とある科学の肉体支配   作:てふてふちょーちょ

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ちょっとファッションのお話が出てきますが、とあるはおおよそ2007年ごろが時代設定で、さらにファッションが少し遅れているとのことなので、2020年ファッションの天羽は、大体2000年代前期ファッションの学園都市人には少し理解できない感じです。
天羽さんはふっつうの女の子です。



79話:メタフィクション

幼い中学生にしては背の高い少年がそばで立ち止まる。自分と同じ年か、一つ上くらい。

ソプラノ声の少年はリーダーと目を合わせたまま動かない。

奇妙な沈黙が場を満たす。

何だか気まずい雰囲気に、言葉を出すのを躊躇った。

 

「な、なんでお前が、ここに……」

 

沈黙を最初に破ったのはリーダー、垣根帝督だった。カーテンのように落ちる黒い髪を指先に絡めて、まるで生き別れの兄弟を発見したような驚きに満ちた黒い瞳でソプラノ声の少年と見つめ合った。

初めて見る顔に僅かな不安を感じる。

暗部とはかけ離れた男子高校生の表情に、彼の悲劇も闇も、一切感じられなかった。

 

「えっと、知り合い?」

 

「……違います、行きますよテレスティーナ」

 

「いいのかよ?」

 

時が止まったかのように目を見開いたまま固まる彼らに咳払いをすると、黒髪の少年は目を逸らして付き添いの女と背を向ける。

焦ったように目元の隠れた少年の踝まで届く気味の悪い黒髪が翻った。微かに花の香りがする少年の長い髪は、蝶のようにひらひらと舞う。

着込んだ藍色のカンフー服も相まって、中性的な少年は同じ人間とは思えなかった。

 

「よくないだろ」

 

不思議な少年の長い髪を掴み、リーダーは離れていく。少年の元へ向かった彼は、私のことは眼中にもないようだった。

魔法にでもかかったかのように気味の悪い少年に目を奪われたとすら思うほど、彼の態度は私へのものとは違う。

何だか腹立たしい。ずっとともに仕事をしてきた女の同僚ではなく、知らない美少年に関心が向くなんて。

 

「ちょっと、どうしたのよ」

 

「誉望でも呼んであとは一人でやれ、野暮用が出来た」

 

「はぁ?」

 

奇行に走る上司を止めようとくすんだ色のジャケットの裾を掴むが、すぐに振り払われて彼らは人混みに消えていく。

強引に掴んだ藍色の袖を引いて走り去る彼の背が消えていった先を見つめながらぽかんと立ち尽くす。

 

「どういうことなの……?」

 

風のように消えていったリーダーの不可解な行動に、脳の理解が追いついていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

袖に包まれた腕を強く掴み、振り返らず真っ直ぐ歩く。

沢山の服屋が並んだフロアで顔を伏せながら腕を強く握ると、後ろを必死に着いてくる少女から悲痛な声が小さく聞こえた。

 

「離して、おねがい垣根くん」

 

「なんで」

 

「あた、ぼくのこと、嫌いなんでしょ?」

 

小さなお願いに構わず前に進む。彼女の聞き慣れない少年声に腸が煮えくり返りそうだった。

 

━━この女はずるい。すごくずるい。

 

二週間音沙汰もなかったくせに、お前の言うことを聞くとなぜ思う。

もう嫌いになったのだろうかと、もう二度と会えなのかと、そんな憶測を真実にしようかと思っていたこの時に、タイミング悪くやってくるお前を手放すと思う。

 

一番不安な時に、信じられなくなる時に現れて、落ち込んだ機嫌をすぐに舞い戻らせる。

 

そんな女、ずるいに決まってる。

 

「……誕生日、なんで帰ってこなかったんだよ」

 

「っえ?あ、あぁ、そんなものもありましたね」

 

強く細い腕を掴んだまま、少しだけスピードを落とす。探るように呟いた質問は彼女にとっては予想外だったようで、声色からして困惑しているのが伝わる。

少年のソプラノ声。聞き慣れない声とよそよそしい態度が腹立たしい。

 

「なんで帰ってこねぇんだよ」

 

「言ったでしょ、キミに不快な思いをさせたくないって」

 

「俺の事、怒ってるのか?だからそんな冷たいわけ?」

 

足を止め、ようやく彼女に振り返る。髪の色や質が変わって胸が平らになったせいか、いつものような威圧感はあまり感じられない。それどころか小さくなっているように感じる。

 

