とある科学の肉体支配   作:てふてふちょーちょ

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san値減ります


33話:青

夜の帳が落ちる頃、白髪の髪を靡かせ、細い体の子供が黄色いスポーツカーを覗き込む。

誰もいない道路に誰もいない建物。立ち入り禁止の札が立てられた出入口から難なく侵入したその人はスポーツカーの外で気絶する男に目も向けず、シートに横たわる幼い少女に駆け寄った。

 

「芳川か、あぁ、ガキなら保護したぜ」

 

黒いガラパゴスケータイで知り合いの研究者と連絡を取ると、つい最近最弱に負けた最強、一方通行(アクセラレータ)は幼い少女の様態を素人目で確認する。どうやら彼女に外的損傷は見られず、暴行を加えられたことは無さそうだ。

しかし、体に異常は見られないと言っても、幼い少女の額に取り付けられたものは今の状況では少し不可解だった。

 

「あ?おい、クソガキの顔に電極みてぇのが着いてるぞ」

 

「恐らく、妹達(シスターズ)の身体検査用キットだわ」

 

幼女の熱っぽい顔についた電極を電話相手である研究者、芳川桔梗に尋ねると、彼女は簡潔に答えた。

 

高級そうなスポーツカーのシートに横たわる少女は一方通行(アクセラレータ)が殺してきた二万のモルモットを束ねる司令塔、その個体名は最終信号(ラストオーダー)。その事実を知りながら、彼は今まさに彼女を救おうとしていた。

他の個体とは違う彼女は幼さと絶対的な支配権を持つ。彼女は二万のホムンクルスを統べる女王。その性質は悪人を呼び寄せ、今の誘拐まがいな状況を作り出す。

 

彼女を蝕むのは醜い(ウィルス)。全てを失った馬鹿な男が植え付けたそのプログラムは、世界に散らばる妹達(シスターズ)に他者を傷つける命令を伝達させる。媒介となってしまったその幼い子供は頬を赤くさせ、乱れた呼吸で必死に生きていた。

スポーツカーの外で気絶するその誘拐を行った腹立たしい悪人に舌打ちをすると、一方通行(アクセラレータ)最終信号(ラストオーダー)に付けられた電極から伸びるコードの根元、パソコンのような機械にざっと目を通す。何かの波形や数字が所狭しと並べられているデスクトップは彼の知らない単語で埋め尽くされていた。

 

「BC稼働率ってのは?」

 

「それは脳細胞の稼働率ね。Brain cellでBC」

 

「脳細胞の稼働率?……なぁ、この機械を使ってウィルスを駆除できねぇのか?こっからじゃ連れて帰るのに時間かかるしよ」

 

「無理ね、書き込みをするには専用の培養器と学習装置が必要なの」

 

パソコンに映る文字を必死に目で追いながら彼は芳川に提案するが、呆気なく彼女に否定されてしまう。どうすればいいかと頭を悩ませていると、電話越し、なにか騒がしい音が一方通行(アクセラレータ)の耳に入る。それは車のモーターのような低い音。

 

「……あ?おい、お前今」

 

「そう、私は今そちらに向かって運転中。君が研究室に引き返すよりは時間を短縮できると思ってね」

 

彼女は一方通行(アクセラレータ)の元に向かっていた。必要なものを全て持って悪夢にうなされる幼い女王を助けに車を走らせる。

 

「ウィルスコードの解析は終わってんのか?」

 

「八割方って言ったところかしら。午前零時までには間に合うわ」

 

「ったく、何処まで手間掛けさせやがるつもりだ、このクソガキ」

 

安堵のため息が一方通行(アクセラレータ)の口から零れる。

しかし安心もつかの間、いきなり最終信号(ラストオーダー)の口から解読出来ない無秩序な音が流れ出た。まるで壊れたスピーカーのように混沌とした文字の羅列を叫ぶ少女に一方通行(アクセラレータ)は狼狽える。人が口にすることも出来ないような高速で無機質な声は彼女が作り物だと改めて一方通行(アクセラレータ)を痛感させた。

