笑うあの子。

 

彼女を救えなかった罪は彼女はこの世界の理不尽と戦うことで償われる。

 

彼女は彼女を傷つける。

妹の代替品(垣根帝督)を助けなくてはいけないから。

それが天羽の使命だから。贖罪だから。

 

 

あたしが傷つくのはあの子のせいじゃない。

 

 

「違うよ!」

 

その思考を遮るように白い少女が叫ぶ。

アンティークなティーカップのような白と金を纏うシスター。赤と対極にあるその色が強烈に目に焼き付いた。

白の女王と赤の女王。目の前の少女と自分の赤く変色したワンピースに、鏡の国のアリスに登場するキャラクターが頭に浮かぶ。

痛みを知る白の女王と、自分本位な赤の女王。

 

今の状況を語るにふさわしい。

 

「あたしは分かる、その梓弓、威力が増幅されすぎて二人の心があたしの中に逆流している。だから分かるもの」

 

「あたしの、心?」

 

白の女王が天羽の首を刈り取らんと(言葉)を進める。

 

「ふたりとも、大切な人を愛していたんだよね。だからこそ、命をかけてでも助けたかった。助けるためには他人(自分)を傷つけて、罪を侵さなければならなかった。だからその責任をふたりとも愛する人に押し付けたくなかった」

 

その言葉は天羽を追い詰めた。

鉄の味と噛み締めた苦味が口の中で混じり合い、吐き気を催す。

 

「だったら、ふたりとも破滅しちゃだめなんだよ!こんな薄汚れた魔導書に頼るなんて方法じゃダメ!」

 

インデックスが涙ながらに叫んだその刹那、ビルの内部に唯一繋がる扉が勢いよく開かれた。

その扉から()()()()()が飛び出す。そのうちの一人、黒髪の少年が伸ばした右手は張り巡らせた縄を全て打ち消した。

 

「とうま!」

 

「インデックス!」

 

神を討ち滅ぼす右手を持った少年がヒロインを助けに参上する。

そのヒーローの隣には、彼女が今一番会いたくない少年が眩しいほど整った顔で佇んでいた。苛立ちと不安が心を吹き荒ぶ。

 

「垣根くん……なんで、ここに」

 

「ナビだよナビ、俺がいなかったらこんな早くに着いてねぇぞ?この馬鹿」

 

奥歯を噛み締め、腹から押し出すように言葉を呟いた。ガリガリと奥歯がその圧で削られていく。

怒気を含んだ彼の声が益々不安を呼んで、さらに歯に圧がかかる。人体で一番硬いはずのそれが、割れてしまうような強さ。

 

「自ら危険に飛び込んで欲しくないってのに、なんでそういうことするかなぁ」

 

「お前が言ったんじゃねぇか、妹を心配するのが兄だってな?」

 

「はは、かっこいいけど、アンタがあたしの上になれる訳ないでしょ?」

 

笑顔を見せながらも、彼の目は笑っていない。なんとも言えない威圧感と、彼の怒りが体にまとわりつく。

 

「……悪いのか」

 

「あ?」

 

膠着した状態の彼女達の間に、闇咲の巨体が割ってはいる。何かを掴むように伸ばした腕には黒い弓が厳つく鎮座していた。

 

「例えこの命と引き換えにしてでも誰かを守りたいと思うのは悪いことなのか!」

 

金属のぶつかる音がした。弓が引かれ、風が吹く。

しかし真っ白い天使のはねがそれを跳ね返す。ぶつかった風は跳ね返り、天羽達目掛けて飛んできた。

あまりに強い風は体を吹き飛ばし、天羽と大男を地面に叩きつける。夏の夜が作り出す床の熱さが体を電気のように走り抜け、喉から血を吐き出す。小さく呻き声が溢れても、心配する人なんか居ない。

痛みなんか感じないのだから。

 

「悪いさ、悪いに決まってる」

 

「天使……?」

 

地面に倒れる天羽達をまるで可哀想な人を見るように、彼はその黒い瞳で捉えた。

 

あたしの人生を否定しないで。

あたしを哀れだなんて思わないで!

