とある科学の肉体支配   作:てふてふちょーちょ

8 / 162
垣根くんは優しい子だよ!!(スピンオフ読みながら)


6話:正義

「ていうか、なんだってビール好きで愛煙家の大人な小萌センセーのパジャマが、お前にピッタリ合っちまうんだ?」

 

ヤニと酒臭い部屋の中、五人の少年少女らは居た。

 

背の高い少年は床にあぐらをかいて座り、窓の縁にはツンツン髪の少年がガラのわるそうに座っている。

彼の目の前には布団の中で休むシスターと、似たような背格好の少女。

トンチキな五人組だとまるで人ごとのように、天羽は垣根の隣でスマホの表示を軽く触る。

もう夜遅い。

親切に通知された新着ニュースには、どこぞの学生寮が燃えたと書かれていた。

 

「たく、年齢差いくつなんだか」

 

「見くびらないで欲しい!」

 

「うんうん!」

 

白いシスターはその神聖な服を脱ぎ、ピンク色の着ぐるみパジャマを着て頬を膨らます。頭についたうさぎ耳が彼女の動きに合わせて揺れて、なんだか本当の子うさぎのよう。

そんなパジャマの持ち主であるのはもう一人の少女、ピンク色の髪と丸っこいほっぺを膨らませて抗議する彼女は何を隠そう、上条と天羽の担任、小萌先生である。

 

「私もさすがにこのパジャマじゃ胸がちょっと苦しいかも」

 

「ん!?その発言はナメてるのです!」

 

その姿に、この中で最も背の高い男、垣根帝督が口を開く。

 

「まさか、こんな神話生物紛いの先生がいるとはなぁ」

 

「小萌先生はうちの学校の七不思議だからねぇ」

 

七不思議に認定された小さき先生に垣根はじっと視線を向ける。

どう見ても小学生くらいにしか見えない体型。なのに成人、しかも教職員とはその見た目からは到底想像できない。

垣根が不思議がるのも当然で、何か研究でも絡んでいるのかと邪推してしまうほどには興味をひく。

 

(……まさかそういう性癖(ロリコン)?)

 

とはいえその思考は天羽に伝わることはなく、やましい想像の方に向かってしまう。

 

この世界のヒロインはか弱く、幼く、いじらしい少女たち。

インデックスや打ち止め、杠林檎、フレメア。歴代のヒロインたちはその要素を満たしている。

一見該当しないように見える滝壺理后だって、物理には弱く、言動は天然という意味では幼く、いじらしい性格。

 

天羽にとってヒロインとは()()()()()()である。

であれば、ヒーローの資格があるものは()()()()()()に保護欲を持つ性質とも取れる。

 

結果、メタ的な視点においてだが、垣根帝督もそういう性質を持つと考えられるのだ。

 

「テメェ今失礼なこと考えただろ、あ?」

 

「あびゃ、ほっぺたつねんないで!」

 

だがそれは全くの的外れな推理であり、ただの侮辱である。

読心能力でもあるのか、勘の鋭い垣根はその腹立たしい視線に気がつくと、思いっきり天羽の頬をつねあげた。

痛覚を遮断してしまえばいいとはいえ、ぎゅううっと容赦ない攻撃が天羽を襲う。勘がいいというのは、こういう時に困る。

 

「ところで上条ちゃん!天羽ちゃん!結局この子達は上条ちゃん達の何様なんです!?」

 

天羽たちがしょうもない争いをしているのを遮るように、小萌は大声を張り上げる。

ぴっと伸ばした可愛らしい指の先は、インデックスと垣根を捉えていた。

 

気になるのも無理はない。

シスター姿の幼いヨーロッパ系美少女なぞ、学園都市では珍しい。というかほぼいない。

海外の血を引いてハーフに見える天羽でさえ珍獣扱い。インデックスはさらに目を引くことだろう。

 

垣根に関しては、珍しさよりもその佇まいに疑問を持つのだろう。

現実を諦めたようなハイライトのない目、スラリとしたスタイル、ホストのような服装。

派手な見た目の女子生徒と、喧嘩っ早い男子生徒がそんな姿の見知らぬ人と一緒にいたら、担任として心配になるのも当然。

 

昨日の夜、身を隠す場所として逃げてきた担任の家。

ぐったりしたシスターさんを抱えた上条、ナース姿の天羽に、チンピラにしか見えない垣根。

昨夜こそ何も聞かなかったが、やはり教師としては聞かなくてはいけない。

 

「うーん、妹?」

 

「うーん、弟?」

 

真剣な小萌の声色に、上条と天羽は互いに顔を見合わせる。

捻り出した言葉はあまりにもお粗末な嘘。

苦笑いで二人して答えるが、そんな無茶苦茶な設定は小萌先生に通じる訳もなく。

 

「天羽ちゃんはともかく!上条ちゃん!嘘にも程があるです!銀髪碧眼の外国美少女です!」

 

「なんで俺だけっ!」

 

ぷくーっとハリセンボンのように頬を膨らませて、担任は嘘つきの生徒、上条に詰め寄る。あまりにも不幸で理不尽だと、一人責められる上条は抗議の声を叫ぶも虚しく、誰も助け舟を出さない。

 

それもそのはずで、髪の色も目の色も上条とかけ離れていれば、顔や体の骨格も日本人のそれではない。

健全な妹にはどの方向から見ても見えるはずなく。

 

反対に垣根と天羽は外見上はよく似ていた。

 

顔の作りや骨格は男女差を考慮しても全くもって似ていない、というか天羽に関しては外国の血も入っているのだ、似るはずもない。髪の色だって、明るい茶髪と鮮やかな金髪で色の差はくっきりと出ている。

しかしその似たような明るい髪色と高身長、そして何かを秘めた瞳の奥、佇まい振る舞いは似通っている。

遠目から見れば、母か父が違うといえば、遠縁といえば通じる程度には似ていた。

 

「そりゃあ見た目っしょ?ねー帝督ぅ?」

 