 

「おい、芳川、これはどうなってる!」

 

「ちょっと黙って!」

 

その悍ましい音に恐怖を煽られながら一方通行(アクセラレータ)は芳川に苛立ちと不安をぶつける。遮る一方通行(アクセラレータ)の大声を咎めると、芳川は最終信号(ラストオーダー)の小さい声を必死に鼓膜で捉えた。

数字のような言葉の数々、そしてその間に混じるアルファベット、妹達(シスターズ)をよく知る芳川は至極簡単に答えにたどり着いてしまう。地獄のような真実にたどり着いてしまった。

 

「やっぱり、そうなのね」

 

「なんだよ、何が起こってる」

 

「ウィルスコードよ、もう起動準備に入ってるんだわ!タイムリミットまでまだ四時間もあるのに……まさか、ダミー情報だったの?」

 

ブツブツと電話越しに呟く芳川は切羽詰まった様子だった。そして声色は一変し、研究者として彼女は決断を下す。

 

「聞きなさい、一方通行(アクセラレータ)。嘆くのはまだ早いわ。君は手を打たなければならない」

 

「手?まだ手があんのか!」

 

「ウィルスは御坂ネットワーク上に配信される前に各妹達(シスターズ)が逆らえない上位命令文に変換させられる。それには約十分かかる」

 

低い声が携帯電話のスピーカーから流れる。彼女の言わんとしていることが分からないほど彼は愚かではない。

携帯を持つ手に力が入る。汗が頬を伝う。

 

「もう分かってるわね?君にできることはただ一つ」

 

分かりたくない、知りたくない。初めて感じる感情を塞き止めて一方通行(アクセラレータ)は彼女の言葉を待つ。

 

打ち止め(ラストオーダー)の処分、その子を殺すことで世界を守るのよ」

 

彼女の言葉は冷酷で、恐ろしかった。

 

「……諦めろってか」

 

「そうなるわね」

 

諦め、それは最強である彼がしていいはずがない。プライドを傷つけることなどあってはならない。

あの日の頬の痛みだけで十分なのだ。

 

「切るぞ」

 

一方通行(アクセラレータ)!」

 

ふと、一方通行の頭に嫌いな女が浮かぶ。

明るく、けれど冷めたような金の髪、毛先は甘ったるい牡丹色で、その瞳は緑と赤が混じっていた。嫌い、というより恐怖に近い感情を初めて一方通行(アクセラレータ)に感じさせた特異な怪物。

 

──全てのベクトルを操る、それがどんなに素晴らしいことかアンタは分かってない

 

──人体の創造を司るあたしに、破壊しか脳がない今のアンタじゃ勝てない

 

──大好きよ、一方通行(アクセラレータ)、その愚かさもまとめて愛してる

 

──愛するアナタに傷ついて欲しくないの、だから終わりにしましょうよ

 

──幸せになりたいなら手伝ってあげる、幸せにしたいのなら手を貸してあげる、だから

 

──お姉ちゃんの言うことを聞きなさい?

 

気味の悪い言葉の羅列、おぞましい瞳の色。

竜のような恐ろしさと天使のような純粋さ、悪魔のような囁き、神のような傲慢さ。どれをとっても一方通行(アクセラレータ)が思い浮かぶ彼女の姿は異様で、異端。

けれど、彼女の偽りない言葉に囚われる。

 

「くそっ、あれにだけは頼りたくなかった!」

 

──例え世界が敵に回っても、あなたに正義があるのならお姉ちゃんはアナタの味方だから

 

何かを知っているかのような、全てを知っているかのようなあの女は一方通行(アクセラレータ)に救いの糸を垂らす。

それが彼女の役割で、使命だから。

 