目の錯覚と言えばそれまで。

けれど、むすっと頬を膨らます仕草に目元が見えずとも小動物的な小ささを感じるのはきっと勘違いじゃない。

 

「ぼくが怒ってるように見えます?」

 

「見える」

 

「別に怒ってません」

 

「じゃあなんで『ぼく』って言うんだよ、敬語やめねぇんだよ」

 

「ぼくが藍花悦だから、それだけです」

 

拗ねた子供のように口をへの字に曲げて顔を背ける彼女に、危惧していた感情が呼び起こされる。

襲うのは脱力感。手から滑り落ちた彼女の袖をもう一度握る勇気は無かった。

 

「なぁ、俺のこと、もう嫌いになったのか?」

 

「馬鹿ですね、嫌いになるわけないでしょ?」

 

面倒くさそうに、呆れたような力の抜けた笑顔を見せると彼女の手が袖越しに手を触れる。

繋ぐわけでも、握るわけでも、掴むわけでもない、ただ触れただけの手に重い感情がこもっているのは垣根にしかきっとわからない。

 

「……服でも見るか?」

 

「いいです、別に。早く帰るので」

 

「あ?テメェは俺の誘いを断るのか?」

 

触れた手の暖かさに安堵すると近くにあった服屋に目を向ける。ブランドものでもない学生向けの安価な服屋だが服の種類は多く、似合うものや好きなジャンルを話題にする目的なら申し分ない。

けれど垣根の気が利いた誘いをぶっきらぼうに断ると彼女は逃げるために背を向けた。

 

「先ほどの中学生とデートの続きでもしていたらどうです?嫌いな人ではなく、好きな人といた方が精神衛生的によろしいかと」

 

「あれは荷物持ちとして呼ばれたようなものだ。変に勘違いして拗ねてんじゃねぇよ」

 

「違いますぅ、拗ねてません!垣根くんこそ素直に言えばいいじゃないですか、中学生のませた子供に邪な感情を抱く性癖があるってね!」

 

どこか怒った様子の彼女を訝しげに見つめながら首根っこを押さえて引き止めると、子供らしく可愛げのある少年の声を荒げて罵倒とも言えない雑言を放つ。

精一杯の意地悪に少し笑いが込み上げるのを我慢しつつ、不名誉なレッテル貼りに多少の苛立ちを感じて首を掴む手に少しだけ力を込めた。

 

「誰がガキを相手にするって?いい加減、考えを改めねぇと強めにグーで殴るぞ」

 

「ふん、殴ればいいです。コンシェルジュとかついてそうな金持ちの超能力者が、わざわざこんな学生向けの施設で中学生女子と二人きりなんて、そう思われてもおかしくありませんもん!」

 

目線の下で喚く少女の拗ねた言動に少しの違和感を覚える。それは些細な事、しかし見逃せない。

先ほどから心理定規との関係性を疑って、からかうような事しか言っていないのだ。

女が女の悪口を言うときは大抵一つの感情しかない。

鈍感でもない男には分かる。兄への思いか、弟への思いか、恋する乙女の純情か。

子供らしい嫉妬心に苛まれているとしか思えなかった。

 

「……何お前、嫉妬してんの?ならもう少し可愛くアピールしろよな」

 

「うるさい、ぼく帰ります!」

 

「おうおう、帰るな帰るな」

 

否定もせず捨て台詞を吐いて逃げようとする彼女の腕を絡み取り、相変わらずお子様な彼女をエスコートしようと前に出る。

 

やっぱり好きじゃないか。拗ねて嫉妬しているだけじゃないか。

ただの家出少女ならば、垣根がこんなに悩む必要はない。

 

━━俺が謝る必要はない。

 

「ほら、せっかく会えたんだ、綺麗な服でも買ってやるから機嫌治せ」

 

「……別に機嫌が悪いわけじゃないです」

 

少しだけ縮まった距離にくすぐったさを感じると、手を握って目に入った服屋に足を踏み入れる。

甘い色で埋め尽くされた柔らかい服ばかりが並び、女が好きそうな曲が流れる店内に入るには少し恥ずかしさはあったけれど、少女の機嫌を取るためならばそんなもの些細なことだった。

 

「で?どういう服がいいんだ?その変な服と比べたら何だってマシではあるが、一応聞いてやろう」

 

「いらないです、別に。ていうかこれは変じゃないですけど」

 

