事の発端は昨日のお昼だった。
「これはどういうことかしら?」
うだる暑さの中、ノースリーブの体操服姿で地面に寝そべる少女の隣に跪く男に聞くと、彼はため息をつく。
茶色い髪を汚い地面に広げて呼吸するその少女は、嫌いな同級生、御坂美琴にそっくりだった。
あろうことか、人のいない工事現場の隅で、大嫌いな第三位のクローンを見つけてしまった。
しかも、息苦しく倒れ伏した姿で。
本当に、厄介なことになったと今なら思う。
「軍用のナノデバイスにやられたように見えますネ。電気系の能力が干渉している恐れがあるので、ワクチンソフトだけで完治するかどうカ」
少女の容態を確認すると、男は膝をついたまま食蜂を見上げる。雇った男は優秀で、インフルエンザによく似た症状を一眼見ただけで症状に当たりをつけた。
さすが、警備強化専門の
「しかし、それでも彼女を回収すべきかト。この自体は我々にとってチャンスと言えます。どういう形であれ、あちらの先手を取れるわけですかラ」
「命に関わる時は、御坂さんに白旗あげるわよ?」
クローンの姉、同じ学校に通うイケ好かない貧乳のことを思い出すと、げんなりと肩を落とす。
御坂美琴、学園都市一の電気系統能力者。自分の持つ精神干渉能力が効かない彼女を相手にするのは些か分が悪かった。
「ふむ、ならばあの少女の手を借りるのは如何でしょウ?ナノデバイスを制御するのは無理かもしれませんが、彼女なら一定の生命活動を保てるかもしれませン」
「誰よそれ、そんな人いるの?」
「白衣の天使様と呼ばれてるお人好し、と表向きはなってますネ」
たまたまとはいえ知ってしまったクローンの実態。簡単に死んでしまう彼女らの命を気にしてため息をつくと、カイツは考えがあるようで、ある少女を話題にあげた。
「あー、第七学区の名物看護師のこと?名前は確か、天羽彗糸、だったかしら」
その少女に対して心当たりはあった。特に動向を追っていたわけではないが、部下の一人、帆風と似たような能力だったため興味本位で調べていたことがあった。
確かに彼女なら外傷なら治してくれるかもしれない。けれど彼女が自分の中で真っ先に出てこなかったのは、能力について知っていたからだ。
データ上では、中身までは治らないと記載されていた。皮膚や骨の外傷や内臓の物理的な損傷は治せても、病までは治せない。それが彼女の能力だった。
それを踏まえると、熱を出して苦しそうに気絶するクローンに彼女は役不足でしかない。
「それは表の名前でス」
「表?」
「彼女の本名は藍花悦、ご存知ありませんカ?」
完璧に名前を当てたはずだというのに、カイツは全く違う名前をあげる。その名前は、想像からかけ離れていたものだった。
「藍……それって第六位じゃない!??」
「そうですヨ、知ってる人はごく僅かですけド」
藍花悦。
青がよく似合うと噂されるにも関わらず、性別、年齢、容姿、在籍校、能力、その他プライバシーが一切明らかになっていない謎に満ちたその人の名前に動揺する。
都市伝説に近しい人物の名に、驚きが隠せなかった。
「な、なぁーんで貴方が知ってるのよぉ」
「前の職場で彼女について報告がなされましてネ。独自で調べてたのでス」
「ふーん……でも、名前しか公表されてないワケありの人間なんて、頼りたくはないのだけど?」
動揺しながらも、名前しか知らなかった人物について考えを巡らせる。
情報がほとんどない幻のような存在をわざわざ呼びつけ手駒にするのは少なからずリスクがあった。
「彼女は言葉通り不死身ですし、乱雑に扱っても多少のことでは壊れませン。それに情に弱く、貴方の思惑を正直に話せば快く快諾してくれますヨ」
「そんな人頼らなくても大丈夫よ」
不死身という言葉にほんの少しだけ興味が湧いたものの、食蜂が導き出した結論はシンプルだった。