そしてその糸を掴んだのは他でもない一方通行(アクセラレータ)だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八月三十一日、二十時少し手前、重い荷物を背負って街灯が照らす歩道をゆっくりと歩く。背中に当たる柔らかい何かと、血の匂い、吐息。垣根にとっては二度目の体験だった。

部屋で一旦休ませるか、彼女の汚い部屋に捨てて帰るか、病院にぶち込んでおくか、やっぱりあのホテルに置いてくるべきだったか頭を悩ませていると、規則正しい電子音が背中越しに聞こえてきた。

 

「……電話」

 

沈黙を破ったその音に背中の荷物、天羽彗糸が反応する。血反吐の吐きすぎで枯れかけていた声はいつの間にやら治っており、通常と遜色ない声色に戻っていた。

 

「鳴ってるな」

 

「あたしのなんですけど」

 

「そうだな」

 

何を言っているのか分からないという風に返答すると、彼女はグラグラと垣根の肩を揺らす。癇癪を起こした子供みたいに我儘を言う彼女は姉というよりは妹のようだ。

子供のくせに大人ぶる彼女は実に幼稚で、幼い。

 

「降ーろーしーて!」

 

「は?血だらけ女が立てるのか?」

 

「もう治ったから!歩けるから!」

 

おぶられている時は静かだというのに、一度口を開けばこのザマだ。五月蝿い妹分を乱暴にその場に下ろすと、彼女はよろめきながら着地する。

顔色も、呼吸も先程とは比べ物にならないほど落ち着いており、健康そうだ。

 

垣根は今回合わせて三回、取り乱した彼女を見ている。

一回目は神裂火織と初めて会った時。

二回目は彼女の汚い部屋に初めて入った時。

三回目は今日、というか先程。

 

一回目はともかく、問題は二回目と三回目だ。

前回と今回、それに共通するのは彼女のバイタルの不安定さ。顔色も呼吸も、目の焦点も汗も体温も、あの日と今日は酷く苦しそうだった。

 

推測の域を出ないが、原石であり肉体を構成するほぼ全てを操れるとしよう。限りなく正解に近いもしもの話ではあるが、それが正しいのならば精神的な損傷も、肉体的な欠落も治せるはずなのだ。

だというのに、前回と今回では一向に落ち着く気配も、治る気配もなかった。

 

二回目のとき、彼女は明らかに精神に異常をきたしていた。いつものとは違う、死んでしまいそうな危うさを持つ焦燥的な異常。彼女曰く、それは魔術的な何かで垣根が自分に見えたから。

そして今日、彼女は魔術によって肉体の内部を破壊され、垣根によって精神的に追い詰められ、どう見ても身も心もズタボロだった。

 

ふたつの出来事に共通するのは魔術と精神的な窮地。

けれど魔術は他で見ているし、因果関係そのものはありそうにない。

 

そこである仮説を立てる。

彼女は自分の能力を使いこなせていない。制御しきれていない。

大能力者(レベル4)とされているのは、その甘さのせいか。

 

もしかして彼女は、精神的に追い詰められるとパニックになって自滅するのでは、と。

この仮説が正解なら、こいつは自分の体調次第で死んでしまう、世界で最も弱い生き物なんじゃないかと。

誰かが守ってあげないとすぐに息を止めてしまうんじゃないかと。

 

そして、その三つのパニックを治したのは他ならぬ垣根自身。わずかな高揚感。

 

彼女の生も死も、垣根の中に握られている。

 

彼だけが、彼女の手網を握れる。それがどんなに支配欲と優越感を満たすことか。

 

「ったく、やっぱホテルに置いてくれば良かった」

 

「はいはい、ありがと。あー、もしもし?」

 

五月蝿い少女に少しの苛立つが、兄は妹分の反抗期くらい寛容にならなければいけない。小さくため息をつくと、スマホを耳にかざす彼女を見守ることにした。

 

一方通行(アクセラレータ)くん……」

 

「……第一位がお前に何の用だ」

 