そう判断された事実にマウントでもしてやろうかと、天羽はニンマリと口で弧を描いて薄っぺらい垣根の体を抱きしめる。

親愛のハグ。家族のハグ。

 

あたしはあんたの姉だから。

 

そんな意味も含めてぎゅっと体を寄せる。歪な愛。

垣根がその意味をうっすら理解したのか、持ち前の腕力でべりっと体から剥がされる。

 

「ぎゃっ」

 

「ムカついた。テメェは後で覚悟しとけ」

 

体重60キロ近くの高身長を片腕だけで持ち上げられるポテンシャルに驚く合間に、そのままポイッと捨てられた。

どしんと畳の上に落とされるが、それでも垣根の腹の虫は治らないようで絶えず冷たい視線を送ってくる。

 

なんて冷たい男だろうか。この隣人愛を理解できないなんて。

 

「先生、一つだけ聞いてもいいですか?」

 

「はい?」

 

「事情を聞きたいのは、このことを学園都市の理事会なんかに伝えるためですか?」

 

つまらない茶番を繰り広げる天羽たちには目もくれず、上条と小萌の話は続く。

確信をついた、上条の心理戦にも持ち込めない単刀直入でまっすぐな言葉が、静まり返った部屋に響いた。

 

静かなのは彼の言葉のせいか、それとも垣根から一瞬漏れ出た冷たい感情のせいか。

 

「……上条ちゃんたちが一体どんな問題に巻き込まれているかわからないですけど、それが学園都市の中で起きた以上、解決するのは教師の役目。大人の義務です!」

 

「大人の義務、ねぇ……」

 

大人の義務、この言葉に賛同するのは一般人だけ。

他の人はわかっている。この言葉がただの音ということを。

 

この世界、この学園都市の大人は()()ではない。そして子供は()()ではない。自らの欲や目指す場所を代わりに背負ってもらう流し雛。そして欲深く、罪深い神の代弁者。

少なくとも、この学園都市にいる大半の研究者はそう思っている。

 

守るべき子供。その子供に得体の知れない薬を注射して、飲ませて、犯して。

使えない子供は捨てて、殺して、見限って。

そんな世界。天羽にとっては地獄のような世界。

 

その世界に反旗を翻す予定の垣根にとって、その言葉はどう映るのか。

考えなくても、わかってしまう。

 

「上条ちゃんたちが危ない橋を渡っていると知って、黙っているほど先生は子供ではないのです」

 

「先生が赤の他人だったら遠慮なく巻き込んでるけど、先生に借りがあるんで巻き込みたくないんです」

 

「何気にかっこいいセリフを吐いて誤魔化そうたって、先生は許さないですよ?」

 

だがこの担任は違う。彼女は()()()大人である。

子供の過去に心を痛め、子供の今に寄り添い、子供の未来を憂い、子供のために尽力する、そんな正しい大人。

きょうび見ない理想の大人だ。

 

教職員なんて給料も低いだろうに、激務だろうに、ストレスも多いだろうに。

こんなボロボロのアパートの一室で彼女は正しく振る舞う。

 

天羽は結構、この担任が好きだった。

 

「あれ?どこへ?」

 

「執行猶予です!先生スーパー行ってご飯のお買い物してくるです。上条ちゃんはそれまでに何をどう話すべきかきっちりがっちり整理しておくですよ?」

 

訳ありの少年少女たちに微笑むと、小さな先生は玄関から外に出た。

 

「それと、先生、お買い物に夢中になってると忘れるかも知れません。帰ってきたらずるしないで、上条ちゃんから話してくれなくちゃ、ダメなんですからね」

 

とても心配そうで、でもどこか嬉しそうな彼女は足音を響かせて夕飯の買い出しへと向かうのだった。

 

「素敵な人だね」

 

「ん?小萌先生のことか?」

 

「うん」

 

小さくて強い小萌先生。彼女に相談すると何でも解決してしまうような気がしてしまうのは当然のことだろう。

彼女の人の良さは、初対面のインデックスにも伝わったようだった。

 

「……これ以上先生は巻き込めないな」

 

小萌が出ていった玄関を見つめて、上条は小さく呟く。

 

こんなにいい先生を、巻き込みたくない。

ただそんな素直な言葉。

 

原作では小萌は魔術を習得し、インデックスを治癒する流れがある。

だが今回は天羽がいた。

彼女の持つ無敵の回復は、インデックスの傷を癒して小萌の役割を奪い取った。

 

詰まるところ、本当の意味で小萌はこの件に全く関係ない。

完全なる部外者。

 

「つーかさぁ、話変わるけどインデックスちゃんさぁ」

 

もう天羽の関心は先生には向いてなかった。

 

「ん?」

 

「あたしに魔術って、教えてくれたりする?」

 

彼女にとって重要なのは最新刊までのほほんと生存する教師ではなく、登場した一冊で死んだ挙句精神を上書きされた男を救うための手段。

 

つまり武力。

 

天羽は超能力者とはいえ、ただオリンピック選手並みの体力と、あらゆる格闘技の世界チャンピオンと匹敵する武芸と、死なない体、すべての生命を操る能力しかない。

 

それしかない。

 

「魔術は能力者じゃ使えないみたいだけど、使って内臓傷つけても治せばいいだけじゃん?」

 

一位は物理攻撃を跳ね返すどころかプラズマを作り上げ、二位はこの世にない物質から化学反応を作り上げて理解不能な攻撃をし、第三位は電気が通れば全てを操り、第四位は触れたら即死のビームを打つ。

最下位に至っては根性で空を走り、根性で壁を壊し、根性で電撃を撃ち落とす。

 

常識の外側に踏み入れて、怪物にならなくては渡り合えない。

 

このままでは足りない。

このままでは救えない。

 

それは天羽にとって何よりの屈辱だった。

 

「ねぇ、インデックスちゃん。あたしが魔導書について、魔術について知ったら、正義をなせるかな」

 

手札が少ない現状、魔術という存在はまるで蠱惑的なケーキのよう。

 

「……けいと、魔導書って言うのは危ないんだよ。そこに書かれている異なる常識や違える法則、そういう違う世界って善悪の前にこの世界にとっては有毒なの」

 

