というわけで
『お兄ちゃんっぽくてちょっとだけ安心して心を開いただけだから、別に恋じゃないから、違うから(違わない)』なツンデレ女、天羽さん
『まあ多分恋だし両思いだろうけど相手が精神的に子供すぎるので落ち着くまでは妹みたいに扱ってやろう』な大人な対応すぎる垣根さん
ということになります。
本人たちの心情も7割恋愛3割兄妹愛ということでどうでしょう。
84話:平和の影
カーテンから射し込む暖かい光が瞼を焼く。遠くから聞こえるリズミカルな音と、胃をくすぐる甘い香りが重い体をゆっくりと起こす。
蕩けてしまうほど柔らかいベッドには昨晩一緒に寝たはずの少女がいない。シーツに皺を残していなくなった彼女に大きなため息をついて、壊れかけの狭いベッドから腰を上げた。
秋の朝、少し冷たい空気が廊下を満たす。
ケーキのような甘い匂い、食欲をそそる香りに自然とキッチンへと向かっていた。
いつものスラックスとニットを着て、足裏から伝わるひんやりした床を渡る。
着て来たはずのシャツは見当たらなかった。
「……起きてんなら言えよ」
「あ、おはよ。ご飯すぐ食べる?」
透明なボウルとおたまを片手に昨夜の形相を一切感じさせない柔和な笑みをした天羽彗糸は、母のように優しく目を細める。
甘い匂いと簡素なエプロンも相まって本当に幼い母のようだった。
「何作ってんの?」
「パンケーキ。牛乳と卵と粉だけで作れるから、さっきコンビニで買ってきた」
バニラの香りが広がるキッチンで、一つにまとめた長い金髪が揺れる。熱したフライパンで手際よくホットケーキが何枚も焼かれていく香りに、昨晩の驚きに満ちた告白は脳の隅へと追いやられていた。
未来であり、バタフライエフェクトの先から来た孤独な少女。味方のいない、たったひとりぼっちの少女。
全貌を話すことはしてくれなかったが、概要だけでも言ってくれたのが救いか。
自分しか知らない秘密。男という生き物は単純で、秘密を知ってしまったら特別感に舞い上がって途端にプライドが砕けて優しくなる。
そのせいなのか自分の機嫌がすこぶるいいことに、ある種の恥ずかしさを覚えながらキッチンに踏み入れた。
「じゃあ、後でスーパー行くか」
「どうせホテルに荷物取りに行かなきゃいけないから、ついでに買いに行くよ」
「あー、そういえばそうだな。飯食ったら全員で行くぞ」
涼しい風を送る冷蔵庫を開けて唯一ある牛乳を手に取る。
コップを取りだし、零れる手前までなみなみ注ぐと一気に飲み干した。
「一人で行くつもりだったんだけど」
「金の面倒みるの俺なんだから、一緒行くに決まってんだろ」
「えー、優しい。好き」
「知ってた」
一枚二枚とホットケーキをひっくり返し、大皿に積み上げていく。人から奪ったシャツを着て優雅にしている様は、怒るべきなのか否か。
形のいいホットケーキが綺麗な焼き色を重ね、貝殻のような白い皿を覆い尽くす。目を覚ます暖かい微笑みに、この日常が当たり前だと錯覚してしまう。
こんな日々が続くのだろうか。このたおやかな女がずっと隣にいる生活が続くのだろうか。
時折不安に感じる。
垣根のような人間が、光射す人間の隣にいていいのか。
血で汚した自分の手は、表の人間とこんなにも近しくしていいのだろうか。
「垣根、朝ごはん……っ!?」
小さな少女の眠そうな声に不穏な考えは消え失せる。
タオルケットを片手に目を擦る杠林檎の子どもらしい姿に気を取られ、考えはよそへ移っていった。今はとにかく、目の前のガキ二人の面倒を見ることが大切だった。
「おはよう杠ちゃん。ご飯出来てるよ」
火を止め、林檎の低い目線と視線が合うようにコンロの傍で膝を着く。
躊躇いながらも短い腕を広げて天羽の胸の中に飛び込むと、くすぐったそうに長い金髪に頬をくっつけながら林檎は乏しい表情を薄く笑顔にしてみせた。
「天羽、いつ帰ってきたの、何があったの?」
「昨日帰ってきたんだ。ごめんね、留守にしちゃって。ちょっと色々あってさ」
強く抱き締め過ぎて胸に溺れた林檎を離すと、長い金色が滝のように小さい体を囲う。朝日の眩しさと整頓された小綺麗なキッチンの中では、彼女の恐ろしく長い金髪は一際輝いていた。