番号も確認せず出た電話は、あの一方通行(アクセラレータ)のものだった。

寛容に受け止めたはずの苛立ちがじわじわとせり上がってくる。彼女の首を刎ねたお前が、どの面下げて彼女に電話なんかする。何を思って差し伸べた手を振り払ったお前が彼女を望むというのだ。

苛立ち、腹立たしさ。そういった無駄な感情が湧き上がる。

 

「……あー、なるほど、君は今壁にぶち当たってるわけだ」

 

垣根の気持ちも考えずに、彼女は一方通行(アクセラレータ)に明るい声を掛けた。

姉のように、母のように、迷える子羊を導く天使のように、まるで全てを分かっているかのように彼女は淡々と電話越しに天啓を言い渡す。

 

一方通行(アクセラレータ)、あなたに出来ること、あるでしょう?」

 

その乙女は全てを見通す神のように傲慢で愚かしい。虫唾が走るような彼女の確信めいた言葉は、正しく神が示した道のようだった。

 

「全てのベクトルを操る、それは全てのベクトルを制御できるってこと。本当に破壊しか道がないの?」

 

彼女は忌々しくも、電話相手を信じているようで、聞こえない声に笑顔を向ける。細めた目で遠くを見つめ、相手が最も望む救いの言葉を口にする少女の瞳は何よりも力強い色を輝かせる。

 

「大丈夫、君の力で誰かを救うことが出来るってあたしが誰よりも知ってる」

 

確信を持って、彼女は子羊を導く。囁くような低く、優しい声は垣根に向けられていない。

 

「頑張りなさい。お姉ちゃんもそっち行くから。君は最強なんでしょ?諦めるなんて、らしくない」

 

彼女は一方通行(アクセラレータ)を信じていた。けれど彼を信じていない。その感情の違いは、その思いの差は、どうすれば埋められる。

 

(何故そいつを信じるのに、俺の強さは信じてくれない)

 

チグハグさと、憎むべき鍾愛は針のむしろのようだった。

 

「さて、ご覧の通り、用事が出来たので、ここでお別れよ」

 

劇の終焉を告げるように彼女は仰々しくお辞儀をする。乙女の、お姫様のお辞儀とは違う、紳士のようなお辞儀。右足を引き、右手を体に添えて、優雅に。

 

「じゃーねん」

 

「待て」

 

ニコニコと目を細めて笑い、そのまま暗闇に消えそうになる彼女を肩を掴んで引き止める。

不思議そうにしながら立ち止まり、彼女は首を傾げた。まるで何が起こっているのか分かってないようだった。

 

「なぜそうも首を突っ込みたがる」

 

「なぜって……あたしは全ての愛する人間を救わなくてはいけないから?」

 

当然のように、それが当たり前のように彼女は声色を変えずに答えてみせる。間違いなどないかのように振る舞う彼女が恐ろしかった。

 

一方通行(アクセラレータ)を助けるというのか?」

 

「それがあたしの役目だから」

 

疑うことなく彼女は言ってのける。不変の価値観と正義は醜く歪んでおり、彼女を怪物として写し出す。

 

なんでだよ、と小さく呟いても依然彼女の顔には笑顔が張り付いたままだった。

理解できない。

垣根は未だに彼女を理解出来ていなかった。

 

「アイツは躊躇なくお前の首を刎ねたんだぞ?」

 

「それが?」

 

つまらなさそうに彼女は言う。早く切り上げてしまいたいと、その言動から滲み出ていた。

 

「俺がやってきたこと、一方通行(アクセラレータ)がやってきたこと、知ってるんだろ?」

 

「やってきたこと?……あぁ、()()()()()()()()()()()?もちろん知ってるよ、こう見えても色んなことを知ってるんだから」

 

「じゃあなんで助けるなんて言えるんだ」

 

知っているはずなのに、分かっているはずなのに、彼女は垣根を、第一位を赦すと言う。その異常な思考回路に苛立ちが募る。

どんなに言葉を脳で理解していてても、その本質を正しい意味で理解することは無かった。

 

