白いLEDが眩く照らす廊下の先、薄っぺらいドアを派手な音を立てて蹴破るとニタニタとした笑みが特徴的な薄気味悪い男と目が合った。
「よぉ」
木原相似と思われる白衣姿のその男に声をかけると、男は変わらず三日月のように笑った。
薄汚い灰色に染めている短い髪に、耳を貫通する複数の黒いピアス。大学生くらいに見える彼は待ってましたと言わんばかりの満面の笑みで垣根を迎える。
起動されたパソコンをいじりながら腹立たしい笑みを携える木原相似の隣には二人の少女。
可愛らしい幼い少女は硬いベッドに寝かせられており、もう片方の早熟した乙女は機械的な車椅子に座って眠りについていた。
字面だけ見れば特に問題は無いだろう。しかし幼い林檎を拘束するネットと、天羽の手足を椅子に固定する鉄の塊、そして彼女らの頭を覆う特殊な装置はどう見たって普通じゃない。
そのヘルメットに刺された多様なコードと体に付けられた電極は、互いのデータを送り合うように繋がっていた。
「どもども、想定よりお早いお越しで。衛星マップの位置やら記録、全部代替したはずなんですけどねぇ?」
「量が少ないが、俺には独自の監視システムがあってな?探すのに苦労はしなかった。部下たちも外で待機させてるぜ?」
二百の兵を使えばこの程度造作もない。
垣根を嵌めるために代替を作り、煙に巻こうとする愚かな科学者を鼻で笑うとあからさまに嫌な顔をした。
怒りを抑えるような笑顔で笑う科学者はそれでもめげずに扇動しようと口元を歪ませる。意味が無いとわかっているはずだと言うのに。
「そうでしたか、しかし遅かったですね、もう全て終わってしまいました。残念ですねぇ、第二位ともあろうお方が、か弱い少女すら満足に守れないとは」
「やっすい挑発だな、誘拐犯の言葉に耳を貸すと思うか?それに俺のペットに手ぇ出すなんて、よっぽどの変態か、死にたがりか。どっちだよ、テメェは?」
「すみませんね、貴方のペットを勝手に改造してしまって!杠林檎と同期し、
使い古されたような挑発を鼻で笑うと木原は更に声を荒らげる。ありもしない所有権を宣言する木原は実に哀れだった。
今だ微動打にしない天羽を呆れたように見つめて残念がると、彼はわざとらしくため息をつく。
まるで天羽に期待しているかのような仕草に少し違和感が残った。
「しかしわかんねぇな、なぜコイツなんだ?こんな爆弾抱えたような女は要らねぇだろ」
彼女の能力は確かに不思議で、かなり怪しい。それでも利用価値があるとは思えなかった。
事実に近い推論として、彼女は原石である可能性がある。それを踏まえれば、七位のように利用価値が低くなるはずだ。
彼女は七位ほど複雑ではない。
どんな演算で、どんな現象を起こしているのかは把握出来る。
けれどどうやって引き起こしているかは分からない。完全なブラックボックス。
そんな爆弾みたいなものを利用するとは思えなかった。
「そりゃあ彼女が
「
そんな疑問に木原は簡潔に答えた。簡潔すぎて意味不明な言葉に思わず眉を顰めると、木原は嘲笑いながら丁寧に説明していく。
「
「……そんな理由で林檎と同期したっつーのか?」
何も知らない事を馬鹿にして木原相似はせせら笑う。腹立たしい笑みに思わず舌打ちをするが、その男から笑みが消えることは無かった。
自分の知らない言葉の羅列は酷く不愉快だった。
彼女が規格外なのは知っている。一番近くで見ていたのは他ならぬ垣根だ。
大事な犬のことならなんだって知っていたいのに、まだまだあの愚かな犬には秘密があるようなのが堪らなく不愉快だ。
「ええ、そうです。
「……っぶは、馬鹿だろお前、あいつが何かにとって変わることはねぇよ。あいつこそがテメェが嫌う唯一無二なんだからな」
至って真面目な話をしているはずなのに木原相似という科学者の話は馬鹿げていて笑ってしまうほど滑稽だった。
あろう事か、あの馬鹿を代替品ごときに使うという発想に思わず腹から笑う。この垣根も、馬鹿な女も、誰かの代替品なんかになり得ない。
