暗いビルの中、僅かな陽の光が照らすロビーで一人エレベーターを待つ。誰もいない静かなロビーに元気な少女の声が反響しても、誰かが降りてくることはなかった。
「降りてこないねぇ」
『誰か使ってんだろ』
「やっぱり別に警備を集中させてるのかなー、どう思う?」
『第三位とか、静かに侵入できなさそうだし、そうなんじゃねぇの?』
エレベーターが止まる階を示すライトが点滅していく。上から下へ降りてくるエレベーターを待ちながら両手に乗ったカブトムシと共に辺りを見渡すが、やはり人は誰一人としていない。
遠くから聞こえるくぐもった騒がしい音から察するに警備は別のところに集中させられていると考えつくが、実際どうなのかは分からない。
軽い質感のカブトムシに問いかけてみるも、特に有意義な答えは帰ってこなかった。
「じゃー楽勝だね、面倒ごとは避けたいし、ラッキー」
「あの、お言葉ですが保護対象、もう少し危機感というものを……」
「ハイハイ、わかったから」
困ったように呟く05が羽音を鳴らして頭に留まる。説教くさいセリフを適当にあしらいため息をつくと、ちょうどのタイミングで弾んだベルの音が静かなロビーに大きく響いた。
暖かい光が目の前の扉からゆっくりと零れ、エレベーターの内部から黒い影が伸びる。
光に照らされて出てきた屈強な男数人と目が合うと、すぐさま銃口が向けられた。
「なっ、なんだ貴様!」
「ま、薄いって言っても警備はいるよねー」
『そりゃそーだろ』
カブトムシを引き連れた変な女に戸惑いながらも、銃を手にした男は強く睨む。
五人ほどの男たちから向けられた銃口が明かりに照らされ光ると緊張感漂う空気に大声が木霊する。
「動くな!どうやって入ってきたんだ!」
「えー、どうって、こうやってだよ」
笑顔で足を一歩進めると、大きな体がひとりふたりと、順番づつ大きな音を立てて地面に倒れていく。
何も動作はなかった。自然なように男たちが眠りについて、膝から崩れていっただけ。
ただそれだけだというのに男たちは化け物をみるかのように歯を食いしばり、同じように倒れていった。
「……書庫のデータと一致しませんね、あなたの出来ることは傷を治すことだけでは?」
『便利な能力だよな。そりゃあお前に執着するのも納得するわ』
「うるさいですよー、お黙り」
簡単にカブトムシたちの言葉をはぐらかすと、エレベーター内の一番上のボタンを押して回答から逃げる。最上階を目指して扉が閉まると、がくんと大きく中が揺れた。
余計な詮索をされるのは少し面白くない。
第六位の力、複雑な経路を辿って転生した故の副産物は存外便利な能力だったが、同時に身に余る。他人の体の支配権を奪い取る能力は誰にも誰にも譲ってはいけない、天羽にしか扱えない大きな爆弾だった。
だから
何せ二キロ先の人を全員殺すことも、昏睡状態にすることも出来る能力者など、御都合主義の塊で、勝利の女神に必ずなってしまうのだから
「はぁ……それで、どちらに向かっているんですか?」
「上。大抵大物は上の階にいんのよ」
『VIPフロアのことか』
「うん、多分そこにいるんじゃないかなーって」
二匹のカブトムシの緑眼に見つめられながら、上昇していくエレベーターの表示パネルを見つめる。エレベーターのいる階と地面からの高さを表示するモニターには子供の頃のような心踊る感覚があった。
「たぶんって……」
「だって知らないし。知らないなりに適当に動くだけだよ」
「どういう意味です?」
「ひみつ」
誤魔化した秘密に納得いかず、不機嫌そうに頭の上で動く05を余所に、ふとあの忌々しい存在を思い出す。
前世の知識が無ければ満足に動くことも出来ない。しかし天羽がいることで変わる何かがあるなら、行動は必須。
知識がなければ何も出来ない無能だと、神なんぞに思われたくなかった。
嫌な野郎の顔に少し腹が立つも、感情を隠そうとドレミの音階を適当に当て嵌めた鼻歌を鳴らしながら再び表示パネルに向き直る。
目的のフロアはかなり近かった。
『でも、本当にあのジジイはここにいるのか?』
もう少しで目的地に着くところで、テレスティーナの音声が狭いエレベーターに響く。
唐突な質問に驚き、視線を落とすと緑色のつぶらな瞳と目が合った。
「どうして?」
『木原がそういう性質だからだ。こんなとこであっさり捕まるほど耄碌してねーよ、あのジジイは』
「でもフォーラムには出ているのでしょう?」
