東方素手喧嘩録 作:寄葉22O
そりゃあ居合いキャラを出すならこれでしょ。
「はぁ……はぁ……」
道場のど真ん中で息を荒げ、大の字で倒れ込んだ若い男。
満身創痍、といった状態の若い男を、膝に手を当てて覗き込む男。此方は息一つ、いや、汗一筋すら流していなかった。
顔には優しさが滲むような笑みが浮かべられている。
「いい筋してんな」
「……はぁ……はぁ……有り難う御座います!」
体力の一欠片も残っていないような若い男は、ノロノロとだが身体を起こして頭を下げる。
まるで師弟。
いや、事実若い男は教えを受けたのだ。
それは師弟関係に相違ない。
超絶的な体術を持ってして翻弄され続けた前半。繰り出される突きや蹴りは、若い男を掠めるだけで、一つとして当てようとしてはこない。まさに弄ばれていた。
それとは打って変わって、後半はその一太刀一太刀に男はあろうことか一言ずつ注文を付け始めたのだ。
ボソリボソリと、二人の距離でしか伝わらないような小声で。
膝。
落として。
膝。
開かないように。
肘。
肩を支えるように。
肘。
体幹を軸に。
腰。
回転させる。
…………
若い男は、最初は意味がわからなかった。
繰り返し繰り返し言われ、漸く意味が分かってくる。
言われた箇所を意識して振り抜くと、今までにない手応えが返ってくる。
みるみるうちに自分の一太刀が成長していく。
その実感が楽しくて、嬉しくて。
師がつくと、これほどまでに違うのかと驚愕を禁じ得ない。
稗田の守人衆はそもそも育成所や訓練所ではない。
稗田家という人里の主柱を守る為に発足された集団。その本質は稗田家から雇われている傭兵に近い。
つまりは個々に実力があることが前提で、実力を高めることが目的の組織ではない。
未来の守人衆を目指し、志願して下働きをしている少年が何人かはいるが、そのまま守人衆に加入できるかといえばそうではない。
実力がなければ勿論加わることは出来ないし、実力さえあれば無名の者でも加入できる。無論、稗田家に害意を持たないことが前提ではあるが。
日々腕を高める為に各々が訓練なり仕合をしているが、何処にも主導者がいない。
強いて言えば、守人頭がそれに当たるのだろうが、守人頭は、単に守人で筆頭の腕前を持つ者の称号だ。
守人頭が守人衆や下働きの少年に具体的に指導しているわけではない。鍛練を促す訳でもない。そこに在るだけなのだ。
途中で辞める者も少なくはない。ただの村人に戻れたのならそれはそれで幸せだ。
大体鍛練を怠った者は、実戦の内に亡くなる。
護衛中に、或いは、稗田家の要請により妖怪退治に赴き、死ぬ。
それが守人衆の役目であり、使命である。
「強くなったら、また
ニンマリと笑った男に、やや苦笑しながら再度頭を下げる若い男。
残った守人衆は、ざわざわと次は誰が行くかとヒソヒソと話しているが、誰も立とうとはしない。
自分では相手にならないと、肌で感じていたからだ。
それは自尊心を守るためか、ただの脅えか。
「だらしねぇなぁ」
のっそりと、立ち上がる壮年の男性。
「折角にぃさんが胸貸してくれるって言うんだ。負ける、なんて考えずにどーんとぶつかってきゃいいんだよ」
「………別に貸すっつってないっすけどね?」
「なははは、そうだったかい?」
「ホントに…あんたが闘いたかっただけでしょ?」
「……まぁ、そうだね」
壮年の男性の目の奥に、強い光が灯る。
壁に掛けられた野太刀に手をかける。
おおよそ刀身は4尺、大体120cm。
素人が扱えば、鞘から抜き放つのすら苦労するような代物。
無論、重量も並みの物ではない。
壮年の男性は腰に野太刀を帯びる。
野太刀程の長さがあれば、背負うのが普通。そのまま歩けば引きずることになるし、重さ故に体幹が傾くからだ。
壮年の男性の身長は、男より一回り小さい。175cmほどであろうか。その体躯に不釣り合いな程に長い得物が、より違和感を掻き立てる。
「さて……」
壮年の男性は、そのまま男の前に進み出る。
「真剣で…いいんだったよね?」
「……取ってから言うもんじゃないと思うけど…構わないっすよ」
「そりゃそうだ」
クツクツと笑う壮年の男性。
「んじゃま…
「うす」
ゴクリと、守人衆が、少年達が、息を飲む。
既に……始まっているのか?
