薄暗くなってきた夕方。仕事を終わらせ豪華な一室に足を踏み入れる。高層ビルの一フロア、天井が少し広い隠れ家に置かれたテーブルを爪先で軽く叩くとそばにいた部下が口を開く。
「もうそろそろでピンセットの情報が集まりそうね」
「……そうだな」
テーブルから離れたソファにマニキュアを塗りながら座る部下、
綺麗に取り繕っても分かる内部の汚さがにじみ出るこの街が嫌いだった。
常識という言葉で悲劇を正当化させる汚物の塊。そんな世界を好きでいられるはずがない。
しかし不安はあった。
守りたいものができた今、彼女たちを巻き込むリスクを無視してまで反逆はなされるべきなのだろうか。
彼女たちを失わずに生きれるのだろうか。
この街よりも大事なものができてしまった今、自分の計画するこの反逆に恐怖を抱き始める。
なん十万人が住む街が滅ぶことより、たった一人の神様を失うことの方が恐ろしかった。
「あら、機嫌悪いの?」
「そう思うなら話しかけるな」
「冷たいわね、一応貴方の部下なのよ?悩み事なら聞いてあげてもいいわよ。有料だけど」
マニキュアを塗る手を止めずにからかうように笑う女に舌打ちを鳴らすと別の一人用ソファに座る。
ほとんどの作業を部下にやらせていたとはいえ、これから起こる反逆は自分がずっと望んでいたもののはず。けれどあの馬鹿二人の顔が浮かぶとなんだか途端に全てどうでもよくなる。
自分は彼女たちを救えた。たったそれだけの事実が反逆への望みを薄めていく。
人を好きになった代償は酷く重い。望みが別のものに変えられ、どうしようもなくなる。
巻き込みたくない、傷つけたくない、幸せでいてほしい。
そんな複雑な心情が混ざった一つの『好き』はどうしようもなく頭を悩ませて答えを教えてくれなかった。
「ちょっと、本当に大丈夫?」
「……どうでもいい」
「え?」
「もう、どうでも──」
『取り込み中失礼するよ』
思わず呟いた無気力な言葉に被さるように男の声が響く。机に置かれたままのノートパソコンが点灯するとsoundonlyの表記とともに通話アプリが開いた。
所属する暗部組織、スクールの連絡役。ここしばらく報告のなかった連絡役からきた突然の連絡に微かに驚いて口を閉じる。
まるで言葉をかき消すためだけにきたような連絡がいいものとは思えない。
「……相変わらず唐突に連絡してくるんだなクソ野郎。何か用か」
『ついさっき上から連絡をもらってね。お前が知ってる天羽、いや、藍花悦についてだ』
予感は大いに命中し、今現在買い物に行っている普通の少女の名前を目の前のパソコンが口にした。
クソ野郎が口にしていい名前ではない。
彼女に危害を加えるような上層部が言葉にしていい名前では絶対になかった。
「アイツに何かしたら容赦しねぇ」
『何かするのはお前の方なんだがな』
「あ?何が言いたい?」
『簡単さ。藍花悦をここに連れてきて欲しい』
「んだと?」
身構えていた体が男の声にさらに強ばる。何を意図しているのか分からぬまま彼女についてのくだらない話が続く。
『
「ほとんどは
『いいや。彼が暗部にきたのは街の損傷のため。
知らなかった事実に苛立ち、足を組み直す。
腹立たしくても感情に乗せられては負け。クソ野郎の前で失態は見せられない。
『藍花悦は
「だからアイツを使って金を稼ごうと?いい性格してんじゃねぇかクソが」
『そんなに褒められてもね。それに君も嬉しいだろう?好きな女と同じ職場なんて』
しかし男の言葉に感情は簡単に崩れそうだった。
「黙れ、テメェに何が分かる」
『不安かい?彼女に人殺しをさせるのは。でも、九月三十日、君がセブンスミストで彼女を引き止められていれば、こんなことにはならなかったかもしれなかった。奥手な自分を呪うんだな』
「クソ野郎、内臓全部引き摺り出して欲しいみてぇだな」
少しずつ強まっていく口調に呆れてしまう。どうしてもあの女に関しては感情が強くでてしまうようで、わずかな時間で我慢の限界に達してしまいそうだった。
『それに、これは統括理事会直属の命令なんだよ』
「はぁ?」
『今並べた理由はただの言い訳、本質じゃないってことさ』
「何が言いたい?」
『君達が何を企んでいるかは知らないが、上層部はそれに彼女を参加させたいらしい。たとえ君が嫌がってもね』
