「それで、根性にうるさい削板くんはどうしてお昼も食べずにあたしたちに突っかかって来たわけ?」
垣根を置いて逃げた後、ひと気のないベンチに甘いリンゴジュース片手に座ると、隣で何が起こっているのかわからないような顔をする少年に話しかけた。
ツンツンと尖った黒髪に、白い鉢巻と肩に掛けた赤いジャージと、昭和に取り残されたような典型的な熱血少年は、この学園都市に七人しかいない
知らないとはいえ第二位に喧嘩を売った彼をそのまま放って置くこともできず、とりあえず買ってきた炭酸水を手渡して、自分の手元のペットボトルの蓋を開けた。
「そりゃ嬢ちゃんが酷い目に遭ってるのを見過ごせるわけねぇだろ」
「そこはいいんだよ。問題はあそこの区画がご飯食べるところがなくて、今の時間はほとんど人がいないはずなのに、アンタみたいなレアものが歩いてたかってこと」
もうすでにお昼ご飯の時間、彼なら一ヶ月くらい食べ物を食べなくても根性とやらで普通に生きてそうではあるが、それでも食べ盛りの少年がスポーツの祭典だというのにお昼に行っていないのが気にかかっていた。
それに彼は
「あー、実は探してる奴がいてな、一人が好きそうな奴だからひと気のないとこにいるんじゃないかと思って、色々回ってたんだよ」
「探し人ねぇ……探すの協力してあげてもいいよ、満足してくれるなら」
「いや、大丈夫だ。連絡つかねぇから探してただけだからな」
犬の様なひと懐っこい笑みを浮かべて彼はありがとうと言って手元のペットボトルを開けた。
カシュッと弾ける様な音を立てて蓋を外し、炭酸水を一気にあおる。息をついて空を見上げる彼の言い分からは特に嘘や誤魔化しは感じられない。
どうやら疑心暗鬼になり過ぎていたようで、少し罪悪感を感じると両手で握っていたりんごジュースに口を付けた。
「連絡つかないなら心配じゃないの?監視カメラから追ってあげてもいいけど?」
「心配はしてねぇよ、そいつも根性ある嬢ちゃんだしな。なんつったって、俺と同じ
言葉と同時に口に含んだりんごジュースは彼の発言によって食道とは別の場所に流れ込む。
彼の言葉はそれほどまでに衝撃的な言葉だった。
「っゲホ、ごほ、レ、
「俺が知ってる
最後の一文に狼狽え、ゲホゲホと咳を繰り返す天羽が落ち着くのを待って話を続ける。
一人しか知らない
「……根性ある嬢ちゃん、ね」
それは
学園都市に七人しかいない超能力者の一人、序列六位。
『
本名、藍花悦。
◇
服を通り抜ける冷たい風を感じながら綺麗に舗装された道を歩く。雨が降りそうな桃色の朝焼けと馴染まない藍色の中華服は厚い素材で作ったとはいえ、二月の寒さには少し心許ない。
自分の思うチャイナ服を現代的なジャージのようにして前世以来に触るミシンで必死に使った手作りの服だが、上に被るだけの楽チン設計にした代償は大きい。
採寸を間違えた少しだけ大きい上着はまだまだ改良の余地がありそうだ。
緑色のスマートフォンを片手で操作する手はほんのりと赤く色づいて、溢れる吐息は白い。
「今日は風が強いな」
乱雑に切られた踝まで届く黒髪は冷たい風に吹かれ、左目を隠す長い前髪とともに大きく揺れる。
目的地はすぐそこだというのに、髪が鬱陶しく中々前に進む気が起きない。
それでも大きくため息をついて歩き出すと、マンションに囲まれた変哲も無い公園へたどり着く。
風が強い日だからなのか、朝早い時間なのかは分からないが、普通なら歩いているはずの住人は一切見当たらず、代わりに腕立て伏せをする少年を見つけるとすぐさま声をかけた。