「髪長くて、お姫様みたい」
「そーお?ありがとね」
軽く頭を撫でて立ち上がると再びコンロに向き直る。話は終わったと言わんばかりに話を切り上げたのは、褒められたことが恥ずかしかったのか。
残り少ない液体を掬ってフライパンに流し込む姿はなんとなく年相応に見える。
「天羽、猫飼い始めたんだよ」
「え、猫?」
「げっ」
「すごい懐いてね、犬みたいって垣根言ってた」
感情がほのかに見える上擦った声で唐突に林檎は呟く。
フライパンを見つめる天羽に横から抱きついて、柔らかい胸に顔を押し付けると幼子のように拙く言葉を吐き出していった。
「あとね、テレスティーナとね、病院のミサカと友達になったの」
「うん、それで?」
「05とね、みんなと、猫と、沢山遊んだよ」
「楽しかった?」
「天羽がいればもっと楽しかった」
「ごめんね、今度はあたしも一緒に遊んでいいかな?」
「うん、次は天羽とも遊ぶ」
フライパンから手を離し、火を止めながら林檎を抱きかかえると内容にちゃちゃを入れることも無く優しく背中を撫でた。
困ったように、胸に収まる大きな子供を抱き締めて笑う光景は少し眩しい。
羨ましいとすら、感じていた。
それは母の愛を受けた記憶が無い故か、誰かに甘えて欲しいという男の願望なのか、どちらかは分からなかった。
「ホットケーキ、私がやりましょうか?」
「あー、ただいま05。お願いしてもい?」
「よろこんで」
いつの間にか後ろに朗らかな笑顔で佇んでいた05と場所を交代すると、林檎を抱きかかえたまま天羽は耳元で僅かに怒気を含んだ声で囁く。
「猫のことは後で聞きます。だから05ばっかに頼らないで、林檎ちゃんのこともたまには見てあげなよ?」
「……へいへい」
いつもと同じ、高校生らしい女の低い声に安堵してちゃんと話を聞いていないのを悟られまいと適当に返事をして彼女達の頭を撫でる。
このまましおらしく家にいてくれればいいと思いながらも、きっと面倒事に巻き込まれに行くのだろうと、一抹の不安を覚えながらも朝食の準備に取り掛かった。
しかし、不安は杞憂だったと言わんばかりに何も起こることなく十月三日に日付は変わる。
特別怪しい様子はなく、今日もソファに座り、膝の上に小さな黒猫と林檎の頭を乗せながら黙々と料理本を眺めているだけで、いつものようにハチャメチャな行動をしようとはしていなかった。
「今晩何しよっかなぁ……うーん、明日の朝ごはんも考えないと……永遠にご飯のこと考えてるな、あたし」
「これ何?」
「海老フライだね。これでもいいけど、海老だけじゃ味気ないし……白身、いや、サーモンフライとか?」
「そうなると、海鮮類が冷蔵庫にありませんね。家にあるもので作った方が良いのでは?」
「アンタたちに美味しいもの食べてもらうのが最優先だから、そういうことは考えないの。残り物くらいなんとでもなるしね」
本に留まるカブトムシ05と談笑しながら真面目に今晩の献立を考える姿に、高校は行かなくていいのかだとか、病院の仕事は大丈夫なのか、と色々言いたくはなるがぐっと堪えて平然とした態度で彼女らの前に立ち塞がった。
「おい、これから用事あるからテメェ大人しくしてろよ?」
「ん。スーツとシャツ、アイロンかけておいたから」
ガンを飛ばすように睨みながら釘を刺すも、いつもと同じ普通の態度で料理本を眺め続ける。相変わらず垣根が持ち込んだ服を勝手に着ているが、彼女の持っていた服を勝手に捨ててしまった手前━━だってダサいし、中古だし、ボロボロだったし、趣味じゃねぇし━━咎めることもできず。
話を聞いているのか聞いていないのか判断つかない適当な相槌に呆れてものも言えない。
「ありがたいけど話逸らすな。いいから大人しくしてろよ?外出るな」
「でも買い物しないと……」
「そんなもん、俺が買ってくる」
「いいよ、今
相変わらず本を読み続ける彼女の言葉に一度思考が止まる。
いつもの含みのある言葉はともかく、その後、知り合いに会うという単語に耳を疑った。
彼女はなんだかんだと人の懐に入るのが上手く、知り合いは多い方だ。それは彼女の職業柄とコミュニケーション能力の高さ、人柄の故。それは分かっている。
