益子薫は刀使である。
身分は特別遊撃隊隊長兼特務警備隊第三席。
(ブラック)上司である真庭本部長のお気に入りで出世街道まっしぐらの薫であるが、彼女には悩みがあった。
ある日、薫は任務中にとある理由により負傷し、入院してしまう。

──そこに訪れる旧知の友人。
──暴かれる薫の罪。
──刀使・益子薫の最後の戦いが幕を開ける。

1 / 1
益子薫は刀使である

 暗い部屋で白い天井を見上げる。体は柔らかいベッドの上に乗っている。ご丁寧にフカフカの布団つきだ。

 今の自分はこの快適な寝床の上で日がな一日寝ていても誰からも怒られない。突然任務の呼び出しがかかることもない。長年の特別遊撃隊の激務を考えれば天国と言ってよかった。

 出てくる三食の飯は量こそ少ないが、不味くはない。自分としてはもう少し濃いめの味付けが好みだがそこは仕方がない。

 ――何故ならばここは病院だからだ。

 

「あー、一日中何もしなくていいのも毎日続くと思ったよりつらいな……」

 

 益子薫は都内にあるとある刀剣類管理局の息がかかった病院にいた。ここでは負傷した刀使たちが多く入院していて、何かと便宜を図ってくれており、リハビリ訓練のサポートなども行っている。

 薫がここにいるのは戦闘中に負傷したからだ。凶禍と呼ばれる、荒魂の中でも特別強力な個体との戦いで不覚を取ったのだ。片方の腕には包帯とギプスが装着されている。とはいっても重症なのはその腕だけだ。正直言って日常生活ぐらいはできる。

 それでも薫の上司、真庭本部長は偶には休暇を取れと柄にもないことを言い、薫を強引に病院に押し込んだのだ。

 

「まったく、あのオバサン一体何企んでんだか」

 

 暇を持て余し、上司へのいつもの愚痴を零し続けていると、個室のドアを叩く音が聞こえた。

 

「あー?飯の時間はまだだろ」

「ランチタイムじゃなくて残念デスね、薫。久しぶりデース」

 

 ドアを開けて無遠慮に入ってきたのは同学の長年の相棒、古波蔵エレンだ。

 

「おう、エレンか。久しぶりだな。見舞いでもないと会いに来ないなんて薄情な奴だ」

「ふふふ、ごめんなサイね。でも私も研究者の卵として色々勉強で忙しいデスから。許してくだサイねー」

 

 エレンは刀使としての母校である長船女学園を卒業後、御刀を返納した。

 現役刀使は基本的には中高一貫校である伍箇伝の生徒であり、一般的に卒業後には御刀を返納して引退する。そうしなければいけないという決まりがあるわけではなく、単に高校を卒業する年齢が多くの者にとって刀使としての寿命が終わる時期と重なるからだ。

 刀使の寿命は短い。中等部の二、三年でようやく御刀に選ばれる遅咲きの者や高等部も半ばで既に目に見えて適性が低下する者もいるくらいだ。そのような中で、エレンは早くから刀使としての自分が終わりを迎えた後を見据え、勉強を重ねていたのだ。

 

「グランパの研究が進めば荒魂と人間との距離はぐっと近くなりマス。そしたら刀使でなくても荒魂と分かり合える機会もぐっと……」

「……ぐっと増える。そうだな?」

「なんだか寂しそうに聞こえマシタね、今の薫の言葉」

「んなことないぞ。仕事が減るならオレとしては万々歳だ。まあオレが現役の間には実現しなさそうなのが残念ではあるが」

「……薫、刀使の力が衰えているそうですネ」

 

 薫の反応を確かめるような目で見ながらエレンは言いづらい言葉をぶつけた。

 

「ああ、ここ数か月で目に見えてな。こりゃオレも年貢の納め時か」

「まるで死んでしまうみたいに言いマスね。特別遊撃隊をお払いボックスになれば好きなだけ休みが取れるじゃないデスか?」

「ああ、確かにな。こき使われた分、羽を伸ばしまくってやるか」

 

 そう言って強がる声色もどこか弱弱しい。少なくとも長年薫の傍でいたエレンにはそう感じた。

 

「……不満みたいデスね」

「……バレたか」

 

 薫が吐いた嘘をあっさり認めたことにエレンは違和感を覚える。いつもの彼女なら図星を突かれても冗談を言ったり、強がったりして誤魔化そうとするはずだ。それすらしないということは本当に弱っているのだろう。

 

「まだ刀使を続けたいと?やり残したことがあるんデスか?」

「そう言われて振り返ればやり残したことだらけかもな」

 

 自分が刀使だった間を振り返れば色々なことがあった。それこそ修羅場と呼んで差し支えないような命を懸けた戦いがいくつも。そのひとつひとつの記憶を、薫は今でも鮮明に憶えている。何故ならそれは薫にとってかけがえのない仲間との記憶であり、それと同時に苦々しい記憶でもあるからだ。

 小さい頃から憧れたヒーローのような刀使になりたかった?荒魂と戦うことが刀使の使命?大荒魂討伐の英雄と持て囃されたところで、では自分はあの戦いで何ができた?