触らぬ神に祟りなしとも言うように、謎に包まれた人をわざわざこの件に巻き込むのは悪手だと結論付けた。
「私が彼女を知ったのは前の職場と言いましたが、どうしてか分かりますカ?」
「はい?前職って
「彼女はクローンの生みの親、だから前の職場で話に上がったのですヨ」
しかし、カイツの言った新しい情報に心が揺らぐ。
クローンの生みの親と言われてしまえば仕方がない。
「……ちょっと
しかし、管理をするにしても、第六位なんぞに直接会いたくなかった。能力が分かっていない人間に丸腰で接することもそうだが、黒幕に第六位と接触したことを知られるわけにもいかないというのが理由だ。
それに正直にいえば、名前と雇った男越しでしか存在を確認できない人と顔を会わせるのが億劫だった。
「とりあえず救急車呼んでちょうだい?適当に精神操作して途中まで運んでもらうから」
ため息をついて救急車に電話する男の声を聞きながら空を眺める。工事現場の鉄骨で狭まった青い空には、忌々しいほど輝く太陽しか見当たらなかった。
「ん?彼女の猫でしょうカ?」
通話を切った頃、カイツは近寄ってきた黒猫を見て呟いた。成熟し切っていない、まだ子供の黒猫は、手招きした彼に小さく威嚇をした後すぐに走り去る。
身を潜めて威嚇し続ける猫の鳴き声が絶え間無く聞こえていた。
「ありゃりゃ」
「首輪してないし、野良じゃないのー?どっちにしろ今は構ってる暇ないしぃ?ほっときなさい」
「そうですネ」
「それで?『Auribus oculi fideliores sunt』はどうなってるのかしら」
「あの都市伝説サイトですカ?」
話は子猫からとある都市伝説サイトへ移る。
仰々しい名前をしたプライバシーの侵害と名誉毀損で訴えてもいいレベルの傍迷惑な都市伝説サイトは、ついこの間自分の隠れ家をスクープとして取り上げた最低なサイト。
人の迷惑というものは考えられないのだろうか。
「全くもう、尾行も探知も出来ないようセキュリティ力を全開にしてるっていうのに、遠く離れた水滴をレンズにできる
「あなたがそれをいいますカ」
「なんか言った?」
何か気に触る言葉が聞こえたが、カイツはさっと目をそらしてクローンを見下ろしながら自信ありげに笑う。
「ま、その件はご心配なく。ダミーサイトを自動生成するプログラムを走らせていまス。あのサイトが日の目を見ることはないでしょウ」
自信に満ちたその言葉を信用する他なかった。
◇
しかし、その信頼は脆く崩れることとなった。
「おやおや、これハ。ダミー生成の仕組みを解析して、元のサイトを突き止めようとしているものがいるようでス」
それは今日の朝のこと。綺麗な窓から朝日が登るのを眺めていた時のことだった。
「アンタねぇ!ご心配なくって言わなかったかしら!?」
「まぁ待ってくださイ。万が一に備えて、侵入者を逆探知するように仕組んでありまス」
パソコンの前で薄く笑う男の頬を手持ちのリモコンでグリグリと抉ると、慌ててパソコンの画面を見せつける。
策があるという男を怪訝に思いながらパソコンを横目でみると、確かに彼のいう通り策はあるようだった。
「風紀委員第一七七支部?」
パソコンに表示された文字を呟く。
今思えば、ここから見通しが狂ってしまったのだろう。支部で見つけた風紀委員の子が御坂美琴の友人で、その記憶とデータを全て消したのがきっとターニングポイントだった。
しかし、あの時はあれ以外やりようがなかったとしかいえない。
巻き込まないためにも、知られないためにも、安全に
「そういえば、藍花悦を勧誘することにしたんですカ?」
大きく息をついて置いてあるソファに座ると、パソコンを操作する手を止めて話しかけられる。昨日から続く会話の答えを知らない彼に黒い携帯を見せると、柔らかい目尻を僅かに釣り上げた。
「昨日なぜか