 

久しぶりに感じる熱さに耐えながら、ゆっくりと体を起こす。

彼に言ってやらなきゃいけない、彼に教えなきゃいけない、彼女が間違ってないことを。

 

「……悪くなんてない、悪くなんてない!それが悪いはずがない!愛しい人の死が肩代わりできるのは尊いことだ!あたしは間違ってなんかない!」

 

声を張り上げて立ち上がると、真っ直ぐ彼の瞳を見る。硝子玉のような目は天羽の奥を見据えていた。

 

じわじわと蝕んでいた嫌悪が高波のように心を喰い尽くす。

侵食された心から漏れる禍々しい感情は身体を伝い放出された。演算として放出された感情は空気を揺らし、他人を飲み干していく。誰にも聞かれたくなかった。誰にも見られたくなかった。

 

「なっ、前がっ」

 

「な、なに、これ、聞こえないっ」

 

人を揺さぶるほどの演算が放たれる。

聴覚の遮断、視神経の寸断。それらを引き起こす演算はこの場の全てを痛めつけた。

悲鳴と恐怖がこの空間を支配している。ゾンビのように手を突き出して滑稽に歩き回る人、その場でうずくまる子。それぞれの反応の違いは見るに耐えない。

言葉を発することも、考えることも、聞くことも、見ることも天羽が許さなかった。

 

ただ一人、強者を除いて。

 

「テメェらみてぇなやつはいっつもそうだ。いつだって自分を数に入れない、自分のことなんて興味が無い。自己犠牲型の自分本位で博愛主義なエゴイスト共が」

 

立っていたのは二人。

弱者であり、強者。

運命を決められた弱者で、最強の称号(レベル5)の第二位に君臨する強者。

そして誰にも勝てない不死の弱者で、運命を掻き乱す強者。

 

「お前の大切な人はお前が大切じゃねぇのかよ、テメェは()()()()()()()()()()()()が分かんじゃねぇのかよ」

 

そしてその一人が牙を剥く。

彼は天羽じゃない誰かに訴えているようだった。まるで自分の後悔を、まるで自分の体験を思い出しているかのよう。

彼女の知らない誰かと重ねるような瞳は酷く恐ろしい。

 

 

アンタは何を思ってるの?何を考えてるの?

 

 

「目の前で誰かが苦しんで、傷ついて、でも自分には何も出来なくて、どうしようもない苦しみを知ってんだろ?残された人が大切に思ってるお前を無くして悲しまないと、なぜ思う。テメェは自分に自信があんのか卑下してんのかハッキリしろ!」

 

「うるさい!うるさい!あの子が泣くことよりも死ぬ事の方が嫌なことに決まってる!救われぬまま死んでしまうことの方が何よりも悲しいに決まってる!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

くらくら、ぐわんぐわん。目眩がする。

認めたくない現実に、諦めきれない幻想に挟まれて抜け出せない。

乱れた演算はパニックを引き起こす。彼女の悪い癖。

口が止まらない。本音がボロボロと血液と涎の混じった口内から吐き出されていく。

 

誰かに死なれることの痛みなんか知らない。

だって死んだのは彼女だから。

だって死の運命を肩代わりしたのは彼女だから。

だって悲しませたのは彼女だから。

 

だからそんな痛み、知らない。

 

「焦って、辛くて、苦しくて、痛くて、怖くて、震えて、叫んで、涙が出て!」

 

憎むような、咎めるような、悲しむような感情。

吐き気を催すような御託を並べて天羽を否定する彼にじくじくと醜い思いに駆られる。

 

静かに語られるそれは主人公(ヒーロー)の言葉。

踏み込まれた神域に、与えられた力は守ろうと勝手に演算を始める。

感情が、痛みが、伝染する。

 

━━それはアンタの台詞じゃない!