 大荒魂と化した折神紫には力及ばず、今度こそはと臨んだタギツヒメとの最後の戦いでは、勝ち負け以前の問題で、迅移の段階が足りず一番に置いてきぼりを食らった。

 

「いや、結局オレは自分の手でやれなかったことが気に入らないだけだな」

「薫の性分は知ってマスね。だから舞草の活動にも勧誘しマシタ。薫の性格なら面倒臭がりながらも『そんな馬鹿なことするやつはオレがぶっ潰してやる』って言ってくれると思ってマシタから」

「おい、そりゃ初耳だぞ」

「フフフ、当たり前デス。初めて言いマシタからネ」

 

 舌を出して笑うエレンに、薫は苦笑する。

 

「前から知ってたが長船は性質が悪いな。入る学校を間違えたか」

「……そんなに現場を離れたくないなら現場部隊を指揮する立場になればいいんじゃないデスか?少なくとも紗南センセイは薫を特祭隊本部の幹部候補生にする気、満々デスよ」

「ばか、オレは益子で、刀使だぞ。あいつらの牙を、爪を、直接受け止められないならどんな地位を貰っても意味がねえ。それなら実家に引きこもって寝てた方が気が楽だ」

「相変わらず頑固デスね」

 

 ふと病室の隅に立て掛けられた祢々切丸がエレンの目に入る。

 

「こんなところにまで御刀を持ち込むなんて仕事嫌いの薫らしくありマセンね。……不安なんデスか?」

「本当にお見通しか。そうだ。こいつがないとな、オレの力がすぐにでも消えちまうんじゃないか、ねねにも見捨てられるんじゃないかとさえ思えちまうんだ。情けない話だろ?」

「……それで荒魂の力を受け入れてしまったんデスか?」

 

 相棒の弱り切った表情に耐えかねたように、エレンはひとつ先ほどから言い出そうとして言い出せなかったことをとうとう口に出した。

 二人の間をしばしの間、沈黙が支配する。

 

「何の話だ?」

 

 返ってきた薫の声は平静そのものだった。――少なくとも表面上は。先ほどの弱気な声色はすっかり消えていた。

 

「とぼけても駄目デス。ワタシ、知ってるんデスよ?刀使としての適性を確認する定期検査、薫の結果はここ数ヶ月間ドンドン悪くなってマシタ。それが一ヶ月前に急に持ち直した、おかしいデスよね?」

 

 刀使の適性の全盛期は十代前半だ。高等部以上になってから適性値が上がるなどということは通常ありえない。

 

「たまたま調子が良かったんだよ、きっと。曖昧な憶測で人を疑うのはやめてくれ」

「憶測じゃありマセン。一ヶ月前、長船が旧鎌府から接取した荒魂やノロの研究施設で保管していた冥加処理用のノロのアンプルが一つ紛失しマシタ」

「ふん。うちの管理も杜撰だな」

「結局誰の仕業か分からず終いだったみたいデスが、気になって個人的に調べてたんデスね。そしたらちょうど同じ頃、この施設に出入りしていた刀使を見つけマシタ。……アナタですよ、薫」

「……っ!」

 

 平静を装っていた薫の表情がはっきりと変わった。それを確認しつつ、エレンは話を続ける。

 

「施設の職員には本部長命令で調べ物をしているなんて言い包めたみたいデスけど、紗南センセイはそんな指示出した覚えはないって言ってマシタよ」

「……ははは、やっぱり意地が悪いな。全部調べついてるんじゃないか」

 

 薫は観念したようにしらばっくれるのをやめた。

 

「そうデスね。ワタシは意地悪かもしれマセン。けど、今まで誰も薫を疑わなかったのはみんなが薫を信頼していたからデスよ。アナタならそんなことするはずがないと」

「どうだかな。……それで、今日はオレの御刀を取り上げに来たってわけか?」

「そうしたいのはやまやまデスが、祢々切丸は管理局ではなく益子家の所有物デスからそれはできマセン。でも薫が任務に呼ばれることはもうないと思ってくだサイ」

「そうか」

 

 薫はそれだけ言うと押し黙ってしまった。

 

「薫が言い出したら聞かない子なのは知ってマス。でも薫が無茶したら心配する人がいることも忘れないでくだサイ」

「わかってる。お前には悪いことしたと思ってるよ」

「わかってまセーン。私だけじゃありマセン。カナミンやヒヨヨン、マイマイに、サーヤも、薫のパパもママもグランパもグランマも、紗南センセイだって……薫はみんなの信頼を裏切ったんデスよ?」

「わかってるよ……。わかってるんだ、そんなこと……」

 

 先ほどよりさらに弱弱しくなっていく薫を見て、エレンは「これぐらいでいいデスかね」と厳しい顔を崩して笑いかけた。

 

「薫のしたことは簡単に許されることじゃありマセン。……でもデスよ。私は薫のパートナーなので、同時にエールも送ったりしちゃいマス」

 

 そう言うとエレンはベッドの上の薫をそっと抱きしめた。

 

「昔から、薫が人に弱みを見せるのを嫌ってるのは、知ってマスね……。でも、自分の弱さを、認めることだって……立派な強さデス。ワタシは、薫に自分の弱さを、罪を認めて、また、強く立ち直って欲しいんデス……」

 

 優しく諭すように語りかけるエレンの声は少し嗚咽が混ざっていた。薫の罪を咎めつつ、同時に薫の身を本気で案じている。器用なことに古波蔵エレンはそういうことができてしまう女だった。

 

「ああ、わかったよ。お前を裏切るのがここまで堪えるなんて正直思ってなかった……すまん」

 

 出会ったばかりの頃はこの屈託のなさを何か企んでいるのではないかと訝しんだものだ。だが今ならわかる。彼女の邪気の無さは本物だ。彼女は誰よりも聡く、それでいて優しい、ただそれだけの話だったのだ。

 

「お前の言うとおり、オレは頑固だ。今更生き方を変えるなんてできないかもしれない。……でも、お前の信頼だけはこれ以上裏切らない。それだけは約束する」

 