入り口付近に飾っていた赤いワンピースを手にとってからかい混じりに彼女に当てると、先ほどから拗ねた顔をさらに顰める。

藍色の上に乗る紅色は眩しく、藍花悦らしくはないと、そう伝えたいのだろうか。やんわりと押し返す彼女にため息をついて今度は別の布を手にとった。

 

「あー、今は青縛りだったか。ならほら、こっちは?」

 

「いやです。なんでぼくがそんなの着なきゃならないんですか」

 

「なんでって、女は好きだろ、こういうの」

 

今度はお望み通り柔らかな青をしたチュニックを体に当てる。なかなか様になってると思っていたが、お姫様は随分と我儘で、垣根が選んだものを軽々と拒否した。

 

「そうじゃなくて、なんでデートみたいな雰囲気出してるんですか。嫌いなんでしょ?ぼくのこと」

 

「うるせぇ、黙って着てこいよ、その格好似合ってねぇんだよ」

 

口煩い女に見繕ったもの全て押し付けるも、駄々をこねながら丁寧に服を元の場所に戻す。袖の長い服で器用に畳む姿に関心するが、それよりもこの垣根を二度も拒否したことに少なからず腹が立った。

 

「だからって、やだ、こんな服着たくない」

 

「お前の服って一昔前のセンスでダサいんだよ、いい機会だしどうにかしろ」

 

口を尖らせて意思表示をする彼女の顔に腹が立ち、袖の中にわざわざ手を入れて彼女の腕を掴む。逃げないようにと手首を掴むと、さらに不機嫌そうに口が曲がった。

 

彼女の私服の法則はかなり可愛くない。

色のついたキャミソールと白系のハイウエストのズボン、または大きなサイズのシャツをブカブカのズボンに入れたスタイル。

たまにショートパンツを履くこともあるが、この法則はあまり変わらない。

 

はっきりこの場で言おう、ダサいと。

 

誰がこの時代でシャツインするのか聞きたいし、なぜそんなにもシンプルすぎる服を着るかも問いたい。

写真のプリントされたシャツも、どこかアナログちっくで古めかしい。古着屋で買ったかのような、というか古着屋で買っていると確信できる服装はどう見ても時代遅れだった。

 

「……流行は巡るんです。それに好きな物と似合うものは違うんですよ、イケメンには分からないでしょうけど」

 

「なるほど、好きと似合うは違うのか。じゃあ次はロリータでも見に行くか?似合うんじゃねーの?貧乳」

 

「話聞いてましたかロリコン。ああいうのは小柄でちっちゃくておっぱいのない子が似合うんですよ?ぼくが巨乳で高身長なのは客観的事実かと思うのですが」

 

「でも今は貧乳じゃん」

 

「そりゃあ潰してるから当たり前です」

 

言い訳を重ねる子供にムカついて、少し意地悪な笑みを浮かべて袖の中に手を入れる。暖かい手を捕まえて、逃げられない彼女の滑稽な反論を笑い飛ばすとほんの僅かに強く指を握り返された。

 

「つーかあのデカさがこんなのになるなんて質量保存の法則どうなってんだ?」

 

「……企業秘密」

 

手を繋いだままそっぽ向いて頬を膨らます子供に口角が上がって息を吹き出す。目線を下げると見える子供の珍しい顔に笑い声を我慢しながら優しく手を繋いだ。

 

「まーた拗ねてんのか?どうすれば機嫌治るんだよ、お子様」

 

「お子様じゃないです」

 

「じゃあ天使様ってか?どっちにしたって純粋無垢な存在ってのは変わりねーだろ」

 

子供じゃないと高い少年の声で反論する少女に笑い声を吹き出して鼻で笑い飛ばす。ずっと、ずっと彼女を見続けていた自分にとっては彼女の反論なんて意味をなさない。

 

「純粋無垢?処女だという意味なら、ぼくは自分で処女だと明言したことありません。ロリコンのキミには残念かもしれませんが、ぼくは純潔の乙女(ヒロイン)ではないのですよ」

 

「嘘つけ、お前はそう思い込ませるのが得意なただの耳年増なガキだろ」

 

「違いますけど?全然違いますけど?」

 

胸を張って見栄を張る。そんな馬鹿な子供のことなんて、考えずとも理解できる。嘘をつくときは胡散臭い笑みを浮かべる彼女は、とても分かりやすい。

垣根が何も知らないとでも思っているのだろうか。

 

「テメェのことは全部分かるんだよ。俺をあんま舐めるな」

 

