それでも糸は紡がれ続ける—女傑達の英雄遺文—   作:護人ベリアス

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最初の登場を飾るのは半妖精のあのお方です。
今作ではキーパーソンを務めて頂くことになります。


第一章 女傑達の雌伏の時
囚われの半妖精


 空を見上げる。

 

 きっと星々が輝き、月明かりが辺りを照らしていることだろう。

 

 だけど私の目には、星々の輝きも月明かりも届かない。

 

 私の瞳に映るのはただ色のない灰色の空。

 

 私は光なんてもう見いだせなかった。

 

 私はもう空が青いだなんて信じられなかった。

 

『あの日と同じように。今日も空は青い』

 

 そう言った私の英雄はもういない。

 

 私の大切なたった一人の兄はもういない。

 

 

 アル兄さんはもういない。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 それは今から3年も前の事。

 

 その年、私の兄アルゴノゥトはラクリオス王国の王都において凶悪な魔物ミノタウロスを討ち果たした。

 

 それは人類に尊厳を取り戻すためだと。

 

 それは人々の笑顔を取り戻すためだと。

 

 アルゴノゥト…アル兄さんはそう言って魔物との戦いにその身を投じたのであった。

 

 自らの瞳が光を失うことを引き換えにして。

 

 そうすることによって人類に希望がもたらされる。

 

 その犠牲によって『英雄神話』が始まる。

 

 そう信じてアル兄さんは戦い、自らの『道化』としての役割を全うした。

 

 

『英雄神話』はそれから始まるはずだったのだ。

 

 

 だが人類の醜悪な歪みは『英雄神話』など始めさせはしなかった。

 

 その障害になったのはそれまで魔物の力に縋っていたラクリオス王。そしてその周囲に控え魔物の力で権力を守り権益を貪ってきた貴族達。

 

 ラクリオス王と貴族達はミノタウロスにお姉様を生贄に差し出そうとしたように王族達を次々と生贄に差し出すことでミノタウロスの強大な力を繋ぎとめてきた、言わば持ちつ持たれつの関係を築いてきた。

 

 だがその強大な権力の源となっていたミノタウロスはアル兄さんによって討ち果たされた。

 

 そのため彼らはミノタウロスが失われたことで一時は恐慌状態に陥っていたはずだった。

 

 お陰で英雄として名を上げたアル兄さんと王族の責務を全うすべく立ち上がったお姉様…王女アリアドネ様の障害にはなり得ないと思われた。

 

 アル兄さんはラクリオス王国において英雄としての地位を固め、光を失っても尚与えられた役割を果たすために力を尽くしていた。

 

 お姉様は、失意に飲まれているかに見えた父親のラクリオス王に代わって王国の政務に取り掛かろうとしていた。

 

 そしてそんな二人をユーリさんやガルムスさん、オルナさん、エルミナさん、そして私がそれぞれの立場から支えていた。

 

 あの激戦を共に戦い抜いたリュールゥさんとクロッゾさんは早々にそれぞれ旅立ってしまっていたけれど、それでも私達はアル兄さんの願った『英雄神話』を始めるべくみんなで努力を重ねていたのだ。

 

 こんな少しずつの努力の積み重ねで暗黒の時代に終わりを告げさせることができる。

 

 その時の私はそう思い込んでいたのだ。

 

 だがそう簡単に物事が運んでいれば、人類は互いに醜い争いを繰り返し、自らの首を絞め続け、次々に居住域を喪失していくことなどしなかった。

 

 私はその残酷な現実に気付いていなかった。

 

 そしてその残酷な現実をもたらしたのはラクリオス王とその元にいる貴族達。息を潜めていた彼らは私達の人類の反撃のための努力の陰で暗躍し出していたのだ。

 

 権力に憑りつかれた者達は恐慌状態を抜け出すと、『英雄神話』を始めていくべく努力を重ねるアル兄さんやお姉様の排除に動く。

 

 この期に及んで人類は未だ協力の道を歩むことができなかったのだ。

 

 そうして時を経ずして事件は起こった。

 

 

 王都でクーデターが起こったのだ。

 

 

 どこからともなく現れた貴族達の私兵によって王宮は一夜にして私達の手から滑り落ちた。

 

