今後の方針みたいなものだと読んでいただければ幸いです……
「様子はどうだ?」
ホテルの一室、大きなベッドに横たわる幼い少女を横目で確認しながら壁にもたれ掛かる。部屋には部下の
工場でのいざこざの後、眠ってしまった杠林檎は未だに小さな寝息を立てながら上質なベッドの上で眠っていた。
「頭の怪我は大したことないわ。傷口も小さいし。ハッキリと覚醒してくれないと距離が測れないから心の傷は分からないけど」
「回復を待つか。もう夜も深いしな」
部下である
その見た目と手際の良さにどこぞのナースを思い出すと、頭を振って窓に視線を逸らす。子供はもう寝る時間、窓の外の景色はいつぞやと同じ藍色に変わっていた。
ため息をついて藍色の空から再びベッドにと視線を写すと眠っていたはずの少女は体を起こし、垣根を黒い目に写す。
「かきね……」
「目が覚めたか。疲れてるだろ、寝てろって。また明日な」
「……ううん、今聞いて欲しい。まだ
寝起きと感じさせないしっかりとした口調で林檎は口を開く。彼を見つめる黒い瞳は力強かった。
「……わかった」
ベッドの近くの椅子に座り、静かに彼女が口を開くのを待った。
林檎が語った悲劇は学園都市ではありふれているそれ。
代わり映えのない真っ白い建物、生きるためだけの食事、冷たい研究員の目、体から伸びる無数のコード、愛する友人の死。
在り来りで、陳腐な悲劇。どこにでもありそうで、あってはいけないもの。
最愛の友人を自分のせいで失った過去。
「その後どうなったのか分からない。でも計画は続いたし、私の記憶はもっと途切れるようになった」
悲劇を語り終わると林檎はぐっと自分の腕を握る。顔を伏せて唇を噛む彼女の顔は酷く歪んでた。
小さな手に力を込めて握った細い腕は徐々に赤くなっていく。
「だが計画は突如ストップした」
「さっきの子……黒夜が急に暴れて……」
「回収してきたデータの中には黒夜とかいうやつの記録はないっスけど、杠の事故の記録はありました。内容はやや不完全ですが」
「事故じゃない!私が、私がっ、殺し、だから」
実験場の奥、瓦礫の下に見え隠れした暗い赤色はきっとその時のもの。あの赤を思い出したのか林檎は目に見えて動揺し出す。
グラグラと感情とともに揺れる瞳は腕から流れ出る鮮血を写した。
「……お前の悲劇はわかった。だが過去に酷い目に遭ったからって今後も同じ道を歩まなきゃならねぇ道理はねぇ」
小さな体を震わせ、血が出るほど指を腕にくい込ませる林檎に出来る限り優しい言葉をかける。
ハンカチを取り出して血がぼたぼたと流れ落ちる腕に巻き付けると、涙を浮かべながら林檎は顔を上げた。顔を苦痛で歪めて涙を零す彼女に何故か心臓が痛みを感じた。
「そもそも俺たちは
「もう一度あの研究所跡に行きたい」
「何?」
複雑な心境を隠し、優しい言葉をかけても林檎は懲りずに先ほどの研究所へ行きたいと言葉を零す。
意味がわからなかった。酷い目にあっても、危険だとわかっていても、自分が弱いとわかっていても、自らを忌み嫌うべき場所に連れて行けというその考え。
何よりも嫌いな考えだった。
「私の記憶は途切れるだけじゃなくて少しずつ抜け落ちていってる。いつか能力の制御も出来なくなるかもしれない」
巻きつけたハンカチに手を置いて林檎は小さく呟く。蚊のように弱々しい声が部屋に響くと懇願するように彼女は黒い眼で垣根を見上げた。
「そうなる前に、垣根に全部渡したい」
「……お前もアガペーを崇めるタイプか?飯と宿の恩返しには大袈裟すぎるだろ」
「垣根がいいの、垣根に、助けてほしいの」
「助けて、な」
彼女の零した言葉は垣根に向けられていいような言葉じゃなかった。
こんな悪党ではなく、例えばツンツン髪のヒーローやどこぞの正義の使者に向けられるはずの言葉。救いの糸を垂らすのは俺じゃない。
「俺は正義の天使様じゃねーっつうの」
口から滑り落ちた言葉は嫌に自虐的だった。頬杖をついて椅子に深く座ると、思わずため息をつく。それほどまでに馬鹿げた言葉だった。
馬鹿馬鹿しい言葉に呆れ、笑みが浮かんだと同時に部屋に備え付けられている電話から音が鳴った。想定外の電子音に警戒しながら心理定規が電話を取ると、無機質な音声がスピーカーから流れ出る。スピーカーモードにされた固定電話から流れ出た音声は聞き覚えのないものだった。