 薫はエレンの手を強く握っていった。自分自身にも言い聞かせるように。

 

「ふふ、ようやく薫らしい顔になってくれマシタね。……ワタシ、そういう薫の顔が大好きデス」

「そうだろう、惚れ直したか?」

「フフフ、ちょっとは元気でてきたみたいデスね?良かったデス。でも……無茶だけはしないでくだサイね?」

 

 そう言って涙を拭きながら苦笑するエレンの寂しそうな顔が目に焼き付いて離れなかった。

 

 エレンが帰った後、薫は一人ベッドの上で考えていた。

 

「さて、オレはこれからどうすりゃいいんだ?」

 

 エレンの前では強がってみせたものの、これからどのような身の振り方をすべきなのか、何もわからない。

 自分は刀使になるのだ、刀使であるんだと、幼い頃から言われ、自分でも自覚して生きてきた。

 使命も仕事もしんどいと思っているのは本当だ。だが、それ以上に自分は他の刀使とは違う、偶々御刀に選ばれただけのような奴とは違い、自分には最初から貫き通すべき筋があるのだと内心誇りにも思っていた。

 だが、刀使としての寿命は生まれながらの刀使である薫にも平等にやってきた。異能は目に見えて衰え、とうとう隊員たちに隠すのも困難になってしまった。

 薫は周りの引退していく同期たちと違い、それを認めることを拒んだ。頑なに自分が刀使であることに執着し続けた。

 そしてとうとうかつて「悪趣味だ」と嫌悪した冥加にまで手を出してしまった。後ろめたさからエレンや沙耶香たち、かけがえのない仲間との交流は疎遠になり、益子の守護獣であるねねまで沙耶香に押し付けて遠ざけていた。

 その結果自分は何を手に入れられたのだろう。仲間の信頼を失ってまで見栄を張って先細りしていく自分の強さに縋って一体何が欲しかったのか?

 

「違うよな、そうじゃないんだ!オレが欲しかったものは……!」

 

 健常な方の腕で薫は机をドンと叩いた。

 その時――。

 突然、外からサイレンがけたましく鳴る音が聞こえてきた。ベッドの上に置いていた携帯端末が鳴り、荒魂の襲来を告げる。

 

「なんだ、この近くじゃないか!こんな人の多いところに出やがるなんて!」

 

 窓を開けると外では避難を呼びかけるアナウンスが聞こえないくらい人々の悲鳴や怒声で満ちている。眼下には濁流のように無秩序に避難する人の流れ。きっと皆が逃げてくるあの向こうに敵はいるのだろう。

 

「……おい、出番だ」

 

 目を瞑り、自身の体をシェアするもう一人の住人に語りかける。

 人目を憚って抑えていた荒魂の力を解放する。体が熱い。紅いオーラのようなものが自身の周りを覆うように見えるのは目の錯覚ではない。体内のノロが活性化し、その本能のままに薫の体を無理矢理戦える状態にもっていこうとしているのだ。

 

「い、ッ!ぐ、はぁ……ッ!」

 

 体の内側で骨が軋み、肉が歪むような感覚がした。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 やがて体内から漏れる荒魂の奔流が落ち着いた。ギブスを外し、包帯を剥ぎ取りながら汗でびっしょりと濡れた腕を動かし、拳を握り締める。

 骨折中だったはずの腕は痛みこそ伴うものの、支障なく動いた。力も万全とまではいかないが、刀を握るには十分回復した。自分はまだ戦える。

 立てかけていた愛刀を掴むとノロに刺激されて昂った闘争心が力任せに室内を薙ぎ払おうとしそうになり、なんとか堪えた。

 

「仕方ねえ。年末にはまだ早いが御用納めといっとくか。なあ、ねね」

 

 いつもの調子で軽口を叩きながら自身の肩に視線を送るが、益子の守護獣はそこにはいない。当然だ、沙耶香に預けているのだ。

 

「まったく。こんだけ寝てたのにまだ疲れてるなんて最後までとんだブラック勤務だな」

 

 思わず苦笑する薫のその目に荒魂の紅い光が灯っていた。

 

 

 

逃げ惑う人々を睥睨するように凶禍“婆娑婆娑”はビルの一角の屋上に留まっていた。

 彼がこの現世に出現したのはこれが初めてではない。もう何度も現世を訪れ、そのたびに憎むべき人間を害し、怒りに任せて人の作ったものを破壊して回った。

 前回人の世を荒らした際には荒魂退治の最精鋭部隊である特別遊撃隊相手をも退けてみせた。もはや自分に敵はいない。彼はきっとそう思っていることだろう。

 実際彼には、強力な飛行能力と荒魂の群れを統率する力があった。前者は翼も飛び道具を持たない刀使にとってそれだけで脅威であるし、後者は集団行動を旨とする刀使たちへの攪乱に大変有効だった。

 

「グギィィ……ッ!」

 

 手下の荒魂たちの襲撃に混乱する人々を嘲笑いながら荒魂の王は、人が多そうな場所に狙いを定め、飛び立とうとした。

 

「おい、待てっ!!」

 

 その時、ビルの屋上を伝って薫が荒魂の元に到着した。

 

「やっぱりお前だったか。相変わらず高いところでふんぞり返っていけ好かない奴だ。この間の借りは返させてもらうぞ!」

 

 薫にとっては前回の戦いで病院送りにされた因縁の相手だった。もう後れを取る訳にはいかない。

 

「クケェェェッ!!」

 

