垣根くん一切出てきません。とても短いです。
誰もいないお花まみれの白い部屋の中、私は一人座っていた。むせ返るような花の匂いは酷く吐き気を催すものだった。
青い椅子に座って、手鏡で最後まで抜かりなく髪を整える。今日は一週間ぶりにお姉ちゃんに会える日。
まるで初デートに行く乙女のように何度も鏡を見て何回も自分の見た目を確認する。
しかし鏡の中の自分の目元に赤が見えると小さくため息をつく。せっかく会えるのにこれじゃ台無しだ。
お姉ちゃんとお揃いの金髪、お揃いの瞳、違うのは顔と体の造形、身長、あと性格。
お揃いというだけで十分嬉しいが、それでもさらに可愛くありたい。好きな人の前ではいつだって可愛くありたい乙女心。
静かな広い部屋の真ん中、手鏡を制服のポケットにしまってゆっくりと車輪を回した。お姉ちゃんに会えるこの日を何度夢見たことか。
前を向いて、車椅子を走らせるとじわじわと熱さが込み上がっていく。九月中旬だというのに未だ夏のように暑かった。
私には六歳年上のお姉ちゃんが居る。
名前は天羽彗糸。
私の名前とは違ってイマドキで、可愛い名前。歳は二十四で、美人さん。
そんなお姉ちゃんは私が大好きだ。
いつも車椅子を押してくれて、いつも話を聞いてくれて、好きじゃないくせに私がおすすめしたものはきちんと見てくれて、私のために勉強して、私のために留学して、私のために研究する。
そして私の幸せを両親よりも、誰よりも考えてくれる、そんな天使みたいな人。
私のために人生を使っていた馬鹿な人。
中学では私の送り迎え。
高校は留学しやすくて英語も勉強できるミッションスクール。
大学はアメリカにある生物学の権威ある大学に留学。
そして大学院では研究者を訪ね回って。
それらは全て私への愛故の行動だった。
彼女は私へ愛を注ぐ為に人生を棒に振った。
というのも、私は生まれつき足が動かないのだ。
私の下半身の神経は繋がっていない。
一生治らない不治の病。
生まれついての欠陥品。
それでもなお両親もお姉ちゃんも私を愛してくれた。
そしてお姉ちゃんはそれを治すために私が生まれてからずーっと努力を重ねた。
彼女が中学、高校生のころは送り迎えをした後、家に着いたらリハビリを兼ねたマッサージ。
大学と大学院では私の神経を治すための研究。
誰よりも努力を重ねて、誰より私を愛して、誰よりも愛を求めていなかった。
究極の自己犠牲愛。
私の為に生きて、私の為に働いて、私の為に自分を殺す。
お姉ちゃんは頭がかなりおかしかった。
こんな私に尽くして、人生を無駄にする。
お姉ちゃんは私以外興味がない。
私以外の他人を平等に見て、全ての人に等しく愛を与える。特別な感情も何も抱かなかった。
よく言えば八方美人、悪くいえば冷酷。
私にしか特別な感情を抱かなかった。私を助けようともがいて、足掻いて、必死に歩み続ける。
私はそんなお姉ちゃんが大っ嫌いだ。
私を好きだと言っておいて、一人で勝手にアメリカに行ってしまう。
私を愛していると言っておいて、私の幸せを考えない。
私の幸せしか見てないお姉ちゃんなんて大っ嫌いだ。
お姉ちゃんが居れば幸せだと言っても、お姉ちゃんは足を治すのに必死で、私の方なんか見向きもしない。
私のことを第一に考えるくせに私のことは気にしない。
お姉ちゃんが私を愛しているように、私はお姉ちゃんを誰よりも愛していた。
だからこそ、私の幸せを彼女は理解できなかった、彼女の幸せを私は理解できなかった。
お姉ちゃんに幸せになって欲しかった。
大好きなお姉ちゃんに、誰よりも幸せになって欲しかっただけなのに。
私に振り回されるお姉ちゃんが嫌いで嫌いで仕方なかった。
趣味を持って、お友達を沢山作って、彼氏を作って、結婚して、子供を作って。
世間一般で言われる「幸せ」を築いて欲しかった。
私のせいで潰れてしまうくらいなら、私なんて構って欲しくなかった。私のせいで消費されていく人生、それも世界一愛してる人の人生だなんて私には耐えられなかった。
子供には重い責任。人一人の人生を背負うのは十八の自分には潰れてしまうほど重かった。