「全部、ですか。じゃあぼくがどこから来て、どうやって生きて、どうやって死んだかもわかりましたか?」

 

優しく笑うと、期待とは逆に冷えた声が耳を貫く。冷たく、恐ろしい声で彼女は鼻で笑う。

馬鹿にするように嘲笑い、挑発的に口元を歪ませくすくすと囁く姿は恐ろしい妖精のようだ。

 

「……なんとなく、だがな。確実な証拠はない」

 

「どんな推測か、聞かせてくれるんですよね?」

 

期待するような目線に口が僅かに開く。この場で言ってしまってもいいものか、少し気がかりだった。

秘密で繋がる関係は推測を伝える事で崩れてしまうのではないかと。

 

それでも伝えたい。彼女のことを一番知っているのはこの垣根帝督だと言うことを。

 

「……魔術は別世界の常識を引き摺り出す能力。だから聖書の引用がされる。聖書に書かれた天国が目に見えないだけで本当にあるからだ。ならば、天国から魂と呼ぶにふさわしい何かを手繰り寄せることはできないのか」

 

これはただの推測であり憶測。

しかし、これでも辻褄のあった推理だ。

 

魔術が別の世界の常識を引き出す術であること、彼女が天使と呼ばれること、未来が見えるかのように動くこと、名前が二つあること、記憶がちぐはぐであること。その全てを解決してくれる良く出来た推測。

確証も何もないただの妄想に近いけれど、それでも話さずにいられなかった。

 

「死んだ人間も、天使の輪が描かれることがあるらしい。轢かれて死んで、神に会って、生きているお前自身を神が生まれる前に死に、死後の世界を案内するウェルギリウスに例えるあたり、お前は俺に伝えようとしていたんだろ?自分がこの世界とは別の法則から呼ばれたことを」

 

「……シャーマニズムからの着想ですか?随分すんなりそんなぶっ飛んだ推測を立てましたね」

 

「お前の能力はブラックボックスに近い。つまるとこと原石でも開発した能力とも言いづらいんだよ。聖人とかいう魔術サイドの原石みたいなものがいる以上、ありえない仮説じゃねぇ」

 

前髪に隠れた瞳を見ようと体を互いに向ける。

推論が当たっていてほしい、当たって欲しくない。二つの感情にぐるぐると頭が悩まされていた。

 

「お前は藍花悦でもあり、ずっと未来に死んだ天羽彗糸と言う少女で、魔術か科学かは知らないがお前は天国から呼び起こされてしまった。タイムリープ、タイムトラベル。きっとそういうことなんだろ?」

 

「……聡明だね、惚れてしまいそうです」

 

手を握ったまま伝えた言葉に目尻を緩めて小さく笑う。心底愉しそうに微笑む彼女の姿に胸を撫で下ろすも、安心するには早計だった。

 

「でも正解を答える必要はありませんよね?」

 

「は?」

 

「だってぼく、キミとは無関係な赤の他人ですもの」

 

だんだんと握り返す力が弱くなる。

流れる雨のような髪はカラスのようで、手から伝わる心音と合わさって何か不吉を感じさせる。

 

「……それは俺と一緒に居たくないってことか?」

 

「そうですね。だってキミはぼくのこと嫌いなんですもん。キミが嫌いなら、ぼくはキミのために離れるだけです」

 

「嫌いじゃねぇよ」

 

「嘘つき。無理してぼくと居なくたっていいんだよ」

 

「だから無理とかそういう話じゃ」

 

弱っていく彼女の声と、崩れていく口調にむしゃくしゃした複雑で処理しきれない巨大な感情が湧き上がる。

全てを否定して欲しいと縋るように強く手を握っても、握り返すことはなかった。

 

「じゃあどんな話なわけ?」

 

「それは……」

 

これ以上言葉は出ない。

 

垣根のことを好きだというくせに、一緒に居たくないなんて言ってのける彼女に、なんて答えればわからない。

 

━━俺はお前のことなんか好きじゃない。でもお前は俺のことが好き。

 

だから天羽が一緒に居たいと願わなくては隣にいられない。彼が願うことではないから。彼女が望まないといけないのに。

なんで一緒に居たいと願わない。

 

「安心して。嫌いな人と一緒にいなくたって、誰もキミを責めないよ」

 

寂しそうに笑う彼女の瞳がひらりと舞った髪の隙間から僅かに覗く。

輝き続ける星を瞳に閉じ込めた黒い虹彩は向日葵のように真っ直ぐ垣根を見つめていた。

 