けれどこんな時に垣根の命令を受け入れず、名前を明かさない知り合いに男として変な勘繰りをしてしまうのは当たり前の事だった。
「あ?テメェまた変な奴に唆されてんじゃねぇだろうな?それとも浮気か?殺すぞ」
「いや、垣根くんと会う前からの知り合いだよ、仕事上のね。あと彼氏面しないで」
「仕事?その口ぶりは病院のじゃねぇよな?」
勤務先の知り合いならば、上司とか、後輩とか、先輩とか、先生とか、そういった呼び名を使う。知り合いという単語は彼らを表すには不適切。
きな臭い『仕事』という単語に暗部で働いているのではないかと勘違いしていた昔を思い出す。それほどまでに彼女の言葉には違和感しかなかった。
「藍花悦を調べたことは?」
「あるけど」
「沢山見つかったでしょ、藍花悦って人達」
「……それと関係してると?」
「あたし……いや、ぼくはね、色んな人に名前を貸してるんですよ。その人の正義を成すため、欲を満たすため、ぼくの名前を使わせてるんです」
本をテーブルに置いてため息を着くと、一つ一つ順序だてて説明していく。空気を読んだのか黙りこくった林檎の頭を撫でながらふっと息を吐いて似合わない敬語で喋り続けた。
「そして今日会う人は藍花悦の名義貸し事業の共犯なんです。その件でお話がありましてね、会いに行かなくてはなりません」
「その用事は電話で出来ねぇのか?」
「書類の回収をしようかと。大覇星祭中に連絡はしているので、あとは取りに行くだけなんですよ。流石に郵送する訳にはいかないので」
彼女の言葉に嘘偽りは特になさそうで、胡散臭い笑顔を見せずに話すあたり本当のことだと推測できる。
書類の回収だけならばすぐに終わるし、第六位という肩書きがある以上、拗れることはないだろう。もし何かあっても05が居ればそれで済む話だ。
それでもいやなものは嫌だ。垣根の目の届かないところで面倒事に巻き込まれたら困る上、ただでさえ忙しい『仕事』がさらに忙しくなってしまう。
「でもなんか合った時にはもう遅いんだぞ?そう易々と許可できるわけ……」
「行かせてくれたらぼくの戸籍、あげますよ」
「あ?」
「藍花悦のだけですけどね。それじゃダメですか?」
どうしようかと頭を悩ませていると、小さな囁き声が耳に纒わりつく。
妙案とでも言いたげた誇らしい笑顔で挑発的にこちらを見つめる赤と緑の瞳に言葉が詰まった。
「……いや、戸籍貰って俺はどうすればいいんだよ」
「えー……じゃあ、何でも言う事聞いてあげます」
「めんどくさくなってんじゃねぇよ」
ようやく絞り出した返答に頬を膨らますと気だるそうにそっぽを向く。
子供のように拗ねる彼女にため息をついても、心臓を握られているといえばいいか、彼女に勝てるはずもなく。
今回だけと言い訳しながら屈してしまうことは明白だった。
「……はぁ、今回だけだからな。スマホ必ず持ってけ」
「わーい、らびゅー♡じゃあ制服借りるね」
「出かけるの?」
「杠ちゃんも来る?」
「うん!」
薄っぺらく見える重い愛の言葉を押し付けて元気に笑うと、黙っていた林檎の頭と猫を退かして立ち上がる。
話が終わったと起き上がった林檎もお出かけに機嫌が良くなった天羽の姿を見て僅かに口角を上げた。
「なら私も行った方がいいですね」
「絶対傷つけるな。そのためにお前を作ったんだからな」
「分かっております、マスター」
置き去りにされた料理本の上で羽音を鳴らす05に命令を下すと微かな後悔に頭を抱える。
許可してよかったのか、本当に大丈夫なのか。
自分が守らなくては行けない少女たちを仕事だからとはいえほっぽって良いのだろうか。
不安だけが心に残って酷く不愉快だった。
◇
銃を放ち、的を打つ。初めて持った武器に苛立ちを感じていた練習場で、その男は暗闇に似合わない爽やかな笑みで言い放った。
「統括理事会から、我々グループに仕事のオーダーが入りました」
酷く不愉快な言葉の羅列だった。
今では0930事件と呼ばれている先月終わりの出来事。そのせいで落とされた暗闇はグループと呼ばれていた。
