東方素手喧嘩録 作:寄葉22O
とりあえず連投どうぞ。
男はかつてないほどに追い詰められていた。
「こちらは一緒に学ぶことになった、佐藤武だ。仲良くしてくれ」
「「「「はーい!」」」」
良い歳をした大の大人が、少年少女に囲まれているという事実が、如何に浮世離れした男でも冷や汗が止まらない。居たたまれなさに涙が出そうになる。
苦境。この世にこんな苦境があるのを男は知らなかった。知り得なかった。
かれこれ二十うん年振りに座る学徒の机は、拷問用かと思うばかりに窮屈だ。
古めかしい黒板に刻まれる白墨の小気味良い音が男を攻め立てる。
元気のよい挙手が男の守りを乱してくる。
無邪気な笑い声が男の心をざわめかせる。
慧音が悪気はないのは理解しているが、この拷問は流石に男にも苦行過ぎた。
時は稗田家から帰ってきた時に遡る。
「ほら、これが幻想郷縁起だ。少し前の写しだが、幻想郷のほとんどの妖怪が記録されている」
慧音から一冊の古めかしい書物を受け取る男。
男がパラリと本を捲ると、中にはびっしりと文字が描かれている。
そう、読むことが出来ず、描かれているとしか男には理解できなかった。
いくら学のない男とはいえ、義務教育は終えているし、日本語は読める。海外暮らしも長かったので英語であっても多少は読める。
勿論書かれている言語は日本語だ。
しかし、言語は確かに日本語ではあるのだが、草書体。しかも達筆。
「…………」
「ん?どうした?何かあったか?」
慧音が首を傾げて横から本を覗き込む。
「…もしかして、読めない…か?」
その問いにコクリと頷く男。
「ふむ……そうだな。ならば正午から授業がある、それに参加してみてはどうだ?」
その提案に男はなんの考えもなく頷いてしまったこと、それを慧音は文字が読めないと理解してしまったことが過ちだった。
そして冒頭に戻る。
辺りは元気の良い子供達が我先にと挙手し、授業は和気藹々と進んでいく。
そんな中、男はかつてないほどに身を小さくしながら最後列でその様子を眺めていた。
黒板に書かれているのは達筆ではあるが、綺麗な楷書体で書かれているため、なんの問題もなく理解出来ているのが救われない。
そしてその内容も足し算に引き算と、小学校の低学年レベルなのが更に居たたまれなさを増長させる。
とりあえず、この授業が終わったら、誤解を解くことを心に決める。
男は他にやることもないので、手元に置いてあった幻想郷縁起に目を落とす。
何度見てもミミズがのたくったような文字が本に踊っている。
パッと見た時はさっぱりも読める気がしなかったが、こうして染々と読もうとしてみると、なんとなく字の形が既知の日本語に類似しているのに気がつく。
(あぁ…なるほど。平仮名は…分かるな。文の流れは分かるが漢字の部分がさっぱりだ…)
光明を見出だしたかと思い一通り目を通して見るが、結局は分からなかったのが分かっただけであった。
「この問題が分かる者はいるか?流石に先に進みすぎたかな?」
辺りは静まり返り、子供達も誰か答えないかとお互いに視線を配る。
その声に釣られて視線を上げる。
バッチリと慧音と視線が合う男。
(嗚呼…嫌な予感が…)
「じゃあこの問題を佐藤、答えてくれ」
黒板には、割り算の式。
81÷9。
男でも、暗算で可能な範囲であった。
「………⑨です」
「うむ、正解だ!」
周りの子供達から、流石大人だ、と声を上げられ、余計に恥ずかしくなる男であった。
「それならそうと、早く言ってくれれば良かったのに……」
「………うす」
結局、誤解を解くことが出来たのは授業が終了して、暫く経ってからだった。
明らかに不審な男にすら、無邪気な子供達は興味を示した。
人里にはそうはいない体躯、物珍しさから好奇心の強い年長の男の子が絡み出したのを切っ掛けに、男は子供達の玩具にされることとなった。
男の上腕は鉄棒になり、下腿は登り棒。
振ればブランコに、回旋塔にと早変わりした。
子供達が何人登っても男は地に伏せる事もなく、スクワットにジャンプにダッシュ。子供達が落ちそうになっても全自動で落下防止もしてくれる、優秀な筋肉アクティビティが爆誕した。
子供達でお手玉し始めた時は慧音からストップがかかった。
子供達との戯れは日が傾くまで続けられ、慧音の一声がなければまだ続いていただろう。