「有、毒?」

 

「うん、魔術師ならともかく、この世界の人間が違う世界の知識を知るとそれだけで脳は破壊されてしまうから」

 

有毒、その単語に上条が微かに体を揺らす。

淡々と話すインデックスの声が、少しだけ異質で怖い。

 

「破壊って……魔術ってそういうものなのか?」

 

「知りたい?」

 

まるで主に祈るかのように両手を重ね合わせると、インデックスはまっすぐ迷える子羊と視線を交える。

 

「私の抱えてるもの、ほんとに知りたい?」

 

そして真っ直ぐ、上条をその綺麗な緑の目で撃ち抜いた。

 

「なんていうか、それじゃこっちが神父さんみてえだな」

 

「え?……ほんと、懺悔を聞く神父さんみたい」

 

シスターの祈りに応えるように上条が少し笑うと、インデックスもつられて笑い出す。

なんて素敵な光景か。

ヒロインとヒーローの微笑ましい姿に天羽は笑みを浮かべると、浅く窓の減りに腰掛ける。

 

「結局、あたしに魔術は無理ってことかぁ」

 

その笑みの裏は冷たい策略と沸々とした感情が湧き上がる。

 

この能力があれば魔術はリスクなしに使え、精神だって蝕まれない。

使えるのに手に入れられないこの苛立ち。

 

目的の一つ、武力の習得はこの優しい優しい、とっても優しいシスターからは無理だろう。

そう思うと途端にやる気がなくなる。

 

「……お前は黙って守られてりゃあいいんだよ、正義気取りの善人様」

 

ぼーっと上条たちを見つめていると、その狂気的な思考回路に気づいたのか垣根はその手で天羽の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。

優しさではなく、牽制の意味で。

 

何企んでるか知らないが、お前が俺の上に立てるとでも?

 

ひどく虫唾が走る。

細い手。華奢で細く、面積だって天羽と同じくらい。

 

だというのに、感覚でわかる。

彼の手は彼女のものより大きい。

見た目だけではわからない、がっしりとした男の手。

 

「やだよ、だってあたしはみんなのお姉ちゃんだもん」

 

眉目秀麗な男に頭を撫でられるなんて、普通の人ならどんなご褒美かと心臓が跳ね上がるのかもしれない。

けれど天羽には盛大な侮辱にしか感じられない。

 

なんて惨めか。

 

正義を成し、人を守り、赦しを与える。

それがこの世界で成すべきこと。存在理由。

 

そう確信する狂人にとっては、この世で最大の、最悪の屈辱だった。

 

「……ねぇ、とうま、けいと、ていとく」

 

「ん?」

 

「十字教は何でもとはひとつなのにどうしてこんなに別れちゃったんだと思う?」

 

ジメジメとした天羽の感情に気が付かぬまま、インデックスは漠然とした質問を静かな部屋に投げかける。

突拍子のない質問に再び静寂が訪れた。

 

それもそのはずで、学園都市の人間は宗教とは無関係。無関心である。

科学崇拝のこの場所で、ファンタジーなお伽話を本気で信じる人間はいない。

 

「宗教に政治を混ぜたから、かな?」

 

彼女以外は。

 

「そうだね。正解だよ。そのせいで分裂し、対立し、バラバラの道を歩くことになった。同じ神様を信じてるのに。それぞれが独自の進化を遂げて個性を手に入れたんだよ」

 

「個性ねぇ」

 

「まぁカトリックとプロテスタントの時点でかなり違うよね。前にプロテスタントの人に神のあり方について説明された時は困ったなぁ」

 

彼女は神に祈る信徒が多くを占める国にずっといた。この世界でも、元の世界でも。

生きてきた時間は他の誰よりも長い彼女は、大抵のことは体験している。

宗教に関しても同じだった。

 

「けいとは十字教徒なの?」

 

「あえて言えばね。アメリカに住んでてさ。あっちって無宗教って珍しいじゃん?だからカトリックって言ってただけ。信徒ではないよ。名前ももらってないし」

 

こてんと首を傾げる姿も可愛らしいシスターをやや見下ろしながら足を組み替える。

自分の情報を開示するのはあまり好きではないが、宗教の話題が通じるのは現状彼女だけ。仕方なく話に乗る。

 

そうは言っても天羽自身はこの世界の宗教に詳しいわけではない。

いわゆる「にわか」である彼女が持っている知識はネットのまとめ情報と早送りしたアニメのみ。

その情報だけで感情移入して取り乱す彼女も彼女だが、問題はそこではなく、調べようとしなかったこと。

 

彼女にとって、今は二回目の人生。

神学を勉強する時間はたんとあった。前世から引き継いだ知識で生物学ではなく、神学を学べばよかったのだ。

しかし彼女はそうしなかった。

 

彼女にそれなりの知識があるというのもあるが、そもそも彼女は魔術の習得以外、魔術サイドには興味関心がなかった。

 

だって魔術サイドには彼がいる。

どんな人間もその右手で掴み上げて掬い上げるヒーローがいる。

 

でも学園都市の奥までその手は届かない。

子供を使うのが当たり前のこの都市には、名前の載らない被害者が多くいる。

全てを救うのが使命なら、優先すべきはそちらだ。

 

「そっかぁ、旧教かぁ。あたしの所属するイギリス清教も旧教でね、イギリスは魔術の国だから魔女狩りや宗教裁判、そういう対魔術師用の文化が異常に発達したの。だからイギリス清教には特別な部署があるんだよ」

 

天羽の言葉に続けてインデックスは話し始める。

 

それはこの物語の、この世界の話。

元の世界とは違う魔女の話。

 

(イギリスにはカトリックのイメージはほとんどない。イギリスはオランダあたりと一緒でプロテスタントだった気がするけど、違ったっけ?)