 いくらミノタウロスとの戦いの過程で王家の近衛兵の多くが失われ、警備が以前ほど厳しくなかったとはいえ余りにも手口が鮮やかすぎた。

 

 王宮の抜け道の隅々まで知るラクリオス王の関与は明らかだった。

 

 だがその時はまだ希望は残っていた。

 

 アル兄さんを始めユーリさんやガルムスさん、エルミナさんは王国の辺境を荒らす魔物の討伐のために王都を後にしていたのである。

 

 アル兄さん達の元にはラクリオス王国中から集まった私達と志を共にする方々がおり、急拵えとは言え言わば魔物に対する一大遠征軍が編成されていたのだ。

 

 そのため王都に残っていたのは、お姉様とオルナさんと私を始めとした戦闘をあまり得意としない方々と僅かな護衛の方だけ。

 

 王宮を捨てることで真摯に政務と向き合うお姉様を慕い始めた街の皆さんを見捨てる形になるのは心苦しかった。

 

 だがアル兄さん達が王宮の外にいる以上脱出に成功させ合流すればすぐにでも王宮は奪還できる。心を鬼にしなければ、全てが潰えかねない危機だと私もお姉様も判断することができた。

 

 だから私達は捲土重来を心に決め、王宮にいた慕ってくれる僅かな人々を連れて脱出を試みた。

 

 だが王宮を早期に掌握した兵達の動きは素早かった。追手は逃げる私達に脱出が済まぬうちに迫ったのだ。

 

 護衛の方は既に足止めのために王宮に残って戦っていたため、もう私達のそばにはいなかった。

 

 迫る追手に対して戦えるような人を私以外ほとんど擁していない私達は窮地に陥りかけた。

 

 そこで打てる策は私が追手の足止めを買って出ることしかなかった。それ以外にお姉様やオルナさん達を逃す術はない。そう危機が身近に迫る中で私は判断したのだ。

 

 お姉様とオルナさんに強く引き止められても私の覚悟は変わらない。

 

 お姉様やオルナさん達と叶うかも分からぬ再会の約束を交わし、皆さんを送り出した。そして振り返った視界の先にいたのは数え切れないほどの追ってくる貴族の私兵達。

 

 私はある限りの力を尽くして、追手を散々に食い止めた。

 

 そのお陰でお姉様とオルナさん達は確実に王都から逃れさせることができた。

 

 だがその引き換えに力尽きた私は最後に追手の捕虜に堕ちた。

 

 またも捕虜にされたことに違和感は覚えたものの、まだ私には命が残されていた。だから希望は全く見失っていなかった。

 

 

『今日も空は青い。なら私はお前を助けにくるさ、『妹』よ』

 

 

 そう言ったアル兄さんがいる。

 

 私がラクリオス王によって処刑されかけたあの時のようにアル兄さんは私を救い出してくれる。

 

 私はそう信じていた。

 

 あの時よりも信じられる仲間を持ち、英雄としてみんなに認められたアル兄さんなら、こんな程度の苦難乗り越えてくれる。

 

 私はそう信じていた。

 

 投獄された私の小さな小さな窓から見える空はまだこの時は青かったのだ。

 

 だが数日して牢の番人が告げた言葉によってその空は色を失い始めた。

 

 

 アル兄さんは魔物によって帰らぬ人になってしまったというのだ。

 

 

 ゲラゲラと嘲りながらそう告げた番人の言葉を私は信じなかった。

 

 私はその時はただの偽りの言葉と受け取り、静かに否定した。

 

 アル兄さんの元にはたくさんの志を共にする方々がいる。だからアル兄さんはいなくなってしまうなど、あり得ないと普通に考えることがその時はできていた。

 

 だが日に日に番人が与えてくる不快な情報を聞いているうちにそれを否定するのは難しくなっていった。

 

 

 アル兄さんは王国の辺境で死んだ。

 

 遺体をラクリオス王は逆賊として広場で曝そうとしたが、辺境の戦場跡には魔物に食い荒らされた遺体が数多野に晒され遺体の判別はできなかった、と。

 

 だがアル兄さんの率いた軍勢は四散するかラクリオス王の送り込んだ王の軍に投降した。その投降した者達がアル兄さんが確かに戦死した、そう告げたのだそうだ。

 

 だからもうアル兄さんが生存している可能性はない、と。

 

 