電話相手の単調な声に息が止まる。全てを見透かされたような言葉に怒りと苛立ちが一気に沸き起こるにも関わらず、馬鹿みたいな女の顔を思い出して辛うじて言葉を飲み込んだ。
「……あいつを暗部に入れることで俺らを見逃すって言いたいのか?」
『そこまでは言わないが、上層部は何か彼女に期待しているのは確かだよ』
無機質な音声が窓に響く。考えたくもない言葉の数々に唇を噛んで耐えるしかない自分が情けない。
『君とは少しばかり長い付き合いだ。だから忠告しておこう、あの少女に情が湧くと破滅するのはお前だ』
苛立ちで部屋を半壊にする前に通話が切れる。やり場のない怒りに立ち上がり地面を強く踏み鳴らすとガタンと音を立ててノートパソコンが揺れたテーブルから落ちた。
「クソが……!」
歯を強く噛み締めて拳を握る。苛立ちしか見当たらない感情をどうにかしてしまいたい。
純粋無垢な少女をこちら側になど連れてきたくないというのに、現実は非情である。
「藍花悦って女性なの?彼女って言ってたけど……」
「彼女のことを口にするな」
「っ」
苛立ちを募らせながらドアノブに手をかける。あの女について興味を示す
「藍花悦について余計な詮索したら殺す。引き続き仕事に専念しろ」
それだけ吐き捨てて帰路に着く。はやく会いたいと足早に部屋を後にした。
花のような少女の安否だけが頭にぐるぐると廻り続けながら。
◇
買い物も済まし、大荷物を両手に持ちながら暗い学園都市を歩く。
街灯に照らされて明るいとはいえ、女性が歩くのには少し心配な時間、人の姿に戻って車のない車道側を彼女のために歩いていた。
「なぁーんか、嫌な感じ……」
「どうかされました?」
「なんか、悪寒がするの。第六感が囁いてるっていうか」
杠林檎を抱き上げ、長い黒髪を夜風に揺らす少年のような少女は眠そうで気怠い目を細めて頬を膨らませた。
藍花悦と言えばいいのか、天羽彗糸と呼べばいいのか、胸を押し潰しマスターの青い制服を借りている彼女はいつもの元気ハツラツとした少女の姿ではなく、少し気まずい。
人工生命体に気まずいという感情があるのがおかしい気がしないでもないが、それでも気まずいと形容するしかない。
「どこか痛いの……?」
「違うよー。気にしないで寝てな、色々回ったから疲れたでしょ?」
「子供は眠くなるのも早いですしね」
天羽の平たい胸の中で微睡みながら杠林檎が呟くと手袋をつけた手で頭を撫でる。
まだまだ成長期、少しずつ回復しているとはいえ子供の健康体からは遠いところにいる杠林檎には夜とは言いきれない時間でも眠くなってしまうようだ。
「寝なくても平気」
「眠そうな顔で何言ってんの。明日お料理するんでしょ?」
「うん、お菓子つくる……」
「だから早く家帰えって寝ちゃお」
一緒に遊ぶと約束した通り、女性二人で楽しそうに明日の予定を立てながら薄暗い夜道を歩く。
眠りが近い子供のとろけた声と優しい女の声が夜に響いた。
「ん……ふふ、お揃い」
「なに?髪の毛?」
「ちょっと、嬉しい………………」
夜空に溶け込む長い黒髪を握って杠林檎は目を瞑る。
寝息をたてて首元の髪に埋もれる彼女の背中を優しく撫でるとさらに穏やかな顔になっていく。
「寝ちゃったか」
「微笑ましいですね」
「ほんと、子供って可愛いわ。アンタたちも含めてね」
まだまだ家につかない長い道のり、眠ってしまった少女を抱えて天羽は笑う。
困ったように眉を下げてはにかむ彼女の言葉になにかプライドと似たような何かが引っかかる。
子供と呼ばれるのは、非常に不本意だった。
「子供じゃありませんが」
「何を言う。未成年は立派な子供。大人が守るべき大切な存在よ」
「あなただって未成年ではありませんか」
「どうせ垣根くんと同期して話全部聞いてんでしょ?言いたいことわかるよね」
「……二十四歳だって、子供ですよ」
「アンタたちより大人だよ。なんならこの世界での年齢も足す?アラフォーだよ、アラフォー。垣根くんのお母さんでもおかしくない年齢なんだよ」
勝ち誇った笑みを見せてこの間の話を掘り返す。
決して大人には見えない笑顔は彼女の言う『実年齢』とやらにはそぐわない。
「アラフォーは高校生の母にしては少し若すぎるのでは?」
「あたしのお母さんは十五であたし産んだけど」
「マイナーな具体例出すのは卑怯です」
「でも本当のことだし。ほら、ママっぽく見える?」