「初めまして第七位さん」
「あ?」
「ぼく、藍花悦って言います」
硬い地面に手を当て、腕立て伏せをしていた昭和の番長の様な出で立ちの少年は突然話しかけられたことに驚き手を止めた。
笑ってしまうほど長い黒髪に、左目を隠す前髪、この世界ではあまり見ない中華服を着た中性的な人間に話しかけられたら誰だって一瞬脳みそが固まるだろう。
わざわざ変装してまで会いにきた人物、七番目の超能力者、削板軍覇は反復する様に
「藍……?」
「君の一つ上、第六位……っていえば分かりますかね?君に話が──」
「勝負か!」
笑みを浮かべ自分の身分を告げると、彼は途端に目を輝かせて声をあげる。思っても見なかった単語に話を遮られると、困惑する天羽をおいて彼はベラベラと嬉しげに頷いた。
「……へ?」
「いやぁ、流石に同じ
「え?あ、あの、話があるってだけで……」
「ここじゃなんだな……よし、あっちの河原まで走るぞ!」
「えっ、ちょっ、ちょっと!」
嬉しそうな顔にたじろいで返す言葉を引っ込めてしまったのが悪かった。何を言っているのか理解が追いつかないうちに、話は思わぬ方向へと進む。
太く、力強い手に腕を掴まれると、肌を痛めつけそうな冷たい空気を目にも留まらぬ速さで走り出す。そこから逃れるほどの力を
川から流れる風が水の匂いを乗せて体を通り抜ける。冬の真っ只中、夏頃は豊かな緑が目を奪う河川敷は霜が降りて、雲行きが怪しい空も合わさりどんよりとした空気に包まれていた。
「はぁ、はぁっ、なんでっ、ぼくがっ、っは」
「息切れか?根性ねぇな」
「根性じゃなくて、っ体力の、もんだいっ!」
息を切らしてしゃがみこむと呆れた様に削板は藍花を見下ろす。自分の体の使い方を未だ理解しきれていない彼女は、もともとの身体能力の高さを強化する程度しか出来ていない。
あまりに速いスピードについてこれただけ、まだマシだ。
「仕方ない、勝負の前にその根性鍛えてやる!」
「いや、あの、あた、ぼくはそんなこと望んでない……」
第六位としてきたのが悪手だった。初めて見るお仲間にテンションがおかしくなっているのは明白だ。
本来の目的、藍花悦に接触すると思われる某スキルアウトの情報を聞く前に面倒なことになってしまったのは一目瞭然、運が悪いとしか言えない。
やっと息が整ってきたというのに、彼は藍花のことなんか気にも留めずにぐっと地面をスニーカーで踏み込む。
パチパチと霜柱が足元で割れる音が冷えた空気にこだました。
「根性入れろよ!行くぜ!」
「へっ!?だから、話聞いてっ!??」
大きく息を吸うと、彼は拳を握りしめ腕を引いた。人の話を聞く姿勢ではないことを悟ると、急いで演算を開始する。
アスリートも試合に使って度々逮捕されるドーピング剤を体の中で再現すれば、多少は彼の技についていけるはずだ。
「すごい……パァ───ンチ!!!」
まさか決闘が禁止された現代で喧嘩を、しかも河川敷ですることになるとは思いもしなかった。
地面を力任せに蹴り大きく体を反らして彼の攻撃を避けると、その動作に喜んで彼は再び構えに入る。おそらく楽しそうにしているのは藍花が第六位で、彼は一度も他の超能力者と会ったことがないから。
推測の域を出ないが。
「おっ、気合い入ったか?」
「っこれでも、六番目ですから、これくらいは出来ないと……!」
「なら、もう一発!すっごいパンチ!!!」
間一髪で一撃目を避けたばかりだというのに、彼は構わず追撃を放つ。強い衝撃波は容赦なく藍花を襲い、長い髪を乱して体を吹き飛ばす。