「あたしが姉だからだよ」

 

様々な民族の血が見える端正で不思議な顔立ちは彼女をまるで人間じゃないかのように見せる。

その顔は恐ろしく、禍々しい。

 

「俺も、アイツも、人殺しだ。なぜそうも助けようとする?俺らは悪党だぞ。救われるような綺麗な人間じゃない」

 

赦しを与えるその女は垣根にとっては砂糖のような存在だ。自分を正義の使者だと信じて疑わない、全人類のお姉ちゃんを自称する生死観のぶっ壊れたナニか。

致死量の砂糖は血流をかき乱し、吐き気を催す

そんな化け物に感情を吐露すると、それは困ったように笑った。

 

「……垣根くん、どうして人を殺してはいけないの?」

 

「は?なにわかりきったこと聞いてんだ?」

 

「まぁまぁ、これは議論だから、考えを述べてご覧?」

 

その醜い女はすこし考える素振りを見せると、道徳の授業だか哲学の講義でしか聞くことがない質問を口にする。

何を考えているか分からない緑の瞳は赤く濁っていた。

 

「……動物としての本能、か?」

 

「共食いをする種族は沢山いるのに?」

 

その質問に簡単に答えると、彼女はすぐさま否定する。

 

「じゃあ社会が成り立たないから」

 

「なら人を殺して社会が成り立つ世界なら人を殺してもいいの?」

 

仕方ないのでそれらしい別の答えを用意すると、再び彼女は即座に言葉を斬った。

 

「法で定められているから」

 

「殺人は法で禁止されてない。ただ殺人を犯したら罰せられるってだけ」

 

「……じゃあ、相手が悲しむから」

 

三度目の答えも気に入らないらしい。少し苛立ちながら偽善的で在り来りな回答を口にする。

自分が口にする言葉ではないと分かっていても、どこまでも善人で、どこまでも慈悲深い彼女にとっての正解なら口にしない訳には行かない。

偽善的な言葉に苛立ちと不快感を感じながらそれを彼女に言うと、彼女は予想と反した否定の言葉を呟いた。

 

「じゃあアナタが人を殺さないと悲しむのなら?」

 

「は?」

 

「垣根くんが誰かを殺すことで幸せになるのなら、どうする?」

 

垣根はどうやら勘違いをしていたようだった。彼女の答えは到底予期していたものではない。

 

天羽彗糸は善人なんかじゃないのだ。エゴの塊、自分本位の怪物。

垣根の前にいるのは悍ましい生き物。誰かを幸せにする為ならば自分も、動物も、神も蹴落とす冒涜的な少女だった。

 

「戦争があれば人殺しは英雄に、防衛なら殺してしまってもお咎めはなく、大罪を成した人なら合法的に殺される」

 

氷のように冷めた瞳が垣根を写す。

 

「善とか悪ってさ立場と環境で変わってしまう程度のとてもあやふやなものなんだよ。みんなが人を殺すのはダメと答えるのは道徳によって皆の認識が統一されているから。そこから深く考えると、結局は個人の解釈って分かっちゃう」

 

彼女の慄然たる考えが名状しがたい感覚を生み出し、垣根を恐怖の渦に突き落とした。

 

「だからね、垣根くん、あたしは例え殺人鬼であろうと、反逆者であろうと、その人が自分の正義に則ってそれを行っているのなら、あたしは味方だよ」

 

何回も言ってるでしょ?なんて朗らかな笑みを携えて伝える彼女は聖女であり、悪女。

彼女は矛盾を抱える。その矛盾が酷くおぞましい。

 

無垢であり不浄なその笑顔に、軽蔑と唾棄を込めて垣根は酷く汚い感情を彼女に吐き捨てた。

 

「……お前は本当に気持ち悪いな。人を愛すと言っておいて誰もを平等に上から見る。弱者のくせに傲慢。お前のチグハグさが気味が悪い」

 