だからお姉ちゃんの興味を別のものに移そうと考えたのだ。
きっと私より面白くて、興味深いものがあれば、「普通の人」になってくれると。
自分もそうだったように。
私は所謂オタクというもので、アニメ、漫画、ゲームをこよなく愛していた。だからこそ自分は彼女よりも創作物に理解を示して、それがどれほど人の人生に影響を与えるかを知っている。
けれど先程述べたようにお姉ちゃんはとっても忙しい人、中高では受験、大学では研究にレポート。教えたアニメを見てくれるとは思えなかった。
そんな中、転機が訪れた。
大変不謹慎なことだが、ちょっとしたパニックが世界を蝕んだ。
お姉ちゃんはアメリカから帰って来れず、私はお家から出れず。そんなことが起きたのだ。
なので私は好きな作品を選んでお姉ちゃんに送り付けることにした。
その作品は「とある魔術の
第一期から三期の円盤をお姉ちゃんに送った。あとスピンオフの『とある科学の
アメリカの卒業式は六月で、卒業式が延期された今なら見てくれると思ったのだ。とはいえ、延期したせいで増えた課題がわんさかと有ったため、送った時は怒られたが。
でも私が一番好きな作品をお姉ちゃんは観てくれた。
レビューはそこそこで、面白いと言ってくれた。どうやって見たのかは知らないが、他のスピンオフ作品まで観てくれて。
しかも、キャラクターの一人を好きとまで言ったのだ。
私はとっても嬉しかった。
今度こそ、「普通の人」になって「普通の幸せ」を見つけてくれると、本当に思っていた。
しかし、神とは残酷で理不尽なもの。
それを強く感じる出来事がつい一週間前に起きた。
花の匂いが充満する部屋の中、白い棺に車椅子を五月蝿く鳴らして近づく。流行り病のせいでささやかな葬儀になってしまったと派手好きな両親は嘆いていたが、姉と二人きりのこの世界は心地のいいものだった。
棺の中を覗き込む。そこには金色の髪の女性が美しく両の瞼を閉ざしていた。
二〇二〇年、九月上旬。お姉ちゃんはこの世から消え去った。
日本に帰ってきて家に向かってる途中、乗り込んだタクシーにトラックが突っ込んだのだ。
お姉ちゃんは私を庇って死んだ。
車に引き摺られ、ざらざらしたコンクリートに擦られた背中からは太陽の光で輝く鮮血が溢れ出る。腕の肉が裂けて骨が見えていた。あばら骨は肺に突き刺さり、ガラスの破片は喉を切り裂く。
流れ出した生暖かい血液は、私の靴を、体を、顔を汚していく。
痛いはずなのに、お姉ちゃんはいつものように慈愛に満ちた瞳で私を見ていた。
あの日の光景が鮮明に脳裏に浮かぶ。
忘れることなんて出来ない。
とても怖かった。
冷たい体、赤い液体。
死んでいくという事実と、光景にそぐわない優しい瞳がなによりも恐ろしかった。
お姉ちゃんの体の感触が今でも体に染み付いている。
「私が死ねばよかった」
棺の前で、私は言葉を零す。
愛しい姉は私が選んだ白いドレスを着て十字架のしたで眠る。使ったこともないロザリオを握って目を瞑る彼女の肌は修復され、生前と変わらぬ姿で横たわっていた。
死人だというのに、今でもお姉ちゃんは世界で一番美しかった。それが酷く気味が悪い。
唇は震え、熱を持つ目頭からは止めどなく塩辛い水が零れ落ちた。
強く両手を握り、私は祈る。
あぁ、神様、もし、もしも次があるのなら、お姉ちゃんを幸せにしてください。
輪廻転生というものがあるのなら、次のお姉ちゃんの人生を素晴らしいものにしてください。
私に縛られない幸せな人生を送らせて下さい。
世界で一番
これはきっと、穢れた恋。何よりも汚くて、何よりも恐ろしく、一方的で独りよがりな醜い愛の形。
汚い私は何よりも愛しい女性のために祈る。
世界の誰よりも幸せになって欲しいから、恵まれて欲しいから、報われて欲しいから。
◇
そんな人間の祈りは神様の手によって聞き届けられた。
健気な少女を愛していた神様は少女を幸せに導くため救済の糸を垂らす。それが例え地獄の入口になろうとも、少女が幸せになるのならどうでもよかった。
神はただ、一人の少女を幸せにしたかった。