 

「テメェはそれを与えてるって自覚はあんのかよ。そんな重い衝撃を、大切な人に押し付けてるって分かってんのかよ!」

 

お前にだけは言われたくないと、心が煮え滾る。

 

「神の理不尽に足掻いても救えない!何をしたって空回り!そんな出来損ないが愛しい人のために命を使って何が悪いの!?救いもできず、涙も拭けず、何も出来ない()()()()()を神も、誰も愛するわけがないでしょう?!だからあたしはここに立ってるのよ!」

 

息が上がり、目眩がしながらも、天羽は彼の言葉を斬るように一心不乱に叫ぶ。

もはやただの口論だった。

自分の主張を曲げない二人で行う不毛な議論。無駄と分かっていても、伝えたい。

彼女が間違っていないことを。

 

━━そう、あたしは間違ってなんかない。

 

この世界がそれを立証する。

妹の死を肩代わりした現実がこの世界へ導いた。この世界に生まれたことを、力が与えられたことを、垣根と出会ったことを、他でもない彼に否定されたくなかった。

 

「俺もテメェのことなんざ大嫌いだ!愛してなんかない!好きなんかじゃない!だからどうした!俺以外にお前を好きだと言うやつがいるのをちゃんと理解しろ!」

 

垣根の言葉は何一つ理解できない。それは彼女にとっての間違いで、知りたくないことだから。

喉を痛めて叫ぶと、目眩が酷くなり、吐き気が込み上がる。酷くなった目眩は、ただでさえ流れ出た血液で貧血の体を崩壊へと導く。

 

「いるわけねぇだろ!神だって見放すあたしを!この世界は認めないっ、が、はっ、おぇ」

 

言葉を言い終わる前に、ぷつり、糸が切れたように体が崩れ落ちた。

 

鼓動は激しく体に響き、鼓膜の奥にある蝸牛が耳鳴りを引き起こす。逆流する胃液は吐き気を催し、体温は上昇していく一方。朦朧とした意識と脱力した体は酸素を欲しがり、呼吸を乱す。

 

「あ、れ、見えるようになってる?耳も……」

 

他人を蝕む演算は掻き消され、少年達は何があったのかわからぬまま顔を上げた。

高鳴る胸の鼓動、脱力感、乱れた呼吸。自身が観測した病状から逆算して、限りなく本物に近い推論を導き出し、病名を探し当てる。

この症状を彼女は知っていた。

 

それは酸素欠乏症。

 

「チアノーゼって言うんだったか、顔が真っ青だな?パラノイア思考のお姫様」

 

力なく横たわる彼女を、垣根は勝ち誇ったような笑みで見下ろした。

 

わざわざ羽を見せたのはこの為か。

策に嵌るとはこういうことを言うのだろう。

 

魔術の風を未元物質(ダークマター)で跳ね返したものだと思っていた。けれど、実態は違う。

彼は風を攪拌させた。自分が生み出した物質を載せて。

酸素を分解する未元物質(ダークマター)か、もしくは酸素に置き換わる未元物質(ダークマター)か。

とんだ少年だ。

 

「……姫じゃ、ないし」

 

「嫌いになったか?」

 

「まさか、なんないよ、この程度で」

 

朦朧とした意識で受け答える。口元もまともに動かない。

酸素欠乏症、通称酸欠の症状のひとつに思考能力の低下がある。体に関する能力は体の不調が色濃く影響される。とくに精神的なパニックと酸欠や薬による思考能力の低下はどう足掻いても治せない。

息を求めて能力は勝手に呼吸を続ける。自分を守るために動く力が、彼女を自滅へと追い込む。

 

酸素が無くたって彼女は死なない。自分で血液を増やし、細胞を活性化出来るから。

けれど頭に血が上ってまともじゃない演算は生き地獄を与え、殺さずに彼女を生かす。

 

ギリギリの生。綱渡りのようなもの。

 

「上条!そっちの男はお前が何とかしろ。俺らは帰る」

 

「え?お、おう」

 

上条に事後処理を任せると、垣根は彼女の腕を掴む。

彼の手からじわじわと伝わる暖かさは、嫌気が差すほどに熱い。

 

「オラ、帰るぞ」

 

「おいてって」

 

その熱に苛立ち、腕をずるりと彼の手から滑り落とす。

しかしそれがわざとだとわかっている彼は、小さく舌打ちすると今度は跡ができそうなほど強く腕を掴んだ。痛みを感じないとはいえ少し不快感を感じて彼を睨むと、真っ黒い瞳で見下ろされる。まるで拒否したら殺すと言っているようだった。