 お姉様とオルナさんも王都を脱出した後消息を絶った。王国中に手配書が回されたが、未だ消息は掴めず。

 

 恐らくお姉様もオルナさんも脱出後か否かは分からないが命を喪ったのであろう、と。

 

 

 それでもアル兄さんの事。

 

 どこからともなく現れてみんなを救ってくれるのだろう。

 

 みんなを笑顔にしてくれるだろう。

 

 私はそれを信じてひたすら苦痛の絶えない牢獄での生活に耐え抜いた。

 

 だが私の目から見える空が灰色に段々と変わっていくのを止めてくれるような事実は何一つこの耳に届かなかった。

 

 そうして一年が過ぎた。

 

 私は牢獄に忘れ去られたように放置されたまま。

 

 以前のように私を処刑しようとすることでアル兄さんをおびき寄せようという試みさえしないラクリオス王。

 

 ラクリオス王が王宮を牛耳り、私が牢獄で捕らえられているにも関わらず何一つ行動を起こしているように思えないアル兄さん。

 

 アル兄さんのそばに誰よりも長くいる私はお人好しなアル兄さんが何もせず無謀なこともせずじっと耐えて機を見計らっている、と楽観的にはもう考えられなかった。

 

 私は認めるしかなかった。

 

 

 アル兄さんは本当に死んでしまったのだろう、と。

 

 

 同時にそれを認めた瞬間私は今更のように思い出してしまったのだ。

 

 アル兄さんがミノタウロスとの戦いの最中漏らした真意を。

 

 アル兄さんは言った。

 

 自分は笑顔のための、真の英雄達のための『礎』である、と。

 

 その『種』はまいた。あとは道化が躍るだけ。英雄達が立ち上がるきっかけを作るだけ、と。

 

 これはどういう意味か。

 

 それは私でも多くを考えずに分かることができた。

 

 きっかけ、それはミノタウロスを倒すこと。

 

 つまり…

 

 

 あの時点でアル兄さんはミノタウロスを倒すことで自身の役割が終わる、そう考えていたのだ。

 

 

 アル兄さんはミノタウロスを倒した時点で自らの役割は終わり、あとは道化として死ぬのみ。そう考えていたのだと今更気付いてしまったのだ。

 

 なら…

 

 アル兄さんは死んでしまった。そう納得できてしまった。

 

 アル兄さんは自らの信念を曲げたりはしない。道化として死ぬという覚悟を揺るがすことなどない。

 

 アル兄さんは、道化として最期まで生き、その覚悟を全うしたのだ。そう確信してしまった。

 

 ラクリオス王が何もしないと油断し、王都を留守にした挙句王都を奪われ居場所も失い魔物に殺された。

 

 まさに愚かな道化らしい最期だ。

 

 これはアル兄さんの望んだ道化としての死そのものであった。

 

 これはもしやアル兄さん自身が想定してたシナリオだったのではないか?

 

 なぜそれに私が、いや、私達が気づけなかったか。それは言うまでもない。

 

 アル兄さんは誰かが悲しむのを望んでいなかった。

 

 誰かの笑顔を曇らすことを望んでいなかった。

 

 アル兄さんがまさか道化として生を全うするために死に急いでいた…などということを知られたいと思うはずがない。

 

 アル兄さんは光を失って尚その役割を果たすために力を尽くしていたのではなく、その役割を終えようとしていたのだ。

 

 私はその覚悟を尊重しないといけない。

 

 アル兄さんが自らに課した役割をきちんと果たしたことを喜ばないといけないのかもしれない。

 

 だけど私は耐えられなかった。

 

 アル兄さんの背負う悲しみを私が分けてもらえなかったという事実が。

 

 アル兄さんに恩を返すことができないままアル兄さんに先立たれてしまったことが。

 

 私はアル兄さんが私が悲しむことを望んでいないことぐらい分かってる。

 

 いっそ馬鹿だと笑い飛ばした方がアル兄さんの望みなのかもしれないと薄々分かってしまう。

 

 だけど私は抑えられなかった。

 

 アル兄さんがいなくなってしまったことへの途方もない悲しみを。

 

 アル兄さんの死を悼む止めどなく流れ続ける涙を。

 

 アル兄さんが死地へと向かうのを止めることができなかった自分自身への怒りを。

 