 

存在が違えば歴史が違う。

世界史はあまり得意ではないが、話を聞くとそれをよく実感する。

イギリスといえば丸メガネの魔法使いや不味いご飯、美味いエール。それらはあるのだろうか。

あまり興味はないが、昔呑んだ酒の味を思い出すと無性に気になってくる。

 

「魔術師を撃つために魔術を調べあげて対抗策を練る、必要悪の協会、ネセサリウス」

 

「ネセサリウス?」

 

 

「だけど、穢れた敵を理解すれば心が穢れ、穢れた敵に触れれば身体が穢れる。その穢れを一手に引き受ける部署。その最たるものが━━━━」

 

インデックスは布団に潜って静かに言葉を漏らす。

苦々しい顔の上条は、その言葉の続きを知っていた。

 

「十万三千冊の魔導書……」

 

「うん、魔術っていうのは式みたいなものだから、上手に逆算すれば相手の攻撃を中和させることもできるの。世界中の魔術を知れば世界中の魔術を中和出来るはずだから。私には十万三千冊の魔導書が」

 

「叩き込まれた」

 

一気に重々しい雰囲気になる室内は、染み付いたタバコの匂いも相まってひどく息苦しい。

しかし天羽には今までの話は全て知っている情報で、この重い空気では一人浮いている。

 

「逆算して妨害するって能力と似てるんだね。不思議パワーでやってるのかと」

 

「術って言ってるあたり、学問として成立してるんじゃねーの?」

 

「ふん、そんなやばいもんなら読まずに燃やしちまえばいいじゃねぇか」

 

「重要なのは本じゃなくて中身だから、原典を消してもそれを伝え聞かせちゃったら意味が無いの。それに原典の処分は人間には無理」

 

能天気な天羽たちの会話を遮るように、上条は勢いよく立ち上がって拳を握る。

哀れなシスターを救いたい、ただそれだけの気持ち。

だがそんな思いは等のシスター本人の冷たい言葉で打ち消された。

 

「正確には人の精神では無理なの。どうしようも無いからこそ、封印するしか道がなかったんだよ」

 

読んだだけで精神が削れる本。

どんなものなのか全く想像がつかないが、この世界ではそういうもの。

あまり納得できないものの、ファンタジーには慣れるしかないと天羽は頭の奥の方でつまらない考えに耽っていた。

 

「つまり、連中はお前の頭の中にある爆弾を手に入れたいって訳なんだな?」

 

「十万三千冊は全て使えば世界を例外なく捻じ曲げることが出来る」

 

インデックスはこの世界、魔術の世界において魔神だか魔人だか、最も魔術を極めた存在と近しい立場にある。

と、天羽の微かな知識に残っている。

 

実際はその意味はよくわかっていないが、知っているだけでも十分と言える。

もちろん教養としてある程度の宗教知識はある。旧約聖書、新約聖書、後はダンテの神曲だったり、宗教絵画だったり。

並の日本人よりは知識はあるし、知ってることは多い。

だが元々フィクション、娯楽作品もそこまで嗜むことがなく、もっぱら読むのは論文と科学雑誌。強いて言えば古典文学を教養として読んだくらい。

オタクならみんな知ってるサラマンダーとか、ユニコーンとペガサスの違いとか、そういう伝承やお伽話など知ることはほとんどない。

 

そんな女に魔神だとか、テレマだとか、霊装だとか、偶像の理論だとか。わかるはずもなく。

今ですら頭の上にははてながたくさん並んでいる。

 

「テメェ、そんな大事な話、なんで今まで黙ってやがった!」

 

「うおっ」

 

突然叫んだ上条の声に垣根は耳を塞ぐふりをして眉を顰める。

垣根が悪態をつく程度には耳障りな声。それは近くにいたインデックスも同じようで、少しだけ涙を浮かべる彼女はまるで小動物のよう。

 

「だって、信じてくれると思わなかったし、怖がらせたくなかったし、それに、あの、嫌われたくなかったから」

 

「ざけんなよてめぇ!舐めたこと言いやがって!必要悪の協会?ネセサリウス?十万三千冊の魔導書?とんでもねぇ話だったし、聞いた今でも信じられねぇ!だけどな、()()()()()()()()()()()?」

 

ニカっと歯を見せて笑う上条に、インデックスは目を奪われる。

それは天羽も垣根も同じ。

 

「見くびってんじゃねぇ、たかが十万三千冊を覚えた程度で気持ち悪いとか言うと思ってんのか?」

 

確たる意思をもち、ヒーローは宣言する。

 

あぁ羨ましい。

その主人公の座が!

 

垣根はその希望に満ちた姿が。

天羽はその全てを救える力が。

 

何よりも羨ましい。

 

「ちったぁ俺を信用しやがれ。人を勝手に値踏みしてんじゃねえぞ。ほら、俺ってば右手があるから魔術師なんざ敵じゃねえし!」

 

泣きそうになるインデックスの額を軽く弾くと、上条は右手を構えてさらに笑顔を見せる。

 

「けど、補習で学校に行かなきゃならないって言ったから」

 

しかし、その笑顔はインデックスの言葉で崩れ始めていく。

昨日言った言葉をもう一度聞く羽目になった上条には、笑顔を保つことはできない。

 

「言ったっけ……?」

 

「絶対言った」

 

「……いいんだよ、学校なんて!」

 

「じゃあなんだって学校に行かなきゃとか言ってたの?予定があるからって」

 

ズイズイとインデックスはまるで犯人を追い詰める探偵のように上条を見つめる。

じっと見つめるその碧眼には、引き攣った笑顔の上条が反射していた。

 

「おい、完全記憶能力もちが証言してるぞ」

 

「私がいると居心地悪かったんだ?」

 

居た堪れなくなったか、上条は無言を貫きぷいっと顔を背ける。

しかしそれは肯定と同じ意味。

場が収まることはなかった。

 

「悪かったんだ?」

 

「うーわ上条最低だな」

 

「弁解の余地なしっしょ、これは」

 

三人で追い詰めるとシスターが大きく口を開ける。ライオンのような大きな口には、鋭い歯がのぞき見えた。

上条がそれに気が付く時にはもう遅い。

 

白い布が大きくはためいて、上条の頭上に狙いを定めた。

 

……がぶっ!