 婆娑婆娑も薫を認識し、大声で取り巻きの荒魂たちに号令をかけた。

 号令と共に薫の元に集まってくる小型の荒魂たち、薫はそれらを斬って捨て、踏み台にし、さらに跳躍した。

 

「はっ、頭上は取ったぞ、鳥野郎っ!」

 

 眼下の道路を見下ろすと、好都合なことに避難の人波からは少し離れている。ここなら叩き落としても問題ない。

 跳躍を重ね、標的の頭上を取った薫は大きく息を吸い込み、周りから聞こえる人々の混乱の音にも負けぬ大音声を張り上げた。

 

「きえぇぇいっ!!!」

 

 落下しながら体を回転させ、重力を乗せた一撃を脳天めがけて叩き込んだ。

 

「グエェェェッ!!」

「ちっ!」

 

 ミシミシと打ち込みの反動が写シ越しに全身に伝わってくる。やはり万全ではない体調では打ち込みの威力も半減だ。強大な荒魂であるこの怪鳥を斃すには足りない。

 

「グエッ、グエエッッ!!」

 

 婆娑婆娑は耳障りな声を上げ翼をはためかせて薫を振り落とした。

 

「いでぇッ!」

 

 吹き飛んだ小さな体が建物の壁に叩きつけられる――直前に、薫は背後に祢々切丸を突き立てて壁にめり込ませ、激突を免れた。

 

「グエェェェッ!!」

 

 追撃が来る前に御刀を引き抜き、地面に垂直落下し、難を逃れた。

 

「はあっ、はぁっ……」

 

 金剛身と八幡力で落下の反動を抑え、なんとか無傷で着地する。

 これで高所の利は失われた。引き換えに与えたダメージは決して小さくないはずだが、敵の飛翔能力を低下させるには至っていない。

 周囲を見回すと、足の悪い老人や足がすくんで動けない人などまばらだが逃げ遅れた人がちらほら見える。

 

(チッ、何がここなら叩き落しても問題ないだ)

 

 一撃で討てないのならば今、目の前の荒魂を追いかけている真っ最中であろう特別遊撃隊の部下たちに先に連絡を取っておくべきだった。しかし今更連絡を取る余裕はない。服のポケットの携帯端末と塞がった両腕を交互に睨んで舌打ちすると、薫は上空の荒魂を見上げた。婆娑婆娑は怒りを剥き出しに吠え、地上の薫めがけて突風を巻き起こす。薫は御刀を支えに転倒しないように堪えるが、周囲の逃げ遅れた一般人が煽りを食らい転倒するのが見えた。

 

(くっ、ここにオレがいたら一般人を巻き込む)

 

 被害を出さないためには荒魂を速攻で討滅するしかないが、そのためには今の薫では自身の命を懸けても全く足りない。

 そこにふと視界の奥で見覚えのある姿が映る。

 

「こっちデース!慌てず騒がずデスよ」

「あ、あいつ……!」

 

 日本人の間では一際目立つ金髪碧眼の長身の女。見間違うはずもない、エレンだ。薫は思わず敵を無視して、親友の傍に駆け寄った。

 

「おい、エレン!」

「薫!」

「こんなところで逃げもしないで何やってんだ!お前はもう一般人だろ!」

「薫こそ怪我人のくせに何してるんデスか!無茶してはダメだと言ったばかりデスよね!?」

 

 お互いを案ずる感情をぶつけ合う二人だが、同時に今自分がしなければならないことも分かっていた。一瞬の沈黙の後、エレンが先に切り出す。

 

「きっと今も特祭隊のみんながあの荒魂を追って来ているでショウ。逃げ遅れた人たちは荒魂たちがやって来た方角に誘導したほうが安全デスね。薫は」

「その反対側に荒魂を引きつける!それでいいな?」

 

 二人は短く頷き合うとすぐさま背を向け、それぞれの戦場へ駆け出した。

 婆娑婆娑がこちらめがけて急降下してくる。

 

「ちぃっ!」

 

 薫はやむを得ず迎撃の態勢に移るが、降下の勢いを乗せた一撃相手では確実に打ち負ける。

 万事休す――その時。

 薫の周囲に数名の刀使が迅移を発動させながら現れ、飛来した荒魂に襲い掛かった。

 

「ギィィィッ!!」

 

 突然袋叩きに遭った婆娑婆娑は堪らず悲鳴を上げながら上空へと退避した。

 

「よし、奇襲は成功。各員油断せず上空の警戒を続けてください」

 

 敵の後退を見届けると、刀使たちの隊長格である眼鏡をかけた綾小路生――桐生葉月は薫の方に向き直った。

 

「桐生隊長か。助けられちまったな」

「いえ」

 

 上司の珍しい素直な礼の言葉を聞いた葉月は一瞬表情を緩ませるが、すぐに元の生真面目な刀使の顔に戻り、無線通信を始めた。

 

「第二分隊より本部、追跡中の目標と会敵!これより交戦を開始する!」

『本部了解。周囲の状況はいかがか』

「周囲に逃げ遅れた者を確認、そちらの安全確保を優先する必要がある。至急増援を頼む」

『了解した。すぐに第一分隊を向かわせる!それまで持ちこたえろ』

「第二分隊了解」

 

 通信を終えると、葉月は薫に向き直った。

 

「それで、益子遊撃隊長。貴方は入院中ではなかったんですか?」

「ああ、どうせなら病院でもっと寝ていたかったんだがあいつのせいで台無しだ。それより沙耶香たちは近くにいないのか?」

 

 共に駆けつけた刀使の頭数が少ないことを指摘する薫に、葉月は渋い顔を作った。

 