「唯一無二、ですか。まぁ出来損ないの失敗作は唯一無二と言えるのでしょう。彼女は今は夢の中。何も聞こえないし、何も見えない。自分の能力で自分の殻に閉じこもる。哀れなことですね!」
「なら起こすだけだ」
天羽を一目見ると、木原は嘲笑う。
未だ眠り続ける彼女は木原からすれば失敗作。科学者が失敗を笑うことに違和感を感じるが、変わらない態度で彼を見下す。
あれを罵っていいのは垣根だけ。
自分だけのもの。
「あれぇ?おかしいなぁ、確かそちらさんも
「悪いが、今探してるのはデータじゃなくて人間でな」
利益が一致してようと、この男となら断固拒否だ。
それでなくても、垣根の目的は彼とは違う。哀れな少女と愚かな乙女を兄として迎えに来たのだ。
木原の言葉を鼻で笑ってやると、彼は更に口角を上げた。
「杠林檎と天羽彗糸ってやつを迎えに来たんだ」
「うへぇ、そんなナリして
ゆらり、少女が立ち上がる。
木原相似が仰々しく、まるで紳士のようにニタニタとした笑みで後ろに下がると、バチバチと引き千切られるような音がした。
何本もの伸びたコードと子供には大きいヘルメットを被った彼女は言葉を発することなく自身の能力で拘束を解いて体を起こす。
「ご所望の方はこちらでっす」
科学者の言葉が霞むほどの轟音が響いた。
猛スピードで突進してきた林檎を展開した翼で力を受け止めると、天井を壊し、外へと舞台を変える。
緑が広がるサッカーフィールドに降り立つと、衝撃で壊れたヘルメットは無惨な姿で芝生に落ち、黒い髪が風に吹かれた。
大小様々な瓦礫を周りに浮かべた林檎の焦点の合わない目と合う。
夜のように黒い瞳は光を失っていた。
光のみが存在する真っ白な空間の中、ふたつの存在が対峙する。
少年が幼い少女を助けようと懸命に頭を使う中、未だ眠り続ける大人びた乙女は再びあの日の夢の続きを見ていた。
白い世界、誰もが手を伸ばす極楽浄土へ彼女は夢を媒介として侵入する。
夢の中の天界へと再び到達した金色の乙女はその背中と頭上に死んだ証を携え何も無い空間に座る。天上の薔薇へ辿り着いてしまった彼女は目の前に鎮座する存在に貼り付けた笑みを見せた。
彼女の目の前にいるのはいつか夢で会ったもの。
男か女か、人か動物か、宝石か汚物か、無機か有機か。彼女の前に佇む全てを凌駕した存在は神であり、この物語の語り手。
黒く光る三角の冠を頭上に掲げた神を前に、乙女は花のような微笑みを貼り付けた。
「貴方の作ったコッペリアは、最後どうなるの?」
微笑を浮かべた彼女の瞳には憎悪と嫌忌が蠢く。神を恐れない淑女は
─天使よ、それは汝次第だ
私が言葉を伝えると、彼女は目に見えて落ち込んだ。愛らしいと思ってしまうが、私は彼女を幸せにしたいだけであり、その表情は望んだものでは無い。
「天使、ね。確かに擬似的な天使ではあるかも」
目を伏せてはだけたシャツの袖を力強く握り締める彼女の背中には、人にはあるはずのないものが生えていた。
それは死んだ者、または神の御使いしか得られない一対の白き翼。
その翼はAIM拡散力場の歪みでも、天界の物質でも、未知の物質でもない。紛れもない本物。因子を、骨格を、筋肉を変えて作り上げられたそれは彼女を守るように広がった。
そして頭上には死者であり御使いである証の丸い輪っか。丸い
その姿に彼女は歯を食いしばり、シャツを掴む手にさらに力を込めた。
「翼に輪っかだなんて、笑っちゃう。05に言ったことがまさか正解だったとは」
彼女は正真正銘の天使だった。
あの日、あの場所で、あの世界で彼女は死んだ。死んだ彼女は天使となる。
「あたしの知識もバカにならないって、垣根くんに自慢できるよ。人は死んだら転生なんてしない、生き返ったりしない、カトリックを名乗るあたしなら尚更ね」
けれどそれは有り得ないことだった。
人は死ぬと天使になるのではない、神の遣いが天使なのだ。