 

狭いアパートで、哀れな悲鳴が響き渡る午前。

いつも通りの不幸な始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「にしても、お前が魔術に興味を持つとはなぁ」

 

「未知を知りたくなるのは学者の性ってやつだからねー」

 

「学者ねぇ?」

 

不幸な少年を置き去りにして、天羽と垣根は帰路に着く。昨日ぶりにバイクに乗って風を切り、青信号を渡って、つまらない話に花を咲かせながら、二人はまるで仲のいい普通の学生のように言葉を交わしていた。

 

「あれ?道違くね?」

 

「遠回り」

 

「は!?ちょっと!?ふざけてんの!?ねぇ!?」

 

いつの間にか握られていた主導権。垣根の運転するバイクは知っている道から外れ、狭い小道へと進む。

突然そんなことをされては後ろに乗った天羽が驚くのも当然で、思わず上擦った高い声が喉の奥からこぼれ出た。

 

「こんな道、始めてきた……」

 

「地図は頭に叩き込んでるからな、こういうとこなら沢山知ってる」

 

「はぇー、さすが第ニ位。それはそうとあたし遅刻すんだけど」

 

「お前が遅刻して俺が困るとでも?」

 

垣根の気まぐれで曲がった小道。少し薄暗くて、静かな道。

バイトに遅刻するかどうかの瀬戸際で遠回りし出すのは、簡単に言えば垣根の嫌がらせである。

しかし天羽はそれに気づくことなく、姉としての余裕といえばいいか、ただただ垣根の気まぐれに呆れ返るだけ。

 

この男はこういう男。可愛いものだ。

 

「んみゃ?なんか聞こえる」

 

はぁーっと大きなため息をつくと、その息に混じって誰かの、聞き覚えのある高い声が、感度の良い天羽の耳に届く。

微かな声、普通の人ならばわからないほど小さな声。

 

「どっちだ?」

 

「左」

 

天羽の五感は絶対だ。

能力を使ってあらゆる感覚を引き上げることも、消すこともできる、体に関することならなんでもできる万能な力。

垣根も素直に従って、その耳に届いた音に向かってバイクを走らせる。

 

左へ曲がり、少し行った先。

道路の下、廃ビルの近くでいかにもな連中が少年と少女をいたぶる姿が見える。

背の高い、物騒な男。その拳の先には、細身の少女。

見えた、その瞬間。

 

体が動いた。

かぶっていたヘルメットを垣根に投げつけ、道路から下の道へ飛び降りる。珍しく垣根の怒鳴り声が聞こえた気がするが、そんなこと気にしてられない。

 

誰かが痛みの中で悲しんでいるのなら、それを助けて救うのが姉であり、彼女の役目。

 

アスファルトに派手な音をたてながらも着地する。

重力に逆らっているわけでも、風を操っている訳でもない。等倍速、物体の重さと重力。想像通りの衝撃と重い音が響く。

重い肉体が激しい衝撃で落ちた(正確には着地しただが)のだ、本来なら骨は折れ、内臓は破裂し、叫び声が轟くはず。

 

しかし彼女は優雅に、威風堂々と地面に立つ。

痛覚は遮断した。

骨の強度もいじった。

内臓も同じ。

どんな些細な傷も、どんな重い傷も、彼女には意味がない。

 

「少年たち、おいたはダメだよ?」

 

「誰だテメェ、日中からコスプレかよ」

 

「ざんねん!本物の看護師でした!今すぐ止めたら気絶程度で納めてあげるよ?」

 

驚いた顔の少年らは警戒するように天羽を見定める。それは天羽とて同じで、理論を汲み上げるように目の前の状況を正確に読み取ろいと目をこらす。

 

三人の加害者と二人の被害者。

どこでファやってるファッションなのか聞きたくなるほどあからさまなチンピラと、それに追い詰められる少女。

加害者のチンピラたちはともかく、被害者のうちの一人に見覚えのある人がいた。

 

「あれ?佐天ちゃん?」

 

「あ、天羽さん?」

 

その少女の名前は佐天涙子。昨日出会ったばかりの少女。

黒髪姫カットと髪飾り、都市伝説好きな普通の少女。

 

その姿にあるシーンが思い浮かぶ。

 

()()()()の話。

幻想御手(レベルアッパー)の取引現場か何か。

 

詳細は全くと言っていいほど覚えていないが、確かにこのようなシーンだった。

覚えているのはチンピラの一人が面白い能力ということだけ。

 

「……おい、的の変更だ。お前らの強度(レベル)がどれくらい上がったのか、こいつで試してみようじゃねぇか」

 

そこまで思い出したというのに、チンピラたちの言葉で遮られる。

イキッた厨二病疾患者を治療してから考えよう。

売り言葉に買い言葉、少年たちに笑いかけると合図もなしに殺意が向けられる。

ゴングはならない。先手必勝の試合だ。

 

「うん、いいよ。おいで、哀れな少年たち」

 

おいでと手招きをすると、何本もの鉄パイプや瓦礫が宙を舞う。

念動力者、もしくは重力操作か。相手のことを知るのは、戦いにおいては重要だ。

それも戦いを()()()()()()()()には特に。

 

「危ないねぇ」

 

一直線に向かってくる鉄パイプを小さな動きで交わし、小さな破片は手で払いのける。アスファルトに深く刺さった鉄パイプは、彼女の体に触れることすらできない。

 

彼女には見えている。物がどう動くか。

言葉通りに見えているのだ。

 

それは人間の限界を越えられる彼女だからできること。

視覚も聴覚も、結局は脳の処理。

処理が遅いならその速度を上げればいい。

体力がないならエネルギーを作ればいい。

足が遅いなら筋肉を増やせばいい。

痛みがあるなら消せばいい。

 

脳内の電気信号で人体の限界を突破して。

限界に体がついていけないなら、体を変えて。

 

アドレナリンの分泌、β-エンドルフィンの分泌、ドーパミンの分泌、その他脳内麻薬の生成。

 

生物的な人間の限界という点においては、彼女は最高峰にいた。

 

「このっ!」

 

「遅いにゃー」

 

汗ひとつかかず、能力も使っているように見えない彼女は、チンピラたちにはひどく異質で恐ろしく見える。

その恐ろしさから焦り、うち一人が走り出す。

天羽に向かって突進してきた男は血走った目で手に持った鉄の棒を勢いよく振り下ろす。

 

しかしその姿は全てがスローモーションに見える彼女にはただ面白いだけ。

軽く足を突き出しただけで思った通りに引っかかりバランスが崩れた。バランスを崩した先、地面とぶつかる前に思い切り胃をめがけて膝を打ち付けると、ピクピクと痙攣させながらその場に倒れこむ。

 

(ごめんね。()()が出せればこんなふうにしなくていいのに!)