「電話番号見るだけじゃダメだったんでス?」
「なんか取り込み中だったから、しれっと持ってきてもらっちゃった。まぁあ、人越しだったけどいい人っぽかったし?強かったし?使ってあげないこともないかなーって」
この携帯は後で看護師でも経由させて彼女の手元に送り届けようと今後のスケジュールを組み立てながら、携帯をカバンにしまう。
男向けの無骨な携帯電話を取り上げたのは昨日の夕方。なにやら二三学区でいざこざがあったらしく、
しかし不安要素はあった。それは昨日の昼、公園で食事をする彼女を通行人越しに確認した時見た光景のことだった。
「……問題なのは第二位さんなのよねぇ」
「だ、第二位、ですカ……?」
「そうなの。第二位、垣根帝督と昨日から一緒にいてねぇ。面倒になりそうじゃない?」
「暗部組織に属する彼がなんであんな表の人間ト……」
垣根帝督。名前と能力だけは知っている
暗部にいると小耳に挟んだことはあるが、目を見開いたまま椅子に深く腰をおろした目の前の金髪の男の反応を見る限り、それは正確な情報だったようで、もう一度深く息を吐く。
「どうやら彼氏みたいなのよ、藍花悦のね」
仲良くお昼ご飯食べていたみたいだし、と付け足すと彼はまたもや驚いた顔をして、しかし今度は興味深そうに声を弾ませた。
「か、片方は身分を隠しているとはいえ、
「そうよー。彼らが保護してる少女の脳内を確認したわぁ。半同棲してるみたい」
「いやはや、
「私が第六位に負けてるって言いたいわけ?」
「イエ……」
生き生きとした声で興味津々に独り言をぶつくさと呟く男に怒気を含みながら笑いかけると、その表情は一気に弱々しくなる。
レディの目の前で恋人の有無を問うような話はタブーだと社会経験で学ばなかったのだろうか。
「ったく、どうなるかしらぁ……藍花悦との仲良し力がどれくらいなのかによって、面倒ごとが増えるかもしれないわねぇ」
「本当に付き合ってるのなら大丈夫ですヨ。藍花悦という少女は好きな人を争いごとに巻き込もうとしませんかラ」
ソファに体を埋めさせて、ライトの光に目を細めると優しい声が背を向けたカイツから聞こえた。
自信とは違う、確信めいた言い方に戸惑いながらも、食蜂はそれを信じることにした。
そして食蜂は出会った。出会ってしまった。
眩しい金髪と、悍ましい瞳を持った第六位の怪物に。
彼女の記憶も見て、第二位の目も回線を外し、バレないように水面下で動かした。簡単な脅し文句も添えたら、彼女は遺憾無く能力を発揮し依頼を完璧に遂行した。
普通なら洗脳もせずにそんなことはさせない。考えの読めない人間なんて信用に値しないからだ。
しかし今彼女を協力させているのは、様々な問題と、盲目的で絶対的な愛と、なぜか直感で感じる狂気に近い優しさに絆された結果である。
その選択が仇をなしたと分かったのは今さっき。
走り回る顔見知りの前に立った今この瞬間だった。
「あらぁ、こんなところで奇遇ね。御坂さん?」
「食蜂、操祈……」
短い茶髪が風に吹かれ、目を見開いた彼女から小さく名前が呼ばれる。
『随分あっさり出て来たな、第五位』
「目に付く監視カメラ全部にアピール力全開で映って、白い虫で監視しておいて、白々しいわねー?ねぇ、垣根さん?」
天羽彗糸が持っていた垣根帝督の『目』と同じ姿をしたカブトムシが男の声を放つ。緑色の瞳はどこか怒っているようだった。
「あの子達はどこ」
「天羽さんはお仕事中なのよ。後から来るわぁ。あと、貴方の妹はサイトの建物の中よぉ?私の隠れ家じゃ、あそこが一番信頼力あるもの」
「お仕事?アンタ、あの人に何させて」
「しょうがないわねー、でもこっちも時間が押してるから、話したいならついて来なさーい」
質問しかしない面倒な人に背を向けて歩き出す。
本当に厄介なことになったと、一人面倒を感じながら。