『他人を自分そっくりにする技術はある。影武者が適当に出席してる可能性も十分にありうる』
テレスティーナに言われ、初めて別の可能性に気がつく。
こんな序盤に黒幕が捕まることは創作の上ではセオリーで、二転三転と物語を続けるためには簡単に終わらせることは無い。
それが『とある』という多くの小説や漫画が発表されている大きなジャンルならば尚更だ。
それに木原幻生の重要さを考えれば、もし本当に本人がいるのなら、暗部でも使って警備させるはず。
「……念の為戻ろう。杞憂ならそれでいいのだし」
エレベーターのボタンを押す。向かうとしたら、きっと大事な鍵が一人眠っている女王様の根城。
上昇していくエレベーターは、緩やかに停止すると、下降しだした。
◇
エレベーターが下降する。垣根と、死体しかいない狭い空間に苛立ちながらもその扉が開くのを待つ。
あっという間に金持ちや重鎮がいる特別なフロアに到着すると、思い扉から淡い光が溢れ、姦しい二人の少女と視線があった。
「あらぁ?遅かったじゃないの、天羽さ、ん……?」
「ちょっと、何処ほっつき歩いて……え?」
人工的な金髪頭と、垣根より赤みがかった茶髪頭が目線の下で目を見開く。嬉しそうな顔から驚きに満ち溢れた顔が面白く、鼻で笑うと一気に場の空気が変わった。
来ることを教えて居なかったのだから驚くのも無理はないが、あまりのオーバーリアクションを笑わずにいられなかった。
「よう、ガキども。何アホズラ晒してんだ?」
「か、垣根さん!なんでここに……!」
「馬鹿を迎えに来たんだよ。暗部が関わってねーなら問題ねーだろ?それに、関係者を始末しにな」
「はぁ?なんで垣根さんがそんなこと……」
「天羽の名前が広まると厄介だからな。情報を消すんだよ」
「あぁ、なるほど。相変わらず過保護ね……」
適当な理由を並べて若干豪華なフロアを見渡す。少女二人と屈強な警備員しかおらず、見慣れた背の高い天然の金髪が見当たらないのが気に入らなかった。
彼女の匂いも残っておらず、カブトムシの反応もない。
ここに居ないことは明白だった。
わざわざ迎えに来たというのに、俺の犬はまた行方をくらませていた。
「でも、ちょーどいいところに来たわね。木原幻生を捕まえたところよぉ、鑑賞してくでしょう?」
「天羽はどうしたんだ?」
「そんな急かさなくても、じきに来るわよー。それより木原幻生のとこ、早く行きましょう?」
天羽の金髪よりトーンの明るい髪が揺れる。きらきらと輝く瞳は少々気味が悪いが、それよりも彼女の言葉に興味が惹かれた。
馬鹿のことも気にはしているが、有名なクソ野郎のご尊顔が観れるとなると、話が変わって来る。
「……で、どこにいるんだ?」
「この中よー、連れてきてもらったの」
食蜂の開けた扉に御坂と三人で踏み入ると、警備服姿の男複数人が一人の男を囲っていた。
目と口を封じられ、拘束された姿で静かにパイプ椅子に座る老人を監視する屈強な男共というシュールな光景に面白さを感じるも、実際のところ場所が薄暗い倉庫なのも相まって怪しげな雰囲気を醸し出していた。
「どこにいたの?」
「セーフルームに隠れていた所を発見しました」
弱そうなジジイだな、とそれだけ思いながらことが進むのを見守る。しかし同時に学園都市における科学の第一人者、そんな男が目の前のヨボヨボで弱そうな老人だということに疑問が浮かんでいた。
テレスティーナの祖父ということで、年を食ったジジイなのは分かってはいた。しかし直感、といえばいいだろうか。
生気や覇気という、木原特有の気味の悪い情熱がこの男から一切感じられないのがおかしいと、直感的に思う。
そもそも捕まるのがあまりにも呆気なさすぎる。
何より天羽がいないことが気掛かりだった。
彼女は今まで必ずなんらかの事件に遭遇して来た。
インデックス、木山春生、神裂火織、一方通行、誘拐事件と打ち止め、ゴスロリの魔術師、木原相似、そしてオリアナの一件。
よくよく考えてみれば、打ち止めと一方通行以外の事件に関しては彼女は自ら首を突っ込み、まるで未来が見えているかのように正確なアドバイスを残してボロボロになって帰って来るのだ。
偶然か必然かは分からない。
もしかしたら上層部と繋がっていて、
どうであれ、ここに彼女がいないのはとてもおかしいかった。
「テープを剥がしますか?」
「あー、会話力は要らないわよ。直接脳に聞くから」
天羽彗糸は、もうすでにこのビルから離れたのではないか?