 

白い泡を吹きこぼしながら白目を剥く少年に少しの申し訳なさと罪悪感を感じながら、次の標的に目をむける。

残りの二人のうち、恐怖の色に染まった一人は必死になってあらゆるものを宙に浮かす。

鉄パイプ、瓦礫、ワイヤー、フェンス。視界に入るあらゆるものを。目の前の悍ましい女に向けて。

 

しかしそれは選択肢としては、あまりよくないものだった。

 

「っと!」

 

足を踏み込み、大きく跳ぶ。降ってくるそれらをまるで階段のように、優雅な足取りで踏んでいく。

軽やかに飛び込んで、上へ上へと登るさまにその少年は目を奪われた。

太陽を背にして、白衣の天使が降り立つ。呆気に取られた少年の胸板に。

 

衝撃。

 

高所から重い体を叩きつけられ、少年は一瞬で意識を飛ばす。

地面に思いっきりぶつかった少年のもう戦う力も意識もない。

 

「あとはアンタだけかなー?どうする?降参?」

 

「……テメェはぶち犯してマワして、それから殺してやる」

 

「それは困るなぁ、お手柔らかに」

 

あっという間に二人が地面に倒れた。

数という優位性はなくなり、少しだけ最後の少年は心拍数を上げる。

 

早く終わらせたい。面倒なことは早く終わらせて、バイトに向かわなきゃ。

 

勢いをつけて最後の一人に向かうと、男相手に蹴りを放つ。できる限り手加減はした蹴りは男の脇腹目掛けて放たれた、そのはず。

しかしガンッと大きく音を立てて吹き飛ばしたのは、相手ではなく廃ビルの周りを囲む大きな仕切り。

 

おかしい。彼女の目測には一切の誤りがないというのに。

正しいところに打ったのに、正しい場所に当たらなかった。

 

それが意味するのは前提の正しさが変わっている、ということ。

 

「ふ、ふふ、はははは、面白いね!ちょー面白い力持ってるね、あんた」

 

その答えにものの数秒もかからず辿り着くと、彼女はただ笑ってしまう。β-エンドルフィンやドーパミンを分泌しているのだ、一度笑うとなかなか止まらず、さらにおかしく思えてしまう。

だが、笑い声の中拳を振るう彼女はなかなかに狂気的で、さらに悍ましい。

 

「ねぇ!それってあたしに直接かかってるのかな!?それともあんた自身が幻覚なのかな!面白いから、もっと見せてよ!」

 

「気色悪い女が!」

 

逃げる彼を追って、もう一度拳を振るう。だがやはり標的から逸れる。

代わりに壊したフェンスは凹み、認識とは違うダメージに思いがけず傷がつく。

 

三角筋の損傷、中手骨の破損、血管、皮膚の傷。

その全てが一瞬のうちに治る。

 

まるで糸を紡ぐように、金で継ぐように、傷口はなかったことになる。なんと恐ろしいものか。

 

その力は回復だけではない。武力にもなり、時には索敵、分析にも使える。

こういう時は特に。

 

(相手の能力は肉体、精神に干渉してきていない。なら視覚か脳に影響する外部の要因に干渉しているはず)

 

天羽の能力は自分、他者の体ならなんでもいじれる、干渉できる。となれば、体の状態を把握するのも朝飯前。

ニコニコと少年を追いながら天羽は脳内麻薬で興奮し切った思考で静かに、ひどく冷静に考え始める。

 

(ということは、目に入る前の視界、光の屈折を弄っているのかな?)

 

目が真実を写すとは限らない。目を信用してはいけない。

考えてみればとても簡単な仕組みである。

 

()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()

 

視界を切り、代わりに聴覚、触覚、嗅覚を上昇。

聞こえる音で、鼻に届く匂いで、体を触れる空気で、人の居場所を探る。真っ白になった視界は今は必要ない。

彼女にはそれができる。

 

見つけた気配に従って力を込め、足の甲を蹴り出す。

その一点をめがけて勢いよく振りかぶる。

 

この一手で終わらせる!

 

「や、やめてください!天羽さん!」

 

しかし、その衝撃は宙に浮く。

すぐ近く、正確には真後ろから抱きついた佐天涙子の声で勢いが殺された。

 

まだ逃げてなかったの?

どうしてそこに?

 

色々な疑問は湧くが、問題は彼女のいる場所の方。

真後ろ、それも天羽にしがみつく彼女に気を取られ、足にかかった勢いはなくなり、バランスが崩れる。

 

悪手だ。

 

そう気づいた瞬間、ガンッ!と鈍い音をたてて首に衝撃が走る。真っ白な視界が予想していなかった衝撃にブレ、口からは鉛の混じった唾が飛ぶ。

吹き飛ばされた先はビルの中で積み上げられた瓦礫の山、その上。感度を上げた触覚ゆえに、瓦礫の尖った面が背中に当たるのが気持ち悪い。

 

「あ?ガキが生意気言うじゃねぇか。なんも力もねぇやつにごちゃごちゃ指図する権利はねぇんだよ」

 

立ちあがろうとした瞬間、聞こえたのは誰かがフェンスに叩きつけられる音。

 

怒りが湧いた。

 

得た力で欲のまま行動し、正義のカケラも見受けられない、己の信念なんて持ってもいない野郎に勇気を振り絞った少女を貶す道理は存在しない。

存在してはいけない。

 