 アル兄さんの死を確信してからの私の人生は色を失った。生きる意味を失った。

 

 何度も命を絶って、アル兄さんの元に逝きたい。そう思った。

 

 だが私はアル兄さんがそんなことして欲しいと考えるとは到底思えなかった。

 

 牢獄の暗闇の中。夢の中。アル兄さんはこう私に語り掛けるのだ。

 

『フィーナ。君は笑っていてくれ。妹一人笑顔に出来ないとなると、私は英雄どころか道化にさえもなれない。だから私のためにもどうか笑ってくれ。私の愛しい妹よ』

 

 この言葉が妄想なのは分かってる。アル兄さんが夢で語り掛けてくるなんてありえない。

 

 だけどアル兄さんならきっとこう言う。そう思えてならないのだ。

 

 だから辛い獄中生活を耐え抜いた。

 

 いつか来るかもしれない私が笑顔を浮かべられる日を願って。

 

 もしかしたらアル兄さんが希望を遺してくれているのではないか。そんな淡い期待を抱いて。

 

 それからさらに2度の季節が廻った。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 空を見上げる。

 

 私の瞳に映るのはただ色のない灰色の空。

 

 今日も私は灰色の空を見上げる。

 

 だけどその時微かに空が彩られ始めたように感じた。

 

 それはただの私の錯覚。ただの幻想。

 

 その時はそう思った。

 

 だがそれは何かが私を導いていたのかもしれない。

 

 その瞬間背中に生温かい感触を感じる。

 

 それが何か私は分からなかったが、私の背に聳える鉄格子に何かがぶつかる重い音が異変を私に感じ取らせた。

 

 そして目の前の薄汚い土壁が一本の赤い線で彩られたことでその異変を私は確信する。

 

 私は勢いよく振り返った。

 

 そこにいたのは漆黒の衣装に身を包み覆面をしている者の姿。

 

 その者は血を滴らせたままの剣をその細腕で握りしめ、私を見下ろしている。その隣を散々アル兄さんを罵りあざ笑っていた番人の骸がずり落ちていく。

 

 その者が誰か私には一瞬分からなかった。

 

 だがその衣装から垣間見えた容姿は私に一人の人物を思い出させた。

 

 

 周囲を照らすかのように金色に輝く髪が。

 

 青空のように美しく信念を宿した紺青の瞳が。

 

 

 それに気づいた瞬間私の視界は一気に色づいていく。

 

 やはりアル兄さんの言う通り空は青い。私はそれを忘れないでよかった。そう心から思う。

 

 希望は未だ消えていなかった。そう確信する。

 

 アル兄さんは希望を確かに遺してくれていた。そう確信させてくれる。

 

 感極まって言葉を失った私を前にその人は覆面を外し、その素性を明らかにした。

 

 そうして現した口元に小さく笑みを浮かべると、私のために希望を小さくとも力強く言葉にしてくれた。

 

 

「覚えてくださっていますか?私です。アリアドネです。あなたと同じようにアルゴノゥトに心を救われた王女アリアドネです。遅ればせながら助けに参りました」

 

 

 

 その言葉は私の救い。私の希望。

 

 私の元に笑顔が戻ってくる、そしてアル兄さんの望みが叶う希望を与えてくれる言葉。

 

 私はその言葉にこれまでの苦難と絶望を吹き飛ばさんばかりの笑顔で応じた。

 

 

「…っお姉様!!」

 

 

 それは希望が未だ途絶えていない明らかな証拠であった。




アリアドネが剣を持ってまさかの登場!
三年の空白の期間に様々なことがあったということです。
尚この空白の期間はまだまだ語り足りないので適宜補足していきます。

まずここで一人目の女傑フィーナさんが希望と笑顔を取り戻したと言う訳です。

今後作品を続けていく上で登場させる予定のオリキャラに関わるアンケートです。アリアドネとアイズさん、リュールゥさんとリューさん、と転生思想らしき構想が垣間見えますが、今作でそれを採用するのは違和感はありますか?その構想をどのように思われているでしょうか?

  • 転生なしでアルゴノゥトと原作は無関係
  • 転生と言うよりは容姿が似ているだけ
  • 転生思想あり。性格等での類似点がある
  • 転生でキャラ同士に因果があるほどの関係

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