決して軽くないはずなのに、体は宙に浮き、受け身が取れないまま鈍い音ともに近くの岩に額をぶつけた。
「ぴっぁ!あぐっ、」
「しまった、やりすぎたかっ!悪い!」
ずっと昔に感じたことのある衝撃が、懐かしい痛みとともに迫り上がる。まるで釘を打ち込んだかのような酷い痛みに下唇を噛む。
手で額を触ると真っ赤な血が白い肌を汚した。流れる血は、空から降ってきた一滴の水と合わさって土に染み込んでいく。
痛みは嫌いだ。だってあの日の無様な己を思い出すから。
「はぁ、っは、こういう時、痛覚は消しておくべき、ですかね」
痛みなんて感じたくない。
衝撃波で巻き上がった煙の中、額の血を藍色の袖で拭って血の染み込んだ地面に立つ。額の傷はもうなくなっていた。
「っ!それがお前の能力か!すげぇなお前!根性あるじゃねぇか!さすが
「根性、ね。そもそもぼくの能力は戦闘に向いていないんです。だからほら、身を守ろうとしても肉は裂けてしまう。永遠の肉体を使って持久戦に持ち込むしかない、不出来な体。貴方には到底叶いませんよ」
「……それはただの言い訳に過ぎねぇな、第六位。」
ぽつり、ぽつりと小さな透明の水滴が地面に弾ける。徐々に強まる雨が濡れ烏の髪をさらに鮮やかな黒に染め上げ、重さを増した。
朝焼けの桃色の空は雨雲に覆われ、天から水を零す。張り付いた長い前髪が気持ち悪い。
「はい?何を知っているのか知りませんが、ぼくは事実を話しています。貴方に説教をされる筋合いはありません」
「しかも短気ときたか、根性ねぇな!
「あのですね、短気ではありませんし、今も怒ってるわけじゃありませんよ?情けないのは勝手に解釈して御高説垂れる貴方ではありませんか」
彼女が短気だなんて笑わせる。
こっちには何十年も六歳下の妹の我儘やイタズラを怒りもせず育て上げた実績があるし、ずっと彼女を叱ってきた身なのだ。バカにされた程度で彼女が怒るわけない。
そもそも彼女が削板軍覇に近づいたのは全然現れない藍花悦の協力者を探すためであり、こんなふざけた格好の男にとやかく説教されるためではない。
強く歯を食いしばると、彼はその考えを見透かしたように口を尖らせる。
「ほら、怒ってるじゃねぇか」
「怒っていません。もし怒っていると思うのなら、貴方が怒らせることを言っている自覚があるということになりますね」
「屁理屈だな、それが苛立ってる証拠だ」
冷たい雨粒が頬を伝い、唇を濡らす。服は体に張り付き、靴も水を吸い込んで気持ち悪い。雨を全て弾ければどれほどいいか。
雨は嫌いだ。
天の水、神様の恵み。妹は恵まれなかったのに、みんなして神を持ち上げる。
冷たい水がまるで彼女を嘲笑うように頭上に降り注ぎ、髪を、肌を、服を惨めな姿へ変貌させた。
「いいか第六位、お前にはお前にしか出来ないことがある。
「……五月蝿い人ですね、言いたいことはそれだけですか?」
「お前がそんな認識じゃ、お前はこっから先なんも成し遂げられねぇぞ」
まるで全てを理解したかのように第七位は鋭い眼光で藍花の瞳を射抜く。正しいと言わんばかりに堂々とした言葉に彼女の擦り切れていた理性が失われた。
━━いつも次点にすらならないあたしを、出来ない子とでも言いたいの?
「ッ黙れ!」
いい加減、黙らせたかった。
「っ!?体、がっ!」
「……?止まった……?」
本能のまま叫んだ演算は触れてもいないのに第七位の体を縛り付ける。生まれて初めて心から叫んだ自分の大声と、初めて知った自分の可能性にふにゃふにゃとその場に座り込んだ。
もしかして、触れなくても操作できるのか?