神は彼女の為に救いの糸を垂らした時、新たな世界へ彼女のまま生きてもらうために天使へ変えた。
普通に考えておかしいじゃないか。
普通の人間は異世界なんかに行けない。
人間の魂は彼岸で最後の審判を延々と待ち続けなければいけないのだ。
記憶を保持したまま、姿が同じのまま、何よりも大切な名前が同じまま生き返ることもあってはならない。
それが人間ならば。
神は考えたのだ、どうすれば最愛の乙女を幸せな世界に新たに生かせられるか。
だから神は昔と同じ手法をとった。
グリゴリを天から降ろし、人間を見守る役を与えた時と同じ方法を。
神はたった一人の乙女を幸せにする為に彼女を天使へと仕立てた。
「でも、そのおかげで副産物として不死を得られたと思えば安いものなのかもね」
天使は人ではない。彼女もまた人でない。常世の法則に当てはなまらない体と能力は紛れもない天使の特権だ。
ここは天界、彼女の本来の姿が映し出される。彼女はもう死人であり天使なのだ、天国に戻れば姿が変わる。
彼女は正しく天を羽ばたく天使。名は体を表すとはこういう事だ。
とはいえ、今の彼女は常世の生き物。以前夢であった時と違い、姿が戻ってしまったのはきっかけがあったから。
そのきっかけは三つ。その三つのピースが揃ってしまったのだ。
天に召した魂と天使の体、そして神と等しい人の脳。天使に戻る条件が揃ってしまったのだ。
「ねぇ、この劇は貴方にとって素晴らしいものだった?」
誰も分からない世界の言葉で話す。
私を見る彼女の目は酷く冷酷で悍ましい。
その気味の悪い目は神のお気に入り。赤と緑、悪魔の色と天使の色が混じるその目が好きだった。
─この劇は汝の為に動く。まだ物語は終わらず進む
「……そうだよね、この世界はあたしのための舞台、貴方が作ったただの暇つぶし。貴方が飽きるまで舞台は終わらない」
誰よりも退屈な神は一人の乙女に目をつけた。
正しく狂う異常者を見つけてしまった。
現代において、人は神を愛すか神を信じないかの二択しかない。嫌う人はその存在を信じないからこそ嫌う。愛する人は信じているからこそ愛す。
神という概念を嫌い、愛すのだ。
けれど天羽彗糸という少女は違った。
彼女は神を信じながら嫌った。その存在を認めた上で嫌っていた。
妹の回復を神に祈るのではなく、その体にした神を呪った。
久しく感じていなかった人間からの厭悪に神は昂る。神は健気に科学に縋る乙女を見初めてしまった。
正義を唱え、全てを嫌い、生を捨てた強き科学崇拝者を。
そして彼女が神に縋りやり直しを求めたあの日、それに応えてあげようと、神は救済の糸を垂らした。
「答えてあげようか、この舞台がなんなのか」
ぽつり。乙女の口から言葉が落ちる。
全てを諦めたような素振りで彼女は語り始めた。
「ここは貴方が作った
世界の仕組みは至極在り来りで陳腐なものだった。
この世界は平行世界、交わることの無いはずのふたつが結ばれた。天界によって強引に結ばれた世界は辻褄合わせに奔走される。
話す言葉も、常識も、認識も世界の辻褄合わせによって変えられた。
世界が違うのに、言葉が通じるのが可笑しいのだ。
世界は互いに互換性がないはずなのに、たとえ同じ日本語でも全く違うデータのはずなのにプロトコルが設定されている。
しかしそれを不思議に思うことはなかった。
それもそのはず、不思議に思えないよう世界が辻褄を合わせていたのだ。
そしてその辻褄合わせは世界の外見とキャラクターに大きく影響を及ぼす。
「だから街に外観はアニメそっくりだし、声も同じで、微々たる量の物語の改変が行われている。垣根くんが長点上機に通ってるのもその一貫でしょ?」
世界には世界の秩序とルールと理がある。能力のない世界にいた彼女がいとも簡単に順応し、適応し、フィクションを本物だと受け入れさせたのは他でもない世界による辻褄合わせ。
この世界はフィクションから作られた本物。