『あー、『スクール』って言いましたっけ?皆さんお揃いですか?』
おどけた様子の声の主はおそらく男、初めて聞く声に警戒心が募る。眉を顰めてその声に耳を傾けると、ヘラヘラとした剽軽な態度で電話越しにその男は話を進めた。
「誰だテメェは」
『あぁ、すいません、ご挨拶が遅れましたぁ。自分、そこの素材……杠林檎でしたっけ?のデータを集めてる研究者で、木原相似って言います』
その男は木原と名乗った。
その単語に体は素早く反応すると、音を立てて椅子から立ち上がる。
学園都市の暗闇を知るものなら必ずは聞いたことのあるだろう苗字。忌々しい科学の申し子たちが冠するその名前は決していいものではない。
唐突な名前に驚くと、大きな音が部屋に響いた。
『これからソレを回収しに向かわせるんで何卒よろしくお願いしまっす』
椅子から勢いよく立ち上がった瞬間、大きな音ともに部屋の窓ガラスが一斉に割れる。まるで映画のワンシーンのような手際の良さで割れた窓ガラスからロープを伝って部屋に押し入ってきたのは白衣を着る科学者ではなく、紺色で統一された分厚い服を着た
「またこいつらか。うるせぇし懲りねぇし、鬱陶しい連中だな!」
DAアラウズと名乗るそれは一斉に銃を構えるが、それに生やした翼で応戦する。ぶつぶつと正義を呟くパチモンどもは一度は倒れるが、何度もゾンビのように起き上がった。
自分の怪我を厭わない姿はとても気味が悪い。
その姿に嫌いな女が一瞬思い浮かぶが、彼女は珍しくこの件には首を突っ込んでいないことを同時に思い出す。
胸騒ぎがする。
「まって!そいつらの心、不自然なまでに均一だわ」
何度も起き上がる気味の悪い奴らに追撃しようと再び翼を展開するが、心理定規に止められる。この中で一番精神に詳しく、近い彼女の言葉は攻撃を止めさせるには十分な説得力を持っていた。
『はーい!自分がやりました。彼らが持っていた正義?とかいう使命心を代替してあげたんです』
「代替の心だと?」
『代替ですよ、代替!なんにでも代わりはあるんです、代わりの無いものなんてこの世にはありません。手も足も、主義信条だって代替品でまかなえます。だから彼らは今、僕の命令を自分の信条だと思って行動してくれてるんですよ』
空気より軽い声で木原相似と名乗った男は答える。薄気味悪い持論を展開する男の声を響かせる電話に舌打ちするが、木原は態度を変えずにつまらない言葉を続けた。
『唯一無二のものなんてありません、そう思いますよね?帝督さん』
「馴れ馴れしい野郎だな。俺が賛同するわけねぇだろ」
苛立つ口調の野郎の言葉を低い声で力強く否定した。
垣根は知っている。何にも変えられないものをもつ少女を。
他の人には感じない感情を受け止めてくれるたった一人の少女を。
それは誰よりも気持ちが悪くて、誰よりも傲慢で、誰よりも替えのきかない唯一無二の少女。
あの気持ち悪さを知らない電話の声の主に、賛同するわけがなかった。
『あれー、帝督さんは分かってくれると思ったんですけどねぇ、だって貴方──』
ノイズ混じりの声が一直線に俺の鼓膜を揺さぶる。何を言おうとしているのか、分かっていても酷く不愉快だった。
『スペアプラン、
突きつけられた烙印に思わず体から怒気と殺気が溢れ出す。忌々しいたった一つの言葉、これ以上ない醜い言葉。
どいつもこいつもスペア、スペア!あの女も、この男も、俺をスペアと言う。
耐え難い怒りがじわじわと喉へせり上がってくる。ヘドロの様な感情が波のように俺を飲み込んだ。
「テメェ……」
怒りが脳を支配する。爆発する怒りに任せ口を開くと、それを遮るように甲高い音が鳴り響いた。腹を抉るような不快な音は音量を上げ、鼓膜を破るような痛々しい音へと変わってく。
自分にはただの雑音としか聞こえないが、部下にとっては耳を塞いで音から身を守るようにしているほど不快なもののようだった。
「撹乱のつもりか?」
あまりに突拍子のない音に思わず顔を歪めると、突如としてベッドから幼い少女の悲鳴が響いた。慌てて林檎の方へ向くと実験場で見た苦痛の顔を浮かべて声にならない悲鳴を上げている林檎が視界に入る。
