だけどヤダモンは家の中で遊ぶのに飽きてしまい、外に行きたいと駄々をこね始めた。
途方に暮れたジャンだったが、母マリアにしてもらったことを思い出し、ヤダモンに絵本を読んであげることにした。
ルブラン家の庭に面した大きな窓を、大粒の雨がぱしぱしと叩いていた。空を覆う分厚い雲の所為で家の中までどんよりとしており、いつもより薄暗い昼下がりのリビングで、ヤダモンは窓のそばの小さな丸椅子に腰かけて、むくれた顔で外を眺めていた。さっきまでは家の中でジャン、タイモンと一緒に追いかけっこをしていたのだが、朝からヤダモンに振り回されっぱなしの二人はあっという間に疲れ果ててしまい、今はリビングのソファーに折り重なるように倒れてぐったりと伸びていた。
遊び相手がいなくなってしまったヤダモンは、窓を打った雨粒が集まって流星のように落ちていくのを眺めて暇をつぶしていたが、それも長くは続かなかった。とうとう我慢の限界、といった様子でヤダモンはぴょんと丸椅子から飛び降りて、ジャンに言った。
「もーつまんない!ねえジャン、早くなにかしてあそぼうよ!」
「無理だよヤダモン、僕疲れちゃったよ……。
お願いだから少し休ませて」
声に疲れを滲ませながら、呻くようにジャンが答えると、タイモンが同調するように「ふみゃあ」と鳴いた。構ってくれない二人に業を煮やしたヤダモンは、
「いいもん!あたしお外であそんでくるもん!」
と言って玄関へと駆け出した。
それを聞いて、ジャンはソファーから跳ね起きた。ヤダモンなら本当に出て行ってしまうと思ったジャンは、慌ててヤダモンを追いかけ、今にも飛び出そうとする彼女を後ろから抱え上げた。捕まってしまったヤダモンは、ジャンから逃れようと身を捩った。
「ジャン、はなして!あたしはお外に行くの!」
「ダメだよヤダモン、雨がたくさん降ってるから危ないよ!」
腕の中で暴れるヤダモンを逃がすまいと、ジャンはヤダモンをぎゅっと抱きしめた。
「やだやだやだもん、お外であそぶのー!」
「もー、ダメだってば!」
押し問答を繰り返しながら、ジャンはなんとかヤダモンを連れ戻したが、ヤダモンはリビングで解放されるや否や、床に手足を投げ出して駄々をこね始めた。
「もーやだやだお外に行きたい川であそびたい丘すべりしたい木のぼりしたい探検したいお外に行きたい行きたい行きたいー!!!!」
ジャンは半眼になって、げんなりとヤダモンを眺めた。朝からヤダモンに付き合って、家中を走り回り、屋根裏のガラクタ部屋を探索し、ゲームマシンで遊び、昼食が終わった途端また追いかけっこをし……、とずっと彼女の相手をしていたジャンの体力はそろそろ限界だった。休日だというのに、エディとマリアは謎の卵を調べるために研究所に行っており、ヤダモンの面倒を見るのはジャン(とタイモン)しかいない。ジャンは時計に目をやったが、まだ2時にもなっておらず、エディ達が帰るのはまだまだ先だ。
はあ、とため息をついて、ヤダモンのそばに佇むタイモンに目をやったが、その視線を受け取ったタイモンから帰って来たのは、やれやれ、とでも言うように首を横に振る仕草だった。
こんな時ママだったらどうするかなぁ、と考えていたジャンは、小さい頃にマリアがしてくれたことを思い出して、ぱっと明るい顔になって言った。
「そうだヤダモン、絵本を読んであげるよ!」
「えほん?なにそれ?」
「ヤダモンてば、絵本も知らないのかい?絵本は、絵とお話が書いてある本のことだよ。