違う理に違う歴史。平面の世界は立体となり、嘘が本当になる。
足りない設定を補い、もっとも有り得る仮説を事実にする。その辻褄合わせに彼女の精神も飲み込まれた。
でなければ物語は円滑に進まない。
設定が描かれていないキャラクターが設定を補っているのも、能力を使えることに疑問を持たないのも、フィクションでしか無かったキャラクターを本物と受け入れるのも、全ては円滑に進めるため。
「あたしが掴んだのは救いの糸なんかじゃない。貴方の箱庭で演じるハズレくじを当ててしまっただけ」
ここは神の愛する乙女が生きれるように最適化された世界だった。
「どんなに足掻いても、あたしは貴方に打ち勝つことは出来ないのね」
けれどその事実を彼女は知らない。
世界の真理の奥にある深淵を覗く前に彼女は自己完結してしまう。
「ここは地獄。
勘違いを続けたまま彼女は語る。地獄に落とされたことへの憎しみを込めた乾いた笑顔から生気を感じることは無かった。
「でも、やっと貴方のしたいことがわかった気がする」
ため息をついて目を伏せる。諦めたとでも言うような目付きだった。
「あたしに罰を与えたいのね」
疲れ果てたかのように弱々しい声が静かに口から零れた。
他人に振り回された人生は知らずのうちに彼女へストレスを与えていた。抑圧された己の願望は虚無へと還る。
全てを投げ出したい気持ちを押し殺して彼女は息を吐く。
「
事実、彼女にとってこの世は地獄だった。
妹から切り離され、足掻き続けることしか許されない世界は地獄にしか感じられないだろう。
そして神にとっても、客観的に見れば地獄であることには違いない。
彼女が自分の願いを叶え続ける限り、妹の願いは成就されない。たとえ彼女が幸せでも、妹の願いは叶えられない。
それは世界一愛する妹への裏切りであり、重罪。
しかし、彼女が妹の願いを叶えてしまうと、今度は彼女が不幸になる。
相反する願い。彼女は永遠に幸せになんかなれない。
ダンテの神曲で最も重い罪は「裏切り」。永遠に妹も自分も裏切り続ける彼女には重罪を犯した罪人だ。
永遠に真実の幸福に辿り着くことはないこの世界は確かに地獄と呼べる代物だった。
─違う
けれど、それは私の真意とは違う。
これは神の寵愛。欠陥だらけの人生を歩み、哀れにも死ぬべき人の運命を肩代わりした孤独な一人のベアトリーチェへの愛。
これは紛れもない神の愛だった。
「何が違うの?貴方はあたしを苦しめて、罰を与えたいんでしょ?」
─罰ではない、愛だ
「意味がわからない、愛なんてものを神が人間に与えるはずないじゃない」
妹を殺そうとしたのも、彼女をこの世界に落としたのも、彼女を天使にしたのも、神の愛故のものだった。
しかし神の愛を信じない乙女は確固たる意思で否定する。
「人を幸福にするのは科学よ」
歯を食いしばりながら彼女は唸るように呟いた。真っ直ぐ私を見つめると、声を響かせ自身の姿勢を正す。
神への憎悪だけが今の彼女を突き動かしていた。
「生きれない人には手術を、見えない人には眼鏡を、聞こえない人には補聴器を、喋れない人には人工咽頭を、歩けない人には車椅子を」
彼女が思い浮かべるのは見慣れた青い車椅子。私が殺そうとした妹を天羽彗糸という乙女は変わらず愛していた。
悔しげな表情をする彼女は私の見たいものとは程遠い。
「全ては人の情動から生まれた科学のおかげ。誰かが犠牲になるかもしれないけど、それ以上の人間が救われる」
解せない。
自分だけの人生を妹に捧げることを止めさせたかった。
だから神に抗う不幸な乙女を幸せにする為に妹を亡き者にしようとした。神はただ哀れな乙女を妹という束縛から解放してあげたかっただけなのだ。
神を呪う姿を愛していたのに、いつしか彼女の幸せを願ってしまった。
在り来りな幸せを掴む彼女が見たかった。
しかし神の願いは聞き届けられない。
力強く私を睨む乙女からは幸せを受け入れる姿勢は感じられなかった。