そんな疑問はすぐさま的中した。リモコンの操作音が狭い部屋で大きく鳴ると食蜂は足を止め、そして再び歩き出すとおもむろに木原幻生の顔を破り捨てる。
文字通り破り捨てたのだ。
まるで包装紙を勢い良く破るかのように無残な姿で薄い皮膚が剥がされると、全く別の皮膚が露わになる。
死んだ魚と見間違えるほど見開いた黒い目と大きく開いた口は、どう考えても年寄りのものではない。
「変装……?」
それに気が付くと、御坂の静かな声を掻き消すように靴音を鳴らして食蜂はドアへ向かう。
先ほどの剽軽とした態度からは考えられない深刻な顔でドアノブに手をかけ、一人何処かへ向かおうとする彼女だったが次第に足が止まった。
邪魔をするように立ち塞がる俺に投げかけた不愉快そうな目線。塞がれた道に気がつくとさらに目を釣り上げた。
「なに、天羽さんが来ないことに苛立ってるわけ?」
「アイツが来ないのは想定済みだ。それより情報を共有せずにどこか行こうなんて、冷たいんじゃないか?お嬢さん」
「……本物の幻生が向かってるのは例のサイトにあったビルよぉ。急いでるの、これでいい?」
眼球が少し狼狽えるも、彼女は真っ直ぐ前を見据えてドアを開いて一歩を踏み出す。自分のアジトに木原が向かっていると分かっても一切取り乱さない姿勢は実に
「ふーん、じゃあ先に行ってるな」
「は?ちょっと!」
小さく走る彼女を追い越し前に進む。場所さえ聞いてしまえば、あとはそこに向かうだけだった。
しかし細い手がウィンドブレーカーの裾を掴む。
掴んだ衝撃で、服からあの女の匂いが舞う。花と薬品と微かな血の匂い、そしてその奥にある絆されてしまうような女の香り。
中学生たちを置いて煌びやかな廊下を進むのを拒むように掴まれたジャケットは目論見通り俺の足を止めた。
微かな匂いに思わず足を止めると、どこか申し訳なさそうな食蜂が袖を掴んでうろちょろと視線をさまよわせていた。
「……なんだよ」
「行くって、どこに」
「はぁ?そのビルにだよ」
「どうやって?」
「飛んでくんだよ」
「車より速いわけ?」
「そりゃあそうだろ」
天羽は恐らく05に命令を下して空を飛び、ビルまで向かっている。ならばこちらも空を飛ぶしかない。
そもそも、このビルには飛んで屋上から入ってきた。
昨日と違い、アンチスキルの目も、抱えるべき他の野郎もなければ、ありがたいことに観光客は地面で行われてる競技に夢中。
飛んでもそこまで人目につかない。
そんな当たり前なことを聞く食蜂に軽く首を傾げると、彼女は不服そうに上目遣い気味に俺を見上げた。
「……第二位さぁん、お願いがあるんだけど」
「あ?」
金髪と、甘い蜂蜜の香りが混じるあの女の香り、変わらない背丈と体型、そして気味の悪い目。
大嫌いな女を彷彿とさせるその姿を前に、強く拒絶することは不可能に近かった。
我ながら甘くなったものだ。
どこぞの馬鹿と関わってから、どうも俺は俺らしくない。
だから今、空を飛び、向かいに行く。唯一無二の馬鹿な女を、一直線に。
しかし、その甘さが面倒事を呼び込む。
腕にずっしりと沈む人間の重さと、隣から発生する微弱な電磁波。
そのどれもは決して、望んだものとはかけ離れていた。
「これが俗に言う快適な空の旅、ってやつかしらぁ」