すらすらと慧音が幻想郷縁起を楷書体で複写してくれているのを傍目に、男はその日の算数のテストの丸付けをしていた。
内容は小学校低学年。流石に四則演算くらいは、とんと勉学とご無沙汰だった男でも出来た。因数分解レベルになると怪しいだろうが。
人里の教育のレベルは高くはない。大人であってもろくに計算も出来ない者も珍しくはない。
そもそも、第一次産業が主である人里では、高度な計算も知識も必要性が薄い、というのもある。
商家や身分の高い者ならばその例ではないが、妖怪が蔓延る幻想郷では、むしろ体力作りが推奨されている様なものだ。
「しかし…決意は変わらんのか?子供受けも悪くない、体を動かす授業を担当してこのまま寺子屋で働いてもいいんだぞ?正直、それくらいの仕事を任せる事も出来るし、私としても助かるのだが…」
「いや、決めたことですから」
男の答えに迷いはなかった。
頑なではないが、ハッキリとした意思を感じる物言いに、慧音は残念そうに肩を落とす。
「…心変わりがあればいつでも言ってくれ。誰もその選択を蔑む者はいない」
「…あざっす」
その後はポツリポツリとなんでもない会話が続き、それぞれの手の進みが鈍り始めた頃。
「ふむ、今日はこのくらいにしておこう。夕飯を作るから私の家に行こう」
「……うっす」
昨日も同じように慧音の家にお邪魔して夕飯を頂いている男。
わりと慧音におんぶに抱っこの状態であるため若干の心苦しさを感じている。
(なんか…ここに来てからいろんな人に助けられてばっかだわ)
「……ん?どうした?行くぞ?」
「…うす」
そんな男の胸中を知らず、慧音は男の返事に大様に頷いて先導していく。
義理堅い…とまではいかない男であるが、少なくとも恩知らずではない。
いずれは何か恩返しが出来ればなぁと、思うしかできなかった。
慧音の家にはすでに明かりがついており、誰かがいる気配。
おや?と思う男だったが、慧音はおおよそ誰がいるか検討がついていた。
引き戸には鍵が掛かっておらず、慧音はそのままガラリと引き開ける。
「おー、おっす。慧音。それに佐藤も」
畳の上に寝転がり、のんべんだらりと何か本を読んでいる妹紅の姿があった。
「はぁ…妹紅。別に来るなとは言わないが、もう少し何かあるだろう…」
呆れたような慧音だが、その声色はどこか信頼感を感じる。
「お邪魔してるわー」
「はぁ……。まぁいい。二人分も三人分も変わらんしな」
「お?飯作ってくれるの?御馳走様」
(なんつーか…俺…お邪魔?)
慧音と知り合いとは妹紅から聞いていた男だったが、どうにももっと気安い関係だと見てとれる。
「はいはい…。佐藤、妹紅の相手でもしていてくれ」
「あ…はい」
そう言って台所へ引っ込んでしまう慧音。
「佐藤、どうだ?人里も悪かないだろ?」
本を棚に戻した妹紅が口を開く。
「まぁ…ちょっと余所者扱いで肩身狭いっすけど」
「排他的なとこあるからなぁ。まぁそのうち受け入れられるさ」
「………」
「……やっぱり行くのかい?」
「……はい」
「………そっか」
妹紅は苦笑いしながら声を捻り出す。
それからはまた焼き鳥屋の続きとばかりに他愛ない会話が続き、夕飯が出来、慧音も交えて食事となるのだった。
◇
「それじゃ、御馳走様っした」
男が再び寺子屋の寝床に戻るのを、慧音と妹紅が見送る。
体の大きい男が去ったことで、部屋が広く感じる中、慧音と妹紅は食休みと茶を啜る。
「…どうだ?佐藤は?」
「ん…?外来人にしては落ち着きはらってるし、人柄も悪くはなさそうだ。後は…そうだな、随分と物好きだな。わざわざ危険な幻想郷を見て回りたいとは…」
「…そうだよな」
「未知の探求と言えば聞こえはいいが、幻想郷は危険過ぎる。幻想郷がどんなところなのかまだ理解できていないのかもしれないから、彼が旅立つ前に少しばかり注意喚起しなくてはな」
「…そうだな」
「あの鍛え様だ、確かに彼も腕に自信があるのだろう。だが、幻想郷では無知は罪だ。少しだろうが知識がつけば対策が打てる。彼にとってそれが良い方向に向けばいいのだが…」
「…そうだな」
「……妹紅?聞いてるのか?」
「あぁ、聞いてるよ」
自分から振った話なのにどこか上の空の妹紅に、怪訝な視線を送る慧音。
「全く…。久しぶりに押し掛けて来たと思ったら……。私は少し書き物がある、自由にしていてくれ」
「……ん?書き物?寺子屋の仕事か?」
「いや、幻想郷縁起を複写している。佐藤に頼まれてな」