一種の興奮状態に陥ると、そればかりが頭を埋め尽くす。
━━あたし、もしかして、出来る子なんじゃないか、可哀想な子じゃないんじゃないか。
興奮が心臓をかき乱した。
「よくわからんが、うぉぉ!!根性ぉぉぉぉ!!」
瞬間、パキンと何かが割れる音がした。
その興奮を大きな声とガラスが割れるような音が鎮める。目を見開いて驚く彼に体が強張り、また襲ってくるであろう衝撃波にぎゅっと目を瞑るがそれは一向にこなかった。
「この体が動かなくなる感覚……今のはお前がやったのか?」
「た、たぶん?」
何も起こらないことに不思議がり、恐る恐る目を開けるとそこには衝撃波の代わりに、心の底から笑う少年の笑顔があった。
自分が惨めに見えるほど眩しい笑顔は酷く腹立たしい。見下ろされる感覚と、邪気のない笑みに複雑な思いが混ざる。
藍花より背の低い男の、子供を相手にするような笑みは神経を逆なでするだけだった。
「な、俺の言った通りだったろ、嬢ちゃん!」
「別にアンタに言われたからじゃ……って
「あっ、悪ぃ、名前聴き逃しちまって……」
しかしそんな感情よりも彼の一言に動揺してしまう。へたりこむ藍花に差し出した彼の顔をまじまじと見て、震える声で濡れた藍色の服越しに自分の肩を掴んだ。
彼は藍花を『嬢ちゃん』と呼んだ。藍花を女性だと認識したのだ。
藍花悦が女だと見破られたことが更に恐怖を煽る。
弱い生き物だと思われたくないと、ちっぽけなプライドが主張していた。
「いや、あの、ぼくのこと女って、どうして?」
「ん?あぁ、手が女って感じだし、他にも走り方とか、避け方、防御とかでなんとなくな。最初は女なのか、女みたいな男なのかイマイチ分からなかったが」
少し悩むそぶりをして答えた彼の言葉にぎゅっと胃が縮小する。
確かに、体の線を隠しても手を隠さなきゃ意味がない。それに女と男の骨格や筋肉の違いは運動能力にも、その仕草にも現れるのだ、見た目だけでは誤魔化しきれない。
思わぬ形で勉強になってしまった。服も改良して、これからは拳銃など男女差の表れない武器を使った方がいいだろう。
こんな簡単なこともわからなかった自分が憎たらしい。
「能力に関わらず、やっぱり男女差はデメリットか……やっぱり男には勝てないのかな。力及ばずで誰も助けられないのは嫌なのに」
下を向いて細い両手を握りしめる。力一杯握った手は垂れた黒い髪のせいか、いつもより白くみえた。
確かに、彼のいう通り、女らしい細く白い手だ。
服を捲れば女だとすぐにわかる凹凸のくっきりした体つき。大きな服で隠しただけの体の線はじっくりとみれば女だとわかるだろう。
もっと服は硬い生地にしよう。袖はもっと、いや、実用性がないほど長くしよう。
じゃないと弱いって思われてしまう。
可哀想な子だと思われてしまう。
ただの群衆の一人になってしまう。
それが堪らなく怖かった。
嫌な考えが頭から離れない。
「聞き捨てならねぇな。男か女かじゃねぇ、大切なのは根性だ。誰かの為に体を張るその根性は男女なんか関係ねぇよ、だからあんまし思い詰めんな」
とん。
頭に何かが触れた。それはほんのり暖かく、骨張っていて、筋肉質な彼の手。
爪が食い込むほど握っていた手が開く。
「……そうだよね、うん、そうだよ」
自分が傷ついて、盾になって、命を賭ければそれでいい。
大嫌いな痛みも消せばいい、傷は塞いでしまえばいい。死でさえ、彼女には意味をなさない。
死なんて、彼女には関係ないのだから。
「ありがとう、削板くん。なにか答えが見えた気がしたよ」
「ん?俺は何もしてないぞ?」
子供のように撫でる手を無理やり振り払うと顔を上げて笑う。この世界をもっと理解できたような気がした。
なんの知識のない藍花でも生き残れる、この世界での生き方を教えた彼に感謝を込めて黒い瞳で優しく彼に微笑んだ。
「まぁ、君はそんなこと言いそうだよね」
結局目的も果たせず、横須賀という男につながる収穫はなかったけれど、それでも何かを学べた。
それはきっとこれから先、彼女の糧になる。
雨はもう止んでいた。
◇
彼との出会いがもともと外れかかっていた
垣根と出会う前に彼に出会えていて良かった。でなければ垣根への愛はいまよりも薄く、きっと何も出来ずじまいだっただろうから。
それでも今も人を殴ることが怖くて戸惑い、臆している。
「根性なんて、あるのかな」
「ん?なんか言ったか?」
「別に。それよりさ、アンタ根性無しに喝を入れるみたいなこと言ってたけど、それって具体的になんなの?」
「そりゃあ拳と拳の語り合いだろ。それをしなきゃ分からねぇ奴もいるからな」
ぽつりと呟いた言葉は彼の耳には届かなかった。適当に誤魔化しながら笑うと、彼は気にすることもなくペットボトルに口を付ける。
渡した炭酸水はもうすでに空に近い。
対して天羽が手にしたりんごジュースは未だ半分以上残っており、ぬるい温度の水滴が手を伝う。
彼なら、天羽の欲しい言葉をくれるかもしれない。
形が変わらない程度にペットボトルを強く握り、彼の目を見る。期待と罪悪感を膨らませて、彼に問いかけた。
━━教えて欲しい。
「なら、好きな人の幸せを邪魔する人がいたらあたしはその人を殴ればいいの?」
━━あたしは、オリアナ=トムソンにどうやってこの想いを知らしめてやればいい?