一等星の輝く瞳で笑う。杠林檎を抱きしめて佇む姿はなんだか面白くない。
自分の保護下にいて欲しいのに、誰かを守る母になんてなって欲しくなかった。
「……どちらかと言うと年の離れた姉妹みたいです」
「まぁそうね、あたしは母ではない。姉ではあってもね」
言葉を濁して再び歩き出す。杠林檎の寝息がはっきりと聞こえる静寂に足音が響いた。
居心地の悪い空間が酷く恐ろしい。
「ん?」
少しばかり歩いた先、夜の暗さに負けない赤いポストが見えてくると、どちらが先か顔を見合わせる。
沈黙を破って二人見つめる先には茶髪の人間が落ちていた。
「……なんか、人が落ちてますね」
「もしかして……急アル?ちょっと、杠ちゃん見てて。あとタクシーも」
「分かりました」
眠る杠林檎を静かに移し、携帯を渡して飲んだくれと思われる女性に血相を変えて駆け寄ると優しく女性の背中をさする。
素早い対応は職業柄か。
「お姉さん大丈夫ですか?」
「あれぇー?おにーさん、会ったことあるぅー?」
「げ、御坂美鈴……」
買い物袋を下ろし、渡されたスマホに入った専用のアプリでタクシーを呼ぶ。住所を入力するだけでタクシーが来るのはありがたい。
しかしその僅かな時間に天羽は茶髪の女性の素性を理解する。第三位によく似ているその人は大覇星祭で出会った御坂美琴の母、御坂美鈴だった。
「げ、ってなによぉ〜!おこらせると、ちゅーしちゃうぞぉ〜!んちゅ〜!」
「やめてください、
「保護対象、大丈夫ですか?」
ポストから抱きつく対象を変えると、勢いよく青い制服を捕まえようと両腕を伸ばす。もう少しで唇が触れる距離、荷物がなければ助けられるというのに杠林檎を抱えた自分には文字通り手も足も出なかった。
しかし心配は杞憂で終わる。
珍しく舌打ちを鳴らして軽やかにかわすと、天羽は怒ったかのような顔をして眉を顰める。
「帰るよ。杠ちゃんのためにも早く帰らなきゃ」
「え?帰るのですか?」
「タクシー呼んだんでしょ?急アルの心配は特にないから置いて行って平気よ」
「えぇー、いっちゃうのぉ?」
足早に立ち去ろうと踵を返すが、再び彼女の細い腰が御坂美鈴に抱きつかれたため歩みを止めざるを得なかった。
どうやら腹が立っているようで、彼女と関わり合いたくないと全身から苛立ちが感じられる。
少し雰囲気の違う天羽の顔は顔を覆う前髪のせいで見えなかった。
「……自分の許容を理解してか知らずか自制心を働かせないでこんなんになるまで呑む大人は嫌いなんです。夜勤の看護師や医師はさらに嫌ってるんじゃないですかね?」
大きなため息を着くとハッキリとした女の声で苛立ちながら呟いた。
ぴりぴりとした空気が張りつめ、彼女の言葉が終わるのを待つしか出来ない。御坂美鈴もそれを感じ取ったのか恐る恐る腰から手を離す。
強い怒りに圧倒され、その場から離れることが出来なかった。
「そもそもここは学生の街ですよ?昼間だろうが夜だろうが、迷惑をかけるのは高い確率で子供だと分かっているはずなのになんでここまで呑む?アンタ、母親なのにそれでいいわけ?」
「……えっと、ふぇ?」
「あたしはね、子供はもちろんたとえ大人でも信念のある、誰かのための仕方の無い迷惑なら赦すよ。それが役目でもあるし義務でもあるからね。けど、こんな自暴自棄で誰のためにもならない迷惑はどんなものであろうと容赦しないから」
怒気を含んだ声が誰もいない道にこだまする。
初めて見る彼女の怒りは随分と説教臭くて物凄く恐ろしい。平坦な声で淡々と事実と正論を容赦なく大人の女性に叩き込む姿はいつもの彼女とはかけ離れていた。
「酒ってのは適量飲めばいい効果は得られるけどさ、薬と同じく沢山飲めば毒になるの。計算能力も空間把握能力も、あまつさえ理性もなくして、さっきのアンタみたいに未遂とはいえ未成年相手に性的接触を求める馬鹿がでてくるわけ。子供にトラウマ植え付けて楽しい?」
「そういうつもりじゃ……」
「大体ね、子供がいる母親が他人の子供に迷惑をかけるようなことをするなんて、自分の娘がそんな目にあったらどう思うとか考えないわけ?ここにいる全員が人様の子供ってこと忘れてんじゃ──」
「保護対象!泣きそうなんでそろそろ……」
畳み掛ける正論を酔いから覚めたのか正座をしながら聞いている御坂美鈴の傷ついた顔に慌てて天羽の口を塞ぐ。