「科学とは神の理不尽に抗う人間しか持たないすべ。人間を幸せに出来るのは人間だけ、間違っても貴方じゃないのよ」
─けれど、この感情は確かに愛である
「愛がなんだってのよ、アンタは好きだからこんなにもあたしを苦しめているの?」
悲痛な叫びが魂から吐き出された。
怒りに悲しみ、後悔に未練、罪悪感と喪失感、無力感と絶望が彼女の体を強ばらせ、震えさせる。
「あたし、まだ生きていたかった。確かに願ったよ、チャンスが欲しいと。けどね、そもそもアンタが理不尽を与えなければあの子も幸せだった、あたしも死ななかった」
幼い子供のように彼女は自らの体を抱くと声を振るえさせ、呟いた。
懺悔のような言葉は私の心を酷く掻き乱した。
「まだまだやりたいこと、あったのに」
徐々に俯いていく彼女の頬に一粒の水が伝う。
私のしたことは、結局彼女を幸せにすることは無かったのだ。前世への未練、痛み、後悔が彼女を襲う。十五歳の彼女には酷く重い感情だった。
「ちゃんと死んどけばよかった、願わなければよかった、祈らなければよかった」
─愛しい乙女、後悔しているか
「そりゃあそうだよ、あの子のいる世界に帰りたいよ、死にたくなかったよ」
後悔に苛まれ、身動きが取れない彼女の言葉は口にするにつれ段々と弱くなり、砂のようにさらさらと消えていく。
それでも乙女は上を向いて、涙を袖で拭った。
「でも、今のあたしにはやるべきことがある」
挑発的な笑みを浮かべた彼女はまさに私が見初めた強さを持っている。運命にも神にも噛み付くその傲慢さと強さは私を更に昂奮させる。
頭上に輝く丸い
「貴方の理不尽を
竜のような鋭い瞳が私を写すと彼女は神を蹴落とすかの如く低い声を何も無い世界に力強く木霊させる。
神を恐れないその慄然とした様が好きだった。
「この名に相応しい生き様を貴方の目に焼き付けてみせる」
運命を覆そうと死ぬ前も生きた後も足掻き続ける彼女の最果てには何が残るのだろうか。
その愚かな最後を極彩色の幸せで彩りたかった。
彼女の妹を殺そうとしたこと、それを最愛の乙女が庇ってしまったこと、悲しみにくれる神に乙女が縋ってしまったこと、愛に応えようと世界を用意してしまったこと、今となっては何が過ちだったのかは分からない。
けれど、一つだけ言えるのは全て起こるべくして起こったのだ。
「神よ、貴方に多くの不幸が訪れんことを」
両手を強く握り、唾棄を込めて彼女は祈る。世界一嫌いな神への
─乙女よ、汝に多くの幸福が訪れんことを
それに答えるように私は言葉を下す。真似るように呟いた
白が黒に塗りつぶされていく。
祈りながら天から落ちる少女を最後に世界は幕を下ろした。
月が見下ろす夜の下、凄まじい音と風が体を通り抜ける。
雨のように降り注ぐ瓦礫を翼で弾いて身を守るが、想定を超えたスピードと強さは羽では威力を殺しきれずに体はじわじわと押す。
びりびりと肌を焼くような威力に眉間に皺を寄せると、一気に後ろに飛び去った。様子を見ながら戦略を立てなければならないと感じさせる程の威力だった。
「いやぁ〜理論通りでもやっぱり生で見ると迫力が違う!」
薄い紫のキャミソールワンピースを大きくはためかせながら呆然と立つ林檎の後ろから拍手が空に響く。
ブツブツと小さな声で気味悪く言葉を繰り返すDAアラウズに守られながら木原相似はフィールドへ立つと声を弾ませる。腹立たしい声と取り囲む男どもは異様な雰囲気に包まれており、気味が悪い。
「数多さんもこんな気持ちだったんですかねぇ」
そうやって笑う彼の隣には自動制御の車椅子に乗せられた天羽彗糸が顔色を悪くしながら座っていた。
ヘルメットを取られ、林檎と繋がるコードも無くなったはずなのに彼女はまるで苦痛の中にいるかのように力強く目を閉じる。
「あっ!でもでも、実際の超能力者相手に実証実験出来る自分の方が気分は上かも?」
彼の笑みが堪らなく不愉快で、堪らずに背中の六枚の翼のひとつでその腹を切り裂いてやろうと力を奮う。