耳をつんざくような痛々しい叫び声を上げながら林檎は背中を大きく仰け反らしてベッドに沈んでいくと痛みを我慢するように体を縮こまらせた。
彼女から弾けるように床がひび割れていき、床に亀裂を作る。地震のように揺れる足元は不安定な能力のせいだった。
あっ効いてますねぇ、色んな音を組み合わせて杠林檎さんの脳に強い負荷を与える音を代替してみたんです。結局は脳が外部刺激を受け取って反応してるだけですからね、刺激であればなんでもいいんですよ』
ふざけた調子で声を弾ませる声の主に思わず自分でも驚くほどの怒りが洩れ出す。
苛立ちを隠せずに舌打ちをすると、この光景が愉快と言わんばかりに弾んだ声で再び木原相似は電話越しに口を開いた。
『そうそう、貴方のお気に入りの彼女ですが』
彼が口にした言葉は更に苛立ちを増幅させる。
お気に入りという単語に当て嵌る女は後にも先にも一人しかいない。初めて出来た嫌いで嫌いで仕方のない女、それでいて手を引っ張ってやりたくなる愚かな少女。天羽彗糸という醜い乙女。
「アイツにも手ぇ出すってんなら、殺す」
『残念、もう手は出しちゃったんですよぉ』
ぎりぎりと歯を噛み締める。
自分の犬に手を出された、そう思うと気が気でなかった。
あれの首を絞めていいのは自分だけ、あの女を罵倒していいのは自分だけ、追い詰めていいのは自分だけ。
秘密を知っていいのは垣根だけ。
独占欲が溢れ出す。あの気味の悪い女の手網を握れるのは彼だけだというのに。
「……地獄に連れていかれてぇみたいだな」
『そんなに怒らなくても!この女がどう扱われようが、スクールには関係ないでしょう?』
「あぁ、スクールには関係ねぇな」
狼が威嚇するかのような低い声を部屋に静かに轟かせる。お気に入りの玩具を盗まれたことは自分でも驚くほど自分を腹立たせた。
また首を刎ねられたのではないか、また腕を千切られたんじゃないか、また痛みを笑ってるんじゃないか。彼の知らないところで苦しんで、我慢して、秘密を隠すあの女を眺める愉しさを他人に知られたくなかった。
「テメェは俺個人に喧嘩を売ったんだよ、理解してんだろうなクズ」
『そうですか、では失礼しまっす』
木原がそう呟いた瞬間、取り囲むDAアラウズの一人から小さな光が点滅し、轟音と眩しい光が激しい爆風とともに体を襲った。
激しい音と、風。目を霞ませるほどの風と光に頭に血がのぼる。
この程度の野郎どもに憤りさえ感じた。
「チマチマチマチマ、小細工ばかり。本気でうざってぇぞ、テメェら」
煙が晴れる前に
「クソっ」
ベッドの上に座っていたはずの林檎が忽然と姿を消していた。
しくじったと心の中で悪態を着くと追い討ちをかけるように軽快な声がスピーカーから聞こえてくる。腹立たしい口調の男は愉快と言わんばかりに声を弾ませた。
『はーい、林檎さん回収させて頂きましたぁ。DAアラウズの皆さん、足止めよろしくでーす!』
木原相似の一声でホテルの中へ突入するDAアラウズが誉望のもつパソコン経由で確認出来ると、途端にホテルが騒がしくなる。
「一階にもDAアラウズが!」
「ゴキブリみてぇに湧きやがって」
切られた通話に一瞬ムカついて顔を歪めるが、生産性のない怒りに我を忘れる前に別の問題へ意識をシフトさせる。
林檎と天羽がよりにもよって木原に連れてかれた。それが一番の問題だ。
認めたくはないが、林檎が連れていかれたのは垣根の不手際、そこに問題はあれど疑問はない。
一番の疑問は天羽のこと。
連れ去られたのなら05でもなんでも連絡が入るはずなのだ。脳波もリンクしており、通信はできるはず。
彼らに与えた命令は天羽彗糸を危険から遠ざけ、管理し、保護すること。
答えはひとつしか浮かばなかった。
「……あの馬鹿女、自分から行ったな」
「あぁ、天羽彗糸のことですか?」
「その天羽さん?が自分から協力したっていいたいの?まさかそんな、危険だって分かるでしょ」
あの夏の日の一部始終を見ていた誉望はともかく、心理定規は垣根の言葉に目を丸くして否定する。
彼女を知らない人はそういうに決まってる。垣根にだって理解できないのだから。
「アイツは常識から外れてんだよ、俺にだって理解不能だ」