 

「ったく、面倒な女だなテメェは」

 

「いや、垣根くんのせいじゃん……」

 

おぶろうとしているのか、しゃがんで腕を持ち上げた天羽に背を向けた。そのまま彼女の腕を肩に掛けてもう片方の腕を取るが、それを振り払う。

 

しかし、我が儘言うなと文句をつけられ、睨まれてしまった。それでも意思は揺るがない。

彼女が弱いと認めたくないのだ。おぶられるのは二回目、こんな失態を認めたくなかった。

それに、真っ赤に染まったワンピースを彼に押し付けたくない。彼を汚したくない。

 

「血、うつるから」

 

「誰に物言ってんだよ、テメェは」

 

察してほしい、なんて他力本願な本心を言葉に包み、吐き捨てる。

だが彼は頑固で、プライドが高い。彼女の発言を鼻で笑うと、床に撒き散らされた血だまりを指差す。

 

首を傾げ、動かない頭でぼーっと見ていると、じわじわとその血だまりが消え失せていった。

見えない何かが血を侵食していくように、赤の下から徐々に隠れていた床が露わになる。

そして同時に彼女のワンピースも赤から白へ、オセロのように色が変わっていく。

 

「…すご」

 

「褒め称えて崇めてくれたっていいんだぞ?」

 

こんな芸当ができるのはどう考えても垣根だけ。やはり人体を砂に変えてしまうようなことができる彼にできないことはあまり無い模様。

能力だけなら多分一方通行より応用ができるし、性質そのものが常軌を逸してる。

能力だけは。

 

その中身が、こんなにも可愛げがある少年なのがたまらなく微笑ましかった。

 

「いいこ、いいこ、かっこいいよ、とっても」

 

「やっぱやめろ」

 

そうやって子供みたいに振る舞う彼はやっぱり「年下」だ。そんな精神的年下、しかも弟のような彼におぶられる自分は酷く滑稽に感じる。

軽々と背中にのっけられ、そのまま出口へ向かった。戻ってきた酸素と徐々にクリアになっていく思考、唯一心配なのは彼の上で吐かないかだけ。

 

「けいと」

 

彼の背中の上でぐったりとしているとインデックスに呼び止められる。

闇咲と上条は彼女のことを待っているのがインデックスの肩越しに見えた。彼らをほっぽいてまで天羽に話しかけるとは、なんの御用だろう。

どうしたのと、掠れた声で優しく話しかけると、彼女は少しためらってからゆっくりと口を開いた。

 

「さっき、けいとの感情と一緒に少しだけ記憶が見えたんだ」

 

「……垣根くん、降ろして」

 

それは爆弾のような一言だった。

天羽の記憶、天羽の思い、それは決して誰かに言ってはいけないこと。

 

一度垣根に降ろしてもらい、彼女に近づくと天羽は低い声で小さく呟く。聞かなくてはならない、何を見たのかを。

 

「……なにをみた」

 

「車椅子に乗った女の子と、けいとの二人」

 

覗き見られた記憶は最悪なことに、誰にも見せたくないものだった。

垣根にしか教えていない彼女の秘密。

 

「でもね、けいと、大人だった。今より背も、胸も少し大きくて。顔つきも髪色も全然違った。しゃべる言葉も、()()()()()()()()。日本語なのに、理解できない言葉」

 

凍るように冷たい沈黙の中、インデックスは語る。

化け物をみるような、怪物をみるような目を彼女は天羽に向けた。

畏怖を孕ませた瞳。虹彩異常で生まれた鮮やかな色の瞳。

 

人が見たら恐怖を感じるような。

 

「けいと、貴方はどこから来たの?」

 

「ふ、はは、どこから?決まってるじゃん、天国だよ、天国。はるばる、空から落ちてきたのさ」

 

彼女の言葉に天を指して答えると、訳が分からないといった表情を浮かべた。

 

一度死んだ魂は、体と共に空に堕ちたのだ。

彼女に分かるわけもない。

 




書いてて思い浮かんだのは某弾丸で論破するゲーム。
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