両者ともに動くことはない。
男は何の構えもせず、壮年の男性は野太刀の柄に軽く手を添えているだけ。
「凄いっすね」
男は感心したように声を掛ける。
「制空権が…目に見える。あと半歩。踏み込んだら真っ二つだ」
ピクリと壮年の男性の眉が動く。
「そんな刀で居合い…正気じゃない。並みの技術じゃ鞘から抜けない。並みの膂力じゃ腕自体がイカれる。……でも、間合いに入れば間違いなく斬撃が飛んでくる。そんな気がする」
「ほぅ…試して見たらいい。案外…こけおどしかもしれない」
そんな提案に、男はこの場にいる誰もが想像しなかった行動に出る。
「そう?それじゃ…」
なんの構えもないまま、大股で一歩踏み出す男。
明らかに間合い。必殺であったはずの、間合い。
壮年の男性はその無警戒さに思わず手を出しそびれる。
「ほら………間合いだぜ?」
あろうことか、無防備にも両手を上げてそうアピールする男。
「……痺れるねぇ、そのクソ度胸。おぉ怖い怖い。なにが怖いって……」
壮年の男性はクツクツと笑いながら肩を竦める。
「当たる気が欠片もしないことだ……!!!」
壮年の男性の腰から抜き放たれた野太刀は、鞘の中で加速を終え、最高速度にて鞘を脱出し、弧を描く鋼の鈍色を携え、男へと迫る。
刀を抜く際には、腰を切る、という身体操作が必要になる。
尺が短い得物なら話は別だが、ただ腕の伸びだけで真っ直ぐに刀を引き抜きそのまま斬撃を放つのは、人体構造的に基本不可能だ。
しかも壮年の男性が帯びているのは野太刀。
そもそも居合を想定されていない得物。
長さを活かし間合いを制する戦い方が常。或いは馬上の敵を切る為の長柄。
野太刀の重さを苦にしない、人間にしては驚異的とも言える膂力と、遠心力の加わった野太刀を離さない握力。
そしてなにより、柔軟な足腰と、洗練された身体操作術が、野太刀での居合、という蛮行を成立させた。
対戦場的な暴力が、ただ一人の人間に向かって放たれた。
弾指の瞬間をもってして、凶刃は男へ迫る。
そして男は、刹那の瞬間で答える。
…
……
………
「当たらないにしても……これは想像出来なかったわ」
壮年の男性の居合は、並みの者では両断される運命を逃れられない必殺。
斬鉄ですら可能にするのではないかという勢いを秘めていたはずだ。
間に立つ物を全て断ち、理想的なまでの曲線を描くはずだったそれは、半円をなぞった所でピタリと止まっていた。
「ちょっとばかり遅かったから…ついね」
「……真剣相手に白羽取り?……正気じゃない」
両の掌を合わさった所で静止する刃。
まるで最初からそうであったかのように、見事に止まっていた。
「そう?結構前に居合の達人って呼ばれた人は……もう少し早かった」
「……どんな化け物だよ」
「さぁ…。でも、こんな得物で居合している人ほどじゃないと思うよ」
「……チッ!」
掌で挟まれたままの野太刀を、手ごと切り裂き引き戻そうとして、壮年の男性は愕然とする。
(う、動かねぇ!どんな力してんだ!)