外に行けない日は、ママがよく読んでくれたんだ。ちょっと取ってくるね」
そう言うと、ジャンは軽い足取りで階段を駆け上がって行った。ヤダモンは上半身を起こして、きょとんとした顔で階段の方を見ていたが、ほどなくしてジャンが下りてきた。手には「手ぶくろを買いに」と題された絵本を持っている。
「これ、小さい頃とっても好きだった絵本なんだ。
ママによく読んでもらったなぁ」
ジャンがそう言いながら、表紙をヤダモンの方に向けて胸の前で絵本を持ち直すと、ヤダモンは立ち上がってしげしげとそれを眺めた。
「これがえほん?へんなの。
どうやってあそぶの?」
「僕が読んであげるから、ヤダモンは絵を見てるといいよ。
さ、こっちにおいで」
ジャンはソファーに座って、ヤダモンを膝の上に座らせた。タイモンはヤダモンの膝の上に乗った。ジャンは腕を伸ばしてヤダモンの見やすい位置で表紙を開くと、ひとつ息を吸い込んでから読み始めた。
「『手ぶくろを買いに
寒い冬が、北方から、きつねの親子のすんでいる森へもやってきました。
ある朝、ほらあなから、子どものきつねが出ようとしましたが、――――』」
ジャンはマリアが読んでくれた時のことを思い出しながら、お話の部分はゆっくりと、子ぎつねは元気よく、お母さんぎつねは落ち着いて、と声色を使い分けながら読み聞かせた。
雪の降った日に子ぎつねが手ぶくろを買いに行くこの物語は、雪の降らないクリーチャーアイランドで生まれたジャンにとって、知らない世界の出来事だった。ジャンは雪の中で遊ぶ子ぎつねの絵を見る度に、冷たくてふわふわした雪を想像しては、わくわくと心躍らせたものだった。それはヤダモンも同じだったようで、雪の絵を指さしてキラキラした顔でジャンに聞いた。
「ジャン、ゆきってなに?」
「僕も見たことないけど、雪は空から降ってくるんだ。
きっと白くて、冷たくて、ふわふわしてるものだよ」
冷たい、と聞いてタイモンはぶるりと身を震わせた。タイモンは冷たいのが苦手なことを思い出したジャンは、くすりと笑って
「大丈夫だよ、タイモン。ランドに雪は降らないから」
と教えてやった。それを聞いてタイモンはほっと胸を撫で下ろしたが、ヤダモンは反対に、不満げな声で言った。
「えー?あたしゆきであそびたい。
ジャン、こんどゆきがふる所にあそびに行こうよ!」
「無理だよヤダモン、雪は寒い所じゃなきゃ降らないんだ。
きっと南極とか、北極まで行かないと見られないよ」
「なんきょく?それってとおいの?」
「とっても遠いよ。おっきな船に乗って、何日もかけて行かなきゃ着かないよ」
「むー、そんなのつまんない。あたしは今すぐゆきであそびたいのに!」
膝の上で小さな頬を膨らませるヤダモンを見て、ジャンは困ったように笑ったが、すぐに気を取り直して絵本のページをめくった。
「でもヤダモン、寒い所はきっと大変だよ。
ほら、見て。この子ぎつね、手が冷たくなっちゃったんだ。
『まもなく、ほらあなへ帰ってきた子ぎつねは、「おかあちゃん、おててがつめたい、おててがちんちんする」といって、ぬれてぼたん色になった両手を、かあさんぎつねの前にさしだしました。――――』」
ヤダモンの興味を絵本に戻させて、ジャンは続きを読み聞かせた。お話は進み、きつねの親子は手ぶくろを買いに町へと行き、お母さんぎつねが子ぎつねにお金を持たせて、お店に行かせる場面となった。