天羽彗糸の考えはいつだって読めない。

 

彼女の真相も、彼女の思いも、何もわからぬまま絡まった指はいつしか離れて黒髪をなびかせながら彼女はどこかへ去る。

残されたのは不完全燃焼の想いだけ。

どうすればいいか分からないまま、ひどく掻き乱された感情を胸に呆然と帰路へとつくしか今は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

厚い雲に覆われた暗い空を眺めながら、誰も居ない公園のベンチに座る。隣に無造作に置いた開けっ放しの携帯電話から漏れる光は少し眩しい。

太陽の沈んだ空は星がなくても明るい街のおかげで暗闇と呼ぶには程遠かった。

 

「優しい人だよね、垣根くんって」

 

ベンチに深く腰を下ろしてぽつりぽつりと呟く。

誰もいない公園に一人、幽霊みたいな姿の女が喋るところなんて誰かに見られたら怖がられるかもしれない。

けれど通行人が来ないことを知っていれば、恥ずかしさなどなかった。

 

「嫌いな人でも、利益を産まなくなった赤の他人でも、少なからず情は湧いちゃうんだろーね」

 

袖の中から顔を出した自分の手を見つめてくすぐったい笑みを浮かべる。

感じた骨ばった大きな男の手に気持ち悪い笑顔が止まらなかった。自分の手よりほんの少し、本当、ほんの少しだけ長くて、ちょっとだけ太くて、大きい手。

 

可愛らしいじゃないか。

 

こんな女に小さな情が湧いて、申し訳なさそうに眉を下げて気遣って、嫌いな人の機嫌に振り回されながら頑張って振る舞う姿が何とも愛らしい。

ただ気分が悪いからと、意味もないのに好きでもない女の機嫌を取ろうとする彼が可愛くて、愛おしくて、いじらしくて、好きで好きで堪らなかった。

 

「こうなったのも杠ちゃんのおかげかしら」

 

メインヒロインを救った結果はとても上々で、最高のものだった。

 

本当はこんな性格じゃないはずなのに、杠林檎を救った結果は性格として顕著に現れた。

最高じゃないか。こんなにも自分の行いが未来に直結しているなんて、何にも代え難い興奮を感じさせてくれる。

 

彼が恋をするのは一方通行と打ち止めから察すれば幼女で、守りたい人である杠林檎(メインヒロイン)

もしくは何故かネット上で多かった部下の心理定規と恋愛関係を築くか。

 

彼女には何も出来ない。命を糧に救うことしか脳がない彼女には家族ごっこしかできない。

お人形だから。偽物(キャラクター)じゃないから。

ごっこ遊びしかできない。どんなに彼らを家族と思っていても、所詮本物(ストーリー)を作ることは叶わない生き物だった。

 

「どうして、あたしは()()じゃないんだろ」

 

ここはフィクション。

現実に虚像が混じった良く似ている別世界。物語を前提に進む世界はじわじわと精神を蝕み、いつしか負担になっていた。

 

常識が、知識が、何もかもが前世と違い、前提が覆る。

彼女の思いもこの世界では通じず、察しようとする感情も互換性がなく、全てが意味不明。

 

楽になりたいとすら思ってしまう。

 

「……ねぇ、アレイスターくん。虚数学区なら、死人も受け入れてくれるかな?」

 

九月三十日。この日の出来事を思い出す。

あの日彼が作りあげた天国は、彼女が行った天国と同じなのは分からない。

けれど、その天国に行ってみたいと疲れた体は休息を求める。

疲弊した精神はもうこの世界を望んでいない。

 

『……いやはや、キミはなんでも知っているな。その情報を得た経路はないというのに』

 

突然、誰もいない公園で声が響く。

 

開けっ放しの携帯電話から男とも女とも判別付きにくい声がノイズ混じり響くと、その人は呆れたように吐息を零す。

段々と冷えてきた空気に乗ったその声は決して明るくはなかった。

 

「ふふ、だってあたしの為の世界だよ?知らないはずないでしょ?」

 

『キミの為?』

 

「ここは神が与えた小さな舞台。物語にひとつ新しい命を入れて成り行きを見守る悪趣味な世界なの」

 

回線に割り込んできた彼に動じることなく、小さく笑う。

本当のことを言っているまで、それを信じるか信じないかは彼次第。

 

けれど彼女は本当のことを言っている。

 