掌で挟まれているだけのはず。
だが、然として引き抜けない。
「なんだ、返して欲しかったの?」
パッと男が手を離すと、壮年の男性は勢い余って後ろへたたらを踏む。
再び空いた二人の距離。
壮年の男性は、野太刀をしげしげと眺めた後、パチリと腰の鞘に納刀する。
その太刀は欠けず曲がらず、残っているのは男の掌紋位のものだ。
「………本当に…にぃさん。化け物染みてらぁ」
「そりゃどうも…」
壮年の男性はニヤリと笑みを浮かべ、男は苦笑する。
「ここにゃ…化け物染みた……いや、化け物そのものがごまんと居るが…底知れなさは太陽の畑の主とどっこいだ。まぁ…あっちは殺意剥き出しな分おっかねぇけど」
「太陽の…畑?」
「武人として生きてりゃ、一回は切ってみてぇくらいの化け物だよ。……まぁ逆立ちしたって命張ったって、それこそ土台無理だがな……っとすまねぇ。話が逸れたわ」
壮年の男性は、グッと体を丸め込むように腰の野太刀の鯉口を僅かに切る。
「すまねぇな…。にぃさん。もう一太刀だけ…付き合ってくれや」
明らかに防御に気が向いていない。
ただ居合のみを行うためだけの構え。
背は丸く、猛獣を彷彿させる。
眼光は鋭く、猛禽類のようだ。
先程の気の抜けたような一撃ではない。
容易く白羽取れるような一撃ではない。
男は感じる。
きっとこの一撃は、己が命に届きうる。
「次は……俺も手を出すよ」
その一言に壮年の男性は、にぃ、と歯を剥き出す。
「上等……っ!!」
その言葉を最後に、静寂が訪れる。
空気が凍ったかのように、場の雰囲気が張り積める。
向かい合っていない筈の守人衆が逃げ出したくなるような、経験の浅い少年達が気を失うような、静謐な殺気。
少しでも動けば張り裂けてしまいそうな、息をするのも躊躇われるような、厳かな空気。
ジリッ
間合いを詰めたのは、壮年の男性であった。
構えはそのままに、足の母指のみの力で数㎝間合いを詰める。
歩いてしまえば二秒も掛からないような間合いを、気の遠くなるような時間を掛けて詰めていく。
対する男は、うっすらと笑いながら腕をダラリとリラックスさせ、ハンドポケット。
なんともやる気のない姿?
まるで目的もなく街中を散策している若者?
冬の寒さを紛らわすような、だらしがない姿?
否。
断じて否。
これが、構え。
刀を鞘に納めるように。
男は拳という刀を、ポケットという鞘に納めている。
無造作に、無防備に。
一見何気ない、覚束ないようなあの姿が、既に構え。
これが、戦闘体勢。
完了している。既に。
万全。
抜刀術に対して抜拳術。
「シィッ!!!!!」
壮年の男性の制空権が、男に重なった時。
弾指の時を越え、刹那に迫るような会心の居合。
その長さを物ともせずに、抜き放たれた一撃。
しかし、悲しいかな。
刹那に迫るような、では遅い。
刹那と弾指では、正に桁が違う。
男は
手を引き抜くのではない。腰を落とすことで最速の抜拳を成立させた。
初速が、最高速。
加速はポケットの中で終了している。
踏み込むのではない。加速度そのままに滑るように地を縮める。
初速が、最高速。
加速はしない、常に最高速だから。
打つのではない。最高速のままに体を腕を突き出すだけ。
初速が、最高速。
刹那を刹那のままに、相手に届く。
後出しだった筈の拳は、刀より先んじて相手を捕捉する。
硬い拳は途中で優しげに開かれ、平手と変じ相手に届いた。
普通なら、平手打ちの音といえば、バシッとかパシン、が適当なのだろう。普通なら。通常なら。平凡なら。
その音を文字として化すなら
メシャア?ゴシャア?
おおよそ、それは平手で人を叩いた音ではなく、人体で奏でられてよい音ではなかった。
その音を奏でた威力は如何程か。少なくとも、並みのものではなかったはずだ。
その証拠に壮年の男性は空中で横に数回転しながら守人衆の頭上を越えて道場の壁に叩き付けられた。
呆気にとられる守人衆。
ゆっくりと自分の背後を振り向き、ピクピクと痙攣している壮年の男性を確認した後、漸く事態を把握する。
「「「頭ぁ!!??」」」
グリンとひっくり返った眼球、口角から溢れる泡沫痰。息はしているようだが、顎関節だけがそっぽを向いている。
「た、担架ぁ!いや!医者ぁ!?いや、坊主かぁ!?」
決着。
実際に腰を落とすことで最速の抜拳を成立させたけど加速はしなかったよ。物理学ぇ…。
次回
人里編日常回あたりまで