「精神系はこういうとき不便ね。移動手段が限られてるんだもの」
本来ならば一人で静かに空を飛んでいたはずだった。
なのに余計な人間が二人も呑気にお喋りを続けていた。
「人の腕の中でくつろいでんじゃねぇ落とすぞ」
「やだぁ☆こっわぁ〜い!天羽さんに浮気してるって嘘ついちゃお♡」
「本当に落とされてェのか」
お姫様のように抱き上げられているのも関わらず、堂々と腕を組んで踏ん反り返る食蜂に呆れて少しばかりの意地悪を見せると、わずかに体が強張った。
「いいじゃない、軽口ぐらい叩かせて。本当は貴方達みたいに何考えてるのか分からない人を相手にするのは嫌なのよぉ?非常事態だからこうしてるの。そこんとこ弁えてちょうだいねぇ?」
「……好きなだけ疑えばいいさ、今までのお前の常識が効かない相手に疑心暗鬼になるのは当然のことだ。別に怒りはしねぇよ」
精神系の能力者は面倒な女が多いとは思っていたが、彼女の言葉を鑑みるにそれは当然なのかもしれない。
聞こえてた本心が聞こえないというのは、彼女にとって自分の世界が崩れることと同じなのだろう。
心に作用する能力は、他の物理的な能力とは失ったときの大変さが違うのかもしれないと、なんとなく感じ取れた。
またもやため息が溢れる。
腕に抱えた人間の重みにうんざりしながら、早く下ろしたいと心の中で唱えると、今度は静電気が肌をぴりぴりと掠った。
「それで食蜂、木原幻生は都市伝説サイトにあったあんたのアジトを狙ってるのよね?」
「そうなんだけど、どうやってあの場所が……」
ビルとビルの間を落下しながら電気を繋いで跳ぶ御坂の姿を食蜂が小さく睨む。
疑いの目を向けられた御坂の慌てた姿に、彼女が問題に関与しているとは感じさせない。
「私じゃないわよ!?」
「分かってるわよ、時系列的に辻褄が合わないもの」
苦しそうに手袋を噛む食蜂の顔が歪む。無意味な議論だと分かっているようで、苛立ちながらもそれ以上言及することはなかった。
「その情報が罠で、誘導されてる可能性は?本当は場所をつきとめてなくて、私たちを尾行してるとか?」
「それなら平気だろ。何せ第二位様がいるんだからな、場所に着いたあとならどうとでもなる」
しかしそれ以外にも考えは止まらず、御坂は眉間に皺を寄せる。
彼女の考えは最もだが、それらは大して驚異ではない。
第二位という地位が圧倒的なのは分かっている。他の
三人も
どんな敵でも殺せる。俺だけでも全員殺して事を済ますことくらい簡単だ。
けれど、危惧しているのは真逆のこと。
「私たちがいない間にあそこを占拠されること。最悪の事態になるわ」
その瞬間に間に合わないことだけだ。
窓のない黒いビルが圧倒的な威圧感を放つ学園都市を見下ろすように、白い体に支えられながら屋上へと降り立つ。
空が近いこの場所は風が少しだけ強かった。
「じゃあとっとと片付けて、帰りましょうか」
雲が厚くなってきた空を見上げ、カブトムシ二匹に笑顔を見せる。
僅かな悪寒を感じながら少女は物語の中心に降り立った。
メタ知識があるとはいえ知らない事件の流れをピタリと言い当てる幸運値カンスト女と、わざわざ出向いたのに会えない幸運値マイナス男……
会えるのか?これ