「別に垣根くんを気持ちよくするために生きてないし、どう思おうが興味無いよ。あたしは君を救うためにここにいるんだから」

 

彼女の笑顔はいつだって垣根の神経を逆撫でする。

垣根よりずっと弱くて、小さくて、柔らかくて、眩しくて、暖かい。

弱者の記号ばかり持ち合わせた女。

 

弱者()である癖に強者()のように振る舞う彼女が嫌いだ。

 

「上から目線の自惚れ屋。それでいて他人の感情を受け付けない。テメェはいつか破滅するぞ」

 

「それの何がいけないの?」

 

吐き出した感情は冷めた口調で否定される。興味なんてないかのような凍てつく氷のような声が二人しかいない道路に響いた。

 

己を天使だと、神の御使いだと疑わないメシアコンプレックス。

彼女の場合、()()()()()()()()()()()()()()()。見返りなんていらない、自己犠牲で作られた汚物の塊。エゴイズムとナルシズムが作り上げる究極の他者愛性知的生物。

 

「テメェを管理する俺に被害が出るって言ってんだよ」

 

「管理?あなたが?あたしを?」

 

「そうだよ駄犬。お前の手網を握ってんのは俺だ、ご主人様に厄を持ってきてんじゃねーよ」

 

掴んだ彼女の肩を強く握って所有権を誇示すると、彼女は何もかもが可笑しいと、彼女はせせら笑う。

 

「……神の理不尽(物語)に抗えず、運命に逆らえないコッペリア(お人形さん)が、あたしに首輪をつけれると本気で思ってんの?」

 

傲慢さが滲み出る艶やかでおどろおどろしい瞳は彼をまるで()()()()()()のように射抜く。

彼女は己を垣根と同じ()()だと思っていない。

神にでもなった気か。ナルシズムの塊のようなセリフは彼を苛立たせる。

 

「コッペリア?随分と愉快で素敵な勘違いをなさってるようだな」

 

コッペリア、それはバレエの喜劇。

自動人形であるコッペリアと、それに恋をした青年が真実を知り、恋に敗れる話。博士であるコッペリウスに作られたその人形はエナメルで造られた眼球を剥ぎ取られ、無惨な姿となり、幕を下ろすのだ。

 

まるで彼がその哀れなお人形だと言い做すなんて烏滸の沙汰だ。

愚かな彼女が酷く哀れで、気に食わなかった。

自分は無惨な運命を辿る哀れな自動人形なんかじゃない、垣根はただ苛立ちばかりを感じる。

 

「俺は人形じゃない。テメェの飼い主だ、履き違えてんじゃねぇ」

 

「はっ、飼い犬はテメェだろ垣根帝督、神にもアレイスターにも飼い殺される哀れな負け犬だ」

 

「っ!テメェ!」

 

身の程知らずな言葉の羅列に、思わず彼女の喉を両の手で押さえつける。今此処でこの獣を殺してしまおうと、その首をへし折らんと力を入れる。

死んで、死んで、死んで、また生き返れ。

 

けれどどんなに力を込めても彼女は笑みを崩さない。

先程の弱々しい赤い少女とは違う、真っ白で力強い乙女がそこに息を乱さず立っていた。

その気持ち悪さと醜さが酷く不愉快で、酷く目を引く。

 

「図星つかれて冷静さ欠いて、人に当たるの?」

 

「……ぶっ殺す」

 

「殺してみろよ、アンタの幸せを世界で一番望んでるこの死に損ないを殺してみろよ。それでアンタが幸せになれるのならばあたしはそれを受け入れてあげる」

 

波のように彼女の体温、鼓動、柔らかさが腕を伝う。

正常な体は、彼女が抵抗しないと伝えていた。いつかの日、初めて彼女の首を絞めたときとは違う、正しいリズムが刻まれている。

 