お母さんぎつねは子ぎつねの手を片方だけ人間の手に変身させて、「こっちの手を見せて、この手にちょうどいい手ぶくろをください、って言うんだよ」、と教えて子ぎつねを行かせたが、子ぎつねは間違えてきつねの手の方をお店の人に見せてしまう。それでも、優しいお店の人は、子供用の手ぶくろを子ぎつねに渡してあげるのだ。
ヤダモンは子ぎつねが買い物をする一部始終を心配そうな顔で見ていたが、無事に手ぶくろを買えた所では、くるりと振り向いてほっとした目でジャンの顔を見ると、
「きつねさん、手ぶくろ買えていかったね」
と顔中に笑みを浮かべて言った。その嬉しそうな顔を見て、ジャンもにっこりと笑って答えた。
「そうだね、ヤダモン。手ぶくろ買えてよかったね」
そして、ジャンは絵本に目を戻し、次のページをめくろうとしたが、ヤダモンは居ても立っても居られないといった様子で、ジャンの膝から飛び降りた。
「ねえ、ジャン!あたしも手ぶくろを買いに行きたい!」
「ええっ、まだ絵本の続きがあるよ?」
「もういいの!ねえジャン、手ぶくろを買いに行こうよー!」
うーん、とジャンは頭を掻いた。確かに、ジャンにもこの絵本を読んだ後で、同じように手ぶくろをねだった記憶があった。あの時はママと一緒にシティに行って、絵本と同じ青い手ぶくろを買ってもらったんだっけ、と思い返していたジャンは、家から出ずにヤダモンを満足させられそうなとびっきりのアイデアを閃いて、思わず叫んだ。
「そうだ!ヤダモン、手ぶくろやさんごっこをしよう!」
「手ぶくろやさんごっこ?」
「うん!ヤダモン、僕の部屋においで」
そう言って、ジャンは目をぱちくりさせているヤダモンの手を引いて、二階の自室へと向かった。
部屋に着くなり、ジャンはクローゼットを漁って、小さな青い手ぶくろを取り出した。そして、自分の財布から硬貨を2枚出して、ヤダモンに渡した。
「いいかいヤダモン、僕が手ぶくろやさんになるから、ヤダモンは買いにおいでよ。
その時、ノックした後でタイモンの手を見せてごらん」
「わかった!あたしとタイモンで、きつねさんの役をやればいいのね!」
「そういうこと。僕が『先にお金をください』って言うから、そのお金を渡してよ」
「うん!タイモン、行こ!」
ヤダモンは頭の上のタイモンに声をかけて、興奮した足取りでジャンの部屋から出て行った。ジャンが部屋のドアを閉めて待っていると、とんとん、とノックの音がした。
「『おや、こんな時間に誰ですかな?』」
年を取ったような声を作って答えてから、ドアを少しだけ開けた。その隙間から、タイモンの小さな黒い手がにゅっと入ってきた。
「『このおててに、ちょうどいい手ぶくろをください』」
と、子ぎつねになり切ってヤダモンが言った。
「『この手はきつねの手じゃないか。葉っぱのお金で騙されちゃたまらん。
先にお金を見せてください』」
「『はい、お金をどうぞ』」
ジャンはお金を受け取ると、ヤダモンにも聞こえるようにわざと大きな音を立てて、カチカチと硬貨を打ち合わせた。
「『ふむ、どうやら本物のお金のようだ。
だったら手ぶくろをあげましょう。さあ、この手ぶくろをどうぞ』」
「わーい!ありがとう、ジャン!」
ドアの隙間から手ぶくろを渡すと、子ぎつねの役を忘れて喜ぶヤダモンの声がした。そしてドアが開いたかと思うと、手ぶくろをはめたヤダモンが、満面の笑みで部屋に飛び込んできた。
「ねえジャン、次はあたしが手ぶくろやさんやる!