「追跡中に奴が率いていた群れをバラしてしまい、本命がどれかわからなくなったんです。戦力分散は悪手ですがやむをえず!どうやら私が当たりを引いたようですね」

「タギツヒメに出くわしてノロを奪われた時といい、昔からいい引きしてるな、桐生隊長」

「まあ、上司が目を離すとすぐサボるおかげで目もいいですからね、私」

「眼鏡かけてる奴にそんなこと言われてもな!」

 

 お互い軽口を叩いて強がって見せる。それは二人の歴戦の信頼の証だ。それぐらい気持ちを強く持たねば過酷な特別遊撃隊の任務をこなし続けることはできない。

 薫は新手に警戒して吠え立てる敵の親玉に再び目を向ける。最悪の窮地はなんとか脱した。だがそれだけだ。葉月が率いてきた部下たちもベテラン揃いだが、一般人を守りながらあの手強い鳥野郎を討つとなると戦力的にまだ厳しい。

 

「松田、島本の両隊員は私に続いてください!残りは民間人を周囲の小型の荒魂から守りなさい!」

「「「了解!!」」」

 

 考えているうちにも葉月が素早く部下たちに指示を出す。指名された以外の刀使たちは迅移を使い、すぐさま避難者の方へ向かう。

 

「遊撃隊長は敵の気を引いて低空まで誘い出してください」

「あ?なんだ、無茶するなって怒らないのか?」

「当然怒りたいですがそれは後でです。どうせ後方に下がってくれと言っても聞かないのでしょう?」

「はは、まったく、頼もしくなりやがって」

「益子隊長が素直に人を褒めるのは大抵弱気になってるときです。私の士気が下がるのでやめていただけますか」

 

 こんな時でも手厳しくツッコむ副長に苦笑せざるをえなかった。

 

「仕方ないな。桐生隊長様の役に立つ為に、ひとつ踏ん張るとするか!」

 

 薫は言うが早いが、近くの建物の壁を足場代わりに連続三角跳びで荒魂の高度に追いつき、制空権を脅かす。狙うは巨大な翼だ。

 

「きえぇぇっ!!」

 

 薫は敵の斜め上から跳躍して斬りかかる。婆娑婆娑は高度を下げつつ、自分と異なり、翼をもたぬがゆえのその真直ぐな軌道を回避した。 

 

「今だ!」

 

 婆娑婆娑にしてみればほんの一瞬高度を下げたにすぎない、だが迅移を扱う刀使にはその一瞬があれば十分だった。迅移の加速を乗せた刺突が三方向から荒魂を襲う。

 

「ギィィィッ!?」

 

 婆娑婆娑は耳障りな悲鳴を上げ、その場から飛び上がり、巨大な翼を羽ばたかせる。荒魂の巨体の正面に人さえも吹き飛びかねない突風が巻き起こった。

 

「一旦、散開!ただしお互いに一呼吸で再集結できるギリギリの距離を保ってください!こちらからは無理に仕掛ける必要はありません。降下してきたところを囲んで叩きます!」

 

 葉月は部下たちに素早く指揮を下す。敵の攻撃パターンはすでに知れている。こちらの戦力がまとまっていれば突風で散開させ、孤立した者を優先的に潰しにかかる。前回の戦闘ではその術中に嵌り痛い目を見た。

 だが何をしてくるのかわかっているのならば敵の思惑に付き合ってやる義理はない。付かず離れずの陣形を維持しながら遊撃手の薫が牽制し、反撃のチャンスを窺う。

 

(流石、葉月。手堅いやり方だな)

 

 薫は再び高度を上げてきた敵と睨み合いながら内心感心した。

 初戦と比べると今こちらの戦力は少ないが、相手の手の内がわかっていることはそれを補って余りあるアドバンテージとなっている。

 

「ギヤピィィッ!」

「ぐっ、わっ、マジかよっ!」

 

 薫は高層マンションのベランダを飛び移り、荒魂の嘴を必死に避け回る。

 

「まずい、遊撃隊長が狙われている!島本隊員!」

「はいっ!!」

 

 名を呼ばれた平城の制服を纏った隊員が荒魂と薫の間に割って入るべく、垂直にジャンプした。

 

「益子隊長ぉ!援護ぉぉッ、しますッ!!」

 

 平城の隊員はベランダの柵を蹴っての二段ジャンプで一気に薫の高度まで跳躍し、すれ違い様に婆娑婆娑の翼を斬りつけた。

 

「グギィィィッ!!」

 

 婆娑婆娑は悲鳴を上げて飛行バランスを崩し、マンションのベランダに身体を擦りつけ破壊しながら落下していく。

 瓦礫と砂煙を撒き散らしながら落下してくる巨体に、葉月は明眼で視界を確保しつつ、斬りかかった。

 

「ギギギィ……ッ!」

 

 だが敵もさるもの、婆娑婆娑は自身の身体が地面に叩きつけられる前に態勢を立て直し、慌てて葉月の刀を翼の堅い部分で防ぎながら再上昇した。

 

「くっ!」

 

 歯噛みしつつも切替えて背後を振り返ると、荒魂と一緒に落下してきた島本隊員とそれを地上で無事キャッチしたもう一人の隊員が強張った笑顔を作ってみせる姿、ついでに一旦地上に降りてきて一息ついている薫の無事を確認した。

 

(よし、この戦力でも十分戦えている!これなら……)

 

 なかなか致命の一撃までは至らないが、確実に押している。そのうち第一分隊の援軍も駆けつけるはずだ。このまま押し切れば勝てる。

 

「グエェェェッッ!!!」

 