「いい?垣根帝督、あたしはね、アナタを幸せにするためならなんだってするよ、なんだってできるよ」

 

眼前で揺れる前髪を払うように、彼女は垣根の髪を撫でる。緑の爪が明るめの茶髪の中に入り込み、声が脳を揺さぶる。

我が子をあやす様な、妹を、弟を励ますような手つきはぞっとするほどおぞましい。

 

「あたしは君を幸せにして神に認めさせなきゃならない、それが今のやるべき事なの」

 

「何言ってやがる」

 

「あたしはね、見せつけなきゃいけないの。人間の可能性を、人間の力を。そして神に認めさせなきゃいけない。どんな理不尽でも人は覆すことを」

 

彼女の喉を絞める手に力が入る。痛いはずなのに、苦しいはずなのに、痛苦を覚えるどころか、彼女は憫笑を見せた。

その視線は月に向かう。

誰かを憎むような、蔑むような、そんな醜い視線が空を射抜いた。誰に向けられたのかも分からないその眼差しは見たことも無い澱んだものだった。

 

「あたしは理不尽に抗える。規定通りの動きしかできないbot(登場人物)じゃないのよ。それを踏まえて、あなたはあたしを殺せる?」

 

「テメェがいなくたって理不尽に抗えるさ、自分だけが出来ると思うなよ」

 

「アンタには出来ないわよ。だって現に変わったでしょう?あたしがいた事であなたの価値観、やるべき事、正義。今日、上条くんとやってきたのだって君の性格なら有り得ないこと」

 

まるでそこに正しい現実があったかのように彼女は語る。正しいものが改変されたかのように、何かが変わってしまったかのように語るその声色はどこまでも傲慢だった。

テノールより高く、ソプラノより低いアルトの声は優しく、けれど凛々しい。

 

一方通行(アクセラレータ)もそう。本来なら彼があたしに連絡するはずないの。全て変わったのはあたしの存在。あたしがいることによって今ここに君がいる」

 

首を絞める手に彼女の手が触れる。優しい手つきにびくついて一瞬力を弱めると、手を握られた。汚れも、怪我もない冷たいその手。苦労をしたことの無いような手が彼女を弱者だと、守られる人だと教える。

母のように、姉のように慈しみながら握る手にはライムグリーンに塗られた爪が切りそろえられていた。生命と永遠を象徴する緑色の爪は二人の手の白さと夜の青さを際立たせる。蜂蜜のような自分の肌と、卵のような乙女の肌。

色も、柔らかさも、曲線も、全く違うのに、同じ人間、同じ生物。だというのにその違いがさらに彼女を別の何かに見せた。

理解できない別の生き物。その生物を理解したいと、思ってしまう。未知を知る故の弊害。

 

「あたしは垣根くんより弱いかもしれないけど、あたしがいることによって変わってくる現実がある」

 

藍色の空と、金と桃の髪、白い服。青の欠けらも無い彼女は色彩学的に藍が似合う。

彼女の孤独な思想と、澄んでいて澱んでいる感情を表す最適な色。

真っ白いワンピースは藍色に染まり、その荒涼たる姿と相まって彼女を特異な存在に変貌させた。

 

「だから、リードじゃなくて、守るべき人()として手を掴んで?」

 

ぎゅっと握る手に力を入れて、藍色の乙女は救いの糸を垂らす。

 

「あなたを幸せに導くために」

 

それがどれほど垣根のプライドを傷つけるものかも知らずに。

瀟洒で聖なる少女は笑みを絶やすことはない。慈愛と慈悲の籠った眼差しは薄気味が悪いほど夜空の下で煌めいていた。

 

「……幸せって、なんだよ」

 

「大団円のその先、誰もが夢見るハッピーエンドだよ、垣根くん」

 