上に立つものとして、彼女を叱らなくてはいけなくなった。面倒事が増えた事実に何度目かも分からないため息をつくと、そのままベッドの上に座り込む。
今日は厄日だろうか。
◇
暗い研究室の中、おびただしい量のコードや電極をつけた少女が壁際に取り付けられた椅子に座っていた。まるで処刑をするための電気椅子のような見た目のそれに座る彼女は小さな寝息を立てる。
人の姿でその少女を眺めるのはカブトムシ05、垣根帝督が造り上げた作り物の生命体。
彼らはマスターの命令通りに目の前の気味悪い少女を監視する。
冷めた目が少女、天羽彗糸を見ていた。無機質なエメラルドの瞳は何を考えているのか読めない。
「保護対象、私はどうしてしまったのでしょうか」
その生き物は、目の前の少女に対し、不思議な感情を抱いていた。
人間とは違う思考パターン。危険な思想だとオリジナルは定義づけており、それは彼らも理解している。彼女を守れと、監視しろと命令されたのが彼ら。
けれど、護衛なのに05は自らの意思で研究室へ行く天羽を無理やり止めなかった。
どうしてなのか、検討もつかない。何故あの場で黙ってしまったのか分からなかった。
「全てが分からないのです、貴女の行動も何もかも」
「わからなくても結構よ」
小さく言葉を零すと、寝ていたはずの天羽がはっきりとした口調で遮った。眠そうな瞳はどこか悲しげに見える。
突然のことに少し驚くが、05は相変わらずの平坦な声で目覚めた彼女に話しかけた。
「起きていたのですか」
「あたしを呼ぶ声がうるさくてね」
「……私は何も言っていませんが」
「アンタじゃなくて、薄汚れた神の声」
「か、神、ですか?」
蚊のような小さな声で呟いた言葉は05には理解不能なものだった。この部屋は二人しかおらず、彼らの声以外だと服の擦れる音と、機械が動く音しかない。
けれど天羽の耳にははっきりと嫌な声が聞こえていた。
電極やコードを伝って送られてくる情報の数々は天羽に変化をもたらす。耳障りな声に悩まされる少女だったが、それを05が知ることは無い。
「あぁ、嫌ね、他人の思考を植え付けられるのは」
「……あの、何の話でしょう?」
じわじわとコードを伝い、電気に乗って取り込まれていく情報は他でもない
三番目の代替品である彼女は
「でも、これでまたあの世界に行けるのね。あたしの勘って結構当たるかも」
「話が噛み合っていないのですが」
「貴方に会える日を楽しみにしてたんだよ、とても、とても」
「……誰に話しているのですか?」
彼らの噛み合わない会話はさらに加速していく。
微睡みながら小さな声で話す天羽に05は眉を顰める。目の前の少女はまるで夢の中にいるようだった。05とは違う、どこにもいない誰かと話しているよう。
彼女の瞳は05を見つめてはいなかった。
彼女に見えていたのはいつかみた夢の続き。真っ白い世界に、深淵のような深い色をもつ何か。
それと答え合わせをするように彼女は言葉を零す。
「天使になれば貴方の言葉がわかると思ったけど、やっぱりあたしは正しかった」
今この瞬間、彼女は
天から堕ちた魂と、一度入れ替わった肉体、植え付けられた神と等しい人の破片。
今の彼女は神に一番近く、世界で一番異質な存在だった。
「結局、コッペリアはあたしだったのね」
大切に造られ、理不尽に壊される。神に愛され、醜く壊れていく彼女は正しくコッペリアだった。
コッペリウスに作られ、壊される可哀想なコッペリア。
再び目を閉じてゆっくりと体を真っ白い世界に預けた。
瞼を閉じるとあの日の痛みが再び脳裏に蘇る。流れ出る鮮烈な赤、視界に広がる眩しい青、涙を零す金の少女と、熱を伝える灰色のアスファルト。
嫌な思い出だった。
彼女は認めたくなかった。
自分が間違っていたことを。愛する妹を不幸にしたことを。
背中の熱を抑えるように、彼女は自分を抱きしめる。
この世界に来たきっかけ、自分が歪んでしまった境目、初めて感じた死の穏やかさ。その全ての
天羽彗糸は、九月上旬に死んだ。それは紛れもない事実。
そしてそれはとてもとても、不幸な事だった。
最後のパートにあるように、次々回からがっつり世界の真相、神様との対談をするつもりです。
30話デジャヴと39話九月上旬をもう一度見ておくといいかもしれません。