(正義のためだ、致し方無い。首の骨を折ってすぐに治癒すればいい)

 

彼女の神如き盛大な正義感は、暴走し始める。

神の万能と人の狡猾さ。二つを兼ね備えた少女は勘違いも甚だしく薄く笑う。

 

脳さえ機能していれば生かすことが出来る。

体さえあれば死んでも動かすことが出来る。

 

それを神の力と誤解して何がおかしい。

万能だと勘違いして何が不思議か。

 

生命の流転を操る超能力者。

 

彼女は実に超能力者らしく傲慢で、高潔で、恐ろしい怪物だった。

 

「貰い物の力を自分の実力と勘違いをしているあなた方に、彼女をとやかく言う権利はありませんわ」

 

怪物が動き出すその前に、誰かの可憐な声が殺風景な工事現場に響く。

その少女を天羽は知っている。

 

高く括ったツインテールが風になびき、鈴のような声でその少女は怒りと殺気のこめて鋭く言葉を言い放った。

 

風紀委員(ジャッジメント)ですの」

 

「白井さん……!」

 

「暴行傷害の現行犯で拘束します」

 

白井の登場に安心すると、ため息をついて瓦礫の山から降りようと力を入れる。

もうやることは終わり、天羽の出番も終わった。

あとはボロボロになったナース服で帰るだけ。

 

「あれ?あっっ、ぎゃっ!」

 

そう思って腰を上げると、奇跡のバランスで成り立っていた瓦礫の山はあっという間に形を崩す。

ガラガラと音を立てて天羽を滑り落とすように、瓦礫は崩れて天羽の体は地面に落ちた。

 

(さて、面倒なことになった)

 

流石の天羽といえど、生き埋めになったらゲームオーバー。

落ちた体の上に乗っかった大きい瓦礫に少し焦って抜け出そうともがくも、なかなかうまく抜け出せず。

 

「何間抜けなことしてんだ?」

 

「ヒェ、か、垣根くん!」

 

もう諦めて不貞寝でもしようかと思ったその時、人影が天羽の顔にかかる。

廃ビルの窓から溢れる光に思わず目を細めてしまうと、その輪郭が浮かび上がる。

 

埃っぽいビルの中、垣根は冷たい瞳で佇んでいた。

 

「なんでここに?降りてきたの?」

 

彼の表情は無に等しく、笑っているわけでも、悲しんでるわけでもなかった。

ただどことなく、かすかに怒りと不安が漂っているのを感じる。

 

「ど、どうかしたの?怪我したの?具合悪いの?だ、大丈夫?あたしが───」

 

治してあげる。

そう口に出そうとしたが、伸ばした手を掴まれその言葉は喉の奥に戻っていく。

 

「それはテメェの方だろ」

 

怒りを含んだ声が頭上から聞こえた。

垣根にぶつかるほど勢いよく瓦礫の中から引き出され、そして目が合う。

真っ黒な光のない瞳だというのに、口のように雄弁な瞳が天羽を見据える。彼女にはただ恐怖しか伝わらないというのに。

まるで未知の生物に恐怖するかのようで、天羽にはただ寂しさしか感じられない。

 

「え?怪我なんかしてないけど」

 

「瞳孔が開いてる、こんな明るい場所でだ。それに脈が異常に早い。顔は青い、でも汗をかいてるし、体も熱い。いつもとテンションが違う、風邪の時興奮しているのと似てるな」

 

「ちょっ、」

 

「その反面ぼーっとしてるだろ?さっきまでのテメェなら首を狙った攻撃くらい難なくかわしただろ。でも今は反応できなかった」

 

天羽の手首握った手は、今度は天羽の首を掴む。まるでマウントの取り合いだ。

彼は今、彼女の上に立っていると教え込んでいるのだ。静かに、淡々と踏み込んで。

彼女に発言権すら与えずに。

 

恐ろしいほどに見破られている。

腕を掴んでいるのも脈を測るためか。さすがというか何というか。

呆れてしまう。

 

彼が言ったことは全部事実だ。

そしてこれは別に異常でも何でもない。ただの副作用だ。

 

瞳孔が開くのは視覚情報を通常より多く取り入れるため。光を集めると、瞳孔は勝手に開く。

視覚情報をスローモーションにするために無理やり恐怖を感じることで作り上げていることも一因か。

 

脈が早いのは血液の供給量を上昇させるため。あと精神的緊張からもきてるかもしれない。

 

顔が青いのは消化器官など戦闘時にいらない項目にエネルギーを使ってないからその影響。

 

熱は使いすぎているのに生かされている筋肉が生産しているもの。

 

汗をかいているのは体の体温を一定以上あげないため。

 

興奮しているのは限界を突破するために分泌したアドレナリンのせい。

 

ぼーっとするのは脳内薬物の分泌、特に痛み止めのβ-エンドルフィンの分泌によるもの。

 

それが見抜けたからなんだというのか。

それを知って何が変わるのか。

天羽には彼が意図していることがわからない。

 

「……確かお前、脳の電気信号で力のリミッターを解除できるんだよな?」

 

「え?何で知って……」

 

「この症状はどう見ても電気信号でリミッターを外した程度で現れるものじゃ無い。テメェ、自分の体に何をした」

 

垣根の言葉に空気に触れて唇が少し痺れる。それほどこの場には電気のような緊張感が漂っていた。

 

教えてない情報に少し警戒心が増す。

確かに今の戦闘で天羽の能力に察しがつくだろう。しかし今回は確認するように聞かれたのだ。

彼は確信を持って話している。

 

もちろん、「脳の電気信号で力のリミッターを解除できる」なんて情報は真実を交えた嘘の情報。

書庫(バンク)に載せてもらった嘘の記録。

 

大事なのは、彼はそこまで調べた、天羽に興味を持って調べた、その事実。

 

警戒されている?一体どこまで調べた?