陋劣(ろうれつ)悪辣(あくらつ)、けれど何よりも清純で流麗な少女は夢を見る。

誰よりも子供っぽくて、夢見がち。彼女が渇望するのは学園都市では有り得ない喜劇。

彼女だって知っているはずなのだ。

悲劇しかこの学園都市では有り得ないと。陰惨なこの街で、彼女の望む未来は成立しない。

馬鹿げた願いは叶うことは無い。

 

彼女程度では成し遂げられない。それは強者である彼だから成し遂げられるもの。

 

━━お前に出来やしない。

 

「はっ、脳内お花畑、んなもん出来るわけねぇだろ」

 

「出来るよ、だってあたしがいるんだもの」

 

「自信過剰、ナルシスト、メシアコンプレックス。そのくせパラノイア思考でタブロイド思考、劇場のイドラに苛まれる自己嫌悪の塊。矛盾だらけで気持ち悪い」

 

己を誰よりも嫌って、誰よりも信じる。

二つの矛盾した心理は彼女を化け物に仕立てあげる。

矛盾を持つ彼女は酷く歪んでいて、酷く興味深い。それは未知を知り、未知を操る彼だからこそ見いだせる感情だった。

 

「理解できねぇよ、お前、気味が悪くて、反吐が出る」

 

垣根帝督は彼女が嫌いだ。

 

好きだと言う癖に、愛していると言う癖に、彼に興味なんてない。彼の力に興味なんて湧かない、彼を認めない、彼の強さを認めない。

だから彼女が大嫌い。

言葉とズレた行動は不思議と垣根を苛立たせる。

 

「うん、知ってる。誰もあたしを理解できない、誰もあたしを愛さない。あたしはアンタとは()()()()()なんだから」

 

「その考え方からしてお前は間違ってる」

 

間違いを認めず、多方向に愛を注ぎ、欠陥だらけの道を歩む彼女は酷く醜い。

だが、その道の果てを見てみたいと思ってしまう自分がいる。愚かな少女の哀れで惨めな結末を高みから覗いていたい。

お前は間違っているのだと、俺が正しいのだと、兄のように彼女を責め立てたかった。

 

「姉が間違うわけないでしょ?」

 

「あぁ、反吐が出るほど間違ってるよ、お前は」

 

弱者のくせに、彼女は強者であろうとする。その間違いが気持ち悪い。

 

「……俺は、気持ち悪いお前の深淵を見たい。誰も見た事のないそれを」

 

ぽつりぽつりと言葉を吐く。おぞましい少女の手を握り、心からの軽蔑と嫌忌を込めて。

彼女の手は氷と間違うくらい冷たかった。

 

「だから、俺も連れてけ」

 

深淵を這いずる狂気の少女は不浄で、妖艶な、聖なる笑みを魅せる。

白いワンピースが暗闇の中で彼女を浮き立たせ、目に焼き付いた。夜から切り取られたその少女は誰よりも正しくて、誰よりも間違っていた。

それを肯定して、否定して、解析したい。それが彼の願いだった。

 

奇怪で凄艶、暗澹(あんたん)で鮮麗、正義であり悪。

 

可憐で幼気な少女はお砂糖とスパイス、そして素敵なもので出来ている。

大人になった乙女はリボンとレース、そして甘く可憐な(かんばせ)で出来ている。

 

マザーグースは嘘つきだ。

 

この世の甘苦を煮詰めて作り上げられた目の前の生物は砂糖でも、スパイスでも、リボンでも、レースでも、素敵なものでも、甘く可憐な顏でも出来ていない。

彼女は矛盾でできた『人間』だった。

 

どこまでも澄んでいて、どこまでも澱んでいる少女は、いつも笑顔で人を見下す。

 

「……いいね、主人公っぽいよ、垣根くん。とっても、かっこいいよ」

 

その笑顔はどこか悲しげだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は世界で一番、お前が嫌い。

そして俺は誰よりも深く、お前を知っている。

 

憎んで、蔑んで。それでもお前の隣に立ってしまう自分が腹立たしい。

 




それを人は兄弟愛と呼ぶ
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