 婆娑婆娑は激しく翼を羽ばたかせながら突如耳を劈くような大音声で吠えた。

 周囲の空間が揺らめき、薄くなった現世と隠世の狭間から中小サイズの荒魂が次々と湧き出てきた。

 

「手下を呼び寄せた!?」「くそ、あんな数の荒魂、私たちだけじゃ……」

「落ち着いてください!まだ手はある……って益子隊長!?」

 

 先ほどから疲労が激しい様子の薫を不審に思っていたが、それは突然明確な形となって現れた。

 

「っ!」

 

 薫の体を覆う写シが突然、自然消滅した。

 

「くそっ、もうガス欠か……。鳥野郎の嘴を躱すのに迅移を使いすぎたな」

「いくら何でも早すぎるのでは……?い、いえ、それより隊長は下がってください!神力が切れたならこれ以上戦うのは危険です!」

「大丈夫だ……。まだ、オレはいけるぞ……。んっ、んんん……っ!」

 

 薫は体内を侵食するノロを活性化させ、刀使の力を無理矢理引き出す。湧き上がる荒魂の力と呼応するように飢えと怒りの混ざったような激情が噴き出してくる。

 薫には自身が宿す荒魂が何故飢えているのか、何故怒っているのかはわからない。だがその感情に共感するものは薫自身も持っていた。

 瞼を閉じればいつでも思い出せるあの日の記憶。あの時、何もできなかった惨めな自分の姿。遠ざかる二人の友の背中――。

 

(ああ、そうだよな。お前の気持ちはわかる。お前の怒りはオレが叩きつけてやる。)

 

 薫の瞳が荒魂の色に一際強く輝いた。

 

(八幡力はまだまだ使える。だが、あいつを倒すには迅移が必要だ。写シに回す神力までは取り戻せないか……)

「隊長、その眼……」

「ピギィィィッ!!」

 

 葉月の言葉を婆娑婆娑の耳障りな鳴き声がかき消した。

 その場にいた全員がその声の方に視線を集中すると、ビルの上で集結する手下の荒魂を見下ろしていた婆娑婆娑が、飛び立った。

 

「何をする気だ?」

 

 親玉の鳴き声に反応し、一斉に刀使たちの方に向かい始める手下の荒魂たち。だが当の親玉、凶禍・婆娑婆娑は、手下たちとは見当違いの方向に移動する。

 

「あいつ、オレらの相手を手下に任せて、一般人を襲う気か!」

 

 弱い相手を優先的に害する。敵の戦術は最初から一貫していたが、ここまで露骨な手に出るとは思わなかった。

 薫たちは婆娑婆娑の向かう先に視線を向ける。周囲の一般人の避難は葉月の部下たちの活躍もあり、ほぼ終わっている。奴が避難している人間のまとまった集団にかち合うには距離があるはず、だった。

 薫が向けた視線の先、そこには逃げ遅れた子どもを庇うエレンの姿があった。

 

「So bad!荒魂が来てマス!建物の中に逃げて!」

 

 エレンは子どもを近場の建物に逃がし、自身は囮となって荒魂の前に立ち塞がる。

 

「無茶だ、バカエレンっ!!くそ!」

 

 迅移を使えば婆娑婆娑に追いつくことぐらいはできる。だがそれだけだ。周囲に取り巻きの荒魂も湧いてきている中で一般人を守りながら強大な荒魂を倒すなど不可能だ。

 

(何か、何か手は……!)

「ねねぇ!」

 

 その時、聞き慣れたもう一匹の相棒の声が頭上からかけられた。

 

「ねね、来てたか!お前がいるということは沙耶香も近くか」

「ねね、ねねぇ!」

 

 呑気なことを言っている場合かとばかりに主人の頭を叩くねねに、薫は「そうだな」と僅かに笑って答えた。

 俄かに戻ってきた相棒に勇気づけられた薫は深呼吸をし、副長に提案を持ち掛ける。

 

「ねねがいるなら……葉月、いつもの“あれ”やるぞ」

 

 どう考えても今の自分の力だけでは奴に刃が届かない。だから彼女の助けが必要だ。

 

「隊長……ッ!」

 

 喉まで出かかった「ダメだ」という言葉を葉月は無理矢理呑み込んだ。長年付き従ったこの先輩の意図は分かる。だからこそ本当は止めたい。写シを切らした今の薫の状態で荒魂に肉薄するなど危険すぎる。

 だが他に手がない。自分では彼女の代わりを務める力がないのだ。

 

「やりましょう、いつもの"やつ"を!私たちが仕掛ける間、松田、島本の両隊員は周囲の荒魂から私たちを死守してください!」

「了解、命に懸けてもっ!」「任せて、桐生隊長!」

 

 部下たちの顔に自分と同じ闘志が灯るのを確認すると薫は笑って叫んだ。

 

「よし、いくぜっ!!」

 

 薫が荒魂目掛けて祢々切丸を全力投擲する。祢々切丸は高速回転しながら射線上の小型荒魂を切り裂きつつ、勢い衰えることなく悠然と空を行く怪鳥を捉えた。

 それを敵が回避するのを見届ける前に二人は次のアクションに入る。葉月が御刀を腰の上程度の高さで水平に構え、薫がその刀身の上に跳び乗った。

 

「ふんっ!」

 

 葉月が手足に八幡力を込め、踏ん張る。お互いに呼吸を合わせ、タイミングを見計らう。それと同時に、明眼で標的に向かって薫を安全に飛ばす角度を探る。御刀と違い、薫は無防備だ。射線上に敵がいたとて蹴散らしながら進むことはできない。

 そうしているうちに、標的を失って宙を舞う祢々切丸をねねが空中でキャッチするのが見えた。

 

「ねねぇっ!」

「今だ、すりー!」

「つー!」

「「わんっ!」」

 

 刹那、薫は空を見上げて手を伸ばす。

 目を閉じると、瞼の裏に様々なことが浮ぶ。幼い頃憧れたテレビの中のヒーロー、祖父母から聞かされた歴代の益子の刀使の雄姿、そして友の背中。あの日、手が届かなかった二人の――。

 

「「ぜぇろぉぉっ!!」」

 

 葉月が御刀を全力で振り抜き、同時に薫は脚に練り上げた八幡力をバネに宙に、跳んだ!