天羽彗糸()の情報を調べたくらいで藍花悦(真実)に辿り着くはずはないが、この世に絶対はない。

 

怖い。

 

真っ直ぐとその漆黒の瞳に見つめられる。何だか、怖い。

まるで天羽を人間として見ていないようで、不安を煽り、恐ろしい。

 

「言え」

 

「……所謂ひとつのドーピングってやつ、脳内麻薬の分泌促進」

 

小さな声で呟くと首を締める力が増す。少しだけ苦しいが、それは痛みではなく、心。

 

「はっ、無名の大能力者(レベル4)とは思えねぇな、その応用力。実験施設で名前が上がっててもおかしくねぇってのに、情報改竄に嘘、まるで隠されている。テメェ、一体何者だ」

 

「あたしはただの看護師だよ。ただの、看護師」

 

そう。結局彼女はただのナースなのだ。

人々を救い、癒し、助けになる白衣の天使。

 

だから彼女はこの力を悲しむ者のために使う。

 

天羽彗糸はみんなの、全人類のお姉ちゃんだから。

 

「……看護師ならまず自分の体の心配しろ。それで倒れてもらっちゃ困る」

 

天羽の答えに納得したのか、パッと首元から手が離すと垣根はため息混じりに肩をすくめた。

緊張が解けてストンと地べたに座り込んだ天羽からは、彼の表情は見えなかった。

 

「たく、白衣の天使様は躾がなってねーな。調教のしがいがあることで」

 

「あたしは平気なのに、なんでそんなに心配するの?」

 

だが天羽は垣根のその執着に納得がいかない。

 

ねぇ垣根くん。

あたし元々別世界にいたんだよ?

ずっと昔に死んだんだよ?

痛みの中で、生ぬるい血溜まりの中で、あたしは、死んだんだよ?

あれ以上の痛みは知らない、あの痛みを誰かに知って欲しくない。

だからあたしはあたしを犠牲にする。

武器として盾として、あたしを使う。

 

一人脳内で思いを反芻すると、その感情に気が付かぬまま垣根は再び、今度は大きなため息をつく。

結局のところ、同じ超能力者(狂人)同士でも彼女の感情を推し量れなかった。

 

「心配じゃねぇよ、お前が死んだら俺に疑いがくるから困るんだよ」

 

「てっきり勝手に飛び出したことに怒るのかと」

 

「あ?テメェが看護師でみんなのお姉ちゃんを自称する正義気取りの善人様ってことはわかってんだ。飛び出すのは目に見えてる」

 

熱を帯びた首元に手を当てながらふらふらと立ち上がると彼が肩を貸してくれる。珍しい行動に少し目を丸くするが、せっかくならと肩に腕を回し、寄りかかる。

甘くて、爽やか、けれどどこか無機質な不思議な香り。

何だか懐かしい香り。。

垣根のそばから香水とも違うそれが香る。

 

もしかしたら彼のAIM拡散力場、未元物質(ダークマター)の匂いだったりするのだろうか。

なんだか懐かしい香りと、珍しく優しい少年に引きつられて、少女は歩き出した。

 

「あ、ありがとう、垣根くん、心配してくれて。でも、あたしは大丈夫だから」

 

「……お前は本当に思考回路がおかしいな、何で他人は気にして自分は気にしないんだか」

 

「そーゆー生命体って割り切ってよ、ん?」

 

廃ビルから出て、バイクのところへ向かう。もうエンドロールが流れそうなしんみりとした空気の中、空気が揺れた。

突如として鳴り響いたのは大きな衝撃音。

舞い散る埃と、動く影。

ガラスが割れる音。

 

「えぇぇ!?は、廃ビルがっ!?」

 

廃ビルがガラガラと崩れていく様子が瞳に映る。白井があの男にとどめを刺したのだろう。

結果、廃ビルは崩れて元の形にはもう戻らない。

撤去予定の廃ビルとはいえ、こんなにもめちゃくちゃにされてしまったら工事現場の人たちは困るだろうに。

 

「皆様お揃いで」

 

驚く天羽たちの前に音もなくその場に降り立ったのは白井、と先程一戦交えた不良少年。

もうその不良は戦意など微塵もなかった。

 

「あら、佐天さんは?」

 

「帰っちゃったのかな」

 

そうですか、と少し残念がる白井を余所に垣根がその不良少年を見つめて眉を顰める。

先ほどとは違う別の苛立ちなのか、光のない瞳がさらに深く濃くなっているかのよう。

 

その顔には憎悪が見て取れる。

 

「んで?なんでこのムカつく野郎を連れてきたんだ?」

 

「あぁ、そうでしたの。幻想御手(レベルアッパー)を頂くんでしたわ。」

 

「っうぁ!」

 

白井がタンクトップを引っ張り男を睨むと彼は小さく呻き声を上げた。

何やらひどく恐怖を植え付けられたのだろう。先程の光景がフラッシュバックしたのか、身体を震わせながらあるものを両手で差し出す。

 

「あ?音楽プレーヤーじゃねーか」

 

それを最初に奪ったのは垣根だった。

奪ったのは小さな音楽プレーヤー。なんの変哲もないそれがポツンと握られているだけだった。

 

揶揄われている。

そう感じるのも無理はなく、風紀委員(ジャッジメント)の少女とホストまがいの少年は高圧的に不良を見下ろした。

 

テメェ、隠してるもん全部出せ。

 

暗にそう訴えられている。その圧に不良少年は恐怖に怯えながらその正体を口にする。

というよりも、説明を始める。

 

「れ、幻想御手(レベルアッパー)は、曲なんだよ」

 

「なんですって?」

 

なぜなら彼が渡したものは正真正銘、本物だから。

 




前日はステイルくん、次の日はチンピラ。大変ですね。
しかも昼間は病院で激務。大丈夫か?
けいとちゃんの演算は一応色々調べはしましたが間違っている可能性はあります。SFとして見てくださると嬉しいです。
セリフ等はアニメを確認ながらポチポチと打ってるものなので誤字脱字があると思います。
一応漫画などで確認してはいるのですが、それでもミスを死滅させることはできないヨワヨワ頭を持っているのでミスを見つけたらぜひ教えて欲しいです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。