人にしか作用しない物質で出来た翼を笑う男に刺そうと広げるが、それが木原相似に届くことは無かった。
「うわー、人体にだけ刺さる物質での攻撃ですか、エゲツねぇ〜」
相変わらずのにやけ顔で彼は笑う。翼によって傷つけられたのは彼を守るように直線上にいた一人の人間。
「まぁ、人の肉を
木原相似と垣根の間を割って座る天羽の腹から鮮やかな色の赤い液体が溢れ出る。
翼で刺した黄色いシャツを滲ませ、ショートパンツの白いデニム生地を汚す。血液は足を伝って足の先の緑の爪から床にぽたりと落ちた。
金と桃色の髪、銀と黒の車椅子、黄色のシャツはボタンが外れ、色気のない白い下着が見えている。
靴を履いてない足の爪先に塗られた緑、紫の空、そして流れ出る鮮血。
彼女は青以外の全ての色を持っていた。
「野郎……」
「敵の頭を潰す、セオリー通り過ぎて陳腐ですけど試さずには居られないですよねぇ」
口元で三日月を描く木原は車椅子に腕を乗せて蔑むような視線を向けた。
未だ夢を見て眠り続ける天羽の髪を掴むと、その男はほくそ笑む。更に顔を苦痛で歪める天羽を気にもせず、彼は話し続けた。
「まぁ、その攻撃は届かずに貴方が唯一気にかける女性に当たってしまったわけですが!」
腹の底から馬鹿にするような剽軽な態度はまるで蛇のよう。
腹立たしい言葉は延々と続く。悦に入ったように、調子に乗った男は口を止めることなく彼女を罵倒した。
髪から手を離し、ぐったりとする天羽のシャツをボタンがちぎれる程の力で引っ張ると木原は蛇のような薄気味悪い目で垣根を蔑むように見た。
「本当に哀れな女性ですね!性格上断れず、かと言って中途半端に頭がいいから罠とわかってしまう。力もないのに自ら進んで罠に嵌るなんて、本当にどうしようもない人!」
モルモットの手入れの仕方を知らない男は更に乱暴な手つきで天羽の襟を握る。
車椅子の背もたれに寄りかかり馬鹿にするような態度を続けるが、間髪入れずに呟かれた低い声によって妨げられた。
「どうしようもねぇのはテメェだろ」
それは低く、けれど高い、まるで気高い竜を彷彿とさせる女の声。
分類されるならアルトにあたる声は他ならぬ天羽のものだった。
自暴自棄になったかのように言葉を吐き捨てると、彼女は閉じていた目を薄く開いて眉を顰める。
なりふり構わず声を荒らげた彼女は確かに自暴自棄に見えたが、同時に憑き物が落ちたように生き生きとしているようにも見えた。
素早く椅子の肘置きに固定されていた腕を鉄の塊から己の腕力で解放させるとバキッと嫌な音が響き渡り、その勢いで木原の顔に自分の頭を鈍い音がするほどの力でぶつけた。
衝撃に耐えきれずフラフラと後ろによろめく木原だったが、天羽はそれに見向きもせずに足の甲を固定していた拘束具を強引に壊す。
軽やかな足取りで彼女は椅子の上に立ち上がった彼女の腹部からは一滴も血液が零れていない。
あまりにも突然な出来事にこの場にいる全てが固まる。洗脳されているDAアラウズにとってもそれは言葉を失わせ、戦意を喪失させる程のものだった。
それは彼女が起きた事でも、拘束から抜け出した事でも、木原を傷つけたことにでも無い。
天羽彗糸の異様な姿に全てが息を呑んだ。
「あーら、何口開けてんの?感動の涙くらい流してよ」
ボタンを失った為に彼女の肩を剥き出しにし、手を覆う光沢のある黄色いシャツは傷口の塞がった腹部の鮮血と共にあるものを顕にした。
「せっかく天使様が降臨してるんだから」
それは真っ白な一対の翼。
垣根とは違う、肩から
彼女は聖なる淑女だった。
これ以降はそんなに神様しゃしゃり出てきません。伏線っぽいものは回収できたんじゃないかな。
それはさておき投稿日が例の日ですね。
けれど観測しなければ今日は10月9日じゃないと思います。
10月9日かもしれないし、違うかもしれません。カレンダーを確認しなければ作者にとっては10月n日です。