 

「ピギャアァァッ!!?」

 

 空中を高速回転しながら迫る薫。その姿に、直前にねねが投げ返した祢々切丸をも回避した婆娑婆娑も驚愕の声を上げる。

 空中を舞う御刀と人、一本と一人がぶつかり、再びひとつの刀使となった。

 薫が袮々切丸を空中で掴んだ瞬間、迅移が発動して周囲の時間が急速に鈍化し、視界にはっきりと回避しようとしている婆娑婆娑を捉えた。

 

(勝てるのか?今のオレの力で?)

 

 吠える荒魂の姿を見て今更そんな弱音が頭をもたげた。

 その時、鈍化した視界でエレンと目が合う。その目が『信じている』、そう言っていた。

 

(勝てるかだ?そうじゃないだろ!なんの為に力を求めたんだ?少しでも長く刀使であり続けたいと願った!?つまらない見栄の為じゃない!届きもしない夢を見続ける為でもねえ!あいつが信じてくれたオレであるため!オレが、オレであるためだ!!)

 

 掴んだ祢々切丸を仲間がつけてくれた翼の裂け目を目掛けて全力で振り下ろす!頭で考えるより強くっ!!

 ――直後、怪鳥の翼が真っ二つに斬り落とされた。

 

「ピギィィィッ!!」

 

 浮力を失い絶叫しながら落下を始める婆娑婆娑の体に薫はとどめの一撃を見舞うべく取り付いた。

 婆娑婆娑が薫を振り落とそうと空中で暴れる。薫は御刀を荒魂の背に突き刺し、御刀を縋りつくように掴んで必死に耐える。

 ここで逃せばこいつは必ず手下を助けに呼び寄せる。乱戦になればエレンたちを守り切ることは不可能だ。

 

「はぁ、はぁ……お前らの怒りを祓うのがオレらの務めだ……!だから、オレが、全部受け止めてやるっ!」

 

 器用に首を回した婆娑婆娑の鋭い嘴が薫の脇腹を突き刺した。傷口から深紅の血が染み出す。だが薫は手を離さない!

 

「がは……ッ!ぐぅっ、だがぁ、ここは、オレの縄張りだ……ッ!はぐッ……!益子の、縄張りでッ、勝手は……ッ、許さんッ!!」

 

 落下した婆娑婆娑の体がアスファルトの上に激しく叩きつけられる。薫はその衝撃で血を吐きながらも片腕に万力を込めて祢々切丸を振り上げ、叩きつけた。

 

「きええぇぇぇッッ!!!」

「ピギャア゛ア゛ァ゛ァ゛ッ!!!」

 

 堅固な頭蓋が今度こそ粉砕され、立ち上がろうとした巨体はその場に崩れ落ち、ノロに還っていった。

 

「薫っ!」

「隊長っ!」

 

 ノロでできた水溜まりの上に倒れ込む薫の元に、エレンと葉月が駆け寄ってきた。

 だが薫は、絞り出すような声でそれを制する。

 

「ば、か、えれ、ん……まだ、来るんじゃ……」

 

 親玉が討たれ、統制を失った取り巻きの集団が無秩序に暴れ始める。そのうち比較的大型の一体が親玉の仇とばかりに、真直ぐに薫たちの方に突っ込んできた。

 

「くうぅ!」

 

 エレンが倒れた薫に覆いかぶさるように庇い、葉月も御刀を構えて荒魂の前に立ち塞がる。

 

(守り切れるか……!?いや、絶対に守らねば!)

 

 荒魂の爪が振り下ろされた――。

 次の瞬間、二陣の風が三人の傍を横切り、襲い来る荒魂を両側から一瞬で斬り裂いた。

 

「……仲間はやらせない」

「ハァ、ハァ……。すみません、到着遅れました!第一分隊、これより周囲の荒魂を掃討します!」

 

 割って入ったのは特別遊撃隊最優の刀使・糸見沙耶香と遊撃隊第一分隊長の岩倉早苗だ。

 二人とも明らかに致命傷を負った薫の姿を見て続けてかける言葉を失ったが、早苗は隊長らしくすぐに平静な顔を作り、エレンたちに一礼するとすぐさま部隊に指示を出しながら荒魂を追っていく。

 だが沙耶香の方は死の淵に瀕した長年の友人を前に普段の冷静さを失っていた。

 

「薫……!エレン、私、どうしたらいいかわからない。何かできることは……!」

「サーヤ、みんなと一緒に行ってあげてくだサイ。数の多い荒魂を取りこぼさない為には貴方のスピードが必要だと、薫も言ってマス」

 

 エレンは穏やかで優しい声遣いで沙耶香を諭した。

 

「でも!」

「さ、やか……たのむ……」

 

 絞り出すような薫の声に、沙耶香は首をぶるぶると振り、そして応えた。

 

「……うん。薫、行ってくる」

「あぁ……」

 

 沙耶香たちを見送る二人の後ろで葉月は気が気でいられない様子で叫ぶ。

 