「はぁー?なんだその根性のない意地悪な野郎は。いじめられてんのか?」
「違うよ。ほら、早く答えて?」
未知の能力を使い、垣根とは違った信念を貫く削板軍覇。
━━あたしの感情を第七位ならなんて答える?
天羽を知らない彼がどう答えるのか、彼女の欲しい言葉を言ってくれるのだろうか。ドキドキと胸が高まる。
初めて会った時の様に、彼女にこの世界の生き方を教えて欲しい。それは闇にいる垣根はきっと教えてくれないから。
「そうだな……よく分かんねぇが、根性無しなら叩き直すに決まってる!一発喝入れてやるしかねぇな!」
「じゃあさ、あたしの幸せを馬鹿にして、あたしの願いを罵って、あたしの愛を蔑む女にあたしはどう応えればいいと思う?」
「なんか難しいこと考えてるな、嬢ちゃん」
眉を顰めて腕を組むと、彼は少し唸りながら首を捻る。しかしすぐに分かった様な顔をして天羽の頭に手を乗せると、優しく微笑みかけた。
大きく、ゴツゴツとした男の手。
「うーん、そうだな……お前を馬鹿にするような根性無しなんか、根性入れ直してやれ。そんでキッパリ怒るのをやめる。それでいいんじゃねぇか?」
「……そうだよね、うん、そうだよ。アンタはそんなこと言いそうだよね」
彼の手を振り払い、ありがとうと簡潔に伝えると彼は少し驚いてとびきりの笑顔を見せた。
それに同じような笑顔を返すと、ゆっくり頭の中で彼の言葉を噛み砕いていく。
幸せを塗り替えて、
彼の脅威になるのなら、どんな手段を用いても、どんな結果になろうと辞めさせる。そして、拳を交えて天羽の感情を沈めさせる。
実に個人的で、実に正義感ある理由であの女を殴る。
大義名分を、手に入れた。手に入れてしまった。
「ありがとう、削板くん。なにか答えが見えた気がしたよ」
やはり彼は安全装置を壊してくれた。
もう迷わない。あの善人どもには頼らない。
彼女は彼女の力でこの美しい愛を認めさせなきゃいけないのだ。それは天羽にしか出来ないこと。
そのためには手段なんか選んでいられない。
「なら良かった。じゃあ、俺はもう行くぜ。
「あーはいはい、いつかね」
スマホから電話をかけようと目を離すと、削板はベンチから立ち上がりその場を去った。
赤いジャージを翻しどこかへ走って行く彼はすぐに小さくなり、見えなくなる。きっとお腹が空いているのだろう。
その姿を見送ると、再びスマートフォンに視線を移し、りんごジュースを口に含んだ。
「……
人工的な甘さが喉を通る。
彼の言葉の真意に気がついたのはもう少し後になってからだった。
前世では普通の子の皮を被った頭おかしい人だったのに、この世界ではただの頭のおかしい人になった理由でした。
前世より闇が深い世界だとセーフティーもくそもないのでさらにハッチャケてしまった天羽さん。
まともになる日は来るのか。来なさそう。