ここは小さな箱庭。小説に、アニメにある所しか世界が広がらないフィクションの世界。

その中に一つだけ、全てを狂わせる神の視点(読者)をいれて成り行きを見守る地獄なのだ。

 

そのひとつが知識を持って都合のいい装置(デウス・エクス・マキナ)になるか、都合のいい役者(コッペリア)になるかは分からない。

けれど、彼女の与えられた役割は自分の意思に従い、知識を持って誰かを救い、赦すこと。

そのどちらかになるしか道はない。

 

『……お前は世界を演劇に例えるのが好きなようだね。この世界はそんな小さなものではないと言うのに』

 

「好きなの、古典芸術。それに事実だろ?決められた言葉、決められた出来事、決められた感情。劇と何が違う?」

 

『天使らしい言葉だな、主天使(ドミニオン)。劇を見守る観客気取りか、お気楽なものだ』

 

嘲笑が響く。天使と言う単語をわざとらしく使う彼に同じように笑い返すと、肌が焼けるような緊張感が空気を張り詰めた。

 

「やっぱりキミは最初から神の御使いだと知っていたんだね、アレイスターくん」

 

『お前にはAIM拡散力場がない。あるのはとても似ていて違うもの。だから推測できた。とはいえお前の能力が別次元の神が与えた方程式の違う天使の力(テレズマ)だと知ったのはついこの間だがな』

 

「だから主天使(ドミニオン)?残念ね、意味を理解出来ても本質を理解できないなんて」

 

ため息をついて、前髪の隙間から見える雲に覆われた空を薄く睨む。

神の秩序を知らせる天使だと名付けたこの男をとてもじゃないが、好きになれなかった。

 

「あたしの役割は神を憎み、神を信じること。それを主が望んでいるから、あたしはここに生きているの」

 

『全く分からんな。神の意思を伝えるお前はただの駒ではないか』

 

「違うわよ、彼はあたしに最期まで期待しているの。未練を果たすことを、彼を殺すことを、彼を憎むことを。あたしは、神の意思で神を裏切るの。神は大罪を望まれているんだ」

 

彼の名付け通りに生きるつもりは毛頭ない。

だって神が望んでいるものが違うと、やっと理解したのだから。

垣根くんの約束を裏切って杠林檎の面倒を見ていなくても、全てを幸せにしたいと願っても、死にたいと祈っても、死ななかった。

それどころか体晶を通じて神の力を繋げてくれた。

 

神は少女に望んでいるのだ。この舞台を如何に変えるか、この舞台で如何に未練を果たすか。

それの為ならば、神は何をしたって赦す。大好きな乙女が幸せになるためなんだから。

 

『……お前の会った神とやらはどうやら神ではなく邪神のようだ。人の一生で遊ぶイカれた子供じゃないか』

 

「頭のイカれた神様だから、あたしを愛してくれるんだよ」

 

『ならば神に愛された異端者よ、神の世界を卸すため、その体を貸してもらおうか』

 

誰もいない公園に誰かの息遣いと、足音が静かに響く。

ベンチを囲むように立つ何人もの武装した輩にため息を吐くと、一斉に銃口が黒い髪に向けられた。

 

「打ち止めはいいんだ?」

 

『念の為さ。あちらが失敗した時の為の最終手段。虚数学区とも、この世界とも違う別次元の天界を呼び起こす。違うものでも、理屈が同じなら同等の効果は得られると思わないかい?』

 

「そうね。あたしをどう使うかは君たち次第だし、結構結構、上々だ」

 

足を組み、犬のような鋭い目で冷たく凝視する彼らを鼻で笑う。

分厚い雲を見上げると生温い風が髪を揺らした。

 

「けれどね、キミのお手伝いはしたくないの。だって、全てを傷つけたのはお前らだろ?」

 

銃口の矛先に、髪に、一滴の雨粒が落ちる。

 

「悪いけど、この命は彼のためにあるの。彼の命を奪う輩に、渡すわけないっしょ?」

 

天使と呼ばれるならば、それ相応の行動を起こさねばなるまい。

唇に当たった雨を舐めとると、ゆっくりと腰をあげる。響く銃声と、薬莢の香りを受け止めて、その少女はその場に立っていた。

 

優しい人を指して人は天使と呼ぶ。けれどその使い方は正しくはない。

 

天使とは、本来優しさなど持ち合わせていない。

何万、億もの人を殺した神の下で働く天使が、優しさなど持ち合わせているはずもない。

 

彼らは神の試練を伝え、殺さず死なさず、試練を完遂させるためいるのだ。

 

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