「隊長、今すぐ手当を!こちら第二分隊、目標の討伐は完了した!今すぐ救護班を向かわせてください!!」

「いい……見りゃ、わかっ、ごほっ、ごほっ!!もう、たすか、らん……」

「それでもですっ!」

 

 無線に向かって怒鳴る葉月を薫は弱弱しく静止する。

 二人の様子に苦笑しながらエレンは、薫の頭をゆっくりと膝の上に乗せた。

 

「全く……みんなに迷惑をかけて。あれほど無茶をしてはいけマセンって言いマシタのに」

「……すまん」

「それで……満足、できマシタか?」

「あぁ」

「良かったデス。これでまだ不満だなんて言うなら蹴り飛ばしてやるところデシタよ」

 

 薫は返事代わりにふっと笑った。

 

「おやすみなさい、薫。もう誰も邪魔したりしマセンから、たっぷりバケーションを満喫するといいデスよ」

 

そう言って相棒の額にそっとキスした。

 薫は額に触れる唇の柔らかな感触と共に、温かい涙が頬に零れる感触を確かに感じた。

 

(こんな、時まで……お姉さんぶるんじゃ、ねえよ……)

 

 明らかにお互い様ないつもの調子の薫の言葉は、もはや言葉として口の外に出てこなかった。

 

 

 

 周りを見渡せば生まれ育った益子の実家に、幼少の頃駆け回って遊んだ野山、激務に追われる今となっては懐かしい長船の学び舎などがすぐ近くに並び立っている。まるで頭の中の記憶をそのまま切り出したようなどこまでも曖昧でちぐはぐな世界。それが薫がここ、隠世を彷徨った感想だった。

 自分がどういう原理でここに迷い込んだのかはわからない。ただ、ここに来る直前に力の減衰に焦ってノロの、荒魂の力を取り込んだせいだというのはなんとなく憶えていた。

 

「ねねー!ねね、ねね、ねねぇっ!」

「なんだ、ねね。お前も来たのか」

 

 薫はこちらと目を合わせるや、いきなり抱きついてきたねねを胸で受け止め、同時に感覚を共有し、ねねが伝えたいことを大まかに把握した。

 

「そうか。向こうのオレは観念したのか。案外早かった……のか?」

 

 時間の経過すら曖昧なここでは、どれほどの時間が経過したのかもわからない。だが状況は概ね理解できた。

 

「ということはお前はオレを迎えに来てくれたんじゃなくて別れを告げたに来たってところか」

「……ねねえ」

 

 荒魂は共通の能力として隠世の浅瀬に潜ることができるとされている。ねねはその力と益子の刀使との共有感覚を頼りにここまで会いに来たのだろう。

 

「まあ現世のオレがくたばったんだったらこっちのオレが未練がましくダラダラしてても仕方ないしな。さっさと成仏してやるとするか」

「ねぇ……」

 

 いつもの元気が嘘のような弱気な声のねねの頭を薫は優しく撫でる。

 

「世話の焼けるペットだとずっと言ってきたが、よくよく思い返せばオレもそれなりにお前の世話になった、かもしれないな。……ありがとな」

「ねぇっ!」

 

 ねねはべそをかいたような顔をまるで人間のように手で拭い、無理に元気な声で薫の礼に応えた。

 

「ははっ……笑いたくないのに笑うな!……なんて言っちまうのも今は無粋なんだろうな」

「ねっ!」

 

 ねねは赤ん坊の頃から一緒にいた彼女に、今更「逝くな」などとは引き留めない。数百年間、祢々切丸とその継承者と共に在ってきた。無事に引退して天寿を全うする者もいた。当然薫と同じように刀使としてお役目を果たす為に命を落とす者もいた。

 別れはいつか必ずやってくることなどとうに理解している。だからせめて最期はいつも笑って別れるようにしているのだ。

 

「次にうちの誰が選ばれるのかは知らんが、次の代の継承者のこと、頼んだぞ」

 

 薫はにやりと笑ってねねに後事を託す。それを見たねねは「人の気も知らないで」と思わず呆れ顔になった。

 

 まったく、この一族ときたらみんな自分勝手で、無神経で、無茶ばかりする者しかいないのだから。

 人(?)の腹に御刀を突き刺しておいて「またやろうぜ」などと言い放ったあいつも。

 荒魂である自分の隣で平気で昼寝をしていたあの人も。

 幼い頃から歴史ある益子の守護獣である自分をペット呼ばわりし、振り回してばかりだった目の前の彼女も。

 

 でもそんな彼女らが心配だから、彼女らが大好きだから今までもこれからもずっと傍にいるのだ。

 だから「任せろ」と一言なるべく強気に聞こえるように叫び返す。

 

「ねえっ、ねねえっ!」

 

「ああ。……さて、あっちの仕事納めも済んだし、思う存分寝まくれる場所でも探しに行くとするか」

 

 薫はねねに背を向けると、声色だけいつもの調子でおどけてみせた。

 

「じゃあな、ねね」

 

 薫はそう言うと隠世の奥、より深く暗い方向へと去っていく。

 ねねはその後ろ姿が見えなくなるまでいつまでも“彼女の”益子の刀使の背中を見送り続けた。




刀使・益子薫、最期の戦いでした。
薫ちゃんは本編の空気的には引退後、御箇伝や管理局の幹部に出世するコース安定っぽいですが、個人的には生涯現場を貫いてほしい、そういう気持ちを込めて本編で本人が忌諱していた冥加の力と絡めました。
解釈違いあると思いますが、こういう薫ちゃんもありかと思っていただければ幸い。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。