「幻想郷縁起…。……あぁ、なるほど」
妹紅はその用途に気付いた。
自分が断ったからだ。幻想郷の猛者の縄張りを教えることを。
そして、慧音が彼を強く止めない理由も、なんとなく察した。
(多分…話してないのか。理由を)
妹紅はそれを不義理と感じているわけではない。嫌悪しているわけでもない。
嘘をついて取り入ろうとしているわけでも、力ずくで奪おうともしているわけではないのだから。
そして、止めるつもりも、慧音に男の本音を伝えることもしない。
「……なぁ、慧音」
「ん……?なんだ?」
慧音は手元に視線を落としたまま答える。
「なんでそんなに良くしてやるんだ?いやまぁ慧音が人間好きなのは知っているけどさ、いくら私からの紹介ったってそこまでしてやる義理はないだろ?」
「そうだな……別にこれといった理由はないが…強いて言えば、彼は…どこか似ている気がしたんだ」
「似ている?何に?」
「ふふふ…お前にさ」
「わ、私?」
「そうだ。本当に、なんとなく。出会った時のお前の様な、そんな気がしたんだ」
「………」
妹紅は、その言葉に沈黙した。
確かに似ていると、会話を交え、本音を聞き、自分と重ねた所もある。
「……私はあんなにムキムキじゃないっつーの」
妹紅は何故か照れ臭くて。敢えて意趣を違えた答えを返す。
「ははは、そうだなぁ」
「………」
慧音は、そんな妹紅を分かっていると態度で示していた。
「それにな、彼を見た時に私は久しぶりに感激したんだよ」
「……感激?」
「あぁ。人里にも屈強な守人や退治屋はいるが…あそこまで練磨し続けた…人間という種の可能性を極限まで凝縮し続けたような…。そんな人間に会ったのは…初めてなんだ。私も生まれて長いが、初めて出会った人間の極地。ただ一つの事を極める事の美しさに、私は感激した」
成る程、と妹紅は理解する。理解出来る。
蓬莱人として生きる妹紅だからこそ、半妖として生きる慧音だからこそ、その男の在り方に感銘を受ける。
「人の持つ可能性は、偉大だ。長く生きる種には有り得ないような成長を見せる。驚くような歴史を刻む。その生き様に魅せられる。だから私は人間が好きなんだよ。ハクタクとしても…
「本当に…嫌になっちまうくらいに…
「「輝いて見える」」
二人の意見が唱和する。
刹那的だと言われるなら、それまでかもしれない。
周りはいつも二人を置いて巡り巡る。
長寿であることの弊害、長寿であることの欠点。
いつしか、近くを見るのを止めてしまう。
その対比の様に、男の生き様は鮮烈だ。
明後日よりも明日。
明日よりも今日。
そうやって辿り着いた今この時を、全身全霊で生きることが出来るあの男を、どうして悪く見れるものか。
「だから、手を差し伸べたくもなる。この身が彼の歴史の一頁になるのならと、親身になってやりたくもなる……お前もだろう?妹紅?」
「……まぁな」
「勿論、人里に残ると言うのなら世話もする。彼が人里で何を成すかを見てみたい。きっとそれは人里の歴史に刻まれるような大層な事になるだろうしな。その体験を編纂出来ると思うと、血が沸く様だよ」
「歴史御宅め……」
妹紅は口の中だけで呟きを押し止める。
「しかし、同じように彼が旅立つというのなら強く止める事はしない。……目的地が地獄であろうとも、餞別を送るのになんの躊躇いもない」
「!……慧音、もしかしてお前……」
「…さてな」
それっきり複写に没頭し始める慧音を見て、溜め息をつく。
(そりゃそうか…。慧音は私より遥かに人間を見て来たんだった。佐藤の思惑なんて見透かして当然か…。せっかく黙っててやろうと、秘密が出来たと思った途端にこれだ…なんか、モヤッとする)
原因不明のムカムカ感、妹紅はその感情の出所も分からないままに唸る。
「そうだ、妹紅」
「…あんだよ」
「焼き鳥、滅茶苦茶旨かった……ってべた褒めしていたぞ?また焼いてやったらどうだ?」
「っ!そ、そうか」
何故からか生まれた不機嫌がその言葉だけで吹き飛んで行き、喜色を浮かべる妹紅。
妹紅は鼻唄を歌いながら、先程途中だった本を取り出し読み始める。
その姿を横目に、慧音はふっと微笑む。
一時の安らぎと、休息。
人里の夜は更ける。
人にも人外にも等しく。
⑨〈アタイの出番は?
もうありません。
次回
人里にバトルを求めたらこんなシナリオになりましたあたりまで