だからジャンが手ぶくろ買いにきて!」
「オーケー、じゃあ僕が子ぎつねの役をやるね」
役割を交換して、ジャンは部屋の外に出た。振り返ってドアをノックすると、ヤダモンがしわがれ声で
「『こんな時間に誰ですかな?』」
と尋ねながらドアを少しだけ開けた。
「『こんばんは。この手に丁度いい手ぶくろをください』」
そう言って、ジャンが指先を丸めた手を差し込むと、
「『うん?これはきつねさんの手じゃないか。きつねさんはつかまえちゃえ!』」
とヤダモンが答えて、ジャンの手首を掴んだ。
「わああ?ヤダモン、約束とちがうよ!?」
と慌てるジャンの手を、ヤダモンはけらけらと笑いながら引っ張った。
「わーい!きつねのジャン、つかまえたー!」
「ちょっとヤダモン、離してよ!」
「やだもん!つかまえたんだもん」
「もー!こうなったら!」
ドア越しに引っ張り合うジャンとヤダモンだったが、ジャンがドアを開けて部屋になだれ込んだため、ヤダモンは尻もちをついた。
そして、むっとした顔のジャンと、きょとんとした顔のヤダモンは顔を見合わせていたが、やがてどちらからともなく笑い始めた。見れば、ヤダモンはまだ手ぶくろをつけたままだった。そんなに気に入ってくれたなら、手ぶくろを出した甲斐があったな、とジャンは思った。
二人がひとしきり笑い終えたところで、玄関から「ただいまー」とエディとマリアの声がした。
「ジャンパパとジャンママがかえってきた!おかえりー!」
二人の声を聞いたヤダモンは飛ぶように階段を下りていった。ジャンは、両親が早めに帰ってきてくれたことにほっとして、立ち上がって服のホコリを払った後で、ゆっくりと一階に向かった。
階段の下では、ヤダモンがエディとマリアを出迎えていた。
「ジャンパパ、ジャンママ、おかえり!」
「ただいま、ヤダモン。まあ、その手ぶくろどうしたの?」
「ジャンと手ぶくろやさんごっこしてたの!」
「手ぶくろやさんごっこ?ははーん、マリア、どうやらあの絵本を読んだみたいだね」
エディはリビングのテーブルに置いてある絵本を指さして、マリアに言った。
「ああ、そういうこと。そういえば、ジャンもあの絵本を読んだ後で、手ぶくろを欲しがったわね」
「きっと、ジャンがヤダモンに絵本を読んであげたんだろうな。
アイツもすっかりお兄ちゃんだな」
「本当ね。最近、少ししっかりしてきたみたいだし、これもヤダモンのおかげかしら」
夫妻が息子の成長をしみじみと噛みしめていると、ジャンが二階から下りてきた。
「パパ、ママ、おかえり」
「ああ、ジャン、ただいま。
どうだった?今日一日、ヤダモンと家にいた感想は?」
「とっても大変だったし、もうくたくただよ」
「うふふ、でもちゃんとヤダモンの面倒見てくれてたのね。
えらいわよ、ジャン」
「もう、やめてよママ」
マリアに頭をクシャクシャと撫でられて、ジャンは恥ずかしそうに身を捩った。
ヤダモンはマリアの周りをぴょんぴょん跳ねながら、青い手ぶくろをはめた手を見せびらかした。
「ねえジャンママ、あたし本物の手ぶくろやさんに行きたい!
手ぶくろを買いに行きたいの!」
「あら、ヤダモンまで手ぶくろを欲しがるのね」
「でもヤダモン、自分で手ぶくろを買えるのかい?」
「へいきよジャンパパ、だって今日、ジャンからは買えたんだもん!」
それを聞いて、エディとマリアは嬉しそうにくすくすと笑い始めた。どうやら今日はジャンのおかげで、ヤダモンも買い物が出来るようになったようだ。 二人の幸せそうな笑い声を聞いて、ジャンとヤダモンもつられて笑いだした。
外を見れば、雨は降りやんでいて、雲の切れ間から光が差している。
笑顔の絶えないこの明るい家族を祝福するように、ルブラン家の上には、大きな虹がかかっていた。
お兄ちゃんしてるジャンを書けて満足。
こういうきっかけがあって、お金の使い方を覚えていったんじゃないか、と言う妄想ですw
「手ぶくろを買いに」って最後まで読むとお母さんのことを思い起こさせそうで、全部ヤダモンに読み聞かせるのはどうかな…と作者は悩みましたが、結局ヤダモンが動いたので、ジャンは途中までしか読めませんでした(^_^;)
しんみりルートも考えたんですけど、やっぱり笑顔で終わらせたかったんですよね。
参考図書「手ぶくろを買いに」
作:新美南吉 絵:どいかや
あすなろ書房