損害や打ち止めの件など様々な要因から木原数多の穴埋めを余儀なくされ、現在は暗部所属。肥溜めに叩き落とされた気分だった。
打ち止めに危険が及ばないならそれでも構わない。
けれど必ずしもこの都市が安全とも言いきれないのが不快だった。
現在学園都市は先の事件のこともありローマ正教などというお花畑の宗教団体と揉めている。
戦争まで秒読みと言って過言ではないほど揉めていた。その攻防のため内側への防御が手薄になりつつあり、学園都市も安全とは言えない。
暗部に身を置くことでしか動くことが出来ない自分が何とも腹立たしかった。
「標的となる対象はスキルアウト、あなたの方が詳しいかもしれませんね」
「あぁ、
何も無い白い廊下を渡るさなか、隣の男がたんたんと話を進める。
海原光貴と名乗った本名も本当の顔も不詳な変装男は暗部には似合わない爽やかな笑顔を見せた。
「えぇ、現在連中はおもちゃを作っているようです」
「オモチャ?」
「木材をくり抜いて中に爆薬を詰めたロケット砲です。江戸時代に試作された棒火矢と言ったところでしょうか」
二人の靴音が広い廊下に反響する。単調な声で話し続ける海原は少しだけ前を歩いて業務報告を続けていく。
「彼らはこの数日間の間にあちこちで工作を行っております。災害時の誘導経路の傍に放置自転車を移動させたり、vip施設周辺の排水溝にゴミを詰めて塞いだりと、保安上の問題として取り上げるような問題ではありませんが」
「グループってのは、ガキのイタズラの後始末まで請け負ってるのかよ?」
どんな内容かと聞いていれば、馬鹿馬鹿しくなるほど学園都市では些細な問題ばかり。
呆れて帰りたくなるほどどうでもいい問題にため息を着くが、それでも海原は話を進める。
「ですが、既に二万件以上、オレンジやレッドの警報時にはエラーとして検出されてしまうんです」
「そのための棒火矢だって言うのか」
「大量のエラー報告によってサーバーがダウンしてしまえば、スキルアウトたちが暴れても
「じゃあ、警報を解除すればいいんだろ」
「今が戦争中じゃなければね」
スキルアウトの目的は
馬鹿馬鹿しいとしか言葉が出ない。警備が薄い今を狙って行動に移すあたり、相当彼らの中では執拗に狙った獲物なのだろう。
「内も外も敵だらけってか。学園都市ってのは余程多くの人間から恨まれてるみてぇだな」
「そういう人々をなんとかするのが我々の仕事です」
足を止めてこちらを向くと、海原は簡素な携帯電話のディスプレイを見せる。
大男の写真だけ見せて、彼は長い前髪の隙間から見える穏やかな目をきつく細めた。
「ターゲットの名前は駒場利得。現在のスキルアウトを束ねるリーダーでもあり頭脳でもあります。彼を速やかに処分することでスキルアウト側の計画を未然に防ぎます」
初仕事の相手としては少し不満があれど、拒否することができるはずもなく。
ただ頷いて仕事に着くだけしかやることは無かった。
そして現在、揺れる車の中で汚い街並みを横目に仕事へ向かう。
携帯を片手に眺める景色はスラム街と言っていい程度には汚れ、落書きなどで壁が埋めつくされていた。
「なんでゴミ収集車なんだよ」
『何かと便利なんですよ。死体の処分などもありますから』
二人乗りのごみ収集車に乗り、目的地まで向かう。自分こそ違うものの、運転を任された知らない下っ端の野郎は清掃員らしき服装をしており、車自体も鼻をもぐような腐臭がする。
はっきり言って最低な車だ。
「クソ野郎の死体を漁るゴミ収集車か。笑えねぇ話だな」
目的地に到着するとすぐに車から降りて目の前の小汚い路地に目を見やる。
どちらもゴミみたいなものだ。匂いも、見た目も。
『指示通り、二十分後に回収に来ます。お気をつけて』
「勝っても負けてもアレに乗るわけか。生身か死体かはさて置いてな」
切られた通話に舌打ちをすると携帯をしまって裏路地へ向かう。
杖が床に着く音と靴音がよく通る狭い路地に面倒ながらも身を投じた。
夏が終わりますね。そして同時に一年間描いて来たピンクグラデ天羽さんともお別れになってしまった……
欲を言えばもっと夏らしいことがしたかった。