ヒートアップしていった説教は正論すぎて現状では悪手だった。
「……はぁ、そんなに泥酔して娘に恥ずかしいと思わないの?言っとくけど悪いのは酒じゃなくて一人の親のくせに自分の許容が分かってないアンタだからね」
「迷惑かけて、すみません……」
地べたに正座で項垂れる御坂美鈴はどう考えても傷ついており、今回ばかりは天羽が言い過ぎだ。
例えいつも病院に飲み過ぎの人間が毎晩毎晩搬送されてストレスになっていたとしても。
正論は人を傷つける。いつもの優しい対応とは違うきつい対応に少し唖然としていた。
「あたしもお酒好きだから呑むなとは言わない。けどね、自分の適量が分かってないと痛い目見るのは自分自身なんだから。何かあっても大学生とはいえ子供抱えた親は『仕方ない』じゃ済まされませんよ」
「はい……すみませんでした……以後気をつけます……」
「絡んだのがぼくで良かったですね。うちのお姫様達に手を出していたらどんな手段をつかってでも豚箱にぶち込んでいましたよ」
落ち込む御坂美鈴に罪悪感に似た感情を覚えながら天羽の横顔に目を移す。
「なんでそんなに今日は怒っているのです?お酒に悪い記憶でも?」
「酒、というより酒のせいで性衝動を抑えられなくなる馬鹿がね。幼い妹がいると過敏になるもんなの」
「あー……女性は特に気をつけた方がいいですしね」
やはり気が立っているようで、落ち着いた今でも節々に怒りを感じられる。
未だに眠る杠林檎の体を返せと両腕を広げる彼女に優しく体を預けると、先程の穏やかな顔に戻った。
ここに杠林檎がいたからこんなにも激怒したのかと、少し的外れな彼女の怒りに寂しくなる。
キスをされそうになったのが嫌だったと言えばいいのに、杠林檎やほかの子供に危害が及んだら嫌という理由で彼女はここまで感情を顕にした。
自分も嫌なはずなのに、最優先に他人を思う思考にどこか嫉妬してしまう。
自分の心配をして欲しい、他人なんか許さなくていい。
まだファーストキスを奪われたことに嫌悪された方がよっぽど人間らしかった。
人間的に出来すぎた人はとても気味が悪い。
「ごめんなさい、知らない人にこんなことしてしまって……」
「いえ、あたしも言い過ぎちゃったし、ごめんなさい。お詫びにアナタから不安と火の粉を取り払ってあげる」
まだ酒が抜けてないのか、ふらふらとおぼつかない足で立つと焦点の合わない目で深々と頭を下げる。
杠林檎を抱いてやっと本心から落ち着いたのか、ズボンのポケットから小さなリモコンを取り出していつもの朗らかな笑顔で笑った。
「何にもしないで、ゆっくりお休み。起きた頃には全て終わってるから」
「え?なんの話を──」
音を鳴らしてボタンを押すと、天羽と同じ輝く星を瞳に咲かせて御坂美鈴は地面へと倒れ伏す。そのまま来たタクシーに投げ込み、御坂美鈴が運ばれていく様子に言葉が出ない。
意味は分かるが意図が分からない言葉の羅列。目の前の光景に予測が建てられず思考が止まり、何をいっているのか理解が及ばなかった。
「上書きしたからもう問題はないよ。なんたら運動ってのも、
「あの……なんの話しです?」
「別に、火種を消しただけ。面倒事は起こる前に潰すに限るじゃん?」
「火種、ですか?」
何が起きているのか分からない。しかしたしかに分かるのはまた知らない未来を防ぐために何かをしていることだけ。
おぞましく深い黒に瞬く眩い星が極彩を放つ。
その瞳の色を直視するのは心臓が焼けるように痛かった。
「そう、
彼女の考えることはまるで分からない。
人形のような不気味なすまし顔を、不自然なまでに機嫌を良くして笑顔を作る姿に息を呑む。
子供を抱える優しい姉の顔をした綺麗な人が暗い夜の中、白い街灯の下で藍色の少女が静かに微笑んだ。
「05、帰ろっか!」
恐ろしい女だった。
誰にも言わない秘密を抱え、心を掴んだまま飢え殺す。
そんな女のために生まれた事実が心臓を抉り心拍数を上げていく。
確信した男心を振り回し、子供時代の飢えを潤して心の隙間に入り込む。
上目遣いと上から目線。悪魔のような女で、天使のような母である。
邪智暴虐で自分本位の完璧な神様が目の前にいた。
心臓が酷く痛む。不愉快な感情に苛まれ、ただひたすらに苦しかった。
私の全てはおぞましい神様のもの。
認識が、外れていく。
というわけで浜面は一生出てきません。正直すまんかった。